『50年代共産党非合法軍事文書集成3 血のメーデー事件』前書き
北のりゆき
この文は、92年11月に冥土出版が発行した冊子『50年代共産党非合法軍事文書集成
3 血のメーデー事件』の前書きです。この冊子は遊撃インターネットでも通販をしています。 遊撃インターネットに戻るはじめに
本書は、1952年当時、非合法下に軍事路線をとった日本共産党がひそかに配布した地下文書の復刻である。本会の趣旨としては、できる限りオリジナルに当たることにしているのだが、残念ながら原版を入手することができず、検察庁の内部文書(部外秘)と、公安調査庁が偽装して設立した通信社が、世論操作のため議員やマスコミ関係などに少数配布した資料を収録した。両者とも入手はまず不可能であるし、原版と可能な限り照合した結果では、内容を性格に転載しているようだ。
読者の理解を助けるため、文内に脚注を入れた。また、1952年当時の日本共産党の軍事路線については、前に発行した『50年代共産党非合法軍事文書集成1』を参照されたい。なお、掲載した順序は、読みやすいように編者が任意に定めたことをお断りしておく。
危険文書刊行委員会は、今後も様々な創作活動の一助を成すため、危険文書を精力的に発掘して行く予定である。期待されたい。
1992年11月 危険文書刊行委員会
解説
1952年5月1日。第23回メーデーに参加したデモ隊の一部が、解散地点の日比谷公園をこえて進み、集会を禁止されていた人民広場(皇居前広場)に突入、ピストルを乱射し実力規制に入った警官隊と衝突し、デモ隊に2人の死者と千数百人の重軽傷者を出した。また、事件の後、千数百人が逮捕され259人が騒乱罪で、2人が暴力行為で起訴された。これは「血のメーデー事件」と呼ばれ、戦後共産党が「指導」した最大の大衆武装闘争の一つに数えられる。当時コミンフォルム(共産党・労働党情報局)から押しつけられた極左路線を進む共産党が、その軍事組織である中核自衛隊を使い大衆武装闘争をあおり、また、弾圧の機会をうかがっていた警察が先制攻撃を加えて騒乱状態となったものだ。本書では、共産主義者による大衆先導の手口や大衆武装闘争の軍事的総括などを知ることができる。
当時の共産党は、武装闘争を支持する多数派(所感派)と反武装闘争の少数派(国際派)の二派に分裂しており、現在は武装闘争に反対して九州に左遷された宮本賢治らが主流となっている。共産党の「正史」ともいえる『日本共産党60年』では、52年の軍事路線についてわずか5ページ程度で極左冒険主義の誤りとして述べられているにすぎない。また、血のメーデー事件にいたっては、まったく述べられていない。その意味でも本書は貴重な資料となろう。
メーデー事件関係の底本とした『組織者』は、共産党組織局発行の週刊誌で、オルグ(組織内の宣伝員)を中心に細胞(支部)クラスまで配布されたといわれている。一部に伏字が使われているところを見ても、完全非合法機関紙ではなく、ある程度組織が露出したところにも配布したようだ。1952年の初頭に創刊され、1954年3月29日97号で廃刊した。
予備隊、警察工作の底本とした『球根栽培法』は、北京に亡命した共産党の地下指導部に直結した理論機関紙『内外評論』の30から36号までの偽装誌名である。非合法党員の中の指導層にのみ配布されたといわれている。前号に収録した『われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない』と『中核自衛隊の組織と戦術』もここに掲載されていたものだ。ほかに『食べある記』『古書目録』『造林』『短波』『健康法』『工学便覧』『国民評論』などの偽装誌名が確認されている。
本書を一読すれば分かる通り、共産党側もかなり積極的に煽動や直接行動を行っている。しかし、本書は急成長した共産党の力をそぐことを目的として、世論工作のため権力側が流した文書を主に使用している。そのため、偽造はないまでもその選択はかなり一方的であり、無条件に鵜呑みにすることは避けなければならない。最後にこのことを、とくに強調しておきたい。
1)メーデー事件の軍事的教訓
1952年7月1日発行『国民評論』(内外評論)40号に掲載されたもの。筆者とされる大橋茂についてはすべて不明である。政治局員か少なくとも中央委員会クラスの幹部と推定される。少人数によるゲリラ闘争ではなく、大衆を巻き込んだ暴動的な武装闘争の軍事面について述べている点が極めて貴重であるといえる。
2)人民広場を血で染めた偉大なる愛国闘争について
1952年6月1日発行『組織者』11号に掲載されたもの。『組織者』10号に掲載されたものとほぼ同内容であったためこちらを収録した。
3)メーデー闘争の成果と欠陥
1952年6月10日発行『組織者』13号に掲載されたもの。これは中央メーデーではなく、暴動化した京都のメーデーの報告である。とくに『2.我々の欠陥』は、合法と非合法の接点で困難に直面した様子が如実に述べられ興味深い。
4)予備隊工作当面の重点
1951年11月12日発行『球根栽培法』(内外評論)32号に掲載されたもの。ロシア革命の教訓で明らかになったように、革命とは軍隊の問題である。いかに革命の側が軍隊を獲得するか。本当に革命を目指すならば、労農ソビエト(協議会)の掌握と共に、あらゆるものに優先して軍への働きかけを強めるべきである。その点でまだまだ不十分であるといえる。しかし、「自衛隊は違憲」などとのたまう今のサヨクに比べれば、大いに革命的であるといえよう。
5)警察工作の立ちおくれを克服するために
前出と同じく、1951年11月12日発行『球根栽培法』(内外評論)32号に掲載されたもの。あらゆる革命の歴史を振り返り、軍の獲得が革命勝利の第一条件であると同時に、警察が革命側に立ったことは一度もない。それを反映してか、予備隊工作に比べ対決色が濃くなっている。現在でも共産党は、自衛隊内に支部を作ることにはある程度成功しているが、警察内には組織的な足場を持つことには成功していないようだ。
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