はじめに

 ここに公開する『危険文書探訪』は、死売狂生(しうるきょうせい)がデータハウス発行の『危ない1号 VOL1』に書かせてもらったものである。危ない1号に載せられたものと異なる部分があるが、それは編集者によって手を入れられたからである。今回公開するにあたり元に戻した。

 危険文書探訪

 死売狂生(しうるきょうせい)

 危険文書について話しをしよう。ここでいう危険文書とは、主に反政府団体が発行した武装闘争の戦術や武器の製造法を述べた文章類を指す。

 ロシアやフランスといった革命的伝統のある国では、19世紀から地下で危険文書が綿々と受け継がれてきた。ネイチャーエフの『革命家の教理問答書』やブランキの『武装蜂起教範』が有名である。戦前の日本では、マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』やレーニンの『国家と革命』などが「国禁の書」とされ、所持しただけで特高警察に逮捕された。しかし、現在これらの本を危険文書とすることはできまい。

 日本では、1950年代に日本共産党がひそかに配布した一連のパンフレットが危険文書の始まりである。『球根栽培法』や『栄養分析表』が代表的なものだ。現在は暴力反対の共産党も、当時は半非合法下におかれ、過激な武装闘争を行っていたのである。戦後合法化された共産党は、「愛される共産党」をスローガンにした穏健平和路線で支持を集めていた。しかし朝鮮戦争が勃発するとともに、スターリンや毛沢東の命令で、革命情勢もないのに無理に武装闘争に突入させられたのだ。党は二派に分裂し、強硬路線をとる主流派指導部が地下に潜行し過激な非合法闘争を開始した。都市ゲリラ組織として中核自衛隊、農村ゲリラ組織として山村工作隊が結成された。最盛期には約500隊、1万人近くの武装組織を擁し、数百件の「事件」を引き起こしたといわれている。これは日本の左翼史上最大の地下軍事組織であり、また最も激烈な武装闘争であった。『血のメーデー事件』をはじめ、『白鳥警部射殺事件』『吹田騒擾事件』『大須騒擾事件』『蒲田事件』などが当時の大事件として知られている。このほかにも数々の警察襲撃、拳銃強奪、交番爆破、放火、リンチ事件などが行われた。

 『栄養分析表』は、その当時の共産党が発行した武器教本である。1951年10月に、ひそかに配布されたといわれている。もちろん『栄養分析表』なる誌名は、権力当局の目をごまかす偽装である。発行も厚生省衛生試験所になっており、共産党の名などどこを探してもみることはできない。B4判の粗紙5枚に時限爆弾、ラムネ弾、火炎手榴弾(キューリー爆弾)、タイヤパンク器、速燃紙の製造法が書かれている。ガリ版刷りの粗末なものだ。この文書は最近までかなりの人気で、治安機関の内部文書や新左翼によってしばしば復刻されている。

 時限爆弾の製造法では、時限装置、ピクリン酸や雷コウなどの爆薬、雷管の製造法が述べられている。雷管の造り方は絵入りでとても分かりやすい。これなら初心者でも作れるだろう。ラムネ弾は、ラムネビンの中で高圧のガスを発生させその圧力でビンを破裂させて、敵を負傷させるというもの。火炎手榴弾は、硫酸を利用した触発式火炎ビンである。タイヤパンク器は、文字通りタイヤをパンクさせるための大型のマキビシ。速燃紙とは火を近付けると一瞬で燃え上がる秘密文書用の紙だ。現在の新左翼は、水をかけるとドロドロにとけてしまう水溶紙を使用している。

 この本には黒い噂もある。共産党を挑発するために権力側が流した文書だというのだ。出所は米軍と旧陸軍中野学校の合作だと具体名まであげられている。たしかにそう言われて読み返してみると、おかしな点が多い。栄養分析表では、火炎ビンをキューリー爆弾と呼んでいる。この名称は、パリ解放の際に、レジスタンスがウラニウムの発見者として有名なキュリー夫妻の孫が考案した火炎ビンを使用したところからきている。周知の通りフランスを解放したのは、米軍を主体とした連合軍である。親ソ派の共産党員であれば、ソ連外務大臣の名を冠したモロトフカクテルと呼ぶであろう。それ以上に奇妙なのは、終戦直後で多数の軍事技術者や元軍人を擁していた共産党が、このような手作りの武器の製造法を解説した教本を配布する必要があったかという点である。本格的に武装闘争を行うならば、秘密工場を作って武器を大量生産すればいいのである。

 仮に栄養分析表が治安機関の流した文書だというのが事実ならば、その謀略は権力にとってとんだ赤字となった。70年代の爆弾時代には、栄養分析表を教科書にして製造された爆弾が多数使用され、日本全国を震撼させたのだ。1971年、明治公園で集会警備中の機動隊員に投擲され31人を負傷させた爆弾は、栄養分析表を参考にしてアナーキストが製造し赤軍派に供与したものだ。東アジア反日武装戦線が発行した有名な爆弾教本『腹腹時計』も栄養分析表がもとになっているといわれる。たしかに内容を見くらべるとかなりの相似が認められる。反日武装戦線のメンバーの一人は、栄養分析表を復刻したアナーキスト系出版社に出入りしていた。

 共産主義者というのは厄介なもので、爆弾1個仕掛けるにも、いちいち理論づけが必要とされる。栄養分析表とならんで有名な『球根栽培法』は、軍事問題に関する綱領的論文である。復刻版のタイプ印刷のものが比較的手に入れやすい。でも、やはりこのたぐいのものは、手書きのガリ刷りのものが風情があってよい。念のいったことに表紙には球根の絵まで描かれている。実は発禁になった共産党理論誌『内外評論』の偽装誌名なのである。他の号にも『たべある記』とか『益鳥と害鳥』といった誌名が使われている。『われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない』という副題がつき、「われわれに、なぜ軍事組織が必要か」とか「日本でパルチザンを組織することができるか」という問いに答える形で、いわゆる51年綱領の軍事問題を解説している。この51年綱領とは武装闘争路線の理論的支柱になったもので、日本は高度の資本主義国であるが植民地であり、近代的労働者1千万人以上を擁しているが人口の四割は農民の農業国であるという完全に混乱したものであった。この矛盾綱領の上に「農村が都市を包囲する」という毛沢東路線と、ロシア革命型の「都市労働者の武装蜂起」を結合させる折衷革命方式が取られた。当然のことながら50年代の武装闘争は完全に敗北した。その結果、反主流派として九州に左遷されていた宮本顕治らが党内権力を握り、共産党は武装闘争を否定し、議会主義政党へと脱皮することになる。そのため、60年代末に新左翼諸党派が本格的な武装闘争を再開するまで、危険文書はとぎれてしまう。

 もちろんこの2種類以外にも、多くの地下文献が発行された。『非合法活動について』は、『人生案内』の偽装誌名がつけられ、1950年12月に発行された。「本書は、すでに強要されている共産主義者や民族解放闘争者の非合法活動について書いたものであって、官憲の手に渡ることは極力防がなければならない。同時にできるだけ多くの信頼できる未経験の同志に見てもらわなければならない。それゆえに本書を手に入れた同志はできるだけ早く読み終えて他の信頼できる同志に手渡しするか、それができない事情にある場合には、直ちに焼き捨てること  この原則をかたく守ってもらわなければならない。」という「取あつかいについての注意」が最初にある。続いて氏名、服装、住所、仕事場、連絡、文書の処理、合法から非合法への移行などについての諸注意が本文に述べられている。しかし、現在の水準からするとまだまだ低いものだ。新左翼党派は、ゲリラ活動などを行う非合法部門は完全に地下に潜らせる。合法活動を行う部分とは、わずかな線で繋がっているのみだ。同盟員数千人の新左翼と十万人を超える共産党とを単純に比較することはできないが、「非合法体制に移行した場合、公然事務所に出入りしないこと」というたぐいの『非合法活動について』の内容はあまりにも牧歌的だ。しかし、共産党の「名誉」のため付言しておくが、指名手配された共産党幹部は数十人にのぼるが、逮捕されたのは数人にすぎず、残りは北京に亡命するかまんまと最後まで警察の手から逃れている。

 これらの文書は、地下活動家に配布されただけでなく、当時の大学の生協などでも売られていたらしい。70年代には新左翼によって盛んに復刻された。

 当時の非合法文書の一部は、現在も復刻版を手にいれることができる。内容は、武器の製造法など軍事技術に焦点を当てた「50年代共産党非合法軍事文書集成1」と、武装闘争の綱領的文書と具体的な戦術などを採録した「50年代共産党非合法軍事文書集成2」のコピー本である。1巻には、『栄養分析表』『新しいビタミン療法』『非合法活動について』『健康闘争を強化するためZ活動を組織せよ』が収められており、2巻には、『共産主義者と愛国者の新しい任務』『なぜ武力革命が問題にならなかったのか』『山鳩(一部抜粋)』『球根栽培法(われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない)』『中核自衛隊の組織と戦術』『孟子妙・講孟余話』『中核』が収録されている。

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