第6回トリオ・ジャパン・セミナー

「支えあう医療―臓器移植」

19981024日(土)13:0017:00

電通生協会館

プログラム

総合司会 高橋 剛(トリオ・ジャパン ファミリー・コーディネーター)

会長挨拶 青木慎治(トリオ・ジャパン 会長)

基調講演「何故日本で移植が出来ないのか」

南 和友

ボッフム大学付属病院

ドイツ ノルトライン=ヴェストファレン州立バード・ユーンハウゼン心臓病センター

胸部・心臓血管外科教授

 

パネルディスカッション「支えあう医療 −臓器移植」

大室悦賀(中崎勲君を救う会)

高橋秀雄(中沢貴司君を救う会)

佐野貴史(里保ちゃんを守る会)

藤崎陽子(早川妙子さんを守る会)

    斎藤 勉(及川真一君を救う会)

永井 孝(むつみ君を守る会)

物部多恵子*(美佑紀ちゃんを守る会)

八代 智**(原田誠君を救う会) 

コーディネーター 荒波嘉男(トリオ・ジャパン事務局長)

荒波よし(トリオ・ジャパンファミリーコーディネーター)

パネリスト紹介

年齢は移植時のものです。

中崎 勲を救う会事務局長 

職業 社団法人むさし府中青年会議所地域ビジョン委員会委員長

関係 地域住民

一言 人の温かさが身にしみました。

中崎 勲さん(16)

原疾患:拡張型心筋症

1998.8.5 募金開始

1998.9.24 渡米

1998.10.10 米クリーヴランド・クリニックにて心臓移植

現在は現地にてリハビリ・療養中。

1998.3.1 帰国

 

中沢貴司君を救う会代表 高橋秀雄

職業 著述業(日本児童文学者協会会員)

関係 貴司君の家庭教師

一言 行政は無関心で何の支援も無い。「他人事」とする対応に腹が立つ。

中沢貴司さん(15)

原疾患:原発性肺高血圧症

1998.7.15 募金開始

1998.9.28 渡米

SCU(南カルフォルニア大学)にてプロスタサイクリン持続静注療法を受ける。

現在地元の病院に通院しながら療養中。

今後、国内での肺移植を希望している。

 

里保ちゃんを守る会代表 佐野貴史

職業 山梨県職員(主任)

関係 里保ちゃんの父親の同級生

一言 年金生活者の方が「少なくて悪いね」と言いつつ募金箱へお金を入れてくれたこと

遠藤里保ちゃん(1歳1か月)

原疾患:拡張型心筋症

1997.9.5 出生

1998.5.8 バチスタ手術(心筋の一部を切り取り、心臓への負担を軽減する)

術後経過が思わしくなく、心臓移植に。

1998.9.10 募金開始

1998.10.14 渡米

1998.10.22 UCLAにて心臓移植

1999.3.14 帰国

 

早川妙子さんを守る会代表 藤崎陽子

職業 主婦

関係 友人

一言 人の温かさ、仲間の力、いろいろな人に励まされ、助けられました。

早川妙子さん(30)

原疾患:虚血性心筋症

1997.7.1 募金開始

1997.8.25 渡米

1997.11.30 米ユタ大学にて心臓移植

1998.6.14 帰国

現在は元気で主婦業をこなしている。

募金残金は及川真一君と山木田保奈美ちゃんに分配した。

 

及川真一君を救う会代表 斎藤勉

職業 早稲田大学理工学部技術職員

関係 技術職員として、及川真一君の父の同僚で親友。

一言 支援活動の大変さ。高額な医療費。行政の意識の低さ。

意思表示カードに対する認識の低さ。移植待機者の多さ。

及川真一さん(20)

原疾患:拡張型心筋症 6ヶ月間補助人工心臓(VAD)装着後離脱

1998.5.2 募金開始

1998.6.8 渡独

1998.6.28 独バード・ユーンハウゼン心臓病センターにて心臓移植

1998.12.16 帰国

現在自宅療養中。

 

むつみ君を守る会代表 永井 孝

職業 学習塾講師

関係 共同保育所の保母さんのお子さん

一言 嫌がらせの手紙を送ってきた女性がいました。募金で全国から注目されている睦実君に対する嫉妬からだと思います。自分が病気なのに周囲から見向きもされず、募金の子どもに腹が立ったのだと思います。手紙を受け取った頃は私もかなり怒りを感じました。しかし、この頃はこの女性が気の毒な人だと思えてきました。あのような手紙を出すことは非常識なことではありますが、こういう人を救える社会でなくてはならないと思います。

永谷睦実ちゃん(2)

原疾患:拡張型心筋症

1998.3.2 募金開始

1998.4.27 渡米

1998.5.1 待機中死亡(UCLA)

募金残金を「むつみ君基金」として「キャンディデイトを支援する」を発足。

美佑紀ちゃんを守る会代表 塚原ひとみ

職業 主婦

関係 娘の友人

一言 多くの見ず知らずの方々から励ましのお手紙やお電話を頂き、善意の募金が2億円近く集まったことに感謝しております。また、お手紙やお電話の中には、「子どもが心臓病だが、このままかかりつけの病院でいいのか、医師は何も言わないが、ひょっとして我が子も移植をしなければいけないのではないだろうか」と、心臓病で悩んでいる患者さんやご家族からの相談もあり、心に残っています。

物部美佑紀ちゃん(6)

原疾患:先天性心疾患

1997.3.13 募金開始

1997.3.29 渡米

1997.4.15 待機中死亡(UCLA)

募金残金はトリオ・ジャパン「美佑紀ちゃん基金」に

 

 

目次

会長挨拶 青木慎治 *

トリオ・ジャパンの1999年度活動方針 *

「法改正−」と「意思表示カードの普及」 *

基調講演 「日本で何故移植が出来ないのか」 南 和友 *

日本で何故心臓移植が出来ないか? *

 理由1:治療医側の問題 *

  心臓外科医になるための研修が、日本にいたら10年経っても20年経っても出来ない *

   統計のウソ *

   意思表示カードをめぐる根拠のない推論 *

  せっかく海外でトレーニングを受けても日本に帰れば元の木阿弥 *

  論文が書ければ手術はできなくていい *

   心臓移植を支える技術 *

   心臓移植の落とし穴 *

理由2:医療制度・保険制度の問題 *

 ドイツの定額制 *

 日本の出来高払い *

  ドイツの250万は日本の1,800*

 同閥主義と公募制 *

 薬価差益と外国製品 *

 医師の待遇 *

理由3:患者側の社会的問題 *

 医師に対する信頼と意思表示カードの所持 *

 NHKの報道による一般国民の「脳死」理解 *

 キリスト教の宗教観「他人愛」 *

 意思表示カードの問題点 *

結論 *

第2部 ディスカッション「支えあう医療 −臓器移植−」 *

中崎 勲君を救う会  大室悦賀 *

中沢貴司君を救う会  高橋秀雄 *

里保ちゃんを守る会  佐野貴史 *

早川妙子さんを守る会 藤崎陽子 *

及川真一君を救う会  斎藤 勉 *

むつみ君を守る会   永井 孝 *

美佑紀ちゃんを守る会 物部多恵子 *

医療不信 *

日本の豊かさと人情 *

募金への批判 *

元気になって帰ってきた姿を見て *

渡航移植を受けて *

海外から見た渡航移植 *

看護婦の育成 日本のローテーション制 *

閉会の辞 渡辺直道 24

 

八代 智さん(原田誠君を救う会前代表)からのメッセージ 26

巻末資料 ドイツと日本の開心術症例数の比較

高橋 剛(総合司会)

 皆さま、こんにちは。

 本日はお忙しい中、多数お集まりいただきまして、ありがとうございます。ただいまより、第6回トリオ・ジャパン・セミナーを開催させていただきます。

 私、本日総合司会を務めさせていただきます高橋剛と申します。約3年前、京大病院にて胆道閉鎖症による肝硬変から生体肝移植を受けた者でございます。昨年より、トリオ・ジャパンの活動に参加しはじめまして、現在は運営の方のお手伝いもさせていただいております。

 さて、昨年1016日に臓器移植法が施行されてから、丸1年が経過致しました。皆様もご承知の通り、この1年間、脳死体からの提供による臓器移植は、一例も行われておりません。命の贈り物として臓器を提供したいと思っている人と、その命の贈り物をありがたく受けたいと思っている人と、双方の意思が生かされるために法律は出来上がったのですが、意思表示カードに絡む問題や、臓器提供施設の問題など、様々なハードルによってその双方の意思を十分に汲み取れている状況とは言えません。

 また、心臓移植を望んでいるお子さんとそのご家族にとっては、法のガイドライン上にある「15歳」という壁が大きく立ちはだかり、法律が出来たとはいっても、一向に状況は変わっておりません。

 こうした中、本来ならば日本で手術を受けて治療したいと願いながらも、実際には渡航移植という道を選ばざるを得ない現実があります。もちろん、渡航移植ということになれば、様々な身体的・精神的な苦労や負担が絡んできます。本来、移植医療は「支えあう医療」であるはずですが、その意思が十分に活かされていないのが、現在の状況なのであります。

 そこで、本日のセミナーでは、実際に海外へ渡航し移植を受けられた方や、その患者さんを支えて来られた支援会の方々にお集まりいただきまして、いまの日本における移植医療の問題点や、国内で移植が出来るようになるためには何が大切なのか、また私たちは何をして行くことが出来るのか、活発なご意見を頂きたいと思っております。

 それでは、簡単ではございますが、本日のプログラムをご紹介させていただきます。

 まず第1部は、開会の辞、そしてドイツ・ノルトラインヴェストファレン州立バード・ユーンハウゼン心臓病センター教授南和友先生による基調講演となります。

 そして第2部は、渡航移植を受ける患者さんの支援団体代表者の方々にお集まりいただき、ディスカッションという形で進めたいと思いますので、よろしくお願い致します。

 それでは、まず最初に開会の辞と致しまして、トリオ・ジャパン会長青木慎治よりご挨拶申し上げます。

 青木会長は、1989年3月にアメリカUCSF、カリフォルニア大学サンフランシスコ校にて、C型肝炎による肝硬変から脳死肝移植を受けられました。現在は、文筆家としてご活躍中で、自叙伝『肝移植−私は生きている』や小説『迷走航路』などを出版されて、さらには今年9月、『北風の、マイウェイ』を出版されました。ちょっと気の早い話ですが、来年3月を迎えますと、移植後満10年という素晴らしい年を迎えられます。

 それでは青木会長、よろしくお願い致します。

会長挨拶

青木慎治会長

 私、ご紹介いただきました青木でございます。本のPRまでしていただきましてありがとうございました。

 本来ならば、ここには副会長の安田義守君がいなくちゃならないわけなんですが、残念ながら、彼はかつてロサンゼルスで受けた心臓移植とは関係の無い疾病にかかりまして、ご家族の一生懸命の看病の甲斐も無く、私より先に逝ってしまいました。本来私が先に逝って、安田義守君は副会長なんですから、私の後継をしなければならない立場ですのに、トリオ・ジャパンにとっては痛恨裡でございました。

 私ごとをこの会に持ち込んで恐縮なんですが、本来ならばここに座っているべき義守君なんで、彼のために黙祷を捧げさせていただきたいと思いますので、ご協力をお願い致します。では、黙祷させていただきます。

 どうもありがとうございました。

 

 それではセミナーの開会宣言をさせていただきます。今日は雨の中にも関わらず、遠方から多くの皆様方に、我々の6回目のセミナーのためにご参集いただきまして誠にありがたく存じております。また、ドイツのバード・ユーンハウゼン心臓病センターおよびボッフム大学で胸部・心臓血管外科のプロフェッサーをしておられる南和友先生にわざわざドイツからご来駕を賜りまして、基調講演をしていただけるとのことで、誠にありがとうございました。

トリオ・ジャパンの1999年度活動方針

 毎年この席を借りまして、トリオ・ジャパンの今期の努力目標を申し上げるのを慣例にしておりますので、その慣例に従ってご発表をさせていただきます。ご承知のようにトリオ・ジャパンは、会を作りました時から、「今日の命を救う」ということをメインテーマに致しまして、今日でこれが6回目、つまり6年を経過したわけでこざいます。

 私は89年にサンフランシスコで肝臓移植を受けました。今、通年で10年目に入りまして、これも移植医療の恩恵で、本当に10年も長らえさせていただけたわけですから、恩返しをしたいと、こう強く思っておりまして、その1つの表現がトリオ・ジャパン、という形でやらせていただいております。今申し上げました、「今日の命を救う」ということは、先程高橋君も申しましたように、この臓器移植法が出来たにもかかわらず、1年間全く脳死からの移植医療が1例も行われてないという現状から考えますと、我々は海外へその道を頼るしかないと、こういうふうに私どもは思いまして、幸いトリオ・ジャパンというのは、日本語に訳しますと国際移植者組織、国際的なネットワークを完備している組織でございますので、その機能を十二分に発揮しようというわけで、日本で出来ないことを海外に依存して、そのパイプづくり、それからお医者様のご許可を得て、私どもが紹介業務、それから外国に渡るとすれば大変高額な医療費を必要としますので、その募金のお手伝い、それからささやかながら私どもには募金のノウハウもございますので、そういうものをご助言しながら一人でも多くの方が移植医療によって命を救われるということに邁進してまいりました。

 このメインテーマは依然として変わりません。私どもは会を創立して以来、どんどん日本でも移植医療が出来て、もう海外には依存することがないというようなことがあって、私どもが発展的自然解消というような運びになれば、これはもう、これに優る嬉しいことはないと思っているんですが、いささか悲観論者的ですが、今の日本の国情を見ておりますと、依然としてトリオ・ジャパンは海外へお送りするお手伝いをしなければならないんじゃないかなと、こう思っております。

「法改正−」と「意思表示カードの普及」

 続いて、今期の私どもの努力目標、これを申し上げます。1つはですね、臓器移植法という法律が出来ましたが、非常に不備な点が多い法律でございまして、どうしてもその本人の意思、それも署名が確認できる状態の書面、そういうものがないと移植が出来ないという非常に窮屈な法律でございます。ですから、これに従っていくとすれば今のような状況がずっと続く危険がございます。

 そこで私どもは、2年先にこの法律を見直すということにはなっておりますが、可及的速やかな法改正を求める運動を起こしたいと思っております。その1つは、民間人が意思表示カードを何千万枚作って配布してもですね、一般の方々には「自分たちの身近な問題」という認識になかなか至っていただけない。そこで行政の力を貸していただいて、例えば健康保険証ですね、それから運転免許証、それからパスポート、というような国家機関がどうしても発行せざる得ない、そして病気になったら、たちまち不可欠であるという健康保険証にですね、シールを貼ればこれが意思表示につながると、そしてご自分がドナーとして提供するということがノーという場合には、速やかにシールさえ取られればその意思表示にもなると、このように健康保険証にシールを貼るというシステムを作っていただきたいと思っております。

 また、救命救急センターがドナーの方との一番の接点でございますが、その時にどうしても手許になければならないものというのは健康保険証です。例えば交通事故で瀕死の重傷を負われた場合でも、家族等が持ってくるのは健康保険証ですから、その中にシールを貼れば署名に代わる効力を発揮してご自身の意思の表明につながると、こういう運動をですね、我々トリオ・ジャパンの全員が力を合わせて、厚生省と国会議員とに働きかけていきたいと、このように強く思っております。

 もちろん、意思表示カードの全国的な配布、これは五十嵐崇史君という子どもさんがフランスへ肝臓移植に渡りまして、移植は成功したんですが、ちょっとアクシデントがございまして帰らぬ人になられました。その五十嵐崇史君のお父さんが新聞でも発表された提案なんですが、もう国民全部が意思表示カードを持ってもらいたいと、だから「全戸配布」ということも我々の目標にしたいと思っております。今申し上げたような行政のシステムにのせてもらうこと、それから既存の意思表示カードを全戸に配布する。そういう大方針を立てていきたいと思います。

 それから、もう1つはですね、この移植法がどうしても不備な面があるというのは、「忖度」ができない。すなわち、縁者親類等によりまして、亡くなった方に代わって、この方は生前こういう移植医療に大変関心があって、そして何かがあった時には自分はドナーになりたいということを代弁して、生命の継承をすることが出来ない。ここで、生命の継承ということでありますが、例えば私の体を生理的に解明しますと、これはあのスターズル博士というピッツバーグ大学のいわば移植医療の元祖とでもいうべきプロフェッサーなんですが、私の体の中、特に皮膚とか毛髪にですね、かつての青木慎治のDNA遺伝子に、プラスアルファが既に入っているということ。つまり、ドナーの細胞がミスター青木の中に入って、青木さんと一緒に生きていらっしゃるんだよというふうに、スターズル博士が私に言ってくれたんですが、この通りだと思います。亡くなった最愛の子どもさんや、あるいはご主人や奥様等々が、そこでプッツリ命が絶たれるのではなくて、ドナーになられることによって、新しい生命としてレシピエントと一緒に生きていくと、こういうことですね。うちの今日のメインテーマは「支えあう医療」とうたっておりますが、文字通りドナーとレシピエントと家族の支えあいによって命の継承をしていく。まあ仏教的に言うと、輪廻転生ということでもあるように私は心得ております。ですから、私の中にも、私が気が付かない、私以外の方が私の体内で10年間もですね、ご一緒に生きていただいた、こういう実感を私も持っております。

 うちの副会長をしております野村裕之君がうまいことを言いました。「青木さん、アイデンティティ(Identity)じゃなくて、我々はウィデンティティ(We-dentity)なんだ」、「いつもドナーの方とご一緒に生きているんだ」、こういうことを言ってくれました。私もこの野村裕之君のウィデンティティというのを頂戴しまして、皆さんにご理解を深める意味でウィデンティティというのも、しばしば使わしていただいております。

 以上が今期のトリオ・ジャパンの努力目標でございます。

 私の挨拶が長くなりましてもいけませんので、トリオ・ジャパンは「今日の命を救う」というメインテーマと、それから法改正を促進していく、それも具体的に意思表示カードの配布だけじゃなくて、忖度という項目も是非、法改正によって取り付けたいと、それから行政のシステムに乗って、本人の意思に代わる1つの表現として、健康保険証にシールが貼ってあれば、ドナーになるというご意思があるんだと言うことで、せめて日本の国内で年間に10例、実際に脳死からの移植が行われることを私どもの目標にさせていただきたいと思っております。

 それでは、また、高橋君に話を戻して、私の挨拶はこれで終わらせていただきます。今日は本当に雨の中ありがとうございました。南先生もありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

基調講演

総合司会

 次に、基調講演に入らせていただきます。

 本日の基調講演は、ドイツにおいてボッフム大学およびバード・ユーンハウゼン心臓病センターで胸部・心臓血管外科の教授をされている南和友先生にお願いしております。南先生は1974年に京都府立医科大学を卒業されまして、同大学病院第2外科へ入局されました。その後2年目でドイツに留学、そのまま留学先であったデュッセルドルフ大学に移籍されました。こちらには、8年間在籍されていらしゃいました。

 その後、バード・ユーンハウゼン心臓病センター新設とともに異動されまして、現在も第一線で心疾患の患者さんの治療に当たっていらっしゃいます。

 そしてこれまでに、心臓移植を希望する日本からの患者さんを3名、神山葵さん、荒深薫さん、及川真一さんを受け入れて下さいまして、直接治療に当たって下さいました。本日は「何故日本で移植が出来ないのか」と題しまして、現在の日本の医療に対するご意見・ご批判、また国内での移植推進を実現させるためには何が必要かといったお話をお聞かせいただけるかと思っております。

 今回、及川真一君の一時帰国に同行されることを知り、無理を言ってご講演をお願い致しました。

 それでは、南先生よろしくお願い致します。

南 和友

 皆さま、こんにちは。

 本日は、皆さまに集まっていただきまして私の話をお聞きしていただくわけですけれども、このような会で私たち心臓外科医がお話しする機会というのは滅多とないわけです。学会に呼ばれるなり、学会に出席してお話をする時には、非常に学問的な話なり科学的な話なりをする場合が多いのですけれども、本日このように心臓移植を受けられた方々、また心臓の患者さんだけじゃなくて、いろんな方々が集まっておられますので、いわゆる一般的な話といいますか、「何故日本で脳死移植が出来ないのか」をお話しすることにしました。

 ここにありますように、先程紹介いただきましたが、我々の病院はボッフム大学の付属病院になっております。ノルトライン・ヴェストファレン州という州の中にありますバード・ユーンハウゼンという街でありますけれども、そこで心臓外科をやっております。この病院は1984年に新設されまして、私も新設当時から、デュッセルドルフからまいりまして、現在の所長でありますケルファ教授と一緒にこの病院を作ってまいりました。それで今、来年で丸15周年を迎えます。

 じゃ、次のスライド。

日本で何故心臓移植が出来ないか?

 理由1:治療医側の問題

 理由2:医療制度・保険制度の問題

 理由3:患者側の社会的問題

 本日のテーマで掲げましたのが、「日本で何故心臓移植が出来ないか」、この問題点を私なりに探ってみました。そして、その理由の1つとして、これがまず一番大事なことだと思うんですけれども、治療医側の問題。治療する側の問題というものがまず第1に挙げられます。そして第2の問題として、これは制度の問題。特に医療制度、または社会制度と言ってもいいかと思いますけれども、社会保険制度の問題と、こういうものが第2の理由として挙げられると思います。第3の理由として、患者側の社会的問題。患者だけではありません。ご家族の方とか、周囲の周りの方々の問題という、この3つが大きく挙げられるんではないかと思います。

理由1:治療医側の問題

 では、順にこの理由をもう少し詳しく説明していきたいと思います。次のスライドにありますように、理由1として「治療医側の問題」と、こういうものがありますけれども、幸いにしてこの中にはほとんどお医者様はおられないので、まあ梅津先生はいろんなことを知っておられますけれども、私はあえてこういう席でこういうことを言っていこうと思って、こういうスライドを作ったわけです。こういうことがまだ日本の方々には報道されていないのが現実かと思います。このようなことを皆さまにお知らせすることによって、何故日本で移植が出来ないのかと、そういう原因を探る根拠となってまいります。

心臓外科医になるための研修が、日本にいたら10年経っても20年経っても出来ない

 1つに挙げましたのは、サブタイトルにありますように、「心臓外科医になるための研修が、日本にいたら10年経っても20年経っても出来ない」ということが明確に言えると思います。それの裏付けと致しまして、1施設当たりで行われる心臓手術が全く少ないと。

 詳しく言いますと、年間に日本で3万例の開心術、つまり心臓手術がなされております。3万人の手術を400施設でやっているわけです。400施設でやっているということは、それを単純に平均を出しますと1施設において年間に75例の手術しかやってないわけです。さて、欧米、私のおりますドイツではどうかといいますと、1年間になされる心臓手術の数は8万例ですけれども、施設の数というのは72ヶ所しかないわけです。ですから自ずとこれを平均しますと、1,000例強の手術が1施設においてなされるわけです。それが平均の数でして、私どもの病院のように年間4,000例の開心術のところはそうあるわけではなく、世界を含めて、アメリカに2施設、そしてヨーロッパで私どもの施設の1つだけでありまして、そういうところが超大きな病院と言ってもいいかと思いますけれども、平均として1,000例の手術をやっているということは、上に掲げますようにそこで研修を受ける、あるいは、そこで毎日働いている人の経験数をいいますと、もう10倍も20倍も経験の差が出てくるのは当たり前だということになるわけです。

 それでさらに一人当たりの経験を見てみますと、ドイツでは1年間に500から600例の手術を、いわゆる心臓の手術をする専門医がこなしているわけです。それに対して、日本では1年間に何とせいぜい30人から50人、悪い時は3人とか5人とかいうような手術しかやっていないわけです。そういう手術をやっている以上、「手術を見よう見まねでやっている」ということを、言明していいかと思うんですね。こういうことを一般の方々には全く知らせないで、「私は」とか、「ここの病院は」とか、「心臓外科の専門病院である」ということを言っているわけなんです。そういうことを言っておれば、どういう結果が出てくるかというのは、もうこれは言うまでもなく、そういう施設なり、そういうことを言っているお医者さんに対しての信頼性といいますか、そういうものが出来て来ない。これは当たり前のことなんですね。その辺りをもう少し話を進めてから掘り下げたいと思いますけれども、次のスライド(巻末参照)。

 ここにグラフに掲げましたけれども、見ていただいたらわかると思いますけども、こちらの左側がドイツで、向こう側は日本でありますけれども、先程言いましたようにドイツで500例以下ってところは、もう4施設しかないわけですね。それから5001,000例、1,0002,000例と行きまして、年間に1,0002,000例やっているという所が圧倒的に多いわけです。ですから平均しますと、1,015例ということになります。これは1997年の統計ですけれども、同じように日本のデータを挙げますと、何と100例以下のところが大方だということがお分かりかと思います。ですから、300例やっている施設というのがもう9ヶ所しかないというわけであります。ですから、何と、いわゆる日本の平均の臨床が衰えているかというのが、この数を見てもらったら一目瞭然にわかると思います。

統計のウソ

 次のスライド。これはJAMAという雑誌がありますけれども、ジャーナル・オブ・アメリカ・アソシエーションというジャーナルの日本語版が1996年に出まして、日本の有名な心臓外科医がですね、こういうことを言っているわけなんですね。

<世界的に見ると人口100万人当たりの年間心臓手術数は

米国の1,400例に対し、日本では200例、とりわけ冠動脈疾患に対する手術数は米国の10分の1足らずというのが現状です。

 手術成績では、国として唯一統計を出しているドイツと、私が国内17施設(全国400施設中ピックアップ)で調べた成績を比べると、年間51例以上心臓手術を行っている施設はもとより、さらに小さな施設でも成績はドイツと近似しています。日本の心臓手術は国際的に見てトップの水準にあると言えるでしょう。>

(JAMA日本語版1996, 10, pp.23-24)

 これはもうオフィシャルにパブリケーションされていますから、挙げてもいいかと思いますけれども、世界的に見ると、人口が100万人当たりの年間手術例は米国の1,400に対して、日本では200例、とりわけ冠動脈疾患に対する手術数というのは米国の10分の1足らずというのが現状ですと、ま、こういう現状があるのはもちろんあるわけです。日本人は心筋梗塞になりにくいし、心臓病になりくい。欧米人はなりやすいという、食事の問題とか、太りすぎとか、色々な問題がありますけれども、そういうことで日本には心臓病のある人が少ない。

 そこまではいいとして、それからがもう嘘だらけなのです。手術成績では、国として唯一統計を出しているドイツとありますが、こんなことないわけです。もうヨーロッパでは、どこの国でも国で統計を出しているわけなんですね。どこの病院がどれだけの死亡率があって、どれだけの数の手術をして云々、ということはどこでも出している、もう10年以来、各国の学会が中心になって統計を出しているわけですね。ですけど、ここでは国で唯一統計を出していると、アメリカでも出してない、他のフランスでも出してないということをいっている。

 そして、この筆者が国内17施設で調べた成績を比べると、国内17施設というのは、先程言いましように日本全国で少なくとも400施設あるわけですね。400施設のうちの17施設を適当にピックアップしてですね、それで成績を調べている。こんなことは統計学的に出来るわけがないわけですね。ですけど、そういうことを述べてですね、調べてみると年間51例以上心臓の手術を行っている施設はもとより、さらに小さな施設でも成績はドイツと類似していますと、日本の心臓手術は国際的にトップの水準であるでしょうというようなことを言っているわけなんですね。全くでたらめなことを言っているわけです。

 ドイツですら、やはりかなりの経験の差がありますから、死亡率で簡単にあらわしますと、死亡率が平均5%というところと、いいとこでありますと死亡率が1.2%というとこまで差があるわけですね。5%と1%では、もう単純に計算して5倍の差があるわけですから、ドイツですらそれだけの差があるにも関わらず、そういうことを認めず、またそういうことを勉強せずにですね、単にこのように17施設をピックアップして、日本の臨床というのはドイツと変わらないんだというような言い方をするわけなんです。

意思表示カードをめぐる根拠のない推論

 それから、もう1つこういう医療側の問題と致しまして、意思表示カード、先程会長の方からも意思表示カードの問題が提供されましたですけれども、これも日本移植学会の広報委員会の冊子があるんですけれども、このようにオフィシャルな冊子におきましてですね、こういうことを言っているわけなんですね。

<意思表示カードの普及率と予想ドナー数:日本の人口(12,503万人)の半数6,000万枚の意思表示カードを配布したとして仮定して計算すると、15歳以上59歳までの人にカードが普及する確率は73%と計算され、この世代の年間死亡数、脳死者の率から推測して年間500人くらいのドナー数になると推測される。>

(日本移植学会広報委員会編:臓器移植ファクトブック1998より抜粋)

全くでたらめなことを言っているわけですね。こういうことを元にして、今の法律が出来てしまったわけですね。移植学会という、ある学問を中心とした臨床がわからない人ばっかりが集まった移植学会が、このようなことを言うもんですから、政治家なり、一般の方々というのは、言ってみたら騙されて、当たり前だと思って、ああいう法律になっちゃったわけなんですね。どうしてかと言いますと、こういうことが書いてあるわけなんですね。「日本の人口1億2,000万人の半数、6,000万の意思表示カードを配布したと仮定して計算する」と。こんな6,000万人も出せるわけがないわけですよね。まあ、「15歳以上から59歳までの人にカードを普及する確率は70%と予想され」て、こんなことが、70%も普及するはずがないわけですよね。そして、この世代の年間死亡数、脳死者の率から推測して、ま、この年間死亡数、脳死者の率というのは計算できるわけですから、これはいいとしてですね、年間500位のドナー数が想定されると、こうして去年の末から今年にかけてアピールしたわけですね。ですから、まあ政治家なり、それに関与する人達は、「そうか500人もドナーが出るんだったら、こういう移植法案でもいいんじゃないか」ということになって、臓器移植法を作っちゃったわけなんですね。それで現実、1年経ってどれだけドナーが出たかというと出てない。これは出るはずがないわけですよね。

 アメリカでもドナーカードを持っている人から移植になった例というのは5%しかないわけですよね。ドイツでも、我々のところでも2%しかないわけです。そういう数がわかっていれば、こういう発言が出来るはずがないわけです。2%か5%がせいぜいなのに、このように73%という数を想定して計算するものだから、年間500人と大きな数のドナーが出て、そして心臓のみならず肝臓病・腎臓病に悩む人が救われるんだということをアピールするもんだから、ああいう法律が出来てしまったというふうに言っていいと思うんです。

せっかく海外でトレーニングを受けても日本に帰れば元の木阿弥

 また、「せっかく海外でトレーニングを受けても日本に帰れば元の木阿弥」と、こう出しましたけれども、日本でいろんな施設から、今、移植をするための認定施設というのが3施設ありますけれども、その中からも、またその中に限らずいろんなところから、海外で研修だ、研修だと言って、税金を非常に使ってですね、何千万というお金を使って海外へ出ていって、そして、名目は海外で移植医学を勉強してですね、日本のために何とか役立たせたいということで若い先生方を海外へ送るわけなんですね。その送った結果がどうなっているのかということを簡単に解明致しますとですね、もうこれは、10年前から20年前から、私が日本から出たのが現実に1976(22年前)ですけれども、その頃からもう盛んに行われたことで、海外に行くとすると、もう移植の問題で行くというわけですね。ですけど、特に最近は海外でも臨床のトレーニングが出来ない状態で、現地ですらトレーニングを受けられない人がいるわけですから、日本から行って臨床トレーニングが出来るはずがないわけですね。もし、仮に臨床トレーニングが海外で出来たとしても、日本の出身校に帰れば元の木阿弥といいますか、手術はさせてもらえないと。

 この手術をさせてもらえないという原因の中にもまた色々と原因があります。帰ってくると先輩がウヨウヨいて、ただでさえ年間に100しか心臓の手術が無いわけですから、自分に回ってくるのは1年間に2つや3つと。そういう数でせっかく海外でトレーニングをしてきたとしても、決して技術が伸びるはずがないわけで、むしろ技術はどんどん落ちていくと。これは心臓の手術に限らず、いろんなお仕事に就いておられる方がおられると思いますし、それでわかるかとも思いますけれども、毎日のようにそういうことをやっていないと、これはもうボケて来るといいますか、出来なくなってくる。これは当たり前なわけですね。しかも、心臓の手術という非常に大がかりといいますか、チームワークを必要とするような治療において、それが毎日のようになされておらなければ、手術も成功するはずがないわけですね。

 次のスライド。3つ目として、「論文の種がなくなれば主任教授から見放されて地方の病院に回される」というのがもうこれが現実であるわけです。だから帰ってきて2年、3年はまあまあいい顔して、論文を書いてもらおうということでやるわけですけれども、その種がいずれは切れるわけです。そうすると、「じゃ、あなたはあそこの無医村で人がいるからあそこ行きなさい」とか、「あそこの市民病院の部長の席が空いたからそっち行って下さい」というようなことで、回されてしまうわけですね。そうすると、そこから派遣された人は、帰ってきた施設では何の役にも立っていない。そしてまた、次の人を送るわけですね。送って、また帰ってくるとまた同じようなことになると。そういうことで海外研修で得られた経験は、研究もしくは論文を書くことにとどまって、臨床医療の進展に役立っていないと、こういうことが言えると思うんです。

論文が書ければ手術はできなくていい

 さらに、日本の有名な外科医は往々にして、論文を書けても手術が出来ない。大学の臨床の主任教授になるためには手術は下手でもよいと。これは論文の数で、いかに論文を書いたかということで、臨床の教授の席が得られると。いわゆる選挙があると、まず何が大事かというと、論文を200書きました、250書きましたと。人によっては600書いたというようなことで、それは編集者になるんだったら話はわかるわけですけれども、いわゆる手術をする、例えば心臓外科なら心臓外科の主任教授になるという人がいくら論文書いたところで、患者さんが来た時はその論文で助けるわけにはいかないわけですね。ですから、こういうことはあってはいけないことなんですけれど、日本では大っぴらに通っているわけなんですね。欧米ではこんなことは一切無いわけなんですね。

 で、手術が出来るということは文字通り「手に技がある」ということで、それを習得するためには専門のトレーニングが必要である。先ほどから申しましたように、日本では、こういうことが出来る施設が1つ2つを除いてないと。400施設あったとしても、398まではないということですから、もうこれは不可能と言ってもいいくらいですね。

心臓移植を支える技術

 次のスライド。そしてさらに、心臓移植は一般の心臓手術、すなわち「冠動脈のバイパス手術」とか「弁置換手術」という、そういう手術が短時間で出来るシステムがあってこそはじめて可能なものである。ですから、一般の手術も決まっていないのに移植の手術が決まるはずがないわけです。一般の手術に5時間も6時間も7時間もかかっておいて、家族に対して「これは大手術でした」「大手術で頑張らせていただきました」ということで、済ましているわけですけれども、そんなもの、普通は2時間3時間で出来る手術なわけですね。毎日のようにやっていれば出来るわけです。毎日やってないものだから5時間も7時間もかかるわけですね。そういうことをしている施設において、その心臓の移植の手術、移植の手術というのはそのレシピエントを手術するだけじゃなくて、ドナーを取りに行って、それを持ってきて、移植して、そしてまた術後の管理をするということを含めますと、かなりのチームワークが必要であります。そういうことをするためには、日常の治療というのが決まってて、初めて出来るわけなんですね。そして、ここに「現行の移植認定施設の選択に問題」と書きましたけれども、心臓に関しては3施設、肝臓に対しては2施設と認められておりますけれども、その指定された病院が必ずしも、その何といいますか、過程といいますか、やるべきことをやっているとは限らないわけで、ですからやはり時間をかけて一般の手術をしているような施設では、いくら学問が出来ても、これは移植というものが出来るはずがないわけですね。

心臓移植の落とし穴

 次のスライド。心臓移植手術というのは頭の中では極簡単な手術であると。これはもう頭の中で本を読んで、こことここをこう結んで、こうすれば移植は出来るんだということは、これはどんな医者でも出来るわけですね。ですけど、そこにはいろいろな落とし穴があるということで、下手に手を付けると患者さんがそういう落とし穴に引っかかって亡くなってしまうということになるわけですから、ドナーの方が心臓を提供されて、そのドナーの心臓だけじゃなくて、それを受けようとするレスピエントの命も落とすということで2つの生命を損なうんだという、その辺の非常に深い認識がなければやってはいけない手術であるわけですね。

理由2:医療制度・保険制度の問題

 ここでテーマが医療制度、保険制度の問題に移りますけれども、問題の理由の2点として、こういうことが言えるかと思います。

 先ほどからいいますように、医療が学問・学会中心で実際の臨床により重点が置かれていない制度になっている。患者不在の治療が行われているということですね。学問さえ出来れば、患者さんを治せるんだというシステムになっているんです。ですから、学問が出来ないと学会でものも言えない。学会でものが言えないとなると、あの先生は駄目なんだというようなシステム作りになっておりますから、実際に研修する人、それからまた中級クラス、上にいる人でも学問、学問で追われてしまうわけです。そういうことをしておれば、臨床の研修というのは出来るはずがないわけです。年に15回から20回位学会参加というのが当たり前で、人によっては40回、50回と行っているわけなんですね。毎週学会に出ているわけです。そんなことしていて、臨床が出来るはずがないわけです。そういうことを許している、そしてまた教授なんかは、行ってこい、行ってこい、行ってこいですよ。行かすことによって、自分の名前も出る、どこどこ大学の主任教授と一緒に名前が出るわけですから、そういうことをセーブしない。セーブするどころかそういうことを助成するということになって、一向に臨床の研修はなされないと。

 そして1つ大きな問題は日本の医療保険の問題です。

手術がスムースに行かず、合併症が発生し、その治療に医療費がかかればかかるほど病院は儲かる。

合併症で普通よりも多く抗生物質・強心剤などを使用したり、IABPを挿入したりすれば病院は損をする。

ドイツの定額制

 医療保険、これはドイツの場合は定額制といいまして、もう心臓の手術、例えば心臓のバイパスの手術、それから弁の手術、それから先天性の手術、移植の手術とか、そういう手術によって全て額が決まっているんですね。ですから、例えばバイパスの手術であれば、全部で250万と、250万円に相当するお金を保険から出してもらえば、それで済むわけなんですね。ですから、その病院で非常に合併症が多くて、患者さんが再度手術を受けなきゃいけないとか、非常に沢山のお薬が必要だとか、またここにIABPとありますけれども、その、カテーテルを出して心臓を保護する機械ですけれど、そういうものを使わないと心臓手術後の心臓がうまく拍動しないという、そういうことをしなくちゃいけない。もちろん元々から悪い心臓もありますけれども、普通であればそういうことをせずに、手術が決まっておれば、心臓っていうのは動いてくるわけですね。それがやっぱり手術が決まらないなり、長くかかっているということで、心臓の動きが悪いから強心剤を入れなくちゃいけない、そして時間が長いから抗生物質をやらなくちゃいけない。そういう悪いこと悪いことを繰り返すわけですね。しかし、ドイツの場合では、保険から出してくるお金が決まっていますから、それ以上の合併症を出してきますと、認められた枠以上のお金がかかってきますので病院は損をしていく。

日本の出来高払い

 これに対して日本というのは自己申告制、出来上がり払いです。出来上がり払いということはどういうことかというと、全く逆の方向で、手術の下手な人が手術すればするほど病院が儲かっちゃうんです。ですから、これは全く違う方向であります。ここに書きましたように、手術がうまくスムーズに行かず、合併症が発生し、発生すればするほど、医療費がかかればかかるほど、病院は儲かると。1つの治療に対して100万、200万、300万とかかってきますと、それに対してそれぞれ抗生物質なら抗生物質を購入すれば、それのマージンが病院に入ります。もう一度手術をすれば、そこにかかってくる費用の何%というのはやはり病院の儲けになるわけですね。それはもう経済の原理でこれは当たり前のことだと思いますけども、病院もやはりお金儲けとはいわずとも、やはり採算の合うような治療、経済観念を持たなければいけないわけですから。ですけど、病院側としてはこういうことを申告すればするほど、全て保険に請求できるわけです。

ドイツの250万は日本の1,800

 私は先週こちらへ来ましたけれども、昨日まで学会があっていろんなことでガタガタとありました。何と1つの一般バイパス手術で、日本のある大学病院で1,800万円の請求をしたということで問題になったということを内部の情報で聞いております。ドイツであれば250万しか保険から入らないところです。しかし、こういう情報というのも、一般の方々には一切入って来ないわけですね。ですから、何とかこういう医療保険の制度というものを、今医療保険が非常にパンクして、日本だけでもないわけですけれども、いろんな各国で保険料金がパンクしていると、ないということをいわれておりますがけれど、ドイツではもう20年前、25年前からこういう定額制というのを早くから導入してやっております。ですから必然と、病院の経営者側からいいますとですね、例えばそこの病院の病院長なり、外科部長なり、そういう人達を選ぶ時には必ず技術のうまい人を選ぶわけですよ。もちろん。いくらペーパー書けて、300500も、1,000もペーパー書いたところで、患者さんに非常に負担をかけて、合併症を出しておれば、これは病院は潰れるわけです。ドイツであれば。日本であればお金が儲かっちゃうんです。ですからこういうシステムである以上、これは日本の医療というのは、患者さん側のために立った医療というのは出来るはずがないわけですね。

 ですから日本では大学病院ならず、地域の病院においても手術の腕の立つ人を主任教授や医長にする必要性がないと、これも先程いいましたようにこういうことになるわけですね。

同閥主義と公募制

 次のスライド。日本の大学教授の後任には、またこれは1つの大きな問題なんですけれども、同じ医局の助教授とか講師の中から一人選ばれる。他から人を持ってきて新しい風を吹かして、医局、その教室、その病院をよくしようという風習がないわけですね。ですから、公式には全国の応募ということになりますけれども、もう90%以上は自分の手下から誰かを選ぶということになって、マンネリズムがはびこっているわけです。

 そしてこれは、ドイツでは全国公募で、臨床外科医であれば、第一に手術の腕の立つ人で、学問・教育が出来る医者が選ばれると、学問・教育が出来ないと、そりゃ、大学病院の教授にはなれません。ですけど、一番に大事なことというのは、やはりこういう大学という場におきましても手術に腕の立つ人を選んでいくと。それ以外、生き延びる道はないというわけです。

薬価差益と外国製品

 次のスライド。そして不必要な抗生物質を1週間とか、2週間とか、それも出来るだけ高価なものを使うほど、病院には購入の際のリベート、利ざやが生じる。これは先ほども言いましたけれども、抗生物質の問題です。使えば使うほど病院は儲かる。患者にとってみたら、非常に大変なことなんですね。心臓や肝臓がやられるだけではなく、脳障害も出てくるし、それが原因で真菌症といわれるカビが湧いてくると。抗生物質でばい菌は死んだけれど、カビのために死んでしまったというような合併症が出てくるわけですね。ですから、これも保険制度の歪んだところの1つかと思います。

 そして、くどいようになりますけれども、日本の医療品にはやたらと外国製品が導入されると。これは、やはり外国製品でありますと高いものと。必ずしもいいものとは限りません。これだけ非常に技術が発達した国に置きましてですね、例えば人工弁とか、人工肺とか、人工心肺とか、そういう心臓の手術で必要な器具なんぞは日本で出来ないはずがないわけですよね。ですけど、やたらと、99%外国から買っていると。何故そういうことをするかというと、先程申しましたように高ければ高いほどいいと。そうすると誰が利益者になるかと。輸入業者はもちろん、これを輸入しているわけですから儲かるわけですけども、病院もそれで儲かっていると。国は物を買ってもらえればそこから税金が入るわけですから、国は国で儲かっている。だから、誰一人として文句を言う人がいないわけです。こういうことを繰り返しているならば、日本でいい医療が出来るとは決して思えないわけですね。

医師の待遇

病院で働く医師の給料にも問題があります。

病院で働く医師の給料(月額)

研修医( 〜 8年):20万円+α

助 手( 8〜15年):35万円+α

講 師(15〜20年):45万円+α

助教授(20〜25年):50万円+α

教 授(25〜30年):60万円+α

 →プラスαはどのくらいか?

 日本で研修医と呼ばれる、卒業してから、ま、7〜8年経った人まで。ですから、これは323歳になるまでは研修医といいますけれども、その人のオフィシャルな給料は何と20万円。高校を出て、医学部を6年間出て、非常に大きなお金を注ぎ込んで、家族に非常に多大な負担をかけてですね、そして、やっと医者になったという人が卒業してから8年間もらうお金が月にたった20万円と。これが現実であります。助手というポジションをもらっても、だいたい卒業してから15年くらいまでを助手という形で働くわけですけれども、その人は約35万円。講師が45万円、助教授50万円、教授になったところでオフィシャルには60万円しか入らない。60万円の月収ということはせいぜい年間800万円ですから、そのようなところで、年に20回も30回も学会に行くとそれだけで吹っ飛んじゃうわけですね。最近の学会の参加費なんかも2〜3万円、国外で学会があると4〜5万円です。そして旅費も加えますと、あっという間に無くなっちゃうんですね。ですから、自ずとプラスαというものが加わって来ないと生活できないわけですね。これがやはり1つの大きな問題で、自分が例えば、肝臓手術をやる臨床医になりたいとか、また、内科でもそうですし、心臓外科の専門医になりたいと思う人が、例えばそこの大学病院に働いていて、やりたいことをやっておれば生活が苦しくなってくる。しょうがないからどこかにアルバイトに行くと。アルバイトに行って盲腸を切ったり、胃を切ったりするとそこでプラスαが入ると。そういうことで生活を補っていかなければいけない。ですからこういう面でも、臨床というのが非常にないがしろにされる。そしてアルバイトに行って、時間を見てそこでペーパーを書くと、そういうことで日を過ごしておるわけですね。

 

 

 それでは、ドイツ。

 ドイツではアルバイトは禁止されている

  助手:60万円

  講師:100万円

  教授:150万円

 ・患者さんからの「お礼金」は禁止

 ・公式にプラスαを得る制度(プライベート保険)

 次のスライドを見ますと、ドイツではアルバイトは一切禁止されていて、アルバイトする人はいないと。もう助手になると、日本で言ったら講師や教授の給料がもらえるわけです。卒業して、ちゃんと病院との契約でポジションが得られれば、これはもう助手なんです。日本みたいに研修医や何だかんだと言って、どんどんどんどん延ばしていることはありません。卒業して一年間の研修を受けますと助手というポジションがもらえるわけですね。そして、助手、講師、助教授ということで150万、年間にしますとだいたい2000万くらいのお金、これをオフィシャルにもらうわけですね。2000万円ありますと、ドイツは物価が日本より高くないですから、十分に生活がしていけるわけなんですね。こういうことで、国からきちっと認められたお金をもらうことで、システムが出来ています。

 日本ではお礼という形でプラスαをもらいますけれども、そういうものは一切ない。で、まあドイツだけではないんですけれど、ヨーロッパで、まあ習慣的にやられているのが、このプラスαです。教授は自分の治療費をプライベート保険に入っている患者さんの保険会社に公式に請求することでプラスαの収入があるという、まあ1つのドイツ独特のシステムですけれども、ですから教授がいかに沢山のプライベートの患者さんを引っ張り込んでくるか。まあ有名になればなるほど、ペーパー書けるから有名じゃなくて、実際に腕が立つから有名になって、患者さんをその病院に治療に持ってくるということによって、その教授だけではなくて、周囲の人もそれで潤ってくると。その病院にもそのプラスαからの、ま、言ってみたらおこぼれが入りますから、それも正式にもちろんはいるわけで、何%という形で、2025%という形がその病院にペイバックされます。これは教授たりとも、その病院の看護婦さんを使って、薬を使って、ベッドを使ってやっているわけですから、当然、そこにペイバックされます。国にも税金が入ります。そういうことで、まあだいたい50%のものが自分の副収入になるわけです。ですけれども、まあ先ほども言いましたように、こういう副収入がなくても生活できるシステムになっているわけです。

理由3:患者側の社会的問題

医師に対する信頼と意思表示カードの所持

 そして、これ第3の理由です。社会的問題、日本国民が医師に対する全面的な信頼を持っていない。何故持てないのか、そういうことを疑問にする医者が日本にはいないわけです。日本の移植医といわれる先生に、何故日本で移植が出来ないかと聞けば、まず言われるのが日本人の宗教心だとか、社会的な問題だというようなことを言うわけですね。ですけど、先ほどから申しますように、やはり治療する側の問題というものが非常に大きな問題としてあるものですから、それが尾を引いて、日本国民が医師に全面的な信頼を持っていないと。例えば、自分が事故で脳死と判定された場合、それが本当に100%正しい診断であるかという疑惑が生じるため、意思表示カードを所有したがらないということが言えるわけですね。これはもう、これは宗教心とか、そういうものには関係が無いわけですね。信頼関係が無くして患者と医者との立場というものは無いわけです。法律で移植を認め、それを推進するためにドナーカードを配ったところで、その所有者は国民の1%にも至らない。このことは、私が数年前から言っているわけなんですけれども、その言葉が通じずに、去年あのような移植法案が出来てしまいました。ですけれども、アメリカ・ドイツなどの諸外国でも3〜4%と推定される、じゃなくて、現実にそうなんですね。私のところでもはっきり2.1%。アメリカには皆さんもご存知のように、UNOS(ユノス)という全米ネットワークがありますけれども、そこで出されている統計でも4.8%、ですから、だいたい平均しても3ないし4%という確率でしか、ドナーカードを持った人が脳死にならないわけです。

 よく日本人が言うのは、例えばユタ州で自動車ライセンスを取る時にドナーカードを配布すると。ドナーカードを持ってもらおうと、ここ過去14、5年だと思うんですけど、やってきてですね、現在の普及率が70%以上までになったと喜んでいる人がいるわけです。これはどういうことか。ドナーカードの普及率が70%というのと、ここにある3%という数がどういう関係があるのかと。ちょっと考えていただけばわかると思うんですけれども、自動車ライセンスを持っている人で、ドナーカードを持つ率が70%としますね。そして持っていない人が30%。ではどういう人が事故を起こして脳死になるかというと、持っていない人が事故を起こすことの方が多いわけです。持っている人というのは、だいたい意識の高い人ですから、「自分は脳死にならないように」と運転している。脳死という、そういう観念がもう出来ていますからね。「ドナーカードいらないよ」という人というのは、やたらと無謀な運転をして交通事故に遭うわけです。それからまた、交通事故のみならず、やはり脳死になる人達というのは多々あるわけです。これも日本にあんまり伝わっていないことなんですけれども、ドイツでありますと、もう半々ぐらいです。交通事故で亡くなる方と、いわゆる自然死と言いますか、その中で一番多いのは、いわゆる脳出血などで、脳梗塞などで急に脳がやられて脳死になるということを含めますと、50%あるわけですね。急に襲われる病気でありますから、ドナーカード云々ちゅうことを考えて、持っている人は少ない。

NHKの報道による一般国民の「脳死」理解

 そういうことでありますから、アメリカなり、ヨーロッパの諸外国においてもこのようにドナーカードの普及率が低いという現実を知らずして、そして、日本で意思表示カードを配ったら、年間に500人くらいのドナーが出るだろうというようなことを公に広報しているもんですから、ああいう法律が出来てしまったというわけです。また、一般国民の中に脳死というものが、本当にどういうものなのかという認識が行き渡っていないわけですね。脳死法案が出来る前に、もう過去4年ほど前になりますけれども、記者団が私どもの病院に来まして、いろいろ話を私どもから聞いてですね、NHKだったと思いますけれども、NHKがいろんなことをインタビューしましてですね、それを放映したいということで、かなりの時間私も費やしてお話ししたんですけれども、現実に60分か80分か知りませんけれども、それくらいのフィルムといいますか、ビデオが出来たわけですけれども、そこで放映された内容というのはもう、何と言いますか、そのために私は何時間も費やしてお話ししたのかと思うと残念に思ったのですけども、脳死というものの実体を報道しない。それはこういうストーリーだったんですね。脳死になりかけた人、脳死になりかけた人があたかも脳死であるかのようにですね、表面に出して、こういう緊急治療、低体温療法といいますけれども、そういうようなものでやったものだから脳死になりかかった人が助かったということで、歩いて病院の病室を出ていくという、当然、この中におられる方にも見た方がおられるかもしれませんけれども、そういうフィルムをドンと見せて、「それ見ろ」と、「脳死になった人が生き返ったじゃないか」と、そういう話に持っていっちゃうんですね。これは、脳死というものと、脳死もどきと言いますか、脳死になるんじゃないかという人は全く違うわけですね。脳死になった人とは、もう全脳の機能が脳幹を含めて全く無いわけです。また、植物人間というようなものと、脳死の人とは全く違うわけです。植物人間というのは脳の一部がやられていて、ものが言えなくて、ただ呼吸しているという人を植物人間と言いますけれども、そういう人と脳死の人とは全く違うわけですね。脳死になれば、自発呼吸は落ちてって、そのうち心臓は止まるんです。これは100%止まるんです。一方、植物人間というのは、これは1年も2年も、10年も20年も生きられることなんです。脳の一部がやられているだけで、全脳がやられているわけでないです。しかも、脳幹部っていうのは生きているわけですね。だから、そういうものとは全く違うものなのに、あたかも一緒のようにして、NHKという1つのメディアを使って、一般国民にそういうキャンペーンをしているわけですね。ですから、そういうことをしている間は国民に脳死に対する、あるいは移植に対する知識を知らせようという試みが出来ていませんから、いつまで経ったって認識が出来て来ないということが言えると思います。

キリスト教の宗教観「他人愛」

 まあ、もう1つ、何故アメリカでドナーが多くて、日本で少ないかということを検討する時に、やはり最後にですね、宗教的なこともいわなきゃいけないと。まあ、キリスト教の思想で「他人愛」という言葉がありますけれども、キリスト教の思想は、やはり見たことのない人に対しても、また、いわゆる他人という人に対しても親切にしなきゃいけないと。いわゆる「他人愛」というのが本当に小さい頃から教育されるわけです。ほとんどのお子さんたちとか一般の人が、教会学校や大人の礼拝の中で、聖書から「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということをいつも教えられるわけですね。そういう教えがあるものですから、これは他人を助けなくちゃいけない、いわゆる「ドネーション」という思想が出来てくるわけなんです。もし自分がそういう場面になった時には、自分もまた助けてもらえるんだということで、他人愛というものが非常に強く出てくるわけです。日本国民の中には残念ながら、その思想が非常に薄いと。家族、親戚の意見が当該者のそれよりも強いため、脳死者が発生したところで、家族の同意でドナーとなることが皆無であると。

 例えば、お子さんが亡くなる。これは典型的な例なんですけれども、お子さんが亡くなってお父さんお母さんが、いろいろ考えたあげくドナーになりましょうというような判断をしたところで、おじさんやおばさんや、おじいちゃんやひいおじいちゃんまで出てきて、「お前なんちゅうことするんだ」ということで、その意見を覆させてしまうんですね。そういうことで、ドナーというのは出るはずがない。ですから、日本の今出来た法律の中では、「意思表示カードを持っていないと出来ない」という1つの枠があって、さらに、持っていたところで、「家族の同意が無ければいけない」として、もう心臓移植が出来るだろうな、臓器の移植が出来るだろうなと思っていた矢先に、こういう法律を作ってしまって、2重の枠を付けちゃったわけですね。本人が、そのドナーが意思表示カードを持ってなくちゃいけない、それも家に置いていたら駄目なんです。交通事故でぐちゃぐちゃになって、読めなくなって、丸がどこに付いていたかわかんなかったら、これもまた無効になるわけですね。ですから、現実には意思表示カードを持って運転していると、事故が起きた後で意思表示カードがきちっと見えますということが本当にあり得るのかどうか。その問題が1つと、それがあったところで、家族のおじいちゃん、おばあちゃんが出てきて「止めとけ」と言われてしまったら、これは駄目なんです。そういうことを法律でうたった以上、これはドナーが出るはずがないです。10年たっても20年たっても出るはずがないです。このような言葉をこのような席でいうのは、本当に辛いんですけれども、しかし、やはり本当のことを言っていくべきだと思うんですね。3年経てば法律が見直されるというふうに聞いておりますけれど、こういうことを言っていくことによって、本当の意味で法律が改善されるんじゃないかと思うわけです。これは先ほどからも言いましたように、現行の移植法案の問題点です。

意思表示カードの問題点

 次のスライド。今ある意思表示カードに大きな問題があります。これも内容のわかっていない人が作ったカードでありますから、こういうことになってしまったわけです。はじめの2行、このカードをお持ちになった方もあると思いますけども気をつけて下さい。「私は脳死後、移植のために丸で囲んだ臓器を提供します」、そして、ここに省いてありますけれど、心臓・腎臓・肝臓・眼球(角膜)・皮膚、とこうあります。それを1つ1つ丸をしていただくわけですけれども、これに関しては問題無いわけです。

 2つ目に、「私は心臓が停止した後、移植のために丸で囲んだ臓器を提供します」という欄があるわけなんですね。ここに丸をしたら大変なことになっちゃうわけです。と申しますのは、我々、日常で行っていることなんですけれども、例えば、急性の心筋梗塞で患者さんが運ばれてくると、心臓は止まってると。心臓が急に止まれば、それは人工呼吸から始まって心蘇生、マッサージですけど、そういうことをすることによって、ある程度血流が保たれて、脳を生かしておくことが出来るわけです。そうしている間は、まだ患者さんは目を開けてこうしているわけです。手を離せば、ずーっと心臓はいわゆる細動といいましてこうなっているわけですから、拍動しないわけです。手を離せば、それはもう、1分2分すれば脳死になるんですね。それはもう脳死になります。ですけど、最近の医学というのはこれだけ進歩してわけです。そうしてやっていれば何とか血流が保たれるんだけれども、これをそんな3時間も4時間も、1日2日もやっているわけにはいかないわけですから、結局、人工心臓という大きな治療法が出来てきたわけですね。そういう患者さんにですね、人工心臓を植えれば、どういうことが起きるかというと、心臓は死んでいるわけです。心臓は細動を起こしたままの場合もあるわけです。それは心臓はあの人工心臓によって補助されることによって、心臓の回復がある程度なされることもありますけれども、中にはもう細動したままで、1週間も2週間も、ずーっと数ヶ月もそういう状態が続くことがあるわけで、そういうことも経験しております。そういう患者さんは、定義的に言えば心臓死なんです。心臓は死んでいるわけなんです。ですけど、脳とか、他の体は生きているわけなんです。ですから、これに丸をしていたら、どういうことになるかというと、人工心臓を植えている人の肝臓を採っちゃうということになりかねないわけですね。だから、これは前提が無いわけです。ここに脳死後に心臓が停止した場合となれば、これはいいわけです。脳が死んでて、そしてそのまま放っておいて心臓が停止すると。そういう前提があれば、これは合っているわけですけれども、そういう前提が無いということは、私が今言ったような例が起こりうるわけです。これは現実に、我々、心臓の患者さんを治療していて、そういうことが多々あるわけですね。普通、人工心臓というのは、皆さんご存知だと思いますけれども、移植に持っていくんだけれども、もう待てなくて仕様がないから、心臓を人工心臓に繋ぐことによって、いわゆるブリッジング(bridging)という言葉で言いますけれども、「橋渡し」をするわけなんですね。それが人工心臓の発想でありますけれども、中にはそういう患者さんもおるわけですね。こういう非常に問題ある意思表示カードでありますから、何と情けないことが日本に起きてしまったのかというふうに私は思うわけであります。

 ここに表で示しましたけれども、本人の意思表示、意思表示カード、これはドナーカードでなくて、あくまでも意思表示カードなんですね。ドナーカードというのがあれば、すぐに移植できるわけなんです。欧米のようにドナーカードさえ持っていれば、これはもう家族に聞く必要が無いと。すぐに移植できるというのが、欧米の例でありますけれども、日本のはただ本人の意思表示カードに過ぎない。たとえ意思表示カードがあったところで、家族の承諾というのが無い限り不可能なわけです。で、あった場合のみ脳死判定後、臓器移植がなされるということで、この推移を見ますと脳死後の臓器移植はあり得ないということになるわけです。

結論

 結論を申しますと、何故心臓移植が出来ないかということに関しての結論でありますけれども、日本の医療体制を根本的にリストラ・改善し、今、病気に悩む患者さんに助ける手を差し伸べなければ、10年後の患者さんも助けることは出来ないのだと。政治家の目はごまかせても、患者さんの目はごまかせない、という言葉で私の本日の講演を終わらさせていただきます。

総合司会

 南先生、どうもありがとうございました。私たち移植医療の推進をしてまいりますと、あちらこちらで医療不信という言葉を聞くのですが、いま先生がおっしゃいました医師の問題や、医療制度・保険制度の問題、それから患者の社会的問題など、いろいろな面で患者不在の医療か行われているように思われます。

 このことが医療不信と言わしめる元を作っているのではないでしょうか。それらの問題を、どうにか改善して払拭してもらわなければならないし、私たちも、そのことについて発言してゆく必要があると思います。

 先生、本当にありがとうございました。

 それでは、ここで10分ほど休憩を取りたいと思います。

次の第2部は、1435分からの再会となりますので、皆さまよろしくお願いいたします。

 それから前の方に、ドイツで南先生の治療を受けられた神山葵さんの概略が報道されたビデオが流されることになっておりますのでご覧下さい。また、受付の方には、日本臓器移植ネットワークで作成された意思表示カードの解説ですとか、最近作られたビデオですとか、あるいは会報・冊子・意思表示カードを置いておりますので、是非ご覧になっていただいて、お持ち帰りいただけたらと思います。

 皆さま、そろそろ始めさせていただきたいと思うので、ご着席の方をよろしくお願いします。

 それでは、演者の皆さまは壇上のご自分の名前の方の席へよろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第2部 討論

「支えあう医療 −臓器移植−」

総合司会

 それではこれから、 「支えあう医療 −臓器移植−」と題しまして、渡航移植の患者さんやご家族に関わって来られた、あるいは関わっていらっしゃる支援会の代表の方々にお集まりいただいてのディスカッションを始めさせていただきます。

 なお、これより2時間ほど、プログラムの都合上、休憩を取らずに進めさせていただきますので、ご休憩などはご自由にお願い致します。また、お飲物なども外にご用意してありますので、ご自由にご利用下さい。

 ディスカッションのコーディネーターは、トリオ・ジャパン事務局長の荒波嘉男と、同じくトリオ・ジャパン事務局運営委員の荒波よしが担当させていただきます。

 それでは、簡単ではございますが、コーディネーター両名のご紹介をさせていただきます。荒波嘉男さんは、胆道閉鎖症の子供を守る会の元代表でありまして、トリオ・ジャパンが創設されました頃からのメンバーであります。現在、荒波建築設計事務所を経営されつつ、トリオ・ジャパンの事務局長をされております。もう、荒波よしさんは、トリオ・ジャパンの運営委員およびファミリー・コーディネーターとして活動されております。移植を希望される患者さんやご家族のカウンセリングや、募金活動に関する相談などに活躍されています。それではこれより先、マイクをお渡し致しますのでよろしくお願い致します。

荒波嘉男

 私、ただいまご紹介に預かりました、トリオ・ジャパンの事務局長をさせていただいております荒波嘉男と申します。隣にいるのが私の家内でありまして、荒波嘉男さんとよしこさんといいますか、仲良し夫婦の荒波でございます。トリオ・ジャパンの事務局を預からせていただいておりまして、日々電話対応などをさせていただいている中で、移植が必要で海外に行かなくてはならない方々、そして、その方々を支援する支援会の方々と直接お話しさせていただいた関係もありまして、ここに夫婦で座らせていただくのは誠に申し訳ない感じも致しますけれども、今回はこういう形で司会進行をさせていただくことになりましたので、何とぞよろしくお願い致します。では家内から一言。

荒波よし

 今日ここにお並びの皆様方は、会場にいらっしゃる皆様方と同じように、移植ということに関しましては、一般市民の皆さんと同じように、ある意味では関心がなかった方々です。しかし、身近な方々が「移植」ということで、本当に親身に関わることになって、いろいろな思いをされて関わって下さっております。そして皆様方の支えによって海外に行って、移植が出来て、本当に喜びの人もおりますし、現在頑張っている方もおります。中には移植の地であります外国に行きましたけれども、残念ながら移植までは漕ぎ着けなかった方々、そういった方々もいらっしゃいます。

 それでは、お一人お一人の体験をお話ししていただきたいと思います。まず、こちらからご紹介させていただきます。東京は府中に在住しておりました中崎勲君、16歳の少年です。アメリカのクリーヴランド・クリニックにおいて、この1010日に心臓移植を受けることが出来ました。この「中崎勲君を救う会」の代表であります大室さんに募金の大変さ、また支援の大変さを語っていただきます。よろしくお願い致します。

荒波嘉男

 ここに7名の方が座っておられますが、まず最初に、それぞれの代表の方から順次8分程度自己紹介とともに体験を語っていただきます。その後、皆さんと会場と一体になったディスカッションに移らせていただきます。

 その前に一言、申し上げないといけないことがありますのでお伝えさせていただきます。一番向こうに座っております方ですが、塚原ひとみさんではなく、実は、物部美佑紀ちゃんのお母さんの物部多恵子さんです。昨日の夕べまでは塚原ひとみさんが代表として出席できるはずだったんですが、今日、塚原ひとみさんのおばあちゃんの容態が悪くなって、付き添っていなければならないということでご欠席となりました。急遽ですね、支援をしていただいたご家族の立場ですが、美佑紀ちゃんのお母さんという立場で、塚原さんの席に座っていただいたわけです。その点、どうかご理解をよろしくお願い致します。

 それでは、大室さんからよろしくお願い致します。

中崎勲君を救う会

 はい。大室と申します。「中崎勲君を救う会」の事務局長をしております。1010日に米クリーヴランド・クリニックの方で心臓移植の手術が終わりまして、現在、ICUから一般病棟の方へ移っております。まだ、いつ帰れるかということについては、見通しは立っていません。自己紹介ということですので、ちょっと簡単に。資料の中にありますように、私は「中崎勲君を救う会」ということなんですが、その前に、ここにもありますように、現在、社団法人むさし府中青年会議所という公益法人の理事をさせていただいております。中崎勲君を救う会はむさし府中青年会議所というところが全ての母体になっていまして、そこの関係者ということで、事務局長ということをやらしていただいております。もしかすると、若干、皆さんと違うのかもしれませんけれども、私の場合、移植という話を聞くまでは、中崎君のご家族ともご本人とも、一切会ったことがございません。まるっきりの他人でございます。ただ、府中という同じ地域に住んでいるという、それだけの接点で今回関わらせていただいております。

 募金の大変さということなんですが、とりあえず6,000万円を目標に8月5日から始めまして、現在1024日ですが、約4,200万円集めさせていただきました。そのうち、デポジットと渡航費、それから追加の医療費等で、現在2,400万円ほど使っております。まあ残り15万ドルほどあるんですが、現在も募金を続けておりまして、一応年内を目標に6,000万円を集めたいと思っております。

 募金の大変さというところで、実際、僕らは募金をやっているんですけれども、ちょっと特殊かもしれませんけれども、青年会議所というのは普通全国にあるんですけれども、一応うちは30年の歴史がありまして、この中でいろんな団体やいろんな方々とおつきあいさせていただいておりますので、そういう方たちにお願いを致しました。それが記者会見の2日後でございます。

 こうして募金をお願いしまして、実際の募金活動はいろんな団体がやっております。我々事務局サイドは、それを運営していく、募金がどこでどの様にやられているか、あるいは、募金をする際に許可を取ったり、そうした事務的な作業を事務局サイドでやらせていただいて、実際に募金活動の多くの部分は、今までおつきあいさせていただいた他の団体にすごく依存しております。

 我々メンバーでも募金活動はやりますけれども、多くの場合は他の団体やら、他のボランティア団体に大きく依存しております。中崎君の場合は16歳という年齢で、高校っていう枠組みとかですね、あと中崎君のお兄さんが大学生ということもございますので、かなりそちらの方で募金活動を盛んにやっていだきました。募金の大変さということではないんですけれども、やはり事務局としていろんな壁にもぶつかりましたし、本当にこれを続けていっていいのだろうかというところまでいった時もありますので、募金のダイレクトな部分ではないんですが、やはり募金っていうのは最終手段であって欲しいとすごく思いました。

 移植については、これはもう賛否両論あります。募金をしててもそうですし、事務局で電話で応対しててもそうですけれども、やっぱり意見があるんだろうと思います。だけれども、基本的には、もう移植をしなければいけないという状況の中では、いろんな意見もありますけれども、我々は同じ地域にいる者として、街づくりをしている者として関わらしていただきました。しかし、多分ここにご同席されている皆さまもご経験されていると思いますけれども、やはりいろいろ批判はありました。それはそれとして受け止めて、基本的にはご家族にはお伝えしていません。批判の部分については。全てこちらで受け止めて、こちらの中で全て処理しました。

 最後に、僕らが取ってきた立場というのは、なるべく客観的な立場でいたいということと、それからご家族には勲君の治療に専念をして欲しいということで、いろんな団体にご協力をお願いする時だけは、家族にお願いをしましたけれども、それ以外の部分については、こちら事務局サイドと、その他の支援団体で募金活動をやらせていただきました。うまくいっているとは思いますけれども、まだまだ僕らは進行状況にありますので、年内に向けてやっていきたいなと。正直申し上げて、募金というのは本当に大変だなと。皆さんそうでしょうけれど、仕事を持ちながら、また、我々はみんないくつかのボランティア活動をしていますので、それをしながら、さらに募金活動をしているというのは、正直言って大変だなと。正直言って疲れたというのが今現在、正直なところの気持ちです。

 また、救う会というので募金活動させていただきましたけども、青年会議所としてはこれからがスタートです。てきればその募金の中から、いくらかでも基金という形で残させていただいて、移植に関する啓発的なものを、青年会議所の事業としてこれから展開して行かねばならないというふうに理事長も申しておりますので、その辺でこれから少しずつ模索をしながらということで、移植の問題の部分を捉えるという部分については、今がやっとスタートラインで、彼の移植手術が終わったということで、やっとここでスタートラインに立って、じゃ、これからその国内移植をするにはどうしたらいいかという部分を我々は考えなきゃいけない。やっとスタートラインに立てたのかなというふうに思います。以上です。

荒波嘉男

 大室さん、ありがとうございました。いっぱいディスカッションしていただきたい部分がありますが、先に皆様のご体験を発表していただきますので、次に中沢貴司君、この子は原発性肺高血圧症と申しまして、肺移植をしなければならないお子さんなんですが、現在、肺移植は世界的に非常に難しい状況にありまして、とりあえず延命の治療をアメリカでする。そして、その後、何年か先に日本国内で肺移植をしたいという二段構えで募金をされております。中沢貴司君は宇都宮にお住まいです。

 その貴司君を救う会の代表であります高橋秀雄さんから、支援に当たって悲喜こもごも体験されたことをお話しいただきます。よろしくお願い致します。

中沢貴司君を救う会

高橋秀雄

 高橋です。よろしくお願い致します。中沢貴司君の募金活動は一応第一段階、目標3,000万円を9月末にオーバーしてまして、一応終了ということで、新聞発表なんかをさせていただきました。今、中沢貴司君は、アメリカでプロスタサイクリン持続静注療法というのを受けまして、10日間位なんですが、治療を受け終わりまして東京に帰って来ております。東邦医大に入院して、毎日検査と、あとお母さん方が薬の調合とかを勉強してゆかなければならないので、それも兼ねて今月いっぱいぐらい入院しているそうです。

 私と中沢君のつきあいっていいますのは、私がまともな勤めをしておりませんで、いつの間にか、家庭教師が本業っていう感じでやっていたわけです。中沢君もその生徒の一人で、5〜6年間、面倒見てまいりました。ですから、その原発性肺高血圧症っていうことが診断された時には、酸素を取りながら入試の勉強をしていたわけなんですね。それからだんだん安静が必要になって、普通の高校入学を断念し、通信制へ今年の4月に入学したわけです。現在は治療のため休学しています。

 あの、私は病気のこと、医療関係のこと、またこういう募金活動のことなど何も知らなかったんですが、中沢君のお父さんお母さんから頼まれまして、本当は断りたかったんですね。でも、やはりその緊急度ってことと、命の問題ってことで、どんなことを考えても断る理由にはならないですね。それで、やれるならやってみようってことで、自信は無かったんですが、代表としてやらせていただきました。

 私どもの「中沢貴司君を救う会」っていうのは、私以外は3〜4人が男性で、他は70人ぐらい最終的に集まったんですが、ほとんどお母さん方です。徐々に広がってきたんですけれど、最初の母体はスイミングスクールに通っていたお母さん方、あと中沢貴司君の同窓生のお母さん方、そういうお母さん方ばかりで活動して来られた。その結果が順調に、早めに3,000万円というところをオーバーできたんじゃないかなと思います。私どもの活動っていうのは、まずトリオさんのところへ行きまして募金活動の勉強をして、病院の先生のところへ行って病気について勉強して、それでノウハウがわかったところで7月15日、何とか記者会見をしまして、その日から募金活動を始めました。私ども、全員そうだったと思うんですけれど、はじめての経験っていうことを、何か胸をときめかせるっていうか、自分自身がこう感激しながら、例えば高校生の女の子、中学生とかそういう子までが街頭募金を手伝ってくれたんですが、負担に思わないで一生懸命やってくれたんですね。そのおかげで街頭募金というのがものすごい成果になったわけです。

 例えば、宇都宮にも東武百貨店がございますけれど、そこで4時間ですか、やって45万とかそういう金額。あと街頭募金で面白かったのは、NHKさんがテレビ放映してくれるということだったもんですから、2時間だけ特別やっぱり東武百貨店の前でやらせていただいたんですね。その時、カメラをですね、募金箱の前に向けておいてくれた時に、ものすごい勢いで募金が入ったっていうのが、これは募金活動の時はカメラを持って歩いた方が入るなとか、何かこう1回1回その募金活動も、暑い時もありましたけども、結構自分の感激として味わいながらやられたんじゃないかなと思います。募金箱、これもいろんな企業、お店、いろんなところへ頼んで置いていただきました。200店舗ぐらい置いていただきまして、すごく成果が上がったと思います。

 活発なお母さん方ばかりだったもんですから、私もあんまりすることがなくて、最初のうち、電話受けと挨拶回り程度だったんです。それで、私も一応子どもの本の作家なもんですから、ワープロ打ちぐらいは出来るなということで、通信を、最初は1週間に1号ずつ、最後は2週間おきぐらいになりまして、だいたい8号まで出させていただいて、そこに募金して下さった方、名前のわかる人ですけれど、それと募金箱の置いてあるお店、それをどんどんどんどん追加していって、最後には8ページ分くらいのものが出来たこともあります。これを救う会の会員の人が持って歩くことによって、後から後からお店が拡がってゆく、そういうようなことがあって、すごく助かったような気がします。

 後は企業とか、団体にもお願いに行きました。ですから、今日は自衛隊、明日は銀行とか、そういう動きをしてたこともありますけども、どの企業さん、団体さん、学校さん、あと自治会の方でもすごく好意的にやって下さいまして、時間が経てば経つほど、その募金の集まり方が何かこう、転がるようにっていうか、入る率が高まってまいりました。本当に苦労っていうことはあまり無かった、会員全員がそういうことで、最後に一度飲む席をもうけたんですが、その時も何かこう、やり遂げたことの感激の方ですごく満足していられたと思います。

 長くなって申し訳ないんですけど、私どもの救う会は、今は延命治療なもんですから、肺移植に向けてもう一度やらなくちゃいけない状況なわけですね。それに向けて今日の南先生のお話等からすると、ちょっと先が淋しいんですが、でも、それを乗り越えて、やはり新たな運動みたいなものが出来てったらいいなあと思っています。会を終わって、やはり、本当、人の善意だけにすがるだけでいいのかなあということも感じました。以上です。

荒波よし

 ありがとうございました。次は、遠藤里保ちゃん、この子は2日前にアメリカはUCLAで移植が出来た1歳のお子さんですが、山梨県のお子さんです。この里保ちゃんを守る会の代表の佐野貴史さんにご体験をお話ししていただきます。では、お願い致します。

里保ちゃんを守る会

佐野貴史

 ただいまご紹介にあずかりました佐野でございます。今日、私は、皆さん先輩方の話をそちらで聞けばよかったのかなと思って、こんな恰好で来てしまいまして申し訳ございませんでした。こちらに来て、この段の上にこんなふうに名前がかかってましたので、「まさか私が」というような感じでした。

 9月7日に遠藤里保ちゃんを守る会を、会員22名で発足致しました。やはり皆さん方と同じように、何も分からないままはじめまして、まずはチラシづくり、そして募金箱を作ったりしていました。そんな中で、ビラを見つけていただいたNHKの方が、2日後くらいにですか、早速取材に来ていただきまして、NHKの方の取材が放映されまして、山梨でも遠藤里保ちゃんという子が心臓移植に向けて活動を始めたということを広く県民にですね、広めていただくことが出来まして、NHKで放送されたということが非常に信頼性が高いということがありましてですね、非常に活動がしやすかったという部分が1つ挙げられます。

 それに伴いまして、私どもでは、募金箱を箱屋さんに1,000個注文を致しまして、1,000個現在配ってあります。そして、いっぱいになったら、取りに伺いまして交換してきて、それを銀行に持っていって入金するというふうな形でやっております。

 幸いにも9月7日から一月以上活動しているわけなんですけれども、幸いにも批判とか、そういう電話はうちの事務局にはかかってきておりません。

 そして里保ちゃんのUCLAでの心臓移植にかかる募金の目標額が、8,000万円ということで設定しておりまして、実は山梨県の人口が約80万人くらい、非常に少ないんですけれども、1人100円で8,000万円という、こういう目標を立てまして、草の根的な活動をしていこうじゃないかということで、人から人へ伝わっていって、そしてまた募金箱も1,000個、いろんなマスコミの方のテレビとか、新聞なんかの県内への報道によって、徐々に知られていきましたので、皆さん快く募金箱、チラシなんかも受け入れていただきまして、現在もう1,000個が山梨県内、また一部東京に置いてございます。

 そんな中で現在、正式会員が26名、準会員も8名くらいおりまして、何分ボランティアの団体ということで経費がございません。そのためにですね、1人当たり月に3,000円の経費を頂きまして、箱代を払ったり、またコピーのお金を払ったりして、この中からやりくりをしていますが、現在赤字です。

 また、お礼状下さいとか、お礼の葉書を下さいとかっていうふうな方もいるんですが、一応ボランティアの活動をしていまして経費もございませんので、出来る限り、「言葉だけではいけませんか」という形で対応しております。それでも駄目だという方にはお礼状を差し上げるような次第です。やはり草の根的な活動ということもありまして、最初は非常に募金の金額が入ってくる金額が非常に少なかったんですが、全国的な放送もありましたんで、尻上がりに募金の金額というのが増えてまいりました。

 やはり、8,000万円っていう目標金額は非常に高くって、デポジットだけでも3,800万円、とても募金を待っては渡米が出来ないということで、トリオ・ジャパンの方からお金を借りたり、むつみ君の守る会の方からお金を借りたりということで、借金をしての渡米ということになりました。そうした中でまた募金もどんどん集まってきましたが、先ほどもご紹介ありましたように、つい一昨日ですか、心臓移植の手術が終了致しまして、その時にECMOという体外心肺補助装置というものを付けたんですね。その金額が別料金といってはおかしいんですけども、医療費がいくらかかるかわからない。おそらく既に目標の8,000万円は超えているだろうというふうな見込みでおります。

 そんな中で、会員のメンバーは、甲府市内で今日も明日も募金活動を行っている中、私は出てきてしまったんですけれども、今現在進行中ですので、私も今日お勉強させていただきにやってまいりました。よろしくお願い致します。

荒波よし

 どうも、ありがとうございました。それでは、次は早川妙子さん。この方は千葉在住で心臓移植をされた方ですが、その早川妙子さんを守る会の代表の藤崎陽子さんに、お友達として一生懸命関わって下さったところをお話ししていただきます。

 藤崎さん、お願い致します。

早川妙子さんを守る会

藤崎陽子

 皆さん、こんにちは。私は早川妙子さんを守る会の藤崎です。私も妙子さんのご主人から、「いろんな方に代表ということでお願いしたんですが、なかなかやって下さる方がいなかったので」ってことで、お電話いただいて、私も自分の中で葛藤があったり、自分にも家庭がありますので、と思ったんですけれど、第一私が考えたのは、私も母親でありますので、やはりその早川さんのお子さんのお母さんが助かって欲しいっていうことで、私も何も出来ないし、力は無いんですが、一応やらせていただきました。

 私たち守る会では、募金で本当に沢山の善意のお金が、目標は4,000万円だったんですが、それ以上にお金が集まりました。活動も今はもう終わって、早川さんも元気なんですが、まだ移植には皆さんの特別な思いっていうか、「特殊」っていうのがあって、移植ってそんなにお金がかかるのか、それでも?っていうところでわかっていただけなかったんです。でも、私もお金も大切なんですが、やっぱし、いのち、そういうふうにしたことで、生命が助かればっていうことで、本当ににいろんな方にお願いをして、やっぱし、命の大切さっていうことがとても勉強になりました。

 そうですね、私たちの募金では、私も一応看護婦をやっていましたので、看護婦学校の仲間たちとか、早川さんのご主人の会社の同僚たちが一丸となりまして、毎日街頭募金に立ちまして、駅とかデパートの前とか、私たちは夏に募金活動をしましたので、お祭りが地域であったので、そちらで募金を呼びかけました。初めは皆さん、そのチラシにしてもこうなんていうのか、見たらその場で捨てられて本当に残念だったんですけど、やっぱしこれは積み重ねで、皆さんに分かっていただくってことで、一生懸命私たちもやりました。今も早川さんはお元気で、今日も一緒にこの会場に来たんですけれども、お金で代えられないことが沢山あるなということを、本当に私は痛感しました。すいません。まとまらない発表なんですが、ここで終わらせていただきます。

荒波嘉男

 はい、ありがとうございました。それでは、次の斎藤さんに行きますが、及川真一君は、実は今日基調講演して下さいました南先生のところで心臓移植をしていただきました。20歳の青年で埼玉県在住です。その及川真一君を救う会の代表であります斎藤勉さんに、その募金や支援の大変さを、あるいは体験をお話ししていただきます。よろしくお願い致します。

及川真一君を救う会

斎藤 勉

 ただいま、ご紹介のありました斎藤です。真一君の支援活動との関わりをちょっと述べさせてもらいます。及川真一君のお父さんから、一番初めに私に相談に来たのは、昨年の7月のはじめだったと思うんですね。その前から、具合が悪くてちょくちょく入退院を繰り返しているということは若干耳にしていたんですが、真一君のお父さんは、皆さんにご迷惑をかけちゃいけないということで、あまり細かいことを一々言わない方なので、私に相談に来た時には、既にかなり悪かったんですね。これはもう手術をしなければ命が助からないというような状態に追い込まれてきた時に、一応友人ということで、私に相談に来たんです。

 今、私と及川さんとはですね、早稲田の理工学部の実験室で働いている技術職員の仲間なんですが、私もそのお話を聞いてからびっくりしまして、今日もこちらにお見えになっていましたけど、機械科の梅津先生っていう先生が人工心臓の研究を長年やっている先生なんです。私も仕事を通して先生との交流があったもんですから、すぐ梅津先生にご相談して、先生もやはり専門家ですから、いろんな値を聞いただけでびっくりなさいまして、そんなに悪いとは思わなかったと。これは何とかしなきゃいかんというので、現在、埼玉医科大学の病院に入院しているわけですが、たまたまそこの主治医の先生とか院長さんが、皆さん、梅津先生のお知り合いでございまして、いろんなご援助を受けながら今日に至っているわけですが、私たちとしては、何とかこれは救わなきゃいけないなということで、今日お見えになっている及川さんの直接の上司であります檀さん、事務長なんですが、檀さんにご相談した結果、何とかしなけりゃいけないというので、結果的にですね、真一君のお父さんが務めている職場の方が中心になって、支援活動を展開しようと。

 私としては、その職場の皆さんに代表をとお願いしたんですが、私が一番公私ともに親しいということで、うちの私の家内と及川さんの奥さんが先輩後輩という仲もありますので、皆さんの推薦を頂きまして、代表という形でやらせてもらうようになりました。

 5月12日の埼玉県庁での記者会見を皮切りに、募金活動を展開していったわけです。その間、及川真一君のお見舞いや支援など、いくつかのお願いを土屋埼玉県知事にお願いしたところ、全て理解してくれまして、ご協力いただきました。募金の方も650万円ほどは知事さんの関係で集めてくれた記憶がこざいます。6月8日に待機リストに登録しました。幸いにも、登録後10日も経たないうちにですね、第1回目のドナーが現れたんです。ただ残念だったことに、ドナーの方は心臓と肺を提供してくれると。しかし肺を受け持つ方の病院側が、万が一肺が駄目な時は心臓も譲ってもらうということでした。残念なことに、肺の方が結果的には使えなかったわけで、私たちはそこでチャンスを失いました。そんなことで沈んでいたところ、また1週間も経たないうちに第2回目のドナーが現れて、それが今回の好結果になったわけです。

 話は前後しますが、先週の土曜日にですね、真一君は南先生がお付きになって、一時帰国って形で帰国しております。まあそういうことで、今日まで来ているんですけども、私は支援活動の代表という形で始めるに当たって、いろんな不安があったんですが、トリオ・ジャパンていう存在を知りまして、一番初めにその辺のノウハウについていろいろご援助をしてもらいまして、それを参考にやってきたわけです。

 先程言いましたように、一時帰国っていうことでいますので、本帰国ということも、そう遠くはないだろうという見通しを一応持ったものですから、現在の段階で、今後の医療費、渡航費、あるいは滞在費等も含めてどうだろうということをですね、先だって支援会を開きまして、やったところですね。一応、医療費については何とかまかなえる。申し遅れましたけれど、今現在4,000万円の目標に対しまして3,700万円。実際には3,800万円はもう行っていると思うんですが、公表しているのでも3,700万円は達成されているんですね。それで、何とか行けそうだということで、この間の会合を開いた時にですね、本帰国をもって支援会を解散しようというふうな話し合いはやっております。

 この間、いろいろあったんですが、一番大事なのは何かなとはやはり私自身考えたんですね。代表になりますと、家族のですね、中までかなり入り込んでいくんですね。その家族の中がもう丸見えになるまで入り込んでいきます。入り込まざるを得ない状況になるんですね。一方、支援会をまとめて行かなきゃならないという点で、入り込んでいったものを全て大っぴらに出すわけにも行かない面もありますから、私の中でいろいろ調整しながら、何とか支援活動に結びつけて行かなきゃいけないんですが、こちらの皆さんもそうでしょうけど、そういうことで私も随分悩んだこともあります。

 しかし、その悩んだ時に何をもって解決したかなといいますと、やはり口幅ったいんですけども、これはあくまでも支援であってボランティアだと。私がやってあげているんではなくて、やらせてもらっているんだという原点に立ち返らないと、やはり、ちょっとした問題でもですね、自分自身にでも悩むし、皆をまとめていくということも出来ないということに気が付いたわけですよね。それまでの私というのは、全く移植に対しては無知でしてですね、どっかでやっているなと、そのくらいの考え方です。ましてや、皆さんみたいに、こういうセミナーに参加するなんてことはほとんどなかったことなんですよね。そういう点では、皆さん以上に私は劣っていたわけですが、こういう運動を通して、ボランティアや支援活動の大事さっていうのは何かっていうと、やはり、やらせてもらっているんだということに立たないと、自分もそこで挫折するだろうし、運動もうまく展開していかないなぁということをつくづく感じました。そういう点では、大変私なりに勉強させてもらったなあという感がします。

 そうですね、時間があまりありませんから、また何かあった時にお話ししますので、この辺で失礼致します。ありがとうございました。

荒波よし

 ありがとうございました。それでは、次に名古屋のお子さんで永谷睦実ちゃんという、2歳のお子さん。この子はアメリカに行きましたけれども、待っている間に残念ながら亡くなられました。「むつみ君を守る会」の代表の永井孝さんにお話をしていただきます。よろしくお願い致します。

むつみ君を守る会

永井 孝

 はい、永井孝です。実は昨年まで私は、こういう関係のこと、他の方もそうだと思うんですが、全く関わりの無いというか、興味を持たない状態でした。

 永谷睦実君のお母さんは共同保育所の保母をされているのですが、10年ほど前ですけれども、私の息子を預けていましたので、それ以来の知り合いということで、昨年、心臓移植を決意された時に、じゃあ私が応援してあげようということで始めたわけです。3月に記者会見をしましたが、それまでに実はテレビ局が3社ほど、それから新聞社等もどこから聞いたのか、結構取材に見えました。ともかく報道に対して、全て平等でなければいけないということで、私たちは撮ってもらうのは結構だけど、記者会見までは報道しないで下さいとお願いして始めました。

 3月2日に記者会見をした後、5月1日に亡くなってしまったわけなんですが、3月・4月の2ヶ月間が一番忙しかった時期だと思います。その間、私が何をしたのかというと、はっきり言って、ただ事務局にいただけと言った方が早いと思うんですが、外から何か大事な電話があったりした時に、それに答える者が一人はいなければいけないということもありまして、ともかく事務局にいることに専念しました。3月4月は、ほとんどの日が睡眠時間2時間から3時間でした。自分の仕事もありますし、それから仕事以外の時にもほとんどそこにいた方がいいということでやっていましたが、何故そんなやり方をしたかと言いますと、まず、守る会の親族以外で男性は3人、それから女性が9人ほどいましたが、途中で段々支援して下さる方が増えてきましたけれど、正直言って、いろんな実務関係は女性の方が得意だと思うんですよね。ただ、その女性をまとめていくにおいて、「私はこれだけの仕事をしているのに、あの人は少ししかやってないじゃない」というような意見が出てきた時に、やはり私がきちっとやってないと何にも言えないということで、ともかく時間だけでも事務局にいた方がいいという考えでやっていました。

 4月27日に渡米して、その4日後の5月1日にロサンゼルスで亡くなってしまって、本当にまあ、私もそうですが、会のメンバー全員、気が抜けてしまったような状況になりました。それまでに募金が1億円ちょっとありましたが、集まってきたそのお金をどうしようか。渡航費だとか、向こうの医療機関に払ったお金などを引いて、9,000万円ほど残りましたので、それを「むつみ君基金」と致しました。その基金を運用する団体を先日作ったんですが、「キャンディデイトを支援する会」という会にしました。

 それで、この会は具体的にどういうことをしていくかというと、一番大事なのは命だと思うんですよね。移植をして、今しなければいけないという人、その人たちがすぐにでも外国に行けるように、その基金をもとにお金の貸出しなんかもしようと。

 これについて、電話での批判なんかもありました。私たちはとりあえず15歳未満の子供で、臓器移植を緊急に必要としてる人に1,000万円を限度として貸出すということにしましたが、「あなた達のお金じゃない。どういうつもりだ」というようなご批判も受けました。ただ、やはり移植に海外へ行かなければいけない人が、かなり大勢いると思うのです。一番私たちにとって楽なのは、ある人のところへ9,000万円ポンと渡してしまってさよならすれば楽なんですが、それではその人一人でおしまいなんですよね。ですから金額は少ないかもしれませんが、1,000万を限度として、治ってみえてまた募金が集ったところからまたお返し願えれば、また他の方も渡航できると、そういう考えでお金の貸出しという方法をさせていただいています。

 それから最近では、山木田保奈美ちゃん、遠藤里保ちゃんの支援もしていますし、先日亡くなってしまった小牧市在住で犬山高校の先生でした船越正さんという48歳の男性がいたんですが、そちらの支援もしていました。ただ、本当に残念なことに、船越さんは心臓移植後突然亡くなられて、今病院の方で原因を解明するということをしている段階です。

 何故私がこういう臓器移植関係に最近こんなに首を突っ込んだかというと、1つはこれは完全に人の輪だと思うんですが、私どもが「むつみ君を守る会」をやっていた時に、前にみえる荒波ご夫妻、それから私の今横にみえる物部さんをはじめとして、非常に多くの方に手助けをしてもらったというか、いろいろ助言もしていただきました。それで私が感化されたというか、今後いろいろなことをしていかなければいけないと思いまして、その睦実君のご両親の永谷夫妻をはじめとする人たちで会を作ったわけです。

 けれど、私は本来募金というのはしちゃいけないと思っています。しちゃいけないのに、じゃあ何でやってんだということなんですが、まあ重病の患者を抱えた家族がそんな募金運動をすること自体、非常に困難なことです。これはやはり、健康保険であるとか、また別の方法でもいいですが、国なり地方公共団体なりがきちっと面倒見てくれるべきことであって、募金でまかなうというのは絶対に間違ってることだと思ってます。そういうことにも憤りを感じておりまして、今後臓器移植を日本できちっと出来るように、また保険などで患者の負担無く出来るように運動していきたいと考えております。長くなりましたが以上です。

荒波嘉男

どうもありがとうございました。

 それでは最後になりますが、本来でしたらお名前が出ている塚原ひとみさんにお出でを願うところでしたが、先程申し上げたような理由で、本日伺えないということになりまして、支援を受けられた物部多恵子さん、物部美佑紀ちゃんのお母さんです。物部さんと塚原さんは大変仲のいいお友達同士なんですが、支えられたというか、一緒に募金活動をしたというところで、いろいろ体験を話していただきますので、よろしくお願い致します。

美佑紀ちゃんを守る会

物部多恵子

今荒波さんの方からおっしゃったように、ちょっと今日突然の用で塚原の方がお休みということになりまして、代弁できるという形じゃないんですが、この私が娘を亡くしまして、丁度1年と半年が経ちまして、この1年間の中で気持ちがものすごく変ったこと、そしてこの日本の中で1年間、1例も手術が行われてないという現状を、1年間に渡って、塚原とともにいろいろな話をした中から、少しだけ取り上げてお話しさせていただきたいと思います。

医療不信

私たちの場合は、募金活動の大変さというよりも、とにかくこの子を助けなくてはという気持ちで活動を開始したのが3月13日からだったのですが、たまたま昨年というのは法案審議にぶつかっていましたので、おかげさまでマスコミ関係者に取り上げていただいたおかげで、2週間という期間の中で、8,000万円以上、約1億円の募金が集まりました。私たちの娘の場合、先天性の心臓疾患でしたので、挿管して10時間飛行機で渡米したわけなんですが、アメリカのデボジットは大変高く、日本円に直しましたら6,000万円、もう私たちの頭の中では6,000万円すら集められないだろうという中を、皆様のおかげで本当に短期間に、最終的にはもう2億円という金額を集めさせていただきました。けれども、「とにかく助けなくては」と思った気持ちの中で、先程南先生の方から信頼関係という言葉を何度も何度も伺いましたが、まさしくその信頼関係の問題、私達家族から言わせれば、医療不信っていう言葉を使わせていただくわけですが、その医療不信の中で私たちは渡米しました。

 その医療不信というのは、娘は8年間の中で4回、5回の手術、もう検査を加えましたら、もう数十回に及びますけれども、その間に大きな病院を2つかけもちしました。その中で、それまでと違って思わしくない回復に、家族がやはり気になりまして、どんなに先生方に「これは今までとちょっと違うんではないか」と何度も何度も訴えかけた中でも、全く拡張型心筋症という病名を聞かされることはなく、とうとう産まれてすぐかかった最初の病院に戻りました。基本的にはいけないことだと私たちも思いながらも、やはり信頼のおける先生のところへ帰りたいという気持ちを、これはもう多分私の個人プレーとしか言いようがないんですが、娘を抱えて元の病院に戻りました。そこでまさしくインフォームドコンセントを受けて、その時点で余命2〜3ヶ月でした。その2〜3ヶ月の中で募金活動するということでは、もう大変な苦悩とか、辛いとか苦しいとかいう言葉は全く私たちにはなかったです。その1ヶ月、とにかく娘の命が間に合うかどうか、募金をどんなことをしてでも集めたいっていう気持ちの中で渡米しまして、結果的にはアメリカの方でドナーが現れることなく亡くなりました。

 私たちがこの1年間いろんな意味で考えさせられたのは、ドナーが集まらない・出ないという結果の中には、やはり南先生がおっしゃったように、医者と患者との信頼関係がないから、最終的に脳死という判断が全く認められず、家族はやっぱり心臓死として自然の状態を望むんではないかと思います。

 しかし、私がお世話になって、それまで築き上げてきた先生方との心の信頼関係があって、その病院の中で脳死として判断されたのであれば、私達家族だけではないと思います、きっと大勢の家族の中で、皆さん「この先生であれば」っていう中で、もし10人意思表示カードを持ってる方がいましたら、今よりもはるかに多く5人は提供してくれるんじゃないか思います。そして、私のような者がこのような発言をするのはおかしいとは思いますけれども、やはりトップに立っている小児科の先生方が移植を推進されないということは、すごく残念に思います。結果的に、私たちは娘の病状を全く知らなかったっていう結果で終っていますから、きっと私の娘だけではないと思いますし、もっともっと全国にはいっぱいこのような患者さんがいたと思うのです。

 ですから、医療関係者の先生方、そして皆さんに、私たちはあえて言葉を言わせていただくのですが、病名を言われなかった先生方に私はお聞きしました。

 「この娘はやはり移植が必要なほど病状は悪化してたんでしょうか」と伺うと、「やはりその先生の上の先生が言わない限り、やはり言えない」というニュアンスでお返事されましたが、もうものすごく残念でした。教授がこう言ったら下の先生は何も言えないっていうので終わっていいのか。患者家族は全く医療に関して知らないっていうことをもっともっとわかっていただきたいです。そして、移植を進める前に、まず現在の病状をもっと家族に伝えるべきではないかっていうことを、やっぱりこれは味わった家族がもっともっと声を大にして言うべきではないかということに今はじめて気づきました。ですから、これからの患者さんのためにも、やはり先生方がもっと患者家族と信頼関係を築くこと、患者家族に医療不信と言われないように、何とか皆さんの多くの学会の中で討論していただきたいと思います。

今日は塚原の代理ですのに、こんな発言になってしまったことを本当に申し訳なく思います。これからも、もっともっと、日本で出来る移植に向けて、私たち家族は塚原とともに頑張っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

荒波よし

物部多恵子さん、ありがとうございました。

 この会場で、初めて海外に移植に出たということをお聞きになっていらっしゃる方もあるかと思うんですが、実は日本で移植が出来ないということで何千万も費用がいるということと、それからもう移植、ということは、移植をしなければその人は何年も生きていけるわけではないんです。

 人によっては、半年あるいは数ヶ月という余命しかない、そういう子供あるいは家族を抱えたご家族にとっては、もちろんお金のこともものすごく大変なことなんですが、それ以上に、物部さんが少し語って下さいましたけれども、その精神的な不安定さ。そしていつまで持つか、明日死ぬんではないかという、壮絶な不安の中に置かれます。そういったご家族をここにいらっしゃる方々は体験されているわけです。今回は割とお金のこと、募金ということばかりが前面に出てまいりましたけれども、それだけではなく、精神的な心のケアも含めて、家族とともに歩んで下さった方々です。今日こうしてお話して下さいましたことを本当に私も感謝するとともに、こういうのが現状であること、現在も7家族くらいがですね、募金をされてるんですね。やっと終わったという方もいらっしゃいます。ここの中で、移植して助かってはいるんですけれども、まだ募金半ばという方もいらっしゃいます。また、こういう中で、次から次に今支援団体を作ろう、あるいは募金をしたいっていう声も私たちのところに届いてきております。

 これが日本の今の現状だろうと思います。こういう中で皆さん方と少しディスカッションして、ここに登場して下さいましたそれぞれの支援会の方々のいろんな問題点をピックアップしていきたいと思います。

荒波嘉男

 皆さん、どうもありがとうございました。

それでですね、ここに壇上に登っておられる7名の方、まあ物部さんは特別な立場で出て下さっておりますが、募金支援の代表・事務局長のこの方々は、この募金の必要に迫られてスタートされました。同僚のご家族など、様々な身近な方が移植が必要で、何とか助かって欲しい、黙って見ていられないというところで立ち上がって下さったわけです。つまり、元はと申しますと、日本社会の普通の一市民であって、こうして関わるまで、果たして移植医療についてどれだけ考えて下さっていた方であろうかということを思うわけですね。

 すなわち、移植医療についてはそれほど関心があったわけではない、ごく一般の方であったわけです。その方々がこの身近な方をお助けするために、募金の必要に迫られて作業をされたということを通して、いろんな方が関わられたわけでございます。その一部を今お話しして下さったわけですけれども、この募金を通して、社会といろいろ関わって来られた中で順次お聞きしたいと思いますけれども、1つはですね、社会との関わりの中で募金という厳しい作業をする中で、例えば励ましがあったとか、その逆があったとか、いろいろな社会との関わり、日本の社会はどうであったかということ、現在全く移植が出来ないこの日本社会なんですけれども、募金を通して接触していく中で、いかがでしたでしょうか。

 結果から申しますと、ほとんどの方が募金を達成していますと同時に、今現在2家族が募金達成に向けて継続中です。何だかんだ言ってもですね、お金の面では何とか達成しつつあるというところを見る際に、この日本の社会ってどういう社会なんですかっていうことをちょっと問いたくなるわけです。その辺りのところからお話ししていただきたいんですがいかがでしょうか。

斎藤さんどうぞ。

斎藤 勉

生意気なこと言うつもりじゃないんですけど、率直に言って初めてこういうふうに募金活動を通して今、荒波さん言われたようなことで感じるのは、最近私たちにですね、こちらにお座りの藤崎さんの方から多額の800万という支援金を頂いたわけです。

日本の豊かさと人情

 先だって私と及川さんと、それから事務局長の檀さんと3人でですね、千葉県市原市五井に藤崎さんをお訪ねしてご挨拶に行ったんです。その際、京葉線というのに初めて乗りまして、千葉がものすごく変貌してるんでびっくりしました。もう幕張辺りは、かなり近代的なビルがいっぱい建ってまして、ああこんなに変ったんだというふうにびっくりしている折、はっと自分に気が付いて、今自分は何をしに行ったのか。ふっと見たらこんな近代的なビルなんかがこう建ってる一方で、昨年1016日に移植法が施行されながら、いまだかつて一人も現れないと。この差は何なんだろうと複雑な思いがして、まあその日は帰ってきたんですね。

 もう1つは県知事さんに会見に行った帰りですね、浦和駅前でビラ配りをしたんですが、やっぱり取ってくれる方がほとんどないですね。今、あちこちでピンクビラも含めていろんなビラがまかり通ってるんで、ビラアレルギーになってるかもしれませんけど、そう思われても困るので、「心臓移植をしなきゃ助からないので」というのを口ずさみながら配りました。でも、こういうのを耳にした時には、振り向いて取ってくれる方があるんですね。だいたい取ってくれる方っていうのは、こういっちゃ失礼なんですが、まあおばさんって称される、本当に庶民的なそういう方の方が意外と関心を示して取ってくれると。

全体的に見て、あまりの関心の無さは何だろうと自分なりに考えたんですが、やはり結論を言うと、生活が豊かなんですね。もう少しこの生活が緊迫してると、やっぱり人の心の痛みとか、そういうのもわかってくるんでしょうけど、まあ衣食足りて礼節を知るじゃないですが、そういうのも死語になってる時代ですので、何かその辺が影響してるのかなあという感がしました。

 この解決策は自分では思いあたらないんですけど、やっぱり豊かさって何だろう、日本は経済大国、そしてまた飽食時代となって、まあ世界に類の無いいろんな意味での豊かさを持ってますけど、同時に人間として一番大事なものが一方で損なわれているという、それが本当に豊かさなのかなあという疑問も持つわけですね。

 そんな感じがしました。

荒波嘉男

どうもありがとうございます。中には痛烈な批判を受けた方もいらっしゃると思いますけども、その辺のところはいかがですか。はい永井さん。

永井 孝

私の場合、かなり批判を受けたと思います。批判とかいやがらせ、妨害、そういう関係私なりに分類しますと、まあ3つあると思うんですよね。

募金への批判

 例えばテレビなどで記者会見があったりすると、募金のために口座番号を聞いてくる電話がいっぱいかかります。ただ単純にいたずら目的で妨害しようとして、1日に100件ばかりの無言電話かけてきた人が4〜5日続いたりしました。そういう単純な嫌がらせがある一方で、これは嫌がらせではないんですが、「これはこうすべきだ」という感じで、善意の意見だとは思うんですけれど、言う通りにしなさいと結構言って来られる方がみえたんですよね。ただ、ああせい、こうせいと言われても、全ての人の言うことを聞いてるわけにもいかないですよね。話にちゃんと応対しようとすると、もう30分、40分とずっと話し続けられるので、非常に運営上困ったということがありました。

それから、これは非常に気の毒な方だと思うんですが、手紙が来ました。文面から見ると60歳過ぎの女性だと思うんですが、私は病気ですと。まあ要するに人の世話にはなりたくないし、誰も世話をしてくれないので、私はこのまま死んでいくつもりですと。だから睦実君も死ぬべきだという手紙でした。こんな手紙を書くこと自体、非常に失礼ですし、絶対に書いてはいけないと思うんですが、現実にそういう方がみえるということは、その人の立場から見ると、全国に向けて募金をしている子どもがいるというのは、非常に羨ましいというか、妬ましい、そういう気持ちになると思うんですよね。そういう方たちの心のケアも出来ないような日本の医療の貧困さ、これを直していかなくてはいけないと思うのです。その人の性格云々という部分もありますが、そういうことは絶対に無くしたいと思いました。 本当に全ての人に平等に、お金の面からも心の面からも医療でケアできればというふうに願っております。

それから、福井県のおばあちゃんから電話がありました。このおばあちゃんは、やはりお孫さんが拡張型心筋症で亡くなられたと。ただそのおばあちゃんの時は、募金をすることも、外国で移植手術が出来ることも知らなかったので、家族で家の中で亡くなるのをじっと待ってたと。これなんかにしても、主治医の先生なんかが、きちっとした対応をして下さっておれば、その子も助かったかもしれないし、非常に悲しい出来事だと思います。そのおばあちゃんは、まあ自分の孫は死んだけれど、睦実君には助かって欲しいということで募金をしてきてくれました。募金の厳しさもありますし、それ以前に臓器移植さえすれば助かるということさえ知らずに亡くなっていく方が非常に多いと思っています。ですから、今後私たちを含めて、マスコミの方にもお願いして、こういう臓器移植という手があるんだ、それも国内でやらなければいけないんだということを訴えかけて行きたいと考えております。

荒波嘉男

はい、どうもありがとうございます。

 私の記憶では、批判は一切無いというご意見は佐野さんだったですよね、山梨県でありましたけども、ちょっとその辺りのところでお話しいただければと思います。

佐野貴史

私どもの会では一応電話を3回線入れておりまして、代表番号がビラに載ってるものなんですが、そこが話し中ですと、チケットセンターのように次々に回せる仕組みになっているんですが、無言電話は1本もありませんでした。そして確かに私どもにも、会の運営をこうしなさいというよりも、「どうして両親が土地を売って行かないのか」というような電話がかかってきましたが、「借金の形で銀行の抵当に入っていて家が売れない」というようなことを説明しましたら、ああそうかそういうこともあるんだな、なんていうことでしたので、ちゃんとした説明をしてあげれば、逆に協力者になってくれるのかなあというようなふうなことを感じました。また、励ましの手紙とかFAXとか非常に沢山来まして、里保ちゃんに対して、あなたも一緒に死になさいのような、そういう手紙は1本もありません。

荒波嘉男

はいどうもありがとうございました。

 トラブルが無かった理由は何か思いつかれますか?

佐野貴史

まあ、特に何をしたからこうだということはちょっとわかりません。

荒波嘉男

仮に批判があったにしてもその数というのは、励ましの数に比べるとかなり少ないように私はみてますけども、その辺はどうですか。さっき永井さんが批判のところを言って下さいましたが。

永井 孝

圧倒的にご支援の電話の方が多いです。批判は数えるほ

どと言った方がいいと思いますが、ただそれが、辛く心に残るということです。

荒波嘉男

はい、わかりました。そういう中で私が何を言いたいかというと、日本の社会も捨てたもんではないなと。そういう強烈な批判というものは確かにあるんですけども、励ましの方が圧倒的に多い中で、何人もがこう募金をしているにも関わらず、頑張れば何とかかんとかその募金が達成に近づいていく。まあ確かにお金の面だけと言えばそれだけなんですけれども、善意の無い方であればお金も出さないというふうに考えた時に、数は少ないながらも、募金をさせてもらって、支援を受けた方が外国に行って移植が出来る道筋が出来ているということはですね、現在は日本では脳死移植が全く出来ない中ではありますが、まだ日本も100%捨てたもんじゃないと、頭の片方ではこう思えてならないんですよね。ですから、そういう中で、さっき南先生が何故日本で移植が出来ないかっていう理由を明確に説明をして下さる中で、この日本の社会がもっともっと開けていけば、時間はかかりそうですけれども、絶望的な状態ではないなあということを、この募金をして海外に行ってというところを目指していく中で、感ずるわけでございます。

そういう中で、日本で出来ない医療を外国に行って受けさせていただく中で、この移植医療そのものがどういうものかということも、やはりこの元々一市民であった皆様方も、今この作業をする中で、様々な思いを感じられているのではないかと思います。例えば実際に移植を受けて元気になられた方をご覧になって、ああ移植医療というのはこういうものだったのかということをやはり深く感じているのではないかと思います。

 逆に一生懸命頑張ったけど間に合わなかったという方は、またそれなりに日本に対する思いがあるのではないかと思います。

 では、そういう中でどうでしょうか、もしかしたらこのままいたら、数日数ヶ月で亡くなるのではなかったかと思う方が、本当に復活して蘇ってですね、元気になって外国から帰ってきた姿を見られて、どんな風に感じられたでしょうか。藤崎さんいかがですか。

元気になって帰ってきた姿を見て

藤崎陽子

そうですね。ちょっと一言では言うのは難しいんですが、私も早川さんが帰国する時に成田空港まで行った時に、何て言うのかなあ、こんな素晴らしいことはないと。

 私もまあ少し看護婦をやってたんですが、やっぱしこの移植っていうのは全然本当に無関心だったんです。そういうニュース聞いても、そんなにしてまで、募金をしてまでなんて。本当に申し訳ないんですけど、こういう風に思ってたんです。

 けれども、いざ自分が一生懸命募金をして、早川さんが元気になってというか、また私も早川さんのおかげでいろんな人と接して、まあ前の話に戻りますけど、私もいろんな嫌がらせじゃないんですけど、いろいろありました。それでも励ましも頂いて、やはり人とのつながりですか、そういうのも勉強になったんですけど、やっぱり移植しないと終わりだったのが、移植してまた生き返って心臓の鼓動があって、元気になったと早川さんに聞いた時には、本当にもうとても嬉しく思ったんです。やはり移植するっていうことは本当に素晴らしいことだと思います。

荒波嘉男

はい、どうもありがとうございます。お隣の斎藤さんも何か感じているのではないかと思いますが、すいません、指名しちゃって。

斎藤 勉

そうですね、率直に言って、先程も言ったように、先週土曜日に南先生と一時帰国という形で戻っておりますが、、真一君は20歳なもんですから、まあそれなりに自分の生き方とか、そういう考えを持ってる子ですが、まあ行く時と帰ってきた時じゃ、本当にもう天と地の違いですよね。もう本当に人間が生まれ変わったかなあっていう、本当にいい命を与えてくれたなあっていう、その瞬間ですね。

 やっぱり今までの苦労がもう打ち消されたっていうか、まあそんな思いでしたね。本当に素晴らしいですね。そりゃもう実感として感じました。

 

荒波嘉男

はい、どうもありがとうございました。時間の関係もありまして、会場とのコミュニケーションもしていかないといけない時間になっておりますが、まあもし許されるならばですね、今藤崎さんが支援をして下さった早川妙子さん、いらっしゃいますよね。

 そこで結構ですから、藤崎さんが支援された早川妙子さん、もし一言おっしゃっていただければ、マイクはすぐ後ろに待っていますので、お声を聞かせていただければと思いますが。

渡航移植を受けて

早川妙子

今年の6月14日に日本に帰国して、渡米する前は本当に担架で寝て、ユタの方に行ったという感じだったんですけれども、帰ってくる時には本当に歩いて帰って来れたということが、本当に1番嬉しくって、命の大切さ、今までは一生は1回しかないんだから、好きな事をやれるだけやろうっていう考えだったんですけれども、自分が今こういうふうになって、また一日一日を大切に過ごせることを本当に嬉しく思い、また支援して下さった方、ドナーの方にも、本当に毎日感謝する日々です。本当に命って1つしかないものなので、これからも大切にして生きていきたいなあっていう思いでいっぱいです。

荒波嘉男

はい、どうも元気なお声をありがとうございました。会場の方からもご意見を伺いたいと思います。最初に基調講演をして下さった南先生への質問も受け付けますので、もしあったらどうぞ遠慮なく言って下さいませ。

 何かご意見があったらマイクを持って行きますので質問などでも結構です。どうぞお願い致します。

荒波よし

実はですね、壇上の皆さんは募金活動をいろいろとする中で、実際に外国に患者さんをお送りしたという作業をされたわけです。私たちこういつも思うのはですね、例えばトリオ・ジャパンが年1回セミナーを開くわけですね。このことを通して1つの啓発作業をしているわけですけれども、実は壇上にいる皆様方が、募金活動をしながら社会との関わりの中で移植医療を訴えて、そして実際に移植を受けなければ助からない患者さんを、この皆様にご紹介して、この作業をするっていうことはですね、トリオ・ジャパンが例えば1つのシンポジウムをする以上のですね、働きを各皆様方は日本の社会に様々なことを投げかけている。つまり、移植医療の啓発の作業をあわせてして下さっていると私は思っております。

 ですから、それぞれが支援されたお一人だけを救うために決して行ったわけではなくて、このことを通して日本の社会が拓かれてこの移植医療が少しずつ進む、そのための作業を一緒にあわせてして下さっているものと私はいつも思って感謝しております。本当にご苦労が多い中でそういう作業を続けており、また、そういう中で目が開かれて、さらに他の方も支援しようというふうに進んで行って下さっているわけです。本当にすごいなあと思っております。

 どうでしょうか。まだ言い足りないところがあったらどうぞおっしゃって下さいますようにお願い致します。

会場の方もどうぞご質問等、またご意見等がありましたら、遠慮なくして下さいませんでしょうか。

会場からの発言(移植が必要なお子さんのご家族の方)

中沢さんと同じ原発性肺高血圧症の娘がいます。9歳の娘で、静岡県在住ですが、移植適用となる患者の家族なんですけれども、支援される会の方からは募金活動についてのお話が多かったんですが、私たちは将来的に一応肺移植っていうことがあるんですけれども、まあ現状では国内での移植は無理かなというところで、まあ先の子どもが15歳未満ですから、内科治療で一度アメリカの方に行って、中沢さんと同じ治療を受けているんですね。で、今何とか生きてます。けれども、病気の方も随分改善してはいますが、一応延命治療であるっていう認識であれば、将来的にはやはり肺移植は必要ってなってくるわけです。

 支援するご家族が途中でへこたれたりとか、支援する側だけが盛り上がって、その支援されるファミリーが主体性が段々無くなってきてしまうっていう話も聞いたことあるんですが、その辺り家族との関わりの方はいかがでしたでしょうか。

荒波嘉男

中沢さん、高橋さんお願い致します。

高橋秀雄

うちの場合はですね、中沢貴司君とご家族については、やはり表面に出さない、そういう活動の仕方をしてきたわけです。その代わり、細かい事務的なこととか、通信の印刷とか、振替用紙の判子押しとかそういうものだけを頼んでやってもらいました。

 募金活動、これから中沢貴司君の命のために動こうというところではですね、例えば中沢貴司君のご両親が、募金活動を知らなかった時どうしたかって言いますと、中沢貴司君のお父さんというのは、ご家族でスーパーマーケットの中のファーストフード、例えばお好み焼きとか、たこ焼とかああいうものを販売しているお店をやってたわけです。それで募金活動を知る前は、自分の家族だけで何とか頑張って、移植までやってみようというそういう気持ちがあったらしいんですね。

 それで、ちょっと手を拡げようとした時に、まあ詐欺まがいのことに引っかかってしまいまして、今月一杯で今住んでいられる家も無くなってしまうわけです。これからは新たに借家住まいしていくと思います。ですから、中沢君のご両親の思いっていうのは、もう始まった以上、やはり中沢君が肺移植を受けて、完全なものになるまでは続いていくんじゃないかって、そういう気持ちがいろんな試行錯誤をしながらもまあ頑張ってこらせた、そういう力になってるんじゃないかなと。

 これから先、まあ中沢君の場合は1番末っ子なもんですから、お姉ちゃんとかお兄ちゃんがいまして、やはり貴司君の肺移植をやり遂げて、元気な姿を見るまでは頑張ろうという、そういう気持ちっていうのは、ずっと付き合ってまして、すごく感じ取りました。逆に、私たちが作った救う会というのは、今解散状態にあるわけですけど、移植が出来る状態になった時に、やはり私たちの方が再び立ち上がれるかどうかってのが、ちょっと不安ですけど、やはり始まった以上、私たちが支援した仲間がそこにいる限り、まあ生きてる限り、貴司君を支援して、まだ今相当の残金があるんですが、それをまた倍にも2倍にもしてって、肺移植を受けさしてあげたいなあと思っております。まあそんなところでよろしいでしょうか。

荒波嘉男

はい、どうもありがとうございました。時間の関係もありますので、視点を絞っていきたいと思いますけれども、国内でこの移植が出来ない、脳死移植が出来ない事情というものは、お医者さんの問題というのが非常に大きいことが基調講演の中でわかっております。それから、また今の法律を作らざるを得なかったその背景というものを考えて、考えることも必要かと思います。

 すなわち、最初出した法律の案のまま通っていたならば、ここまではならなかったと私は思いますし、すなわち政治家さんのこの綱引きの中で、法律の原案が曲げられて、結局法律が出来た時にはにっちもさっちも行かない法律になってしまっておりますと。しかもその法律をバックアップする行政が動かなくて、そして懸案のカードも有効に配られていないっていう非常にがんじがらめの中で、この1年間移植が、脳死移植が、1件も出来なかったという今の現状がありますが、私たちがこれからどのようにしていくことが、国内で移植が出来る役に立つのかということも、ここで少し話し合う必要があると思います。

 時間も大分迫っておりますが、この点を中心にどうか沢山ご意見を出していただければと思います。

 マイクが行きますので、お願い致します。

会場からの発言(報道記者)

南先生にお伺いします。私は報道関係の者でございます。先程先生の講演をお伺いしまして、日本では臨床医が非常にお粗末であると、一言で言えば。これだったら移植できないわけです。移植そのものはそんな難しい手術ではないなんて専門家は言いますけれども、決してそうではないと、非常にその落とし穴があるかもしれない。そういう面では移植医が技術的に極めて未熟であるとおっしゃいました。

 それから、もう1つは医療制度の問題。それから現状ではドナーなんかは出るはずはない。それから今は法で、15歳以下の提供の問題と、それと6歳未満の脳死判定の問題がありますが、そんなところでいじってみたところで、こういう現状ではそれでドナーが出るかと言ったら、私は出ないような気がします。改正しても何も変わらないと思うんです。

 まあ違うのであれば、どうぞご指摘下さい。そういう風土の中でこの法律を作ったとしても、法律は何ら機能していない。機能するどころか、法律が移植医療の手足を縛るようなものを作ったといういわゆるインチキ法律です。その背景は日本とドイツでは医者の自覚、国民の自覚、あるいは社会全般の自覚というと抽象的ですが、何が違うんでしょうか。

 そして日本は、例えばドイツならドイツから今何を学ぶべきなのか。それが1点と、もう1つは現実的な問題で、何故こんなに移植医療にお金がかかるのか。私は遠藤里保ちゃんの取材を続けている者でございますけれども、8,000万円を多分ちょっと越えていくと思います。こんな医療は果たして医療と言えるのかどうか。

 私はこうしゃべりました。それは希望であると、今までそういう病気の場合は、人はあきらめて死んだんだと。家族があきらめて死んだんだと。しかし一方に、向こうにはそういう医療があるんだと。その医療のお金が8,000万円だ1億円だって言ったら、これは希望という保証をぶらさげられて、その前で絶望しなさいよと、そんなお金ありませんよと、2重の意味で残酷な医療なんです。渡航移植っていうのは。医療の平等なんてのは渡航移植にはありえない。すなわち、日本人にとっては。これはむしろむごいことですね。

 ですから、募金運動している人々の一生懸命なひたすらな気持ちも私は応援して報道しようと思っておりますけれども、これはやはり考えなくちゃいけない。どなたかの医療従事者が「これは間違いだ」とおっしゃいましたですね。これが間違いであるような世の中にしなくちゃならないんだと思います。

 そこで伺いますが、本当にこんなにお金がかかるんですか。一体心臓1つを移植するのにどのくらいかかるんでしょうか。まあ、具体的に言えば、渡航移植と、それからドイツで受ける移植と、お金の差はどのくらい違って、その理由は何でしょう。

 あるいはもし御存知でしたら、アメリカで行われている移植のこの莫大な8,000万円だ1億円だというこの差はどこにあるか、もし御存知でしたら、この2点についてお考えと事実を教えていただけたらと思います。

渡航移植の費用

南 和友

はい、8,000万ということで私も、びっくりしたんですけれども、そんなにかかるはずはないんですね。私もまだ正確な内容を知らないうちから、こういうことを言ってしまうわけですけれども、確かに、例えばその患者さんをアメリカならアメリカに送る場合にですね、人工心臓を繋いでいかなければいけないという状態になった場合、飛行機賃だけでも4,000万かかるんですよね。それは飛行機をチャーターする、ほとんどチャーターするような格好で送りますもんですから、それだけのお金がいるわけですね。ですからそれは医療費とは違った問題なんですね。それを混乱していただかないようにしなくてはいけないということが1つ。

 それから、現実にどれだけのお金がかかるかということでありますけれども、一般の心臓の手術でありますと、だいたい300万円ぐらいのお金でバイパスの手術、弁の手術、それからいろいろな先天性の疾患、肺の手術などがなされるわけです。では、移植に何故なぜこれだけのお金がかかるかと言いますと、やはり移植というのは、一人の外科医がいて、二人ぐらいの助手を使ってと、一人二人の看護婦さんを使ってやる手術じゃないわけですね。

 普通の心臓の手術と言いますと、もうその位のチーム、だいたい5〜6人、6〜7人ぐらいで出来る治療なわけです。ですけど、移植といいますと、これはその3倍から5倍ぐらいのマンパワーがいるわけですね。この点も日本では非常に情報が不足しているわけです。「あの先生が移植するから大丈夫だろう」というような言い方をされるわけですが、これは全く間違った報道でありましてね、例えば、私にもこういうオファーがあったわけですけれども、日本で移植が出来ないからナショナルチームの隊長として帰ってきてくれと言うわけですね。でも、私が帰ってきたところですぐ出来る手術じゃないんですよ。移植の手術というのはそういうもんじゃなくて、しっかり出来たチームワークがあって始めて出来るもんなんですね。

 ですから私の移植班の中に手術が出来る者が3人から4人いまして、そして今度は移植のドナーを取りに行く、そういう者が4人から5人といて、そして術後管理をする、免疫抑制剤の投与量を決定するような者が、これがまた5人から6人といて、そして看護婦がいて、さらにMEと言われる人工心肺を操作する者、そしてまた心臓を採る時にその心臓を還流をする者、これらを含めますと、もう30人とか40人とかの人が移植のために働くわけですね。

 ですから、私が先程言いましたように、チームワークが無い限り、東京女子医大だ、やれどこだということで、そこで私に手術してくれと言われたとこで、出来るもんじゃないわけです。

 考えてみたら、今日本シリーズやってるようですけれども、野球で例えばナショナルチームを作ってですね、まあサッカーもドイツでも盛んですけども、そういうものを作って、お前監督になってやってくれと言われたところで、チームそれぞれのメンバーを知れずにして、誰をどこに配置してどういうような攻撃をしてと、そういうことをやろうと思っても出来るはずがないわけですね。

 ですから、移植の治療というのはそういうものだというように頭から受け止めていただければ、やはりマンパワーだけでなくてお金もかかってくる。一般の手術であれば300万円でいいところが、やはり3倍も4倍もの、いわゆるチームがいるのですからお金がかかってくる。いわゆる後治療では免疫抑制剤でお金がかかってくる。

 やはり1年間にわたって、移植をした後にかかってくる費用を含めますとやはり3,000万円、4,000万円というお金になってくるわけですね。

 これは一言聞きますと非常に大きなお金のように思えるわけですけれども、実際には心不全に陥っている患者さんが毎月5種類も6種類も7種類もの非常に高いお薬を使って入退院を繰り返して治療を受けてますと、これは1年間で5,000万円、6,000万円というお金になってくるわけです。1月がもう400万円、500万円の単位ですから、それを考えますと、移植というのは1回でみれば多分お金はかかりますけれども、移植後の1年、2年という段階ではそんなにお金がかかるわけではないのですね。ですから移植治療の素晴らしさと言うことを壇上の方々は皆言われていますけれども、確かにこれ以外患者さんを救う道がないということを認知した場合、やらざるを得ない医療でありますし、日本でこれをやっていかなければならないということです。

海外から見た渡航移植

 本日は「支援」というテーマでなされたもので非常に募金活動の話が沢山出ましたですけれど、一番やはり考えていただかなくてはいけないことは、こういうことじゃないかと思うのですね。募金活動することによって、やはり支援を受けなくてはいけない家族、また本人を含めてですね。そういう方々を助けようという共同愛みたいなものが湧いてきて、それで皆で一団になってやっていくと。それはもちろんいいわけです。それはいいことだとは思うのですね。現実、日本では出来ないわけですから。

 ですけど、最終的にその方が、移植を受けられる方がアメリカやドイツに来て、そして移植を受けるということになった場合、その時に起こる反響というのはどういうものかと言いますとですね。私はドイツに行って25年になりますので、半分ドイツ人みたいなものですけど、ドイツ人の目から見たら「日本人がまたものすごいお金を持ってきてドイツ人の心臓を買いに来た」というふうにとられるわけです。

 いいですか。全く逆の立場に立っているわけですね。ドイツの中で今現に1,200人くらいの人が今日待っているわけです。1つ心臓が出るのに。それに対して日本から、日本に限りませんが、どこかの外国から来て、言ってみたらお金を持ってその心臓を買いに来たと取られても仕方がないわけです。ですから募金を集めてやってらっしゃる皆さんの心なり誠実さなり愛情というものをないがしろにするわけでは全くないのですが、1つそういうことも含めて考えていただきたい。外国の者にとってみれば、特にヨーロッパはそう感じています。アメリカは少し違うニュアンスがあります。アメリカというのはやはり経済で動く国です。

 ドイツはやはり社会で動く国です。社会主義が非常に進歩した国でありますから、お金を持ってきたからと言って受けられるような治療ではないわけですね。ですから、そういう面で、逆の立場にたった場合どういうことになるのかということを含めた場合、日本で一日も早く移植を出来るような態勢に持っていかないと、これは世界の笑われ者になるというふうに言い切っても仕方がないと思いますね。

会場からの発言(報道記者)

 今おっしゃったマンパワーというのはレベルの問題でしょ。要するに外科医の。

南 和友

 それはね、こういうことが言えると思うのですね。いい質問だと思うのですが、いろんな移植関連学会に於きましていろんな話がされるわけです。いわゆる医療関係の学会に於いて言われることは、日本もこれだけ医療が発達しているんだ。移植なんて簡単だよ。やれるということを言うわけですね。「免疫学に関してはどこそこに行って勉強しましたし、動物実験は30年もやってます」と言うわけです。でも、移植はそれで出来るものではないのですね。

 言いましたように、医者というものの出来る範囲というのは私から見たら40%もないんですね。大半というのはパラメディカルと言われる人たちが動くことによって出来る医療なんですよ。でも、それが非常にないがしろにされているわけですね。

 心臓を取りに行く時に、例えば2人の医者に、2人のテクニシャンが付いて行くわけですが、そのテクニシャンがいなければ、心臓を還流することが出来ないわけですよ。例えば。その時に還流するテクニシャンが非常に清潔感がなくて、心臓を落としてしまうことはないわけですけれども、ちょっと不潔にしてしまったとなれば、もうその心臓は使えないわけです。そういうところから始まって、いろんな機能を測るためにいろんな検査をします。その機能を測るのも看護婦なり、いわゆるパラメディカルの人が一生懸命になって、仕事をすることによって、その心臓が使えるようになってくるわけです。

看護婦の育成 日本のローテーション制

 心臓の手術をするのも、非常に手慣れたチームがタッタッタッとやれば、2人3人の医者を使って、また看護婦なんかを使ってやれば、すっと出来る手術なわけですよ。それが例えば、看護婦がもう1週間に1回とか、1月に1回しか心臓の手術をしてない人であれば、それでブレーキがかかっちゃうわけですよ。医者が一生懸命やろうとしても、まあ犬で実験してきたから出来ると言ってやるんですけど、看護婦さんにしてみれば心臓手術なんか見たことない。それは日本のシステムの非常に悪いところなんですが、看護婦もすべてに人に平等に研修させるために、はい、今月からはあなたは心臓外科ですよ。それが終わったら、はい、あなたは半年後には眼科行って下さい、その次は産婦人科ですよ、というふうに回されるわけです。全てに平等な教育をするためにというモットーの下に、そういう教育をするわけです。

 そうしますと心臓外科でやってきて慣れてきたなという看護婦さんが、2年したらもう産婦人科の方にまわっているわけですよ。また新しい者が来てやろうということになりますと、いくら医者が声をかけてやろうとしたところで、全体としての流れが出来て来ないということになります。すると、3時間で終わるところが5時間かかる。5時間かかるところが7時間かかるということになってきますから、術中の感染症が増えてくる。身体に水分が非常に溜まってきて、それが出ない。じゃあ人工透析にかけなくてはならない。そうしているうちにまた感染にかかる。どんどん肺にも水が溜まってくる。また長い間人工呼吸しなくてはならないということになると、全てが後手後手にまわってくる。例えば、心臓移植をやりたいと言っている外科医が、自分がやれることというのは半分もないのだということを認識すれば、これはもっともっとやるべきことがまだ日本であるのではないかと思うのですね。

 シニカルな言い方をしますと、ドナーが現れないのも大変深刻なんです。それと同じくそれ以上に移植技術、医療レベルというのが深刻な事態であるということですね。

報道記者

 全くおっしゃる通りですね。全くおっしゃる通りですね。

荒波嘉男

 はい、どうもありがとうございました。だいぶ予定の時間がまわっていますので、あと一人、若林正さん。マイアミで肝臓移植を受けて元気になって帰って来られましたけれども、今の国内で移植が出来るためにということも、もしご意見があったら含めて一言お願い致します。

若林 正

 トリオ・ジャパンの若林です。この度は私の移植に際しまして、多くの方からご協力いただきまして本当にありがとうございました。この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。

 4月11日に日本を発ちまして、6月19日にマイアミで移植を受けて、9月26日に帰国することが出来ました。私は96年1月にも生体肝移植を受けておりますので、これで2回目の移植で、生体肝移植と脳死肝移植と両方、それも日本とアメリカとで、全く違う医療を受けるという貴重な体験が出来ました。

 時間もないので簡単にしたいと思いますが、今日南先生のお話を伺っていて印象に残った点ですが、ドイツではまず第一に手術の技術があって、それから学問、さらに教育が出来てはじめて主任や教授になれるという話がありました。日本の医療では、お医者さんはどうも知識だけは貪欲に詰め込もうとするのですが、技術すなわちアートの部分、それから知恵=ウィズダムの部分がどうしても欠けていると思います。

 いくら知識があっても、経験を積んで症例を沢山こなさなければ、やはり外科の手術が出来るわけではありません。楽器でも何でもそうですけれど、毎日やっていなければやはり出来ることも出来なくなってきます。そこがやはり日本の医療ですと、10年経ってもなかなか手術をさせてもらえないし、看護婦さんにしても、例えばアメリカなんかですと看護婦さんは非常に権威があって、あの患者はどうですかと聞くと、その患者はいつ入院して、どういう経過をたどって、今日の検査データはどうだったということを全て知っているわけですが、日本ではお医者さんの権限が強すぎて、看護婦さんがその力を十分に発揮することが出来ないし、自分の割り当ての看護記録だけをすればいいという世界になっているわけです。ところが、向こうでは皆看護婦さんですとか、技師さんですとか、薬剤師さん、栄養士さんが全て同じ立場で医療に参加しているというところが大きく違います。ただアメリカにも問題があって、さっき医療費が8,000万という話がありましたけれど、アメリカという国は本当に医療費の高い国で、1日入院していると2,000ドル、ICUにいると1万ドルかかります。そこに人工心肺でECMO(エクモ)を回したり、薬を沢山使ったり、他の医療装置を使えば、どんどん積み上げ式でかかってくるわけです。

 もちろん向こうには民間会社の保険がありますから、保険に入っていれば当然移植もカバーしていますので、全て保険会社が払ってくれるわけですが、日本と違って保険に入らなくてもいいので、保険に入っていない人はどうなるかというと、移植が出来なくて亡くなっていくわけです。

 マイアミでは、滞在の最後の方で外来の診察を見学させてもらいまして、先生やコーディネーターの人と一緒に入って7080人くらい患者さんとお会いすることができました。私は2ヶ月待って移植できたのですが、ある方は「病院の先生は移植の適応だと言うのに、保険会社が認めないので、9ヶ月経ったのに移植が受けられない。あなたはどうして受けられたのか」と言われました。かなり辛い様子で、どんな言葉をかけてよいのかわかりませんでした。こうした状況を目の当たりにすると、日本の健康保険という制度も捨てたものではないなと思います。

 それから、高額な医療費ではあるのですが、それでもアメリカは外国人の患者さんをちゃんと引き受けてくれるわけです。世間の風当たりもだんだん強くなってきて、外国人は1年に5%までしか受け入れてはいけないという決まりがあるのですけれども、それでもちゃんと外国からの患者さんを引き受けてくれています。日本は留学もするし、患者さんも渡航移植を受けるし、ということで、どんどん出かけていって、いろいろなものをもらってくるわけですが、これだけ技術がある日本は、外国からの患者さんをどれだけ受け入れているでしょうか。また、これから移植が出来るようになった時に、外国からの患者さんをアメリカやドイツのように受け入れるでしょうか。

 日本の今の法律ではドナーがとても出るはずもないし、今の意思表示カードでは持っていても書かない人も多いだろうし、記入不備があれば出来ないわけですし、難しいとは思うのですが、もっと先の話で、日本は海外からの患者さんを受け入れられるくらいの国になって欲しいと思います。ということでどうも失礼しました。

荒波よし

 若林さん、ご体験をありがとうございました。時間が進んでまいりました。今日の第1部の南先生、また今日ここに登場されました支援会の代表の皆様、色々ご意見ありがとうございました。まだまだこの支援会の皆様の体験から致しますと、ここで仰った何倍ものことがそれぞれの胸中にあると思いますし、私どもももっとたくさん話していただきたいと思いますが、時間がありません。

 そして会場の皆様方、今日ご発言の皆様方、国内で移植が出来るようになるために何が大切か考えて行くということを、参加されている皆様方お一人お一人にお返し致します。今日の先生のご発言、また発言者のご発言を聞いて、皆様方がこれからどうするかということを是非考えていただきたいと思います。

 私たちはドナーにもなります。またレシピエントにも場合によってはなります。私たちがならなくとも私たちの子ども、私たちの孫、そういったものが皆関わってきます。それは決して他人事ではないと思います。

 ですからこれを他人事にしないで下さい。今日、ここにご出席の皆様にとっては、以前は他人事でした。しかし、身近な方が移植に関わることによって、これをご自分のこととなされました。それぞれが今後、いろいろな活動に多かれ少なかれ関わっていかれると思います。もちろん、既に関わっておられる方もおられます。そういう意味で、ここにおられるお一人お一人が命について関わったこと、聞いたことを是非ご自分のこれからの人生に生かしていっていただきたいと思います。

 本日はこのようなコーディネーターをさせていただきましてありがとうございました。司会を高橋さんにお返し致します。

高橋 剛

 どうもありがとうございました。長い時間にわたって皆様にご参加いただきまして誠にありがとうございました。とても充実して、とても意味深い時間を過ごせたのではないかと思っております。

 それでは最後にトリオ・ジャパン事務局運営委員の渡辺直道より閉会の辞を述べさせていただきまして、本セミナーを閉会させていただきます。渡辺さん、よろしくお願い致します。

渡辺直道

 渡辺です。今日は悪天候の中をお越し下さいましてどうもありがとうございました。

 まず南先生のお話をお伺いして、大変ショックを受けました。今まで移植が進まない理由として、どうしても社会的なシステム面や、意思表示カードだとか、そういったことばかりに目が向いていたわけです。

 私たちは技術は大丈夫なんだと聞かされていたのですが、どうも実はそうではないと今日伺いまして、果たしてこのまま推進運動を続けていったときに、日本で最初の何例かの患者さんが移植を受けたときに、ちょっとシニカルな言い方ですけれども、その患者さんたちは大丈夫なんだろうかということが本当に心配になってまいりました。

 だけど、やはりいつかはそういうことを通過しなくてはいけないだろうと思いますので、我々は移植医療が日本で定着するように、これからも運動を続けていかなくてはいけないのかなということで、ちょっと内心忸怩たるものが今日はございました。

 それから、ここで個人個人の患者さんに関わって来られた方のお話をいろいろ伺いまして、本当にいい仕事をされたんだなというふうにつくづく感心致しました。皆さんのおかげで、本当に沢山の人が移植医療ということについて理解を深めていただいたんだろうと思います。

 私、自分なりにこの1年何で出来なかったのかと考えた時に、これはちょっと私の浅い知識で申し上げますので、間違っていたらご指摘いただきたいと思うのですが、まず海外で移植医療が定着していった過程というのは、まずお医者さんたちが目の前の患者を助ける手段として、移植医療をはじめられたと思うのですね。そのうちに技術も上がり、それから免疫抑制剤シクロスポリンが発見されたことにより、成功率が爆発的に高くなった。それで助かる患者さんが増えたことによって社会的理解、個人個人の理解が一般に浸透していった。そしてその後に法律が出来た。

 特にドイツでは、3年前に私の家内が移植を受けた時はまだ法律が出来てなかった状態でした。それでも私の家内が受けた病院では、もう年間百数十例の肝臓移植をやっていたということです。ここで私が何を言いたいかというと、本当は医療というのは患者さんを助けるものですから、何も社会的な認知だとかコンセンサスは本当はいらないんじゃないかというふうに思うのですね。ところが日本ではいろんな根強い反対論があったりして、いろんな問題があって、まず法律が出来てしまった。それもその法律というのは書面で明確な意思表示がなくてはいけないという法律が出来てしまったわけです。これは世界で一等厳しい法律ということになっているわけです。

 それじゃあ翻って自分や個人個人を考えた時に、例えば僕らは移植に関わっていますから、よくわかっていることですけれども、僕なんかでも、もしもこういうことに関心がなかったとしてたら、僕らが配っているようなカードを目にした時に受け取るだろうか。受け取ったとしてもそれを記入するまでに至るだろうか。

 僕もいろんな友達とこういったことを話しましたけれども、「お前の言うことはわかるけれども、自分の死んだ後のことを考えるのはうっとうしくていやだよ」と言う人間もいるわけですよね。そういう人たちがいるという現状の中で、日本でやっぱり移植医療が定着していくためには、海外とは違ってまず個人個人の理解、社会的理解が必要不可欠になってしまったのだろうと思います。

 ですから、やはり社会的理解、個人個人の理解をまず広めていかなくてはいけないと思います。これはどういう手段を使ってもやっていかなくてはいけないと思います。

 また個人個人の理解がどうしてもこれから必要になっていくという理由はもう1つありまして、2年後に控えている法律見直し。この時に1年半前と同じようにあまり移植のことをよく理解していない議員さんたちが、この法案を改正するための議論をするわけですよね。だけどやはり社会的後押し、理解がなければ、あの人たちに法案を任せても絶対変わらないんですよね。そういうことでどうしても社会的理解、個人個人の理解、これが世論として盛り上がっていかなくてはいかないのかなというふうに思います。

 それからもう1つ申し上げたい点があるのですが、それじゃあ外国と違って日本では何故お医者さんたちが出来なかったかなということを素人なりに考えてみたんです。先程南先生のお話を聞いて、ますます納得したんですけど、一般的には日本のお医者さんは勇気がないから出来なかったのだという雑なことで片づけてしまうのですが、これはもう本当にもし間違っていたらお医者さんたちに失礼だと思うのですが、要は病院全体として医療サービス、質の高いサービスを提供するという使命を、病院として認識してないのではないかと。総合病院というのは沢山あるのですけど。大学病院は皆総合病院なんですが、総合病院という名の下に独立した診療科目毎の小病院があるのですね。それで1つ1つ独立していてお互いの交流がないということがあるだろうと思うのです。先程南先生がおっしゃったように、移植医療というのはチーム医療。そういったことがとても大事な医療だと思うのですが、そういう縦割りの医療の中ではとてもじゃないけれど、例えば勇気を奮って日本で法律のない時代に移植をやろうといっても出来るわけがない。その病院全体でこの問題を移植医療に取り組んでいかなければ出来ないのではないかと思いました。それが今まで日本で移植医療が実施されなかった1つの理由だろうと思います。

 法律が出来て1年経つわけですが、実はこの問題というのは1年間1例も出来なかったということにつながるのだろうと思うのですが、移植に対してどう対応するかというのを1つの病院施設全体として検討するのではなくて、学会単位で移植にどう関わっていくのか。提供側、移植をする側、手術をする側。そういったところで学会単位で物事を決める。これはある部分で必要なんでしょうが、病院全体としてどういうふうに取り組んでいくのかという視点がまだ少ないのではないかと、そういう病院もあるのだろうと思いますが、私なんかから見るとその辺が足りない。それもやはり救急現場でのドナーを提供する側、ここのところで混乱が起きているというのはその辺のところに問題があるのじゃないかなと思っています。

 トリオ・ジャパンというのは、これまで移植医療の啓発、キャンディデイトとレシピエントのサポート、チーム医療ということを提言してまいりましたけれど、この1年間、自分なりにこういったことを分析していく中で、やはりトリオ・ジャパンが今までやろうとしてきたことは間違ってなかったなとつくづく思うわけです。従いましてこれからトリオ・ジャパンの一員として私も社会的な理解を得るような啓発、それから荒波さんご夫妻に大きく依存していますキャンディデイト、レシピエントのサポート、支援、そういったことにも関わっていき、かつトリオ・ジャパンとしてチーム医療、そういった縦割りの医療組織に対する提言、私たちお医者さんのことをこんなふうに批判めいたことをいいましたけれども、実は医療スタッフと手を携えてやっていこうとしている団体ですので、そういったこともやっていきたいなというふうに思っております。是非ともこれからもトリオ・ジャパンへのご支援をお願いします。これを持ちまして閉会の辞に代えさせていただきたいと思います。

高橋 剛

 ありがとうございました。本日、基調講演をしていただいた南先生、そして壇上に上がっていただきました皆様方、今一度暖かい拍手をお願いしたいと思います。

 それではセミナーの方は終了とさせていただきます。17時から地下の食堂の方で親睦会の方も催しますのでお時間の許す方は是非ご参加下さいませ。

(終 了)

原田 誠君を救う会 (前)代表

八代 智(やしろ・さとる)様からのお手紙

 本日ご欠席のため、お手紙をお寄せ下さいましたので、以下に掲載させていただきます。

 

 みなさまには主の恵のうちに日々ご健勝の事と存じます。今回トリオ・ジャパン主催のセミナ−に参加することができず残念に思います。

 さてご周知のように岡山在住の原田誠君が、アメリカはセントルイス市にあるワシントン大学付属病院で、この5月に肺の移植手術を受ける事ができ、そして9月2日には1年ぶりに元気な姿で帰国する事ができました。誠君は現在、香和中学3年生として学校生活にも復帰し、移植前には考えられない程の元気な姿で、学校に自転車通学出来るまでになりました。元気な誠君の笑顔に再び出会えた喜びは、まさに言葉には表せないほどのものがございますが、これも日本やアメリカで数多くの方々によってお祈りとご支援をいただいたお陰だと、心より感謝致しております。

 現在救う会は、わたしの転勤に伴って、今年の4月より日本聖公会岡山聖オ−ガスチン教会の主任牧師として着任された、伊神努司祭に代表が変わりました。昨年7月に会が結成されてから今日にいたるまで、(その間誠君の手術も無事成功しました。)1年以上が経過したわけですが、わたしが在任中に感じたことを何点か申し上げます。

1.家族への支援について

 「原発性肺高血圧症」という聞き慣れない病名を、お母さんの口から初めて聞いたのは一昨年の9月のことでした。「相談ごとがあるっていうご婦人がチャペルで待っているわよ」と妻から言われ、チャペルに入って初めてお母さんにお会いした時の事です。聞けば一人息子がこの病気で、そのままでは2年ももたないと医師から宣告され、わらにもすがる思いで教会を回っているとのことでした。わたしの勤務しておりました教会にお母さんが尋ねて来られる前に、何軒か市内の教会を回ったそうですが、ほとんどの助言は「祈りましょう」とか「死は恐怖ではありません」とか「神の与えられた寿命に従って楽しい思い出をいっぱい作っておあげなさい」といったようなものだったそうです。私も基本的にはこれと同じ考えですが、実際涙ながらに訴える女性を前に、あまりにも宗教的、哲学的な価値観を述べる事などできません。そのとき、お母さんは「移植手術さえ受けることができれば・・・」と、具体的な希望をおっしゃいましたが、その実現がいかに困難であるかはご家族が一番よくご存知でしたので、絶望感にも似た沈黙がしばらく続きました。仕方なく私が言ったこと、それは「一人で悩まず一緒に考えていきましょう」でした。

 この一言からすべてが始まりました。言った以上しないわけには参りません。さっそく次の日曜日にお母さんが誠君を連れてきて、私達に紹介してくれました。移植手術が何たるかも知らないで、ましてや大々的な募金活動もわからないまま、信徒有志や誠君の同級性の父母たちと救う会を結成いたしました。我が子の命の危機的状況に苦悩する母親を前にして、脳死移植がいいのか悪いのかといった議論は、あまりにも客観的で冷酷すぎます。お母さんを前に私達は「するしかないのか」という選択を迫られていたのです。その結果、「とりあえず行動しよう」ということになったのですが、何も知らない者同志が集まってはじまった運動ですから、トリオ・ジャパンをはじめ、その他移植手術を既にされた個人や団体の皆様からいただいた助言は本当に参考になりました。

 私達が何よりもまず心がけたのは、定期的に会を開いて、お父さん・お母さんだけの問題にせず、その都度全体で話し合って物事を進めていった事です。それでなくても我が子の生死にかかわることですから、ご両親にとっては精神的にも極限の状態であったと思います。それだけに励ますばかりではなく、時には議論することもありました。またある時は、アメリカでの移植よりもオ−ストラリアでの移植手術の方が、経費が安くて済むということから、ご両親を説得しようとして気まずい関係になりかけたこともありました。それでも最後まで成し遂げられたのは、それぞれが真剣に「移植手術実現」という共通の目標を持ち続けていたからでしょう。今元気な誠君の姿を前に、かって長時間にわたり議論していたことも懐かしく感じられます。15歳未満の子供に残された道、それは生体移植か海外移植、そしてじっと死を待つかの3通りです。この選択肢の中で、ご両親がはっきりと海外移植の希望を示してくださったので、周りが何と言おうと私達も「海外移植手術成功」という一つの目標を、しっかりと見つめることができました。

 募金活動が開始されてからというもの、お父さんは世間の人がするように気軽に外に飲みに行くことも出来ません。お母さんも気晴らしのためにとショッピングにも行けません。それだけに救う会の有志が機会あるごとに瓶をさ下げておうちまで行き、夜遅くまで話しました。ご家族への支援の第一、それは共通の目標を最後まで捨てないで、徹底的にご家族と話し合うことではないでしょうか。

2.募金活動について

 今回誠君の肺移植手術を実現することができたのは、本当に数多くの皆々様のご支援をいただくことができた賜物と、心より感謝いたしております。お陰様で全国各地から送って下さいました募金総額は、1億円を上回る事ができました。これは当初の目標額であった5,000万円の倍の募金額です。

 何も知らない者たちが集まって、これだけ大規模な募金活動を展開するためには、マスコミ各社のご協力を欠かすことが出来ません。ただ、そこでマスコミを利用するという発想は厳に慎まなくてはなりません。逆にマスコミ各社にお願いするという立場を常に忘れず、募金総額をそのつどクリアに提示する必要があるのではないでしょうか。このことが同時に、募金に協力して下さった数多くの方々のご厚情に対する誠意のしるしになると思うのです。この点も海外移植手術をすでに経験された諸先輩から、ご教示いただいた募金に対する姿勢です。

 当初2,000万円も集まらないと、メンバー一同苦慮しておりましたが、牧師という職業柄、唯一言えることは「ただ信じること」だけでありました。その結果、抽象的な言い方かも知れませんが、神のみ心と人々の愛を信じる者は、決して裏切られないんだということを学びました。

 このことが今回の活動を通して得た、私なりの最大の結論です。

3.最後に

 自転車通学ができるほど元気な姿を取り戻した誠君とご両親にあっては、これから先、移植以前、また募金活動開始以前の、ごくごく普通の生活を送ってほしいと、切に望みます。確かに、数多くの皆々様のご厚意に感謝して、「今度はお返しする番だ」といった家族の気持ちは良く分かります。けれども誠君とご家族は、それでなくても「移植を受けた誠君」とか「移植を受けた誠君のお父さん、お母さん」といった具合に見られてしまいますので、せめて救う会のメンバ−と一緒にいるときだけでも、移植前と何ら変わらない態度で接してゆけたらと願っています。

 脳死による移植法案が可決されて早一年が経ちましたが、実際に移植手術が一件もなされていない日本の現状を考えますと、何だか悲しい気持ちになってきます。でも、それ以上に、移植を待ち望みながらも間に合わずに亡くなったお子さんのご両親のお気持を考えますと、本当にいたたまれなくなってきます。「世界広しといえども、子を亡くした親をさす代名詞はどの国の言語にもない」ということを耳にしたことがありますが、それだけ親にとって子どもを失うということが、この世にあって決して存在してはならないほど、痛恨の悲しみなんだということを、医師をはじめ一人でも多くの日本人がまず認識せねばならないと思います。この悲しみの片鱗にほんの少しでも触れた方なら、移植手術の是非を問うというようなことはもはやしなくなり、「何か自分も協力出来ないものか」と願うようになるのではないでしょうか。そうした人たちが、つまり人の痛みを敏感に察知する人が、一人、また一人と増えていくことが、この日本の移植事情を確実に変えてゆくものと信じて疑いません。この意味で今回のトリオ・ジャパン主催のセミナーのような啓蒙活動の輪が益々広まってゆきますよう、神のお導きを祈る次第です。

以上

八代 智(やしろ・さとる)

(前)日本聖公会岡山聖オ−ガスチン教会司祭

(現)立教高校チャプレン

原田 誠さん(15)

原疾患: 原発性肺高血圧症

1997.8.4 募金開始

1997.9.5 渡米

1998.5.24 手術(ワシントン大学病院)

1998.9.2 帰国

1999.3.31 中学校卒業