日本テロゲリラ情報1999年7月21日

解放派(革労協狭間派)千木良派による内々ゲバ

ブル新より転載

革労協活動家

内ゲバで死亡

千代田区の路上

東京都千代田区の路上で21日、過激派の革労協狭間派の幹部活動家で、明治大学生協職員の住所不詳、相川一郎さん(43)が、5人ほどの男に襲われ、鉄棒のようなもので殴られる事件があり、相川さんは23日朝、脳挫傷で死亡した。警視庁公安部は神田署に捜査本部を設置し、内ゲバによる殺人容疑事件と見て調べている。


都内で配られたビラより転載(マル共連ニュースより転載)

同志中山(相川一郎)虐殺に報復を

革命的労働者協会(解放派)

連絡先 水無月社

  七月二十一日午前八時五十分すぎ、ハザマ私兵グループは、通勤途上の中山(相川一郎)同志を襲撃し、頭部にのみ打撃を集中し虐殺をはかった。二十三日午前、同志中山は、無念のうちに息を引き取った。われわれは、このハザマ私兵グループの虐殺襲撃に対し、煮えたぎる怒りをもって報復することを宣言する。

実行下手人はもとより、この虐殺の指示・責任者からこれに拍手喝采した人間にいたるまで、それにふさわしい責任を必ずやとってもらう。

 同志中山への虐殺襲撃は、頭部にのみ打撃を集中した目的意識的殺害を狙ったものであった。同時に、その悪辣な意図の一方で、軍事をもてあそぶだけのハザマ私兵グループの本質に規定され、結局のところ権力に対する警戒心もない、本格的軍事とは区別されたものである。このことは、同志中山への虐殺襲撃が、ハザマ私兵グループの自己の延命のみの衝動から必死となった、あせりにかられた自暴自棄的なものであることを示している。

 (一)

 同志中山は、一九七五年神奈川大学に入学し神大反帝学評に結集し、以降解放派の拠点としての神奈川大学の展開を担い、反内糾脱走グループとの対決をたたかいぬく。社青同への入盟以降、神奈川の地区展開においても、くり返しの組織脱落・破壊とたたかいぬいてきた。革労協の入党以降、何よりも、同志中山は、「障害者」解放戦線の責任的任務を担い、解放派の「障害者」解放闘争の組織化・推進の最先頭でたたかいぬいてきた。また九八年からは、明大生協に就職し、明大生協従業員労組の一員としてたたかいぬいていた。

 今回のハザマ私兵グループによる「分裂」=組織破壊に対して同志中山は、怒りを燃やして闘いぬいてきた。とりわけ、「障害者」解放戦線への破壊に対して、「『障害者』襲撃」のでっち上げを含めた宇都宮病院糾弾闘争の破壊と対決し、七・一八現地闘争の実現に尽力し、ハザマ私兵グループに破産を強制した。

だからこそ、ハザマ私兵グループは、同志中山に憎しみを集中し虐殺襲撃を凶行したのだ。

 この七・二一反革命虐殺襲撃は、ハザマ私兵グループが追い詰められるなかで自暴自棄的に凶行したものとはいえ、六・四反革命−六・一二明大襲撃と続く一連の「『T内T』=『TT』」(ハザマ自身の用語、「党内闘争」=「党派闘争」)路線に基づき準備されていたものである。この間、中山同志に対して、「長田さん殺しを手引き」などという誹謗中傷が浴びせられていたが、ハザマは、当初から「撹乱者(=スパイ)」規定を行い、中山同志虐殺を示唆していたのだ。ハザマ私兵グループがどのような理由をこじつけようと、あるいは死の沈黙を通そうと、同志中山虐殺の責任は、直接の指示・責任者ハザマを筆頭に、直接の下手人、手引き者、そしてこの賛同者にいたるまで、必ずとってもらう。われわれは、この日本階級闘争の最悪の陰謀集団を解放派の中からうみだした責任において、ハザマ私兵グループの最後の一兵まで打ち倒し解体・一掃することを同志中山に誓う。

  (二)

 今回のハザマ私兵グループによる「分裂」=組織破壊は、六・二〇弾圧と『治安フォーラム』で「明白な形でこれを取り除く」と名指しされたハザマと、これと結託した「革労協中央」を名乗る陰謀主義集団が、権力・革マルへの投降=路線転換をはかったことによるものである。これは、彼らが「分裂」の最大の「理由」とした五・二六弾圧公判がどうなっているのかをみれば明白である。七月六日の公判では、彼らの唯一の「公判方針」であった野次さえ飛ばせず、それどころか動員数がゴスペルを下回り、逆に公判廷をゴスペルに制圧されるという体たらくとなっている。彼らは、「ゴスペル解体・一掃」もやる気などなく(実際、ビラ等でもこれは消えている)、ただただ「分裂」(=組織破壊)のためだけに五・二六弾圧公判を利用したのである。このことは、彼らの「軍事」がゴスペルではなく、六・四反革命として発動されたことの中に端的に示されている。

 揚げ句の果てが、この間の最大の動員が、彼らが機関紙で騒ぎ立てていた「七・一八宇都宮病院闘争」でもなければ、狭山再審棄却への闘いでもなく、ただただ七・二一反革命と一体の明大自治会破壊のためだけの七月二十二日の明大和泉キャンパスへの登場の際だったということである。大衆闘争−階級闘争を推進しようという気などさらさらなく、かれらの「党内闘争」=「党派闘争」路線に基づく破壊のための破壊のみが存在するのだ。その上で権力に対する徹底した武装解除ぶりは、すでに自分たちが権力に対して路線転換=投降を表明した以上、決して弾圧されることなどないと確信していたことを示している。彼らは、大衆闘争−階級闘争の廃墟の上に自らの延命を考えているだけなのである。そしてその手段は、テロと陰謀である。このような集団の存在を許すこと自体が、階級闘争の桎梏となりつつある。

 われわれは、このような集団を解放派の中から生み出した責任において、このような集団を一刻も早く解体・一掃する闘いを推し進める。このことが、同志中山の闘いに応える道である。

 (三)

 ハザマ私兵グループの発生は、世界恐慌情勢の進行過程で朝鮮反革命戦争に突撃する日帝足下階級闘争の激化から逃亡しようというエネルギーによるものである。結局のところ、二〇〇〇年天皇訪韓阻止決戦時に激化する天皇主義右翼ファシストとの血戦から何とか逃亡し、破防法弾圧から何とか逃亡しようというものである。ハザマ私兵グループは、そのために同志中山を虐殺したのだ。これに対する共産主義者の回答がいかなるものか、ハザマ私兵グループの一人ひとりが体をもって思い知るがよい。

 われわれは、“反革命戦争とファシズムの危機を蜂起−革命戦争に転化し、プロレタリア・ソビエト権力を樹立せよ”の解放派の転化スローガンを現在直下の任務としてとらえ返し、プロレタリア世界革命−共産主義革命へと進撃する。その中での避けて通ることのできない任務として、ハザマ私兵グループの解体・一掃を貫徹する。

 同志中山よ、同志の闘いを引継ぎ、同志の無念を必ずや晴らすことを誓う。同志の思いと闘いはわれわれとともにある。最後の血の一滴までプロレタリア解放のために捧げた同志中山とともに、われわれは闘いぬく。


戻る 遊撃隊TOP