第9回 トリオ・ジャパン・セミナー

「臓器提供−現状と課題(2) 家族の声から」

 

日時:20011117日(土)13:0017:00(懇親会17:1517:55

場所:キャピトル東急ホテル「竹の間」

 

 

−プログラム−

 

 

13:0013:05    開会挨拶 荒波嘉男(トリオ・ジャパン事務局長)

 

13:0513:15    会長挨拶 青木慎治(トリオ・ジャパン会長)

 

 

<第1部 講演>

 

1. 家族の立場から

 

13:1513:40    「国内での臓器提供の体験から」                                      相馬 尋

 

13:4014:05    「米国での臓器提供の体験から」                                      千葉太玄

 

              2. コーディネーターの立場から

 

14:0514:30    「臓器提供と移植医療」                                                      大田原佳久

 

              3. システムを支える立場から/臨床医の立場から

 

14:3014:55    「臓器移植専門委員会と日本臓器移植ネットワーク」  黒川 清

 

14:5515:10              休憩)

 

 

              <第2部 パネルディスカッション>

 

15:1017:00   

「臓器提供−現状と課題(2) 家族の声から」

 

                            相馬 尋

                            千葉太玄

                            大田原佳久

                            黒川 清

 

司会      若林 正(トリオ・ジャパン)

 

17:00                  閉会挨拶 渡辺直道(トリオ・ジャパン)


相馬 尋(そうま ひろし)

 

講演「国内での臓器提供の経験から」

 

(1) 臓器提供に至った経緯

 

      ・腎臓病の息子

      ・息子への生体腎移植

      ・息子の新しい人生

 

(2) 臓器提供

 

      ・妻との約束

      ・妻の脳死と臓器提供

      ・臓器提供を終えて

 

(3) レシピエント・ファミリー、ドナー・ファミリーとしての経験から

 

      ・レシピエント・ファミリーとして

      ・ドナー・ファミリーとして

 

<ご略歴>

 

1935 317日 北海道八雲町に生まれる

1954 930日 北海道滝川東高等学校(二部)中退

195410 1日 北海道職員

         北海道滝川畜産試験場、北海道農務部農政課など、農政畑を歩む

1994 630日 退職

 

<家族の状況等>

 

19611013日 結婚(妻 大畠喜美子 1935115日生まれ)

1963 828日 長男 修一誕生

1966 317日 次男 真二誕生

          197610月   腎臓病発病(小5)

          1984 228日 人工透析開始(高3)

          19851128日 妻 喜美子から生体腎移植

                   (東邦大学医学部附属大森病院)

          1991 531日 臨床工学技士

          1995 518日 透析技術認定士

1970 5 6日 長女 聖子誕生

20001023日 妻 喜美子 くも膜下出血にて市立函館病院に入院

200011 4日 脳死となり死亡(第2回脳死判定時刻 20:08

 

<別紙資料>

 

・朝日新聞2001129日(月)の抜き刷り

・北海道新聞2001113日(土)の抜き刷り

・厚生労働大臣への要望書(2001223日)


千葉 太玄(ちば たいげん)

 

講演「米国での臓器提供の経験から」

 

1. 息子の事故から脳死まで

2. 脳死宣告された時の息子の様子

3. 脳死を受け入れた理由とその時の気持ち

4. 臓器提供を決断した理由

5. 日本の現状が遅々として停滞している理由

              厚生省と救命救急医が悪い

6. マスコミへのメッセージ

 

<現職>

 

(株)ダブリューバード 代表取締役(宝石商)

 

<著書等>

 

千葉太玄著『本当の脳死』文芸社,2001.4

 

<ご略歴>

 

193412    福島県に生まれる(本籍 宮城県)

1959 3    東京外国語大学中国語学科卒業

1959 4    丸紅(株)入社

1972 7     同   退社

              米国宝石学会留学

1973 8    (株)ダブリューバード 設立

1987 4    長男 玄山(当時23歳)留学先の米国で脳死

               心臓・肝臓・腎臓・角膜・骨等を提供

1991 3    駒澤大学仏教学部禅学科卒業

 

マスコミに訴える>

 

日本の常識となっている「脳死」について

第9回トリオ・ジャパン・セミナー(20011117)にて

千葉太玄

 

日本の世論を形成している脳死の考え方は、根本的な誤解に基づいており、本来の脳死が持つ意義とは全く異なる概念を国民に植付けて、国民に大きな誤解と混乱を与える結果を招いてしまっている。

その責任の源は、厚生労働省と救命救急医にあり、二義的には、医学界全般、法曹界、政治家、マスコミ、一部の評論家や文化人などによって形成されている日本の世論にあるので、一概に特定の個人や団体を責められるものではない。

現在、脳死の時に医師が臨終死亡宣告を行わないのは、世界中で日本唯一国のみであることを知る必要がある。欧米は勿論、台湾、韓国、ホンコン、タイなどアジア諸国でも、医師は「死者に治療してはならない」という医療倫理によって、脳死の時に毅然として臨終死亡宣告を行い、以後の治療を打ち切っている。

米国や台湾は、脳死法によって宣告している。また、英国や韓国には脳死法はないが、医師の倫理観に基づく決断を社会が受け入れている。つまり、脳死臨床現場にあって脳死判定を実行し得る日本の医師(救急救命医や脳外科医)の倫理観に問題があり、それを正せない日本の厚生労働省に不作為の罪があるのだ。

脳死の宣告後、臓器提供を拒否する家族は欧米でも50%以上と言われており、その権利を守ることは非常に重要だ。それで解るように、脳死は臓器提供のために宣告するのではない。「死者に治療をしないために」宣告するのだ。

臓器提供は、脳死とは切り離して考えるべき問題だ。腎臓や角膜、骨などは、脳死でなくても提供できる。「臓器提供のために脳死が必要なのだ」という根本的誤解を改めなければならないと思って、『本当の脳死』(文芸社)という本を世に出した。

厚生労働省や医学界が、国際常識を無視、あるいは拒否している現状では、最後に頼りになるのはマスコミしかないと考える。マスコミは、現在の世論に惑わされず、広く知識を世界に求め、日本社会で行われている、現実の死者治療をやめさせる力になってもらいたいと、心から願うものである。

 

 

【アピール】脳死死亡 家族に決めさせないで

2000.06.19 産経新聞東京朝刊 10頁 オピニオン (全971字)

会社役員 千葉太玄 65(東京都中央区)

 

 198741日の午後2時、米国の病院で、当時23歳の息子の「脳死死亡宣告」を受けた。

 宣告は、直前まで救命努力を続けていた救急医チームから、説明を含め丁寧に行われた。脳死に関する予備知識はほとんどなかったが、最善の努力を尽くしてくれたことに感謝、家族とともに宣告を受容した。

 その時、人工呼吸器によって拍動を続けている心臓を見て、臓器提供の考えが浮かんだ。摘出手術は死亡宣告の翌日に行われ、心臓、肝臓、腎臓、角膜、手足の骨などが69人のアメリカ人に提供された。

 心臓が動いている温かい身体からではあったが、死後の摘出と理解しているので後悔することはなかった。

 米国には「統一死亡判定法」という法律がある。ユタ州の実行法全文を紹介したい。

 

 統一死亡判定法(1989年) 死の定義・死の決定

 (1)次のいずれかに陥った者は死亡とする。

 a 循環機能および呼吸機能の不可逆的停止

               b 脳幹を含む全脳機能の不可逆的停止

 (2)死亡の判定は、通用している医学的基準に基づいて行われなければならない。

 

 この州法は、大統領委員会が1978年に勧告した「統一脳死法」と1980年の「統一死亡判定法」という二つのモデル法に基づいて成立したものである。この州法によって脳死死亡宣告は行われる。これが脳死なのだ。

 英国には脳死法がない。それでも、英国の救急医は脳死のときに死亡宣告を行い、以後の治療を打ち切る。台湾は米国型で脳死法があり、すでに120例の心臓移植が行われている。韓国は英国型で、脳死法はないが、これまでに57例の心臓移植が行われている。

 法律があってもなくても、「脳死は死であり、死後治療はしない。移植とは関係なく、死亡宣告を行う」。これが、救命医が倫理観に基づいて実行している国際的事実なのだ。

 日本では、2年半前に施行された移植法に基づき、臓器提供はこれまでに7例行われた。しかし、脳死を死亡かどうかの決定を法律や医師ではなく、家族が決断しなければならない残酷な制度のため、家族は「殺してしまったのは自分なのでは」と自責の念にさいなまれ、沈黙してしまうのではないだろうか。

 世界中で、死後治療を続けている医療現場は日本だけとなっている現実を、国民に知らせようとしない厚生省の罪は重い。
大田原 佳久(おおたわら よしひさ)

 

講演「臓器提供と移植医療」

 

  1. 自己紹介−私が移植コーディネーターになった経緯

  2. 過去の腎移植(献腎)と現在の腎移植

  3. 院内移植コーディネーターの設置ついて

  4. 症例提示

  5. 移植コーディネーターのありかたと移植医療の問題点

 

<現職>

 

浜松医科大学医学部泌尿器科学講座 文部科学教官 助手

 

<所属学会など>

 

日本泌尿器科学会・日本移植学会・日本腎移植免疫研究会・日本尿路結石研究会

日本電子顕微鏡学会・日本組織細胞化学会・日本不妊学会・日本組織細胞培養学会

国際移植コーディネーター学会・日本移植コーディネーター協議会・日本細胞解析研究会

 

<主な著書など>

 

大田原佳久,「尿路結石−新しいモデル」Annual Review 1995: 214-218,中外医学社,1995

伸三・宮澤七郎監修/医学生物学電子顕微鏡技術学会編『よくわかる立体組織学』学際企画, 1999(副腎皮質,尿管膀胱、男性副性器,精巣の項)

高橋公太編『臓器提供を増やすには−ドナーアクション・プロトコール』日本医学館,2001

 

<ご略歴>

 

1951 81 岡山県和気郡和気町大田原(和気清麻呂の出たところ)に生まれる

1970 3月 岡山県立和気閑谷高等学校普通科卒業

1975 3月 麻布獣医科大学獣医学部獣医学科卒業

1975 4月 ジョンソン・エンド・ジョンソンファーイースト

        リサーチ・エンド・デベロプメント(福島・須賀川)入社

1976 3月 生物科学技術研究所(浜松)毒性試験病理部 入社

1976 4月 生物科学技術研究所より 浜松医大病理第一へ研究生として入学

1978 4月 浜松医科大学医学部泌尿器科 文部技官

1980 4月 浜松医科大学医学部泌尿器科 文部教官 助手

 

<移植関連>

 

1979年 静岡県第1例目の生体腎移植施行

1980年 静岡県第1例目の死体腎移植施行

1982年 米国輸入第1例目の死体腎移植施行

1990年 静岡県で最高献腎数(1020腎)

1995年 日本腎移植ネットワーク発足

     静岡県移植コーディネーターが決まる(焼津総合病院 鈴木氏)

1996年 静岡県院内移植コーディネーター協議会発足

    浜松医大院内移植コーディネーターとして本格的にコーディネーター活動を開始

1998年 厚生省「腎移植情報収集モデル事業」参入

1999年 厚生省「臓器再生医療等研究・北川班研究」参入

2000年 厚生労働省「ヒトゲノム再生医療等研究・大島班研究」参入


黒川 清(くろかわ きよし)

 

講演「臓器移植専門委員会と日本臓器移植ネットワーク」

 

 臓器移植専門委員会にて脳死臓器提供、あるいは臓器移植の「検証」に携わってきた経験や、何度も討論されながらなかなか進展しない第三者検証機関の問題、そして日本臓器移植ネットワークのブロックセンター長として、他の演者のお話を受けてお話をしたい。

 加えて、日米双方の教育、研究、臨床活動に携わってきたこれまでの歩みや、人工透析や移植との関わり、そして医学部長としての大学での教育への取り組み、厚生労働省の各委員会におけるこれまでの活動等についてお話をしたい。

 

<現職>

 

東海大学医学部教授・医学部長

日本臓器移植ネットワーク関東甲信越ブロックセンター長

厚生労働省 公衆衛生審議会 成人病難病対策部会 臓器移植専門委員会(委員長)

 

<主な著書など>

 

黒川清・田辺功著『医を語る』(西村書店)

 

この他、『内科学』文光堂・『腎臓学』南江堂・『腎臓病学』医学書院・『EBM現代内科学』金芳堂・『臨床検査データブック』医学書院・『診察マニュアル』南江堂・Clinical problem-solving collection』南江堂など、内科学・腎臓病学の著書・監訳・監修・共著多数。

 

<ご略歴>

 

1936911日 東京都に生まれる

1955年 成蹊高等学校卒業

1962年 東京大学医学部卒業・第一内科入局

1967年 東京大学大学院医学研究科修了(医学博士)

1968年 東京大学医学部第一内科助手

1969年 ペンシルバニア大学医学部生化学助手

1971年 UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)医学部内科上級研究員

1973年 UCLA医学部内科助教授

1974年 南カリフォルニア大学医学部内科準教授

1977年 UCLA医学部内科準教授

1979年 UCLA医学部内科教授

1983年 東京大学医学部第四内科教授

1989年 東京大学医学部第一内科教授

1997年 東海大学教授・医学部長

1998年 東京大学名誉教授

 

<主な学会など>

 

日本内科学会:理事長(平成24年度)、会頭(平成7年度)、監事(平成8年度)

日本腎臓学会:理事(昭和63年〜)、会長(平成5年)、理事長(平成9年〜)

日本臨床代謝学会(日本分子医学会):理事(平成元年〜)、会長(平成8年)、理事長(平成10年〜)

日本透析医学会:理事(平成5年〜)、会長(平成10年度)

日本骨代謝学会:理事(平成3年〜)

国際腎臓学会:理事(平成27年)、副理事長(平成79年)、理事長(平成911年)

国際内科学会議会長(2002年度)、日本学術会議会員(平成9年〜)・副会長(平成12年〜)

カリフォルニア州医師免許,米国内科専門医,米国内科腎臓専門医

American Society for Clinical Investigation; Association of American Physicians; Master, American College of Physicians (1996-); Institute of Medicine of the National Academies of the USA(1997-); Member of the InterAcademy Council(2000-)

目次

 

開会の辞(荒波嘉男事務局長)... 8

会長挨拶(青木慎治会長)... 8

 

第一部 講演.. 9

 

1. 家族の立場から.. 9

「国内での臓器提供の経験から」相馬尋.. 9

息子の腎臓病と妻からの腎移植... 9

妻との約束... 10

地方の医療事情... 10

2度ドナーとなった妻のドナー・ファミリーとして... 10

 

「米国での臓器提供の経験から」千葉大玄.. 11

米国での臓器提供の実際... 11

アメリカ(ユタ州)の法律... 14

社会の優しさとシステムの根幹... 15

 

2.コーディネーターの立場から.. 16

「臓器提供と移植医療」大田原佳久.. 16

ネットワーク設立の意味... 16

移植医療の進展... 17

移植コーディネーターとは... 19

脳腫瘍の患者さんの臓器提供... 22

くも膜下出血の患者さん−提供する意思を活かす... 23

医療従事者の意識... 24

これからのコーディネーションのありかた... 24

 

3. システムを支える立場から/ 臨床医の立場から.. 26

「臓器移植専門委員会と 日本臓器移植ネットワーク」 黒川 .. 26

日本の常識と世界の常識... 26

報道のあり方... 28

ネットワークのあり方... 29

日本の国家予算のあり方... 29

 

第二部 パネルディスカッション.. 31

「臓器提供とそれを支えるもの」.. 31

誰がいかに臓器提供の説明をするのか... 31

生命の不平等−都会と地方の格差... 32

各国の医療制度... 33

医師の研修制度とプロ野球... 34

日本の「プロ」... 35

「亡くなる」ことを切り出す... 36

医師という職業−脳死判定基準の「6時間」... 38

亡くなることと提供すること... 40

生体肝移植の現状と各国の臓器提供... 41

移植医療の経験から... 41

ドナー家族のケアと支援... 42

移植がかなわなかったご家族の声... 43

提供するということ... 44

なぜ移植医療が進まないのか、という観点... 44

閉会の辞(渡辺直道運営委員)... 45


第9回トリオ・ジャパン・セミナー

「臓器提供−現状と課題(2) 家族の声から」

 

若林 皆様、本日はお忙しい中、トリオ・ジャパンのセミナーにお越しくださいまして、どうもありがとうございます。私が今日、司会を担当させていただきますトリオ・ジャパンの若林と申します。1996年に日本で母親からの生体肝移植、1998年にアメリカで脳死からの肝臓移植を受けております。本日は長時間のセミナーですが、皆様どうぞよろしくお願い致します。(拍手)

 昨年は実際に国内での脳死の臓器提供を経験された救急医・脳外科医の先生方にお集まりいただいて、パネルディスカッションをしていただいたのですが、今年は日本、そしてアメリカで実際に臓器提供を経験されたご家族、現場のコーディネーター、そして厚生労働省の臓器移植専門委員会で委員長をされている黒川清先生をお招きしております。日本の臓器提供について、日本の移植医療について考えてみたいと思いますので、よろしくお願い致します。

 それでは初めに、トリオ・ジャパン事務局長の荒波嘉男より開会のご挨拶を述べさせていただきます。

 

開会の辞(荒波嘉男事務局長)

 

荒波 ご紹介にあずかりましたトリオ・ジャパンの荒波と申します。よろしくお願い致します。ただいまより第9回トリオ・ジャパン・セミナーを開会致します。本日は皆様お忙しいところを多数お集まりいただきまして、誠にありがとうございます。

 今、司会の若林からも申し上げましたように、昨年の第8回セミナーは、病院の医師の発言による「臓器提供の現状と課題」でありました。今年は、「臓器提供の現状と課題」のパート2として、「家族の声から」とさせていただきました。さらに申し上げますならば、一昨年のテーマ「いのちを見つめる」に始まります3回のセミナーが連動したものとも言えます。

途中休憩が入りますが、4時間の長丁場となります。皆様、どうか最後までよろしくお願い致します。開会に当たりまして、臓器提供をしてくださいました方々への感謝とご冥福をお祈りしまして1分間の黙祷をさせていただきますので、よろしくお願い致します。

黙祷。

 黙祷、終わります。では、よろしくお願い致します。

 

若林 続きまして、トリオ・ジャパン会長青木慎治よりご挨拶を申し上げさせていただきます。

 

会長挨拶(青木慎治会長)

 

青木 皆さん、こんにちは。今日はお忙しい中を遠方からもたくさんの方にご出席いただきましてありがとうございます。なぜこういうセミナーをこの時に開いたのか、この辺を少しお話をさせていただいて、私の挨拶に代えたいと思います。

 私、数ヶ月前に総ビリルビンという検査数値の一項目が大変上昇しまして、このまま放っておくと生命にも関わるということで、松波英寿先生という大変アグレッシブな移植医がおられます岐阜の松波病院と言う素晴らしい設備を持った病院に急遽入りました。松波さんから「青木さん、放っておくとえらいことになるから思い切って血漿交換やろうや」と言われたんですが、私は血漿交換と言われても「うーんどんなものなんだろうな…」と思っておりました。実際、やってみると、私の古い血をどんどん出して、新しい血液を体の中に入れるわけです。それが何パックもあって「こんなに血が入るものかいな」と思ったものです。

 そして、ベッドで呻吟(しんぎん)している間に考えましたのは、一向に臓器移植の医療が進まない。私の生命のある間に少しでも目処をつけたいということでした。法律ができるまでにも随分時間がかかりましたし、確かに法律はできて、私が15年前にサンフランシスコで肝臓移植を受けた時から考えると隔世の感を抱くのですが、やはり臓器移植の医療は進まない。これが今回のセミナーの動機でございます。

 ドナーの方にはプライバシーの問題があるものですから、ご自身を世にさらすということがない。そうした臓器を提供された方の経歴も人々に伝わらない。この辺も、あるいは日本で移植医療が定着しない理由の一つなのではないかと考えておりました。病気と闘っている間というのは、ひとつのことばかり考えるものです。

 事務局長の荒波嘉男さんとも、「嘉男くんどう思う? 何かこの辺にも一つの問題解決の道があるような気がするんだけれど…」という話をしておりました。そして、事務局のほうでいろいろ考えた末に、このようなかたちになったわけです。私たちレシピエントはこのように顔もさらし本も書き、皆さんに対して「こういうことで移植に至った。移植を経験してみて分かったことは、こういうことなのだ」ということをつらつらやってみているのですが、ドナーのご家族のお話を直接生で伺うことはいまだかつてありませんでした。ドナーのご家族が、ご自身のお顔も、ご自身のプロファイルも皆さんの前に出して、世の中の人々に伝える。そういう結果、何か違うものが芽生えるのではないだろうか。

 このような思いで、事務局長と私との意見が一致しまして、ドナーのご家族の方々の体験談などを実際にご本人からいろいろ聞かせていただきたいということなのです。

移植医療が日本中の移植を許可されている医療機関で少なくとも年に100例か150例は行われなければ、待っている患者はもうこの10倍も20倍もいらっしゃるわけですから、残念ながら移植が受けられなくて、むざむざと命を落とされるという事例が非常に多いのです。

 だから、今日のような催しをして、皆さんのご認識を高めていただきたい。少なくともここを発信地に、皆さんからご家族の方やお友達に伝播されていっていただきたい。

そして、私も手近なドナーになり得る一人なのですが、私の場合少し年を取っているのと、C型ウイルスが体内に50万とか100万とかいるようなので、ちょっとドナーになり得るかどうかは分かりませんが、必ず人間の生命はいつかなくなる。これは仕方のないことなのでして、そのときに何を残して自分は世を去るのか。そういうことを考えれば考えるほど、やはりドナーの方々の顕彰、そしてドナーの家族の方々への尊敬。そういうものをはっきりと世の中にも示さないと、いつまで経ってもこの医療は定着しないのではないかと強く思いまして、今日の運びに至りました。

 私から申し上げるまでもなく、ご当人が今日はお2人も来ていただいて、そしてコーディネーターとして日夜現場にいらっしゃって苦労しておられる大田原さん。そして医学界との接点である黒川先生のお言葉で、皆さんにアピールをしようというわけでございます。

どうぞ最後まで、皆さんのリアルなご発言を聞いていただいて、何かのお役に立てていただきたいと思います。どうもありがとうございました。今日は、ごゆっくりお聞きください。(拍手)

 

第一部 講演

 

若林 それでは第1部を始めたいと思います。まず、相馬尋さん。200011月4日にお亡くなりになられた奥様の臓器提供を経験された相馬尋さんに、「国内での臓器提供の経験から」ということでお話しいただきます。

それでは相馬さん、よろしくお願い致します。

 

1. 家族の立場から

「国内での臓器提供の経験から」相馬尋

 

相馬 ご紹介いただきました相馬でございます。どうぞよろしくお願い致します。

私は昨年の11月4日、病気で妻を失いました。彼女を失いましたことは悲しいことでした。しかし、同時に多くのものを得られたと思っております。今日こうして、自らの体験を皆様にお話しできる勇気もその一つであると思っております。もちろん、自らの体験をお話しすることについては、随分思い悩んだこともあります。従来、原則とされている匿名性ということをいわば越えることによって、迷惑を掛けることにはならないか。とりわけレシピエントの方の心の負担にはならないのか。そういうことを自問自答しながら、今日の日を迎えております。

 息子は16年前にレシピエントでした。昨年は妻がドナーでした。妻は2度のドナーを経験しております。このようなことから、私はレシピエント側とドナー側の双方の苦悩を理解しているつもりでおります。私が今日お話をすることによって、多くの方が臓器移植について考えるきっかけになってほしいと願っております。私の今回の行為に対してご批判がもしあるならば、私はそれを甘受する覚悟はできております。今日は報道の方もお見えになっていると思います。もし今日のことが報道されるとしたならば、どうぞレシピエントの方の心の負担が少しでも軽くなるようにご配慮をしていただきたいと思っております。どうぞよろしくお願い致します。

 

息子の腎臓病と妻からの腎移植

 

 私には3人の子どもがおります。次男が腎臓病を発病したのは小学校5年の時でした。ずっと治療を続けておりました。新薬が出たというと、承諾書を書いていろいろな治療をしていただきました。しかし、腎機能は徐々に低下して、血圧上昇、食欲低下、嘔吐、頭痛など、症状がますます激しくなって、高校3年の時にはついに人工透析を受けるようになりました。1日に摂取できる水の量は、当時は180cc、たった1合の水でした。これは薬を飲むだけの水、というようなことが続いておりました。大学に通っていた当時は更に病状が進み、夜中に呼吸困難や何かで緊急の人工透析を受けるために、病院に担ぎ込まれたことが何度もあります。あと数時間遅れたら、生命が危険だったということを何度も経験しております。

 当時、私は300km離れた地方へ単身赴任をしておりました。家内が父親の代わりといいますか、そんな役目もし、子どもの健康管理も含めて、全てのことに掛かっておりました。妻のこのような苦労は、想像するに余りあるものだと思っております。

 そのような息子に、最後に私たちは何がしてやれるだろうと考えたときに、妻と相談して生体腎移植の道を選択致しました。東京への転勤を認めていただきました。それから約1年後、昭和601128日、東邦大の長谷川教授のもとで腎移植を受けました。

 移植された妻の腎臓は、血管をつないでから3分後にはもうおしっこを出してくれました。手術室から出てきた息子は、昨日までは1滴のおしっこも出てなかったのです。それが手術室から出てくる時には、尿の袋に3分の1もおしっこがたまっておりました。本当にこれは生涯忘れることのない感激だと思っております。その後、息子は働きながら臨床工学技士の資格を得て、今は透析を受ける患者さんたちを支えております。このようなことは、私たちにとりまして、何物にも代え難い大きな喜びだと思っております。

 彼のこの新しい人生は、移植医療によって初めて可能であったことだと思っております。1日にたった1合の水しか摂れなかった、水を摂ることへの制限。それで苦しんでいた息子が、今は私とビールを酌み交わすこともできるようになりました。結婚することもできました。子どもも授かりました。移植前の最悪の状態の時は、本当に10歩か20歩しか歩けないほど体が弱っておりました。その時のことを考えますと、全く夢のような現在だと思っております。

 

妻との約束

 

 妻は私と40年連れ添っております。彼女は「もし脳死になったときは延命治療は要らない。臓器移植でなければ生きられない人のために、自分の臓器を使ってほしい」と言って、私にその意思を託しておりました。それを守ることが私との大きな約束でした。

 昨年の1023日、数日前から頭痛を訴えておりましたが、近くの診療所で診療を受けて帰宅してまもなく、居間で倒れました。救急車で病院へ運ばれました。くも膜下出血と診断され、入院後CTやMRIの検査を何度も受けております。しかし、ついに出血の個所を特定することはできませんでした。一時意識の回復もありましたけれども、113日早朝、3度目の出血があって、ついに呼吸停止となってしまいました。早朝の345分だと思います。

 その時に、主治医からCTの写真を見て説明を受けました。そして、ほとんど回復の見込みがないことを告げられました。多分、朝の6時少し前だと思います。子どもたちには私から、「おまえたちの意見は聞くけれども、最後は私の判断に従ってほしい」ということを告げて、妻との約束を守ることを了解してもらいました。

 移植コーディネーターの説明は1010分ごろからだったと思います。12項目にわたっての詳しい説明。承諾書に署名を終えたのは、多分11時を過ぎていたのではないかと思います。長い長い、空虚な時間だったと思っております。さらに、脳死判定を終えるまでの間はとてもつらいものでした。しかし、これを終えなければ彼女との約束は守れないのです。

 妻との別れは悲しいことでした。しかし、妻の最期を看取ることができた。彼女との約束を守ることができた。そして、彼女の意思が障害で苦しんでいる人を救うことができるというこれらのことが、悲しみを喜びに変えてくれるのだと思っております。彼女の体の一部が、息子などの健康を支えていることは幸せであると今でも思っております。

 第2回の脳死判定が終わり、臓器摘出を待っていた時のことです。多分夜中の1時頃だったでしょうか。移植コーディネーターの方から「移植医は明朝、京都を出発する。臓器の摘出は午後になります」ということを知らされました。私はそれを聞いて愕然としました。臓器移植法の第2条に「提供に関する意思は尊重されなければならない」というこの基本はどこにあるのでしょうか。呼吸停止をして、その時は既に30時間以上の時間が経過しております。提供する臓器が使えなくなるということは、一人でも多くの障害で苦しんでいる人を救いたいという妻の意思を生かせないことになる。とてもつらいことだと思います。

 

地方の医療事情

 

 心臓の移植施設は、ご存じの通り東京と大阪にしかありません。このような中で、どうしてなのでしょうか。移植医を全国に派遣できるような仕組みを作れないのでしょうか。地方で提供された臓器はどうして生かせるのでしょうか。

 当時、私の所には新聞社の方から取材の申し込みが来ておりました。その中で、取材の意図や何かを詳しく書いて申し込んで来た方には、私は取材に応じてこれらのことを世に訴えました。今日、配布されている資料の中にある新聞の記事がそれです。そして私は厚生労働大臣へも改善の要請を致しました。

 私たちは息子のこともあって、早くから自分たちの行く末については話し合っておりました。86年には腎臓提供カードを持って献眼登録もしておりました。97年に臓器移植法が施行された時には本当にほっとしました。しかし、昨年暮れ、妻が脳死となって臓器提供をした時に、初めて法律の周辺環境が未整備であるという現実を思い知ることができました。とてもつらいことでした。しかし、その反面、私たち医療を受ける側としても、地方の臓器移植が困難である現状の改善を求めなかったことも、私は反省をしなければならないことではないかと思っております。

 

2度ドナーとなった妻のドナー・ファミリーとして

 

 16年前、息子から妻へ腎移植を受けるまでの間、とてもつらい日が続いております。息子はもっともっとつらい思いをしていると思います。息子の生命の火が消えるのではないかという不安はとても苦しいものでした。しかし、彼女の腎臓移植によって、この不安は解消されました。家族みんなが幸せになることができました。移植医療によって得られたこの幸せを、心から感謝しております。

 2度ドナーとなった妻のドナー・ファミリーとして今思うことは、手を差し延べられるほうが、手を差し延べる方よりもっとつらいということを今実感しております。レシピエント側は、長い間とてもつらい期間を経験しております。これは、経験した者でなければ分からないことかもしれませんが、ぜひこれを多くの方に理解してほしいと思っております。

 私は妻の臓器提供を、特別なことをしたとは全く思っておりません。妻は過去の経験から、自らの意思を私に託したのです。私はそれを申し出ただけのことです。これは国民のためにある臓器移植法という法律に基づいてのことです。彼女の意思を十分に果たせなかったことは残念ですが、関係者が精一杯の努力していただいた結果ですので、これはやむを得ないと思っております。しかし今後、尊い決断によって提供された臓器が、必ず生かされるように臓器移植法の附則の第2条によって、早期に見直しが行われることを願っております。

 愛する家族との別れは、とてもとても悲しいことです。しかし最後の望みをかなえてあげる。そして苦しんでいる人への愛の贈り物は、この悲しみを喜びに変えてくれると思っています。

 最後に、今日のこの機会を与えていただきましたトリオ・ジャパンにお礼を申し上げますと共に、今日の私の話を聞いていただきました皆様に心からのお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。(拍手)

 

若林 相馬尋さん、本当に貴重なお話をありがとうございました。演題こそ「国内での臓器提供の経験から」となっておりましたが、今お話にありました通り、相馬尋さんは手を差し伸べる側、そして差し伸べられる側、ドナーとレシピエント両方の立場を経験されて、そして経験された方でしか語り得ない貴重なお話をしていただきました。

 今日は多数のメディアの方がいらっしゃっていますけれども、テレビ、新聞、ラジオなどで取り上げられるのは、ドナーの匿名性など、いくつかのルールや法律ということばかりが強調されて、今相馬さんがお話しになってくださったこととは、別の事柄ばかりなのではないでしょうか。本当にドナーやレシピエントのご家族がどういうことを伝えたいのかということを、改めて教えていただいたようにも思います。本当にありがとうございました。

 

 それでは続きまして千葉太玄さん。1987年7月1日にアメリカに留学中のご長男を亡くされて、臓器提供をご経験された千葉太玄さんにお話を伺います。それではよろしくお願い致します。

 

「米国での臓器提供の経験から」千葉大玄

 

千葉 千葉でございます。よろしくお願いします。私は15年ほど前に留学中の息子を、留学先の学校で、学園祭の晩に少し高い所から転落して、のちに脳死の宣告を受けました。その時に心臓、肝臓、2つの腎臓、手足の骨、角膜等を提供致しまして、多くのアメリカの方々のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)を高めることに役立つことができました。

 そして日本に帰ってきて、臓器提供とか移植という環境を見聞きしていますと、アメリカと非常に大きな違いがある。何でその違いが埋まらないのだろうか。一番簡単なことで申し上げますと、私の息子が死んだ時には心臓の提供は1,512例あったと医師から教えていただきました。つまり、1987年ですら、私の体験というのは1,512分の1だったのですけれども、今現在アメリカでは年々3,000例ぐらいの心臓提供があると聞いております。これを365で割りますと1日平均8人ぐらいの提供があるわけです。

 日本では移植法ができて丸4年たちましたけれども、提供された方がただいまの相馬さんを含めてやっと15人だと、アメリカのたった2日分を4年もかかっている。この違いはなぜだろうか、ということを考えていただける(よすが)になればと思いまして、アメリカでいただいてきた資料をスライドで見ていただきながら、私の体験を話させていただきます。

 

米国での臓器提供の実際

 

 アメリカの病院では、いろいろなものを資料としていただいて参りました。その一部を紹介致します。以下のスライドは病院の総合的なリポート(退院サマリー)です。あまり細かいからよく読めないかも分かりませんけれども、ここの所に328日に病院に入り、41日に病院から出たと書かれております。この4月1日に私は脳死の宣告を受けたのですけれども、総合的なレポートの中で、臓器提供については一番下の所に書いてあります。331日の夜に血圧が非常に下がって、諸般の努力をしたけれども効果がなくて翌朝脳死と判定されたと書いてあります。

 翌朝というのは4月1日の朝のことですけれども、私たちは朝10時半の面会時間に病院に行った時に、病院の先生から、「昨夜、非常に危篤のような状態になったので今朝は面会できません。そしてalmost hopeless、最後のテストをやっているので、こちらから連絡があるまでホテルで待機していてください」と言われて、いったんホテルに戻って待っておりました。待っている間に、今度連絡があったときには死亡宣告であろうと、朝の説明の時に死亡予告的な説明があったものですから、かなり心の準備ができておりました。そしてこんなところで死んでしまったら、どういうふうに葬儀をするのか、日本にはどんな形で連れて帰ったらいいのかということを考えているうちに、2時少し前に呼び出しがありまして病院に行きました。

 宣告されたことは、「脳波が平坦になって死亡です。脳死という死亡です。いかなる回復の手段もなくなりましたから、治療はこれで打ち切ります。人工呼吸器が付いているからまだ呼吸していますし、温かいけれども、あなた方の気持ちの整理がついたら、いつでも呼吸器を外しますから」そういう説明を受けましたので、「あ、死亡宣告だな」ということがはっきり分かりました。

 その時まで臓器提供なんていうことは、全く私の頭の中になかったのですけれども、突然、「そうだ。この子は大変健康な体だったんだから、心臓をもらって役に立つ人がいるのだったら差し上げたい」と思いました。本日は娘が来ておりますけれども、あの時はその娘と私の妻と3人おりましたので、3人で臓器提供をしようと話し合って、提供の申し込みをしました。

 そうしましたら、救命の医師が「この人は脳死を理解したな」と思ったのでしょう。私たちに「そのお話は、私たちとは別の医師たちと話し合ってください。私の方からそのことはお伝えしておきますから」ということで、またいったん帰りました。3時間ぐらいあとにまた呼び出しがありまして病院に行きました。今度は、救命の医師は現れなくて、臓器の移植をする立場の医師が3人いらっしゃって、「いろいろ検査したら非常に健康な体なので、アメリカの医学のためにぜひ役に立たせてください」というお話がありました。

 左のスライドは、臓器提供の承諾書です。私は他の所はだいたい分かったのですけど、ここにあるvascular(血管系の)の意味だけがなかなか分からなくて、一生懸命何回も何回も聞きました。辞書も持ってなかったのですが、最後には心臓とか肝臓のことなんだなという思いでサインしました。そのとき、ここにtotal bodyと書いてあるのです。「使える臓器は何でも使ってください」と言ったのですけれども、やはり少し分かっていない部分もありました。この承諾書を書いた時点で、もう既に死亡は確定していたわけです。そのことはまた次のスライドで説明させていただきます。

 このスライドは臓器摘出の手術記録ですが、ここのDATE OPER.(手術日)が、4月2日になっています。この4月2日に、どういう臓器を摘出したかという内容が書かれております。心臓とか何かを採られたドクターはここにサインしているDr.Deierhoiだったわけです。臓器を摘出した後、最後に骨の摘出が、別の医師Dr. Diethelmという方によって行なわれたと書かれています。死んだのは4月1日ですから、4月2日に摘出の手術をしたということ、つまり、死後の摘出だということがはっきりとよく分かるので、後悔する種にも何にもならないでいるわけです。

 

 転落事故で亡くなったものですから、臓器摘出の手術をしたあとに検死病院に送られました。そこでいただいた検死レポートが上のスライドです。ここで初めてDATE & TIME OF DEATHということが書かれておりまして、4月1日の14時と書いてあります。4月1日午後2時は救急病院で脳死の死亡宣告を受けた時間です。さっきのリポートに「朝、脳死と判定された」と書いてあったのは、第1回目の脳死判定だったと思うのです。私たちが行って「最後のテストをしています」ということは、その次の第2回目の脳死判定をしていた時間であったろうと思うのです。第2回目の脳死判定をしたあとに私たちが呼ばれていって、この時刻に死亡の宣告をされて死亡が確定したということです。

 検死レポートには2つの図が付いておりました。左は頭の図ですけれども、ここが救急病院に運ばれた直後に緊急手術をして血腫を取り除いた縫い跡です。転落したために、両方の目のところは黒くなっていましたけども、ここは目の奥に何か薄い骨のようなものがあって、そこが内出血するらしく、そういう跡です。

 右の図は体の正面と後ろ向きの写真です。ここにこういう縫い跡がありますが、これが心臓とか肝臓とか内臓を採った縫い跡です。そしてこちらに手足の骨を採った縫い跡が、このように書かれてありました。この手足の骨は整形手術用に保存されていて、長い間のうちに63人のアメリカの方々に役立ったという報告を受けています。

 これはアラバマ州政府が発行した死亡証明書です。ここに医師が記入する欄があるのですけれども、ここにも死亡日時が19874月1日午後2時と書いてあります。これは検死のレポートと同じですが、これを書いた医師は先程の検死のレポートをいただいたDr. Brissieでした。ですからここの欄は、死亡宣告した救命医が書くのではなくて、救命医からのリポートに基づいて、検死を行った検死の先生が書くということが分かりました。

 私たちは410日に日本に帰ってきたのですけれども、それからしばらくして届いたのが次のスライドで示します手紙がコーディネーターからの手紙です。4月7日の日付でした。3つの部分に分かれていまして、最初に提供したことに関する感謝の言葉が書かれております。次に、たとえば「1つの腎臓が25歳のダルトンと言うところから来た男性」とか、「もう1つの腎臓が23歳のハミルトンから来た男性に移植された」ということが書いてありまして、「すべてのレシピエントは快方に向かっています」と、どういう臓器がどのように使われたかという内容が書かれています。

 最後のところには、「年が経つにつれて、このような行いをしたことが、きっとあなたの慰めになるでしょう」ということが書かれてあります。もう15年経ちましたけれども、in the years to comeという時間の経過と共に、息子がこういうことをしてくれて本当に良かったという思いが募っております。

 そして、息子は現実にアメリカで、七十数人のアメリカの人の役に立ちましたけれども、それだけではなくて、日本の社会で助かる方法があるにもかかわらず、社会がそういう助ける道を作ってくれないがために死んでいっている患者さんたちのために、まだまだ息子の仕事は続くという思いがしているわけであります。次のスライドをお願いします。

 これは、死ぬ直前に友達と一緒にギターを弾いている息子の写真です。次のスライドをお願いします。

 今までお話させていただいたのは、私の子どもの死に関する体験でございますけれども、第2部のディスカッションでぜひ話題にしていただきたいスライドを2枚見ていただきたいと思います。

 

アメリカ(ユタ州)の法律

 

 

これはユタ州のUniform Determination of Death Actという法律でございます。この下にあるのは、短縮名でこの法律をこういうふうに呼ぶ、ということです。次にアメリカのどの州でこの法律が実行されているのかが書かれているのですが、重要なのはその次です。ここにDefinition of death(死の定義)””determination of death(死の決定)と中見出しが書いてあります。そして、このDefinition of deathの説明がこの(1)に、determination of deathの説明が(2)にあります。

 (1)には、従来の(a)呼吸・循環の機能が不可逆的に停止した場合と、(b)脳幹を含む脳全体の機能が不可逆的に停止した場合のいずれか、either (a) or (b)に陥った者は死とするという定義がきちんと書かれています。そしてそれをどのように定めるかというdetermination of deathがこの(2)で、受容されている医学的な基準に従って決定されると簡単に書いてあります。これは日本で言えば、厚生省の竹内基準みたいなものです。

 私はあとでも言いますけれども、何で日本は判定基準のところだけやって、脳死の定義をおろそかにして、きちんとしないのかという疑問を持っています。そこのところをマスコミの方々に分かっていただきたいと強く思っているわけです。次のスライドをお願いします。

 

社会の優しさとシステムの根幹

 

 これは18人の赤ちゃんの写真ですが、ロマリンダ大学と言う病院で心臓移植を受けた赤ちゃんたちの同窓会です。この写真をよく見ていただきたいのですけど、この子たちは移植を受けなければ死んでしまう病気の赤ちゃんたちでした。だけど幸いに心臓移植を受けて元気になった赤ちゃんたちです。ですから、この写真の見えない裏のほうに同じ数の脳死で亡くなった赤ちゃんがいるわけです。そしてそのお父さんがいてお母さんがいるわけです。

 

 

 ところが、この18人の赤ちゃんが助かるために18人の死んでいった赤ちゃんがいるのですけれども、18人助かるということはとってもほほえましいいい写真だと私は思うわけです。翻って日本の社会はどうかというと、36人全部が死ぬのです。36人死ぬのが日本の社会。18人助かるのがアメリカの社会。どっちの社会が優しいだろうかということを考えていただきたいために、この写真を見ていただきました。一応スライドは、これで終わらせていただきます。

 今日のセミナーの資料に、私のプロフィールが書いてありますけれども、もう一つ「マスコミに訴える。日本の常識となっている脳死について」というのが入っております。皆さんに聞いてもらいたいのですけれども、特にマスコミの方に聞いていただきたいのは、臓器提供ということを、例えば大きな樹木にたとえて見ますと、私は臓器提供というのは枝ではないかと思うのです。そして提供を受けた人たちは、その枝に付いている葉っぱであり花であり実であると思うわけです。

 そして一番根幹になるもの、根っこと幹というのを根幹と言います。根っこは脳死を正しく理解することが、一番根っこでなくてはならないのではないか。そして幹は、脳死をきちんと医師が自分の責任において宣告するというそこが幹ではないか。根幹のことを横に置いてしまって、花や実や枝のことばかりやっているのが日本の現状なので、それでは駄目ではないか。「お父さんもっと頑張って根っこや幹のことをちゃんとやりなさいと社会に訴えてくれ」と息子は私にそういう宿題を常に言っております。私のような名もない者がいくら言ってもなかなかマスコミも聞いてくれませんし、まして救命の医師の方も厚生省も聞いてくれません。

 しかし、やはり一番大事なことだから言い続けなくてはいけないという思いで、今年『本当の脳死』(文芸社)と言う本を書いてみました。今日のスライドの多くはこの本に掲載されております。残念ながら私の力不足であまりまだ多くの人に読まれていないようですけれども、「だからといって挫折してはいけないよ」と言ってうちの息子は私の尻をたたいて、「おまえ、死んでも人使いは荒いな」と息子と仏壇で話し合いをしているのです。「おやじ、もう少し頑張れよ」といつも言われて、もっと頑張らなくていかんのかなと思いながら日々暮らしております。

 

 

 日本の移植法というのは、脳死をよそにおいてほったらかしておりますので、なかなか提供者が現れない。移植をするために脳死があるという間違った概念が、日本全体に広がってしまいました。それを元に戻すことは大変なことなのだけれども、やはり一番頼りになるのはマスコミしかないと私は思って、一生懸命マスコミの方々に根幹の脳死についての認識と、脳死を実行できる社会に日本が早くなるように働き掛けを今後も続けていきたいと思っております。

 課題については、まだ言いたいことがあるのですけれども、1部での私の持ち時間は大体来たようでございますので、2部になったときに言い足らなかった所をまた話させていただきたいと思っております。相馬さんと同じように、本日呼んでいただいたトリオ・ジャパンの皆さんに感謝して私の話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)

 

若林 千葉太玄さん、貴重なお話をどうもありがとうございました。先程のスライドにもありましたように、私も含めて脳死からの提供を受けて移植を受けた私たちは、亡くなった方がいなければここにいませんし、私も青木会長もこの場におりません。だれもがいつかは亡くなるということと、ドナーになるのかレシピエントになるのか。そしてそれがいつになるのかというのは、本当にだれにも分からないということを改めて考えさせていただいたように思います。

 それでは続きまして大田原佳久さん。浜松医科大学の泌尿器科のほうで腎移植の草創期のころから腎臓移植にかかわってこられて、そしてコーディネーターとして、もともとは獣医という面白い経歴をお持ちの方です。その辺についても、4ページのレジュメのほうをご覧になりながら、お話をお聞きいただければと思います。

それでは大田原さんよろしくお願い致します。

 

2.コーディネーターの立場から

「臓器提供と移植医療」大田原佳久

 

大田原 皆さんこんにちは。ご紹介にあずかりました大田原です。このトリオのセミナーは早い回から私も何度か出席させていただいて、移植に関すること、コーディネーターに関しても非常にいい勉強をさせていただいて、私がこの場で話すこと自体が本当にいいのかなというぐらい、非常に責任を感じているのです。

 資料に書きました通り、私の経歴は非常に多彩です。はっきり言うと何でも屋です。ただ何かをやらなければいけないということで、医療の世界に身を投じたのです。シクロスポリンとかプログラフのような良い免疫抑制剤がないころから、一生懸命必死になって夜も寝ないで頑張っている移植医を見て、また腎臓を体から採りはずしてそれを更に体の中に入れて、それがまた非常な勢いで元気な人を作っていくということがものすごく劇的だったのです。

 現場でそれを見ていて、それまでは腎臓の保存などを動物実験中心でやっていたのですけれども、少しは表に出てお手伝いをしないとならないかなと思っていたところへ、「コーディネーターというのは医師でないほうがいいだろう。第三者的なところでおまえがやるのが非常にいいのではないか。泌尿器科で、少しは移植も見てきているし、やってみないか」ということを言われて、「じゃ、やりましょうか」ということで始めたのです。

 移植そのものが、ドナーが必ず必要ということで、われわれが今まで考えていた医療とは全く違うのではないかと思ったぐらい衝撃を受けました。移植のお手伝いをやっていると、ドナー側の家族、ドナーの人も見ていますし、反対に元気になっていくレシピエント側も見ているので、その辺は非常にありがたく、移植医療というのが目の前でよく分かるという立場にありましたのですんなり入れたし、移植を理解するということで非常に生かされたのではないかと思います。

 少しずつ勉強していくにつれて、やはり人の死というのが前面にある。一般の人たちの中では、まだ死を取り上げることが非常に少ないというので、その辺から一生懸命取り組んでいこうかと考えました。コーディネーターとして、そういうところを一番知っておかないとならないのであろうということで勉強を始めました。

 今日話すのは最近の移植の事情と、今までわれわれがやってきた移植の状況、特に私は他の臓器はあまり知りませんので腎臓を中心にしてお話しします。それとコーディネーターがどういうものなのか。今、話題になっている院内移植コーディネーターというのは、静岡で初めてわれわれが立ち上げました。それが今、効を奏して少しずつ静岡県では献腎が増えています。全国では献腎の数は下がっているのですけれども静岡では増えています。それはどうしてだろうということ。また、コーディネーターに求められるものは何だろう。これから移植医療はどうしていかないとならないのだろうかというところを少し考えてみたいと思います。スライドをお願いします。

 

 

 

私は獣医なものですから犬の写真を所々に入れております。これは私が唯一獣医らしいことをやっていることでして、自分の家で飼っている犬がちょこちょこ顔を出します。これです。モモと言う名前で生後1年半になるのです。こんな小さい犬でも1年もたつと大きくなるのです。次、お願いします。

 

ネットワーク設立の意味

 

 ネットワークが設立する前と後、免疫抑制剤が非常に良くなる前と後とでは随分事情が違います。特にコーディネーションの立場の違いです。臓器をどういうふうに配分するかとか、どういうふうに提供いただくかというということは、やはりネットワークが設立される前とは随分状態が違います。

 

 

 

違いの一つは、レシピエントです。かつては移植される方について、幅の広い選択ができたのです。もちろん、前提となるルールはきっちりとしていますし、腎臓の場合、心臓とか肝臓と違ってすぐ亡くなられるというわけではないのですけれども、そうではあっても、かつて全て自前でやっていた頃は、子どもだとか、非常に重度の人だとか、いろいろな障害が出てきている人だとかいう人に、優先的に先に移植をするということもできたのです。今、厚生省やネットワークがいわれる公平・公正とは意味が違うかもしれませんけど、それが少なくともできていたということがあります。

 反対に移植のコーディネーターは医師がやっていました。医師は非常に移植がよく分かっているのですけれども、やはりそこにはバイアスが掛かってくるのです。ですから臓器提供のお話をすると、病院でお世話になったからという話が出てきて提供する。提供する意味がどうなのかということよりも、そうしたことが出てきてしまうという心配があります。それから提供したあと、摘出したあと十分な報告ができていなかったり、提供された救急の先生なんかに報告が十分にできていなかったりという悪い面もありました。

 また、摘出医も移植医も同じチームですから、かなり負担が大きい。夜中の1時に摘出に行って、朝から1日かけて2人の移植をするということも度々あったわけです。そういうことからすると配分が非常に広くなったので楽になったということはあります。ただその分、献腎移植数は減ったということはあります。

 かつては、献腎が医師同士のつながりで行なわれていました。移植医が同級生の脳外の先生の所へいって、「ドナーになりそうな患者がいたら教えてくれよ」ということでやっていたのです。それで非常に熱心に移植医が移植をしたいばかりに、元気な患者を作りたいばかりにいろいろ頑張ってきたのです。それでかなり、献腎移植数は増加していました。次のスライドをお願いします。

 

 

 ところがネットワークができてからというのは、レシピエントのHLAが適合しているかだとか、公平・公正の重視だとかいうことで、自由には選ばれなくなったのです。そういうかたちになったのですから、それが公平・公正なんだということであればしょうがないです。ただ、今のところ腎臓が増えないということで「各県で提供腎があった県はその県で移植しましょう」というルールに変わりつつあります。それで腎臓が増えるかどうか分かりません。臓器提供が増えるかどうか分かりませんけれども、少なくとも今までの状態では良くないのではないかということでルールが変わってきました。

 移植コーディネーターの制度ができたので、提供された家族の方、提供された救急医の先生方にちゃんとフォローができるようになったことは非常に大きなことだと思います。また、先ほど言いました移植医の負担も当然軽くなりました。しかし移植医が退いたものですから、今度は腎臓の提供が減ってきたのです。ネットワークが出来て一時はちょっと良かったのですけれども、それからもうほとんど右肩下がりでどんどん毎年のように減っています。次のスライドをお願いします。

 

移植医療の進展

 

以下に示すのが成績なのですが、conv.というのは「昔の免疫抑制療法」、すなわちまだ免疫抑制剤が随分しっかりしていなかった頃のデータです。CyA/Tacというのはシクロスポリンかタクロリムスという新しい免疫抑制療法が用いられている患者さんです。免疫抑制剤がだんだん良くなって、生着率も非常に良くなってきました。ただこういうことについてもなかなか透析医の先生は理解されていませんし、当然救急医の先生、脳外科の先生というのは分からない。こういうことをしっかり宣伝していく必要があるのです。腎生着率は外国と比べても引けは取りま

 

せん。これは私の所属している浜松医科大学のデータです。

 

 

これも同じです。免疫抑制剤の進歩で非常に腎移植の成績は良くなりました。特に死体腎の場合、はるかに成績が良くなっています。10年生着率が10%ぐらいしかなかったものが40%以上にはなっていますから、かなり生着率は良くなってきています。

 

 

 当然感染症にもかかりにくくなっていますので、助かる患者も非常に多くなった。これは生存率ですけれども、ほとんど亡くなられる方はいなくなりました。生着しなくても腎臓の場合には透析に戻りますので、そういう意味ではこの亡くなられた方も、ほとんど腎機能が悪くて亡くなられたのではなくてほかの病気で亡くなられた方です。次のスライドをお願いします。

 

 

 これはまた我が家の犬の写真ですが、移植コーディネーターもいろいろいて、非常にこれは手に負えない犬なのですけれども、こういうおとなしい時もあります。私も非常に手に負えないことが多くていろいろな所から文句が出るのですけれども、おとなしい時もあるのです。次のスライドをお願いします。

 うちのドクターの基本的な考え方は、元気な人にメスを入れるのはやはり医学的におかしいということで、やはり亡くなられた患者さんからいただいた腎臓を植えるのが移植の本来の姿だろうということです。

 

 

上は今年の移植学会のデータですが、県別のデータで、東京が一番多いのですけれども静岡はここです。ところが黄と青の比を見てください。死体腎と生体腎で見てみますと、静岡は生体腎移植数より死体腎移植数のほうが多いのです。去年なんかは、腎移植数は17例しかありませんけれども、このうちの10例は死体腎移植です。死体腎が多いというのは全腎移植数が10例以上ある県では静岡しかありません。あとは1例とか2例とか腎臓が回ってきたから移植をやるという施設はありますけれども、静岡県は非常に死体腎移植数の割合が多い県であります。次のスライドをお願いします。

 

移植コーディネーターとは

 

 

 

ここから移植コーディネーターの話になりますが、実は私は正式には移植コーディネーターではありません。もぐりです。要するにアウトロー、ただ自分でコーディネーターと名乗っているだけの話であって、何が一番いいことなのかなと思ってやっているだけの話なので、ここにネットワークの人が来ていたら多分怒られるのではないかと思います。

 本当にコーディネーターというのはいろいろあって、いわゆるドナー・コーディネーターと呼ばれる、プロキュアメント・コーディネーター、臓器を獲得するほうのコーディネーターがいます。それからレシピエント・コーディネーター、つまり移植患者さん側のコーディネーターで、クリニカル・コーディネーターとも言います。それが移植を中心にして動いているわけです。ドナー・コーディネーターというのは、ドナー側にアプローチをして提供された臓器を搬送したり、ドナーの承諾書をいただいたり、事後にドナー家族へ報告をしたり施設へ報告したりするわけです。

 レシピエント・コーディネーターというのはたいていほとんど病院にいまして、移植を受けられる患者さんの手術の前後のフォローをするというのが仕事です。さらに移植を取り巻く環境について啓発活動を行う、パブリック・コーディネーターと言いましょうか、そういう方もいらっしゃいます。中には一生懸命ボランティアでやっておられる方もいます。当然、荒波さんがやられているファミリーコーディネーターも非常に重要な仕事だと思います。

 

 

 仕事の面からいくとそうですけども、今あるコーディネーターはどうなっているかというと、まず日本臓器移植ネットワークの専任コーディネーター、いわゆるネットワークコーディネーターがいます。ネットワークのコーディネーターは今どれくらいいるのでしょうか。17人か18人ぐらいですか。どんどん辞められて入れ替わっているので、ちょっと詳しい数字は分かりません。

それから都道府県コーディネーターがいます。この方たちは、各都道府県で採用しているのですが、皆さん日本臓器移植ネットワークから委嘱され、「あなたたちも臓器の斡旋に関与してもよろしいよ」というお墨付きをいただいている人たちですけれども、こういうコーディネーターが全国で70名います。

 さらに私のような院内コーディネーターがいるのです。これについては委嘱状はありません。ただ日本で2人だけ、院内コーディネーターで委嘱を受けている方はいます。

後はレシピエント・コーディネーターです。ちなみに、ドナー・コーディネーターの中には眼球のコーディネーター、骨のコーディネーター、心臓弁のコーディネーター、皮膚のコーディネーターも含まれますが、これはほとんど院内コーディネーターですが、県によっては県のコーディネーターがやっている所もあります。このようにコーディネーターには様々な種類があります。

 ところで、われわれが立ち上げた院内移植コーディネーターが、どうして必要になったかというと、脳死の場合はある程度時間の余裕があります。全部ありとあらゆる検査をして、ある程度の時間が経ってからのことですから、「どこどこの臓器が使える」と「じゃ、何日に摘出手術をしましょうか」「じゃ、手術室を開けてください」と手術ができるわけです。

ところが心臓死で提供される場合というのは、いつ心臓が停止するか分かりません。脳死であることは間違いないのですけれども、脳死でレスピレーターいわゆる人工呼吸を外して心停止が来て提供されるという場合以外は、ほとんどの場合、自然に心臓が止まるのを待ちます。

 

 

 そうすると、今、日本臓器移植ネットワークのブロックセンターで静岡県を管轄しているのは名古屋ですし、県のコーディネーターは2人とも静岡ですので、浜松で例えば「今血圧30ですよ」と言われたときに、コーディネーターが間に合うかというと、とても間に合いません。その前にはいろいろ家族との接触もあるのでしょうけども、実際にその摘出のときは間に合うはずがないのです。そういう意味で、静岡県ではできるだけその提供の意思を生かしたいということで、移植に詳しい人が院内にいたらいいのではないかということで設置されたのが院内コ―ディネーターです。繰り返しますが、心停止下では非常に緊急を要することが多いということです。

 院内にいれば家族と接することも多いし、病院の中のこともよく分かっている。だれか一人移植に詳しい人が病院内にいるとスムーズに事が運ぶ。例えば県コーディネーター、ネットワークのコーディネーターが飛んできたとしても、もう手術の準備はできています。そういうことがすぐできるわけです。また、提供者のご家族の方たちとも接触して、「実はこういうことで移植は進められますよ」という説明もいつもそばでできるわけです。そういうことで院内コーディネーターが一人いれば、非常にいいのではないかということで始めました。

 

 発足経緯はそういうことですけれども、最初はかなり前です。もう10年近く前から、腎の普及をしようということで始めたのですけれども、実際に始めたのはネットワークが設立された1年後です。みんなできちんとした勉強会をやって、きちんとしたコーディネーターを育てようではないかということで始めたのが、1996年に静岡県の院内移植コーディネーター協議会という名前で発足しました。

 最初は18施設、19人でした。臓器移植法ができる前だったので、法律ができた途端に、最初は浜松医大しか提供病院がなかったのですけども、だんだん提供病院に指定される所が多くなってきて、これは困ったというので、臓器提供施設になった病院からどんどん院内コーディネーターを送ってきました。今は、36施設46人ぐらいに膨れ上がっているのです。実際問題として来年からどうしようかという悩みの種でもあります。次のスライドをお願いします。

 

 

 組織は腎バンクとか、県行政が非常にバックアップしてくれており、各病院も応援してくれています。それで一つの協議会という会を作っております。次のスライドをお願いします。

 

静岡県院内コーディネーター職種別構成員

 

職種

人数

看護婦・看護士

20

臨床工学技師

13

MCWMSW

9

事務職員

1

文部教官助手

1

薬剤師

1

45

所属施設総数 34(公立20・私立14

 

 院内移植コーディネーターの職種です。看護婦さんが一番多いです。次のスライドをお願いします。院内のコーディネーターの活動は、先程言ったように院内で、一番大事なことは、救急の先生方と昔は移植医がいろいろ話をしていたけど、院内のコーディネーターができるだけ現場の先生に負担を掛けないようにやるにはどうしたらいいかとか、その病院の中でどうやったら皆さんの意思が反映できるだろうかということを考えてほしいのが一番です。

 

 

 

実際に提供できるかどうか、連絡だとか細かいことはやりますけれども、少なくとも最も大切なのはこのいわゆるマニュアルです。自分がどうすればいいかということと、院内で提供の意思を生かすことをどうしたらいいかということが主な活動です。次のスライドをお願いします。

 

 

 一昨年から厚生省の、班研究の中で献腎数を増加するために、この静岡県で院内コーディネーター制度を使ってみたのです。これを利用して何とか提供腎臓を増やすことできないだろうかということで、提供病院に呼びかけて、情報を吸い上げる。院内移植コーディネーターがいればその情報がキャッチできるだろうということで、それでどうしたら提供の意思を生かせることができるか、意思を確認することができるかということを各病院でこういうフローチャートを作っていただいて、どうしたらそういう情報が得られるだろうかということをやっているわけです。次のスライドをお願いします。

 実際に静岡県の提供。この青が情報数、黄色が提供件数です。実際に院内移植コーディネーターができたのが1996年です、ネットワークができたのが1995年です。院内コーディネーターができてから一時減りましたけれども、大体増加してきています。ですから少なくとも提供を増やす一つの一因にはなっているのではないかと思っています。

 

 下のスライドが「個表」といって、各協力病院で記入してもらっている情報提供です。小さくて見えませんけど、病院名とか、一番大切な、いつ入院していつ亡くなったのかといことが書いてあります。また、誰が説明してドナーカードを持っていたかどうか。じゃあ、説明した時に提供は承諾されたか承諾されなかったか。提供はされたかされなかったか。さらに、なぜされなかったのだろうか、ということを検討するものです。

 

 

 その時に私が全部コメントを書いているのですけれども、実際に例えば病院によっては1時間2時間で亡くなってしまう。救急で運ばれてきた時点で、助からない患者さんもいらっしゃるわけです。反対に2、3日たってから助からないということもあるわけです。そういうのが救急の現場の先生で違うのです。それから家族の状態をどう捉えるかという差もあるので、こういう患者さんにはこういう言い方をしたらいいのではないだろうか。あるいはこういう言い方もできたよ、というコメントを返すようにしています。

 

脳腫瘍の患者さんの臓器提供

 

 症例を提示したいと思います。2例紹介します。一人の患者さんは48歳の男性で脳腫瘍の患者さんです。家族は奥様と子どもさんの3人です。脳腫瘍で脳死にはなっていません。この症例を私がコーディネーションの経験をしたので少しお話をしておきます。

 実はこの方は1999年、最初に私の所にご連絡が来た時に、ケースワーカーの方から「移植の話が聞きたい」ということでしたので、僕は飛んで行きました。当時はまだ状態も良かったのですが、脳腫瘍で治らないということはもう分かっていたので、本人も臓器の提供をしたい、奥様も子どもさんもそのことについては話している、でも「臓器の提供」ということが何だか全然分からないので、説明してほしい。何遍も医療者側にお願いしたのだけれど、誰も来てくれなかった、と言うのです。「なぜ、そういうネットワークという組織があるのに、移植の話に来てくれないのだ」ということで非常に怒られました。私はネットワークには連絡したのですが、「脳腫瘍の患者さんの場合、非常にリスクが高くて最終的に提供できることが少ない。まだ元気なんでそういう話はまだだ」ということを言われたのですけど、少なくとも私が説明に行くこと自体は何も問題はないだろうということで、近くの病院だったので説明に行きました。その時からの関わり合いです。

 その後3年ぐらい経って、去年の10月に非常に状態が悪くなり、ホスピスに入院されました。脳腫瘍の患者さんで治らないことはわかっているものですから、最期の看取りをきちんとしたい、穏やかな死を迎えたいということでホスピスに入院されたのです。ホスピスという場所の性質を考えますと、ホスピスに入院して、臓器の提供をするというのはどちらかというと相反することなのです。ホスピスで穏やかな死を迎えたい、でも、騒がしく臓器の提供のことをやる、ということについては、病院側も非常に困ったようです。

 実際には、10月の最初に「なかなか難しいのですけれども、少なくともわれわれができることは最大限にしますよ」という話をしました。それで3月ぐらいに「状態が悪くなったから」と主治医から連絡があってお会いした時に、初めて「来るときが来た」と感じました。

ご家族には「臓器の提供は最終的にできなくなる可能性が大変高いのですが、承諾書にサインをいただけますか」ということで、腎臓と眼球の提供の承諾をいただきました。しかしその後、病状は良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、途中で感染が起こったりとか、いろいろなことがありました。私自身、ホスピスに行くことはそうないので、僕は行ってびっくりしたのですけれども、ホスピスだと夜はほとんど看護婦さんもいないのです。当番の看護婦さんはいるのですけれども、実際には、朝病室へ行ったら亡くなられていたということもよくあることらしいのです。

 ですから、その中での移植ということを考えると、心停止がいつ来るか分からない状態で臓器提供なんてできるのだろうか。ましてや、モニターを置くなんてことはちょっとホスピスでは考えられないことです。少なくとも部屋まで入って、毎回見るのは大変だろうからモニターぐらい置いていきましょうということで、モニターを置いてくれたのですけれども、看護婦さんたちにしてみれば違和感があったようです。たいへん厳しい状態だったのですけれども、臓器の提供ということで、われわれも1週間ぐらい泊り込みをしたり、また回復したので泊まり込みをやめたりとか、非常に苦労をしたのですけれども、最終的に腎臓を両方ともを提供されることになり、非常に奥様も喜ばれていました。

 ここにその奥様が手記で書かれた所があるので少しご紹介しておきたいと思います。私たちが待機していた時のことを書かれています。

「一つの廊下を隔てた所に、一方では何とか持ち直してほしいと思う人たちが、もう一方には死を迎えた時期に、腎臓の摘出をしようと待機をする人たちがいるのです。複雑な状況だと思われる方もいらっしゃるでしょうね。でもこう考えることはできないでしょうか。一方の側には、できれば持ち直してほしいがそれが叶わないのなら、穏かな苦痛のない死を援助しようとする人たちがいて、一方の側には夫の意思を最大限に応援して、努力しようとしている人たちがいるのです。どちらの側にいる人たちも夫や私たちが選んだ生き方、死の迎え方を尊重し、全面的に協力、援助しようとする人たちなのです。決して矛盾していないのです」

実は、心停止の時に駆けつけますと、すぐには亡くならない場合が多いのです。それからしばらくして、レスピレーターを外せば別ですけれども、しばらくかかります。そのときにやはり病院に待機しているときには非常に辛いのです。待っている側、患者さんの家族もそうです。

 そういう中でどういうふうに考えるか、ハイエナのように摘出に来て待っている医師がいる。片方では家族が泣いている。そういう状況の中で、本当に移植はいいのだろうかと考える看護婦さんたちもいらっしゃいました。その辺の兼ね合いというのは非常に難しいものがあります。

 最後に、このケースで非常に珍しいのは、今までドナーの家族が摘出の現場に立ち会ったことはありませんでした。しかし、このご家族は奥様が看護大学の教授をされていまして、娘さんもそこの学生でした。そういうこともあって、「立ち会わせて欲しい」と言われて、私はどうしようかなと思ったのですけれども、移植医の先生に相談したところ、「そういうことならいいのではないか」と言われたので、OKを出したのです。ところが、病院側から「普通手術に家族を立ち会わせることなんてあり得ない」とえらい猛反発をされましたが、その病院の院内移植コーディネーターが調整していただいて、結局、全部の過程を見ていただくことにしました。

 ただ、本当に見ることができるかどうかについては、私もどきどきしながらそばに付いていましたけれども大変なものでした。ご家族もお手紙の中に次のように書かれています。

「あとで聞いた話ですが、病院内ではドナーの家族が摘出手術に立ち会うことに異論があったようです。かなりのどたばたの状態が予測されたところに、家族を立ち会わせていたずらに混乱させてもよくないということのようでした。確かに私たち素人から見てもどたばたしていました。

しかし、私が立ち会おうと決心したのは、理由があります。それは、夫の決断とはいえ、私自身も摘出に同意し、会話がほとんどなくなった夫に変わって、臓器提供の話を具体的に進めてきました。それが正しい判断だったのか、私自身の目で確かめるべきだと考えたからです。

では立ち会ってどうだったかと聞かれても、明らかな答えはありません。ただ、気丈な娘のおかげで自分自身の役割をしっかりこなすことができたという満足感があります。立ち会えるように院内を調整、説得していただいた移植コーディネーターの方に感謝します」

 お手紙の最後には病院に対して、

「ホスピスのスタッフたちはさまざまな困難な状況の中で、私たちが希望する生き方、死の迎え方を全力で応援してくれました。そして、最後には私たち家族が望む最良の方法で看取りができました。仕事明けにすぐに呼び出されて駆けつけてくれた担当看護婦は、ずっと静かに夫のそばに寄り添ってくれました。彼女がいたおかげでどれだけ私たちは落ち着いていられたことでしょう。1年以上も夫の担当をしてくれ、夫が一番信頼していた前任看護士も夜中に駆けつけてくれました。その日の担当看護婦もできるだけ病室に残っていてくれました。

 そして私と子どもたちもいつものようにホスピスの病室と変わらない面々に囲まれて、夫は静かに最期を迎えました。看護婦さんや医師と率直にさまざまな話をしたり、慰められたりしながら、夫も私たちも実に有意義で私たち家族らしい生活が最後までできました。だから、私も子どもたちにホスピスで過ごした1年を楽しい日々だったとまとめることができるのです」

と述べておられます。

 こういうふうにご主人の臓器提供について、最初から非常に熱心に考えている。一つはご家族が医療関係者だったからということ。それから病気の経過が非常に長かったということで冷静に見つめられたということではないかと思うのです。でも、最終的に病院がそれだけのことをフォローしてくれたことに対して、ご家族は非常に感謝しています。

私は病院の啓発に説明に伺うことも多いのですが、患者さんやご家族の提供する意思を確実にキャッチして、現実に対応できる病院というのは非常に優れた病院だと思うのです。

 これをいうと差し支えるようなところもあるのですけれども、実際、臓器提供がきちんとできる病院というのは、やはりそれだけ患者さんに対して、最終医療がきちんとなされているからこそできることだと思うのです。

 このケースは今年あった例ですが、奥様もあとでお会いしたときに非常に感謝されていましたし、娘さんも非常に喜ばれていました。「これから、頑張って生きていきます」という話を伺いました。

 

くも膜下出血の患者さん−提供する意思を活かす

 

 もう一例紹介します。こちらは救急医、現場の医師が「私はもう移植には絶対かかわり合いたくない」ということながら、その上の先生から「こういう患者さんがいます」と私の所に連絡が来たケースでした。私が先生と話をすると、「私は臓器提供の話などしたくない」ということでした。

患者さんは52歳の男性で、病気はくも膜下出血でした。ご家族の構成は、奥さんと患者さん本人であるご主人、それから20歳を過ぎた娘さんが3人いらっしゃいました。また、別のところに住んでおられる実の弟さんとお姉さんもその場におられました。

 このご家族は私がお会いするまで、全く臓器移植の話を聞かされていませんでした。通常は、一応救急医の先生が「臓器提供ということもあります。詳しいお話を伺いたいということでしたら、コーディネーターがお話をします」というところから始まるものですから、コーディネーターから臓器提供の話があるということは既にご家族が分かっているわけです。ところが、このケースの場合は、全くご家族が臓器提供の話など聞いていないのです。

 私は「どうしようか」と思いながらも、看護婦さんに「ご家族の方を集めてください」ということをお伝えしました。実はその前に主治医の先生には、「もう回復はしないということをしっかりと2度、3度と言っていますね」ということを確認してお会いしました。

それで、お会いしたのですけれども、確かにびっくりされていました。突然、「臓器提供の移植コーディネーターです」と言って自己紹介するわけですから、「えっ、何だろう」ということです。「実はこうこうこうで、提供ということをもしお考えならば、お手伝いしようと思ってこういうお話をしているのです」というお話をして、それでお話をしていますと、ご家族は静かに聞いているのです。

 ところが、ある時、私は医師ではないのでという話をちょっとした途端に、その弟さんという人の目がぎょっと変わりまして、「なんだ、腎臓が欲しいということか、腎臓を持っていくということか」といわれました。そこで「そういうふうに取られたんだったら、私の話し方が悪かったのだと思いますけれど、実はそうではないのです、そういうことを考えてほしいということなのです」とお答えしました。

 このような形でお話ししたのですけれども、弟さんからはかなりの勢いで言われました。ただ、奥様のほうは「実は、眼球の提供のアイバンクのカードは見たことがある」と言われていたので、「そうですか。じゃ、弟さんも非常に興奮されているようですので、少し時間を置いて、こちらの腎臓バンクのほうのカードも、もしかしたらあるかもしれないので探してみてくれませんか」ということで時間を置きました。

 静岡県の腎バンクは登録制を採っているものですから、腎臓バンクのデータベースを調べてみたのです。そうしたら、ご本人の意思表示があったのです。もし先生のほうからの話がなければ、この提供の意思ということも分からないままになってしまうわけです。それを一言言っていただいたために、眼球の提供、それから腎臓の提供ということが、奥様にははっきりと分かったのです。

 それで話がどんどん進んでいって、その日の次の日に、「もう1回お話しさせていただけるかどうか、お返事をいただけませんか」と申し上げましたら、その日に奥様のほうから電話が掛かってきて、「提供を考えますので、お話を聞かせてください」ということでしたので、「ああ、そうですか」ということで、承諾書を持ってその承諾書をいただいたのですけれども、弟さんのほうは憮然としていました。

 話が進んで最終的に臓器を摘出する現場になって、私は再度「これから臓器の摘出をしますけれどもよろしいですか」という確認をしました。そうしたら、反対していた弟さんは「駄目だ」とは言わないのですが私を引っ張っていって、「おまえ、生涯恨むからな」と言うのです。よくよく話を聞くと、では「自分が臓器の提供をするということならいい」と言うのです。ところが、「兄貴だから駄目なんだ」。それはどうも矛盾しているのではないかと思ったのです。そこで、はたと考えたら、家族構成が女性ばかりの中で、唯一の男性が提供者だったのです。だから、弟さんとしては、非常に主導権を取りたいというか、そういうかたちのものが出てきていたのではないかと思ったのです。

 きちんと提供されて、摘出が終わってご家族の方にあいさつをした時に、その弟さんが「せっかくやったのだから、きちんと着けろよ」と言われたのです。それを聞いて「あっそうだ。良かったんだ」と納得しました。僕はこのケースについては、やめるべきかどうするかと非常に悩んだのですけれど、あとで奥様のところにお伺いした時に、「弟さんとの関係は大丈夫だったのですか」という話をしたら、「ああ、大丈夫ですよ」とあっけらかんとして、「あの人もまた、ドナーカードを持ちたいと言って、私のところに来ましたわ」と言っていましたから、実際に話をする中で、そういうことがきちんとできるということが読み取れるのが非常に大事なことなんだと勉強させられた症例です。

 少し話が長くなりましたが、長くかかって提供された例と、突然の死を迎えられた例と、二つご紹介しました。もう一度スライドをご覧ください。

 

医療従事者の意識

 

 これは臓器移植の意識調査を静岡県で行った結果です。「一般」というのは全国です。「医療従事者」というのは静岡の医療施設です。「SITCO」と書いてあるのは、静岡の院内移植コーディネーター協議会のメンバーですから、一番移植に詳しい人です。それから移植をある程度知っているであろう医療従事者、全く一般の人、と分けて認知度を調査したのです。そうすると、一般の人でも90%近い人が意思表示カードがあることは分かっているということです。次のスライドをお願いします。

 実際にカードを持っているかどうかと聞くと、一般の人が14%、医療施設の方でも23.9%です。これはほとんど一般と変わらないと思っていいと思います。医療従事者でもこれだけ移植に対する認識度が低いということです。それから、院内移植コーディネーターの方でも持ってない方がいるのです。これはいろんな方がいます。移植に反対の方とも当然私は一緒に仕事をしているのです。次のスライドをお願いします。

 もし、家族の意思がはっきりしていて、提供するという意思があったら、それを尊重するかということを聞きますと、一般の人だったら、「尊重する」というのが61%です。ところが、医療側の人は42.5%。静岡県のコーディネーターだと少しだけ多いですが、それでも半分ぐらい。これは本当だったら逆の結果になってもいいと思うのですが、意識が低い。ただ、意思を尊重するかということについては、医療従事者は現場で亡くなられる方を見ているということがあってのことなのでしょうけれども、この辺をどう考えるかというのが難しいかと思います。次のスライドをお願いします。

 

これからのコーディネーションのありかた

 

 では、実際にこれからのコーディネーションはどうあるべきかを少し考えてみたのですけれども、まだコーディネーターという職の専業性がはっきりしていないのです。24時間体制のコーディネーターとはいえ、腎バンクの事務をやりながら、あるいは普通の病院に務めながらコーディネーターをやるというのが実際のところです。ですから、本当にちゃんとしたコーディネーターが育つかどうかと考えますと、やはりちゃんとした資格を与えて、法律の中でもコーディネーターという名前が出てくるようなかたちにしなければならない。

 

 

 それから、移植ネットワーク、ここに黒川先生もいらっしゃるのですけれども、ネットワークそのものの組識が、もう少し移植の現場の方たちをきちんと見てあげるような、しっかりしたものにしてほしいということです。今みたいにごたごたしたことをいっぱい起こすのではなくて、本当に移植というものがこういうものなんだということを示すような組織になってほしいと思います。

 専業性を高めることと同時に移植コーディネーターの身分保証をしっかりしてほしいということです。ほとんど兼業の方が多い。ただ、それになるためには自分たちももう少し研鑚しなければいけないと思います。移植コーディネーターの中には、本当にただちょっと興味本位であったり、すごい仕事だからやってみたいというだけだったりする方もいらっしゃいます。だからもう少しいろんな所で勉強しながら身につけて、自分の頭でものが考えられるようなコーディネーターになってほしいと思います。

 それから、コーディネーターの評価が今はほとんどきちんとされていません。確かに報告書とか何か出しますけれども、本当に救急医とちゃんとした話ができるコーディネーターがどれだけいるかというと私は疑問です。こうしたことについて誰がどう評価しているのかどうかは分かりませんけれども、この辺が非常に疑問です。先程言ったように、こういう会に出たりとか、本を読んだりとか、非常にコーディネーター自身の知識の幅を広げていかないといけませんし、また、いろんな知識が必要な職業です。そういう意味では、私なんかは一番不勉強なほうですから、一番向かないのだと思いますけれども、少なくともそういうきちんとしたコーディネーターが育ってほしいと思います。

 ネットワークには素晴らしいチーフ・コーディネーターなどがいらっしゃいますので、実際に現場できちんとコーディネーションができるコーディネーターが育ててほしいと本当に心から願います。次のスライドをお願いします。

 では、移植医療の問題点とは何だろう。私が一番思うのは、教育がしっかりしていないということがあると思うのです。先程、千葉さんが言われたように、確かに教育がしっかりしていれば、もう少しマスコミの方も見方が違うのではないかと思うのです。小さいころからしっかり死ということについてとか、教育されていれば、もっと違った見方ができるのではないかと思うのです。

 

 

 当然医師にとってはもっとそうです。移植についての啓発を積極的に行っていく必要があります。病院自体、移植というものを全く知らない病院が多いのです。そういう所にしっかりした考え方を啓発していく必要性があると思うのです。

 それから、健康保険の制度です。日本の保険制度では脳死になってから治療しても保険がおります。病院を出るまで保険が出ます。だから、健康保険は確かにものすごいお金を使っているわけですけれども、本当にそれが正当に使われているかどうか。こういうことも一つは移植と関係があると思うのです。

 それから、提供の意思がきちんと尊重できるようなかたちです。今は提供しないという意思はきちんと尊重されていますけれども、提供するという意思の尊重はかなりなおざりにされているところがあると思うのです。少なくとも法律がこうだから、ここの病院に救急で入院したら、腎臓と眼球は提供できるけれども、脳死の判定はできないので、うちでは心臓や肝臓は提供できませんということが実際に起こっているわけです。患者さんを運んではいけないだとか、そういうこと自体がおかしいので、とにかく現場でそれぞれの方の意思が最大限にきちんと尊重できる。だから、無理なことは無理なことでいいのですけれども、少なくとも最大限に努力した結果ができるかどうかということです。

 もっと現場の裁量権を認める必要があります。あれはしてはいけない、これはしてはいけない、これはこうでないといけないということではなく、医師という専門家、コーディネーターという専門家がいるわけですから、そういう現場の裁量権を大幅に認めて、それがちゃんと認められるようにならないと、これは全然進みません。

 現在は、厚生省がどうこう言ったから、ネットワークがどうこう言ったから、それで全て終わってしまうのです。首から上がなかったら、脳死ではないのです。脳死判定ができなかったら、脳死ではないのです。そんなばかな話がどこにありましょう。そういうことです。脳死の判定を誰がするのかといえば、厚生省がするのではないのです。現場の医師がやるのです。そういうことがきちんとできないと臓器提供は進みません。

 今までいろいろ検証をやっていますし、倫理委員会なんかも各大学にあるのでしょうけれども、本当に検証がきちんとできているのかどうか。脳死移植が最初に行われてから30年もたって、やっと本格的に移植をしようかというところで、初めてやることに近いのに、全てが全部うまくいったということを前提にしてものが運んでいますが、そんなばかな話はないので、どこかに手落ちがあるはずです。ここに手落ちがあったから、今度は気を付けましょうということについてははっきりと言うべきなのです。それが検証であるべきだと思うのです。それがなければ何にも進まないと思うのです。以上です。どうもありがとうございました。

 ちょっと最後熱くなりましたけれど申し訳ありません。つたないお話で申し訳ありませんけれどもお許しください。今日、トリオに呼んでいただいて皆さんのためになったかどうか分かりませんけれども、言いたいことを言わせてもらいました。ありがとうございました。(拍手)

 

若林 大田原さんどうもありがとうございました。現場のコーディネーターがどのようにご家族にかかわっているのかというお話を、こうして伺う機会も今までほとんどなかったのではないかと思います。また、お話の最後の部分では、パネルディスカッションで議論すべき事柄を全て挙げていただいたような感じで、後半どうしようかと私は困っているのですが、これまでのお話を受けて、黒川清先生にシステムを支える立場から、そして臨床医としてのご経験からいろいろなことについてお話をしていただければと思います。それでは、黒川先生よろしくお願い致します。(拍手)

 

3. システムを支える立場から/
臨床医の立場から

「臓器移植専門委員会と
日本臓器移植ネットワーク」 黒川

 

黒川 お招きいただきましてありがとうございます。今日はネットワークを一応預かって少し仕事をしている立場から、お話をさせていただきます。相馬さんのお話、千葉さんのお話は前も聞かせていただきましたけれども、やはりこういうお話は、どういうふうにお互いに問題を共有できるかというので大事なわけです。従来は移植を受けた人たちの話ばかりを聞いていたわけですが、やはりこういう身になられたという非常に悲しいアクシデントを乗り越えてこられた方々の意見も聞いていただけると、お互いにどういうふうにしていくかという話が出てくるのではないかと思います。

 資料の方には私の略歴もありますし、最近いろいろ書いたものもありますので、是非あとでまた読んでいただければ、私がどういうスタンスで何を考えているのかという、別に移植のことを書いているわけではありませんが、いろんなことが書いてありますので、是非またそのような見方もあるのかなという話を理解していただければと思います。

 臓器移植法ができてから、4年がたちますけれども、脳死の移植は17例しかやられておりません。しかし、その中で実際に移植の手術が行われた患者さんについては、ほとんどがうまくいっておりまして、非常にマージナルな状況以外の場合以外には、全ての移植の医療についてはうまくいっているということから言うと、移植医療が臨床の医療技術としては、ほとんど完成に近いというか、日本でも症例は少ないけれども、技術としては非常にいいところまで行っているという一つの証拠だろうと思います。そういう意味では、関係者一同は安心していると思います。特に、関わられたいろいろな先生方、あるいは、それをサポートしてきた多くの人たちの、努力のたまものだろうと思っております。

 

日本の常識と世界の常識

 

 今日本では、小泉さんがいろんなことを言っていますけれども、いろんな問題が起きて、今年911日の世界貿易センターの同時多発テロなど、いろんなことが起こっています。こうして起こっていることを世界中の人たちがお互いに知るようになってきたという時代の背景があるわけです。

 もちろん移植もそうでありまして、「アメリカではたくさんやっていますよ。日本ではできないのはどうして?」というときに、もう少し歴史的なわれわれの考え方の基盤となっている常識というのは一体どこにあるのか。その常識の所以(ゆえん)はどこにあるのか。どうしてそういうことができるの、あるいはできないの。あるいは、日本人が常識と思って考えていることが、外から見ると意外に非常識なことも多いかもしれない。そういう話をやはりお互いに理解していないと、こうあるべしという一つの物語では恐らく語れない。

一人一人の経験は、一人一人の経験にかなり限られているわけで、特にこういう移植医療の場合には、もちろん非常に近い家族の悲しいイベントがあって、更に移植を受けられる側としては非常に悲しい状況があったのに、非常にハッピーな状況というか、本当にありがたいということがあるわけで、非常にドラマチックな展開が両方にあるわけであります。

 しかし、そうは言っても、それをいかに普遍化するかという原理原則は何かという話があるわけで、脳死というのもそれは当たり前だと言われても、本当に日本人はそれを普遍的に受け入れられるかというと、そんなことは多分ないのではないかと思います。しかし、普遍的である必要があるのかということも考えるべきではないかと思います。

 例えば、10年前までは、「日本の政治家は三流だ」とみんな言っていました。「官僚は一流だ」と言っていました。今そんなことを思っている人はいますか。官僚が一流なんてだれも思っていません。では、あの時何で思っていたのですか。それは思っていた人たちもおかしいではないですか。つまりそんなにころころ常識が変わるというのは、余程、皆さんの考え方が内向きだったのではないかという気もします。

  今、UNOS(ユノス・全米臓器移植ネットワーク)は年間の予算が大体20億円で、年間大体20,000の移植が行われます。その20,000のうちの12,000は腎臓です。残りが心臓、肝臓が3,000ぐらいで、あと肺とか膵臓の移植も行われます。腎臓については12,000のうちの3分の2、約8,000が脳死からの提供です。残りの3分の1は兄弟とか。あるいは一部、「アルトゥルゥイズム」(altruism: 利他主義)と言うのがあって、「そんなに困っている人がいるのなら、私はもう50歳になったから一つをあげましょう。一番マッチした人にあげてもいいですよ」と言う人さえも出てくる。

  日本にはそういうカルチャーがあるだろうか。そういう事例を取り上げて、「アメリカではこういうところがあるのだから、なぜやらないのだ」と言っても、「じゃ、自分はやるのか」と言われると別にやる必要はないのだけれども、そういう多様な価値観がある。それを背景に考えないと、やはり全てこうあるべしというふうに日本はなりやすいのです。

 最近、日本は調子が悪いから、いろんな日本の反省ということで、いろんな本が出ています。例えば、『「失敗の本質』(戸部良一著・中公文庫)と言う本では、日本の過去の戦争、ガダルカナルからノモンハン事件を検証した。そうすると、日本ではあるところまでいってしまうと、間違っていたと思っても、間違ったということを認めて退くということができない。にもかかわらず、つい走ってしまう。過去の失敗から一度も勉強しない。これが日本のリーダーであるというところに問題がある。つまり、一般の人がそれを知っているか知らないかはまた別としても、今の日本の在り方はどうしてこうなってきたのかということを、日本のリーダーと言われる人々が、それぞれの分野、行政も政治も教育もビジネスもそうですが、そういう教育をしていたのかという問題があります。

 例えば、私は医学教育についてもいろいろと書いていますけれども、日本のリーダーの問題も書いてありますし、日本のエリートの問題についてもいろいろ書いていますので是非読んでいただきたいし、それについての参考文献もできるだけ出してあります。例えば、ルース・ベネディクトの『菊と刀』(現代教養文庫)。日本人は恥の文化だと言いますけれども、何でそんなことが言われたのでしょうか。あれは、日本と戦争を始めたアメリカが日本人の考え方が全然分からないというので、ルース・ベネディクトという人に調査を頼んだわけですけれども、実はルース・ベネディクトは日本に来たことはありません。結局、一度も来ないであの本を1946年に書いていますが、日本の恥の文化ということを非常に鋭い洞察力で書いています。

アメリカと日本がお互いに戦争した時に、アメリカはもちろんヨーロッパの移民からできた国ですから、ヨーロッパの戦争の歴史の常識で戦争しているつもりだったのです。ということは、両方の軍隊がぶつかった時に、3分の1から4分の1が死んだり、けがをしたら、勝てっこないのだから必ず降参をします。それが常識です。

 ところが、日本の兵隊さんはばたばた倒れているのに必ず後ろから、またドンパチ撃ってくるから、少なくとも怪我をしたり、死んだ人のまだ2倍の兵力は後ろにいると思っているわけです。それでいろいろやっていくと、最後に洞穴から10人出てきて、「降参」と言った。勘定してみたら、1,000人も死んでいる。一人の捕虜を捕まえるのに、「何で100人も死ななくてはいけないの?こいつら一体何を考えているのか?」と思うのは当然ではないですか。だから、それについての作戦を考えるために日本人の価値観についていろいろ調査をしたわけです。

 アメリカでは負けが込んできた、3分の1が駄目になったら降参する。捕虜になっても、罵詈(ばり)雑言を浴びせられて、ひどい扱いを受ける。「何だ。こいつらは」ということを言われるので、一体この人たちは何を考えているのかというのがさっぱり分からない。つまり、お互いにいろんな価値観が違うということをどれだけお互いに理解して、お互いに一緒に住んでいるのかということが大事なのではないかということであります。

 そこで、例えば沖縄に米軍が上陸して来る。一般人も巻き込んで戦車が入ってきているのに、みんなで玉砕したりなんて、アメリカ人の常識では考えられないです。10歳そこらで。ひめゆりの塔に行かれた方も多いと思うのだけれども、あんな若い女の子たちがみんな死んでいく。追いつめられて、一般市民がどんどんがけから落っこちて自殺していく。それだけの抵抗をした人たちが降伏をして、いよいよ進駐軍が厚木にマッカーサー元帥が降り立って、車に乗って東京に来ます。

 日本人は何かの信念かあってそういうことをやっているはずなのだ。占領軍として行ったところで、当然ものすごい抵抗があって、うかうかしていたらアメリカ兵もやられるのではないかと思って、ものすごい緊張感で初めて日本に来るわけです。進駐軍が東京に行く道の両側には警察官とアメリカ軍とがびしっと並んでいます。何が起こるか分からない、今でいえば、われわれがタリバンの所に行くような調子です。

 行ってみたら、全然抵抗がない。むしろ、「ウエルカム・ジー・アイ」という調子だ。「一体こいつら何なのだ」とこれもまた分からなくなるわけです。あれだけ抵抗していたのに、何かみんなにこにこして全然抵抗もしない。この人たちは一体何を考えているのか。全く理解できない。非常に極端に振れるということであります。今でもそういうことはあるのではないですか。

 だから、そういうところで育ってきた日本人というのは一体何なのか。たまたま私はいろんな所で書いたり、いろんな所でしゃべったりしていますけれど、普通の人と違ったことを言うのは、この略歴に書いてあるようにアメリカに15年、そのほかいろんなところに渡り歩いているからです。アメリカで15年いた商社の人なんてたくさんいます。外交官もいます。だけど、あの人たちは外国にいくらいても、日本の人事体系の中でいただけの話です。だから、日本の本社を常に見ています。

 私の場合はそういう人たちとは違って、日本とは関係なくなったから、自分でサバイバルゲームをしていかなくてはならないというところにいたわけです。日本とは縁が切れているから、日本のことは全く他人として見ている。そうすると日本のおかしなことがたくさん見えるのだけれど、日本につながっている人には気が付かない、なかなか分からないということがたくさん見えるのです。

私の場合はたまたま教育職におりまして、次の世代の日本人を育てることが一番大事ですから、価値の多様性、外から見るとこんなにおかしなことがたくさんあるのが何で分からないの?ということをたくさん話しているだけの話でありまして、選択するのはあなたたちの問題だ、ということを言っているわけです。

 ですから、私たちの大学ではたくさんの学生をオーストラリアとか、イギリスとかいろんなところに送っています。昔と違うのは、毎週1回か2回、電子メールでレポートを出させています。内容はパーティーでも何でもいいのです。先週来たのは、「週末はウエスト・ミンスター寺院に行って、クリスマスキャロルを聴いてきました」ということでしたので、「結構なことじゃないの」とまたいろいろメールでやり取りをしていますが、そういうことをしていることによって、将来を担うような学生さん、将来のお医者さんがより広い視野で育っていくと思うのです。

 ノースカロライナに行かせた学生は、その間1回心臓の移植に立ち会ってレシピエントと一緒にずっと持っていましたから、学生の立場であっても、「ドナーが出た」と言ったら、一緒に飛行機に乗せて連れて行ってくれる。摘出にも立ち会う。そういうこと経験を実際にさせていって、将来のドクターをみんなで育てていくというコミュニティーがあるということであります。

 

報道のあり方

 

 日本でそんなことしています?「学生にさわらせた。また、スクープだ」とやるわけです。一つの価値しか認めないのです。一体なぜ?それは日本の人には普通だと思うのだけれども、私から見ると異常だと思います。だから、厚生省の専門委員会の委員長を頼まれた時も、私は「いやだ」と言いました。当たり前です。脳死移植でいよいよ移植をやろうというときに、そんな委員会の委員長なんて大体貧乏くじだとは言わないけれども、いろんなこと言われるに決まっているのだから。

 だから、私の出した条件はただ一つ、この専門委員会の審議は全部公開すること。つまり、議事録の公開ではなくて、審議している所自身を公開して、だれでもきたい人はきてくださいという話にしてもらいました。お役所は、最初はやはり「嫌だ」と言います。だけど、それでなくては私はやらない。

 最初の高知県のドナーが現れた時は、次の最初の委員会は臨時だったのですけれども、200人以上来て、テレビカメラから何からみんな入ってしまった。テレビカメラもやはり「流しながらやるというのは、変な話ではないの?」と言って、マスコミのほうにも「それはちょっとやめたほうがいいのではないですか」と言ったのですけれども、そのころから、例えば報道の在り方が問題になりました。

 報道の在り方についていろんな議論があったのですけれど、私は基本的には報道の在り方は、例えば最初の脳死の判定で何とかとか、そのあとで何とかとか、スクープが何とかとかいろんなことがあるので、私は「そんなことを厚生省が決めるのは気に入らない。そんなことはお上が決める性質のものではない。しかし、この委員会が決めるのも気に入らない。何でそんなことを決める必要があるのだ。そんなことをするのは、報道の方が自分たちが勝手に決めてくれればいいんだ」と言ったわけです。そうじゃないですか。何でお上に決めてもらわないと動かないわけ?自分たちで自主的にやればいいではないですか。

 2例目のとき、毎日新聞と産経新聞は夕刊に間に合ったのだけれど書きませんでした。書かないで次の朝に、なぜ書かなかったかという理由をちゃんと新聞に書きました。そのほうが余程気が利いています。だけど、自主的に報道はどういうふうにしましょうかということについて、報道機関は、ついに自分たちでガイドラインは作りませんでした。そういう社会です。困ると必ずお上に「お願いします」と言って、責任を取らない。お上に責任を預けてしまって、もし失敗したら、「どうした、どうした」と責められるという恰好になっているわけです。だから、みんな自分たちが責任を取りたくないからお上にお任せする。お上にお任せされると仕方がないからお上が決めると、万に一つも間違ったら「ほれどうした、これがどうした」と言われるので、万に一つも得られないように脳死の判定なんてあらゆる場合を想定して書いてあるから、実際「脳死かな」と言うときに何にも役に立たない、こんなに分厚くなっていますから。つまり、だれも責任を取りたくないから一生懸命やっているだけの話です。リアルワールドに生きていないことになります。

 

ネットワークのあり方

 

 さて、もちろんネットワークもいろいろな問題があります。ネットワークの予算は大体年間10億ですが、国から来ているのが6億円ぐらいで残りはどうするか。アメリカのユノス、臓器移植ネットワークは先程20億と言いました。その内国から出ているのは2割、4億円です。残りどうしてます?残りは移植の登録料だけです。それは今移植の適用が拡がってきたので、年間に恐らく50,000から60,000人が登録をしています。1回登録すると大体300ドルから400ドルですから、それで充分1年間分の収入になりますから、再登録をしなくても間に合うようになっています。

 しかし、それは今だからの話で、ユノスがここまで来るのにはみんなのボランティア、ドネーションで、いろんなところでサポートし合っているからここまで来ているので、国にお金をちょうだいなんてことはごく一部の部分であります。「足りないのだったら、みんなドネーション、あるいはボランティアで支えましょう」ということがあるわけで、今になってユノスは登録料だけで間に合うのだから、と言われてもその実績があるからです。10年前、腎臓の移植を希望していた人は14,000人です。だいたい、移植までの待機時間は400日ぐらいでした。

 実際は、アメリカでも移植はほとんど増えていません。10年前は15,000、今は20,000、それ以上は増えません。なぜか。ドナーの数には限りがあるからです。ドナーを増やそうなんてこんなばかなことは言えないでしょう。1年間に交通事故で何人死んでいますか。アメリカではだいたい40,000人です。その内、脳死になる人はごく一部です。自殺をする人もいるでしょう。特にピストルを持っている人が多いですから。そういう世の中でも、もうほとんど頭打ちだろうと思います。

 心臓の移植の登録が10年前は大体1,500人、待機期間は120日。肝臓は登録されている人が2,000人、待機期間は40日でした。だってそれだけのドナーがいるのだから。腎臓は8,000人と言いましたけれど、だいたい4,0005,000人のドナーがあるということです。ですから、今肝臓は14,000人くらい登録していますが、待機期間は300日ぐらいです。インターネット(http://www.unos.org/)を見るとすぐに分かります。ユノスもそういう成績が出ていますから。

 心臓は今4,0005,000人登録していると思うのですが、やはり待機期間はだいたい半年です。腎臓はどうかというと、今や登録している人は14万人です。透析人口が24万ぐらいですから。だけど、ドナーは増えていきませんから、待機期間は3年間、1,000日になりました。

 日本にはまだまだ余裕があるはずですけれども、だから「脳死をこうしろ」と言うのもあのときの議論でいいのか。これは国民が決めることです。国が決めるというからおかしくなるというのが私の基本的な立場で、だから、開かれて皆さんの意見を集約して、それをどう政治に反映させていくのか。その間に、いかにボランティアとしてではないけれど、プロフェッショナルコミュニティーとして、世の中でお互いに仕事をしていくかがすごく大事ではないかと思います。

 そのためには、お医者さんも、看護婦さんも、コーディネーターも自分たちの力量を社会の要求に満たされるだけのレベルまでには持っていかなければいけないということをしっかりやっていなくてはいけない。その理由、それはどういうメカニズムであるかということになります。

 もちろん、日本とドイツとフランスとイギリスとイタリアとアメリカとそれぞれの文化が違いますから、どういうお医者さんがいいかと判断するのは、日本人の多くがいいと思うような人になっていればいいとみんな思われているわけです。だから、お医者さんも先程言ったお役人もそれでいいと思っていたからその程度のことしかしません。役人は一流だと言われていたのだから、それでいいと思っていたのでしょう。だけど、今になって裏切られたと言って、田中眞紀子がギャーギャー言っても、今まであれでやっていたのです。何でみんな文句を言わなかったか、それがよく分からない。

 

日本の国家予算のあり方

 

 では、今医療費の30兆の分捕り合いをしています。患者さんの自己負担を3割にするという議論が出ているけれど、しかし「日本人にあなたたちはこれからの国に何を望みますか」と言うと、一番多いリクエストは「医療、介護、その他安全に生活できる社会を構築してほしい」というのが70%で、それが一番。では、どうして医療費の30兆円を削減するのをみんな黙って見ているのですか?

 今、日本のGDP(国内総生産)は500兆、国の借金は660兆、GDP129%が借金です。よほど内需が広がってこないと返せるはずがないです。これはG7で史上最悪のパーセンテージです。イタリアが一時悪くて、1990年代の最初に120%までいっていますが、今はもっと減っています。日本は最悪です。

 しかも、その上に特殊法人の借金が220兆円あります。さらに、銀行が不良債権を隠しているのが大体50400兆円。加えて、宮崎シーガイアとか、苫小牧東とか言ういわゆる第三セクター赤字を加えたら1,000兆ぐらい赤字です。どうする?

日本のGDP500兆円ですが、先進国、経済大国の中で一番異常なのは、内需の70兆、14%が土木建築だということです。G7でそんな国があると思います? 普通、土木建築というのは大体多くてもせいぜいGDP5%程度です。その70兆のうちの30兆が官需、つまり国のお金で造っているいろんな公共事業で、官公庁を建てたりとかも含まれます。後の40兆が民需、住宅建設などです。

 その公共事業の30兆で、また小泉さんが「30兆以上は借金しない」と言っているけれど、今言ったもう1,000兆近い借金に更に30兆足して何をやっているでしょう?官需で今日本中でダムをいくつ造っていると思います?今になっても100カ所以上です。何でみんな黙っているの?情報がないからかしら?土木建築産業で働いている人、それで生活をしている人は、日本の労働人口の10.5%です。他のいわゆる先進G7ではせいぜい5%です。

 日本の医療費は、GDP7%です。イギリスと日本がG7の中で最低です。だけど、日本とイタリアは一番高齢化が進んでいるのです。それでGDPに比べて医療費が少ないなんてどうして自慢しているのですか。「おかしいと思わない?」ということを言うべきです。この官需のダムや何かをしているけれども、日本の主要河川というカテゴリーでダムが1個もない川はいくつあると思います?一つしかありません。釧路川です。平らすぎて何にもできないということです。日本中どこへでも行ってごらんなさい。小さな川でも田舎でも必ずコンクリートが見えます。すごい国です。

 それで、G6、日本以外のG6全部足して、同じようなこの官需、シビル・コンストラクションと言われる国が出している建設土木は6ケ国合わせて一年に27兆です。それより日本のほうが多い。その面積で割ると1平方キロ当たり、日本とG6全部合わせたのを比べると、日本はG6の80倍のお金を使っています。

 日本で人が住んでいる所は21%です。つまり山が多いから。その住んでいる面積で言うと、もちろん住んでいない所にも道路を造るから必ずしもそうではないけれど、人間が住んでいる所に対して、平方キロ当たりの費用を比較すると、日本は他のG6の官需は200倍です。

国民のニーズは「安全で安心して住める医療と介護」と言っているのだから、10兆をそちらに移して何が悪いのだということを私は日経などにも書いているのです。でも、それが国民の声となって政治家の票につながらない。なぜか?土木建築の人達が組織立って投票するからです。本来はそういうところにお金を使う政治家には投票をやめようと言うのが筋なのです。政治家は投票が取れるかどうかが一番大事な問題です。政治家が政策を決めれば官僚は動きます。そこが一番大事なのではないか。

 今、ネットワークの年間の予算は10億で、そのうち6億が国です。残りの4億はどうしますか。もちろん移植の数が少ないから登録費だけではまかなえない。といって皆さんが寄付するほどになっているわけでもない。コーディネーターも増やしたい。コーディネーターが事務の仕事なんかする必要ないのだけれども、コーディネーターも生活がある。誰が払うのですか。それは国民が要求するかどうかによって決まるのではないでしょうか。ではどうしたらいいか、という話をしょっちゅう言っていなければいけない、私がその役をやらなくてはいけないのかと思って、しょっちゅう話したり書いたりしています。

 だけど日本のエスタブリッシュメントと言われる既得権がある人たちにとっては、そういう話はなるべく無視したいというのは当然の話です。自分の利権があるから。しかし利権があるのはいいけれども、日本の将来はそれを担う若者にしかありません。年寄りに将来があるわけないのだから。だから年寄りの責任は次の世代の日本人がどうやって明るい社会で世界に誇りを持って生きていけるかという社会を築くことこそわれわれの責任ではないかと思って私は教育をしているわけです。

 つまり私の言いたいのは、われわれが当たり前だと思っている日本人の考え方、価値観、そしてそれに従って自分たちが行動しているのは本当に今言っているような移植医療という西洋科学から入ってきたいわゆる先進医療を支えるような構造と価値観になっているのかということです。もちろん脳死はどこにでもいつでも起こるかもしれないから、いろいろな方の意見を聞けば当然どこにでもそういうことができる体制は敷きたい。

 しかし、国民は脳死だけではなくていろいろな病気を抱えている。どこにお金を投資するのかという話を国民との会話を通じてやっていかなくてはいけないのではないだろうかと思います。全部OKなんてことはないわけだから、それについては税金を払っている皆さんのお金をどこに使いたいのかということがパブリックの声であり、それが政治家を選んでいく一つの基準だと思います。

 日本では医療関係者は、製薬企業とか介護とか看護婦さんとかいろいろ入れて、総労働人口の5.5%です。アメリカでは健康関連産業、医療、介護、製薬、ヘルスセンターも含めて、全労働人口の11%です。つまり健康関連産業が国内の最大産業になっているのです。そういう世界を築きたいのか、相変わらず土建屋で日本人をコンクリート化したいのか、それが国民のチョイスだろうと私は思います。どうもありがとうございました。(拍手)

 スライドを一枚位置持ってきていたのに忘れていました。どんな問題でも見るときに、それぞれの個人の経験は大事ですから、こういうところでいろいろな話をききたい。だけど全体を見るということも大事です。正しくものを見るときには正しい物差しを使わないといけません。望遠鏡で近いものを見てもいいものは見えないし、遠くの星を見るのに拡大鏡を見ても見えない。より全体として何だろうということを決めていかなくてはいけないのだけれども、すべての人がハッピーになるデシジョンはあり得ない。といっても、プライオリティーは何なのかということ、10年、20年、30年先の日本はどうなのかということが一つの政策を決定するプロセスであり、そのプロセスにかかわるのは国民一人一人なのです。その一人一人が何のために投票したいのかということではないかと思います。ありがとうございました。(拍手)

 

若林 黒川先生、どうもありがとうございました。これで現場の問題から大きな問題まで一通り出揃ったと思います。ここで休憩をいただいて45分ぴったりから始めたいと思います。休憩時間に、先程千葉太玄さんからご紹介がありました『本当の脳死』ですとか、黒川先生と朝日新聞の田辺さんがお書きになった『医を語る』など、書籍を販売しておりますので是非ご覧ください。そしてメディアの方もたくさんいらっしゃっていますけれども、この時間は休憩時間ですので、休憩時間中の取材活動はご遠慮ください。それでは45分ぴったりに始めさせていただきます。時間まで皆さんどうぞおくつろぎください。

(第一部了・休憩)

 

 

第二部 パネルディスカッション

「臓器提供とそれを支えるもの」

 

若林 それでは時間になりましたので、後半のパネルディスカッションを始めさせていただこうと思います。それでは4人の先生方、よろしくお願い致します。まず、初めに今日の演者の4人の方々の間でお互いにご質問、ご意見などがございましたら、何かおっしゃっていただけますでしょうか。

どうぞ大田原さん。

 

誰がいかに臓器提供の説明をするのか

 

大田原 千葉さんにお伺いしたいのですけれども、千葉さんのご子息が脳死になられて、「最初の説明は救急医の先生はわれわれのするところではない」と言われて、そのあとに説明されたのが医師だったということですが、コーディネーターではなかったのでしょうか。

 

千葉 私の場合は、脳死の宣告を受けた直後に自発的にドネーションしたいと私の方から言いましたので、コーディネーターの方が出てきてお話をするということはありませんでした。

 

大田原 では、摘出医のほうでというか、移植の関係の先生のほうからそういうお話をお聞きになられたということですね。

 

千葉 ええ、検査したあとに提供同意書にサインする時にお話を伺いました。

 

大田原 そうでしたか。黒川先生、今はアメリカはOPOOrgan Procurement Organization: 臓器斡旋機関)というかたちですね。ですから、例えば別にカードがなくても、OPOのコーディネーターが出かけていって説明することになっていますね。日本の場合は、委嘱状を持ったコーディネーターがいないと同意書にサインしてはいけないとか言われていますけれども、私は無視してやっていて、いずれどこかで怒られるのではないかと思っているのです。その辺がちょっと気になったものですから。

日本でも昔は医師がやっていたのです。同意書そのものについては、法律上、確かにネットワークの関係した所でやらなくてはいけないということはあるのでしょうけれども、その説明をするということに関しては別にいいのではないか。同意書そのものはしかるべきものが必要とは思いますがね。

 

千葉 別の機会にアメリカから来たコーディネーターと同席することがあったのです。その時に、私はそのコーディネーターの方に、「私が自発的に臓器提供を申し込んだのだけれども、あの時私が何も申し込まなかったとしたらどなたかから説明があるのでしょうか」という質問をしたのです。そうしましたら、コーディネーターの方が首を大きく縦に振って「バイ・ロー」、法律によってとうなずかれました。臓器提供の意思を確認しなければならないという法律、Required Request法というのがあるそうですね。

 

大田原 意思を確認する場はあるようですね。

 

千葉 2番目の質問として、「それはどなたが説明するのですか」と聞いたのです。そしたら、「普通、たいていの場合は主治医の先生の求めで私たちコーディネーターがやります」と。「コーディネーターがいない病院の場合には、幹部の別のお医者さんがやる場合もあります」という答えでした。あちらにいらっしゃる間澤さんはやはりアメリカで提供された方なのですけれども、コーディネーターの方からの説明だったと聞いています。

 

黒川 アメリカはある意味では世界中で一番変わったといえば変わった国で、イギリスとかフランスとかドイツとかイタリアは、日本と同じようにある程度長い歴史があって、ヨーロッパは比較的混ざっていますけれども、日本は混ざらない。アメリカは300年の歴史しかないし、移民の国で、みんなが国やシステムをどう造っていくのかという対比が違うのが一つです。やりながらどんどん進めていく。

 もう一つは、アメリカの基本はアングロサクソンにあるわけで、これはヨーロッパ大陸でもイギリスだけが非常にユニークなのは何かというと、近代国家の中で法体系がコモンローという体系になっているのです。ところが大陸はナポレオン法ですから、ナポレオン法典という大陸法は全く違った体系で、上からびしっと国の法体系があって、そこに従ってみんな動いているのです。イギリスはそうではなくてコモンローですから、どんどん変えていくことが民意の反映になっている。それがアメリカの基礎にもなっているから、日本はそういう意味では、大陸法という法体系で生きているというのは、それぞれに住んでいる人たちと社会の契約の在り方という歴史的な背景があると思うのです。

 だからコモンローというのは時代の流れによっていくらでもだんだん変わっていくけれども、大陸法は基本的にナポレオン法からほとんど変わっていない、というぐらいナポレオン法がしっかりしているといえばしっかりしているのだけれども、今のようなグローバリゼーションで人がいろいろな所に行ったり、価値観がだんだんに多様になったりしてくると、だんだん動かなくなってしまうのです。だから今、グローバリゼーションのパラダイムはアングロ・サクソンのプリンシプルで動いているというのは、そこに一つの理由があるのではないかと思います。

 そういう意味では日本では大陸法のもっとがっちり固まってしまった官僚的なシステムですから、みんなが法律で決めないといけない、お上が認定してくれなければいけないと考えている。ところがみんなの頭の中にあるところに問題があると私は思っています。だからぜひこういう機会にいろいろな意見が出てくるという話を、またすぐに厚生省か何かに陳情に行って、何か決めてくれないとみんな動けませんと言うようなメンタリティー自身に問題があるのではないかと思います。

 

若林 今のお話を伺っていて、相馬さん、何かコメントをいただけますでしょうか。

 

生命の不平等−都会と地方の格差

 

相馬 実は私も知っておいていただきたいことの一つとしまして、去年家内が亡くなりました時、その後12月、1月と続いて東京、川崎、東京と脳死の臓器提供がずっとありました。それを見ますと私はとてもやりきれない思いをしたのです。といいますのは、地方で臓器の移植が困難な実情、そういうことが成功例の陰にみんな隠れてしまうわけです。だれがそれを情報発信するか、だれがそういう実情を訴えるか、そういうことが従来は全くなかったのです。それでつらかったのですけれども、マスコミを通して訴えたり、厚生大臣に要請をしたりしました。ただ、それは本当に小さなことです。でもそういう小さなことが必要ではないかと私は思っています。

 法律は国民のためにあるわけです。等しく公正にと言いますけれども、従来のそういうことから考えますと、命の不平等が東京のような大都市と地方では大きな差があるのではないでしょうか。私は、それは医療を受けるほうから情報発信をすることも必要だと思っております。

 

若林 医療の地域格差の問題で、息子さんの生体腎移植の際に、北海道にいては生体腎移植はできませんでしたね。当時はシクロスポリンもプログラフもできていないころですし、東京へいらっしゃって、長谷川先生のところにたどり着かなければできないという事情があったわけです。

一方で、臓器提供をされる際にも、函館では市立函館病院という臓器提供施設でなければ提供できないという現状があって、先程大田原さんのお話の中にもありましたけれども、提供しないという意思は本当に尊重されるけれども、提供するという意思がなかなか尊重されない。しかもその病院から提供施設へ移すこともできないという現状の中でどうしていったらいいかを考えなければいけないということですね。

 

相馬 当時16年前ですと、札幌で腎臓の移植は年間に数例しかなかったのです。それで成着率、生存率は3ヶ月かせいぜい半年でした。そんなときに私は知り合いを通しまして清瀬の小児病院を紹介していただきました。その時長谷川先生が病院の中を案内してくださったのですが、先生はその時は既にアメリカでそういう技術を習得して日本に帰られて10年近くたっておりました。日本で移植をされてから10年近くも元気で生きている方がいたのです。病院の中の子どもさんたち一人一人を指しまして、「私が手掛けた子どもはみんな私の子どもです」とおっしゃってくださいました。その時に本当に「この先生なら私の息子を救ってくださる」という信頼感が出ました。

 結果として、それが正しい判断であったと思います。札幌から東京に来まして、東京都民になって東京都の医療でうちの息子は救われたのです。ですから私はそれを本当に感謝しております。ただわれわれ経験した者の口から東京と地方の差を訴えて求め続けることは必要ではないかと思っております。

 

若林 地域格差の問題ですけれども、黒川先生、アメリカなど他の国の場合はこの問題についてどうなっていると考えたらよろしいでしょうか。

 

各国の医療制度

 

黒川 アメリカは他の国とは全く異質な国だということをまず理解する必要があります。アメリカの場合は非常に例外的なのです。だからアメリカがスタンダードだと思ったらすごくまずいのです。アメリカは総医療費がGDPの15%ではないですか。それをみんな希望しますか?しかも、その医療は国の政策医療ではないのです。全部保険会社がプライベートで競争しているのだから。それでもいいわけ?大体4,000万人ぐらいの人は保険に入っていない。お金がないから入れない。それでもいいわけ?そういう話が出てくると、いいところばかり言うけれども、悪いところのチョイスはいいのかということが出てきます。

 でも、アメリカではメディケイド[1]やメディケア[2]で医療費の大体5%は国から出ているのです。低所得者と高齢者。だけど同じようにいい医療は受けられない。一方、日本は誰でもどこでもいい医療を要求できる。だけど近くないから不便だなんて言っているけれども、それをみんなでやりますか?北海道の人口は全部で570万ですが、非常に広い所だから相馬さんがおっしゃることももっともなのだけれども、それでは北海道の道民は公共事業のお金を欲しいのか、健康に投資してほしいのか、という問題になってくるわけです。

 もう一つは、これは全部中央集権で、税金で吸い上げてしまって地方に分配しているという国の在り方の問題で、財源も権限ももっと地方に委譲しろと。例えば国立大学なんてそうです。全部公立にしてしまえと私は言っています。国立大学なんて予算も文部省、設置も文部省、定員も文部省。これは国立大学ではありません。国営大学です。そんなのは今のG7ではとんでもない、時代錯誤もはなはだしい。だから財源も権限も全部地方に委譲しろ。地方がそれぞれやればいいのです。それで競争すればいい。それを全部中央集権にしているところに日本の時代錯誤があるわけです。外から見るとおかしいけれども、日本人にはそれが当たり前に見える。

 日本の人たちはみんな国立大学があって当たり前だと思っているでしょう。それは開発途上国には必要なのです。明治時代の日本を思い出してください。限られた財源を人材の育成に投資しているのだから。G7で国立大学があるのは日本とフランスだけです。しかもその国立大学にエリートと言われる人たちが行って、その人たちが公務員になりたがるなんていうメンタリティーは日本とフランスだけです。ハーバードやケンブリッジやオックスフォードやスタンフォードに行った人が公務員になろうなんて思うと思う?そういう日本の異常さにどうして日本の人たちが気付かないかというのは、外国で長く暮らさないと分からない。そこに問題があると私は思います。

 ヨーロッパはもっともっと公的な医療制度になっています。だけれども、自由診療も入っています。つまり、フランスもそうだけれども、国でやっているパブリックアシスタンスという所に行って、国公立の病院は全部保険で面倒見てくれます。だけどサービスは割と悪いとか個室がないということについては文句は言えません。そういうサービスのいい所がよければ自分でお金を払って行ってくださいということです。だからそのチョイスをたくさん挙げている。日本はチョイスがない。そこにまた問題があるのではないか。だからチョイスはあなたです、だけどセーフティーネットは国で保証していますというように展開したいと私は思っているのです。

 そういうことから言うとイギリスは全部ナショナルへルスケアサービスですから、主治医が決まっています。主治医に相談して、主治医が専門医に行くかどうかを判断してくれない限り、専門医には行けません。自分で勝手に行ったら、全部自分で費用を負担するというシステムです。その代わり医師さんへの信頼と市民の信頼感はある程度歴史的に存在している。そうしたいですか?日本は患者さんが全部自分で勝手に診断して専門医の所に行くでしょう。次の日に、あの先生に行ったけどおかしいから信用できないということで今度は大学病院に行くでしょう?どこに行っても同じ薬をもらってみんな捨ててしまうではないか。それでもいいのですか。そういうあまりにもチョイスが自由になっているところにまた問題はある。どういうものが欲しいのか、国と国民がもっともっとキャッチボールしなくてはいけないのです。医師会と厚生省と健保組合だけでは駄目です。そこにどう切り込んでいくかという話を、医療改革、医療にもっと投資するという議員さんに投票しようという話になってくれば話は別かと思います。

 

大田原 すみません、私も国立の人間ですけれども(笑)、国立大学というのは確かにそういうところがあります。移植医療について言うと、先程黒川先生が言われたように、ネットワークそのものの予算も非常に少ない、国の予算も少ないということがあるのです。移植医療に携わっているとほとんどボランティア、それが当たり前なのです。その当たり前を今度は救急の先生方にも押し付けるようなかたちを取らないといけないという、そこもまた非常に苦しいところなのです。

 少なくとも我々が2日、3日徹夜するのは全然構わないのですけれども、それと同じように付き合ってやっている救急の先生方を見ると、普段だってそういうことをしょっちゅうやっているのに、さらにそのうえに、脳死ではほとんど治療することがないはずなのに、病院の関係者としてそこに付き合わないといけないということも起こるのです。病院としての負担もかなりしんどいものがあると思うのです。ですから、病院の中でシステムをどう回していくかということも非常に重要なことです。そういうことで一番遅れているのは国立大学なのです。

私のところはおそらく国立大学では移植を一番たくさんやっているのに、ドナーの数が一番少ないのは国立大学の問題とも関わっているのではないかと思います。

 

黒川 一生懸命やられていないんじゃないの?

 

大田原 そうですね。国立の一番悪いところではないかと思います。だからその辺をきちんと変えていかないとなかなか難しいですね。ところが、社会一般で見ると、国立だ、すごい、あそこに行けば何とかなるという考え方になってしまいます。その辺がどうも納得いかないです。

 

医師の研修制度とプロ野球

 

黒川 例えば、これから国立大学とか国立の病院が独立法人化されたら、皆さん、どう思いますか。つまり病院というのはあなたたち一人一人も問題があるから行くわけではないですか。命に別状がないような病気だったらどうということもないかもしれないけれども、例えば手術をする、移植をするというときに、今これだけ情報が公開されていて、自分の身を託すのだったらだれがいいですか。東大の教授がいいと思いますか。つまりそういう時代になってきているのです。チョイスはあなたたちにある。

 だから今までは、医師のトレーニングにしても定員にしても、例えばまたあさって岡山で話しますけれども、アメリカでは年間に16,000人の医学部の学生が卒業していきます。そのうち脳外科の医師になれる枠は60人分しか与えていません。なりたい人は全国で60人のうちの1人に入るかどうか一生懸命競争するのです。その代わり入ったら7年間のプログラムがあります。朝から晩まで働かせられて、給料は4万ドルぐらいです。しかも医学部に行く前には4年間大学に行ってから医学部4年行っているのです。それはなぜかというと、その研修医のトレーニングには1人当たり10万ドルが国から出ています。そのうち研修医の給料が4万ドルだから、6万ドルが大学とか病院に入るのです。

 例えば外科の医師になるのであれば、レジデント(研修医)1人当たり10万ドル出てきます。だけど5年間やらなくてはいけない。5年間の間に手術を500例やらなくていけない。研修すべき症例の種類も全て決められています。それだけの手術が行われていない病院ではそもそもレジデントを採用できません。パブリックからのお金をもらっているのだから、それなりの医師というプロダクトを社会に送り出すということを保証するというシステムを作り出しているのです。これが長い歴史のある、プロを作る世界なのです。

 だけど、日本はアメリカの半分の人口で脳外科の医師を何人作っていますか?それぞれの大学が勝手に医局に入局させているから分からないでしょう。それで5年したら適当に脳外科の専門医になっているでしょう。それでも手術してもらいますか?つまり、アメリカの専門医というのはそこまでの質は保証しているから安心感がある。その代わり競争が激しい。常にパブリックに見られている。それでやるだけの覚悟があるの?

 その一番いい例をお話しします。日本は何にも明るい話題がなかったけれども、去年は毎朝BSで見ているイチローでしょう。この間プロデューサーに会ったら、BSの視聴率がものすごく上がったと。それまでも野茂が6年前から出ています。だけどあの時は野茂がやる試合しか映さない。5日に1回です。だけど野茂がいたから吉井が行って、長谷川が行って、伊良部が行って、それなりに頑張っても駄目な人もいたけど、それで佐々木が行って投げた。佐々木があるのもイチローがあるのも野茂というアドベンチャリストがいたからです。だけど30年前に野茂がいてもそんなにインパクトはありません。

 今、テレビという媒体で、国民みんなに推し量らずに、生をライブで見せているから、それを見て、みんな「メジャーは面白い」と思い出したところに、5年後にイチローが出てきた。しかも野手だから毎日試合にでてくる。毎日放送した。イチローが活躍したからますますみんなが自信を持ってきて、日本人であることを非常に誇らしく思ったでしょう。これがプロなのです。

では、日本の医師がどれだけプロかということです。野球ほど簡単には分からないけれども、みんなが気付き始めている。それを問われているのが今の医学教育の問題、卒業研修の問題で、こういうことは医師が自発的に言っているのではない。パブリックがだんだん気が付き始めて、プレッシャーがあるからやっているのです。野茂が行ったおかげで6人のプロ野球選手が日本から行った。それのインパクトはいくらでもあります。

 それに、午後からやる日本のプロ野球が面白くなくなってきた。読売ジャイアンツの視聴者がどんどん下がってきた。ナベツネの言うことをだれも聞かなくなってきた(笑)。これが一つ目。

 二つ目は、プロ野球選手はみんな野茂と佐々木とイチローは特別だという言い訳をみんなに言っていました。だけどこれができなくなってしまった。それは新庄がけっこうやったからです(笑)。新庄効果。これから世界に打って出ていくような高校野球の選手みたいに若いやる気のあるやつが、俺もあっちでもできるかもしれないと思い出したことです。だから日本のプロ野球はどんどんつまらなくなっていく。

 つまり、プロの世界でプロとして本当に勝負できる人が本当にいるのだということを、日本人が、パブリックがちゃんと判断できるようになってきたということなんです。医師も同じことです。アメリカはそういうプロの医師を作るシステムをもう作ってきているのです。これはすごいことです。社会に対して、税金を払っている人たちに対して何をしなくてはならないかという話が基本的にある。それがコモンローの世界なのです。国がお上が決めているシステムではないのです。

 もう一つ大事なこと。野茂が出てからも一人として読売ジャイアンツの選手が行っていない。これはどういうことだと思いますか。それは日本に非常に暗示的なことだと思います(笑)。

 

日本の「プロ」

 

千葉 日本のことについて思うのですけれども、日本の医師はプロになるように学生に教育をしていると言っているけれども、教育をしている医師がプロではないのではないかと私は思うのです(笑)。というのは、死を宣告するのは医師法によって医師の専決事項なのです。法律家とか評論家がこの人は死亡ですなんてことはやってはいけないことなのです。その大事な権利を放棄して責任転嫁して、脳死に関しては自分で宣告すべきなのに、それを患者の家族に決めさせるという、それが現在の移植「悪」法なのです。

 そのことを本来は医師がおかしいと思わなくてはならないのです。いろいろな医師、アメリカだけではないのです、オーストラリアとかイギリスとかドイツとかに研修に行って、医師がきっちり死亡宣告をするのを見てきて帰ってきても黙ってしまっている。「こうしなくてはいけないのでしょうか」と何で言わないのか。

 そういうプロとしての責任転嫁とか義務を放棄していることからしますと、例えば台湾の医師はすごく偉いと思うのです。台湾では1987年に脳死法を作っているのです。それから韓国の脳死への対応を見ると、脳死判定は通常6時間置いて1回目と2回目をやるのですが、小さい子どもでもうんと小さい子どもの場合にはそれを48時間おいてやるとか、何歳から何歳までは12時間おいてやるとか、韓国は小児の脳死をきちんと宣告する法律になっている。同じアジアの中で本当に日本の医師はだらしないと思うのです。

 

黒川 実は千葉さんが、ドクターが自分の責任で死を決めると言われたのがまさにそうだと思うのです。だけど、今、日本にはプロがいないと言ったけれどもそうです。ではほかにプロがいますか。野球でさえもそうなのです。日本ではみんな読売ジャイアンツが一番いいと思っていたのだから。つまりそういう日本の国の中である階層を作っていて、その階層のどこにポジショニングするかでその人の価値を決めるという社会なのです。

だから今までの日本では決してプロは育ちません。アメリカが特異だと言ったのは、イギリスでもフランスでもプロがいないかもしれないけれども、しかしその医療を受ける人たちの文化と価値観に合った人しか絶対に作ってきません。それでよかったのだから。だから今まではほとんどの人が東大の教授の医師は偉いと思っていた。次は京大だと思っていた。そういうのが頭の中に入っていませんか。それはどうして?

 それでは、東大の教授になるプロセスをお話ししましょうか。この間僕はBSテレビでそんなことを言っていたからびっくりしました。臨床の教授の基本は腕だとすると、ほとんど東大の教授は東大出身の人ではないですか。阪大もそうです。京大もそうです。つまりそこに入試で入ったというだけの話です。入ったあとは、先程の脳外科もそうだけれども、そこの医局にいてずっといればいいだけです。外にバレないようにしている。それで教授になったら社会が偉いと思っている。それで済んでいたのです。だからそう思っている限りはプロと言われる医師も野球選手も役人も会社の社長もすべて社会に対して説明責任があるだなんていうモチベーションがあるはずがないではないか。

 金融も、銀行が駄目になったのはなぜですか。みんな大蔵省と護送船団になって隠していたからでしょう。だからファイナンスのプロなんていません。目利きなんて全然できないのだから。今そこがグローバリゼーションといって、1,800万人が外国に行くのだからみんな何となく分かってきて、外国人も毎年500万人も日本に来るのだし、みんなテレビでいろいろなことを見ているのだからちょっとおかしいと思いだしているのだけれども、何が根本的におかしいかという日本の価値観がみんな組み入れられているから違うというギャップがなかなか見えてこないところに、野球の野茂みたいに非常に単純なのがぱっと見せてきたから、今年のワールドシリーズなんてすげえ迫力あるなと思ったではないですか。これはいったい何だ。プロがバトルをしているということです。

 だからアメリカの場合は日本人が来ても中国人が来てもイタリアンが来ても、医師になったらこういうプロにするというシステムを組んでいる。つまり大学4年行って医学部に行く。研修では同じ医学部には行かせない。コンピューターのマッチングです。しかも外科は必ず5年で500例は手術させる。コンピューター登録されているから、2人の研修医が一緒に手術したのはすぐにバレてしまいます。そういうことをやって、社会に対してこういう専門医だったらここまでの腕は保証していますという、これがアメリカのすごいところです。だけどアメリカ以外にはなかなかこんなことはしないです。

 こういうのが一番やられているのはイギリスの伝統です。プロを育てるというのが非常に大事で、例えば、イギリスではフォークランド諸島の戦争があった時に、一番初っ端で飛んでいったのはだれですか。アンドリュー王子でしょう。つまりイギリスのエリートは普段は威張っていてもいざとなったら先頭になっていく。日本のエリートは普段威張っていて、いざとなったら先に逃げる(笑)。これが日本とイギリスのエリートの違いです。

 

「亡くなる」ことを切り出す

大田原 先程千葉さんが言われたような脳死の件ですけれども、医師に「亡くなっています」とその場で言われれば、われわれコーディネーターはどれだけ楽かと思うのです。脳死であって、とにかく医師は頭の中ではそれは死んだことになっているわけです。それから心臓死の間にわれわれが話をするわけです。それは死んだとしての話ではないのです。今ご存命だけれども、心臓が止まるまでにこれをします、止まったらこれをしますと。だから亡くなるというところがどこなのかが非常に曖昧模糊としているわけです。その辺をきちんとしていただくことによって恐らく提供される方のほうも非常に頭の中がクリアになると思うのです。説明するほうもすごく楽だと思う。それはものすごく感じます。だから話をしていても「亡くなる」という言葉を出すのがどこかというのは非常に迷います。それが非常に苦しいところです。

 

千葉 コーディネーターの方には大変ご苦労だと思うのですけれども、国際的に考えると、死んだ人に治療しているわけです。明らかに脳死になって心臓が止まるまでの間というのは死後になっているわけです。先程の私のスライドでもご覧に入れましたように、脳死になりましたというときが死亡時刻になってしまうわけです。それで呼吸が止まるまで放っておけば5日なり10日なり動いているわけです。柳田邦男さんの『犠牲』(文春文庫)という本を読むと、日本医科大学で脳死の判定を受けるのですけれども、私のケースで言えば、その2度目の脳死の判定で「力になれず申し訳ありませんでした」と先生が言って、「いや、十分にしてもらいました」と柳田さんが答えたところが本当は死亡時刻なのです。

 ところがそのあとに、おかしいことに、「脳死になりましたけれども最後まで面倒を見ます」と言うのです(笑)。最後まで面倒を見ますと言うと何か優しいように思うではないですか。だから柳田邦男さんも「とても温かく感じた」と書いてあるのです。ところが実際は、死後治療をしているわけです。それを最後まで面倒を見ますといういい加減な言い方をしているわけです。それは極端な言い方をすると、死んだ人に治療するのはお金が欲しいからなのです。

 

黒川 呼吸器の使用料ですね。

 

千葉 ええ、24時間ケアしていますから。一日の費用は大変高額なのです。その高額の医療費は患者の家族も負担しない、病院も負担しない、みんな健康な私たち国民の医療費です。だからこれはおかしいと言って、国民が声を挙げるべきなのですけれども、私のような国民が一人で言ってもなかなか通じない。だからマスコミにお願いしたいと思うのだけれども、マスコミも私のような小人が言うことは取り上げないのです。それで柳田邦男さんみたいな名の知れた人が言うとわっと飛び付いてやってくれる。そういうところに非常に挫折感を感じます。

 

大田原 ただ、我々がやっていると、やはり亡くなられるところのポイントをどういうふうにもっていくかというのは、医師のほうでも自分への自信や、患者さんの家族の状態、いろいろなことを考えているのだろうと思います。その間で軋轢ができないように非常に注意をしているのです。なぜかというと、脳死になるまでにどれだけ頑張ってやったかということだけだと思うのです。ですからそれを頑張ってやっていれば、それは千葉さんと同じように納得できることだと思うのです。

 

千葉 そうですね、この目で見ているわけですからね。

 

大田原 その自信がなければないほど、それをあとにずらしていって、最後の血圧が低くなったところで、「もうどうしようもありません」と言うことになってしまうわけです。どれがいいかというのは、僕らは現場に立ち会うわけですけれども、実際に患者さんを見るわけではないですから分かりませんけれども、恐らくその信頼関係が非常に頭の中にこびりついているのではないかという気がしてならないのです。

 

黒川 いろいろな貴重な意見が出て非常にありがたいのだけれども、やはり患者さんとその主治医、救命救急の先生との信頼関係、それを短期間に構築できるかということが一つあるわけです。柳田さんもご自身のお子さんのことになると、やはり当然それは予定された死ではないから非常にアップセット(upset)します。それを認めたくないというのも当然の気持ちだし、何とかしたいというのは当然だから、実際に自分たちが納得するまでにはかなりの時間的経過があります。それは人によって随分違うと思うのです。シチュエーションによって、同じように交通事故に遭われても、脳死になるのが10時間だった人もいるし6時間の人もいるけれども、そこまでの家族の葛藤とかそういう話をどう受け入れるかというのはバリエーションがすごく違う。

 先程言ったように、人工呼吸のいろいろな器械を着けていたとしても「おしまいです」と言ってさっと取るというのも非人間的なところもあるから、どういうふうに最後の死を看取っていくかというセレモニアルなことについては、やはり患者さんが満足するというのは何なのかというのは常にあります。僕らもやはりがんが見つかったら告知するかといえば、患者さんと家族としばらく話をしながらどういう価値観で生きてきた人なのかなと何となく探りを入れます。お互いに話をしながらそろそろ言ったほうがいいのかもしれないなと、何となく言外ににおわせながら言っているのです。

 しかし普通は、日本の場合だと、先生方もよくご存じだと思うけれども、最近変わってきているのかもしれないけれども、一番信頼されていそうな近しい家族に言う。例えば奥さんなのか子どもさんなのか、場合によっては違うと思うのだけれども、「実はご主人はがんであと6ヶ月」という判断をして、少しずつ反応を見ながら何となく切り出していくではないですか。

 だけどそれは先程言ったように、今までの日本の健康保険では自分の負担が少なかったから、普段は近所の医師に行っても、何かあってぱっと大学病院なんかに行ってしまうと、そこにいる主治医は今までの関係が全然構築できていないわけです。みんなはそれがいいと思っているのだけれども、普段から見ている医師がいればその人の家族とかいろいろなことを知っていて、アメリカはオープンシステムだからそういうことが非常にやりやすいのだけれども、その先生の紹介で来るから「ガンだったらどうしましょうか」と普段から見ている主治医に相談して、その先生が言うという話もある。

 日本の場合は、病院に行ってしまうと1ヶ月ごとに主治医が替わってしまったりしていろいろと軋轢があるところに、さらにまたいろいろなカルチャーがあるから、それについていろいろ言えない。だけど言うときはばんばん権利は主張する。そういう情況になったのはなぜかという話もいろいろあるのでなかなか難しいと思います。やはり死の事情にはいろいろなプロセスがあって価値観があるから、一概に呼吸器をはずせと言われてもそうはいかない。その辺はいろいろなシチュエーションの中で、医師やコーディネーターがいろいろと苦労しながら相手を見ながら話をしながらやっているのだけれども、時間の経過もあって価値観をつかんでいくのが難しい。コーディネーターをしている人はそこですごく苦労していると思うし、医師もしょっちゅう苦労していると思う。

 イギリスやフランスだと普段の主治医がいるという制度になっている。特にイギリスはそうで、主治医の許可がなければ専門医に行かれない。そうなると何かあったらとにかく主治医にどうしようかと相談する制度があるので、家族関係もみんな知っています。日本で医師と家族、患者さんとの間の関係の断絶が、国民皆保険になってからは非常に存在しています。その辺をどう構築していくかという医療体制が非常に大事なのではないか。

 それから、もちろん医師の側は一人でもクオリティーのいいプロに育てる教育をしなくてはいけない。その政策は、私が先程言ったように必ず混ぜろ、強制的に混ぜなくては駄目だと言っています。日本人の先生もアメリカに行って3年のプログラムでちゃんと行けばきちんとそこまでになってきますから大したものだと思います。

 

千葉 私の体験ですけれども、病院にいたのはたった4日間なのです。そのわずか3日か4日、面会時間に通っている間に、本当に生の世界に連れ戻すために努力をしてくれているという気持ちが言葉の壁を乗り越えて伝わってくるのです。医師もそうですし看護婦さんもそうです。だから亡くなったと言われた時には、助からなかったけれども本当にベストを尽くしてもらってありがとうという感謝の気持ちでいっぱいでした。

 それと、これも試行錯誤の結果そういう手法はだんだん考えてきたのだろうと思うのですけれども、脳死の場合にはぶっきらぼうに「はい、ご臨終」と言うのではないのです。朝の面会時間の時に最後の死亡宣告の予告のようなことを柔らかく言ってくれているわけです。ああそうかと思わせるような気分にしておいて、「脳波が平坦になりました」と、こちらの顔を見ながらどれぐらい理解したかというのを時間をかけて本当に親切に言ってくれたという気がするのです。

 

黒川 病院に入院した患者さんの周りにいる医療スタッフの数が圧倒的に違うでしょう。

 

千葉 そうですね。ですから、最後に臨終の宣告をする時も主治医ではないのです。主治医の上司のような少し年取った方が宣告の話をするのです。その時に主治医は宣告のやり方を学習しているのです。やはり上の方が説明するのを横で聞いていて、主治医の先生は若い人ですけれども、こういうふうに宣告するのだなというのを実地で学習して、人によってうんとかけなければいけない人にはきちんと時間をかけて、こちらからもあちらからもいろいろな角度から説明してきちんと納得するまで根気強く話します。

 

黒川 そのドクターはレジデントかもしれないけれど、外科では大体5年やるんです。内科だと3年だけど。同じ大学の出身者はマイノリティのはずです。つまり必ず混ぜている。その先生もそこの大学でなくて、そういうプロセスを経てきていますので、だれに見られているか分からない。その卒業生がよその卒業生ばかり混ざっていますから、あそこの大学は良かった、悪かったということが全国にすぐに分かるようになっている。だから、その先生もそういうよそから来た人から評価しているから、きちんとしている人しか残れなくなっている。

 だけど日本だとそうではないです。偏差値の高い大学に一生懸命勉強して入ったら、それっきり勉強しなくていいわけでしょう。国試さえ受かればいいのだから。そうしたらそこで入局してやってくれるのだから。だから、そこの縦だとか横に絶対行かないとなれば、そこのルールでやってよそは一切知らないわけです。という人が育っていたからなので、「これは医師がけしからん」とおっしゃるかもしれないけれど、それじゃあ大蔵省の役人になるためには、東大の法学部に入る偏差値が必要なだけで、そこからあとは勉強する必要がないわけです。国家試験の前に最後に予備校に行って、試験に受かればいいのではないですか。いい点を取れば。それで決まるわけです。それで混ざらないわけです。これは全部です。三菱銀行に入ったら、10年してから住友銀行に行けますか?つまり混ざらないことを良しとしているのが日本のシステムなのだから。つまりプロではなく、サラリーマンを作ってきたのが日本なのです。組織に属している人しか作っていないのだから。

 アメリカの場合は100万人当たりのベッド数が日本の4分の1です。だけど医療スタッフは日本の4倍です。看護婦さん、ドクターそれからいろんなコメディカルの人。ベッドの周りにいる人が圧倒的に多いです。だから患者さんが満足している。日本は医師を呼んだって来てくれない。看護婦さんも来てくれないとみんな言うけれど、そういう人たちにお金を払おうともしない。そうですよ。足りないにもかかわらず、わざわざ医療費を30兆に抑えると言って、医師も減らそうなんて言っているけど、しかし受けるほうから言うと医師がどう見ても少なそうに見えませんか。だから事故が起こりやすい。看護婦さんが少ない。だから、われわれはもっと医療費を使ってもいいから、看護婦さんも若い人をもっと増やしてくれと言うべきなのです。

 それで、私が医師を倍増しようと言っているのはなぜかというと、倍増すれば質の悪い人はどんどん淘汰されて、医業をやっていけなくなるのではないかと思っているのです。それと5年ごとに免許の更新をしようという話を医師会にも言っているのだけれど、そういう話をわれわれのほうから、医師についてはしなくてはいけない。医療費はもっと増やさないと、医療を実際に受ける現場は、非常にかわいそうです。だけど医療費なんて自己負担が増えると言うと、とたんにみんな反応して、やっぱり土木か何かの橋を造ってくれる先生のほうが偉いと思っているところがまたおかしいと思っています。

 国民の世論調査で70%が、「安心して生活できる社会を作ってほしい」。それは土建じゃないはずです。

 

若林 どうぞ。

 

医師という職業−脳死判定基準の「6時間」

 

菅野 ほかにもこの場所にドクターがおられたら、ご意見をお聞きしたいのですが。私も医師で、しかも千葉さんと同じにドナー・ファミリーです。だけどはっきり申し上げますけども、千葉さんのような意見の方ばかりでは、僕はないと思います。

私の弟も最後は脳死で、どこが死の判定かは主治医が、私も医師のはしくれですから、非常に気を使ってくれていることが分かりました。いつ死の宣告をするか。それから腎提供のためのカニューレーションをいつするかという問題では私も非常に悩みました。皆さんは医師というのは何でも治療できる、何でも薬で治せると思っておられるのでしょうけれども、私が医師になって一番感じたことは、こんなにも病気が治らないものかと。特に尿毒症なんていうのは地獄です。

 そういうことで、いろいろ苦労して参りましたけど、私はあんまり腎臓の患者さんが苦しんでいるから、結局腎臓の研究をして、透析ということをやって、私自身がお世話をして、20数人の患者さんに移植を勧めました。昭和40年の初めですけども、その当時腎臓移植をしてくれる所は全国で数えるほどしかない。私は沼津の市立分院におったのですけれど、千葉大学までレシピエントを自衛隊のヘリコプターで空輸して行ったこともあります。そういう中で、死体腎、生体腎それぞれいろいろな思いをしました。

先ほども申し上げましたが、医師になった時に感じたのは、何でこんなにも治らない病気があるのか、こんなに医師は無力なのかということと、それからもう一つ。

 皆さんは医師は何でもできると、尊敬してくださっている方が多いと思います(笑)。そうでない方もおられるかもしれませんが。だけど医師の一番大事な使命は何かというと、死の宣告です。われわれ医師が「この人は亡くなりました。ご臨終です」とベッドサイドで手を合わせないと、牧師さんも祈祷はできないし、死の宣告をしないと24時間後に火葬もできないわけです。

そういうわけで、死の定義は先輩に「こういうときがご臨終ですと申し上げるときだ」と教わりました。タイミングが早すぎますと「ご臨終です」と言ったあと、空気を吸い込んでいたのがふっと息をする。そうすると「先生は死んだと言うけど、まだ息をしているではないか」と。現実にこういう問題が起こりますから、早まってはいかんと。それで死の定義は何だと一番初めに先輩に教わって、これは医師しかできないのだと。これが一番大事なことなのだと。ということで、薬、注射よりもこのことをきちんと、死の認定をしなくてはいけない。これが医師のつらいところだけれど、これが医師の一番大事なことなのだと。

 ところが脳死の問題が出ると、黒川先生、われわれの世代は、脳死は教科書では死の定義ではなかったわけですね。

 

黒川 そうです。

 

菅野 ですから、昨今臓器移植法ができてから、カリキュラムで恐らく脳死の講義も当然なさっているでしょうけど、われわれ医師も脳死の判定基準が回ってきて、こういうのが脳死の認定だとは知ってはおりますけども、現実には弟の臨終の時に、私が医師なものだから、主治医がものすごく苦労をしていたと思います。いつ認定をするかと。そういうときに「もう死んだのだからいいや、レシピレーターをはずしてくれ」とか、そういうことはなかなか言えないのです。だから、千葉さんのお考えのような方が、全国民のコンセンサスであればそれでもいいかもしれないですし、そこのところは黒川先生がいろいろご苦心して、ご説明なさっていましたけど、本当にケース・バイ・ケースであって、むしろファミリーがいかに考えているか、ということです。

心停止の場合はだれが見たって、心臓は動いていないは、血圧は測れないは、脈はないはで、それは見れば分かります。しかし脳死の場合の判定に関しては、極論すれば家族の意思を尊重してもらいたい。

 もう一つ言いたいのは、2度の脳死判定の時間があります。あれは何のために時間を設定したのか。第1回の脳死判定の結果によっては、脳死の基準も変わってくるかもしれません。いろんな状況が出てきますから。逆に、完全に脳が交通事故か何かで座滅しているのに、今の脳死の判定はできません。何故かと言えば、例えば、カロリックテスト[3]ができないわけです。完全に臨床的に脳死であっても、カロリックテストができないから脳死の判定ができないとの話も聞きました。そういうこともあるから、多少矛盾したことがあって、脳死の定義も違ってくるかもしれませんけど、私は一番大事なことは、2回目の脳死の間に、法的に時間を設定するよりも、例えば移植の話が絡んだら、家族があきらめたというか、納得したというか、「よし、それで移植に同意しよう」ということができたなら、何も6時間だ10時間だと待つことはないと思うのです。ですから医師の一員として、私も日本医師会の会員のはしくれですから、そういうことを申し上げて。

 それからもう一つ。もしレシピレーターを付けて、1時間にいくら費用がかかるのかのという問題ですが、「もう脳死でございます」と。「だけど気が済むまでレシピレーター付けます。ただし、1時間につきいくらかかりますよ。それも健康保険でなく、自費だとこのくらいかかりますよ」といったことを言ったら、悪いけど経済的なことで家族はあきらめが早く付くかもしれません。だけど、健康保険ということでカバーして、金銭が表に出てこないと、医師のほうも「まあレシピレーターを付ければ1時間なんぼもうかる」と計算する人がいるかもしれません、残念ながら。しかし私は医師の一員として申し上げますが、医師の良心として、経済的なことで時間を延ばすことは少ないと思います。

 黒川先生のところに私の息子もご厄介になって、研修を受けていますので、息子もわれわれと同じ医師族でございますので、医師の名誉にかけて一言、言わせていただきました。どうもありがとうございました。遅ればせながら、私は静岡にある菅野医院の院長の菅野と申します。

 

大田原 先生ありがとうございます。静岡ではいつもいろいろと教えていただいています。先生が言われるように、先程私がスライドを出したのですけれど、現場を非常に重視してくれというのは、それがあるのです。医師は医師の立場がありますし、コーディネーターはコーディネーターの立場があります。それを十把一絡げに、これは駄目なのだ、これはいいのだということで判断するのではなしに、それぞれのケース、それぞれの場でこれが一番いいことなのだということが各専門職の判断で自由に行われるのが、一番いいことだと思うのです。それが行われるようにならなければ、なかなか先に進めないのではないかと感じています。

 

若林 盛り上がってきたところで、残念ですけど、黒川先生はこの後にご予定があるそうで、最後に一言いただきたいと思います。

 

黒川 予定がありまして、先に失礼しなければならないのですが、私が臓器移植専門委員会どうしても引き受けなければならなくなったときに、「公開してくれ」と言ったのは、例えば遺族の同意などの大事なことです。では「遺族って何?」と言ったら、家族の同意です。そういう話が出てくるに決まっているから、同じ報告するのでも、どういう議論が出たかを、みんなに聞いてもらいたいわけです。その大事な一瞬になったら必ず、全部の委員に「どう思いますか?」と言ってもらうようにしているのですけど、そのプロセスを経て、だれかがどこかで結論を出さなければならない。100%正しいなんてことがあるわけないのです。だから、大勢はこれだけいろんな意見が出たのだけれども、こういう議論があってこうなったと、私は決めていきたいと思ったので公開しているわけです。

 そうすると新聞記者がいろいろ書きますが、みんなに聞かせているから、書いた新聞記者の腕が分かってしまう。そのほうが余程健康なのです。いくら議事録を出しても雰囲気が分からないですから、最後のプレスのときにこう言ったこと、あれはどうした、これはどうしたと言われるに決まっているから。だからこういう議論も、特に公的なものはそうなのですが、全部開かれている所でパブリックと会話をすることは、すごく大事なことで、だんだんそうなっていくのではないか。だから、医師の教育もそうだし、トレーニングもそうだし、病棟の話もそうだし、医療のマンパワーもそうだし。そういう話をもっともっと国民とシェアして、どういうことをしましょうかという話を、どんどん投げていかないといけないと思います。

 だから、特にこうあるべしとか、一つの価値の話も大事だけども、価値の多様性があることをみんな認識して、それを受容していく。そのうえで「こう決めていきましょう」というプロセスが、これからの日本では特に大事だと思っていますので、そういう視点からいろんなコメントをさせていただいたのです。本当に今日は残念ですけど、先に失礼させていただきます。ありがとうございました。(拍手)

 

若林 黒川先生どうもありがとうございました。今までのお話で何かパネリストの皆さんからご意見ごさいますでしょうか。

では千葉さん、お願いします。

 

亡くなることと提供すること

 

千葉 価値の多様性と、黒川先生がおっしゃっていただいたことは大変重要だと思います。私はその点については、臓器を提供したくない考えの人の考えを、大切にしなくてはならないと思います。だから臓器を提供したから、ほかの人にそういうことを強要したりすることが一番良くないことだと。したくない人はしたくないと言う権利を守るような社会が大切だと思います。ですから、臓器提供については科学ではありませんから、心の問題ですから、100人いれば百様違うと思うので、それはその人の考えを尊重しなくてはいけないと思います。

 しかし、死とはメディカル・サイエンスで、ある種の科学ですから、私はいやだと言う人には宣告しない。私はいいと言う人だけに宣告する。お金持ちの人には宣告しないけども、貧乏な人には宣告するとか、子どもだからとかいうのは、これはみんな一生一死でだれでも一回死ぬのですから、差別なしにフェアに死だけは公平に宣告されるべきだと思うのです。それを家族が決めるなんてとんでもない間違いだと私は思うのです。そういう非常に悪い環境の中で、決断された相馬さんに私は本当に心から敬意を表したいと思います。

 もし私が日本であったら、何一つ臓器提供をしなかったと思います。私はなぜできたかというと、死亡宣告されたから、そうかと思って、脳死の死を受容したから提供できたのであって、医師に宣告されなかったならば、何一つ提供しなかったと思います。宣告されたことを、今になってみると非常に感謝しています。そのおかげで、犬死にでなくて、息子は非常に大きな何かを残して彼岸に旅立っていきました。私が3倍も4倍も長生きしても、私にできないことを息子はやっていったという、私は非常にそのことに感謝して、人のためになるだけではなく、残された自分のいやしにもなっているし、「もっと勉強しろ」と息子に怒られて、さぼりがちな自分にむち打って、少しずつ勉強しているようなところもあると思います。

 

大田原 確かにそういう亡くなることと、臓器を提供することは、全く別のことなのです。どうしても今の場合ですと、脳死での提供にせよ、心停止での提供にせよ、臓器の提供は人間の死が前提になることで、どうしても死と一緒に考えるのですけども。相馬さんは分かると思いますが、実際亡くなることは非常に悲しいことです。しかし、臓器を提供するということは全く別の要素なのです。それをどうしても一緒に結び付けて考えるからおかしいのです。例えば医師が、僕らは治療する側であって、臓器の提供することにかかわり合いたくないと言う先生方は、いっぱいいらっしゃいます。だけど医療全体から見ると移植することも医療だし、治療することも医療だ。その分かれ目が死になるわけです。その死をどう説明するか。その死をどう家族が受容するかがすごく問題になると思います。そこのところで、猫の首に鈴を付けるようなことが、非常に日本ではやられているわけです。だから、自分の責任を持ってこの人を死と判定する。それから、コーディネーターは自分の責任でもって、意思を生かしていくことでいいのではないかと思います。

 

相馬 先程、千葉さんのほうから、いろんなコメントがありましたけど、私の家内の場合もそうですけど、最後に残されたそういう意思を、重大に考えるかどうか。その意思を生かしてやらなかったら、私は一生後悔をすると思うのです。彼女がそれを言っていました。うちの息子のことがいろいろありましたから、脳死のことについてはかなり早くから、自分では理解していたと思います。ですから朝の3時45分に第3回目の出血があって、ほとんどが回復の見込みがないとの説明を受けた時に息子が、「ほとんどとはどれくらいですか」と言いましたら、「100%に近いと思います」と主治医の方がおっしゃった。ですから、脳死は絶対もう元には戻らないことは事実です。だからそれをどう捉えるかということは、あるのではないでしょうか。

 もう一つは先程申し上げたように最後に託された望みをどうしてかなえてあげるかを、私は尊重しなければならないことだと思っています。悲しいことではあっても、その辺は割り切らなければならないことだと思います。ただそう言いますと、薄情な亭主だと思われ、そういう意味に考えられる方も中にはいらっしゃるかもしれませんが、それはその人の価値判断によって決まることではないでしょうか。

 

生体肝移植の現状と各国の臓器提供

 

 せっかく来ましたので、一言発言させていただきます。JR東京総合病院外科の北と申します。専門は消化器外科と肝臓病学です。

まず、生体肝移植のことなのですが、ちょうど19891113日、この日が、日本で最初の生体肝移植の日でした。それから12年経って、約1,300例にまで達しました。ですから、年間100例ぐらいのペースで生体肝移植がやられたことになるのです。ちょうど私がアメリカにおりました、1990年にサンフランシスコで国際移植学会がありました。その席上で日本の生体肝移植に関して、かなり厳しい意見が出たのです。生体のドナーにメスを入れるのは倫理的に許されないとの話が出て、かなり批判されたわけですが、今現在アメリカでは、先程黒川先生が言われたように、肝臓移植の待機患者が約15,000人いると思います。年間で移植を受けられるのが4,500人ぐらいです。待機中に亡くなられる方が毎年約1,500人おられます。ということは、登録しながら亡くなる人が毎年、移植を受ける人の3分の1ぐらいある状況ですので、今アメリカやヨーロッパでは生体肝移植を最初に勧める施設が出てきています。というのは登録していても、例えば血液型がO型の人は移植を受ける確率が非常に少ないわけです。ですから、まず生体を勧めて、ドナーがいなければ脳死を待つというかたちに変化してきています。

 その中で、先月(200110)のヨーロッパ移植学会で発表されたのですが、現在まで約400例の生体肝移植が行われました。そのうちドナーが4人亡くなっています。ですから100人のうち一人、約1%のドナーが亡くなるということです。日本では千数百例やっていて今のところ死亡はゼロですが、ゼロが永久に続く可能性はない。これが一つ情報提供です。

 もう一つは「国際移植コーディネーター学会」を大田原さんたちと一緒に名古屋でやりましたけれども、その時確かカナダの方が発表されていたデータですが、人口100万人当たりのドナーの数が一番多い国はスペインです。100万人当たり約9人です。その次に多い国はオーストリアです。これも7人か8人ぐらい。かなり多い数なのです。アメリカが恐らく6人ぐらいだと思います。なぜスペインやオーストリアが多いか。これは法律の制度が違うのです。プレジュームド・コンセントpresumed consent(推定同意)と英語で言いますが、見なし同意制と言って、私はドナーになりたくないと前もって言っておかなければ、自動的にドナーになります。これを見なし同意制度と言いますので、どっちでもいいやと思う人はドナーになるわけです。こういう国が非常に多いわけです。一方で、アメリカやイギリスはそういうメンタリティーがない、アングロ・サクソンの国なので、自分から、あるいは家族が同意しないとできないことになっています。

 そこでもう一つ問題になったことは、全死亡数がスペインやアメリカでは非常に多いのです。なぜ死ぬかというと、スペインはdrink and drive、つまり飲酒運転というわけで、ラテン系の国なので、若い人が飲んで、楽しいなという感じで運転して、交通事故とかでよく死ぬわけです。アメリカは何で死ぬかというと、ガンショットです。つまり銃による事故、犯罪が多い。だから、全脳死の数が多いのです。ですから、全脳死数のうちの提供数、脳死になった人のうち何%が提供したかを見ると、必ずしもイギリスやベルギーやほかの国は劣っていないのです。危ない国と言いますか、犯罪が多いとか、制度がいいかげんな国と言ったら失礼ですが、これも問題だと思います。

 日本が何を目指すとすると、できれば脳死になる人は少ないほうがいいわけで、不幸にしてなる人はもちろん何%かはなりますけど、そのうちどれだけの人から提供していただけるかと努力するのが一番いい。日本は幸いにも安全な国のうちに入ると思います。交通事故とか銃は比較的少ないと思いますので、その少ないドナーの中からどういうふうに提供していくかがコーディネーターの役割でしょうし、それを育成していくのがわれわれ医学界の役割でもあると思います。以上コメントでした。(拍手)

 

若林 他にフロアの皆さんから、コメントやご質問はございますでしょうか。

 

移植医療の経験から

 

児玉 私、3年程前に原発性胆汁性肝硬変の末期で、あと半年の命と言われて、息子から肝臓を6割もらいまして、生体肝移植をして生き延びた者です。そういう支えられて命がつながったことへの感謝と、一人でも私のように移植医療で助かる人が増えるようにと、「移植医療を進めるいのちリレーの会」を新潟で作りまして、新潟県を中心に活動をしております。移植者への支援や、お金がなくて移植できない人のための「移植者支援リレー基金」を作ったり、移植を受けられる付き添いのご家族が滞在できるように、ファミリーハウスを作ったり、いろいろやっております。

 今日申し上げたいのは、そういう会の活動と共に私個人の活動として、そういう移植の体験を通して、この命の大切さ、人と人が支え合って生きていることをベースにして、今「命いとしむ講演」をずっと、昨年1月から始めましてやっております。去年1年間で約60回やらせていただきました。特に今私が重視しているのは、日本の21世紀を担う子どもたちに向けて、命の大切さ、人と人との支え合い、家族のきずな、そうしたものの話をしながら、全体として臓器移植についての素晴らしさや必要性や大事さを、情報や体験として提供して、先程黒川先生も強調されていましたように、子どもたちからチョイスしてもらうという状況を作っていくことを本当に大事にしております。

 今年も約40の小・中・高・大学・専門学校などで話をさせてもらっていますが、そういう講演をしまして、移植の体験を通して話をすると、小・中学生には感想文を必ず書いて送ってもらうのですが、「命の尊さを初めて知った。人が支え合って生きていることが分かった。親なんて死んでしまえと思ったこともあったが、家族の大事さが身に染みた。死ね、とか殺すという言葉は二度と使わない。ほかの人に役に立つ生き方をしてこそ、生きる価値があると思った」など、共通して言いながら、子どもたちは自分といくつも違わない20歳の若者が、自分の肝臓を6割切って父親を助けたという、そのことにすごく感動し、勇気をもらって、「自分も家族や周りの人がそういう臓器移植が必要な病気になったら、自分も臓器を提供できるような優しさと勇気を持ちたい。まだドナーカードを書く勇気はないけれども、ぜひそういう人の役に立つ生き方をしてみたい。今日帰って、家族と話し合って、ドナーカードを書くかどうか決めてみたい」という感想をいろいろ書いてくれています。

 私が言いたいことは、今の日本の風土や文化、歴史の中で、なかなか脳死に対する考え方、脳死移植が爆発的に進む状況にない。そういうもとで、子どもたちや青少年に命の大切さ、人と人の支え合いをいわばキーワードにしながら、臓器移植の体験を、私たち移植者やドナーが顔を出して子どもたちの前に立って話すことが、日本における臓器移植、脳死移植に対する大きな理解を広げていく土壌が作られていくのではないかと思っております。

 そういう意味で私、最近新潟県内の約250の中学校に全部手紙を出しまして、ぜひそういう体験を通して移植、命の大切さを訴える機会を作ってほしいとお願いを出して、続々と依頼が来ているところです。今日も相馬さんや千葉さんのお話に、本当に私も胸が打たれました。勇気づけられました。そういう気持ちをいただいて、これからもぜひ時代を担う子どもたちに語りかけながら、移植に対する理解や、国民や子どもたちがそういう選択をしていく大事な情報体験を語りかけていきたいと願っております。何か報告みたいな発言になってしまいましたけど。(拍手)

 

松村 埼玉の松村と申します。私は現在透析18年ですが、4年透析した後、亡くなられた方の献腎のおかげで、7年間元気を取り戻し、またその後慢性拒絶で免疫抑制剤の効果があったかないか分かりませんが、時間を持ちまして再透析となりまして現在に至っております。今日大変な、皆さんのご意見を拝聴したわけでありますが、特にドナーカードには、全臓器提供と記名してあります。また私が臓器を提供していただいた関係上、おやじが亡くなった時に、おやじは高齢でしたので、できるならば自分も腎臓をいただきたいと思ったのですが、年齢からかなわず、それでは何を提供できるかということで、角膜の提供、そして皮膚の提供ができるということで、二つの提供をした経緯もあります。

 相馬さんのお話の中で、「妻との約束」という所に出てきますように、時間の関係で肝臓を提供できなかったと言われておられましたが、時の内閣総理大臣が「人の命は地球よりも重い」と言われたこともありました。またいつだったか、サハリンの少年が「やけどして助けてくれ」と言ったら、すべての機関を動員して手術をしたというニュースが流れたこともありました。にもかかわらず、こういう貴重な皆さんの誠意が活かされないまま、達せられなかったことは、この国がいかに、先程の黒川先生の世界の話からしますと、全く日本が遅れていることがつくづく身に染みたというのが今日の感想です。そういうことでよろしくお願いします。(拍手)

 

若林 いろいろな発言をどうもありがとうございます。他にフロアの方でご発言、あるいはご質問などございますでしょうか。あるいはパネリストの先生の中で何かご発言ございます。でしょうか。

 

千葉 せっかくですので、去年「日本ドナー家族クラブ」というドナーの団体を立ち上げたその会長さんが来ていらっしゃるので、間澤さん、一言JDFCのことをお話しいただいたらいいかと思うのですが、いかがでしょうか。

 

ドナー家族のケアと支援

 

間澤 間澤と言います。私もドナーの家族です。確かトリオ・ジャパンのセミナーは去年か一昨年だったか、そのセミナーの時に今日と同じようにさりげなく入ったのですが、そこで挨拶をしてくれという話があって、懇親会の席でちょっとお話ししました。

その時はまだ「日本ドナー家族クラブ」ができておりませんで、私はただ一介のドナーを行った娘の父親でした。ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、娘はアメリカで臓器提供をしました。そして帰って日本のドナーの家族の方とも、次第にお知り合いになっていった時に、一番思っていることは、ドナー及びドナーの家族に対する社会としての、正当な敬意が払われていないと非常に感じることが多い。だから提供したけれども、そのあと周りから言われなきことを言われて、その場所に住んでいられなかった家族もある。もう少し具体的に言ってしまえば、自殺未遂までされた家族がいたりもします。   

これはほんの一つの例ですが、素晴らしい行為をしたにもかかわらず、その家族が非常につらい思いでいるという日本の社会の現状があることが分かりました。これはいくら何でも不公平ではないかということで、少しでもドナーの家族の人たちが社会でも声を上げながら、お互いに励まし合う組織を作ろうと思いまして、去年の9月に「日本ドナー家族クラブ」という会を作りました。

 1年とちょっと経ちましたけれど、実は今日発言している千葉さんも、それから先程の私の隣で発言された菅野先生も私たちの会員です。とにかく一人一人がドネーションした時の状況が皆違います。やはり状況がみんな違うから、思い方もある程度違ってくるところもある。一番大事なことは、大切な人の臓器提供ということで、アメリカではギフト・オブ・ライフと言われますけど、そのことがいいことをしたのだと思える。そう思えても、愛する人を失ってしまった悲しみは、いつもドナーの家族は持っています。それは簡単に癒えるものではないので、一生癒えないかもしれない。でも励ましてあげることはできるかもしれない。励まされることはあるということで、そういう会を作ってやってきました。

 今日このトリオ・ジャパンのセミナーのお話をずっと聞いていて、ドナーの家族をどうやって社会的にケアしようか、支援しようかという話はどうしても出てこない。前の時もそうでした。私があまりここでしゃべってもどうかなと思ったのですけど、そういう視点もこれからは移植にかかわる人たちが持って、先程の黒川先生ではないですけど、チョイスとしてそういうものを持った社会にしていかなければならないと思いますし、そうお願いできればと思います。どうも。(拍手)

 

若林 ありがとうございました。個人的な感想を申し上げますと、ドナーのご家族のケアも当然社会としてどうするのかと、考えていかなければならないですし、それ以前に日本の場合、亡くなられた方のご遺族の方へのケアがシステムとして、あるいは個人個人の医療従事者の方がプロフェッショナルとしてできているかというと、そこのところからしてできていないのではないかという感じが致します。

 

間澤 司会の方が「ご遺族」という言葉を最初から使われていましたけど、僕なんかはご遺族と言われる言葉も、正直言ってすごく抵抗があるのです。家族でいいのではないですかと思うのです。それがどうしても遺族という言われ方をされると、何か向こうにやられてしまったような感じが、率直に言ってするところがあります。

 

若林 貴重なコメントをありがとうございます。そのようにお感じになられたのであれば、大変申し訳ありません。

 

間澤 先程写真、ネガが出ましたが、赤ん坊の18人の。あの写真に象徴されていると思うのです。あれの裏側が見えるとしたら、裏に写っている人を見てごらんなさいということです。家族があって、そのおかげで表の赤ん坊たちは助かっているけど、助かっているにはそれ以上の人の家族があるということが、それで今日の場合はもう一番、どちらにしても了解できるのではないですか。

 

移植がかなわなかったご家族の声

 

春原 春原と申します。うちの子どもは先程千葉さんに見せていただいたスライドの、18人の中に元気で写れるように願っていた赤ん坊だったのですけど、それがかないませんで、2年前に亡くなりました。私も千葉さんのお話を聞かせていただいて、日本では今できない、18人できた赤ちゃん、それに提供された18人の赤ちゃん、でも日本にいたら36人全員亡くなる。本当によく分かりました。

 でも現実に日本の法律では子どもに対する移植ができないので、私は自分の子どもがこの日本の国の犠牲になったとも思いませんし、ただドイツに移植医療をとのことで、幸いなことに募金を集めていただいて、送り出していただけたのですが、かないませんで待機中に亡くなりました。外国にそういう医療がなければ望めなかったことですし、日本ではあきらめなければいけなかったことです。でも外国に行けばそういう医療があると聞かされて、考えて、苦しんで、悩んで、子どもに移植を受けさせたいというとことで社会に訴え出ました。だけどかなわないで、結果的には何一つ実を結ばなかったし、娘を亡くしましたし、何もかも失ったことが現実なのです。

しかし、トリオ・ジャパンの荒波さんに相談した時に、「あなたたちは開拓者なのだ」と、「これから移植医療を進めていくために、どんどん社会に訴え出て、今できないことをできるように変えていくように一緒にやりましょう」と言われて、勇気づけられましたし、今もそう思っています。

 でも現実、僕みたいな立場にいる人間が、移植医療がかなわなくて子ども亡くした人間が、表に出るのがいいのかを今すごく悩んでいるのです。何かマイナスに作用するのが恐いのです。うちの子はかないませんでしたけど、今同じように苦しんでいる方たちには、最新の医療ではないですけど、命がつながるのであれば、医療をどんどん受けていってほしいということが切なる願いです。どんどんみなさん頑張って、活動をしていただければと存じます。

いろいろな意見はもちろん、間澤さんのように苦しむ方のことは、新聞などで拝見してよく知っていますし、立場が違えばではないですけど、いろいろな考え方があるのは分かるのです。

でも、妥協できるところは妥協していけるようにしていただいて、どんどん進めていただくことが切なる願いですので、これからも皆さん頑張ってください。(拍手)

 

提供するということ

 

大田原 ちょっと一言いいですか。提供そのものがいいことというお話がありましたが、確かにそうなのですが、コーディネーターの基本的な立場として言わせてもらいますと、ご家族を前にしたときにはいつも、提供することもいいことですし、提供しないこともいいことだと言うのです。それは先程も黒川先生が言われたように、価値観の多様性だと思うのです。もし、移植が成り立つとすれば、提供する側も良かった、もらった側も良かった。それに関連した病院、先生も含めて、みんな良かったというところで、初めて成り立つ医療なのです。それがどこかで途切れたときには、移植は伸びてはいかないことだと思うのです。

 ですから、例えば我々が話をするときに、「移植とはこういうものなのです。非常に世の中のために役に立つ」、僕にはとてもそれは言えません。それはそう言うことによって、ご家族が先程言われたように自殺に追いやられるなどといったことは絶対にあってはならないからです。

僕らコーディネーターがドナーのご家族をフォローできなかったことは非常に心苦しいのです。ただ、提供するときも、移植される時も考えなければならないのは、それが周りの人間にとっても、全体にとってもどれだけの影響を及ぼすのか。それが本当にいいことなのかをしっかり考えてやっていただきたいと思うのです。だから、提供するとかしないとかはそれはどちらでもいいことなのです。ただ、自分の信念をはっきり持ってやっていただきたいと私は皆さんにお願いしたいです。(拍手)

 

若林 それでは時間も押し迫って参りましたので、最後にパネリストの方々にお一人ずつ、一言ずつ述べていただきたいと思いますが、相馬さんからお願いできますでしょうか。

 

なぜ移植医療が進まないのか、という観点

 

相馬 今日は皆さんにいろんなことを聞いていただきました。これからも少しずつ移植医療が進むように私は願っております。ただ先程大田原先生がおっしゃいましたけど、私もすべての人が臓器提供をすべきだとかは、全く考えておりません。ただその人の価値観の中で、自分の最後はどうであるべきだというかたちの中から、提供するという意思だけは必ずかなえてあげるべきだと思っております。それから、私がいつも考えてきたことでが、移植医療がどうしたら進むかということばかりではなくて、なぜ移植医療が進まないのか、どこに問題があるのかを考えることが必要であると思います。臓器移植がどうしたら進むかということばかりを考えますと、手段を選ばず移植を求めることになりかねません。移植医療をみんなで考え、慎重に進めることも必要であると思います。

 

千葉 今年、8月末に日本移植者協議会の主催で、移植を受けた人たちのスポーツ大会がありました。全世界から相当大勢の方が集まって、その方々が何らかのかたちで移植を受けた人たちだったのです。その会期中に間澤会長のご尽力もあったのですが、私たちドナー家族が招待されまして、私たちに感謝をするというようなことをしていただいて、大変ありがたかったと思いました。

 ただ私は社会に対して、ドナーだからといって感謝を強要するようなことには抵抗感があります。私たちドナーでない人たちがそういうことをやっていただくことはありがたいのだけれども、そこに少しジレンマを感じておりますけれども、できれば、なるべく臓器を提供した人も、悪いことをしたのではないのだから、堂々と人前で話せるような社会になってほしいなという願望を最後に付け加えさせていただきたいと思います。(拍手)

大田原 私は先程言ったことに尽きます。移植医療を伸ばしていくためには、本当に信頼関係というか人間同士のつながりがきちんとしていないと進んでいかないものだということが一番だと思います。

 

若林 皆さんどうもありがとうございました。(拍手)。

 会場の皆様も長時間にわたりましてパネルディスカッションにご協力いただきまして本当にありがとうございました。最後にトリオ・ジャパン運営委員の渡辺直道より閉会の辞を申し上げますので、よろしくお願いします。(拍手)

 

 

 

 

 

閉会の辞(渡辺直道運営委員)

 

渡辺 今日は本当に長時間にわたり、トリオ・ジャパンのセミナーにご参加いただきましてありがとうございました。またご出演の先生方、黒川先生を含めて大変ご貴重な意見を伺いましたし、最後の方は会場からの発言もとても多くて、今年はまたとりわけ盛り上がり方が一段と大きかったように思います。

 トリオ・ジャパンの今年のセミナーは、何と言っても大田原さんや黒川先生、そういった方のお話も大変貴重でしたけれども、ドナーのご家族の方に来ていただいていろいろお話をいただいたというのが、とてもやはり大きなことだったのだろうと思います。千葉さんのアメリカでのご体験、それから相馬さんの日本におけるご体験、そういったお話を伺うにつけて、日米の差が、先程黒川先生は「アメリカは特殊な国だ」というふうにおっしゃいましたけど、日本もまた特殊な国で、特殊な国と特殊な国のお二人のドナーの家族のお話を聞くことができたというのはとても印象的だったと私は感じました。

 今日のセミナーを聞きながら何となく思っていたのですが、日本では意思表示カードの普及率が10%弱ぐらい、僕はこれはとてもすごいことだと思うのです。しかしながら、同じアンケートで、「自分の臓器は提供してもいいけれども、家族の臓器の提供を承諾するのは嫌だ」という人が相当な数あると聞いています。従いまして、これが何なのかというふうに思うわけですけれど、例えば私の友人と会話している中で、僕は「家族が死んだときにすぐに提供を承諾するよ」と言いますと、その友人は「それは、君は奥さんが移植をされたという環境にあるから、簡単とは言わないがそういうふうに言うので、一般の人はそう簡単ではないのだよ」とよく言います。

 しかし、先程相馬さんがお話しになりましたように、家族の意思をどうやって生かすかということを考えたうえで、それで提供しないというようなプロセスを経た結論であるならばいいのですけれども、やはり家族の意思や自分の亡くなった家族の意思をできるだけ生かそうとする人が多くなってほしいなと願っています。

 やはりこれは移植医療だとかそういったことだけではなくて、自分のことをとても大切にする、個人を大事にするということは、他人を大切にするという普遍的な心理というかそういったようなことだと思いますので、黒川先生が先程一刀両断に切り捨てられたような、政治も行政も個人の側に立った視点、またお互いに個人を大切にするような世の中に早くなっていってほしいなと、何となく今日のセミナーを聞きながら感じました。

 トリオ・ジャパンは終始一貫して「今日の生命を救う」という言葉を基本方針にして運営してきております。そしてその主要メンバーは何年か前までは割合年配の人たちがやってきたわけですけれども、最近では若林さんはすっかりトリオの顔になりましたし、それから会場にいる高橋さんなども神奈川支部を立ち上げて地道な活動をされているというように、トリオ・ジャパンも段々少しずつ若返ってきているというか、世代交代が少しずつ進んできているように思います。しかしながら、まだまだ皆さんのご支援、ご理解をいただかないととてもやっていけないと思いますので、引き続きよろしくお願い致します。今日はどうもありがとうございました。(拍手)

 

若林 本日は長時間にわたりまして、皆様本当にありがとうございました。最後にもう一度、パネリストの3人の方々に拍手をお願いします。(拍手)

 それではこのあと懇親会の準備がしてございますので、お時間のある方はどうぞお立ち寄りくださいませ。それから報道関係の皆様には、このあとこの席でそのまま記者会見をさせていただきますので、テーブルの前にお集まりくださいませ。本当に今日はどうもありがとうございました。

(了)



[1] Medicaid: 低所得者や障害者を対象とした連邦政府・州政府共同の医療扶助制度。連邦の補助を受けて、各週が連邦政府のガイドラインの範囲内で独自にプログラムを運営している。

[2] Medicare: 65歳以上の高齢者および障害者を対象とした連邦政府による医療保険制度。

[3] 前庭反射の消失を確認するために、両耳に冷水を入れて反応を見る検査。