園 長 と 語 ろ う

平成27年7月

―居座り梅雨前線の功罪―

 以前梅雨前線が居座り、明けないまま秋雨前線と名称を変えた事がありました。その年はスイカの茎が水につかり焼けて(葉が茶色になり枯れる)しまって不作だったり、立派な形に育ったけれど日照不足で甘みが乗ることがなく廃棄処分されるなどでスイカ農家は散々でした。又お米も凶作で外米に頼る始末・・・。園の味噌を仕込む米糀が出来ず正月用の斉米寄せ(寺に収める年貢米のようなもの)で頂いた田辺の米を持ち込んで糀をつくってもらった事が思い出されます。病虫害が発生して農作物の被害は大変なものですが地球は広くグローバルに対応されて消費者が餓死するようなことにはならないほど配送が完備されています。

 さて子ども達の生活といえば、夏休みになる頃までずれ込んでもこの所それが通常になっていますのでずれ込みの悪影響は気付きませんが五月連休明けから続く自己主張の発揮がコントロールされないままどんどんと後から後から自己主張のぶつかり合いのピークに到達する子ども達があり、いつもピーク状態なのですがその頃梅雨の晴れ間にはプール遊びが活発になるなどで発散も時に応じてできパニックになる事もなく自分たちでコントロールできるようになります。又、その人たちが手本となり新たに真似る人も増えて相乗の効果もあります。これが小学生の高学年や中・高校生になっての長雨は一日中教室に閉じ込められてしまう事になり、エネルギーの発散が出来ない状態がパニックを起こし些細なことでトラブルになったり先生ともめたり・・・といった事で発散する事が良くありました。

 人間は生徒や学生といった若者であっても理性(年齢に応じた自律)があり手加減ができます。大きな事故にはなりません。ところがゲージで飼われたウサギやモルモット、ハムスターなどは子を産みだすとねずみ算のように増え、それが又繁殖期ともなれば至る所で出産が始まり赤子の間は母親が腹の下で温めていますし授乳もその姿でできます。ところが摂餌や排尿・便になると巣を離れる事が日に何回かあります。そんな隙に若い成獣が身体を震わせて赤子の頭を何回も噛み、頭蓋骨が出るほどに噛んで死に至らしめる事や近親交配が何代も続くと奇形の子が生まれたりもします。飼われている鳩で足に水かきのある子が生まれたりもします。このように草食の生き物はパニックになると親にとっては大切な赤子や子どもを殺すこともあります。

 猫科や犬科のように肉食の動物はえさを得ることが大変なので親が倍増することのないように自分のテリトリーを守ります。自然淘汰もあります。爪や牙など一撃で獲物をしとめる武器があるせいか、噛み加減は生まれながらに取得しています。母親が危険回避し巣を変える時、子どもの首を口でくわえて一匹ずつ運ぶので学習が出来ているのでしょう。猫や犬の成獣は抱くより首根っこの毛皮の部分を持ち上げるほうが安心しているようです。(但し野良猫や犬はやめてください。彼等は死に物狂いで抵抗します。)
このように自然である私たちは自然の理に則(のっと)り生活しているのでしょう。弱肉強食も自然淘汰も食物連鎖もみんな自然の理なのです。

 種が亡びる事のないようバランスがとられています。ところが近年少子化の進行と共に気になる言葉に「絶滅危惧種」があります。子どもの頃に良く遊んだ草木が見られなくなりました。日本人と言う人種が世界の巷で危惧種とささやかれることのないように「愛おしむ」子育て、「愛おしいお児や」と昔のお母さんやおばあさんが子や孫をみてはそんな感情で一杯でした。手が掛かればかかる程「愛おしい・・・」という感情が育まれます。手塩にかける・・・という言葉がありますがそれをコントロールするのに手加減塩加減が必要なのです。「乳離れ」とか母子分離(二歳の頃)とか自己中心(三歳の頃)といった乳幼児期には自律して自立する芽を出す大切な時期ですので・・・。いっぱい親の愛を体験しないと自律や自立はないのですから。

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