園 長 と 語 ろ う

平成28年3月

―真似び(学び)合いのはじまり―

 三学期の始まりは暖冬で安心していたのがつかの間、北極の大寒波が九州にまで南下し、日本列島がすっぽりと寒波に包まれています。乙訓の小中学校で集団風邪による学級閉鎖が出だしました。むらさきはいつも流行に乗り遅れること一ヶ月前後…。手洗いうがい以外に特別な対応はしてなく、むらさきの子どもは寒中でも暖かい日には水遊びが始まり寒い日は身体を温めるような遊びをしだす…といった自然に順応する生活をしています。

 さてこんな自然な子どもたちの生活は一年を学期ごとの生活リズムとして自ら作れるし、又幼稚園に在園している三年間を一年ごとと言った長い波長でも生活作りをしています。

 三歳児の初登園日、靴箱の名前とシールを待ってた先生やボランティアのお母さんがマンツーマンで教えられます。それどころか上靴との履き替えや部屋に入ると同じマークと名前入りのロッカーを教えてもらいカバンをフックにかけたり、上着を着替えたりハンドタオルをタオル掛けにかけたり…と初めての集団生活には既成概念を一杯覚えねばなりません。それも初めての事ばかり…。自分から興味を持ったかどうかも解からずに集団生活が始まります。年長のお兄ちゃんやお姉ちゃんに手を引かれバスから降りるなり「かえりたいー。お母さーん」と泣き出しました。セレモニーどころではありません。先生やボランティアさんはこんな不安一杯の子供に寄り添うだけ…。時には「お母さーん」と一緒に呼んでくれます。○○ちゃんのお母さんには勝てませんがそれでも一杯お母さんのように抱っこしたりおんぶしたり…とスキンシップに努めるのです。

 一、二日でふんぎりをつける子。一週間かかる子と差はありますがゴールデンウィーク頃には大半の子ども達が初登園のセレモニーが普段の生活になっています。但し、極端な例として三歳児は人生の三割近くを占める月齢差がある為か秋頃までかかることもあります。

 四月当初の子どもは興味を抱くままに何のセレモニーもなく行動します。土足で遊びに入り込み、無言で遊んでいた人の遊びを取り上げてしまう事もしばしば「かして…」「入れて…」とお母さんに教わっているにもかかわらず。三歳児の特徴として「周りが見えない」時期といわれてますので「何のセレモニーも無く」が自然な発達なのでしょう…。私達は「かして…。よして…。」などのセレモニーは子ども達の生活に直接関わる事なので教える事はありません。すると必然的にセレモニー(ルール)は自分達で創り出します。改善や改悪をくり返す事が自分たちの生活の向上(遊びの発展)になるから。「Aちゃんは私の遊んでいるものをすぐとらはる…」「Bちゃんはすぐ泣かはる」互いが互いの名前を知るのにアンテナと神経を張り巡らしています。私達はお母さんが「うちのBがいつもAちゃんが泣かさはる」「AがBちゃんが遊んでるものをとらはる…」などAちゃん、Bちゃんのお母さんから苦情まがいの連絡があれば私達はトラブル・喧騒に耐(堪)えて子どもを抱っこしたりハグしたり勇気づけをして待ってたのです…その労苦に応えてくれたのが他人を固有名詞でそれぞれのお母さんに告げる事ができました。これは私達が教える事のできない他人の存在を認知したことです。それは又Aに相対するB(自分)作り、Bに相対するA作り(自己確立)と共に最も人間らしい社会作りの発芽となりました。

 二学期は一学期間を通して膨大な既成概念を受け入れたその概念を崩します。Aちゃん・Bちゃんの固有名詞を悪戯っぽく「お前」と普通名詞を使ったりして…といった概念を崩すことにより生活が複雑となり、その複雑にチャレンジして行く逞しさの発揮です。

 三学期ともなると二学期自分らしさ(個性)作りの結果を経て言葉などで表現するといった生活の複雑さ難しさを存分に使い気心の知れた友、二・三人と遊ぶようになります。「友情」という信頼し合える友作りの発芽です。

 四歳児は既成概念崩しと自分たちの概念作り前期二学期に重きがあるように見え、五歳児は前記三学期を一年を通して粛々と営み、二桁になる仲間作りもできますしその為には自分達で思い(意見)を伝え、より楽しくする為の工夫やルールも総意で作り出します、と言えるのです。

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