研究ノート:教材論の射程
日本語教育教材研究フォーラム ブックレット第1号所収

【キーワード】教材論 メタツール 教材史

はじめに
 
この小論の目的は教材論の捉えにくさを再考し、教材論と日本語教育教材の歴史を概観しつつ、学術分野としての「日本語教育教材研究」を定義することにある。

1 メタツールとしての教材 
 
現在、国内外で日本語教育の教材は数多く市販され、また新たに出版される点数も多い。また出版されないまでも、教育機関で独自に開発されるものや教師が個人で学習者のために作成するもの、さらには自治体で独自に企画・開発されるものも含めると、その全貌を把握することは不可能に近い。
 
かつて窪田(1989)は教材を「教授者・学習者・対象言語という三つの変数からなる緊張関係のなかに存在する」とした(注1)。これに基づいて、目標言語を仮に「教授者から学習者に与える情報」と定義すると、教授者からの情報の与え方は「教授法」という分野で発展を見、また情報の受け手である学習者の自らへの働きかけは「学習ストラテジー」として広範な研究が進められてきた。しかし両者を仲介する教材についてはその取捨選択と利用、あるいは新規の開発がなされてきただけで、アカデミズムとしての日本語教育は、これを研究対象とする機会をさほど持たなかった。
 
この理由としては、日本語教育が他の外国語教育と比して短期間に急速な発展を遂げたため、教材そのものの開発・出版こそ多くなされたものの、その本質的な研究には至らなかったことが挙げられる。しかし管見では、他の外国語教育においても、教材論としてのスタンダードな文献はさほど多くない。
 
一般に外国語教育は実学であり、たとえば高等教育においては母語以外の言語による情報を得るための手段としての側面が大きい。教材はその「手段」を学習するための手段であるから、いわば手段のための手段、メタツールになる。外国語教材がタクソノミー(分類学)以上の、学としての分析や研究を進めにくいのは、この特殊性ゆえである。

2 先行研究:外国語教育の教材論短史
 上述の理由から、外国語教育においては教材を中心に論じたものはさほど多くない。英語教育でもたとえば定番と言われるMcGrath (2002)は、自らその位置づけを "a How to book" としているし、Littlejohn (1998) が教材評価プロセスにおいて卓越した論考を示すTomlinson (eds. 1998)も英国教材開発研究会 (MATSDA)の総会における寄稿の集成であるため、その多くは教材開発に供するための実用アンソロジーの域を出るものではない。現在のスタンダードはTomlinson (eds. ibid.)の続編的な位置づけの Tomlinson (eds. 2003) であろう。寄稿者をアカデミック寄りに一新させた本書はケーススタディこそ減ったものの刺激的な教材論が多く見られる(注2)。
 日本語教育の代表は河原崎・吉川・吉岡(1992)である。主教材のみならず、120余点の教材を一貫した分析方法で俎上に載せた本書は凡人社による「日本語教材リスト」同様、共時的にも通事的にも日本語教育教材を概観するには最良の存在である。また教材史では英国における吉岡(1996)、ドイツにおけるWiennold(1980)など緻密な論考が見られるが、日本語教育は教材論全般に対しては有効なアプローチを試みてきたとは言い難い(注3)。
 しかしこのことは、教材を論じることの不毛さを説明するものではない。事情はむしろ逆である。授業は可視不可視を問わず多くの要素によって成立していると共に、その総和以上の存在でもある。有史以来、私たちがいま最も多くの道具を用いて生活していることを考えれば、教育工学の発展に見られるように、教育における道具の意義やあり方を考察することの重要性はむしろ増している。

3 日本語教育の教材史の特徴
 また日本語教育における教材そのものの歴史は、以下の4点を特徴とする。
 第一にはスタンダードな「定番」開発への試みがなされてきたことである。 国際交流基金「日本語初歩」は地域を問わず、海外における日本語教育の支援書と位置づけられ、海外技術者研修協会「にほんごのきそ」と共に広く用いられてきた。しかし「にほんごのきそ」が「新にほんごのきそ」「みんなの日本語」と着実な発展を続けているのに比して「日本語初歩」はその歴史的な役割を終えていると考えられる。これは国際交流基金の同書に対するてこ入れのなさからも明確である。またこの双璧に続く良書も多く、これらと各国事情や教授法との関連を調査することは教材研究上、意義を持つ。
 第二に日本語教育の多様化と教材開発には双方向的な影響関係が存在することである。多様化を構成する要素には学習者の背景やニーズ、あるいは教員のビリーフといったミクロなものから、各国の教育方針や言語政策などマクロなものまでが存在するが、日本語教材はそれぞれに応える形で開発されてきた。また既存のある教材に触発された教員や機関が新規のコースを立ち上げるケースもあり、教材をいわば界面とした教え手と学習者の関係、また教室と教室外の関係もまだ十分に解明されてはいない。さらに教科書の出版からリソース化に向かいつつある教材群の諸相や、教材のネットワーク化を初めとするその有用な使い方も研究すべき分野であろう。
 第三に、日本語教育に隣接する学術領域と教材に有意な関連が観察されることである。90年代以降の外国語教育学はコミュニケーション能力の研究に進展を見、いわゆる社会言語能力や社会文化能力のモデル提示や各モデルの精査に力点が置かれるようになっている。これと平行して、一部の日本語教材は言語能力の伸長のみならず、異文化理解を促したり、理解に向けてのきっかけを提供したりするようになっている。これはポストコミュニカティブ・アプローチへの試行と位置づけられ、これらの教材は、日本語教育学が近接諸分野へ学際的な橋渡しをするための媒体として機能する可能性を有する。
 第四にテクノロジーの発展と視聴覚教材にパラレルな関係が存在することである。聴覚機材としてのテープレコーダー、映像機材としての銀塩カメラやOHPは多彩なデジタル機器に発展を遂げ、現在はすべてPCに包含されつつある。日本語教育も視聴覚教材として、電力を必要としない絵・カード類や教科書準拠のカセットテープに始まり、いくつかのCALL教材に至るまで開発の経緯がある。
 ここでの問題は主として2点である。
 まず各国の状況に応じて使用可能な教材に相違が見られることである。ここには技術や所得格差によるデジタル・デバイドの問題からビデオ信号のNTSC/PAL/SECAMのような機器の定格相違まで、解決すべき課題は多い。
 次に企業側の事情で、ある機器や定格が破棄されると、それを用いた教材もメンテナンスを受けられなくなる点である。たとえばDVDに替わられたレーザーディスク教材はその一例である。筆者は近い将来、言語戦争のアナロジーの「教材戦争」としてLL教材をケーススタディにした検証を行う準備に入っている。

4 新しい教材研究に向けて
 以上の認識から、筆者は21世紀の日本語教育教材論は、以下の3点から考察することを提案する。
1)学としての教材論
 これは教材を静的なデータ・資料あるいは史料として扱う教材研究である。国内外の教材史、教授法やシラバスとの関連研究(注4)、比較教材論、教育工学の理論などがこのカテゴリーの例となろう。
2)教材分析と批評
 これは教材の批評や分析、そのための指針の確立、史的位置づけ、活用法などに関わる諸分野である。特にハードウェアとしての教材の数量と比してソフトウェアとしての利用法、活用法は教授技法の開発と平行してなされるべき分野である。
3)教材の開発
 これは教材を作成するに際しての具体的な一連の方策である。ニーズ調査や先行教材の研究、執筆、タスクやアクティビティの内容まで多岐に渡る。また視聴覚教材開発における機材の利用法もこれに関わる分野であろう。

 かつてコンピューターの研究は、ハードウェアの開発が主流であった。それはソフトウェアの研究開発に転じ、現在はヒューマンフェースの研究が大きな比重を占める。日本語教育学も教え手や教え方の研究から学習者の研究に推移しつつあるが、さらに仲立ちとしての教材研究に進歩を見ることで外国語教育全般に資するようになり、関連する分野へも有用な視座を与えられるはずである。


1)ただし窪田 (ibid.)の教材の位置づけはシンプルで可変的な Malay (1998)のそれと比して多分に観念的であり、祖述が明確とは言えない。
2)たとえば異文化理解のための教材を概説する Pulverness , 特化目的の言語教育における教材論に挑む Barnard et Zemach などは秀逸である。
3)たとえば岡崎(1989)は教材論というより教授法の実践として読むべきであり、川瀬(2001)は経験知の披露を超えるものではない。
4)McGrath (ibid.)は教材と諸分野との関係として考えるべき事項として学習者や学習方法・学習観/教育観・文化・シラバス・教授法を挙げ、さらに教材研究の方法論についても試問している。

参考文献
1)Barnard, R. & Zemach, D. (2003) Materials for Specific Purposes,
Developing Materials for Language Teaching. London: Continuum. 306-323
2)川瀬生郎(2001)「教材研究に関する考察」『日本語教育学序説』 東京:近代文芸社
3)河原崎幹夫・吉川武時・吉岡英幸(1992)『日本語教材概説』 東京:北星堂書
4)窪田富男(1989)「教科書・教材論」 『日本語教授法』 東京:おうふう
5)Littlejohn, A.(1998)The Analysis of Language Teaching Materials: inside the Trojan Horse, Materials Development in Language Teaching. Cambridge: CUP. 190-216
6)Malay, A (1998) Squaring the Circle ? Reconciling Materials as Constraint with Materials as Empowerment, Materials Development in Language Teaching Cambridge: CUP. 279-294
7)McGrath, I.(2002)Materials Evaluation and Design for Language Teaching. Edinburgh: Edinburgh University Press.
8)Pulverness, A.(2003)Materials for Culture Awareness, Developing Materials for Language Teaching. London: Continuum. 426-438.
9)Wiennold, G. (1981) The Influence of Linguistics or the Development of Teaching Materials for Japanese as a Foreign language: A Case Study (mimeographed)
10)吉岡英幸(1996)「イギリスの日本語教育の現状と課題」『講座日本語教育』第31分冊 東京:早稲田大学日本語研究教育センター