日本テロゲリラ情報1998年4月22日
中核派による千葉県課長宅への爆弾ゲリラ
日共系
(らしい)団体『成田空港から郷土とくらしを守る会』HPより転載。4月22日
千葉県企画部企画課長宅に爆発物ゲリラ
今日、午前2時50分ごろ、千葉県木更津市の千葉県企画部企画課長宅で爆発音が上がり、自家用車と車庫の天井が壊れました。現場から乾電池やリード線などが見つかりました。成田空港の建設に反対する過激派の塩化ビニール製の爆発物によるゲリラ事件と思われます。
4月24日
千葉県企画部企画課長宅へのゲリラは中核派の仕業
一昨日の千葉県企画部企画課長宅への爆発物ゲリラは中核派革命軍の仕業でした。今日、都内の報道機関に犯行声明が届きました。なお、周辺の自治体では犯行のあった一昨日にゲリラに対する抗議声明を発表しています。
ブル新より転載
県企画課長宅
車庫など爆発
千葉、過激派の犯行?
二十二日午前二時五十分ごろ、千葉県木更津市八幡台一丁目、同県企画部企画課長の山ロ忠則さん(50)方で爆発音があり、車庫に止めていた乗用車と車庫の天井部分などが壊れた。現場からリード線や乾電池などが見つかった。現場の状況などから、塩化ビニールパイプ製の爆発物らしい。木更津署は成田空港に反対している過激派が県幹部宅を狙ったゲリラ事件として調べている。
中核派機関紙『前進』1853号(98年3月16日)1面より転載
千葉県企画課長爆破攻撃
4.22木更津軍報速報
革命軍は以下の軍報を発表した。(詳細4面)
革命軍は、四月二十二日午前二時五十分、千葉県企画部企画課長・山口忠則の千葉県木更津市八幡台1ー10ー7にある自宅に対して、怒りの爆破戦闘を敢行した。この戦闘によって、自宅駐車場に止めてあった乗用車を大破し、駐車場の屋根を吹き飛ばした。
革命軍は、「二〇〇〇年平行滑走路完成」攻撃を絶対に粉砕する不退転の意思を示す戦闘として、この戦闘をかちとった。山口忠別は、公団用地部と一体となって、「空港の用地問題を解決する」と称して、凶暴な農地強奪=農民殺しのために立ち働く、千葉県企画部企画課長の職にあった。この山口にターゲットを定めて戦闘を貫徹し、大打撃を強制したのである。
小川嘉吉、喜平兄弟の条件移転、加藤俊宣の条件移転や、加藤清の裏切りをそそのかした罪は絶対に許してはおかない。また、相川勝重・芝山町長を先兵とした一坪共有地強奪の策動も必ず粉砕する。東峰の開拓組合道路の強奪攻撃に手を染める反革命分子にも、必ずその責任をとらせる。
革命軍は、空港絶対反対・新安保ガイドライン粉砕の新たな三里塚二期決戦の勝利のために、無制限無制約のゲリラ戦争にうってでることを宣言する。
一九九ハ年四月二十二日
革命軍
中核派機関紙『前進』1853号(98年3月16日)4面より転載
98年二期工事再開に反撃
参戦体制構築の攻撃許さぬ
革命軍軍報
革命軍は、以下の偉大な軍報を発表した。
四月二十二日、革命軍は日帝・運輸省、空港公団、千葉県の凶暴きわまる「九八年二期工事再開」攻撃に対して、渾身(こんしん)の武装反撃戦に立ち上がった。九七年の激烈な攻防に打ち勝ち、反対同盟破壊の策動を打ち砕いて、新たな三里塚闘争を開始する闘いの重要な一翼を形成することを固く心に期して決起したのである。
農地強奪=農民殺しの張本人
戦闘の目標は、千葉県企画部企画課長・山口忠則の千葉県木更津市ハ幡台1ー10ー7にある自宅だ。企画部は、成田空港完成を担当する部署であり、企画課はその主幹課なのだ。山口はその課長を務めていた。だから、反対同盟破壊という自らの罪状を深く自覚し、全国の三里塚闘争勢力の追及を恐れていた。そのため、自宅に赤外線センサーを設置して警戒していたほどなのである。
革命軍部隊は、年頭からうち続く、中村公団総裁の「九八年二期工事再開」宣言や、相川勝重を先兵とする一坪共有地強奪攻撃、東峰開拓組合道路強奪攻撃などを企画し、実行する極悪分子・山口に心底からの怒りをたたきつけることを決意し、戦闘に立ち上がった。午前二時五十分、周到に設置した爆破戦闘装置が、正確に作動した。その威力はすさまじく、乗用車を大破し、自転車のフレームを折り、駐車場の屋根を周囲二十メートルにまで吹き飛ばしたのである。
だがこの時には、すでに革命軍部隊は撤退作戦を完了していた。戦闘突入から終了にいたるまで、国家権力のデッチあげ弾圧の口実となるものは一切残さずに戦闘を貫徹したのだ。
山口忠則を筆頭に、千葉県企画部は二期工事再開の最大の推進者であった。
二期工事が完全にストップし、成田空港の完成にまったく展望が立たない中で、九七年七月に羽田空港の沖合展開事業で新C滑走路が供用され、「空港の二十四時間運用」機能が備えられたことを機に、自民党東京都連は「羽田空港の国際化」を唱え始めた。これに「世界の大都市で直近に空港がないのはいかがなものか」と東京都も唱和し、「羽田国際化をめぐる懇談会」の設直を決めた。
これに千葉県は
〃猛反発〃した。「羽田の国際化論議で成田の二期工事に悪影響が出てはならない」と、九八年二期工事再開ー「二〇〇〇年平行滑走路完成」に突進したのだ。そのために、四月一日付の県職員の定規人事異動はきわめて異例なものとなった。県庁官僚のナンバーワン・ポストである総務部長につくことが予想されていた今泉由弘企画部長が留任したのである。その理由は、「二〇〇〇年度の平行滑走路完成に向け、九八年は大詰め」「成田を完全空港にするという大目標がある。(だから)長く現地との太いパイプを持つ」今泉部長を留任させたというものだ。こうして企画部全体が九八年二期工事再開シフトをとったのである。
また、円卓会議で合意された、運輸省と脱落派の取引機関である「地球的課題の実験村」構想具体化検討委員会(手沢弘文座長)が五月一日、最終報告を出して解散した。最終報告では、脱落派が実験村の設置場所を「平行・横風滑走路予定地上」と提案していたことを否定した。運輸省は「二〇〇〇年平行滑走路完成」を進めるために問題にもならないとした。運輸省・空港公団は、「話し合い」のべテンを終わらせ、むき出しの九八年二期工事再開に踏み出すことを内外に宣言したのだ。
「二〇〇〇年平行滑走路完成」のためには、九八年工事再開はギリギリのタイムリミットなのだ。再び、三里塚闘争は重大な決戦局面に突入したのである。
この凶暴な九八年二期工事再開を粉砕し、「二〇〇〇年平行滑走路完成」攻撃を打ち砕くことはまったく可能である。このことを確信し、勝利の血路を切り開くために革命軍は、四・二二戦闘を貫徹した。無制限・無制約のゲリラ戦争こそ勝利の道だ。
二期決戦勝利7・4集会へ
四・二二戦闘の革命的意義の第一は、五・二四ガイドライン関連法阻止の全国総結集闘争への決起を訴える戦闘としてかちとったことである。
日本という国家が、再び侵略戦争にのりだす決断し、そのために軍官民の総力をあげた国家総動員体制をつくることを目的とした周辺事態法案などを、労働者階級人民の総力で葬り去らなくてはならない。革命軍は、この闘いの勝利のために全力あげて決起することを、あらためて宣言する。
第二は、新安保ガイドライン粉砕・「二〇〇〇年平行滑走路完成」粉砕の新たな三里塚二期決戦の勝利を切り開き、日帝・運輸省、公団の「開港二十周年キャンべーン」を粉砕し、七・四三里塚東京集会への結集を呼びかける戦闘としてかちとったことである。
情勢は、日帝・運輸省、公団そして千葉県の九八年二期工事再開の凶暴な攻撃を打ち返し、三里塚闘争勢力の全力をあげて「二〇〇〇年完成」攻撃を粉砕しなければならない重大な地点にさしかかっている。新たな三里塚二期決戦への全人民の決起をかちとろう。
第三は、現代のナチス=ファシスト・力クマルの一層のファシスト化を迎え撃ち、力クマル完全打倒へと進撃することを訴える戦闘としてかちとったことだ。
「神戸謀略論」デマ運動によって、労働者階級人民の階級的闘いを破壊することを狙うファシストを全人民の力で打倒しよう。
日共系
(らしい)団体『成田空港から郷土とくらしを守る会』HPより転載。98年10月31日
中核派拠点30カ所を家宅捜索・・・県企画課長宅ゲリラで
千葉県警は30日午前、今年4月に起こった千葉県企画課長宅で起こった爆発物ゲリラ事件に関して、千葉市にある千葉勤労の会館、栗源町にある物産会社など30カ所を家宅捜索を行ないました。
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