『薔薇の詩』解説

北のりゆき

はじめに

この文は、中南米ゲリラ戦士セルパンテス(セルンテス?)が著した爆弾教本『薔薇の詩』を紹介したものです。『薔薇の詩』は現在入手困難です。

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 中南米のゲリラ戦士セルパンテス(セルンテス?)が著した爆弾教本『薔薇の詩』の日本語版は、1968年12月に新左翼系出版物をあつかう書店でアングラ出版され、飛ぶように売れた。爆弾教本としては東アジア反日武装戦線“狼”の『腹腹時計』が有名であるが、これには反日理論、ゲリラ戦の具体的な技法、そして時限装置と雷管の製造法が述べられているにすぎず、爆薬の製造法は『薔薇の詩』などにゆずるとされている。『腹腹時計』と今回の『薔薇の詩』の両方がそろって初めて本格的な爆弾闘争が可能となろう。実際に70年代の過激派の爆弾闘争時代には、この2つが爆弾製造の教科書とされた。

 『薔薇の詩』のオリジナル版は入手が極めて困難であるが、総会屋系雑誌『構造』71年6月号に全文が転載されている。この種の雑誌は、総会屋が広告料の名目で企業恐喝のカネを得るための雑誌のなので、スポンサーにとって内容はどうでもよく、そのため極左の編集者が入りこみ、常識では考えられないような雑誌を出版したのである。しかし、日本国内で出版される全ての書籍を納本させる国会図書館では、『構造』は71年5月号で廃刊されたことになっている。編者が6月号の現物を手にしているのだから、出版されたのは間違いない。おそらく『薔薇の詩』を転載したため、存在を消されたのであろう。このため『薔薇の詩』の入手は、現在ほぼ不可能である。

 中南米革命戦争の理解を助けるため、エルネスト・チェ・ゲバラの歴史的論文『二つ三つ……数多くのベトナムをつくれ、これが合い言葉だ』と『別れの書簡』『ゲバラ年譜』を併載した。特に『二つ三つ……』は、この時期の思潮の一つを代表すると言ってもよい名論文である。アメリカのベトナム侵略の最盛期であった60年代後半の時代性と、アメリカの裏庭とよばれる中南米の地域性を考慮しつつ読んでもらいたい。これらの文によって、映画やコミックにはびこっている、ゲリラ=テロ=悪というたぐいの俗物的世界観が崩れるであろう。

 70年代に爆弾闘争を行った者は、一部の例外を除いてその誤りを認め自己批判している。単なる爆弾マニアの事件も、公安問題として警察は徹底的に追及し、大部分が逮捕され、死刑法である爆発物取締罰則の適用で処刑されている。実際に爆弾を製造しようなどと考えないよう、最後に忠告しておこう。

 

解説

 1.『薔薇の詩』

 本書の著者『セルバンテス』については、中南米のゲリラ戦士という以外全て不明である。『セルバンテス』とは小説『ドン・キホーテ』の作者名でもあり、『薔薇の詩』の諧謔なのかもしれない。

 本書を最初に翻訳し配布したグループについても、同様に不明である。赤軍派の発行した爆弾教本との説もあるが、赤軍派が結成されたのは1969年であり、『薔薇の詩』が書かれるよりも後であるので誤りであろう。ただし、赤軍派の前身であるブント内関西フラクが翻訳出版した可能性は、捨て切れない。また、『薔薇の詩』の原版であるスペイン語版や英語版の存在も確認できないので、あるいは中南米のゲリラ戦士の著作というのは偽装であり、日本人が書いたものかもしれない。本書のような大量生産が困難な手作業的な爆弾の製造法は、孤立した小規模ゲリラには適していても、本格的なゲリラ戦争には不適である点から見ても、この可能性はかなり大きいといえよう。

 仮に『薔薇の詩』が翻訳書であるとすれば、その内容はかなり改ざんされているだろう。例えば31ページで赤軍派のニップル爆弾について述べているが、中南米ゲリラ戦士が、1968年の時点でそのような物を知っているはずがない。また、ラジオコントロールによる爆弾の点火なども、正規の軍事訓練を受けたゲリラ戦士が考えるにはおかしな物だ。

 ただし以上のようなことで、本書の内容がいささかも損なわれるものではない。具体的な爆薬の製造法を記した、極左系地下文献では唯一ともいえる極めて貴重な冊子である。しかし、安全処置と対捜査の二点で若干の問題があるように思える。第一の安全処置については、線を引っ張った図と簡略な説明だけでは初心者には不親切であるし、爆薬の製造には製造者自身の生命がかかっているのだから、いち工程ずつ図を入れ安全処置やそのほかの諸注意について事細かに述べるべきであろう。実際に、『薔薇の詩』を参考に爆弾の製造をしたグループが、誤爆により工場にしていたアパートを吹き飛ばし、メンバー3人を含め5人を爆死させている(横須賀緑荘誤爆事件)。対捜査の点でも、原料の入手先について「薬品商社」というだけでは不親切であり、この薬品が何に使われるものなのか、どのような手続きを踏めば怪しまれずに入手できるのかを述べないと、完全な教科書とはいえまい。

 『薔薇の詩』は純然たる技術書であり、この本だけ読んでもゲリラ戦について深く学んだ事にはならない。いつも述べていることだが、軍事とは政治の延長であり、政治目的の実現のために図られるものなのである。すなわち、何のための爆弾であるのか、その爆弾の使用によってどのような結果が得られるのかを政治的、軍事的、階級的視点に立って慎重に考慮しなければならない。このため、反政府ゲリラにとっては、反政府たり得るある種のイデオロギーがなければならない。なぜならば、現状を維持し特権を保持することが目的の「体制」と異なり、ゲリラにとって新たな権力を確立し、変革を図るための手段としての「反政府」であり、「武装闘争」であり「爆弾」であるからだ。さらに、権力奪取後の帝国主義国家による反革命干渉に対抗する、国際連帯に基づく革命の輸出まで念頭におかなければなるまい。また、政府や権力機関の政策の変更を強制するための限定されたゲリラ闘争も、その本質は非合法の武装闘争であり、敵の戦闘力を最終的に殲滅し解体するまでは、自己が殲滅され解体される恐れがあるのだから、最終目的を政府の打倒と権力の奪取におかなければならぬことはいうまでもない。すなわち、本書に述べられている爆弾によって、いかに政府の打倒と権力の奪取を近づけるかを最大に考えなければならない。

 ゲリラとは、人民の海を泳ぐ魚だといわれる。装備や訓練で正規軍に劣るゲリラは、「人民」の不満を代弁し「人民」に支持されなければ存在することすらできない。その点で無差別的に破壊する爆弾には、弱点がある。反政府ゲリラの武装強化が人民の武装の前進であるといえるほどに、支持された闘争を作り出すことが、反政府ゲリラの当面する最大の課題であろう。以上の学習のためには「ゲリラ戦争」(ゲバラ)、「都市ゲリラ教程」(マリゲーラ・近刊発行予定)、「ゲリラ戦士の150問」(バーヨ・既刊)や、クラウゼビッツ、トロツキー、毛沢東の著作などを参照されたい。

 2、『二つ三つ……数多くのベトナムをつくれ、これが合い言葉だ』

 この論文は、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯機構執行書記局が1967年4月に公開したものである。ゲバラがこれをいつ書いたのかは不明である。本書の内容は、ベトナム革命戦争を先鋒に、収奪された第三世界の人民が同時的に立上がり、最大の帝国主義国である北アメリカに打撃を与えるという第三世界革命論である。これは、ひと昔前にヘタなエピゴーネンによってしばしば唱えられ新味がなくなってしまったが、これを語った人物が、キューバ人ではないのに進んでキューバ革命戦争に志願し、勝利の後カストロのナンバー2として工業大臣にまでなり、その地位を投げうってボリビアのゲリラ戦をたたかい、戦死したあのゲバラであるという点で、真実の光が与えられている。

 米軍がベトナム戦争に、より強力に軍事介入すれば勝利できたなとど今になって述べる者がある(例えば元グリーンベレーだとかいう柘植某のように)。これは笑うべき、軍曹の戦略とでもいうべきだろう。アメリカのベトナム介入の政治目的は、ベトナムの左翼勢力を壊滅し、親米かいらい政権を保持することによってドミノ理論による東南アジア全域の共産化を防ぎ、共産中国を圧迫し同時にソビエトを牽制することにあった。ベトナムが共産化したからといって、東南アジアの諸国がドミノ倒しのように共産化しなかったことは、歴史が証明している。中国とベトナムの歴史的な敵対関係と、中ソ対立を考えればドミノ理論の誤りは容易に悟ることができたはずである。このような誤った政治理論に導かれた軍事介入は、いくら軍事的に勝利したところで、その目的自体が誤りなのであるから無意味である。米軍が力を入れれば入れるほど、アメリカの唱える「自由主義と共産主義の戦い」が、実質的に「帝国主義と民族解放の戦い」に変質してしまい、軍事的な勝利すら不可能にしてしまった。ボーア戦争以来、侵略軍は民族解放運動に勝利できないという鉄則が確立している。なぜなら、他国に対する帝国主義支配を確立する事が目的の軍事侵略なのであるが、民族解放運動の抵抗によって、帝国主義的収奪の成果よりも出血が大きくなってしまうからである。ゲバラの本論の幹は、全世界的な民族解放戦争の高揚によって、搾取により成り立っている北アメリカ合衆国の存立を、不可能にならしめる点にあった。

 3、『別れの書簡』

 ゲバラが大臣の座を投げうち、ゲリラ戦士としてボリビアに渡る際に書き記したものだ。革命的ロマン主義の精華ともいうべき文で、現実にこのような人物が存在したことに驚きを禁じ得ない。しかし、実際にはこのような人物はゲバラ一人などではなく、彼の前と後ろに数多くの無名ゲリラ戦士が横たわっていることを忘れてはならないだろう。

 4、『ゲバラ年譜』

 ゲバラの生涯をたどるため、年表を付した。より詳しく知りたい向きには、『チェ・ゲバラ伝』(三好徹、文春文庫)、『ゲバラ日記』(ゲバラ、朝日新聞社など)を参照されたい。


『薔薇の詩』は現在入手困難です。


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