遊撃インターネット狂人雑記84
北のりゆき=死売狂生=行方未知

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2011

103日(月)赤ちゃんが入院

 朝六時に起きて、家族総出で大学病院へ向かいました。お迎えができないのでムスメの幼稚園もお休みです。山手線の内側にある病院なので渋滞にはまってしまい、二時間もかかってようやく到着しました。
 入院の手続きをして
CTスキャンをする。それだけのために十時間かかりました。八時半までに来るようにといわれてなんとか間にあわせたのに、一時間以上放置だったしなあ。わざとやっているわけではないということは分かるんだけど、もう少しなんとかならないかなあ。待たされすぎて病気になってしまいそうです。一度流れに乗ってしまえばベルトコンベアみたいに進むんですけどね。それまでが大変です。
 赤ちゃんがなかなか眠ってくれないのもいけなかった。
CTスキャンのために睡眠薬シロップを飲ませても、眠くなるどころか楽しくなってしまったらしくラリラリになりながらそこら辺をはいまわって暴れまわります。二時間待っても眠らないので、腕に刺した点滴の管から睡眠薬を注入してようやく眠ってくれました。
 
CTスキャンは、病院の地下で行いました。霊安室やら汚物処理室やら放射能やら、おっかなかったりばっちいものは、たいがい地下にあるみたいですね。
 ようやく六時過ぎにろすべての用事がかたづき、眠っている赤ちゃんを病室において帰宅しました。駐車料金が五千六百円。帰りも渋滞だし、とにかくくたびれました。

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104日(火)赤ちゃん手術の説明

 グッタリくたびれて寝こんでいました。医師の説明があるので、ムスメの幼稚園をお休みさせて、再び一家総出で大学病院にいってきました。なぜか細君両親も来られた。医師の説明をきいて書類にサインするだけのイベントなので、別にこなくてもいいのに…。
 十二時に病院に来てくれということでしたが、医師の説明は十三時からでした。一時間くらい待たされるのは大学病院では当たり前というか短いほうです。先日撮影した
CTスキャンの画像をみせられました。なんだか腫瘍がでかくなってるな〜。いつの間にか小さくなっているとか消えているとかを期待していましたが、ダメみたいです。腫瘍というとイボの親分みたいのを想像しますが、ピンポン球みたいに中が空洞なんだそうだ。非常に大きい腫瘍だけをとるのは無理なので、上中下部に分かれている右肺の下部を全部摘出するとのこと。面積にすると右肺の五分二くらいでしょうか。心臓があるので左肺は右肺よりも小さい。だから赤ちゃんは肺の四分の一くらいを喪失することになります。うへぇ〜〜〜。オレは根性がないので、そんなことを聞くだけてヘロヘロと手の力が無くなり腰が抜けそうです。義母さんは「できることなら代わってやりたい」なーんて言ってたけど、オレはイヤだなあ。
 起きたら母親がいなかったので、赤ちゃんが大泣きしたらしく顔を真っ赤にしていました。看護師さんによると五時間以上泣き続けていたとのことです。かわいそうなので面会時間終了の八時近くまで赤ちゃんと一緒にいました。ちょうど面会時間が終わったころに眠ってくれたので、たすかりました。しかし、知らないということは幸せだなぁと思わずにはいられません。明日は手術です。

 赤ちゃんの相手をするのは母親じゃないとつとまらないので、ヒマな時間に小児病棟を探検しました。壁いっぱいにアンパンマンキャラの絵が描いてあったりして楽しげな雰囲気を装っているけど、大学病院の小児病棟というのは地獄ですね。腎臓が一個しかなくて人工肛門をつけられたウチの幼稚園のムスメより小柄な小学生の女の子が付き添いの母親に向かって「おなかがいたいよ〜。おなかがいたいよ〜」とうったえ続け母親が帰りじたくをはじめると「いかないで〜」と泣きながら哀願していたり、母親が付きそっているときはそれなりに元気だった赤ちゃんが母親が帰ってしまうと声がかれてもヒーヒーと何時間も泣いていたり…。なんの罪もない子供たちが苦しむ様は、まさに地獄! これはたまらんという感じですよ。こんな重病人の子供を相手に治療している医師や看護師は本当にえらいよな〜。オレにはそんな能力はないのは当たり前だけど、あったとしても精神的に到底無理です。こういうのをみてしまうと、二時間や三時間待たされても仕方がないと思えてきますね〜。
 精神力の弱いオレがこんなところに二十日も見舞いに通ったら、鬱が悪化してますますキチガイの度が増すのではないかと心配になってきました。

 赤ちゃんの手術期間の数日間、義父母さんが娘を預かってくれることになりました。とてもたすかります。

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105日(水)赤ちゃんの手術

 八時半から赤ちゃんの手術をするので七時半には病室に詰めていていてくださいといわれました。渋滞にはまったらいつ到着するかわからないので、かなり早く出発することにしました。朝五時に起きて、五時半までには出発です。ムスメを義父母さんに預かってもらっているので楽でしたけどね。ねむい〜。時間が惜しいので、朝食はマクドナルドのドライブスルーです。
 首都高速は六時半頃には混み始めていました。七時頃には大学病院に到着しました。もう起きて泣いてしまっていた赤ちゃんをあやしているうちに手術の時間になりました。眠くなるシロップを飲ませられましたが、ハイになってしまってうれしそうに暴れます。これから肺を切り取られるというのに、…知らないってのは幸せだなぁ。
 予定通り八時半に手術室に入りました。手術室の前に大部屋があって、つきそいはそこまでです。大部屋の入り口付近に太い青線が引いてあり『ここから清潔ゾーン』とか書いてあります。青線の向こうには入っちゃいけないらしい。ちょっと待っている間に佐藤優そっくりな医師?がやってきて「
赤ちゃんの手の届くところに口に入るものを置いてはいけない」というようなことを演説してくれた。しかし、なぜ今?
 赤ちゃんが手術室に入っていく時、細君が泣いてしまった。失敗例のない手術だし、これでよくわからない病気が治るのだから泣くことはないだろうと思うのだが、女はセンチメンタルだな。
 手術は、だいたい八時間かかるということです。実はオレも前日よく眠れなかったので、待合室で眠らせてもらいました。五時間くらい眠って雑談していたら手術が終了したと看護師さんがやってきました。あんまり待った気はしませんでしたね。
 胸腔鏡手術の名人でテレビにも出たという
Y教授が術後の説明してくれました。手術は何の問題もなく成功したそうです。輸血もせずに済みました。腫瘍が大きいので胸部が専門のH教授も手術に参加してくださったとのこと。うちの赤ちゃんは、大学教授二人に執刀されるようなVIPだったのか! そんなわけはありません。運もよかったけれど、カネもなければコネもないうちの赤ちゃんが、大学教授二人がかりで八時間もかかる手術をしてもらえるのだから(しかも無料!)、こと医療関係では日本はすごい国ですね。ろくに健康保険がないアメリカなんかでは、貧乏人の子供は治る病気でもちゃんとした治療を受けられず死んでいるらしいよ。健康保険ありがとう! 
 一時間ほど待って赤ちゃんの顔をみてから帰宅しました。肺を切りとられたせいで半分死んだようになって紫色になってるんじゃないかとか思っていましたが、案外顔色がよく安心しました。

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106-7日(木-金)赤ちゃんの介護 /『まんがで読破 地下室の手記』を読む

 問題がなければ十時過ぎに集中治療室から小児病室に移動するということなので、十時過ぎに到着するように出発しました。ムスメを預かってくれた義父母さんも病院に来てくれます。
 赤ちゃんは、わき腹にあけた穴と口から肺にチューブを二本も突っ込まれて、それを引き抜かないように手足をベットにしばりつけられているという大変な状態です。でも、ずっと麻酔でウトウトしていたので、そんなに悲惨な感じはしませんでした。赤ちゃんは眠っていますから、オレたちにできることは何もありません。それでも三時間くらい様子をみてムスメをつれて帰宅しました。

 あまりムスメは、病院につれていきたくありません。全国から難病患者が集まる大学病院ですからね。危険な病気に感染したりしたら大変です。それに幼稚園にも行かさなければならない。オレも往復で四時間以上かかる病院に連日通ったせいで過労気味です。そういうわけで、翌七日は電車で細君に病院に行ってもらい、オレは自宅でムスメの幼稚園お迎えとお守りをすることにしました。
 運動会の前日ということで幼稚園は午前中までです。送り出したと思ったらすぐに戻ってきた。赤ちゃんの世話よりははるかに楽だけど、子供がいると何もできないなぁ。

 子供が寝てから『まんがで読破 地下室の手記』(ドストエフスキー)を読みました。非常に面白い。ヘンに脚本をしておらず、原作に忠実なところが特によい。『まんがで読破』シリーズで作画を担当している氏名不詳氏の絵もドストエフスキーに合っていて好みなんだよな〜。
 多層的で難解な『カラマーゾフ』や大長編の『戦争を平和』をマンガ本一冊で描くのは、無理というものです。その点『地下室の手記』は、中編なのでマンガ化するのに丁度よい長さです。しかもキャラクターものだからマンガ化に向いているのでしょう。自意識過剰で引きこもりの地下室男のねじくれぶりなど、うまく描けていました。それにマンガとして読みやすく、構成を上手にまとめたものだと思う。このマンガを読んで気に入ったら原作にあたるというのも手だと思います。
 原作が書かれたのは
1864(元治元年)。日本では新選組の池田屋事件があった年です。そんな昔に『ぼくは病んだ人間だ…ぼくは意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。ぼくの考えでは、これは肝臓が悪いのだと思う』なーんていう文字通り病んだ文章から始まる自虐・露悪・道化の引きこもり男を主人公にした現代の小説を書いたドストエフスキーは、恐るべき予言者といわざるを得ません。この小説は、太宰治の『人間失格』にも強く影響を与えているとのことです。そういや似ています。
 子供のために右往左往している今のオレを顧みると、自分のためだけに地下室に沈潜する主人公がうらやましくも思えます。アマゾンのレビューから引かせてもらいます。

 権力もなく、経済力もない意志薄弱な男が心の中で何を考えているかを知りたいのであれば、この小説を読めばわかります。
 豊かな生活とは無縁の人生を送る男が、いかに卑屈な精神に満たされているかを余すところなく説き明かしています。

権力もなく、経済力もない意志薄弱な男」なんて、オレみたいだな…。地下室男は、妙な自意識が肥大しすぎたため、弱者のくせに自分よりさらに弱い者を見つけだして攻撃衝動を向けるというネトウヨ化してしまいました。地下室男が現代に生きていたら、絶対ネトウヨになっているよね。しかし、妙な自意識を置いといて趣味にうちこめば、こいつはよいオタクになりそうだけどなぁ。

 

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109日(月)幼稚園の運動会 / ラノベ『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる』(裕時悠示)を読む

 不眠気味なので五時過ぎまで眠れませんでした。ようやく眠れたと思ったら九時半にたたき起こされムスメの幼稚園の運動会に連行されました。死ぬほど眠い…。
 細君両親も大ハリキリで二時間以上かけてやってきてくれます。意識がモウロウとしていてよく覚えていないんだけど、園児たちより親が大騒ぎしていましたねえ。なんかオレも、パンツ競争とかいう競技に参加させられた気がする…。人の少ない園舎の二階をみつけて中でグッタリしていました。
 お昼休憩で細君がつくってきた弁当を食べてから病院に向かいました。ムスメは義父母さんが数日間あずかってくれることに。

 病院に着くと赤ちゃんが熱を出したということで、レントゲンを撮って採血検査するということです。赤ちゃんなので血管が細くてなかなか採血できず、何回も針を刺されてほとんど断末魔の大泣きです。その泣き声をきくだけで、くたびれてしまったー。
 それにしても、ナイフで腹を裂かれて内臓を抜かれるは、何日も両手足をベットに縛りつけられるは、何回も放射線をあびせられるは、何度も注射針をぶっ刺されて血を抜かれるは…。これが医療行為じゃなかったら警察にしょっぴかれるレベルの虐待だよね。どこかでながいこと虐待された子供は、脳が萎縮してしまって、ちょっとアタマがヘンになってしまうとか読みました。大丈夫なんだろうか…。
 最近の毎日新聞で鬱病の患者は、脳のなんとかいう部位が萎縮しているという研究が発表されたとかいう記事を読んだ覚えがあります。オレのノーも萎縮しているんだろうか?
萎縮というのは、縮んだということだよね。縮んだならスキマができるはずだ。ためしに頭を振ってみてもちゃんと詰まっていて、脳が縮んだ感じはしないのだがなあ…。いずれにしても親子二代にわたって脳みそが縮んだら大変です。できるだけ病院にいって、一緒にいるときだけでもかわいがってやらなければなるまい。
 しかし、子供病室は子供にとっても地獄だろうけど、オレにとっても地獄です。多数の赤ちゃんがヒーヒーと泣きわめく声や「いたいよー、いたいよー」という女の子のうめき声。オムツの悪臭…。子供二人でももてあましているのに、こんなところに二十日も閉じこめられたら精神病に入院することになってしまいそうです。
 最初の三十分くらいは一緒にいて、あとは細君に任せてオレは待合室に退避。用があったらよんでくれということで、眠るか本でも読むことにしました。

 そういうわけで待合室でライトノベル『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる』を読みました。オレは修羅場スキーですし、ネットでちょっと話題になっていたので買ってみたのです。ライトノベルを読むのは、アニメになった『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』以来です。
 三時間くらいで読み終えました。六三〇円で三時間もそこそこ楽しめたのだから、なかなかコストパフォーマンスの良い娯楽といえるでしょう。だれにも邪魔されず三時間連続して本が読めたのは、子供ができて以来五年ぶりくらいじゃなかろか…?。
 両親に捨てられて恋愛ニヒルになってしまった主人公と、怪我で剣道を挫折したまっすぐで子犬っぽい幼なじみ。それに恋愛ニヒルなのに男が寄ってきてうるさくてたまらない超美少女の転校生が主なキャラクターです。この超美少女は、『化物語』の戦場ヶ原ひたぎさんのパクリだな〜。
 ストーリーは、超美少女転校生が恋愛ニヒル主人公に恋人のフリをしてくれと頼むことから生じる三角関係、というところでしょうかね。例によって主人公は、幼なじみの好意に対しては超鈍感です。だけどダメ人間ではなく、両親に捨てられた自分を引き取ってくれた叔母さんに恩返しするために国立大学医学部(奨学金つき)を目指してがんばる学年一位の優等生。優等生が主人公のマンガ・アニメって『彼氏彼女の事情』が最初かな…。主人公が苦労人というところは『おねがいツインズ』に似ていますね。
 幼なじみは主人公のことを異性として好きなのに、主人公は幼なじみのことを『家族』としてとても大切にしている。恋愛ニヒルな転校美少女が、そんな主人公の誠実?な態度をみてだんだん惹かれていくというのがミソ…なのかな。
 一読した感想は、作者は頭がいい人だな、というところでしょうか。パターン化したキャラクターを『受ける』テンプレートにのっけて、セリフだらけで改行の多いライトノベル独特の文体で読者を楽しませることに成功しています。『売文屋』という言葉がちらりと頭をかすめたりもしますが、文章で稼げるのだから立派なものです。作者は、おそらく優秀な人なんでしょう。一番楽しめたのが方々にちりばめられたマンガ・アニメ・ゲームのパロディというところが、ちょっと情けないけどね。
 転校美少女がなんで恋愛ニヒルになったのか最後まであきらかにされていません。カバーをみても何巻とか書いていないのだけど、売れたらたぶん次巻に続くのだろう(…と思って検索したら、三巻まででていました。売れたみたいです)。二巻を買うことはたぶんないだろうけど、価格分は楽しめたと思います。

 

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1010日(月)萌え酒サミットに行く / 『罪と罰』読了

 連日病院に通っています。病室に入ると赤ちゃんが、一昔前のテレビくらいの大きさの機械からなにやら蒸気を吹きかけられています。どうやら風邪をひいてしまったらしい。たぶん手術前に感染していたのでしょう。体温が37度5分以上だと手術が中止になるのですが、手術の日は37度2分だったんですよね。点滴に抗生物質を入れるとのことです。みているとどうも顔色が悪くて苦しそうです。常にうつらうつらしていて目をあけたり閉じたりしている。フニフニ柔らかくて触ると気持ちいい赤ちゃん肌もシンナリしてしまいました。
 子供病室に二人いても意味がないので、秋葉原でやっている『萌え酒サミット』にいってきました。萌えラベルの酒を集めた即売会です。粗悪な酒を萌ラベル釣って買わせようという作戦ではなく、意外とちゃんとした酒ばかりなんですよね。声優さんをよんできてトークショーをしたりと、営業努力もしています。オレは、イベントをみている時間はないので、お酒の即売会だけのぞいてきました。
 こういうイベントにちゃんと人がくるのかなと思っていましたが、意外に盛況です。萌ともオタクともまったく接点がなさそうなおじさんが萌酒を売っている姿は、なんとも微笑ましい。沖縄から萌泡盛を持ってきているところもありました。交通費で足が出るんじゃないか心配になります。買ってあげたかったけど、オレは蒸留酒より日本酒が好きなんですよね。ちょっち放射能が怖いけど支援もかねて、福島は会津若松の鉄道娘萌純米酒などを購入しました。『おねがいツインズ』の人気もまだまだ続いているようで、木崎湖からは深衣奈と華恋の果実酒なんかもきていましたよ。

 

 酒だけじゃなくて、萌枡とかもありました。かなり物欲が刺激されてしまい、気がついたらビンボーなのに一万円近く使ってしまっていた。恐るべき『萌』の威力です!

 

 なかなか楽しくてもっとみていたかったんだけど、一時間ちょっとで病院に戻りました。自動車なので、酒の試飲ができなかったのが残念です。

 赤ちゃんは、ずっとうつらうつらしていたそうです。戻ってもすることがないので、待合室で亀山郁夫訳『罪と罰』三巻を読みました。やはり一人静かなところだと読書がすすみます。半月くらい前から時間をみつけてこの『罪と罰』を読んでいたのですが、一気に読了しました。
 この亀山訳『罪と罰』を読んだのは三度目です。『カラマーゾフの兄弟』の新訳でドストエフスキーブームをつくったともいえる亀山郁夫訳ですが、どうもオレには砕きすぎているように感じられます。「
むかついた」とかいう言葉が平気で出てくるんだもんな。たしかに読みやすいけど、ラノベみたいだよ〜。
 亀山訳と、オレが一番良いと思っている江川卓訳、それに新潮文庫の工藤精一郎訳と米川正夫訳をならべてみます。米川訳は、弱者と罪びとの味方の大文豪という日本のドストエフスキー像を決定づけたとされています。ドストエフスキーは、米川正夫訳じゃないとだめだという人も多いらしい。ドストエフスキーは、本当はお笑い作家という面も強かったらしいんですけどね。あの延々と続くナニをいっているのかよくわからない独白なんて、本当はお笑い場面なんだろうな。

 怪人・スヴィドリガイロフが初めて登場するシーンです。

 亀山郁夫訳
 スヴィドリガイロフは、すわったまま考えこんでいた。
「でも、もし来世にあるのが蜘昧の巣だけとか、何かそんな類のものだけだとしたら、どうです?」彼はふと口にした。
《こいつめ、くるってやがる》ラスコーリニコフはそう思った。
「われわれはこれまで、永遠というのを、理解できない観念として、何か巨大なもの、大きなものとして想像してるでしょう! しかしなぜ、ぜったいに大きなものでなくちゃならないんですか? ひとつ、そんなもんじゃなくて、そこにちっぽけな部屋を想像してみたらどうです。田舎風の煤けた風呂場みたいなところで、隅から隅まで蜘昧の巣が張っている。で、これこそが永遠っていうふうにね。わたしはですよ、そんなふうな光景が、ときどき目に浮かぶんです」

 江川卓訳
 スヴィドリガイロフはすわったまま、じっと考えこんでいた。
「でも来世には、蜘株とか、そんなものしかいないとしたら、どうですかね」突然彼が言った。
『この男は気違いだ』とラスコーリニコフは思った。
「たとえば、私たちは永遠というものを理解を絶した観念、なにか途方もなく大きなもの、巨大なものとして考えていますね。しかし、どうしてそう大きなものと決めこまなくちゃならんのです? それよりひとつ、そんな考えはさっばりと捨ててですな、そこにちっぽけな部屋でも考えてみたらどうです。田舎の風呂場みたいな煤だらけの部屋で、四方の隅には蜘妹が巣を張っている。で、これこそが永遠だ、というわけです。私はね、よくそんなものを目にうかべるんですよ」

 工藤精一郎訳
 スヴィドリガイロフは座ったままじっと考えこんでいた。
「来世には蜘蛛かそんなものしかないとしたら、どうだろう」と彼はとつぜん言った。
《この男は気ちがいだ》とラスコーリニコフは思った。
「われわれはつねに永遠というものを、理解できない観念、何か途方もなく大きなもの、として考えています。それならなぜどうしても大きなものでなければならないのか? そこでいきなり、そうしたものの代わりに、ちっぽけな一つの部屋を考えてみたらどうでしょう。田舎の風呂場みたいなすすだらけの小さな部屋で、どこを見ても蜘蛛ばかり、これが永遠だとしたら。わたしはね、ときどきそんなようなものが目先にちらつくんですよ」

 米川正夫訳
 スヴィドリガイロフはもの思わしげにじっとすわっていた。
「どうでしょう、もしそこにはくもか何か、そんなものしかいないとしたら?」と彼は出しぬけにこういった。
『こいつは気ちがいだな』とラスコーリニコフは考えた。
「われわれはげんに、いつも永遠なるものを不可解な観念として、何か大きなもののように想像しています! が、しかし、なぜ、必ず大きなものでなくちゃならないんでしょう? ところが、あにはからんや、すべてそういったようなものの代りに、田舎の湯殿みたいな、すすけた小っぼけな部屋があって、そのすみずみにくもが巣を張っている、そして、これがすなわち永遠だと、こう想像してごらんなさい。じつはね、わたしはどうかすると、そんなふうなものが目先にちらつくことがあるんですよ」

 

 1011-13日(火-木)赤ちゃんがニヒルになる / 『マラーを殺した女 暗殺の天使シャルロット・コルデ』(安達正勝)読了

 11-12日と連続して病院にいきました。赤ちゃんの風邪は快方に向かっているようです。相変わらず妙なマシンがモクモクと水蒸気をぶっかけています。子供病室は、うんちっち臭いし子供たちの叫び声や泣き声のおかげで二十分くらいで頭が痛くなってきた。子供の相手は細君に任せてオレは待合室に逃げこみました。
 それにしても母親は偉い。六人部屋の母親全員が毎日来て子供の相手をしているもんな〜。赤ちゃんの相手は基本くり返しだから、オレはすぐ退屈になってしまうんだよね。とても母親のマネはできません。やはり男と女では脳の構造が違うんだろうか。
 となりのベットは、なぜかベトナム人の子です。ベトナム母がとても優しい。
iPodを持ってきて子供を遊ばせたりしている。よほど金持ちのベトナム人なのかな〜。金持ちのベトナム人なんているのだろうか? ウチは健康保険がきくからいいけど、無保険だったら百万代のカネがかかるはずだが…。
 最近赤ちゃんが少しニヒルになってしまい、あんまり笑わなくなった気がします。最近の育児書では、赤ちゃんが泣いても放っておくのは最悪だとされています。そんな育て方をすると、自分は愛される価値のない存在だと赤ちゃん脳に刷りこまれて自己評価の低いダメ人間に育ってしまうらしい。泣いても放置なんてモロに現在やっていることじゃん!
せめて毎日病院に母親を連れていって面会時間の間だけでも可愛がるようにしないとね。でも、疲れる。

 待合室で『マラーを殺した女 暗殺の天使シャルロット・コルデ』を読みました。これは面白い。傑作だと思う。フランス革命は、ルイ十六世のギロチン処刑くらいまでは分かるんだけど、その後はワタクタになってしまって、なんだかよく分からない。『ジロンド派』とか『ジャコバン派』とか『恐怖政治』とか『総裁政府』とか、単語は知っていてもちゃんとつながらないんですよね。一応河出と中公の『世界の歴史 フランス革命』とかクロポトキンの『フランス大革命』くらいは読んでいるんだけど、後半に行くとゴチャゴチャになってしまう。
『左翼』や『右翼』という言葉も元はフランス革命からきています。そういうわけで共産趣味者としては、フランス革命史くらいは理解しておきたい。でも、いい本がなくて困っていました。
『マラーを殺した女
暗殺の天使シャルロット・コルデ』は、ルイ十六世処刑後のフランス革命の良質な通史になっているうえに、テロリストの元祖のような人物の伝記でもあります。テロ・マニアでもあるオレにとって理想的な本でした。
 マラー暗殺事件については、ダヴィッドの描いた有名な絵があります。当然知識としてはありましたが「
マラーって、ナニした人?」という水準でした。

 

『暗殺の天使シャルロット・コルデ』を読んだおかげで、ルイ十六世処刑後のフランス革命について一定程度の知識を持つことができたと思います。
 常識ですが、フランス革命とはブルジョワ革命です。ブルジョワが、王侯貴族から権力を分捕った革命ですね。革命をすすめた国民公会(国会)は、ブルジョワが中心となって構成されていました。しかし、ブルジョワも一枚岩ではなく、権力を握ったことに満足し革命の行きすぎに不安をおぼえる大ブルジョワからなる『ジロンド派』と中産ブルジョワ中心の『ジャコバン派』に分裂していました。議場の右側に穏健派のジロンド派が、左側に急進派のジャコバン派が陣取ったことから『右翼』『左翼』という言葉が生まれたそうです。しかし、ジャコバン派といえどもブルジョワですので、ブルジョワ独裁を超える革命の前進には、ためらいがありました。そこで登場するのが『民衆』です。
 産業革命以前にマルクスのいうプロレタリアートが存在するはずがありません。ここでいう『民衆』とは、手工業者、小商人、職工、出稼ぎ者など、大都市に必然的に発生する貧民街に住むような人々をさします。この民衆が、バスチーユ監獄の襲撃や国王を拉致したベルサイユ行進などの革命の決定的な局面で中心となって動いていたのでした。
 金持ちが貧乏人を蔑むのは、古今東西同じです。大ブルジョワからなるジロンド派は、この民衆に激しい嫌悪と恐怖を感じていました。国王を処刑しブルジョワ権力を確立した時点で革命の急進化を押さえようとします。しかし、民衆との接触の多い中産ブルジョワ中心のジャコバン派は、ジロンド派よりも現実感覚があり、王党派や外国の干渉軍から革命をまもるには民衆と手を組む以外にないと理解していました。議会の多数を占める中間派も徐々にジャコバン派に追随するようになります。
 権力を握っていたジロンド派は、いかにも大ブルジョワらしい政策をとります。投機や経済の混乱による民衆の生活苦を無視し、国内の不満から民衆の目をそらすため対外戦争を推し進めます。しかし、戦争の拡大は大ブルジョワを儲けさせただけで、しかも連戦連敗でした。物価の高騰をまねく悪徳商人の投機の取締りもしないジロンド派に民衆の怒りが爆発します。武装した六万人の民衆が国会を包囲して、ジロンド派議員の追放を要求したのでした。ジャコバン派は大いに動揺しますが、民衆の要求に押し切られる形で二九人のジロンド派議員を国会から追放します。ルイ十六世処刑後のフランス革命は、だいたいこのような流れになっています。
 シャルロットに暗殺されたマラーとは、どのような人物だっのでしょうか。ジャコバン派の三大指導者の一人とされ、主にペンを武器にした人でした。常に民衆の側に立ち、悪徳ブルジョワを攻撃する新聞を発行し、王政時代どころかジロンド派政府にさえ幾度となく逮捕されたという人物です。
マラーを腐敗させることができなかったので、人はマラーを暗殺したのである」という言葉が残されています。警察の目を逃れてアジトからアジトへと転々としながら『人民の友』という左翼新聞を発行するという、いかにも革命家という人でした。「革命のために万の首を落とさなければならない」などといった過激な主張を新聞に載せるのと裏腹に、貧しさのために盗みをはたらいた人を擁護するという優しさを持った人でもありました。
 右翼のマスコミ嫌いは十八世紀でも同じだったらしく、ジロンド派の憎しみはマラーに集中していました。マラーは、ジャコバン派の三大指導者の一人とされていますが、あまりにも民衆寄りのためジャコバン派にも若干もてあまされているという浮いた立場にありました。逆に発行していた新聞紙名がニックネームとなり、民衆には『人民の友』として深く敬愛されていました。
 こんなマラーを暗殺したシャルロットは、テロリストの元祖とも典型ともいえる人物です。二五歳の女性なのですが、まだ十代にしかみえない美少女でした。マラーを暗殺しに乗合馬車でパリに向かう途中、たまたま乗り合わせた乗客に求婚されたなんてことを冗談めかして手紙に書いています。大層な美人だったのは間違いないでしょう。刑場に引かれていくシャルロットにひと目ぼれしてしまいシャルロット賛美の文を書いて配り、死刑になった人がいるほどです。性格は優しく穏やかで慎み深く無口でした。容姿以上にその声は実に美しかったと伝えられています。線の細い美少女タイプというのが、またそそりますよね。しかも浮いた話しは全くなく、処女でした。非処女だったら悪宣伝しようと処刑後に当局が解剖までして調べたので間違いないでしょう。
 シャルロットは、零落した貴族の出身です。ノルマン貴族の家系でした。ノルマン貴族というのは、北欧から略奪を働きにくる海賊に手を焼いたフランス国王が、十世紀ごろ海賊の親分に爵位を与えノルマン地方に住まわせたのが元祖です。典型的な『夷を以て夷を制す』政策ですね。現在のイギリス王室の開祖となったウィリアム一世征服王も、このノルマン貴族の流れです。オレのようなオタク向けにいえば、ちょっと古いけど『サクラ大戦3
巴里は燃えているか』に登場する金髪碧眼のヒロインのグリシーヌが、典型的なノルマン貴族でしょう。もっともシャルロットの目は穏やかな灰色で、髪は明るい亜麻色だったそうですが…。
 シャルロットの家系は、ルイ十六世のブルボン王朝よりもよほど古くて由緒があります。ちなみに本名は『
マリー=アンヌ・シャルロット・コルデー・ダルモン』。いかにも貴族っぽいですね。しかし、シャルロットの父の代にはすっかり零落しており、家とわずかな農地があるだけで、父自らが畑を耕しているような状態でした。
 当時の貴族の娘は、持参金がなければ結婚できなかったそうです。シャルロットは、十三歳で修道院に入れられます。フランス革命がなければ修道院で神に仕え生涯を終えていたでしょう。修道院というと、神学生が危険な本を読んでいないか陰険な神父が探りまわっているようなロシアの神学校みたいな所を連想しますが、フランスの修道院はよほど開明的でした。シャルロットは、修道院に備えられていたルソーなどの啓蒙思想や『プルターク英雄伝』などを耽読していたということです。
 フランス革命の結果、修道院は閉鎖されシャルロットは俗世間に放り出されてしまいます。シャルロットは、カーンに住む叔母のもとに身を寄せます。そのカーンに例の追放されたジロンド派議員の約半数が落ちのびてきたのです。零落したとはいっても貴族出身のシャルロットには、有力者の親族や伝手があったようです。追放ジロンド派議員主催の集会にしばしば参加しています。集会では黙って静かに話しをきき、まったく発言はしなかったということです。
 啓蒙思想やプルターク英雄伝を耽読していたことからも分かるように、貴族なのにシャルロットは熱烈な共和主義者でした。民衆を扇動して選挙で選ばれた議員を追放するなど、ジャコバン派は共和制を破壊しフランスを混乱に陥れる悪の集団に思えたようです。無知な民衆を扇動するとりわけ悪辣な怪物が、シャルロットの脳内にあるマラーなのでした。
 塩野七生の功績
?で現在の日本では、古代ローマのブルータスはテロで歴史の流れを止めようとして逆に多くの血を流したバカということになっています。しかし、十八世紀のフランスでは、民衆を扇動し独裁者になろうとしたカエサルを正義の剣で倒し共和制を守った英雄ということになっていました。シャルロットは、自らがブルータスになることを決意します。
 パリに上京したシャルロットは、追放を免れたジロンド派議員に面会しています。政治的理由で殺人を決意した政治的人間であるシャルロットは、恐ろしいまでの政治感覚の無さを示しました。革命指導者にテロ攻撃をしたら、その後にテロリストは徹底的に足どりを洗われるに決まっています。反革命派の議員などと面会していたら連座させてしまうのは必然です。実際この時にシャルロットに面会した複数のジロンド派議員は、無実なのに処刑されてしまいました。シャルロットは文字通り『死の天使』と化したのです。
 シャルロット・コルデは、市場で包丁を購入し、マラー宅を訪れます。当たり前ですが、門前払いされてしまいました。宿に帰ったシャルロットは、『
ジロンド派に迫害されている哀れな娘です。カーンから陳情に来ました。是非面会して下さい』というような手紙をしたためマラー宅に届けさせます。当時のパリには数時間で手紙を届けてくれるサービスがあったらしい。
 しかし、シャルロットは、うっかり者でした。これから人を殺すという異常な精神状態にあったからかもしれません。手紙に自分の名前も住所も書いていません。これでは返事が来るわけがない。
 そもそもシャルロットのマラー暗殺の動機からして、勘違いなのです。直接の動機となったジロンド派議員追放事件は、マラーは民衆を押さえる側にまわっています。ジロンド派を叩きすぎて内戦になることを恐れたマラーは、晩年には融和的な態度に変化していました。しかも重度の皮膚病で国会に行くこともできず自宅療養していたのでした。マラーの余命が幾ばくもなさそうだということは、ジロンド派議員にも知られていました。シャルロットに政治感覚があったなら、事実上ジャコバン派の指導者だったロベスピエールを狙ったでしょう。
 返事がないのにしびれを切らしたシャルロットは、再びマラー宅を訪れます。またもや門前払いされそうになりますが、今度は簡単には引き下がりません。この時ばかりは無口なシャルロットもなんとかマラーに会わせてくれるようにと大声を上げます。その声が皮膚病の治療のために浴室で水浴していたマラーの耳に入り、あの手紙の娘かと通すように命じたのでした。
 マラーと対面したシャルロットは、カーンに居座ったジロンド派追放議員に迫害されている娘を演じます。マラーが、あなたを迫害している者の名を言いなさいというと、シャルロットはバカ正直に面識のあるジロンド派議員の名を告げ、マラーはそれを書き留めます。これは事実上の死刑執行令状となり、マラー暗殺後にその多くがギロチンにかけられることになります。
 シャルロットは、脳内の怪物マラーと思いやりのあるしかも重病人でやつれた実物のマラーとの落差に動揺したようです。ジロンド派に迫害されているかわいそうな少女と疑わないマラーは、リストを書きあげるとシャルロットをはげますように「
数日中にこの連中を全員、ギロチンに送ってやろう」といいます。
この言葉が彼の運命を決めたのです」とシャルロットは書き残しています。隠し持っていた包丁を取り出すと、両手でしっかりと握りマラーの右胸に一気に振り下ろしました。その時、マラーは驚きのためか身体を動かすこともできなかったと伝えられています。
 普通ならば心臓を狙って
左胸を突き刺すはずです。シャルロットは殺しかたも考えていなかったのでした。しかし、偶然にも包丁が肺動脈を切断し、マラーは即死しました。異常な気配を察した人々が浴室に飛びこむと、マラーは文字通り血の海に沈んでいました。マラーに取りすがってなげき悲しむ人々のあいだをシャルロットは茫然自失状態でフラフラと歩いて行きます。そのままシャルロットは外に出ようとしますが、ようやく犯人が逃亡しようとしていることに気がついた男が追いかけて椅子でぶん殴りノック・アウトしたのでした。
 マラー宅から連行される時には、急をきいた民衆が押しよせて怒り狂ってシャルロットをリンチしようとします。兵隊が身体を張ってシャルロットをまもり、なんとか監獄に移送しました。監獄でシャルロットが暗殺の前日に書いた檄文が発見されます。一部を引きます。一七九三年七月十二日に書かれたものです。

  − 略 −

 もっとも忌むべき悪党マラー、その名前だけでもあらゆる犯罪を想起させるマラーは、復讐の鉄刃のもとに倒れた。ジャコバン派は揺らぎ、ダントン、ロベスピエール、そのほか血に染まった玉座に居座っている追いはぎどもは青ざめている。いまにも彼らの頭上に落ちようとしている稲妻を、神々が一時的に留保しているのは、おそらくは彼らの失墜をより劇的なものにするため、そして、幻惑された人々の廃墟の上に自分の地位を築こうとするようなあらゆる者どもに恐れを抱かせるため、にすぎないのである。
 フランス人よ! あなた方は敵を知っている。立ち上がれ! 進め! ジャコバン派が一掃された後には、兄弟と友人しか残りませんように! 天が私たちに共和主義政府を用意しているのかどうかはわからないが、天が私たちに主人として一人のジャコバン派をつかわしたのは、天が怒りの極に達しているからでしかあり得ない……。フランスよ、汝の安息は法の執行にかかっている。マラーを殺すことによって、私は少しも法に反してはいない。全宇宙によって糾弾されているマラーは、法の外にある。いかなる法廷が私を裁くというのか。もし私に罪があるとするなら、怪物を退治したとき、ヘラクレスにもまた罪があったのだ!
 わが祖国よ、汝の不幸は私の心を引き裂く。私には私の生命しかささげるものがない。自分の生命を自由に扱ったことについては、私は天に許しを乞う。私が死んでも、誰も何も失うことはないだろう。

  − 略 −

 シャルロットが、あまりに美しく毅然としていたせいもあるのでしょう。革命裁判では、最初から死刑判決は決まっていたようなものなのに、裁判長はシャルロットに同情してしまいました。狂人ということにして命を助けようとします。そのせいで後にこの裁判長は投獄されてしまいます。
 法廷で裁判長とシャルロットは、こんなやりとりをしています。

「あなたはマラーがフランスを荒廃させているあらゆる悪の根源だ、と言っていますが、マラーは裏切り者や陰謀家連中の仮面を引きはがし続けてきた人なのですよ」

「マラーについて目を曇らされているのは、パリの人たちだけです。ほかの県では、マラーは怪物とみなされています」

「どうして、あなたはマラーを怪物とみなすことができるのですか。あなたが自分は迫害されていると手紙を書いたから、彼はただ人間愛によってのみ、あなたを家に入れたのではないのですか」

 裁判長の発言は、テロリストであるシャルロットの痛いところを突いているように思えます。これに対してシャルロットはまったく動ぜず、こう返しています。

「私に対しては人間的であっても、ほかの人たちに対して怪物なら、それがなんでしょう

 これは政治的人間の最悪の思考パターンに思えます。シャルロットに対して人間的であったなら、マラーは他の人に対してもしばしば人間的でしょう。シャルロットは、脳内に想像の怪物をつくりだし、それをマラーにあてはめているのです。
『暗殺の天使シャルロット・コルデ』は、フランス革命史として優れているだけでなく、テロリストの内面分析の書としても極めて優れています。シャルロットの心理に分け入り分析していく部分は、スリリングですらありました。現代のテロリストにも共通する人格的特徴を実に巧みにとらえています。
バクダンをしかけて、みなごろしだぁ…、うひひひひ」というようなテロリストがマンガなどでよく登場しますが、テロと戦争の境界があいまいでテロ自体が目的化し日常化したアラブあたりならともかく、革命期の先駆的なテロリストに、こんなのはみたことがありません。
 現代の日本人テロリストの代表として、テルアビブ空港乱射事件の奥平剛士を挙げたいと思います。一九七二年にイスラエルの国際空港で自動小銃を乱射し、二六人を殺害し七三人に重軽傷を負わせたという事件の実行隊長です。自分が死ぬのも間違いない事実上の自殺テロでした。決行直前に両親に発送された遺書を全文引きます。

 ご無沙汰しております。今ローマから書いています。これが最後の手紙になるでしょう。国を出る時から生きて帰ることはないときめていましたが、不思議に今まで生きのびて、多くの人にあい、多くの事を知り、そして、最初の考え通りの路を行こうとしていること、何度考えても、ありがたい事だと感じます。思う通り、わがままいっぱいにさせていただきましたこと、お礼の言いようもありません。ついに孝養のこの字もさせていただくひまがありませんでしたが、もしも任務が許すならば、いつも第一にそれをしたいと思い続けていた事は、わかって下さい。我々兵士にとって死はごく当然の日常事ですが、ただお二人が嘆かれるだろうこと、それだけが今僕の心を悲しませます。ベトナムで今死んでいく数千の若い兵士、こちらで、又世界の至る所で、革命のために死のうとしている若い兵士たち、僕らもその一人だし、あなたがたも彼らのために泣いている何千何万の父や母の一人であること、こうした我々の血と涙だけが何か価値のある物を、作り出すであろう事をいつもおぼえていて下さい。
 ローマの空は明るく、風は甘いです。町は光にあふれています。少年時よみふけった、プリューターク
(*)の思い出が町の至る所で、僕を熱くさせます。仕事がすみしだいお二人のもとに帰ります。
 ではお元気で。さようなら
                             
 剛士
 お守りはちゃんと持って行きます。写真
(**)といっしょに。
                     
(一九七二年五月二十九日)
(*)『プルターク英雄伝』のこと
(**)早世した長兄の写真のこと

 この文章は、オレがいままで読んだ内でもっとも美しいもののひとつです。オレを深く感動させ、一時は本気でテロリストになろうと考えちゃったりもしました。しかし、どうすればテロリストになれるかわからなかったし、よく考えたら自分も死ぬじゃないかと気づいたので止めたのでした…。
 シャルロットの檄文は、政治声明のようなもので遺書とは異なりますが、両方とも命を捨ててかかっている政治的確信者による文章の典型でしょう。
 オレは文で人を判断するところが大です。この二人はとても似ているように思います。二人とも極めて優秀な頭脳を持っている点。理想主義者である点。非常に正義感が強い点。自己犠牲的である点。死を恐れない点。それなのに視野狭窄に陥っているように思える点。悪くいうと独善的である点。愛読書まで同じです。二百年近く時代が離れ、しかも異性であるのにこれほどまでに似ているということは、これはテロリストの典型的なパーソナリティのひとつなのでしょう。

 歴史にIFはないといいますが、オレには逆にIFだらけのように思えます。怪物・マラーを倒せば革命の成果はまもられ全てが好転するとシャルロットは考えたようです。しかし、実際は逆でした。
 檄文に『
私が死んでも、誰も何も失うことはないだろう』なんて書いていますが、マラー暗殺事件関連だけで数十人が連座して処刑されています。さらにマラー暗殺がきっかけでフランス革命は恐怖政治へと突入しました。シャルロットが支持していたジロンド派は、数千人が処刑されることになります。さらに恐怖政治は、ジャコバン派内部にも向かい穏健派のダントンの処刑に至りました。『神(革命)はその子(革命家)を喰らう 』という状況になったのです。最後にジロンド派の生き残りとジャコバン派の生き残りが手を結び、テルミドールのクーデターを発動してジャコバン派の指導者であったロベスピエールを処刑し、ジャコバン派政権は崩壊します。その後の政権は安定せず、革命はナポレオン・ボナパルトを生み出し、フランス共和国は帝国に変貌します。歴史学的には、ブルジョワは政権を担えるほど成熟しておらず、各階層の調停者としてナポレオンを担ぎ出したということになっているようです。共和主義者のシャルロットの理想の真逆へと歴史は進んだのでした。
 もしも、マラーが生きていたら中間派のロベスピエールと穏健派のダントンの仲介役となり、ダントンの処刑はなかっただろうといわれています。ジャコバン派のテロル政治もはるかに緩和されたものになり、ジロンド派の一部との妥協も成立していたでしょう。ジャコバン派政権は崩壊せず、フランスは、アメリカのような二大政党制になった可能性があります。そうするとナポレオンの登場はなく、帝政はなく、王政復古もなく、ナポレオン三世もなく、パリコミューンもなかった…? パリコミューンの敗北がなかったとしたら、パリコミューンを教訓として戦時共産主義に走ったロシア革命もまた違ったかたちをとったことでしょう。
 シャルロットによるテロは、主観的にはともかく客観的には反動テロに他なりません。革命の時代にテロという手段で革命の先鋭化を妨げようとしたシャルロットの思惑は完全にはずれ、むしろ革命の極端化をまねきました。革命政府の恐怖政治は、共和国を崩壊させる原因となったのです。それを知らずに処刑されたシャルロットは、幸せだったといえるでしょう。テロの歴史をみて思うのは、テロという手段は赤色テロにしろ白色テロにしろ、むしろ逆効果になることが非常に多いということです。
 日本の白色テロの代表は、山口二矢による浅沼社会党委員長暗殺事件でしょう。しかし、この事件でもっとも打撃を受けたのは、社会党ではなく社会党から分裂したばかりの右派政党の民社党でした。直後の総選挙で大敗してしまい、民社党は解党する時まで分裂時の勢力に戻ることはありませんでした。六十年安保騒動でやりすぎた社会党は、右派の分裂もあって選挙での大敗が予想されていました。しかし、テロで犠牲者を出したことで同情票を集め、ほとんど議席を減らすことはありませんでした。テロで浅沼委員長が殺されても、社会党の被った打撃は、『一人減った』というだけのことでした。現実の社会党は、総評
(労働組合)の政治部にすぎず日和見で無能な政党だったのですが、むしろこの事件によって『ひと一人が殺されるに値するちゃんとした政党』という誤認が広がりました。北朝鮮の日本人拉致事件の発覚で社会党は、その政治生命に事実上とどめを刺されましたが、浅沼委員長暗殺事件のおかげで寿命が十年近くは延びたのではないかと感じます。
 日本赤軍の奥平剛士にしても、オレは左巻きの人だから大いに同情的にみるのだけれども、しかし頭を冷やして考えると、聖書の時代から続くアラブとユダヤの土地争いに日本人が助太刀しても、どうも革命の前進には関係なさそうです。それに武器を持ってイスラエルに潜入できたのなら、なにも民間空港で乱射しなくても首相官邸なり国会なりを狙えばいいじゃないか。あれほど優秀な人間が、視野狭窄に陥っているようにしか思えません。

 シャルロットの最後について二つほど孫引きします。最初は死刑執行人のサンソンが記した『サンソン家回想録』からです。サンソンは、民衆の怒号の中で二時間も馬車に乗せられ刑場に引かれていくシャルロットの様子を間近にみていました。

「私は何度も何度も振り返って彼女を見た。そして、彼女を見れば見るほど、ますます彼女を見たい思いが募るのだった。しかし、彼女がどんなに美人だったとしても、私が彼女を見たいと思ったのは彼女の美しさのためではなかった。最後まで同じように穏やかで勇敢な態度を取り続けることは不可能であるように、私には思われたのである。私は、彼女もほかの人たちと同じように弱みを見せるだろうということを確かめたいと思っていたのだが、彼女に目を向けるたびに、私は、なぜか、彼女がくじけてしまいはしないかと心配でたまらなかった。しかし、私が不可能だと考えていたことが実際に起こったのである。彼女が私のそばにいた二時間の間、彼女の瞼が震えることもなかったし、彼女の顔に怒りや憤激のいかなる徴候も表われはしなかった」

 つぎは、刑場に引かれていくシャルロットにひと目ぼれして、シャルロット賛美の文を書いて配り、死刑になった人のものです。この文ではシャルロットは、ほとんどジャンヌ・ダルクと化しています。革命政府がテロル政治をやっている最中に、反革命テロリストを賛美するこんな文章を書いてばらまいたら、それは殺されるでしょう。これを書いた人は、シャルロットのために死ねるのがうれしくて、ギロチンに首を差し出す前に死刑執行人に抱擁したと伝えられています。

「処刑当日の七月十七日夕方、私はこの早い判決に驚かされた。とは言っても、私は詳しいことは何も知らなかった。私が知っていたのは、この人物は非凡な勇敢さを示すにちがいないと予測できる程度のことだけだった。サントノレ街で馬車に乗った彼女が近づいてくるのを見ていたとき、私の心を占めていたのは、この勇敢さということだけだった。ところが、予期していた果敢さのほかに、野蛮な罵り声の中でも変わることのない、あのやさしさを目にしたときの私の驚きといったら、まったくどんなものだったろう! やさしく、心にしみ入るようなあの眼差し! 美しい目から発するあの生き生きとした潤んだ輝き、敢然としていると同時にやさしい魂が語りかけている目、岩をも感動させずにはおかない魅惑的な目! かつて覚えたこともない永遠の思い出! 深く心に突き刺さる天使の眼差し! 甘さと苦さの混じった感動、これまで経験したこともない激しい感動で、私の心はいっばいになった。この思いは最後の息を吐き出すときまでけっして消え去ることはないだろう! 出発してから処刑台に着くまでの二時間の間、彼女は、同じ確固とした態度、筆舌に尽くしがたいやさしさにあふれた態度を守り通したのである。馬車の上で、支えてくれる人も、慰めてくれる人もなしに、彼女は人間の名に値しない群衆の絶えることのない罵り声にさらされ続けた。少しも変わることのない彼女の眼差しは、そこに、もしや一人でも人間的な心をそなえた者がいはしまいかと捜しでもするように、時折、この群衆の上に投げかけられているように思われた」

『マラーを殺した女 暗殺の天使シャルロット・コルデ』は、文章がよくて内容も面白い。そのうえ歴史の教養も身につくという非常な良書です。共産趣味者やテロ・マニアじゃない人にも、ぜひ一読をおすすめします。

  

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1014日(金)『ダンス・マカブル 西洋暗黒小史2』(大西巷一)を読む

 前回は間があいてしまい、申し訳ありませんでした。『マラーを殺した女 暗殺の天使シャルロット・コルデ』があんまり面白かったので、どう紹介しようか考えこんでいる内に日にちがたってしまったのです。
『マラーを殺した女
暗殺の天使シャルロット・コルデ』は、大西巷一氏のホームページで知りました。以前も紹介しましたが、主に暗黒西洋史漫画を描かれている人です。東犬二のペンネームで『DARK AGE』という中世拷問エロ漫画も出しています。この本は絶版ですが、マニアの間で評判が高く、アマゾンで前にみた時には三千円くらいしていました。でも、この文を書く前に調べてみたら七百円くらいに値下がりしていた。なぜだろう。
『ダンス・マカブル
西洋暗黒小史2』ですが、ジャンヌ・ダルク妄想にとりつかれて美少年を殺しまくる青ひげことジル・ド・レを描く『聖なる怪物ジル・ド・レ』、イギリスの魔女裁判を描いた『魔女狩り将軍』、そして刑場に引かれていくシャルロット・コルデと死刑執行人サンソンの対話を描いた『暗殺の天使と首切りの紳士』の三編が収録されています。『ジル・ド・レ』と『魔女狩り将軍』も良作ですが、シャルロット・コルデが傑作です。もともと力量のある漫画家でしたが、参考にした安達正勝の『死刑執行人サンソン 国王ルイ十六世の首を刎ねた男』と『マラーを殺した女 暗殺の天使シャルロット・コルデ』が非常な良書なので、さらに水準が上がっています。
 刑場に向かう車上での心優しい死刑執行人サンソンと暗殺犯シャルロットの対話が中心です。この対話によって政治的確信者のシャルロットが、マラーは怪物でもなんでもなくマラーの死によって嘆き悲しむ人が大勢いるという当然なことに気がつくというテーマを描き切れているところが素晴らしい。最初は「
わたしは誇らしい気持ちでいっぱいです」とか言っていたのが、サンソンの処刑体験をきくことによって「私に死を恐れる資格はありません」に変わるんですね。単なる残酷趣味に終わっていません。

 

 とはいうものの、表現に容赦がないのが大西巷一氏の特長です。どひー。

 

 刑場に引かれていく死刑囚をえがいた作品といえば、まず思い浮かべるのはドストエフスキーの小説です。革命サークルに加わった罪で死刑判決をくらい、処刑場まで引き出され銃殺される数分前に死刑が中止されるという『死刑体験』は、ドストエフスキーの作品群に色濃く反映されています。その代表は『白痴』でしょうか。
 ちょっと頭の弱い男がワガママ美女二人に愛されて右往左往するという、オレにとっては、まあ、ひたすら長くて退屈な話しでした。オレの理解力がたりないだけで、本当はすごい小説らしいんだけどね…。しかし、そのなかにドストエフスキー自らの『死刑体験』を下敷きに処刑場に向かう死刑囚の心理を詳細にえがいた挿話があり、さすがにそれには圧倒されてしまいました。タイクツ〜な話しが何十ページも続いた後で、突然宝石のようなものすごい話しがあらわれるというのがドストエフスキー作品の特徴ですね。『罪と罰』でも、ラスコーリニコフが自首をするために警察署にむかう場面の心理描写などは、『死刑体験』が元になっているように思います。
 他に思いつくのは、河出書房が出した『エトランジェの文学』シリーズに収録されている『七死刑囚物語』です。『エトランジェ』とは異邦人という意味で、亡命したり追放されたりした小説家の作品を集めたシリーズでした。河出もずいぶんしゃれた本を出版したものです。
 作者のアンドレーエフは、革命に同情的な進歩派作家だったのだけど、ロシア革命についていけずフィンランドに亡命した人物です。実際に起こった政府要人に対するテロ未遂事件を元に、五人テロリストと二人の殺人犯が処刑場に向かう馬車に乗せられている間の出来事を小説にしています。この小説では、とりわけ劇的なことは起こらず、英雄的に死のうと決意するテロリスト、自分のことよりも年若い同志が怖がっていないか気づかう女テロリスト、赤の他人のためにテロを計画して殺されるなんてバカだとからかう殺人犯、テロリストと刑事犯の心の交流などが書かれています。読んだのは二十年以上昔なのでよくおぼえていないのですが、心理小説に近いように感じました。
 革命直前のロシアで出版されかなり話題となったようです。しかし、左翼には評判が悪く、訳者の後書きによると左翼作家のゴーリキーは、こんな批判をあびせています。

『七死刑囚物語』の革命家たちは、彼らがそのためにこそ絞首台に赴くことになった社会的正義、社会・政治上の根拠には少しも関心を示さず、物語の進行中にその根拠についてはひと言も語らない。彼らは、これまでこの上なく退屈な人生を送ってきて、牢獄の壁とはなんの生きた関係も持たず、病人がやむをえず一匙の薬を呑みこむように、死を受けいれようとしている人々であるかのような印象を与える

 政治バカってイヤだね〜、というのがこの批判に対するオレの感想です。
 刑場連行というのは、極限状態だからちょっと工夫すればかなり面白い話しをつくれると思います。そんなことを意識せず『暗殺の天使と首切りの紳士』を描いたのだろうけど、大西巷一氏はとても才能と教養のある漫画家だと感じました。『ダンス・マカブル
西洋暗黒小史』は二巻で終わってしまうようだけど、今後もマンガを描き続けてほしい。

   

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1015日(土)後楽園遊園地に行く

 幼稚園が休みなので、ムスメをつれて病院へ行ってきました。小児病室には子供は立ち入り禁止なので、ムスメを病院の廊下に放すことになります。つまらないだろうし迷惑にもなりそうなので、赤ちゃんは細君にまかせて近くの後楽園遊園地につれていきました。
 昔は『後楽園遊園地』といったんだけど、現在はカタカナのなにか違う名称になっていましたね。いつの間に工事したんだか、ビルのような多層構造になっていて階ごとに遊具が置かれているという構造です。わかりにくい!
 二千五百円で乗り放題のキップを買ってやり、ムスメがなにかに乗っている間は、オレは外から様子をみていました。オトナになった今では、遊園地なんぞ『くだらない』としか思えません。病院の待合室で本を読んでいるほうがずっといいけど、ムスメをみていないといけないからな〜。子供につきあって時間をつぶしていると、バカになってしまいそうです。
 ちょっとした広場があり、コスプレの人が大勢いました。コスプレの人は、普段は遊園地にいるのか…。しかし、肥満した男のマミさんとか、ムスメがおびえていたぞ。
 夕方、病院に舞い戻り、オレは廊下の待合椅子にへたりこんでそのまま眠ってしまいました。ムスメは、弟の見舞いにつれてこられたらしいベトナム人の女の子と友だちになり、いっしょに遊んでくれてたすかりました。ベトナムの女の子は、かわいらしく非常に利発で日本語もペラペラ。日焼けした日本人の女の子にしかみえません。
 オレは、日本がコテンパンに負けたアメリカをゲリラ戦で叩き出したベトナムをかなり尊敬しています。話しをしてみたかったけど、くたびれきっていてそんな気力もありませんでした。ひょっとしたら反共で亡命してきたベトナム人の末裔かもしれないしね。

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1016日(日)アニメ『Fate/Zero』がつまらない

 HD録画機が自動で録画していたアニメ『Fate/Zero』をみました。初回は特別版の一時間放送で、かなり評判がよいようです。期待していたのですが…、つまんねえよー!
 なにがつまらないといって、格好をつけたキャラクターが順番に登場して内容カラッポなセリフをベラベラしゃべり散らしているだけというのが、つまらない。キャラクター紹介のつもりだろうが、それが一時間も続くのだから、みせられるほうはたまったものではありません。
 オレは、一部をのぞき日本映画はつまらない思っています。その理由の多くは、登場人物がしゃべりすぎてセリフがダラダラと長い点にあります。設定や状況を登場人物がしゃべって説明するなんて、手抜きじゃないか。そのうえ愚にもつかないテツガク的心情とも感想ともつかないことまで、登場人物がひたすらしゃべりまくる。映画なんだから動いて理解させろよ。セリフで説明しちまうんだったらラクだよなー。…つくったやつは、才能がない!
 アニメがよいのは、尺が二五分と比較的短いためか、くだらない長ゼリフが少ない。それに、たとえつまらなくても、絵が動くのをみるのが面白かったりもします。
Fate/Zero』は、脚本が『まどか☆マギカ』の人ということで(『Fate/Zero』を書いた方がずっと前だけど)、しかも作画がよさそうな感じでした。少しは期待していたのですがねえ。一時間放送というところで、ちょっとイヤな予感がしていました。
 実際みてみると、なんだかしゃべっているばかりで、ちっとも動かないんだよね。いくら作画がよくても、アニメなのに動かなければどうしょうもない。
 そういえば、同人ゲームの『月姫』はよかったんだけど、つぎの『
Fate』はつまらなかったなー。我慢してプレイしたけど、最初のセイバーエンドをクリアした時点で放りだしてしまった。けっこう高価かったのに…。アレは底の知れた衒学趣味と、内容が無いのにもったいぶったヘタな文体がまた不快で、ちょっと読むに耐えませんでしたね。「あー、はいはい。青土社と国書刊行会の本をタクサン読んでいるのね。それはわかったから、話しを先に進めろ」という感じでした。
 その後『まどか☆マギカ』の脚本家が
Fateのサイドストーリー小説を書き、それが評判になってアニメ化されることになったとききました。
 つまらない…。コレを面白いといっている人を問い詰めたい。いったい全体コレのどこが面白いのか? どこに面白いと思わせる要素があるのか? 
 小説版などを読んだことがある人なら、好きなキャラクターがしゃべるという楽しみかたができるかもしれないけど、初見のオレには『意味わからない』『だるい』『つまらない』としか思えない作品でした。一時間も無駄にしてしまいました。

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