『
都市ゲリラの戦術 トゥパマロスは勝利する』前書き北のりゆき
この文は、
1993年に冥土出版が発行した冊子『都市ゲリラの戦術 トゥパマロスは勝利する』の前書きです。この冊子は遊撃インターネットでも通販をしています。 遊撃インターネットに戻るはじめに
本書は、南米ウルグアイの都市ゲリラ組織『民族解放運動(
MLN)』(通称トゥパマロス(ツパマロス))の発表した都市ゲリラ戦に関する諸文書を収録した。これらの大部分は、60年代の末から70年代の初頭にかけて、チリやキューバなど南米諸国で発表されたものである。トゥパマロスは世界最初に本格的に都市ゲリラ戦を行った組織といわれる。結成されたのは1962年頃。公然と武装闘争を始めたのは1964年からである。ちなみに日本でゲバ棒と投石による「武装闘争」が始まったのは、1967年10月8日の佐藤訪米阻止闘争。先進国で初めて銃と爆弾による武装闘争をとなえた赤軍派が登場するのは1969年である。
トゥパマロスは、最初20人の戦闘員から出発した。彼等は社会党系の武装組織から分裂したものといわれている。当初から強固な軍事組織をつくり上げることを目的とし、数年間が厳格な沈黙と準備に費やされた。1964年に突如として姿を現したトゥパマロスは、金持ちから資金や物資を奪い貧乏人に分け与えるという『貧者救援作戦行動』を手はじめに、数多くの『爆破闘争』『占拠闘争』『誘拐作戦』を決行した。とりわけトゥパマロスの名を有名にしたのは、左翼運動の弾圧を目的に
CIAから送り込まれた拷問下手人、ダン・ミトリオーネの誘拐と処刑であった。この事件は、『戒厳令』という題で映画にもなっており(コスタ・ガブラス監督)、レンタルビデオ店でもよく見掛けるので、興味のある人は見てみるのもよいだろう。通常の農村ゲリラと異なるトゥパマロスの最大の特徴は、「都市」の意義を明確にとらえている点である。毛沢東を創始者とする農村ゲリラは、「農村が都市を包囲する」という言葉に象徴されるように、都市部での武装闘争は二義的なものとされてきた。しかし、トゥパマロスは逆に都市戦争を選択したのである。これは経済危機が最も敏感に反映する都市を狙うという点。ウルグアイでは労働者の組織率が高く識字率も高いため、それが都市の中核的な構成分子となり、ストライキやサボタージュが行いやすい点。さらにウルグアイは小国のため十分な農村ゲリラ戦の地理的条件に欠くが、300平方キロにおよぶ都市部を戦場にすることができるという理由からであった。
ペルーの極左ゲリラ、センデロ・ルミノソと対比すると、トゥパマロスをより深く理解できるだろう。センデロの支持基盤は山岳地帯の字の読めない最極貧インディオであり、中核幹部を除きメンバーの多くはこの階層の出身である。トゥパマロスの場合、都市部の組織労働者と中産階級を支持基盤とし、メンバーは中産階級出身の高学歴者が中心であった。他の左翼組織に対しても、センデロは処刑や暗殺という極端な手段を取るのに対し、トゥパマロスは同志的な批判にとどめている。実際のテロルの場合も、センデロは問答無用の無差別テロのおもむきがあり、個人テロの場合でも、手足を切断したりダイナマイトで粉々に吹き飛ばすなど残虐極まりないもので、意見の異なるメンバーに対してもしばしば処刑を行うといわれる。トゥパマロスの場合は、爆弾テロを実行する際に密告される危険を冒して付近住民に警告を発して回ったり、警官といえどもむやみに殺傷しないという声明を発し、実際撃ち合いで負傷した警官に応急手当てをして立ち去るなど極めて道義的で人間的な姿勢に特徴がある。両組織ともマルクス主義を掲げているが、センデロはむしろカンボジアのポルポト派に近い極左ネオ毛沢東主義であり、トゥパマロスの場合はキューバに近い正統マルクス主義であった。国際連帯に関してもセンデロは、ペルーが世界革命の中心となるといった極めて独善的で国粋主義的な立場を取り孤立しているのに対し、トゥパマロスは数多くの中南米のゲリラ組織と連帯し、キューバからも支援を受けていたようである。
闘争形態としてのゲリラ戦の欠点を三つほどあげてみたい。第一に少数の「意識のある」人間の突出により、大衆との関わりが薄れてしまうことである。これは、大衆を「遅れたもの」としてとらえる大衆不信につながる。そして第二に、このためゲリラ戦は人々の支持を受けにくいという点がある。この二つの欠点を、センデロは彼らのモットーといわれる「戦慄的な暗殺行為」という言葉に象徴されるような「恐怖」で大衆を従わせることによって突破しようとし、トゥパマロスは自らを危険にさらしてまでも行おうとする革命的人道主義によって突破しようとした。第三に、生命の危険をともない、敵が恒常的にスパイを送り込んでくるという状況に制約され、ゲリラ組織内の団結が、不信と粛正によって成り立つものになりがちであるという点がある。これをセンデロは、少年時代から隔離しての徹底した兵営共産主義教育と、「裏切り者」に対する処刑という方法で極端化したのに対し、トゥパマロスは「個々のメンバーの自覚的な正義感」を行動原理としていたようだ。
トゥパマロスの武装闘争は7年に及んだのだが、極端な弾圧の強化を招き、結局それに打ち勝つことができず敗北した。政治的には、軍部のクーデターによる軍政という最悪の結果に終わってしまった。メンバーの大部分は3000人にも及ぶ逮捕者や虐殺、亡命によって失われた。現在では武装闘争からの転換を行っているようである。
トゥパマロスの敗北の原因は、現在でも究明されたとは言いがたい。しかし、都市ゲリラ戦の展開にすべての政治的・軍事的な戦略の基礎を置いた点に原因がある、という意見がある。本来、都市ゲリラ戦は革命の戦略的な発展を創りだす革命闘争の一貫として位置付けなければならないにもかかわらず、都市ゲリラ戦にすべての意義を見出そうとした。そして個々の戦闘では素晴らしい創造性を発揮し勝利したが、それを革命の戦略的な発展に結び付けることができなかった、という批判である。
このように、テロリズムや都市ゲリラ戦を研究する上で極めて重要なトゥパマロスであるが、日本の商業出版で詳しく述べているものはほとんど見ることができない。本書に収録した文章の大部分は、『トゥパマロス・闘争日誌』をのぞき1979年に『反帝反日通信編集委員会』より発行されたミニコミ、『反帝反日通信 創刊号』より許可を得て転載したものである。編集委員会による後書きと個々の文章の「注」も極めて興味深いものであるので、そのまま残した。前書きによると、発行者は、獄中に囚われた東アジア反日武装戦線を「救援」する団体であり、出版の目的を「反日思想の内容を豊かにし、共有し、反日闘争の大きな流れをつくり出す中で、獄中兵士にかけられている死刑・重刑攻撃を粉砕していく」ためとしている。
最後であるが、転載をこころよく許可してくださった原訳者の方々に深く謝意を表したい。
1993年12月 冥土出版
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