秘密警察の全貌
公安警察の報告文書前書き北のりゆき
この文は、98年12月に冥土出版が発行した冊子『秘密警察の全貌 公安警察の報告文書』の前書きです。この冊子は遊撃インターネットでも通販をしています。
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この冊子は昭和34年(1959年)に発行された『秘密警察の全貌 公安警察の報告文書』の復刻版である。公安警察官が忘年会の帰りに落とした作業報告書を労働組合員が拾い、資料提供を受けた秘密警察糾弾人権擁護共闘会議という団体が発行した反警察文書を原版にした。昭和33年当時の警察によるスパイ工作や組合の監視などが作業報告書をそのまま印刷したかたちで克明につづられている。プライバシーに関わるような個人名がそのまま載せられているが、原版が発行されてからすでに40年が経過しており問題ないと考えた。原版を発行した秘密警察糾弾人権擁護共闘会議と言う団体は聞いたことがないが、どうやら関西の総評労働組合系の組織らしい。
思想犯を取り締まるとされる公安警察が、日常的にスパイ工作を行っていることはよく知られている。捜査対象組織に加わっている者に金品を提供したり違法行為を見逃すなどしてスパイを浸透させるのが一般的な手口だ。まれには警察官が身分を隠して組織に潜入することもあるらしい。捜査対象組織は、過激派だけではなく、共産党や社会党などの左翼政党とその周辺組織、労働組合、市民運動、宗教団体、文化団体、要するに政府に反対しそうな団体はことごとく含まれている。警察の内部文書を読むと、組織内部に協力者がいなければ書けないような記述によく当たることがある。とくに共産党に対するスパイ工作は執拗かつ徹底的に行なわれているようで、警察スパイが県委員長になった例まである。このスパイは警察から20年以上、数千万のカネを受け取っていた。税金から支出されるスパイ工作の謝礼の総額は、1年で数百億円にのぼるといわれている。
警察が反体制団体とみなした組織に対するスパイ工作は、19世紀からさかんに行なわれてきた。レーニン率いるボルシェビキ(共産党)もスパイ汚染を免れることができなかった。ボルシェビキの国会議員団長であったマリノフスキーがロシア秘密警察のスパイであったの明らかになったのは、革命に成功し秘密警察の文書が暴かれてからだ。また、パリのセーヌ川に処刑された警察スパイが浮かぶなどということもよくあったようだ。日本でも戦前の共産党は、特高警察のスパイ『M』により壊滅的な打撃を受けているし、ついに壊滅したのもスパイに対するリンチ査問事件がきっかけであった。
もちろんこのようなスパイ工作はスパイとなった者を腐敗させるし、日常的に金品をもって裏切りをすすめてまわる公安警察官も腐敗から逃れることができないだろう。帝政ロシア最大のスパイといわれるアゼフは、革命組織の情報を警察に流すと同時に警察から得た情報を革命組織に流し自己の立場を強化し、ついに複数の政府高官を暗殺している。そこまで極端ではなくても、宴会の帰りにこの報告文書の原版を落とした警部補もスパイ工作に付きまとう腐敗と無縁でいられなかったのではないだろうか。
『秘密警察の全貌 公安警察の報告文書』が作成されたのは、昭和33年7月以降のことだ。戦後最大の大衆運動となった60年安保闘争が起こったのが昭和35年である。安保直前の準備期間といった時期に当たるだろう。このころはまだまだ革命の牧歌時代ともいえる時期であるが、ここで書かれた労働組合や大学自治会へのスパイ工作はかなりのものに感じられた。最近の公安警察のスパイ活動はさらに高度化して展開されているはずである。宝島社から出ている『公安警察スパイ養成所』がその一端を知るよい参考になるだろう。
遊撃隊/冥土出版は今後も公安関係資料の収集と公開を続ける予定である。期待されたい。
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