過激派の爆弾』前書き

北のりゆき

この文は、2009年に発行した冊子『過激派の爆弾』の前書きです。この冊子は遊撃インターネットでも通販をしています。

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−解説−

 この冊子は、1970年代中ごろに発行された爆弾事件捜査マニュアルの一部である。出所は判然としないが、内容からみておそらく警察の内部文書と思われる。
 60年代末から70年代初頭にかけて高揚した全共闘運動は、圧倒的な警察力の前に敗北し退潮していった。しかし、その遺産として最過激派である赤軍派と党派に加わらない少人数グループであるノンセクトラジカルを多数生み出した。大衆運動である全共闘運動が機動隊の暴力により圧殺されたことから、彼らの多くは、地下にもぐり爆弾などの過激な武器を手にすることとなった。
 爆弾は、意外に構造が単純であり、ある程度の知識があれば容易に製造することができる。外殻に爆薬を詰め発火用の雷管を挿入すれば爆弾は完成する。外殻は、消火器など頑丈なものが使用され、爆薬は、農薬や肥料から容易に製造することが可能である。あまり容易に発火すると危険なため、爆薬は、ある程度安定した物質が使用される。それを小爆発による衝撃によって爆発させるものが雷管である。手作り爆弾の部品でもっとも製造が困難であり重要なものは雷管なのである。有名な爆弾教本『腹腹時計』の製造編でも、その記述の大半は雷管の製造法に使われている。
 また、盗んだ工業用雷管とダイナマイトを利用した爆弾も多くつくられた。ダイナマイトは、その特性として外殻がなくても爆発する。ダイナマイトをタバコ用の空き缶に詰めて、殺傷力を高めるためにパチンコ玉を入れた『ピース缶爆弾』が有名である。
 先に書いたとおり、この時代の爆弾闘争は、主に少人数グループであるノンセクトラジカルがおこなった。そのため、90年代のセクトによるゲリラ闘争の武器と比べると非常に手作り感の強い粗末な爆弾が多い。ノンセクトグループによる最強の爆弾は、『東アジア反日武装戦線“狼”』が三菱重工爆破・ダイヤモンド作戦で使用したペール缶爆弾であろう。これは、
8名死亡、376人を負傷させる強力な爆弾であった。しかし、この冊子で解説されている初期の手作り爆弾の多くは、爆弾の中に指を突っこんだ警官の腕をふきとばす程度の威力のものが大半であった。
 警察は、爆弾事件を重要指定事件として徹底的な捜査をおこなう。爆弾事件捜査の典型を『横須賀線電車爆破事件』を例にとって解説したい。この事件は、婚約を破棄された男が奇怪な想念にとらわれ、その恋人が以前乗車していた横須賀線の電車を爆破し、死者一人、重軽傷者十四名をだしたというものである。警察は、遺留品の回収を徹底的におこない、爆弾を包んでいた紙が毎日新聞であることを突きとめた。そのうえで活字の印刷ズレなどから配達地域を特定した。さらに使用火薬が猟銃用のものであったことから、犯人像は、その地域で毎日新聞を取り猟銃を所持している者とまで絞り込まれ、逮捕に至ったのである。
 もうひとつの爆弾事件捜査の典型は、『東アジア反日武装戦線』の一斉逮捕である。『東アジア反日武装戦線』が発行していた爆弾教本『腹腹時計』の内容から彼らの理論的な背景を確定し、そのような理論的な傾向のある集団を過去にさかのぼって徹底的に洗い出した。その時点で容疑者は、おそらく数千人程度に絞り込まれていただろう。そしてその数千人を徹底的に監視し、ついに『東アジア反日武装戦線』組織の一端をつかんだのである。さらに組織の全貌が明らかになるまで隠密尾行と監視を行い、一斉逮捕に至った。『横須賀線電車爆破事件』捜査が刑事警察の手法としたら、『東アジア反日武装戦線』捜査は公安警察の捜査手法の典型といえるだろう。
 この資料は、共産趣味者として有名な葉寺覚明氏から十年近く前に提供していただいたものである。葉寺覚明氏がどこからこの資料を手に入れたのかは、あえて聞かないでいた。ずいぶん時間がたってしまったが、ようやくこのように形にすることができた。葉寺覚明氏に深く感謝したい。

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