朝鮮における内戦誘発者の正体を暴露する諸文書・資料前書き
北のりゆき
この文は、93年8月に冥土出版が発行した冊子『朝鮮における内戦誘発者の正体を暴露する諸文書・資料』の前書きです。
遊撃インターネットに戻るはじめに
本書は、1951年に『祖国防衛全国委員会』により発行された『朝鮮における内戦誘発者の正体を暴露する諸文書・資料』の部分復刻である。ただし、全体の内容が把握できるよう、目次は原版のものを使用した。取捨選択の基準は、読んで面白いか否かという点と、分かりやすく読者が内容をつかめるようにするという点に留意して定めた。
祖国防衛全国委員会は在日朝鮮人からなる非公然団体で、祖防隊なる軍事組織を持ち、火炎ビン闘争を行っていた当時の日本共産党の指導下で過激な武装闘争を行っていた。以前発行した『50年代共産党非合法軍事文書集成4』に、この団体が発行した軍事文書『男女一代開運の秘訣』などを収録したが、警官の襲い方や武器の製造法を述べるという極めて過激なものである。実際、当時の武装闘争では、在日朝鮮人と自由労働者が最も尖鋭的に闘ったといわれている。
朝鮮戦争は、1950年の6月に始まったのだが、日本における武装闘争も、これに呼応したという面が多分にあった。GHQによる民主化も、朝鮮戦争の勃発により終りを告げ、政治情勢は反動へと向かうこととなる。憲法を無視して日本軍(警察予備隊)の掃海艇が米軍の指揮下に機雷除去作業を行い、死者まで出したことまである。
1945年8月15日の日本の敗戦により、朝鮮は独立を取り戻した。しかし、米ソ両軍により分割占領され、冷戦の開始と共にこれが固定した形で、まず大韓民国が1948年8月に選挙を行い独立を宣言、国連に唯一政権として承認された。続いて9月に最高人民会議を招集した朝鮮民主主義人民共和国が独立を宣言し、南北双方が37度線をさかいににらみ合うこととなった。南はアメリカに亡命していた朝鮮独立運動の闘士で反共主義者の李承晩(イ・スンマン)が首相となり「北進統一」を、北は抗日パルチザンのリーダーの共産主義者金日成(キム・イルソン)が主席となり「南朝鮮の解放」を唱え、互いに相手国の打倒を最大のスローガンとした。
初戦は北が南を押し、開戦後1ケ月で朝鮮半島南端の釜山に韓国軍を追いつめた。しかし、開戦2週間後にソ連が国連安保理事会をボイコットしたすきを突いて、アメリカが国連軍の派遣を可決させ、本格的に介入することとなった。開戦後2ケ月めに有名な仁川上陸作戦を成功させ、形勢は逆転する。37度線を越えて進撃し、開戦後4ケ月に中国国境の鴨緑江まで達する。しかし、このとき中国義勇軍が参戦し、人海戦術で国連軍を37度線以南に押し戻す。これ以降戦線は膠着し、停戦協定が結ばれるのは、実に開戦から3年後の1953年7月のことであった。朝鮮戦争により150万人以上の死者をだし、1000万近い朝鮮人が家を失った。また、板門店の停戦協定により、朝鮮民族の分断は固定化されることとなったのである。
本書は、北朝鮮外務省が編纂した、先に戦争を仕掛けたのは南だということを「証明」するプロパガンダ文書である。現在では、ロシアの公文書や、参戦した中国ですら先に攻め込んだのは北だと認めており、金日成が戦争を始めたということは常識となっている。当時でも、あの社会党ですら国会の北朝鮮非難決議に賛成している。本書は、その情勢に対抗して発行したのであろうが、内容はかなり苦しいものである。たとえば、最初からアメリカが北に戦争を仕掛けた罪を着せて、国連軍を派遣すること計画していたなどと述べているところがある。しかし、常任理事国のソ連が拒否権を発動すれば国連での議決は不可能となってしまう。スターリンの政治力のなさによりボイコット戦術を取ったすきに、国連軍の派遣が決められてしまったのであり、そんな事を「計画」などするはずがない。ましてや、「アメリカが朝鮮人を根絶させる計画を持っていた」とか、『1950年度の謀報工作計画』の中の「韓国を称える歌を小学生の児童に広める」に至っては噴飯ものである。なにやら「証言」させられている者もあるが、モスクワ裁判以来の共産主義国家の伝統となった拷問などの強制によるでまかせであろう。「洗脳」という言葉があるが、これは朝鮮戦争で中国軍に捕虜になったアメリカの反共軍人が、釈放されると心理操作によって共産主義者になっていたという事から起こった語なのである。
ただし、本文書中にあるように、アメリカは朝鮮戦争で細菌戦を行ったし、「北進統一」のスローガンを掲げた李承晩が北に攻め込む計画を立てていたのも間違いあるまい。その意味で、本書が述べていることすべてが事実に反しているわけではないし、文書のすべてが偽造というわけではあるまい。北のほうがことさらに南と比べて好戦的であるというわけではなく、南に機会があれば、同様に攻め込んだであろう。
本書の原本には価格や連絡先は一切書かれていない。それも当然で、武装闘争を行っていた非公然団体による地下出版物である。当時は、所持していただけで警察にマークされただろう。書店にも並ばなかったであろうし、国会図書館などにも納められていないだろう。原本に誤植を校閲した書き込みがあるところを見ると、この本は試し刷りの段階にあったものである。滞りなく印刷されたのかも不明で、あるいは世に出たのはこの原本のみかもしれない。印刷されたにせよ、ごく少部数を左派系のシンパに配布したという程度であろう。
1993年8月
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