園 長 と 語 ろ う

平成28年2月

―ゆとり教育―

 新年、成人式の様子をテレビで観る事ができました。「ゆとり教育を受けた最後の子ども達の成人式です・・・」とディレクターの興味がそのまま女性アナウンサーにより報道されたので私も興味津々最後まで観たのです。何件か壇上に乱入する数人の金糸銀糸の織り込んだ派手な着物姿の男性・・・。すぐさま乱入者の倍もあろうかと思う警官に取り押さえられ、何事も無かったかのように粛々と式典は進行します。場面はすぐその後に何人かの男女の新成人にインタビューです。「この晴れ姿を誰に見てほしいのか!そして、その人に何と言うのか!」といった質問に応えて、カメラの前で話してくれます。男女共八割方が両親で(特に母親)画面を通して成人するまで育ててくれたお礼を言ってくれてます。新成人の恩師にお礼が言いたいとの言葉に時代錯誤か!と吾が耳を疑った程・・・。画面は晴れ着姿にかわりますが総紋りのお嬢さんや、古代紫の振袖の着物が上手に着こなしてるお嬢さんにインタビューがあり、爺がお母さんの成人式に仕立てた晴れ着を何をすることなく着たとのことで二十数年前に着たお母さんの晴れ着が娘がこんなに女性らしく着こなせたのも仕立直しすればいつまでも着れる事を考えて図柄の絵師や染める人、仕立てる人・・・と何人もの人達の思いがそこに込められていたのだと思います。それに対し貸し衣裳はワンシーズンのみ着られるよう斬新性や意外性に富んだ派手なものが喜ばれます。

 テレビやレンズを通さずお礼を言いたい人に直接会いに行く男女二組の場面があり、五年前に母親を亡くし四才年上の姉にお礼が言いたいという事で姉の職場近くの喫茶店に休憩時間を見計らって呼び出すのですが「何かあったか!」といった不信顔でやってきた姉に「料理のつくり方を教えてくれたり家事の全てを教えてくれてありがとう・・・」と言葉少ないのですが、母の代役をしてくれた姉に成人になった自分を認めてもらった思いがいっぱい出ていて素敵な姉妹関係だと感心して見ていたのですが、姉は当然の事をしているといった感じて淡々と妹の話を聞き「そうか、成人おめでとう。もう職場に戻るわよ・・・」と言葉少なげな振舞いに四歳年上どころかほんとの母、子のような雰囲気がありました。男性は家で父親に直接話すとの事で男性について自宅へ行くのですが玄関前で話したいとの事で父を呼び出します。何の愛想もない普段姿で「何か」と言わんばかりに現れた父になかなか言葉が発せられない息子・・・。しばらくしてやっと出た言葉が「おやじ・・・」急いで言い直して「お父さん、俺は小さい時からお父さんのような生き方をしたく一生懸命真似をして来てこれからもお父さんの生き方を真似して行くので今後ともよろしく。」「そうか、それではどうぞよろしく・・・」と家の中に入ってしまいました。こんな新成人の姿を見ているととめどなく涙が流れます・・・。親子の絆が育まれている新成人の若者にこの人達は人間としての情(こころ)(人情)がしっかり身に着いている事に感動してしまいました。

 昭和20年第2次世界大戦に敗れた日本は米国の指導で学校が新制((小)6・(中)3・(高)3)で幼稚園は3歳から就学前(6歳)と決められ、それからおおむね20年前に幼稚園教育要領や教科指導要領が大きく見直され、その中間の10年前に手直されることがありました。昭和60年は経済的な効果や合理化を求めるあまり本来の学校教育の理念より、はずれてきたので教育の基本である「人格の完成を目指す…」という基本に戻す為の手直しに時間がかかり平成元年、全国の学校に周知徹底され2年から子どもの主体性や生きる力を育むなどの本来の教育目的に戻ろうと詰め込み教育を見直す「ゆとり教育」が言われたのもつかのま、四・五年もしない内に「ゆとり教育は失敗」と言われるようになってしまいました。それは日本の小・中・高校生の学力が一ケタから二ケタにまで低下して世界に通用しない危機感で教科各々えらい先生が最高を求めるようになりオールマイティーの子どもの育成のような事が続いています。

 でも、ゆとり教育最後の子どもと言われたこの成人達はどうだったのでしょう。自分を育ててくれたお父さんやお母さん、お姉ちゃんや恩師などに素直に感謝の気持ちを精一杯表現してくれているのです。参加者の大半の新成人が馴染みもない自分の街の首長の話を邪魔することなく聞き入ってます。その姿に感動しました。ありがとう。

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