日本テロゲリラ情報1998年10月28日
中核派による自民党千葉県連幹事長宅放火ゲリラ
日共系
(らしい)団体『成田空港から郷土とくらしを守る会』HPより転載。10月28日
自民党千葉県幹事長宅に放火ゲリラ
今日、午前3時50分ごろ千葉県旭市にある自民党千葉県連幹事長飯島重雄県議宅の車庫から出火、自動車5台、車庫、2階建て事務所、物置を全焼し、隣の雑貨商の倉庫が半焼しました。幸い、けが人は出ませんでした。焼け跡から乾電池やリード線が見つかったことからゲリラ事件と見られます。飯島県議は今年6月、都議会で羽田空港の国際化促進の決議が行なわれた際、成田空港の2000年度完成を前提にして羽田空港の国際化に反対し、自民党都連に「国際化反対」の申し入れをしています。
10月31日
自民党県連幹事長宅のゲリラは中核派の仕業
28日未明に起きた自民党県連幹事長宅への放火ゲリラについて、30日に各報道機関へ中核派から犯行声明が送られてきました。その中で、「飯島県議が平行滑走路の2000年度完成と羽田空港の国際化反対の先頭に立っている。」としています。
ブル新より転載
自民千葉県連幹事長宅で出火
ゲリラ事件の疑い
28日午前3時55分ごろ、千葉県旭市ハの自民党千葉県連幹事長で県議、飯島重雄さん(66)方車庫内の乗用車から出火し、鉄筋平屋建て車庫約120平方メートルと隣接の木造2階建て事務所約110平方メートル、木造平屋建て物置約65平方メートルをそれぞれ全焼。車庫内の車両計5台も全焼した。また、隣家の鉄骨2階建て倉庫の一部約170平方メートルも焼いた。
旭署の調べによると、車庫内の防犯センサーが作動したため飯島さんが外に出たところ、乗用車が炎上していたという。車の下からリード線と乾電池数個が見つかっており、ゲリラ事件と見て捜査している。
飯島さんは6月、同県議会が東京都議会などに「羽田空港の国際化反対」を申し入れた際に中心的な役割を果たすなど、成田空港整備推進の立場だった。
中核派機関紙『前進』1884号(98年11月9日)7面より転載
平行滑走路工事に大反撃
10.28
千葉
軍報速報
革命軍は以下の軍報を発表した。
革命軍は、一〇月二八日午前三時五〇分、成田空港平行滑走路工事着工攻撃に対する武装反撃の火炎戦闘を敢行した。攻峯の対象は、千葉県旭市ハの一五、自民党千葉県連幹事長・飯島重雄千葉県議会議員の自宅兼事務所である。
この威力絶大な戦闘によって、飯島の事務所、車庫、物置三棟を全焼させ、車庫に停めてあった車五台を完全に焼き落とした。
飯島は、自民党千葉県連の成田空港対策特別委員会委員を務め、千葉県議会では新東京国際空港周辺対策特別委員会委員を務めるなど、一貫して成田空港建設推進の反革命的役割を担ってきた。農地強奪=農民殺しの先頭に立ってきた極悪の反革命分子である。
そして現在、「二〇〇〇年平行滑走路完成」攻撃を先頭で推進し、「羽田空港の国際化反対」の中心的役割を果たしている。三里塚闘争にとって、不倶戴天の敵であり、鉄槌が下されて当然の人物なのである。
革命軍は、反対同盟が呼びかけた「」臨戦体制突入宣言」に断固として応え、戦闘を貫徹したのである。革命軍は、着工時には総力戦で立ち上がろうとしている。労働者人民の先頭に立って武装決起し、連続的なゲリラ戦争の戦取で、平行滑走路完成攻撃を粉砕することを誓う。
1998年10月28日
革命軍
中核派機関紙『前進』1885号(98年11月16日)5面より転載
成田二期を率先推進する
自民党千葉県連幹事長飯島に鉄槌
平行滑走路着工は許さぬ
革命軍軍報
革命軍は偉大な戦闘を貫徹し、以下の軍報を発表した。(前号に速報)
革命軍は、「平行滑走路十月着工実力阻止!」を掲げた十・一一三里塚全国総決起闘争の大衆的戦闘的高揚にこたえて、十月二十八日、平行滑走路工事強行をしゃにむに推し進めようとする攻撃に一大反撃を敢行した。反対同盟の臨戦態勢突入宣言にこたえて、ただちに立ち上がることが求められていたのである。
戦闘のターゲットは、自民党千葉県連幹事長・飯島重雄千葉県議会議員だ。飯島は、一九七一年四月に自民党の県議となって以来、一貫して成田空港建設を推進してきた農地強奪=農民殺しの張本人だ。それだからこそ、千葉県旭市ハの一五にある飯島の自宅兼事務所は、千葉県警が重要警備対象として重警備を行っていたのだ。飯島は、千葉県警の警備だけではまったく安心できずに、警戒センサーをも設置していた。
国家権力がどのように警備を強化しようが、警戒を強めようが、それは革命軍の戦闘意欲を高めるだけだ。革命軍部隊は、練りに練った作戦計画どおりに戦闘行動をやりぬいた。
火炎戦闘装置は、計画どおりに作動した。午前三時五十分、飯島が警戒センサーのけたたましい警告音で飛び起きた時には、すでに怒りの火炎は轟音を立てていたのである。
この火炎戦闘は、威力絶大であった。飯島の事務所と車庫、そして物置は完全に焼き尽くされた。また、車庫に停めてあった車五台も完全に焼き落とされた。
この戦闘が炸裂した時には、すでに撤退行動も作戦計画どおりに終了していた。警察権力は、戦闘の威力と、デッチあげ弾圧の口実となるものがなに一つ残されていないことにがっくりしている。
二期攻撃推進の中心的存在
飯島は、県議当選以後、一貫して成田空港建設を推進してきた極悪分子であり、鉄槌が下されることが待ち望まれていた人物である。県議会では新東京国際空港周辺対策特別委員会委員を務め、自民党千葉県連では、成田空港対策特別委員会委員を務めてきた。
そして、二期工事が反対同盟の闘いと三里塚闘争の前に破産寸前に追い込まれた時、猛然と巻き返し「二〇〇〇年成田空港完成」攻撃の先頭に立ったのだ。九六年四月の日米安保共同宣言=新ガイドライン策定によって、成田空港を朝鮮侵略戦争の最大の兵站基地と位置づけた日米帝国主義の先兵として登場したのだ。
二期工事の破産寸前の危機は、日帝ブルジョアジーを分裂的対立にたたきこんだ。成田空港がアジアの基幹空港の位置からたたき落とされる危機への対応をめぐっての対立が表面化したのだ。自民党東京都連や東京都は、「羽田空港の国際空港化」を主張し始めたのである。
今年六月十日には、千葉県議会「羽田空港の国際化にあらためて反対する決議」を、九七年十月の「反対決議」に続いて採択した。それを先頭に立って推進したのが、自民党千葉県連であり、幹事長の飯島重雄だったのだ。
六月十七日に東京都議会が「羽田空港の国際化に関する意見書」を全会一致で可決するや、飯島はその日の内に「われわれは三十年間にわたって成田で整備を進めてきた(農地強奪=農民殺しを推進してきたと読め)。黙って見逃すわけにはいかない」と直接申し入れ行動を行っている。
飯島と自民党千葉県連、そして千葉県は、「二〇〇〇年空港完成=平行滑走路完成」攻撃を率先して推進しているのだ。このような暴挙を断じて許しておくわけにはいかない。敵の暴力的な二期着工攻撃に対しては、人民の革命的武装闘争による反撃がたたきつけられなくてはならない。
十月二十三日、川崎二郎運輸大臣は、成田空港を視察し記者会見を行った。そこで川崎は「国際拠点空港の整備は国民的課題」「成田間題の解決は運輸省最大の問題」とあくまで平行滑走路の暴力的着工を強行することを表明した。
革命軍は総力を挙げ、日帝・運輸省・空港公団、千葉県の平行滑走路工事強行をあらゆる手段をつくして実力で粉砕することをあらためて宣言する。
11〜12月決戦に総力決起を
十・二八戦闘の革命的意義の第一は、平行滑走路工事着工実力阻止への全人民の決起の狼煙(のろし)を上げたことである。
日帝・運輸省・空港公団は、敷地内農民の生活と闘いを一切無視して、「空港建設は国家的課題」だと一方的に平行滑走路完成攻撃に踏み込んでいる。三十二年前の成田空港建設の閣議決定の三里塚闘争の原点に返ったのだ。反対同盟は、十・二集会で平行滑走路着工実力阻止決戦の臨戦態勢突入を宣言した。全人民は反対同盟に続いて決戦態勢を強化しよう。
第二は、平行滑走路着工実力阻止決戦を、ガイドライン・三里塚決戦として闘うことを呼びかけたことである。十一月末の第二臨時国会に向け強まっている自民党・自由党・公明党の連携策動は、新ガイドライン関連法案強行成立体制の形成そのものだ。一挙に朝鮮侵略戦争発動への挙国一致体制をつくろうとする大反革命だ。
民主党もこれに続こうとしている。こうした中で、日本共産党が大転向し、挙国一致体制に飛び込もうとしている。侵略翼賛国会粉砕へ、今こそ労働者階級の底力を示す時だ。
十一〜十二月ガイドライン国会決戦に全力で立ち上がろう。
第三は、「神戸謀略論」デマ運動の破産にあえぐ現代のナチス=ファシスト・力クマルに追撃の痛打を浴びせたことである。
一九二九年型世界大恐流が現実化し、戦争と大失業の時代が今や到来している。それは、労働者階級の革命的決起とファシスト反革命の突出を不可避的に生み出す。ファシストの武装反革命を打ち砕く労働者階級の力強い決起こそがプロレタリア社会主義革命を実現する源泉だ。労働者階級の力で、力クマル反革命を打倒しよう。
革命軍は、あらためて宣言する。革命軍は、反対同盟の呼びかけにこたえて、非常臨戦態勢の戦闘配置についた。平行滑走路エ事着工時には、無制限・無制約のゲリラ戦争でこれを粉砕することを誓う。
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