日本テロゲリラ情報1999年1月25日

中核派による芝山鉄道役員宅放火ゲリラ

日共系(らしい)団体『成田空港から郷土とくらしを守る会』HPより転載

1月25日

過激派が芝山鉄道非常勤取締役宅に放火ゲリラ

 今日、午前4時15分ごろ柏市東台本町にある、京成電鉄常務で芝山鉄道会社の非常勤取締役である中島明雄さん宅のガレージで放火があり、乗用車とガレージの一部が燃えました。焼け跡から乾電池やリード線などが発見されたことから過激派のゲリラと見られています。

1月27日

芝山鉄道取締宅への放火ゲリラは中核派の仕業

 25日の未明に起こった、芝山鉄道会社の非常勤取締役宅への放火ゲリラは中核派の仕業でした。今日、報道機関に犯行声明が届きました。

 

ブル新より転載

芝山鉄道役員宅でゲリラ事件か、車1台焼ける

 25日午前4時15分ごろ、千葉県柏市東台本町、京成電鉄常務で芝山鉄道非常勤取締役の中島明雄さん宅のガレージに止めてある乗用車から火が出て、乗用車とガレージの一部が焼けた。自宅で就寝中だった中島さんや家族は無事だった。同県警柏署は、焼けた車のエンジンの下の部分から、乾電池やリード線が見つかったため、成田空港に反対する過激派による時限発火装置を使ったゲリラ事件とみて調べている。


中核派機関紙『前進』1895号(99年2月8日)7面より転載

芝山鉄道工事強行に反撃

1.25

軍報速報

 革命軍は偉大な戦闘を貫徹し、以下の軍報を発表した。

 革命軍は、一月二十五日午前四時十五分、成田空港平行滑走路の暴力的、一方的は工事強行の攻撃に対して、一大反撃戦への総決起を告げる火炎戦闘を戦取した。

 攻撃の目標は、千葉県柏市東台本町六ー九の芝山鉄道取締役・京成電鉄常務取締役鉄道本部長である中島明雄の自宅である。激しい怒りの火炎は、中島所有の乗用車をガレージもろとも焼き落とした。

 中島は、芝山鉄道取締役として、九八年一月に、未買収地があるにもかかわらず、芝山鉄道延伸工事の見切り発車に踏み出した張本人である。その後も、工事を中止するどころか、どんどん進行させ、木の根の住民に圧力をかけ続けてきた許しがたい人物である。

 中島は、「芝山鉄道の延伸工事は、地域振興の鉄道工事であって、滑走路工事とは別のもの」と言いつつ工事を強行してきた。しかし、日帝・運輸省・空港公団は、この芝山鉄道の工事強行を、強制収用と同様の圧力を地権者に突きつけることを狙った成田―小見川県道トンネル工事の暴力的着工の突破口として明白に位置づけているのである。

 このような農民無視の暴挙を断じて許しておくわけにはいかない。怒りの鉄槌(てっつい)は当然である。革命軍は、芝山鉄道工事粉砕・平行滑走路工事着工実力阻止をかちとるまで、総力を傾けて総蜂起することを宣言する。

一九九九年一月二十五日

革命軍

中核派機関紙『前進』1896号(99年2月15日)5面より転載

成田空港「軒先工事」の先兵

芝山鉄道取締役を火炎攻撃

平行滑走路着工絶対許さぬ

革命軍軍報

 革命軍は偉大な戦闘を貫徹し、以下の軍報を発表した。(前号に速報)

 一月二十五日、革命軍は九九年三里塚・ガイドライン決戦の大爆発に向けて、九九年第一波のゲリラ戦闘に決起した。この戦闘をたたきつけ正義の鉄槌(てっつい)を加えた相手は、芝山鉄道取締役・京成電鉄常務取締役鉄道本部長の中島明雄である。

 中島は、成田空港用地の農地強奪のために設立された会社であり平行滑走路工事強行の先兵を務める芝山鉄道の取締役に、九八年六月に就任した。

 自らが果たしている反人民的な役割を、徹底的に自覚していたからこそ、千葉県柏市東台本町六ー九の自宅を千葉県警に警備してもらっていた。それでも安心できない中島は、自宅に警報装置や防犯ビデオなどを取り付けて警戒していたほどだ。

 だが、警察権力を頼みにして、反人民的な悪行を積み重ねることがいつまでもできると思ったら大間違いだ。革命軍は、どんなに警備を厳重にしようが、鉄槌をくだすべき者には、その罪状にふさわしい報復を必ず貫徹する。

 革命軍部隊は、国家権力の警備をかいくぐり、警戒を打ち破って戦闘を実現した。午前四時十五分、中島の自宅ガレージに設置した火炎戦闘装置は正確に作動し、怒りの炎は三十分間も燃え続け、中島所有の乗用車を全焼させ、ガレージを完全に焼き落とした。この戦闘が開始された時刻には、すでに部隊の撤退作戦は完了していた。

 重警備を施していた警察権力がデッチあげ弾圧の口実とするものは、一つとしてない完壁(かんぺき)な戦闘としてかちとられたのである。

 

 空港着工狙い

 延伸工事強行

 

中島が芝山鉄道の取締役となったのは、九八年六月である。芝山鉄道は、九八年一月二十二日に未買収地を残し取得のメドがまったくない中で、延伸工事に着手した。これは九八年平行滑走路工事強行の先陣としての役割を意識しての見切り発車であった。芝山町菱田地区を始めとする反対同盟農民に鉄道工事の既成事実をつきつけて「空港に反対しても無駄だ」「国家暴力を発動してでも工事は強行する」という脅しを加えることを目的とした着工であったことは明白である。

 しかも、この工事強行と同時に、相川勝重芝山町長を使って、一坪共有地の強奪をも狙ったのである。相川もまた、芝山鉄道の取締役なのだ。「芝山鉄道ができ、空港ができるのだから抵抗をやめろ」という農地強奪攻撃を開始したのだ。

 この芝山鉄道延伸工事着工の直後に、中島は芝山鉄道取締役に就任した。その反人民的な役割は明白である。芝山鉄道延伸工事を強行して農地強奪=反対同盟破壊をたくらみ、九八年平行滑走路工事強行=二〇〇〇年完成攻撃を率先して推進しようとしたのである。

 そもそも芝山鉄道は「地元(芝山町)の地域振興のため」だというふれこみで設立されたが、これは真っ赤なうそだ。この鉄道を利用すると想定している芝山町・菱田から、空港建設のために農民をたたきだして廃村化する攻撃を展開することが目的なのである。利用客がいなくなる鉄道(運輸省試算で五十年間赤字が続く)をつくる目的はただ一つ、農地強奪と反対同盟の闘いの破壊なのだ。

 また中島は京成電鉄常務取締役鉄道本部長でもある。京成電鉄は、空港公団、千葉県、成田市、芝山町とともに芝山鉄道の株主だ。成田空港完成のためにはどのような反人民的な所業にも手を染めることをいとわない会社である。こうした輩を一刻でも許して置くことはできない。鉄槌が下されて当然なのである。

 

99年ガイド

ライン決戦へ

 

一・二五戦闘の革命的意義の第一は、一月二十一日に逝去された反対同盟の市東東市さんの遺志を引き継ぎ、反対同盟との一層固い血盟を誓い、革共同・革命軍は、いかなる手段を用いても九九年平行滑走路工事強行を阻止することを宣言したことである。

 九八年平行滑走路着工を挫折に追い込まれた運輸省・空港公団は、年頭から激しく九九年三里塚攻撃を開始した。中村徹公団総裁は一月四日に年頭記者会見を行い、「(滑走路着工・完成の見通しは)『平行滑走路ができるな』と実感できるよう務めたい」と農民無視の攻撃を宣言した。一月二十一日には、黒野運輸省事務次官が「遅くとも五月の連休までに地権者の理解が得られないと、目標を達成できない」と、敷地内農民の切り崩しのタイムリミットを五月連休と定めることを宣言した。

 こうした敵の平行滑走路着工攻撃を必ず粉砕する闘い=戦いの第一歩を、力強く記したのである。

 第二は、九九年三里塚決戦を、戦後史上最高の決戦として闘われようとしている九九年ガイドライン決戦の決定的一翼、不可欠の構成要素として闘い抜くことを訴えたことである。

 一月十九日に始まった通常国会では、自自連立政権の戦争政策に反対する政党が完全にゼロと化し、「戦争をどのように遂行するか」を議論し合うという腐り果てた姿を人民の前にさるけ出している。

 今こそ、<戦争反対!侵略戦争法案=新ガイドライン関連法案を廃案に!戦争なしで生きられぬ帝国主義を打倒せよ!>の旗を掲げた全階級的全人民的決起が必要なのだ。革命軍は「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の闘いを実現するために、労働者階級人民とともに決起する。

 第三は、戦後史を画する九九年ガイドライン決戦の爆発に恐怖し、ファシストとしての正体を一段とあらわにする反革命力クマルの完全打倒を労働者人民に訴えたことである。

 二九年型世界大恐慌過程の深まりー世界経済の分裂化・ブロック化の進展、米日帝の朝鮮侵略戦争の歴史的切迫情勢の急迫。そして、それに対する労働者階級人民の一大反撃への決起、階級的激突の始まり。こうした中で、力クマルはこれまで以上に凶悪なファシストとして、階級闘争の歴史的高揚への敵対と白色テロルによる圧殺の衝動を強めている。今こそ、力クマルのファシストとしての正体を全人民に暴き出しつくさなければならない。力クマルの白色テロルに対しては、革命軍は赤色テロルを対直して決然と闘う。力クマル完全打倒に向かって攻め上ろうではないか。

 九九年ガイドライン決戦爆発のため奮闘しよう。

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