『血と土』復刻版前書き
北のりゆき
はじめに
この文は、93年12月に冥土出版が発行した冊子『血と土』復刻版の前書きです。この冊子は売り切れで現在販売していません。
遊撃インターネットに戻る本書は、1941年に発行された『血と土』の復刻版である。ページ数の関係から上下に分けて発行することとした。元来、もっとしっかりした出版社が復刻しなければならない種類の本なのだが、かなり激しく差別イデオロギーを展開しており、これでは商業出版で復刻版を発行するのは無理であろうと考え、また、日本語版が発行されてからすでに50年が経過し、訳者の黒田礼二氏も本書が発行される前の1937年に亡くなっているため、著作権法上問題がなく、発行にふみきることとした。
ナチスを研究するのに最も重要な基礎文献として、ヒトラーの『我が闘争』、ローゼンベルグ『20世紀の神話』、ダレ『血と土』の3つをあげることができる。『我が闘争』については文庫にもなっており改めて述べるまでもないが、ナチスのイデオロギー部門の責任者であったローゼンベルグの書いた『20世紀の神話』は、今世紀の初頭に流行した神秘主義とゲルマン神話を混ぜ合わせたような、いってしまえば「ワケのわからない」シロモノである。これに対して農業大臣であったダレの『血と土』は、ナチスの農業政策の指針になったともいわれており、ある程度の具体性が見られる。
ナチスドイツというと、当時の最新科学で武装したウルトラ合理的な工業国家というイメージがある。しかし、実際は自給自足が可能な農本主義的な国家を目指していた。これは共和制ローマと帝制ローマを例にとれば分かりやすいだろう。共和制ローマにおいては、自作農民が市民兵となり強力な軍団を組織して地中海世界を征服した。しかし長年の従軍により土地は荒れ、また、征服した土地から安い穀物が流入するようになった。そのため自作農が衰退して、職業的な軍人が登場し、その長が皇帝となり共和制は帝制へと移行した。ローマの強さの支柱であった市民兵は消滅し、発達した官僚制によりかなりの長期間帝国を維持できたが、やがてローマは滅亡へと向かうこととなった。この例と同じくナチスドイツも国家の中核を自作農に求めたのである。ナチスドイツの政策の大前提として、ドイツの人口は土地に対して常に過剰であるというものがある。さらに国の強さの主柱たる自作農民を維持し拡大しなければならないという点がある。そのために農民が入植することのできる『生存圏』の獲得が不可欠とされる。この『生存圏』とは遠方の植民地などではなく、陸続きの東方、すなわちソ連であった。
ナチスとは何であったのか、現在でも議論される。そのうちのひとつに、ナチスとは政治的反動である以上に、人類の歴史を原始時代まで引き戻す巨大な反動であるという意見がある。本書内の次の言葉に注目してほしい。「今のドイツの極めて壮健な若夫婦が、どこを探しても住む家がないという状態をほおっておきながら、他方では社会保護法とかで、犯罪人や、癲癇白痴のために、堂々たるすみごこちのいい刑務所や、癲狂院などが増えていく、それが気違い沙汰でなくて、果たしてなんであるか?」(96ページ)。犯罪者と精神障害者を同列においていることはさておき、ここでは人間の価値は「役に立つか立たないか」の一点に収斂されている。「どのような者であろうと人間は人間であり、すべての人間は至上の価値をもつ」という視点は、まったく欠落している。「役に立つか立たないか」とか「食うか食われるか」といったジャングルの掟から離れ、人間を人間として尊重する社会を作ることが文明の目的のひとつであり、人類の進歩である。これを否定してしまったら、ジャングルや原始時代への後戻りといわれても仕方あるまい。
本書『血と土』の筆者ワルター・リヒャルト・ダレは、1895年アルゼンチンに生まれた。早くからのナチス党員でヒトラーの友人でもあった。政権獲得前の31年にナチス農民団を組織し、政権を獲得した33年には食料農業大臣に就任し、同時に人間の選択的品種改良を行った親衛隊の人種・移住局名誉長官に任命されている。しかし、42年に大がかりな闇食料品取り引きに関与していることが発覚し、食料農業大臣辞任に追い込まれた。45年に連合軍に逮捕され、ニュルンベルグ裁判で有罪判決を受けている。
『血と土』下巻は1994年5月に発行する予定である。
若干ページが余ったので、付録として『ナチスドイツの芸術』を入れた。
ナチス時代のドイツでは、芸術は衰退したといわれる。確かにその通りで、芸術の主流である絵画にはほとんど見るべきものはない。しかし、建築や彫刻ではかなりよいものを残している。ナチスの裸体美術は人種の理想型を描くことを目指した面があり、そのような目的には立体的な彫刻のほうが都合が良かったからかもしれない。女性のモデルでは「美しいものを好ましく」作るため期待と献身のポーズを、男性の彫刻ではゲルマン的超人、「壮大なものを崇高に」表現するため巨大化し、強烈な印象を与えるよう激しい動きを伴うものが多かったとされる。このような現代美術にはないダイナミックで、ある種理想主義的な面が我々を引き付けるのだろう。
この冊子は売り切れで現在は販売していません。再版の予定もありません。
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