第10回トリオ・ジャパン・セミナー
「臓器提供-現状と課題(3)
生体肝移植の経験から」
2002年11月17日(日)13:00〜17:00
於 キャピトル東急ホテル「竹の間」
会長挨拶 青木 慎治(トリオ・ジャパン会長)
第一部
(1)生体肝移植を経験した家族の立場から(親から子へ)
鈴木 清子
(2)生体肝移植を経験した家族の立場から(子から親へ)
河野 太郎(衆議院議員)
(3)社会学の視点から−倫理委員会のあり方
武藤 香織(信州大学医学部保健学科社会学研究室)
(4)最新の臓器移植事情−アメリカの現場から
加藤 友朗(大阪大学大学院医学系研究科病態制御外科)
第二部
パネルディスカッション「これからの日本の移植医療のありかた」
パネリスト 鈴木清子・河野太郎・武藤香織・加藤友朗
コーディネーター 若林 正
<講演1>
生体肝移植をした家族の立場から(親から子へ)
鈴木 清子(すずき すがこ)
<ご講演要旨>
○ 病気の我が子を見つめる中で
・ 生まれながらにしてターミナルケアを意識せざるを得なかった時代
○ 生体肝移植医療との出会いと関わり
・ 実現の可能性との出会い
・ 1度目の移植
・ 2度目の移植
○ 2度にわたる移植体験から見た移植医療 (発展途上にある医療の現実)
・めまぐるしく変わる移植医療と翻弄される家族達
ex. 解らないことが多すぎる事実、再移植への道の厳しさ、ドナーの合併症、
家族の崩壊、etc.
○ 当事者と、これから当事者になるかもしれないすべての人達へ伝えたいこと
・事実を知る大切さ・きめ細かい実態調査と調査結果報告の評価の大切さ
Ø 表 移植医療に関わる主な出来事と個人史
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1958(S33) |
角膜の移植に関する法律 |
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1964(S39) |
世界初の死体肝移植実施 |
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1968(S43) |
和田心臓移植事件。以降、脳死臓器移植がタブー視され、事実上の凍結。 |
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1980(S55) |
角膜及び腎臓の移植に関する法律 |
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1983(S58) |
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11月、長女(統子)誕生。2ヶ月目に体調異変、検診から精密検査へ |
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1984(S59) |
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3月、胆道閉鎖症との診断、胆道再建術を行う。(生後105日目)2ヶ月後に退院。その後約3年間、2ヶ月おきの入退院を繰り返す。 |
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1987(S62) |
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6月長男誕生 |
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1988(S63) |
世界初の生体部分肝移植(ブラジル) |
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1989(H1) |
国内初の生体部分肝移植実施 90%以上が海外での肝移植 |
テレビ報道で生体肝移植のことを知り、出演していた医師へ問い合わせ、3月に回答を得る |
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1990(H2) |
京都大学・信州大学が生体肝移植実施 |
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1991(H3) |
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比較的安定した状態を保つも、新たに大きな静脈瘤発見 |
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1992(H4) |
渡航移植が増えるにあたり、臨時脳死及び臓器移植調査会報告 |
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1993(H5) |
国内初の成人間生体肝移植(信州大学) |
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1994 (H6) |
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10月、久しぶりに胆管炎にて入院。息づかいの荒さが目立ち始める。 |
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1995(H7) |
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10月、父親をドナーとする生体部分肝移植の実施。(肝左葉切除)12月地元病院へ転院 |
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1996(H8) |
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年明けと同時に肝機能の数値が上昇し、移植病院へ再入院、拒絶の疑いにてパルス療法の実施(4回) 3月退院、経口にて免疫抑制剤4剤併用始まる 4月より中学入学、6月後半より肝機能悪化にて入院、ステロイド、スパーガリン、OKT-3、いずれも使用治療を試みる。 9月退院するも、治療のストレスから痙攣を起こす。 11月病院転院を決意。 |
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1997(H9) |
臓器の移植に関する法律施行 脳死体からの多臓器移植が可能になる 京大国内初生体小腸移植実施 |
比較的安定した生活を送る |
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1998(H10) |
レシピエントへの移植に保険適用 京都大学倫理委員会で、右葉からの移植も可能との判断、祖母からの提供を認める 京大第2例目の生体小腸移植実施 |
6月頃より、免疫抑制剤の減量を契機に肝機能悪化、治療に入る。 一時快方へ向かうが再度悪化 11月、母親をドナーとする再移植の実施 (肝右葉切除) |
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1999(H11) |
2月、法令に基づく第一例目の脳死肝移植 国内第一例目の生体ドミノ肝移植 18歳以上への移植例が子どもへの移植例を上回る |
1月、統子永眠(再移植後40日目) |
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2000(H12) |
右葉からの移植が増加 |
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2001(H13) |
提供先の生前指定をめぐる議論(厚生労働省臓器移植委員会) |
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2002(H14) |
河野洋平氏、生体肝移植 |
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<講演2>
生体肝移植を経験した家族の立場から(子から親へ)
河野 太郎(こうの たろう)
<現職>
衆議院議員
外務委員会理事・特殊法人等改革に関する特別委員会・青少年問題に関する特別委員会
自由民主党
外交部会 部会長代理・厚生労働部会 副部会長・神奈川第15選挙区支部 支部長
国連貢献議員連盟 事務局次長・遺伝子組換え議員連盟 事務局長
自然エネルギー促進議員連盟事務局次長(超党派)・神奈川県連常任顧問
株式会社湘南ベルマーレ前代表取締役会長・神奈川県トライアスロン連合会長・
神奈川県陸上競技協会 副会長・社団法人平塚青年会議所会員
<ご略歴>
1963年1月 生まれる
1975年3月 市立花水小学校卒業
1978年3月 慶応義塾中等部卒業
1981年3月 慶応義塾高校卒業
1981年4月 慶応義塾大学経済学部入学
1982年9月 米国ジョージタウン大学入学比較政治学専攻
1984年 アラバマ州選出シェルビー下院議員(民主党)議会事務所にてアシスタント
<シェルビー議員は現在共和党の上院議員>
1984年8月 ポーランド中央計画統計大学(ワルシャワ市)へ留学
1985年1月 米国ジョージタウン大学復学
1985年12月 米国ジョージタウン大学卒業
1986年2月 富士ゼロックス株式会社入社
1991年2月 富士ゼロックスアジアパシフィク設立と同時にシンガポール赴任
1993年1月 日本端子株式会社入社
1996年10月20日 第41回衆議院総選挙にて神奈川第15区で初当選
2000年6月25日 第42回衆議院総選挙にて神奈川第15区で2回目の当選
2002年1月 8日 総務大臣政務官に就任(〜2002年10月4日)
2002年4月16日 父洋平氏生体肝移植
(2003年11月9日 第43回衆議院総選挙にて神奈川第15区で3回目の当選)
<主な著書>
河野太郎『河野太郎の国会攻略本』英治出版, 2003
<参考URL>
河野太郎ホ―ムページ
http://www.taro.org/
河野太郎氏ホームページ http://www.taro.org/ より転載
生体肝移植のドナーになりました
生体肝移植のドナーになりました。相手(レシピエント)は、親父でした。
おかげさまで、親父の経過は良好です。私も近いうちに、国会と総務省に復帰する予定です。
川崎教授をはじめとする信州大学、順天堂大学の全ての関係者の皆様とお世話になった松本市の方々、そしてご心配と激励をいただいた全ての皆様に、心よりお礼申し上げたいと思います。
私の親父は、もうかなり長い間、C型肝炎を患い、肝硬変がずいぶんと進んでいました。今年の正月に体調を崩して入院した親父を、病院に見舞いに行くと、ベッドの上で、黒く、小さく、まるで干からびてしまっているようでした。このままだと、間違いなく死んでしまうだろう、という状況でした。
おふくろを7年前に亡くしたものですから、親父には、できることは何でもやって、少しでも長生きしてもらいたいというのが正直な気持ちでした。
どうやら親父の容態が、かなり悪く、最後の手段としての移植の条件に当てはまるのではないか、ということがわかってきた段階で、私自身はわりとあっさりと自分がドナーになって、生体肝移植をしようか、と思うようになりました。
肝移植については、私は前から知識を持っていました。初当選してすぐ、国会で、臓器移植法案の議論があり、厚生委員会で質問に立つために、島村君という友人と二人で移植の問題をずいぶんと勉強しました。
私には、今年の4月6日に結婚したばかりの弟と独身の妹がおります。しかし、長男としては、弟や妹にドナーになれというわけにはいきませんから、そこはたんたんと、自分がやろうと思いました。
少なくとも国内ではドナーが死亡した例はありませんし、肝臓は再生する臓器ですから、怖いことは無いと思いました。もちろん再生するからといって、一度肝臓を切った身体が、100%元に戻るのかと言われれば、そうならない可能性もあるのかもしれません。しかし、道を歩いていても運が悪ければ事故に会うわけだし、去年の年末にアフガニスタンに行ったときに地雷を踏んでしまったことだって起こりえたわけですから、人生何事もリスクはつきものです。ここで、思い切って移植をして、親父を長生きさせよう、後は余生を楽しんでもらいたいと思いました。
親父の命は延ばしたいとは思いましたが、はっきり言って、政治家河野洋平の政治生命の延命には興味ありません。もうそろそろ引き際でしょう。
これまでの日本の政治家の欠点のひとつは、きちんとした回顧録を残していない人が多いということです。河野洋平には、移植で延びた命を使って、これまで自分がやってきたことをしっかりと振り返った記録的な価値のある回顧録を書き上げてほしいと思っています。ヤングパワーといわれ、新自由クラブを創り、十年間自民党と戦い、復党して官房長官や、野党の総裁、副総理・外務大臣を歴任した政治活動をきちんと後世に自分の言葉で残すことは、政治家河野洋平の最後に残された大切な使命です。つまらん自民党内の抗争のために、自分の大切な肝臓を提供したつもりはありませんから、派閥次元の発言は差し控えてもらいたいと思います。
親父も感染したC型肝炎ウイルスは、日本では40年ぐらい前から広がったといわれ、このウイルスに感染している日本人は、一説によると50歳代以上で3〜4%といわれています。インターフェロンのような新しい治療法ができてきましたが、C型肝炎に感染すると7割の人が慢性肝炎になり、およそ20年で肝硬変、30年で肝臓がんへ移行するとも言われています。日本では、1980年代以降肝臓がんが急激に増え、そのうちの9割がC型肝炎によるもののようです。今や、このC型肝炎ウイルスにどう対処していくかは政治問題でもあります。
肝移植によって、C型肝炎ウイルスが消えるわけではありません。しかし、肝硬変が進み、肝臓が機能しなくなった患者にとっては、移植はいわば生きながらえるための最後の手段です。一年以内に肝臓病またはその合併症で死亡することが予測され、他に有効な治療方法が無い場合には、移植は選択肢の一つでしょう。移植後に、新しい肝臓が再びC型肝炎ウイルスに感染する可能性が高いものの、病状の進行は比較的穏やかで、移植後5年の生存率は良好です。しかし、今の日本では、脳死移植の提供件数が少なく、生体肝移植が必要になってきます。
自分がドナーになってみて思うのは、生体肝移植についての正しい情報がきちんと発信されていることの大切さと生体肝移植を美談とすることの危険さです。
生体肝移植がどういうものであり、その可能性とリスクについて、正確に伝えていくことはとても大切なことです。
しかし、C型肝炎による肝硬変に対する生体肝移植が有効な治療法として確立され、その件数が増えれば増えるほど、患者のご家族のようなドナーの候補者に対しての社会的なプレッシャーが高まっていくことになりかねません。ドナーになるかどうか、つまり自分の身体にメスを入れ、健康な肝臓を切り取るかどうかは、大変大きな決断です。全てのドナーの候補者に対して、最新の正しい情報を入手できることと、誰からも圧力をかけられずに決断できることが保障されなければなりません。そして、肝臓を提供するかどうかは、ドナー候補者の個人的な決断であり、その決断ができる状況を確保しておかなければなりません。
生体肝移植を「美談」としてマスコミなどが取り上げることは、不必要な圧力を高めることにつながりかねず、絶対に避けるべきだと思います。
健康な肝臓を切るということが、身体にとって良いはずはありません。いつまでに、どこまで、回復するかには、個人差があります。家族や仕事の状況、人生のタイミングなどをじっくり考えて、やはり提供できないという決断も当然あると思います。切るのは怖いという方もいるでしょう。C型肝炎による肝硬変の治療としての肝臓移植には、今日現在、保険の適用もありません。高額な治療費が、すべて自費(レシピエントの負担)になります。
C型肝炎の患者のご家族に申し上げたいのは、ドナーになるかどうかの決断だけで、レシピエントへの愛の強さを量ることはできないのだということです。ドナーになる勇気と同じぐらい、自分の身体と家族を守っていく勇気も大切です。
私がドナーになることを決めたのとほぼ同じタイミングで、わが愛妻は結婚9年目にして初めて、つわりを経験していました。彼女は、私がドナーになることを非常に不安に思っていました。彼女は私よりも熱心に、移植に関する英語の文献まで取り寄せて読み、何度も何度も信州大学の先生方に移植した後のドナーの経過を質問し、最後は信州大学で移植手術を受けたドナーの方にも直接お目にかかって、話を伺いました。そして、最後は彼女なりに納得したのだと思います。私は、親に対する気持ちと生まれてくる子どもへの責任をはかりにかけ、移植技術をはじめとする医療体制を信じて、ドナーになりました。しかし、妊娠初期の不安定な時期に、妻に精神的、肉体的に大変な負担をかけてしまいました。おそらく義母も複雑な気持ちだったろうと思います。
手術後の痛みは、個人差が大きいといいますが、私の場合は予想以上でした。ICUでは、痛みと吐き気で二晩のたうち回りました。あまりの痛さに、神様、やっぱりやめます、目が覚めたらこれは無かったことにしてください、と頼んだほどでした。全知全能の神様は、この願いを聞き入れてくださいましたが、目が覚めるどころか、あまりの痛さに眠ることもできなかったため、取り消しはききませんでした。
さらに、私の肝機能も十分に回復し、そろそろ退院というときになって、突然に、食事ができなくなりました。肝臓を3分の1切ってしまったため、そこに大きな空間ができて、胃がその新しい空間にはまり込むような形でねじれてしまったのです。これはドナー独特の症状ですが、胃カメラを飲んで、このねじれを直すことができました。(信州大学では、10年間に実施した115件の生体肝移植のうち、13人のドナーにこの胃のねじれが発生したそうです。そして、そのうち12人が胃カメラを一度だけ飲むことで症状が治りました。)
親父が政治家だったために早死にしたおふくろは、天国で、親父が来るのを楽しみにずっと待っていたと思います。そのおふくろに、まだ、親父はそっちに当分行かないよ、と言わなければならないのが、ただ一つの心残りではあります。
<講演3>
社会学の視点から−倫理委員会のあり方
武藤 香織(むとう かおり)
<現職>
信州大学医学部保健学科社会学研究室 専任講師
日本ハンチントン病ネットワーク発起人・共同運営者
http://www.jhdn.org/
<ご講演要旨>
先端的な医療や医学研究を行う場合に重要な問題は、患者や被験者にとって安全で、様々な側面での不利益にならないように配慮することである。そのために、1970年代のアメリカを皮切りに倫理的な審査を行う委員会体制が整い始めた。日本でも大学病院をはじめとする多くの機関に倫理委員会が存在する。倫理委員会は、様々な問題を「患者―医師関係」に閉じさせないために窓口となるべき役割を負っているが、その役割を果たすには、倫理委員会の体制そのものにも変革が必要である。アメリカやイギリスでの倫理委員会の改革の様子に触れながら、日本での問題点を整理してみたい。
<ご略歴>
1993年 慶應義塾大学文学部人間科学専攻卒業
1995年 慶應義塾大学大学院社会学研究科修士課程修了
1998年 東京大学大学院医学系研究科国際地域保健学専攻博士課程単位取得退学
博士(保健学)
財団法人医療科学研究所研究員、米国ブラウン大学研究員、慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室教員を経て、2002年より現職。
専門は社会学・医療福祉論。特に、Sociology of the New Genetics、神経難病患者と家族のライフコース、ジェンダー・セクシュアリティに関心を持っている。
主な訳書として、
アリス・ウェクスラー著/武藤香織・額賀淑郎訳『ウェクスラー家の選択』新潮社, 2003
<参考URL>
http://www.arsvi.com/0w/mtukor.htm
<講演4>
最新の臓器移植事情−アメリカの現場から
加藤 友朗(かとう ともあき)
<現職>
大阪大学大学院医学系研究科病態制御外科(第2外科)助手(当時)
客員 Assistant Professor of Clinical Surgery, University of Miami(当時)
(2003年11月現在、Associate Professor of Clinical Surgery, Associate Director, Liver and GI Transplant, University of Miami)
<ご講演要旨>
・アメリカの移植事情
・日本の脳死臓器移植
・生体移植の問題点
・小児ドナーの是非
・脳死判定をめぐる問題点
・移植医療への理解を深めるために
脳死への理解
臓器移植の魅力
従来の治療:悪いものをとる
移植:悪くなったものを良いものに変える
移植で救われた人々の役割
<ご略歴>
1963年 東京生まれ
1987年 東京大学薬学部卒業・大阪大学医学部学士入学
1991年 大阪大学医学部卒業・大阪大学第2外科入局
1995年 マイアミ大学移植外科 clinical fellow
1997年 マイアミ大学移植外科 assistant professor of clinical surgery
2000年 大阪大学大学院医学系研究科病態制御外科助手
2003年 マイアミ大学移植外科 associate professor of clinical surgery, associate director, Liver & GI Transplant
<研究テーマ>
専門は肝臓移植・小腸移植・小児移植・多内臓器移植(multivisceral transplantation)
・C型肝炎肝移植レシピエントへの免疫抑制療法
・拡大内視鏡を用いた小腸拒絶反応のモニタリング
・肝細胞癌罹患移植待機患者への局所療法
・多内臓器移植(multivisceral transplantation)
<所属学会>
アメリカ移植外科学会(ASTS)・アメリカ肝臓病学会(AASLD)・アメリカ消化器病学会(AGA)・
国際移植学会・国際小児移植学会(IPTA)・国際小腸移植学会・日本外科学会・日本消化器外科学会・
日本癌治療学会
<参考URL>
http://surgery.med.miami.edu/livergi/faculty.asp
目次
4. 世界の最先端の移植事情 −マイアミからみた日本− 加藤 友朗
皆様、お忙しい中、トリオ・ジャパン・セミナーに多数ご来場くださいましてありがとうございます。早速ではございますが、トリオ・ジャパン運営委員渡辺直道より、開会の辞を申し上げますのでよろしくお願い致します。
本日はこのように多数の方々にお忙しいところお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。例年のトリオのセミナーよりもさらに今年は出足がいいようで、重ねて御礼申し上げます。
さて、私どものセミナーでは毎年開会に先立ちまして、ドナーの方への感謝の気持ちとご冥福をお祈りする気持ちを込めて1分間の黙祷をささげております。今回も皆様にこれからご協力をお願い致しまして、1分間の黙祷をしたいと思いますのでよろしくお願い致します。
黙祷。
どうもありがとうございました。
さて、私事で恐縮でございますが、私の家内が7年前にドイツのベルリンで肝臓移植を受けました。その後、極めて順調に過ごしておりますが、この7年間には、やはり皆さんも大なり小なりあると思うのですが、子どもの問題とか、家内から見ると嫁・姑の問題とか、日々いろんな問題があるわけです。確かに悩みは尽きないわけですけれど、私は、喜怒哀楽の喜ぶ、怒る、悲しむ、楽しむという毎日を私どもにプレゼントしていただいたドナーには、本当に感謝している次第です。
「愛」は非常にきれいな言葉ですけれど、これは人間の感情ですので、一人ひとりいろいろな感情の要素がない交ぜになって愛が形成されていると思います。いろんな感情のない交ぜになった集合体の愛が、ともすると移植をしたあとに「こんなはずではなかった」ということが往々にして起こり得る。またはそれに対する懸念で、例えば脳死移植について言えば、根強い脳死移植への反対が取り上げられます。また、生体移植であれば、家族との間で、より身近な世界でいろいろな感情の問題が出てくることがあるのではないかと思います。
今日のセミナーは、生体移植に焦点が当たっておりまして、「生体移植の光と影」という部分がテーマとなるかと思いますけれども、私も今日のセミナーを「愛」に視点を置いて見ていきたいと思っております。今日は皆さんと一緒に移植について考える時間を共有したいと思います。
それでは「第10回トリオ・ジャパン・セミナー」を開会致します。(拍手)
渡辺さん、ありがとうございました。それでは続きまして、トリオ・ジャパン会長、青木慎治よりご挨拶を申し上げます。
皆さん、こんにちは。毎回来てくださる方もいらっしゃるし、今日新たに参加なさった方もいらっしゃいます。遠くからも来ていただいております。やはり10年続けると自然と皆さんに「トリオの会合があるよ」ということが認識していただけて、だいたいこのぐらいのご人数は毎回集まっていただいておりまして、ありがたく思う次第です。
最近では脳死での臓器提供の申し出がなかなかないものですから、どうしてもご近親の方の生体肝移植が、今、緊急避難というかたちでかなり重点が置かれているのですが、これについては医師も関係者も賛否両論です。健康に生きておられる方の臓器をあえて取って、それを植えることはいかがかという意見も多分にあります。
私は、本来なら脳死からの臓器提供がやはり本物ではないかと思います。だけど、この不思議な国情の日本、私たちも住んでいて、私たちの一人ひとりの意見も世論でしょうが、世論調査はかなり偏向していて、マスコミによって操作されている向きがあるのですが、どうしても提供者は増えない。それでやむを得ず、肝臓の場合は生体肝移植という方向に走っているわけです。
先日も確か慶應賞ということで、生体肝移植を専門にやっておられる京都大学の田中教授に2千万円が贈られたことを新聞で知りましたが、田中教授にそのぐらいは世の中として報いてもいいのではないかと私も思いましたが、それもまた偏っているのです。どこでも生体肝移植ができるかといえばそうもいかない。とはいえ、移植はどうしても縫わなければならない部分がありますから、手先の器用さは不可欠のもので、誰にもできるものではありません。
それから、河野洋平さんのように息子から申し出てお父様が息子の肝臓をいただく場合でも、僕はやはり洋平さんは相当悩まれたと思うのです。息子からもらって自分が生き永らえることには、随分と抵抗がおありになったと思うのです。太郎さんは洋平さんの息子ですが、最後と言うといけないかもしれませんが、これから第三の人生、第二は自民党から飛び出して新自由クラブを作った時でしょうから、第三の人生を歩かれることを望んでおりますが、それができるのもご子息の太郎さんのおかげですからよく決心なさったと思う。
幸いここにもたくさんのドクターが来ていらっしゃいますが、肝臓という臓器だけが、不思議に手術をして切除し、その部分を患者の体に植えれば、肝細胞はまた増殖して、何ヶ月かすれば元の大きさに戻る非常に面白い臓器だと思うのです。ほかのものはそうはいきません。心臓をちょっと切って植えて、また増えてきたとはいかない。ほかのものは、肺も腎臓も膵臓も全部そうではない。肝臓だけが幸い元に復してくれるという復元力があって、そんなことから今、生体肝移植。
今日後程講演される鈴木さんもそうした経験をされた方ですが、本来元気な人の肝臓を切って、肝臓病で苦しんでいる方に愛のプレゼントをするわけです。しかし、やはり多少のリスクはあるわけで、元気で生きている人の臓器を傷つけるわけですから、私はそういうことでは、本当は脳死に勝るものなしと思っております。
そこで臓器に関する問題がこんなことでいいのかと。このごろは毎日のようにニュースが日替わりランチみたいに、「拉致が済んだ」と、済んでいないのでしょうが、今度は「イラクの問題」、「北朝鮮に原爆が造られている」とか、恐ろしい話の方がニュースバリューがあるからどうしても優先されて、生体肝移植も脳死からの肝移植についても今、報道の舞台からは影をひそめております。
しかし、病人に「待った」はありません。今日やらなければならないものは今日やらなければならないので、その辺の苦しさが付きまとう話です。だから、この愛の贈り物、私自身も1989年にサンフランシスコで脳死からの臓器をちょうだいして、そして優秀な医師の手によってつつがなくこの13、4年間生かさせていただいて、70という年が自分に来るのかと思っていましたがやはり来るのです。それで続くのか、そうはいかないと思うのです。もうそろそろ、「青木さん、あなたは一遍死ぬところを生き永らえたのだから、この辺で黄泉の国へお帰りください」、「和やかな死を迎えられてはいかがですか」という日がそう遠くないところで来ると思うのです。
そうすると、拝見したところお若い方が多いので僕が一番年長者ではないかと思うのですが、どうも気ぜわしいのです。やらなければいけないと思ったことはやらなければいけないという義務感に駆られます。せめて自分の目の黒いうちに年に100例ぐらいの脳死からの肝臓移植、ほかの移植もそうですが、100例は夢のまた夢みたいですけれど、目にしてみたいものです。
アメリカでは一つの州立の大学病院で年に少なくとも200例ぐらいはこなしているわけです。私が世話になったカリフォルニア州立大学でも1教授の門下で年間100例といったら「あら、少ないわね」と言われるぐらいです。その100例すら日本ではなかなか難しいどころか、まだ10指にも満たない状態です。
これは国民性だけではなくて何か阻害しているもの、人の心に染み渡らないものがあるのではないか。おそらくお一人お一人に、「もしあなたの身辺で、あなたが亡くなるのなら、せめて何人かの人を救ってあげたいと思われて臓器提供を登録されている人はたくさんいるはずだけれど、現実にそういうことが起こらないのはどういうことだろう」と、私はしばしば友人の会合や気の置けない人たちの場合には率直に意見を述べるのですが、どういうわけだか知らないが現実はさほど伸びない。
そんな前ではないですが、高知県で、初めて脳死からの移植ができる、意思表示カードも持っていらっしゃる、そういう条件を満たしているというので私も呼ばれて高知県へまいりました。それでもその後、私の知っている範囲内では10指に満たない。どういうことかと毎日考えているのですけれど、答えが出てきません。それには、やっていることは地味な一歩一歩だけれども、その一歩も始めなければ2歩にはつながらないわけですからやるしかない。そして、自分の目の黒いうちに100例の大台を聞いて、彼岸へおいとましたいと思っています。
いろいろ時間の調整や何かで都合があって、「いつも会長はしゃべり過ぎるのでどっちかというとブレーキが掛かるのですが、今日はブレーキをはずしてあげるから好きなことを好きなようにしゃべりなさい」と事務局長からご許可をいただきました。僕のしゃべり方はどうも脱線してあっちこっちへ行ったりしますが、言わんとしていることは、要するに臓器移植は生体肝移植だけではなくて脳死からの移植ができるようになって、私がそのおかげで生きさせていただいているように、やはり死んだよりは生きているほうがいいです。自分で実感しました。正月が来ればうれしいし、映画へ行って感激はありますし、いい小説が書ければこれに越したことはないし、おいしいものを食べさせてくれれば「ああ、良かったな」とさまざま喜びはあります。
かつて十何年前にアメリカから帰ってきました。その時に私は全然気が付かなかったのですが、僕の歩き方が何かをよけているのです。何をよけているのかと思ったら、虫を踏み殺すのをやめてよけているのです。「俺も仏心がだいぶ出てきた」と、虫にも命がある。特にアリはけなげな虫です。ただただよく働いて、自分の一生はあれでいいのかどうか分かりませんが、もうやめて帰ろうという虫はいないみたいで、全部が帰巣本能でアリの穴の中へなおかつ運んで一生懸命に働いている。そうするとこれを踏んではいけない。
それから、私のうちに猫が2匹いるのです。その猫が、私が近所の農地の高台へ体操をしに行くのですが、私のあとをとことこ付いてくるのです。「ニャン」とも言わないで溝の中へ入って、そして僕が終わるのを待っていてくれるのです。それで何か「ニャン」の中にも「ニヤン」があったり「ニャーン」があったり、いろいろさまざまニュアンスが違っていて、「何だか俺、猫語が少し分かるのではないか」という奇妙な感覚に襲われたことがあるのですが、人の生命をいとおしむという観点が自分にできたら、また違う人生の接し方があるようです。
献身という言葉がありまずが、元々は文字通り体ごと捧げるという意味だそうです。かつてインドに聖者と言われた宗教家がいて、追われてトラの柵の中に入ってしまって、そうしたらその聖者が何人もの人が危険に冒されているので、自分の体を餌に捨てて、「それを食べている間に逃げなさい」と言ったところから出た言葉だそうです。
私もドナーの方の献身によって生き返ったように、1人でも多くの方に献身という愛に芽生えていただければと思います。そうすれば日本ももっと臓器提供が増えて、おそらく私が念願としている、最低でも年間100例の臓器移植が行われるのではないかと思います。
そのためにはまだまだやらなければいけないことはいっぱいあるのです。これは国会の先生方にも是非お力を賜りたいと存じます。いまお越しくださいましたが、河野太郎さんという方がいらっしゃったということは、本当に強い味方が国会の中に1粒の種をまかれたということです。今までは人の話として、「あれはしなければいけない」とか、「いや、反対だ」とか、「いや、党議拘束は外すから自由意思で投票してくれ」など、さまざまありました。やはり河野さんはお父様のことです。一番尊い愛の贈り物をなさったわけです。
今日は生体肝移植をめぐって、様々な立場の先生方からのお話が伺えるかと存じます。どうぞ最後までご拝聴いただきたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
青木さん、ありがとうございました。
遅ればせながら、私が今日司会をさせていただきます若林と申します。
まず、配付資料の確認をさせていただきます。本日はプログラムなど資料を入れた封筒をお配りしておりますけれども、その中に質問用紙とアンケート用紙を同封しております。こちらの質問用紙ですけれども、これからご講演いただきます講師の先生方にご質問、あるいはパネルディスカッションで取り上げていただきたい議題などございましたら、是非こちらにお書きください。休憩時間に回収し、パネルディスカッションに活かしたいと思っております。どうぞよろしくお願い致します。
それからもう1枚、アンケート用紙をお配りしています。こちらも来年のセミナーの企画のために是非お書きいただければ幸いでございます。
それでは今回のセミナーの趣旨について、私から少々説明をさせていただきます。今回のセミナーは「臓器提供−現状と課題(3) 生体肝移植の経験から」ということで企画させていただきました。
まず、「トリオ・ジャパン」と言う団体ですけれども、もともとはアメリカの団体でして、「トランスプラント・レシピエンツ・インターナショナル・オーガニゼーション」の略が「トリオ」ということです。移植を受けたレシピエントの国際組織で、もともとはアメリカで心臓移植を受けた方を中心に、移植者やその家族が直面するさまざまな問題について、お互いにサポートしあうための、ピアグループ、同じ立場の者同士の集まりとして始まりました。その後、米国NPOとなって現在に至っております。
日本のトリオ・ジャパンと申しますのは、1991年にアメリカのトリオの日本支部として発足しました。こちらは海外で移植を受けられた青木さんのような方々、そして海外で移植の勉強をされている先生方を中心に設立されました。活動内容としては、スライドに示しました通り、「トリオ・ジャパン・セミナー」を年に1回開催しております。最も力を入れている活動が、国内・国外で移植を受ける患者やご家族に移植に関しての情報提供をさせていただくことです。その際には、「ファミリー・コーディネーター」が移植に関するご相談に対応させていただくという形をとっております。

ファミリー・コーディネーターについては少々説明が必要かと思います。臓器移植を経験されるご家族といいますのは、日常生活ではありえない、考えなくていいような「危機」に直面します。「移植が必要である」という大きな危機の中で、これまでは向き合わなくてもよかったさまざまな問題に直面させられることになります。この際、やはり本人だけではなく、家族への対応が必要である、ということをトリオ・ジャパンでは長い経験の中から強く感じておりまして、そこで「ファミリー・コーディネーター」という肩書きを自ら名乗って活動させていただいております。
トリオ・ジャパンのセミナーは1991年から毎年開催されておりますが、最初の5回は、まだ移植のことはほとんど知られていない時代でしたから、移植自体どういうものか移植医の先生のご講演をいただく、あるいは移植を受けられた方々に講演をいただくという形でした。これら5回のセミナーにつきましては、トリオ・ジャパンから出ています「医師との対話」という書籍に掲載されておりますのでご覧いただければ幸いです。

最近の5回のセミナーですけれども、1998年には、渡航移植をされた方々に募金をした支援会の代表の方々にご経験を伺いました。そして1999年10月16日には、ちょうど臓器移植法が施行された日になりますけれど、「生命(いのち)を見つめる」ということで、子どもの心臓移植をドイツで進めておられる先生や、小児がん、白血病の子どもたちを診ている先生のお話を伺いました。そして、子どもの臓器移植が今の法律ではできないという現状がありますので、実際子どもたちがどのような状況に置かれているかを考えてみました。

2000年から今回の「臓器提供(3)」につながるシリーズになっておりまして、最初は臓器移植法施行後1年経過しても提供が少ないということで、脳外科や救急医の先生、中でも実際に脳死下での臓器提供を実際に経験された先生方にどのようなところに問題があるかを伺いました。
昨年(2001年)は、実際に日本やアメリカで脳死の臓器提供を経験されたご家族に来ていただきまして、体験談をお伺いしました。また、現場のコーディネーターの方、そして臓器移植専門委員会で活躍されている黒川先生のお話もお伺いしました。
そして今回のセミナーにつながるわけです。生体肝移植は今年の夏で2,000例を超えるということで、日本で唯一普及したと言ってもよい移植だと思います。心臓移植は随分前からやっていますけれどもなかなか普及していません。ところが生体肝移植はすごいスピードで伸びています。ということについて、これから見ていきます。
ここで改めて自己紹介をさせていただきます。私自身が高校の時に吐血をしまして、その後10年くらいいろいろとありました。大学は何とか卒業して、大学院に進学したのですけれども、いよいよ「移植しかない」ということで、東大の1例目として母親から生体肝移植を受けました。その後、肝臓がうまく機能しなくなってしまい、今日ここにおられます加藤先生にお世話になりまして、マイアミ大学で脳死肝移植を受けて、今4年経過しました。見ての通りこのように元気にしております。今、大学で心理学を専攻しておりまして、カウンセリングの勉強をしております。

さて、本題に戻りまして、私の経験を踏まえて、移植医療の特徴としまして3点挙げたいと思います。「社会的な医療である」、「選択の医療である」、「終わりのない医療である」ということで、ほかの医療とは違った難しさがいろいろございます。

生体肝移植ですけれども、やはり生体肝移植といいますと、誰が提供できるか、ご家族の中に提供できる方がいるかどうか、そして誰が実際に提供するのか、いつ移植をするのか。移植後のドナーの体調はやはりご家族にとっても、移植を受けたレシピエントにとっても本当に心配な出来事です。そして、家族関係に与える影響、再移植になったとき、いったいどうするのか。日本で脳死肝移植はなかなか厳しい状況で、つい先日2例ほど行われましたが、なかなか当てにできる状況ではないということで、再移植は非常に問題になります。
さらに経済的な問題も大きいです。B型・C型肝炎からの肝硬変で移植になった場合、現在では健康保険の適用になりません。また、胆汁鬱帯性の肝硬変で移植をされて、健康保険が効く場合でも、免疫抑制剤などはとても値段が高く、自己負担分だけで月に数万円もかかります。そして、生体肝移植、脳死肝移植をめぐってはレシピエントにはいろいろな思いがありますので、どのようにサポートしていくかがこれから課題になっていると思います。

ここからは、日本肝移植研究会からいただいたデータを紹介させていただきます。これからご紹介させていただきますデータは、日本移植学会の学会誌「移植」の2002年12月号に掲載されます。現在事務局を担当されている大阪大学の梅下浩司先生にお願いして最新のデータをいただいてまいりました。
日本では1989年に始まった生体肝移植ですが、今年の6月30日の時点で2,000例を超えまして、ご覧の通り、実施施設は合計48施設まで拡がっています。括弧内は脳死または心停止下での肝移植数です。千葉大学は1968年に心停止死体からの肝移植を行っていますし、九州大学も臓器移植法施行前の1993年に心停止死体からの肝移植を行っています。

次のグラフの通り、近年成人の数が急激に増えてまいりました。小児と成人の数が98年から99年にかけて逆転しています。当初は胆道閉鎖症のお子さんへの移植が多かったのですが、最近ではウイルス性肝炎から肝硬変、肝がんに至った方への移植が増えています。生体肝移植では肝臓の一部を移植しますので、かつては身体の大きな成人への移植は困難でしたが、現在は右葉を用いるなど、移植手技の進歩で適応が拡大されております。

次に「全肝」とありますのは、「ドミノ移植」です。FAPの患者さんに生体肝移植を行う際に摘出した病気の肝臓を摘出して、他の方に移植するということが行われています。この病気の場合、ある特定の代謝機能以外は肝機能が正常であること、発症までに時間がかかることから、緊急避難としてこのような移植も行われています。

次に世代別では、小さいお子さんが非常に多く、次に50歳代、おそらくはウイルス性肝炎の方が多くなっています。

次のグラフで、初回移植は成績がいいのですが、再移植は厳しいというデータがでています。再移植の場合、誰が提供するか、あるいは実施施設がどのように告知するかという難しい問題があり、ひょっとすると再移植の時期は遅れがちで、こうした結果になっているのではないかと思います。また、再移植ですと、癒着もあり、手術も難しくなっているかと存じます。

次のグラフの通り、脳死と生体では生存率、生着率ともに有意差はありません。

女性と男性を比較すると、なぜか女性の方が成績がよくなっています。理由は分かりません。

小児と成人を比較しますと、小児の方が成績は良いようです。

次のスライドですが、左側がUNOSと言うアメリカの臓器移植ネットワーク、右側が日本臓器移植ネットワークのホームページですが、UNOSのホームページでは今日現在の時点で8万人も待っているということや、今年の11月8日までに移植ができた数が12,092で、ドナーの数が6,206名であったということが一目瞭然です。しかし、日本臓器移植ネットワークのページでは、どこにデータがあるのかはっきりしません。ある部分をクリックすると出てくるのですが、掲載されているのはずいぶん前の10月31日のデータです。

最後のスライドです。これが日米の生体肝移植の数の推移を示したグラフですけれども、1999年の時点でアメリカの生体肝移植の数が日本の数を越えました。もちろんアメリカは日本の約2倍の人口であるわけですが、やはりアメリカでも生体肝移植は増えてきているようです。この辺については加藤先生からまたお話を伺いたいと思います。
私自身、生体肝移植を実際に受けて、様々な経験をしてまいりましたが、日本で生体肝移植だけが普及してきたこと、そしてほかの移植が普及していないことについて考えることで、日本の移植のこれからについて何かが見えてくるのではないかと思っています。

今日はマイアミで私自身もお世話になりました移植外科医の加藤先生、そして私と同じように再移植の娘さんを抱えて、非常に大変な思いをされてきた鈴木さん、実際に移植が必要でもあり、かつ、遺伝性疾患でもある難病の患者・家族の社会学的研究にかかわられている武藤さんに講師をお願いしております。そして、河野太郎さんは皆さんご存じの通り、今年2002年4月16日に信州大学でお父様の洋平さんに肝臓を提供されたということで、お忙しい中、お越しいただきました。
それでは各先生方に、第一部のご講演をお願いしたいと思います。
まず初めに、鈴木清子さんからお話を伺います。鈴木清子さんは胆道閉鎖症の娘さんをお持ちの2児のお母さんで、娘さんの統子ちゃんは2度の生体肝移植を経験されておられます。
それでは鈴木さん、よろしくお願い致します。皆様にはお手元の資料をご用意いただければと思います。
はじめまして。鈴木と申します。今、簡単にご紹介をいただきましたが、私は今日、発言をさせていただきます4人の中で唯一、病気の子どもを持ったという経験だけしかない普通の人間ですけれども、患者・家族の会を通じていろいろなたくさんの方々と触れ合う機会を得まして、そういうなかでどうしても移植を考えざるを得ない状況を十数年間体験してまいりました。
そうした中で、脳死臓器移植が日本でもできるようになったにもかかわらず、伸び悩んでいる現状を第三者として見させていただいております。今日は自分の体験を通して、いくつかどうしてもこのことは申し上げておきたいと思うことがありまして、トリオの皆様からのご依頼もありましてこの場に参加をさせていただきました。
私は、今申し上げましたように皆様の前でお話をすることのプロではありませんので、お手元の資料の中に、今日これからお話をさせていただきます時間の流れ、どういう時代にどういうふうに子どもを持って、どう移植とかかわったかを簡単な表にさせていただきました。その表の流れに沿って少しずつお話をさせていただきたいと思います。ただし、医学的な側面については、自分たちがかかわった経験だけをもとにしていますので、もし不適切な点などございましたら、後程ご指摘をいただきたいと思います。それでは始めさせていただきます。
私たち夫婦は1983年に胆道閉鎖症という病気の長女を持つことによって、移植も含めた長い闘病生活の中に入っていかなければいけなくなりました。当時は胆道閉鎖症のは「CBA」と呼ばれておりまして[1]、1万人に1人生まれてくるという重い肝臓の障害を持った子どもでした。その当時は、まだ生体での移植医療すら存在しておらず、私たち家族よりもっと先輩の方々の中にも、海外での移植についてご存じの方はいらっしゃいましたが、全くもって夢の中の話でした。私たち家族の場合も、胆道閉鎖症という診断が下ったその時点で、「あなたのお子さんはもう長くは生きられませんよ」という宣告を受けたに等しく、そうした状況の中で子どもを育ててまいりました。
私の娘は昭和58年に生まれてから105日目に、比較的大きい千葉大系列の病院で最初の手術をしていただきました。胆道閉鎖症ですから、「葛西式」という代表的な胆道再建手術をしていただきました。その時点で既に肝硬変は進んでいると言われておりましたので、その後、何年生きられるか分からないという不安と毎日毎日直面をしながら日々を過ごしてまいりました。
そういう中で、患者会を通じていろいろな情報をいただくことができたのですが、そのうちに「生体肝移植」という言葉と初めて出会いました。それが資料に出ております平成元年のところ、これは平成元年に入るかは入らないかくらいの時期ですが、当時放送されたテレビ番組でした。確かNHKの教育テレビで、副題が「脾臓を第二の肝臓にして患者さんを助けよう」というテーマのお話であったと思います。番組の中で、人工臓器の大変な権威でおられる旭川医大の水戸廸郎先生が「生体肝移植手術という治療法が理論的に可能である」というご発言をなさいました。当時は肝臓の病気で移植、ということは日本の中では全く現実味がありませんでした。さりとて、海外での移植というのも現実離れをしていました。水戸先生も日々亡くなっていく患者さんを目の前にして、どうしたらいいかというお気持ちで番組に出演されたらしいのです。私の主人はこの番組を見て、「これなら国内でも可能なのではないか、絶対に大丈夫なのではないか」という意を強くして、直接水戸先生にお手紙を差し上げたところ、平成元年3月に代理の方のお名前で返事をいただきました。
資料にございますように、日本で初めて生体部分肝移植が行われましたのは平成元年11月ですので、お手紙をいただいた時点ではまだ生体肝移植は存在していませんでした。旭川医大の先生からいただいたお返事の一部を紹介させていただきます。「まず、部分肝移植の世界の現況ですが、新聞でご存じの通り、お子様のようなケースに親の部分肝を摘出し移植した臨床例がブラジルから報告されておりましたが、母親の方は無事でしたが残念ながらお子さんは元気になることができなかったという状況です。現在、欧米で臨床的に行われている部分肝移植は、大人の肝臓を子どもに移植する際、肝臓が大きすぎるために小さくして移植することを目的としているものです。親の肝臓を部分的に切除して移植する方法は、私どもを含めていろいろ研究しておりますが、子ども側、つまりレシピエント側にとってまだまだ満足のいく成功率を得る技術的にはまだ問題があります。ただ、この時点で臨床的な応用というのは、本当にみんなが切実に願って、一生懸命われわれもやっております」というお答えを書面でいただきました。
このご回答に大変意を強くし、私たち家族も、当時の主治医に「これは絶対に日本でできるのではないか」という相談をさせていただいたのですが、その当時は全く取り上げてはいただけませんで、「大変難しい手術なのでまずこの病院ではできない、大学病院でもごくごく限られた所で、やられたとしてもあまりにも危険性が大きい」というのが、私たちがかかっていた病院以外でも、おそらく一般的な医療者の見解だったのではないかと思います。
こうした背景があったのですが、同じ年の11月に突如、日本で初めての生体肝移植が行われるというニュースが流れました。もう13年経ってはおりますが、これは記憶に新しいというか、あの時の衝撃を覚えていらっしゃる方は非常に多いのではないかと思います。つい最近、テレビでも再放送という形で流れました。どうしても何とかしたいという思いを持ったご家族が先生に頼み込んだということで、言われた先生は随分お困りになっただろうなと思うのですが、この医療を現実のものとした島根のご家族のお気持ちというのは、本当に自分のことのように思いました。
その後、非常に厳しい闘いが逐一テレビで報道されまして、お子さんの映像も流れました。食べ物を食べたりする映像まで流れて、その時にはとても見ていられないというか、おそらく私だけではなく、その当時胆道閉鎖症という病気の宣告を受けたお子さんを持っている家族は、みんなが同じ思いで見ていたのではないかと思います。ただ、この1例が行われたことで、もしかしたらこの道が広く開けていくのではないかという気持ちは強く致しました。
ただ、「これはあくまでも緊急避難です」というのが当時の見解で、医療を行う方も訴えられるかもしれないということまで考えて臨んだのが、この生体部分部肝移植の医療の始まりでした。
この辺のところが、この13年間で非常に目まぐるしいスピードで変化をしてまいりました。これから少し、移植にまつわる流れということで私たちの家族のお話をさせていただきます。平成元年に最初に移植の相談をした時点では、ただいま申しました通り却下されまして、「これはとても現実には無理だ」というお話でしたが、このあとすぐ、平成2年から京都大学や信州大学でも実際に生体肝移植がなされるようになりましたので、患者の家族の会などを通じてさまざまな情報はいただいておりました。
しかし、症例数は非常に少なく、当時私が受けた説明では最大限20キロまでの体重のお子さんでしたら何とかお受けしますが、何があっても覚悟してください、そういう引導を渡されるような厳しい説明を受けながら、それでも、という思いを抱えて、移植をしてくださる病院へ駆け込むご家族がたくさんおられたのは事実です。
ただ、先程申し上げましたように、胆道閉鎖症の子どもを日常フォローしてくださっている先生方は、移植については否定的でしたので、自分たち家族が移植したいと思うときは、地元の先生とけんかをする覚悟で行くというのが当時の常識でした。本日いらっしゃっている加藤先生が阪大にも関わられているということだそうですが、阪大の先生方も含めて、大学病院の先生方と大げんかして、元の病院を飛び出して移植に臨んだ方々がおられます。もちろん結果は様々で、非常に厳しい結果もが多かったのですが、それなりに最善が尽くされたという気持ちで、その後の人生を歩まれている方もおられます。
私たちの家族の歩みに戻らせていただきますと、平成元年のこの時期は少し状態が落ち着いてきているところでした。入院とは少し間が離れるような日常生活を送っておりました。ただ、いつも移植のことは頭にありましたので、自分たちがどういう関わりを持てるかということは常にいろいろな方にお聞きしていましたし、先程申し上げた旭川医大からは実際にお電話もいただきまして、「今の状態はいかがですか」ということまで聞いていただいておりました。
この時点では少し状態が落ち着いておりましたので、どうしても今すぐということではなかったのと、体重が20kgという規定が頭に残っておりまして、うちの子どもの場合は既に20kgという体重を超えていましたから、やはりまだこれは難しい、いずれ脳死移植のことを考えなければいけないのではないかと思っておりました。平成元年、2年、3年、4年ぐらいまでいろいろなことがありましたし、肝臓の状態は良くはありませんでしたが、ずっと通院だけで過ごせるような日々でした。
この胆道閉鎖症というのは、吐血や下血と向き合わなければいけない病気で、少し咳をしたりしても心配な病気なのですが、なぜかうちの子どもの場合は大きな静脈瘤は認められておりましたが、吐血・下血の体験がなく、これは絶対に身体の中のどこかでシャントができているのではないかという話を、当時の地元の先生から聞かされておりました。ただ、それがどこにできているかについては、その当時ははっきりとは分からなくて、とにかく落ち着いているのだからこれはこれで良しとしましょうということだったのです。そういう状態が平成5年ぐらいまで続きました。小学校にも上がりましたし、そこそこ休みながらでも普通の生活を送っておりましたが、平成6年に入りまして、小学校5年生のころから、身体も大きくなってきましたし肝臓の機能もそれほど悪くなってはいなかったのですが、後から分かったことですが、先程申したシャントが肺の中にできているらしいという症状が現れてきました。
医療の専門家の方はもう既にご存じかと思いますが、肺にシャントができると体内の血液中の酸素が十分ではなくなりますので、見た目には、頬のところに細いクモの巣のような血管が浮き出てきます。それから手の指先の爪の部分が、少しぷっくりと膨れてくる、通称「ばち状指」と言うのだそうですが、そういう症状も現れてきました。ただ、こうした情報についても、私たちは肝臓移植に関わるようになって初めて移植の先生から教えていただいたことでした。当時、地元でかかっていた病院では、そうしたことで移植、という認識はありませんでした。
しかし、何か少しおかしいと親が思いはじめた平成6年のころから、だんだん肝臓の機能が悪くなってまいりました。それと並行して、生体肝移植を受けておられる方々の対象が少しずつ拡大され、体重も先程20kgと言ったのですが、今度は40kgまで大丈夫だと、そのように患者会を通じて情報をいただきました。そこで、これは一度相談に行かなければいけないだろうということで、当時一番症例数の多かった京都大学に相談に行きまして、その時初めて検査を行って、肺の中にシャントができているというはっきりとした診断を受けました。数値を測ってみたのは初めてだったのですが、48%という数字でした。検査をされた先生がびっくりしてうちに電話をかけてこられまして、「お母さん、この状態で生きているというのは不思議なくらいだ」と言われたぐらいだったのですが、当時はそういう知識もほとんどなく、あの時ほど親として無知なことを悔やんだことはなかったです。それ以降は、この「肺内シャント」という言葉もかなり患者会の方で皆さんに対して話されるようになりましたので、今ではおそらくご存じのお母さん方が多いと思います。
このように移植をにらんで検査を行い、シャント率が非常に高いことから、移植を急がなければいけないだろうという結論になり、急遽平成7年の秋に移植を受けることになりました。ドナー検査は、私と主人と両方受けましたが、当時はまだ左側の肝臓しか取れない、ドナー肝は左葉のみという時代でしたので、血液型は私が同じだったのですが、肝容量がとても足りないのでお父さんでいきましょうということになりました。ただし、シャント率のこれほどまで高い子に肝移植したことはないということで、移植した病院は東京女子医大だったのですが、東京の先生方は腰が引けておりまして、とても助からないだろうということを言われました。
私たちは、ずっと地元で胆道閉鎖症という病気とかかわってくださった先生方のもとにおりましたが、移植をするということで初めて大学病院へ足を向けました。そこでは移植という医療に臨むにあたって、今まで経験したことがないような、別室でのインフォームド・コンセントという場面に直面しまして、事前に資料を渡されてそれを読んだうえでいろいろな説明を受け、同意の確認を取られて手術をするという、大変不思議な体験をしたのです。
当時はまだ、東京女子医大でも生体部分肝移植がたくさん行われはじめた年でしたので、担当された先生も説明に慣れていらっしゃらなくて、最初に「肝臓はどこから切るか」ということから話を始められまして、「これがインフォームド・コンセントなのかな」と大変びっくり致しました。しかし、その後直接担当される先生から懇切丁寧な説明をいただきまして、「やはり大変ではあるけれども、こういうことを納得した上でこの医療には臨まなければいけないのだ」ということを本当に痛切に感じました。
私たちは最初の移植を平成7年10月に受けましたが、同じ病院ではこの10月を挟んで6名ほどのお子さんが移植を受けておりまして、ちょっと集中した時期だったのです。1人だけ1歳7ヶ月の赤ちゃんがいらっしゃいましたが、それ以外はどういうわけか、ほとんど私たちの娘と同じ11〜12歳の子どもでした。その方たちの経験は非常に悲惨なもので、6例中2例しか生存しない、しかもものすごい合併症や信じられないような出来事が続いた末に、いろいろな思いを抱えながら、お子さんを連れて退院されていきました。ですから、まだまだこの医療がチャレンジなのだということを、本当にその時に思いました。これは平成7年の話です。今は平成14年ですから、たかだか7年前の話です。
私たちがこの移植に臨むにあたって地元の病院の先生から言われたのは、次のような言葉でした。「お母さん、こういう先端医療というのは、戦場の最前線だと思ってください。飛んできた弾というのは、自分でよけなければいけないのです。その覚悟がある人だけここに行かれるのです。誰も助けてはくれません」。ここまではっきり言われたのは初めてだったのですが、まさしくそれは事実でした。別に医療を行う方々が何か変なことをするからという意味ではなくて、本当に何が起こるか分からないという状況で、それでもみんなが望みをかけて立ち向かうのが先端医療ということです。
私たちは6名の中で、その時は生き残った2人のうちの1人に入りました。シャント率が48%で、体の中に普通の人の半分ぐらいしか酸素が回っていない娘が生き残りまして、もっと元気に歩いていた子たちがばたばたと亡くなっていきました。しかし、生き残った私たちも移植後の経緯もいろいろとありまして、特に私たち家族の場合はしつこい拒絶反応との闘いで、この表の中にも少し書かせていただきましたが、当時可能だった免疫抑制剤による治療はほとんど全部行いました。OKT-3[2]とここに出ておりますが、これがその当時一番きつい治療で、本人にとっても本当に負担の多い治療法でした。そういうことを行いながら何とか生き永らえて、その後3年近くを過ごすわけですが、移植された肝臓の状態が次第に厳しくなってまいりまして、これはどうしても再移植を考えなければいけないだろうという考えのもと、当時は再移植をやっていただける病院というのが非常に限られていたことから、ついに転院を致しました。
最初の移植のときも最初に相談に行ったのは京都でした。住居の関係で東京の病院を紹介していただきましたが、再移植であれば、これは症例数が多く、経験が豊富で実際にできるのは京都だけだろうと、また京都に戻りまして、そこで診ていただくようになりました。引き続き拒絶反応との厳しい闘いがあり、いよいよどうしても再移植が避けられないという状況になってきました。その時点では、生体肝移植ができるということは、胆道閉鎖症のお子さんを持つお母さんたちの間ではかなり普及しておりまして、小さい子どもさんの親は「早くやってあげたい」とすらおっしゃるような状態になっていて、私のようにこの医療がない時代を知っていた者にすると、このあまりに早い変化に正直とても戸惑っておりました。
先程若林さんの方からざっと生存率などの結果を見せていただきましたが、実績として、特に学齢以下のような小さいお子さんは大変いい成績を修めております。かちかちのおなかと真っ黒い顔をして病院に来たお子さんが、青い目と真っ白い肌、にこにこした笑顔で退院をされるというのをたくさん見てまいりました。ただ、私たちの子どものように12歳以降、15・16・17歳、思春期から青少年期に入るお子さんの移植の現状はその当時も厳しくて、私たち家族を含めて、再移植を余儀なくされたご家族は、おそらくここにおいでになっていらっしゃる方々が想像されるよりもはるかに多かったのです。
入院した京大病院の部屋数の3分の1ぐらいは要再移植のお子さんでした。その方々の顛末がまた様々で、これも先程若林さんにざっと見せていただいた結果から分かりますように、再移植そのものの成績率は約半分で非常に悪いのですが、それでも小さいお子さんの場合は再移植で良くなっているという人は確かにいらっしゃいます。私たちの場合は、娘が15歳という年齢になっておりましたし、様々な治療を受けたあとに再移植を考えるというのは本当に厳しい状況でした。病院側としても、再移植を生体で考えるのなら、誰から肝臓の提供を受けるかということが大きな問題になるので、具体的に「あなたのお子さんは再移植が必要ですよ」ということはなかなかおっしゃっていただけなかったのです。
先程、東京女子医大で先端医療にかかわる中でインフォームド・コンセントと出会いましたと申し上げたのですが、京都では再移植を考えたとき唯一、「倫理委員会の審査」というのに出会いました。当初は全然分からなかったのですが、先生方が「再移植」という言葉を使わないのは、どうも倫理委員会のご意見が背景にあるらしいということをうわさに聞きまして、やはりこれは家族の選択の医療ですので、どうしても今の状況や考えと希望を、ネックになっている「らしい」倫理委員会にお話をさせてもらえないか、と申し出たことがあるのです。当時の主治医には、こうした願いは全く取り上げていただけませんで、頭がおかしくなったかなと思われたぐらいで、「倫理委員会というのは患者さんとは直接関係ありません」と一言のもとに却下されてしまったのです。
ですが、よくよく考えてみるとそういう審査というのは、こういうチャレンジの要素の強い医療では何らかの形で関わっているはずだし、病院あるいは施設として、再移植をどう考えるか、それを望む家族をどう支えるのかについてどう思っているのかについて、私たち家族の側が一切知ることができないということについては、その当時も大変不思議に思いました。子どもの病状に圧倒されて、その場ではそれ以上考えませんでしたが、今、少し離れて客観的に自分の体験を考えますと、生体肝移植の医療もこうした第三者機関の審査を受けて実施されているという事実は、どれほど皆さんに知られているのだろうと思ってしまいます。
少し話が脱線しましたが、こうした複雑な状況の中、娘は再移植を受けましたが、やはり非常に厳しい結果を得て、移植手術をしてから40日目で亡くなることになりました。再移植手術後のICUでの日々というのは、本当に今思い出しても言葉が出てこないぐらい、厳しいものだったのでした。本当にぎりぎりのところで皆さんに支えていただいて、京都から子どもを連れて帰り、それ以降いろいろな思いを抱えながら今まで約3年、もうじき4年になるのですが、毎日を過ごさせていただいております。
最後にお話ししたいことがございます。それは近年、この医療が本来持っていたはずの性格が、壊れかけているのではないかということです。平成元年の島根の例では、必死に生きようとする患者さんと、自らの身体の一部を使って生かしたいという家族の思いと、そして自分が社会的に責任を問われても構わないから、できることをやってあげたいという医療者の思いと、この3つの強い思いがぴったり重なりあったところから、この医療は出発しました。
しかし、特に症例数が急激に増えてきた平成7〜8年以降の生体肝移植医療は、いろいろな要素をたくさん含みながらも、日常の医療であるかのように急激な伸びを見せてきました。この過程では、3つの思いがぴったりと重なり合い、誰もが覚悟をして臨んできたこの医療の在り方が、生体肝移植に関わっている家族や患者、ひいてはそこに関わる医療者の方々のご意見を聞いても、少し違ってきているのではないかと感じています。この医療は、本当にたくさんの方々に支えていただかなければ成り立たない医療なので、想像以上に多くの方々に負担を強いています。ただ、それを支えるようないろいろなシステムや人材が不足しておりますし、医療者だけがいてもこの医療は成り立たないのですが、私の知る限り、患者や家族を支えるような心のケアをしてもらえるところは一つもないのが現状です。それは、その方たちが一生懸命やりたがらないということではなくて、どうしてもそこが不足してしまうということです。
もう一つ、どうしてもこれだけは皆さんに考えていただきたいと思うのは、今、脳死臓器移植が進まないという現状があるということを会長さんからも再三お話しいただきましたが、それ以外に現実として広く行われている生体部分肝移植の医療の現場で起きていることが、本当に皆さんに理解していただけるように広く情報が開示されているかというと、どうもそうではなさそうだ、ということです。
ドナーの合併症についても日本肝移植研究会が調査を開始しましたが、この調査も施設への調査のみで、本人への調査ではありません。従って、私のように患者を亡くしたドナー、肝臓の右葉を提供しているのですが、そういうドナーのその後に対する調査というのは一切ないのが現状です。これからこの医療に臨む家族が知りたいのは、この医療の数字としての生存率もそうですが、その医療を受けるとどうなっていくのかというのが一番の関心事だと思うのです。肝臓を提供するドナーがどのように変遷をするのか、この後河野さんがお話をしてくださる部分もあると思いますが、そういう本当の生の声が皆さんに開示されているのだろうかというのは大変不安です。こうしたところも、移植医療がいろいろな意味でグレーゾーンを持っているのではないかと思われてしまう一つの理由だろうと思っています。
ですから、是非大掛かりに予算を付けていただいて実態を調査し、きちんとした調査結果を誰もが見られるように、ドナー側もそうですし、患者側の成績や現状もそうですし、再移植が必要な方も思った以上にたくさんいらっしゃいますので、それが医療が悪いからではなくて、どうしてもそうならざるを得ないものを抱える医療なのだということもきちんと話したうえで、皆さんのご判断を願った方がよいと思います。過度の期待を持ってこの医療に臨まれることは大変危険な気がします。
そして今日は社会学の武藤先生にこの後お話をしていただきますが、こうした医療における問題については、医療側の医師の先生方が取り上げて検討するだけではなく、社会学や、人間にかかわることですから心理学も含めて、心の問題を扱う多くの専門家の先生に関わっていただいた上で、調査を行ってそれを開示していくことが必要だと思います。決して批判をするという意味ではありません。私たちのようにその体験をした者も、自分が体験したことすべてをさらけ出して皆さんに提示をして、その上で生体なり、ひいては本当は脳死移植のことも考えていただきたいと思うのですが、そういう考える材料の提供をもっと誠実にしなければ、やはり一般の方々の移植に対する納得は得られないのではないかと考えております。
大変まとまりのないお話になりましたが、私が経験したこの生体肝移植医療というのがない時代、このトリオ・ジャパンの事務局をされております荒波さんご夫妻も全く同じ経験をされておられます。荒波さんの場合は生体肝移植医療そのものですら望めない時代にお子さんを抱えて、その最期を看取るという経験をされております。ですからこの医療に対する思いというのは大変強いものがありまして、ドナーとなった家族とレシピエントの家族が移植に巻き込まれることによって、別れてしまうケースなども多く、そういう不必要な人間的なトラブルや、こんなはずではなかったという思いで深く傷ついていかれるということが少しでもなくなるように、生体での移植と脳死の移植を両輪として、今のようにあまりにも不均衡な状態ではなく、両方が多くの人を支える医療になってもらえたらいいのではないかと切に願っております。(拍手)
鈴木さん、どうもありがとうございました。資料の3ページをご覧になりながら聞いていただければと思いますが、私が鈴木さんと初めてお目にかかりましたのは、1996年6月に胆道閉鎖症の子どもを守る会で移植の体験談を聞く会が持たれたときのことでした。私も少しだけお話をさせていただきましたし、鈴木さんも移植を受けて半年ぐらいたったところでお話をされました。このときはご挨拶をしただけだったのですが、私が1997年4月になってトリオの活動にかかわるようになり、たまたま会報を作成したところ、鈴木さんからお便りをいただきました。
私は最初の移植を受けてから10ヶ月ほどして、「慢性拒絶か元の病気が再発したかもしれない」と言われました。自分でもお医者さんに聞いても納得できないことがたくさんありましたので、インターネットや、いろいろな雑誌を読んで調べながら、鈴木さんともいろいろお話をさせていただいて、何とかやってまいりました。
しかし、私は1998年1月から急激に病状が悪化しまして、2月には「再移植が必要」と言われ、家族には医学的に提供できる者がおらず、外国に行くしかないということになりました。主治医の先生にはいろいろと施設を当たっていただいたのですが、結局受け入れていただけたのはマイアミだけでした。そして1998年6月に脳死肝移植を受けるに至りました。マイアミに発つ直前の頃は、鈴木統子ちゃんは調子がよく、元気に学校にも行っていると伺っていたのです。しかし、マイアミ滞在中、どうも調子が良くない、入院することになったと鈴木さんから伺いました。
そして、私が日本に帰国した頃には、本当に厳しい状況になっておりまして、再移植が決まってからもなかなか日程が決まらず、随分月日が過ぎてからの再移植となりました。再移植の直前、統子ちゃん自身と電話でお話しさせていただいたことは今でも忘れられません。しかし、年を越した1月3日、お電話で亡くなられたというお知らせをいただいたのでした。
「移植医療は終わりのない医療」と最初に申し上げました通り、「1年生存率が8割」といっても2割の方は亡くなられるわけですし、8割の方についても、どのような生活を送ってどのような毎日を過ごしているかということは数字には出てきません。そして、例えば「コーディネーターを置けばよい」といった最初から結論の出ている調査はたくさん行われているのですが、実際に患者さんやご家族がどのような経験をしているかということについては、今まであまり研究もされていませんでしたし、語られていなかったようにも思います。
トリオ・ジャパンでは、私は相談メールへの対応をさせていただているのですが、おそらく氷山の一角と思われる相談メールからも、生体肝移植という医療では有名な施設で、こんなことが本当にあるのだろうかということが起きてしまっているのが現状です。こうした現状について皆さんにももう少しご理解をいただければと思うのですが、そのような経験をされている方々が経験を語れるような場を提供するにはどうしたらいいかということも課題かと存じます。例えば、いきなり研究したい、調査したい、ということで誰かがふらっと行って「そうした経験を話してください」と言っても、どうも話を分かってくれない、そんなことを話してもしょうがないと思われて話をしてくださらないのが一般的ではないかと、お話を伺って感じました。
鈴木さん、本当にどうもありがとうございました。
皆さんはじめまして、河野太郎です。
自民党には脳死・生命倫理及び臓器移植調査会と言う会議があるのですが、そこの副会長を仰せ付かっております。参議院の宮崎先生が会長で、何人かいる副会長の1人にご推薦をいただきました。自民党というのは年功序列の激しいところですから、当選2回の人間がそういう会の副会長になるということは100%あり得ないはずですが、臓器移植の会の人事を決める時にどなたかが、「副会長に河野太郎」と推薦をしてくださったら、だれからも反対がなくて、「まあ、いいだろう」ということで副会長を仰せ付かって、河野洋平が顧問になりました。
「何で河野洋平が顧問で、河野太郎が副会長なのだ」とよく言われるのですが、「河野洋平は経験者、河野太郎は学識経験者、その違いだ」と言っております。本当かどうか分かりません。
私が当選したのが1996年の10月20日ですが、1996年に当選をして、割と早い段階から臓器移植法案の議論が始まりました。臓器移植法案は脳死を認めるかどうかという議論だったものですから、「政党が党議拘束を掛けて何とかというものではないだろう。議員がそれぞれ自分で賛否を決めろ」ということで、私も人の生き死ににかかわることだと思ったものですから、けっこういろいろ勉強を致しました。
私は臓器移植法案は反対でございました。反対の理由は、今の臓器移植法を見ると、脳死の判断基準をだれが決めるか。厚生省が省令で決めるのです。「竹内基準」と呼ばれているやつをベースにしたものです。人の生き死にを役人が決めてたまるか。脳死の判定基準というのは、プロの医者が決めて、こうなったら「お亡くなりになりました」、そう医者が宣言をするべきものだろう。それを役人が出てきて、役人が人の生き死にの基準なんて決められてたまるか。そこを削除しない限り、私は絶対賛成はできないと言って徹頭徹尾戦って、負けました。そういうことで臓器移植法案には反対を致しました。
ただ、私は脳死移植は必要なものだと思っておりましたので、法案が通って、法案が成立した以降は、少し脳死の移植というのをきちっとできるようにしなければいけないという活動はいくつかやってまいりました。その時にいろいろ勉強していたおかげで、生体肝移植についての知識が多少ございました。
私の親父は、おそらく今から40年以上前に手術で輸血をしておりまして、多分それが原因でC型肝炎になったのだろうと思います。詳しいことは分かりません。私が中学校1年の時ですから27、8年前になるのでしょうか、新自由クラブと言う、自民党を離党して新党を作った時がありまして、その時に既にうちの親父は肝臓が悪いというのが分かっておりました。
私は中学校1年生でしたが、何だかよく分かりませんけれど、うちの親父は肝臓が悪い。月に1回お医者さんが来て、血液を採って検査をして、ぶどう糖の大きなアンプルを静脈注射して帰って、残った3人のきょうだいで、そのぶどう糖のアンプルの残りをだれが飲むかでけんかをしていたという覚えがありますので、(笑)多分そのころからC型肝炎が慢性肝炎になっていたのだろうと思います。
今から十何年前、C型肝炎ウイルスが発見をされて、ひょっとしてこれではないかと医者も親父もおふくろも思ったのだと思うのですが、検査をしたらC型肝炎だった。どうもC型肝炎というのは非常にたちが悪い病気だというのは、親父・おふくろはきっと知っていたのだと思いますが、おふくろが非常に親父の体を気を付けるようになりました。
親父が、政治家ですからいろいろばたばたやりながらも、いろいろな薬を打ちに月に何回だか病院に通っているのは知ってはおりましたが、どうも古い世代の政治家は、自分が病気だと言うと政治生命に響くのではないかみたいなことが感覚的にあるものですから、親父が肝臓が悪いとか、注射をしに病院に行っているというのもひた隠しに隠しているという状況でした。
7年前におふくろが亡くなりまして、そのあとで当時の小渕総理に親父が呼ばれて「外務大臣をやってくれないか」と言われて、家に帰ってきて親父が私に「小渕から外務大臣をやってくれと頼まれている」と言うので、私は即座に「そんなものはやめろ」と言いました。「そんなものをやったら死ぬに決まっているから、何もそんなものを受ける必要はないだろう」と言ったのですが、政治家が総理大臣に呼ばれて「外務大臣をやってくれ」と言われて、断るぐらいなら政治家を辞めた方がいいだろうというのが親父の考えで、受けて帰ってきたわけです。
外務大臣というのは時差も関係ありませんし、やたらフランス料理だ、何料理だと食事も多いわけで、これは本当にいいことはないと思っていましたが、案の定、大臣を辞めたあと急激に悪くなりました。急激に悪くなったというのは顔色を見ていれば、元々親父は地黒だと思っていたのですが、地黒にしては色・つやが変だろう。だんだん、どっちが顔の表だか裏だか分からないような感じに色が黒くなりましたので、それは私が見ていても、これは親父の具合はきっと悪いなというのは分かりましたし、周りの人も「おい、おまえの親父、何か肝臓が悪くないか」と言われて、「いや、あれは日焼けです」とずっと言っていたのですが、多分だれも信じていなかったであろうと思います。
とうとう去年の年末ぐらいから肝臓の数字が非常に悪くなりまして、年明けに風邪を引いて脱水状態みたいな感じになったものですから、慌てて病院に担ぎ込んで検査をしましたら、「劇的に数字が悪くなっています」という状況で、順天堂大学に入院をさせました。いろいろ検査をするのですが、いろいろなことをやっても数字が少しも改善しない。とうとう2月に、これはほとんど非代償性の肝硬変というのでしょうか、「これは肝硬変が良くならないし、このまま置いておいてももうどうにもなりません。薬はもう効かないでしょう」という状況になりました。
その時に、昔、臓器移植法の議論をしていた時に、生体肝移植というのがあるはずだと分かっていました。「生体肝移植について可能性はありますか」と私から先生に申し上げましたら、「肝臓を取り換えるというのが、おそらくこうなったら唯一の改善方法だろう」ということで、それはこれをやるしかないと即座にそこで思いました。
といいますのは、7年前におふくろを亡くした時に、がんが全く手遅れで見つかりました。おふくろが「腰が痛い」と言い出して、マッサージやら何やら行っていて、病院に検査に行ったら次の日に親父が呼ばれまして、「もう、手遅れです」と言われて、親父が真っ青な顔をして帰ってきて、どうもおふくろが駄目らしい。
私はそんなのはテレビのドラマの中の話だとばかり思っていたものですから、まさか自分の身の上に、しかもおふくろにそんなことが起きるとは思っていなくて、「どうしようか」と言っているうちにおふくろは入院をして、最後はがんの痛みが出ないように、痛みを取るだけの治療で亡くなったという経験をしているものですから、親父の時にはできることなら何でもやってやろうというのが私の本心でございました。それで、それなら生体肝移植をやりましょうという話を致しました。
私の所は弟と妹がおりまして3人きょうだい。私が結婚していて、私の嫁がおります。誰がドナーになるかというのは全く最初から問題なく、それは私だということに私は決めておりました。というのは、わが家は極めて封建的な家でございまして、例えば小学校のころ、親父と一緒に寿司屋に行って、寿司屋の小皿の中に最後醤油が残っていると、家に帰ってきて親父にげんこでぶん殴られて、「自分で使う醤油の量も分からないのか」というぐらいスパルタで、しつけというのかいじめというのかよく分かりません。(笑)
親父がそんな具合ですから、私も弟・妹は鉄拳制裁で、鉄の統制を誇っておりました。最近は全然そんなこともなくて妹にいじめられているような状況ですが、普段から長男が威張りくさっている家だったものですから、いざというときに長男が逃げて「おまえ、やれ」と弟・妹を指名したら、それは今までの威厳も何もどこかへ飛んでしまうわけで、これは俺がやるしかないというのは自動的にほぼ疑いなく、「俺がやるから、おまえら看病に来い」というかたちで、弟・妹に申し渡したという感じでした。
弟も妹も仕事をしているものですから、私の女房がよく親父の看病に病院に通っておりまして、どうも女房が一番最初に、このままいくと親父が危ないのではないかということを言い出したのです。数字も悪いしというので慌てて医者と話をすると、「いや、これは相当悪いですよ」という話になって、移植をやらなければいけないということになったものですから、それは俺がやるぞと。お医者さんに、私がやりますから、すぐ検査と、それから輸血用の貯血を始めなければいけないと言われましたので、貯血をすぐやりましょうということで始めました。
非常に不思議なのは、私と女房は結婚して9年間、ずっと子どもが欲しかったのですけれどもできなくて、それが移植をやりますと言って検査を始めて、貯血を始めた翌週に、女房が「ちょっと病院に行ってくる」と言って病院に行ったら、「おめでとうございます」というので、初めて子どもができたのが分かりました。神様が見ていて、「こいつ、初めて親孝行をしたな」と思ってくださったのかどうか分かりませんが、女房の態度がそれを機会にぱたっと変わりました。
それまでは、とにかく「お父さんが大変だ」と言っていたのが、子どもができた瞬間に「ドナーの平均寿命はいくつですか」と聞き出したのです。(笑)「そんなことを言われたって、ここ10年の医療だから、そんなものは分かるわけないじゃないか」と言いましたら、「いや、子どもが生まれるのに、お父さんが早く死んでもらっては困る。ドナーの平均寿命を、あなた、調べていらっしゃい」みたいな話になって、「そんなの分からないよ」というのを説得するのに随分骨が折れました。
私は「日本でドナーで死んだ人はいません」という説明と、肝臓は、別に生えてくるわけではないですけれど、体積的には大きくなるので、「再生するから心配ありませんよ」という、その二つの説明だけで後はいいわと思って「やります」と言ったわけですから、平均寿命がどうだと言われてもそんなものは気にしない。ところが、女房はそこから先、全然引きませんで、いろいろな専門書を買いあさったり、インターネットで欧米の、欧米のと言っても英語だけですけれども、何か論文を調べてプリントアウトして、読んで、何か印を付けて私に読めなんて持ってきたりしたのですが、そんなのを読んでいるのは面倒臭いから俺は読まないという感じでした。
自分の親ならあれなのかもしれませんけれども、義理の父ですから、やはり女房も遠慮があって、しかも、義理の父がこれをやらないと死んでしまう。しかも自分のおなかに子どもがいる。さあ、どうするのだと、かなり女房は悩んだだろうと思うのです。最後はきっとあきらめたのだと思います。納得してやったのかどうかというのは、本人は「納得しました」と言って同意書にサインをしていますが、どうだかよく分かりません。私はとにかく、「ドナーで死んだやつはいない」、それから「肝臓は再生します」というこれだけでした。
これが腎臓移植と言われていたら、多分二の足を踏んでいたのだろうと思います。腎臓は二つありますけれど、1個、永久になくなってしまうわけですから、「腎臓の移植のドナーになりますか」と言われたら、多分今でも考えていたのではないかと思います。とにかく再生しますと言うので、それならいいですという程度の覚悟でやりました。ですから、手術が終わって、いろいろな政治家の先輩に「おまえ、一大決心をしたな」とか言われたのですが、本人は一大決心をしたという認識は全然なくて、ちょっとおなかを切って、傷は残るけれども別に大したことはないという程度の認識でやりました。
信州大から順天堂に先生に来ていただいて、とにかく親父に「85%の生存率だから、1割5分のリスクがあるから、親父もちゃんと話を聞いてくれ」と言って、信大の先生に来ていただいて話をしてもらいました。あの当時の状況を見ていると、親父が本当に内容を理解していたかどうかというのはよく分かりません。ベッドの上で、黒くて、干からびてしまってという感じでしたし、もう声がかすれてしまって何を言っているのかはっきり分からない状況でした。昼間は半分寝ているような感じでしたから、インフォームド・コンセントだ何だと言うけれども、分かっているのかなと。こっちで「おい、分かっているのか、親父」と聞いても、「うん、うん」と言っている感じでした。
弟が4月に何年越しに口説いた嫁をもらったものですから、その結婚式には出ると言って親父は頑張って出ましたけれども、もう色は真っ黒ですし、声はかすれて、「新郎の父、挨拶」なんていうのは何を言っているのかほとんど分かりません。その次の日に、信大に入院をしました。
私は数日遅れで信大に行って、足の付け根から造影剤を入れて、肝臓の血流がどうなっているかという検査をやりました。それを終わって2日後に、うちの事務所の人間が結婚するので仲人をやって、また戻ってきて手術をやるというつもりでおりました。そうしたら、足の付け根から管を入れて、出血を止めるので重りを置いて、何時間か上向きに寝ていてくださいと言っていたら、ぎっくり腰のようになって、動けなくなってベッドから降りられない状況になって、仲人どころの状況ではなくなりました。
医者もこの状況だと手術は延期かなというぐらいだったのですが、おかげさまで、3日ぐらいで何とか動けるようになりました。それでは、手術のときにこんなになっては大変だから、ひざを曲げて、ひざの下に枕を入れようとか、外科の先生がいろいろ心配をしてくださいました。
手術の本当の前の日にもう1回家族みんなを集めて、先生からこういうふうにやって、こうで、リスクはこうで、あとはこうなりますという説明をしていただいて、本当に「病は気から」というのは当たっているなと思ったのは、その時には、親父は非常に元気で、「はい、はい」と完全によく理解をしていて、こんなに元気なら移植は要らないではないかと正直思ったぐらいでした。(笑)
その晩に親父が私の部屋に来て、「肝臓をくれてありがとう」と言ったものですから、親父というのは大体まともな会話を普通は成立させないものでして、まあ、うちだけかも分かりませんけれど、親父に面と向かって「ありがとう」なんて言われたことは多分一生に初めてだと思うものですから、こっちも何と言っていいかよく分からなくて、「医療費を払わなければいけないのだから、死んだら困るよ」と言った記憶があります。「死なないから大丈夫だ」と言って親父は部屋に帰って、次の日はもう別々に麻酔でしたから、それが手術前最後になりました。
手術自体は寝ておりましたので、目が覚めたら終わっていますよというだけでした。ただ、私はおふくろのアレルギー体質を受け継いで、アレルギーだからきちっとした麻酔をやるのは危ないかもしれないというので、ちょっとどういうことかよく分かりませんが、弱いのか量が少なかったのか何だか分かりませんけれども、終わったあと七転八倒で、3日間ぐらいナースコールを握りしめて15分おきに看護婦さんを呼んで、体の向きを少しずつ変えていただいてという感じでした。親父はどうもそんなことはなくて、「痛かったね」と言うと「どこが痛かったんだ」みたいなことを言うものですから、「ちくしょう、殴ってやろうか」と思ったのです。(笑)
親父は1週間ほどICUにおりました。ICUの中に長くいると、ICU症候群というのでしょうか、女房が親父の見舞いに行ったら、親父がまじめな顔をして「猿が3匹そこにいるだろう?」と言ったので、大丈夫かしらと女房は思った。「ICUから出たら治りますから」と医者に言われて、出たら本当に「俺は猿がいたと思ったのだけれど、違ったかな」というような話でした。
火曜日に手術をして、本当は水曜日にICUから出るのですが、私の場合は痛みがひどかったものですから木曜日にICUから上がってきました。信州大の移植チームというのは極めて体育会系の固まりみたいな先生方で、金曜日に「おまえ、いつまで寝ているんだ。ちょっとそこで立て」と言われて、ベッドの脇に立ちましたら、「立てるんだったらそこで足踏みしてみろ」と言われて、20歩と言われて20歩やって、「どうだ」「いや、へでもないですね」「じゃ、100歩やってみろ」と言われて、金曜日に100歩やりました。
土曜日に歩いてトイレまで行って、親父の入院しているICUまではさすがに遠いものですから車椅子で行きました。そのときに親父の顔色が真っ白…、真っ白では死んでしまいますけれども、要するに普通の白さに戻っておりました。(笑)
それを見て本当にびっくりして、やって良かったなと思いました。親父の執刀をした川崎先生に、「後でドナーの満足感を調べると、レシピエントの体調が良ければドナーの満足度も高い。そこは相関関係がかなり強く出るのだ」と言われましたが、5日目の親父の顔色を見て、「ああ、やって良かったな」と正直思いました。
ドナーの方は、私の場合、左葉というのでしょうか、小さい方を取りましたものですから、胃の後ろに空洞ができる。「10人に1人、胃がそこに落ち込むのだ」と言われました。10人に1人だから大丈夫だろうと思っておりましたら、宝くじに当たったようなもので、ある日突然飯が食えなくなりました。「飯が食えません」と言ったら、「ああ、それは当たったかもしれない」と言われて、レントゲンで「ああ、当たっていました」。
それで、胃カメラを飲んで、胃カメラで胃を引き上げる。引き上げるのか押し出すのかちょっとよく分かりませんが、それをやって、それを1度やったらその後は全く問題がありませんでした。川崎先生にも「10人に1人なります。なった人のうち10人の9人までは、1回胃カメラで操作すると後は何でもありません」と言われて、さすがにそこまでは当たらなかったようですが、そんな感じでございました。
1ヶ月ほど入院をして、退院をしました。4月16日にやって、5月の連休明けに退院をして、1週間ほど長野でぶらぶらして、それから戦線復帰を致しました。最初の1ヶ月はやはり昼寝をしないと夜まで持たないという状況でした。昼寝をしないで頑張っていると、夜9時ごろテレビを見ていたはずが、テレビの前で明け方の3時ごろ、ふっと気付くということが2度、3度ありましたので、やはり昼寝をしないと体が持たないというのが、その後1ヶ月ぐらいでしょうか。
退院して1ヶ月はとにかく食事の量は半分にしなさいと言われて半分にしていましたけれども、外に出ると、今日は中華料理を食いに行こうとか、何食いに行こうというと、おいしいものですからついつい食べ過ぎて、「しまった、食べ過ぎた。でも、別に何ともないからいいか」という感じで、退院して1ヶ月経ったら食事のことも忘れて普通に過ごすようになりました。
退院して1ヶ月経ちますと、洋服を着ていると傷が見えないものですから、しかも、そんなに疲労感もなかったものですから普段は忘れていて、裸になって風呂場の鏡に傷が映ると、「あ、俺、手術をしたのだった」というのを思い出す、そんな感じでした。
女房はいまだに「とにかく手術をして1年間は大事にしないと」と言ってぎゃあぎゃあうるさいことを言いますが、私はとりあえず退院して1ヶ月経ってからは、それでも抑えているつもりではおりますけれども、そう難しいこともなく動き回っております。
私がそういう手術をしたということがニュースやらいろいろなことで伝わったものですから、地元に帰りますといろいろな方が、「おまえのあれを聞いて、うちも勇気を出してC型肝炎の移植をすることにした」という方が随分いらっしゃいました。私の地元だけでも退院してこの半年に5人ぐらい、うちもやるからという話がありました。
そういう話を聞くたびに「親父、どうだ」「親父は本当に元気なって、顔色も白くなりましたし、GOTっていうのでしょうか、ずっと異常値が続いていたのが、手術の後は全く正常値のままになっています。本当に元気になりまして」というようなことをずっと言っていたのですが、実は先々週、私の地元で移植手術をされて、生体肝移植を受けた20歳のお嬢さんがお亡くなりになりました。動脈がうまくつながらなかったとお母さんはおっしゃっておりまして、最後は肝臓の血流不全というのでしょうか、どうもそんな形で亡くなられた。
そのときにお線香を上げに行って、お線香を上げている時に、「ああ、あんな親父が元気になってなんて、はしゃいで余計なことを言わなければよかったな」と、その時につくづく、自分でも生存率85%だからというのを親父に説明をして分かっていたはずだったのですけれども、実際そうやってお亡くなりになった方を目の当たりにすると、やはり移植はリスクがあるのだというのを再確認しました。
「うちの親父は本当に元気になりました」と今までは言っていたのですが、僕としては、これから移植をやりますという方に勇気付けようと思ってそういうことを言ったのですが、本当にそういう言い方をしてよかったのかというのを、そのお母さんとそのお嬢さんの写真を見ながら話をしていて、ちょっとどうすればいいのか誠に複雑な気がしています。
自分がドナーになったものですから、やたらドナーのことが気になるようになりました。一つはまだ私がICUから出たばかりで病院のベッドに寝ている時に、横にテレビをつけて、痛くてテレビは見られなかったのですけれど声だけは流れて、その中で移植の話をしていたのです。
その時も、「政治家の河野さんでもドナーになったんですが・・・」、それで街角でおばあさんにインタビューをしていて、「おばあさん、もしあなたの肝臓が悪くなって肝臓が必要になったら、あなたの息子はあなたにくれるか」みたいなことをインタビューしているのです。そうしたら、そのおばあさんは「そんなの当たり前ですよ。くれるに決まっています」みたいなことを言われて、それを聞いて、こっちは痛くていらいらしていたのがあったのかもしれませんけれども、「冗談じゃないよ。そんなことを勝手に決め付けられてたまるか」とテレビに向かって怒鳴った覚えがあります。
やはりドナーになるかどうかというのは非常に難しい問題で、それは私の場合にはそんなに大した決断ではなかったと思ってやったのですが、やはり人にはいろいろな事情があると思いますし、先程話がありましたように、C型肝炎の移植は保険の適用がありません。1000万、2000万の費用がかかるわけで、「これはとにかく何とかしてください」という声はたくさん私も伺いますし、これは何とかしなければいけないと思っていたのです。
中には私の所に電子メールで、「家族がC型肝炎で移植をしないと助からないかもしれないと言われている。状況から見て、私がドナーになるしかないと思う。ただ、私は怖くてやりたくない。ただ、怖くてやりたくないと言うと家族の中で角が立つから、移植の費用が工面できないと言って逃げている。だから、絶対保険の適用はやめてくれ」というメールが来ました。それは本当に少数かもしれませんけれども、やはりそういうあれがあるのだろうと思います。
ある主婦から、義理の兄がやはりC型肝炎で、その主婦のご主人に「肝臓をよこせ」と。「よこせ」と言っているかどうか分かりませんが、電子メールでは「肝臓をよこせと主人に迫ってきます。政治家のあなたがそんなことをやらなければ話題にもならなかったものを、何ということをしてくれたんだ」というようなメールもいただいて、ドナーの複雑さというのはやはり考えなければいけないと思っています。
ただ、そうは言っても、保険適用の問題をどうするのかというのは本当に真剣に考えていく必要もあります。特にC型肝炎は今200万人から500万人日本にいらっしゃると言われております。慢性肝炎のところで手を打たずにずっと放っておいて、肝硬変、肝臓がん、さあ、移植です。1件2000万ずつかかります。保険適用しますと言ったら、保険財政はおそらく相当なダメージを受けるはずだと思うのです。
そうすると、現行の保険の中でやるのか、あるいは全く別枠で一般会計から予算を投入して移植をやるのか。「いや、そんなことはできないから、これはもう自己負担でやってください」と言うのか、そこを考えなければいけませんし、逆にC型肝炎、慢性肝炎であるところで、どれだけC型肝炎をたたいて抑え込めるかということに政府は本当に金を使わないと、どこで金を使うのか。C型肝炎の予防と慢性肝炎のところでぐっと抑え込むところにお金を使えば、あとでお金を一般会計から使わなくても済むだろうと思って、とにかくこれは一生懸命やらなければいけないと思っています。
夏にアメリカに行きましたら、カリフォルニアのカリフォルニア大学だったかUSCだったかの外科の先生が、ポール・テラサキさんと言う日系の外科の先生ですが、その方に捕まって罵声を浴びました。
「日本はとにかく脳死移植ができなくて困っているのではないか。生体肝みたいなものを、要するに健康な人間の体に傷を付ける医療なんかを先行させるのは絶対間違っている。おまえみたいな政治家がドナーなんかになるから、また日本は生体肝になるではないか。政治家の仕事は脳死移植をどう日本で普及させるかのはずだ」と言ってえらい罵声を浴びせられて、彼は本当に真剣に怒っておられました。「そんなことを言われても、やらなければ親父が死んでしまったので」と言うしかなかったのですが、やはり本当に日本の脳死移植を考えなければいけない。
脳死移植が進まない理由がいくつかあるわけですが、その中の一つにドナーカードが全く普及をしていないという問題があります。テラサキさんは、「ドナーカードなんかやめて、いざというときに家族の同意でやるようにしろ」とおっしゃるのですが、一足飛びに日本でそこまでできるかどうか、私には自信がありません。
とにかく、車の免許証にまず「脳死の移植になるか。イエス・ノー」というチェックマークを作って、免許の更新のときに少しずつそういう意識を持ってもらう。あるいは、免許証がドナーカードの代わりになる、そういうことをやっていきたいと思って、警察庁に何度も「免許にその欄を作れ」と言うのですが、警察は「それは、やるのはやぶさかではありません。ただし、それをやる前に、厚生省が保険証の中にそういう欄を作るのが先でしょう」と言うわけです。「厚生省が自分の所でやったら、警察も後を追うのはやぶさかではありません。だけど、先にはやりません」「冗談じゃない。人間の命を救うのにどっちの役所が先か後か、そんなばかなことがあるのか」と言ったら、「いや、それは厚生省がまず態度を示してくれないと」。
厚生省は厚生省で、要するに「保険証を扱っている部門と臓器移植をやっている部門は局が違います。局が違うと、ほかの役所よりも何か大変なので、是非、ほかの役所がまずやってくれれば自分の中の局の説得をしやすいです」みたいなことを言って、いまだに免許証を実現していないわけで、これは本当に法律改正のときにそういうのを入れてしまわなければいけないかなと思っています。
もう一つ問題になりましたのが、脳死のときに「提供先をだれにしたい」というのを認めるかどうかで随分議論になりました。私が単純に思うのは、河野太郎は河野洋平に臓器移植をしようと思って、入院をする前の日に事故に遭って脳死になったらその肝臓はどこへ行くのだ。いや、それは順番を待っている人に行きますというのも理屈では分かるような気もするのですが、何となく感情的には割り切れないような気もします。
むしろ、だれも自分が脳死になりたいと思って生活をしているわけではありませんから、「脳死になったときにはこの人にあげてください」という提供先の指定を認めることによって、少しでも脳死の移植の件数が増えればそれでいいのではないかと私は思っております。
子どもさんの移植がなかなか国内でできなくて、海外、心臓が主ですが、脳死の竹内基準や何やらで不可逆性が担保できないという問題があるということは伺っていますが、そうした問題をだれが決めるかというのは、やはりお医者さんの集団が決めるべきだろう。
医師会の関係者の方がいらっしゃったら申し訳ありませんけれども、どうも今の日本医師会というのは政治圧力団体と化している。本来なら、医師の免許を持った人はみんな医師会に所属をして、医師会で医療というもの、「医」というものを自己統治して、「こういうルールだ。このルールに違反したらこういう罰則、あるいは最終的には免許を停止する。あるいは何か事件が起こったら医師会が出ていってきちっと調査をして、要するに患者さんの医者に対する、あるいは社会の医師に対する信頼を高めるためにも、医師会が出ていってきちんと自分たちの手で問題を解明する」ということが筋だと思うのです。
どうも、そういうところになると厚生労働省を前に出してみたり、厚生労働省も医師会と厚生労働省とで決断を分けてみたりということから、薬害エイズもそうですし、薬害C型肝炎というようなものがやはり出てくるのではないか。役所が出てくれば、結局前任の局長はどういう判断をしたか、今までの役人がどういう判断をしたか、役所のメンツはこうだということがあって、絶対決断が曲がります。
医者の集団がプロとしての決断をするということは、間違った決断をすれば自分たちの信頼が社会の中で損なわれるわけですから、それはメンツやら前例がどうだではなくて、何が正しいかという判断は役所よりも医師会の方が本来ならできるはずだと思うのです。ですから、日本の医師会をそういう会に作り替えていって、医に関する判断はそこでやっていただく、政治家に圧力を掛けるのはまた別のグループを作ってもらってそっちでやる。そういう切り分けをして、厚生省は保険財政その他の行政的なところで絡んでくる。そういう切り分けをする必要があるのではないかと思っております。
まだまだ申し足りないところはありますけれども、時間をオーバーしてしまいましたのでこの辺で終わらせていただきます。本当に鈴木さんのお話を聞いて、先輩のいろいろな方のご努力があって今があるんだということを改めて感じ入りました。改めてそういう先輩たちに感謝を申し上げて、話を終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
河野太郎さん、どうもありがとうございました。フレッシュな体験を熱い語り口でお話しくださいまして、時間の経つのも忘れて聞き入ってしまいました。本当にありがとうございました。
それでは、だいぶ長丁場になってまいりましたので、ここで5分ほど休憩を入れまして、また後半、続きを始めたいと思います。これから5分後に始めますので、よろしくお願いします。
武藤香織さんには「社会学の視点から−倫理委員会のあり方」というテーマでご講演いただきます。武藤香織さんは1993年に慶應義塾大学文学部をご卒業された後、慶應義塾大学大学院社会学研究科修士課程に進学し、1995年に修了されました。その後、東京大学大学院医学系研究科国際地域保健学専攻博士課程に移られまして、1998年には満期単位取得退学をされ、財団法人医療科学研究所研究員、米国ブラウン大学研究員、慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室教員など、様々な領域で活躍され、2002年4月から信州大学医学部保健学科専任講師として、社会学を教えておられます。
それでは武藤さん、よろしくお願い致します。
皆様、こんにちは。武藤香織と申します。本当に迫力のあるドナーのお二人のお話のあとに、私のような研究者がいったい何を話せばいいのだろうか。お話ししても、何もかも薄ら寒いような気配すら致します。
私は、今日講師としていらっしゃる3人と比べますと、最も移植医療から遠い人間です。私の所属は信州大学となっておりますけれども、信州大学に着任したのは今年の4月のことで、ちょうど河野さんが入院されているころに引っ越しの荷物を運んでいたというような、本当に出遅れた人間で、外科の病棟にいらっしゃる移植患者さんとお友達になるころにはもう河野さんはいらっしゃらなかった。とても残念に思っていましたので、今日お会いできてうれしいです。
私の立場を最初にお話ししたいと思うのですが、社会学という専攻でして、社会学というのはいったい何をやるのかとご存じない方もいらっしゃるので、私なりの簡単な定義をします。世の中で当たり前だと思われているもの、常識だと捉えられているものを、それを斜めから見て、それって本当なの?と問うのが社会学の仕事です。皮肉ばかり言っているような、ものごとの裏側ばかり見ているような、そういう仕事です。
例えば、今日キーワードとして一つ「愛」という言葉が出てきていると思うのですけれども、社会学者としては愛という言葉の裏側というのをつい模索してしまいたくなってしまいます。愛という言葉が人の気持ちを封じるほどの圧力を持っていたり、言いにくいことを言わせないという力を持っていたりするという、そういう部分にどうしても焦点を当ててしまう癖があります。
そういった観点から、今日は倫理委員会を皮肉るということをしたいと思います。今日、お話しするようにというご依頼をいただきました時に、私にいったい何ができるのでしょうかと、若林さんに何度も伺ったのですけれども、移植医療に直接携わることではなくても、ちょっと外側から話をしてほしいということで、それならば少しできるかもしれないということでお受けしました。
私自身の関心としては、先端的な医療が家族とか社会にどういう影響を与えるか。倫理的、社会的、法的にどんな影響を与えるかということに関心を持っております。それと移植に関する研究としては少し携わったことがありまして、先程若林さんが挙げてくださったグラフの中にドミノ移植の件がありましたけれども、FAPという病気の移植を受けられた方と、残念ながら受けられなかった方の両方にお話を聞いて、移植医療の持っている複雑な問題点といったものを模索するようなことを仕事にしておりました。
また、倫理委員会という委員会については、信州大学の中ではかかわっておりませんが、他の大学とか学会とか研究会では、倫理委員をさせていただいているところがあります。
では、本題に入っていきたいと思います。今日いらっしゃる中で、倫理委員会という言葉を全く聞いたことがないという方はどれぐらいいらっしゃいますでしょうか。皆さん、言葉はご存じということですね。では、倫理委員会はいったい何をしているところか、ということを何となく想像ができる、あるいは実際かかわったことがあるという方はどれぐらいいらっしゃるでしょうか。とても少ないですね(笑)。
ということで、今日は倫理委員会が何をやっているのかということをお話ししたいと思います。いったい、何の倫理について話し合っているのでしょうか。いったい何をやっているかということを少しお話できればいいかなと思っています。
というのは、移植医療に携われる患者さんとそのご家族は、せっかく主治医の方やご家族の中で合意ができて、「移植医療頑張ろう、生体肝移植行こう、腎移植やろう」と思っても、この委員会が邪魔をしたということが実感としてある方もいらっしゃるかもしれません。先程鈴木さんの話にもありましたけれども、倫理委員会というのはいったい何なのか。これだけたくさん移植医療に関心のある方がいらっしゃっていても、この組織が何をやっているのかということが知られてないわけで、そのことを少しお話ししたいと思います。

日本には、今、全部の大学医学部・医科大学に倫理委員会が存在します。1980年代に自主的に設置されまして、元々は体外受精をやるにあたってどういったことを準備しなくてはいけないのかということがきっかけとなって、徳島大学で成立しました。
今では大学以外の病床数の多い病院とか、学会とか研究会といったところにも倫理委員会は存在しています。何をやっているかということですけれども、治療などで利害が拮抗する、ちょっと難しい言い方をしてしまいましたけれど、患者さんとお医者さんの意見が合わない、あるいは社会的にとても影響力の大きい医療とか、そういったものの判断をするとき、あるいは医学研究、まだ実験的でとても診療行為とは言えないような研究の倫理的な審査をする、この両方の役割を持っています。
例えば、この日本の倫理委員会の一番の大元になったデザインというのはアメリカですけれども、アメリカでは、今言った診療上の判断と研究上の判断というのを二つの組織に分けて動かしています。研究の審査は、インスティテューショナル・レビュー・ボード、IRB(Institutional Review Board)と呼ばれる機関がアメリカでできたのが最初です。

これは、契機としてはタスケギー事件と言う事件があります。アメリカのアラバマ州のタスケギーと言う所で、黒人の男性600人ぐらいを対象に政府が行った梅毒の研究がありました。梅毒の研究は40年間にわたって、黒人の男性の梅毒の患者さんをずっとフォローアップしていったのですけれども、その40年の期間、参加した患者さんに対して積極的な治療処置というのは一切行われませんでした。
ただし、患者さんには「これは無料の治療だから参加するように」と政府は言って、お金のなかった黒人の人たちを中心にこのタスケギーの研究に参加したのですけれども、結果的には全く治療が行われないままその患者さんは亡くなっていったので、あとから問題になったわけです。それは黒人の差別ではないかという議論が一番の根底でした。
この報道があったのが1972年ですけれども、その報道を機に、人体実験に注目が集まるようになりました。例えば、アメリカの陸軍がバイオテロリズムに備えてバクテリアの散布実験を住民に内緒でやったりとか、あるいは、カリフォルニアのブドウ農園で発がん性であることが分かっている薬品を使って、学生ボランティアがそれに曝露したりするような形の研究をやった。いずれも、住民とか被験者の人には全く内証で行われていたということが次々に明らかになって、次にありますように1974年、国家研究規制法と言うのができます。
この法律ができたことによって、連邦政府からお金をもらって研究をする人たちは、その施設の中に必ずその研究の倫理的な妥当性を審査するような機関を作らなくてはいけなくなりました。審査する研究の対象は、人を対象とする全部の研究が行われるときに、この審査機関の中で審査をして、ひどい人種差別とか、あるいは全く同意のない実験への参加とかいうことが行われていないかどうかをチェックするということをやっています。
もう一つ、ホスピタル・エシックス・コミッティー(HEC: Hospital Ethics Committees)と言うのがありまして、これは判断力を行使できない方に対する医療処置を、委員会を構成してその中で決めるというやり方です。これは法律ではなくて自主的な判断で設置されてきました。
こうした倫理審査システムを管轄しているのが、OHRP(Office of Human Research Protections)と言う、保健福祉省にある機関ですけれども、細かくはいろいろありますが、IRBの活動の状況をくまなくチェックしまして、これだけの基準に則った活動をしているのかどうか見ています。

ところが、90年代からこのIRBの体制というのは生ぬるいのではないかという声が出てきまして、もうちょっと中央で統轄しようという動きになっています。例えば、健常者の患者さんが研究に参加して、その方が亡くなられてしまったという事件が続いてしまったこととか、あるいは、いろいろな大学や病院で、多施設で共同して研究する場合に、それぞれの施設のIRBの役割というのはどこまで果たせるのだろうかということです。

とても有名な先生がいる病院などでその研究計画が通ったとします。そうするとほかの病院も「右へならえ」式で、あそこで通ったのだからうちで審査する必要はないのではないかとか、あそこの先生がやっている研究で逆らうと怖いからここで審査を通してしまいましょうといったことが、アメリカでも行われているわけです。
加えて、IRBの委員になった、審査をする側の人間の負担の重さも最近指摘されています。
そこで98年ごろから、このアメリカの体制を改革しようという動きが起こってきました。何しろ国家研究規制法ができたのは1974年で、もう30年ぐらい前になりますので、随分医学研究を巡る状況は変わってきたと言えると思います。その中で、審査の体制もどうしようかという議論が起こってきたわけです。
例えば、承認した研究計画については、入口だけしか倫理委員会は関わっていないわけですけれども、その後例えば患者さんの体調がすごく悪くなったときに、ちゃんと医師がフォローしたかどうかなどといった監視機能というのが全くなかったわけです。そうしたこともやっていかなくてはいけないのではないかという指摘があります。
研究者がIRBに対してすごく不満を持つということはとても多いのです。例えば1回こういう研究をやりたい、かなり実験的だけれども、こういう医療をやりたいといったときに、倫理委員会が、「こういう点とこういう点が足りないからちょっと待ってくれ」と。例えば、患者さんの理解度がどれぐらい本当に理解していただいているのか分からないから、もう1回ちゃんと同意をいただいてきなさいと指示を出すと、1ヶ月待ち、2ヶ月待ち、3ヶ月待ちということになるわけです。大体倫理委員会というのは1ヶ月に1回か2ヶ月に1回しか開かれませんので、その間に患者さんの状態が悪くなってしまうということがあります。

こうしたときに、しかしどうしてもその患者さんにはこのようないいかげんな同意の状態で実験的な医療を受けてほしくないと倫理委員会が判断すれば、主張しなければいけない。あるいは、患者さんにそれを伝えなくてはいけないということもあります。あるいは、患者さん側から見ると、倫理委員会というのは非常にひどい委員会だと思われるかもしれません。それでもあまりにも安全性の面で疑問がある場合には、それを止めなくてはいけないということがあります。そうしたときに、IRBにもう少し権限を与えなければいけないということもあります。というわけで、いろいろな、これは具体的な項目としてこういうことが必要ではないかという、IRBの改革の項目がいろいろ挙がってきています。

イギリスでも同じようなかたちで倫理委員会はあるのですが、これは施設の中ではなくて地域の中に、例えば東京都であれば東京都の衛生局の中に倫理委員会があるとかそういうイメージです。20万人から50万人規模の人口に対して一つの委員会を作りましょうというかたちで、地域サービスに根差した倫理委員会を設置しています。

しかし、これもアメリカと同じように、90年代に入ってからいろいろ問題が出てきまして、特に多施設共同研究について、やはりそれぞれの倫理委員会がなし得るべきこと、あるいはやりたいのにやれないことといった、力関係の問題がいろいろあって、かなり改革が進められてきているという状況です。
では、日本はどうかということです。「日本の倫理審査委員会」、ちょっとフォントも変えてみました。日本はどのような状況かということを少し申し述べたいと思います。

まず、アメリカのような強い法的な根拠を持っていない。倫理委員会はそれぞれの大学や施設の中で独自に活動しているという状況で、その方針とかどういったことを審査するか。例えば生体肝移植は審査の対象なのか。生体肝移植のドナーの適用範囲がだんだん広がってきていますけれども、例外を一つ作るごとに、一つ一つ審査をするかといったことも全部ばらばらです。
二つ目に、そういうばらばらの状態を統轄する機関、法律がなくてもどこか部局が管理していればいいと思うのですけれども、そういう機関も持っていません。それから独立した年間予算を持つ所はすごくわずかです。去年から今年にかけて、白井班という研究班で、全国の倫理委員会に予算がいくらあるかといったことも含めて活動状況の調査をしているのですけれども、年間予算が10万未満というところがけっこうあります。つまり、会議をやったときにお茶代が出るか出ないか。お茶が出ない委員会があるという不満を述べていた委員の先生もいました(笑)。
そうかと思うと、たくさん謝金を支払えるような倫理委員会もあって、それはその大学なり、研究機関なり、病院がどれぐらい倫理委員会を大事にしているか、予算が必要と考えているか、といったことにすごく依存しています。
倫理委員会については、特にヒトゲノム解析研究、それから疫学研究に関して、「倫理審査委員会はかくあるべし」という指針が出ています。ただし、あまりにも難しくて議論されていない点がたくさんありまして、誰もが一番判断に困るような点については、各倫理審査委員会が自分たちで考えなさいと投げられているわけです。
さらに委員の負担というのがあります。労働負担です。これは倫理委員会に申請する前に、研究者の方が「この申請書でいいのか」と相談をしてくることがあるわけです。「この申請書だったらすぐ通るか。今すぐ、はんこをもらえるか」とやはり急いでおられる。その急いでおられる方のために、事前相談というのをしている委員がたくさんいらっしゃるわけです。
しかも、会議は1回とても長時間です。大体1ヶ月に1回行われる倫理審査委員会で、長いところでは5時間とか6時間とか。しかも、1回の研究計画書というのは電話帳ぐらい分厚いのから、薄いのもありますけれども、それを毎回読破してきて、この人はこういう研究をやろうと思っている。患者さんはこういう状況にある。それを把握して、倫理的な問題というのを探すわけです。その作業はかなり膨大です。しかも、時々根回しなどということもあったりして、そのことは1994年にアメリカ人の研究者に「日本の倫理委員会は根回しがなければ動けない」という指摘 を受けています。
内部委員、大学の委員に対する教育の免除ということですが、倫理委員会にかなり時間を割かれる方も、「では、授業を免除して倫理委員会にしっかり携わって仕事をしてもらいましょう」ということがありません。当然謝金とかもないわけです。まだ続きます。すみません(笑)。

まだ続くのですが、例えば倫理審査委員会にはいろいろな分野の方がそろわなくてはいけないという規定があります。人文社会科学系の委員、私のような医師ではない委員というのも必要と規定されているのでけれども、医学部の先生たちがその方を探してくるのに非常に難儀しているのです。日ごろ、医学部と人文社会科学系というのはほとんど縁がない生活をしているので、人選が困難。ある委員長は、倫理学の方がカントを持ち出して研究審査をするのに、「そんなことを言われても分からない。そういうことを言わない人がいい」と言っておられたりします。
また、外部委員と言って、例えば信州大学であれば信州大学以外の方や、あるいは一般市民を代表する方も委員として入れなければいけないという規則があるのですが、これはまたさらに人材を探すのが難しい。うるさい人が入ってくるのは非常に面倒臭いし、研究のことが分からない人はもう全然嫌だというような形で、なるべく長い議論にならない人を呼びたいと考えている。
以上のようにみると、この倫理委員会という組織は学内、あるいは施設内でとても愛されている委員会だと思われないわけです。いろいろな人がなるべくこの委員になりたくない、かかわりたくない。そして存在感はない。研究者はなるべく無視して、自分と患者さんの合意だけでどんどんやりたいと思っているというわけです。

これは一つの例ですけれども、アメリカのカリフォルニア州立大学のロサンゼルス校にある委員会では、委員に対して謝金が出ています。この額についてうんぬんするつもりはないのですけれども、倫理委員会の委員になるという仕事は非常に大変な業務だから、プラスアルファをお金に反映しましょうということと、あるいは授業をあまりやらなくてもいいというようなことが決められています。こういったことは、日本の委員会では多分一度も議論されたことがないと思います。
最後に3つ問題点を指摘したいと思うのです。倫理委員会というのは、先程申し述べたように、自主的にそれぞれの委員会が頑張って活動しているわけですが、一応ネットワークが存在しています。これは1988年にできた全国医学部・医科大学倫理委員会連絡懇談会と言うのですが、医学系大学倫理委員会連絡会議と今は名前が変わっています。

先程河野さんのお話の中でもあったのですけれども、やはり私も専門家の集団が医の判断とか、あるいはどういうことを考えたらいいかということを、ちゃんと社会に向かって発言をしてほしいと前から思っています。倫理委員会のこうした実情というのはほとんど知られていない中で、倫理委員会が集まって、社会に対してもっと認知をしてもらうようにアピールするというのはとても大事だと思うのですけれども、この連絡会議では委員を対象に年に2回シンポジウムをやっているに留まっています。
現場での課題、こうした判断のときすごく困ってしまったというような、例えば生体肝移植を「やる」と言って一度ゴーサインを出したのだけれども、どうもよく見てみるとご家族の方の提供の意思が揺らいでいるといったときにどうしようという、とても難しい問題があると思います。そういったことを、みんなで集まって検討するということにはなりません。自分たちは見解を出さない。それぞれの自主性に任せるというのが連絡会議の役割です。
つまり、倫理委員会は皆様のような一般の方々にさらされる機会というのは全然ないわけです。一般の方の意見を仰いで変えていこうとか改革していこうという流れには全くなっていないということが言えると思います。
アメリカの例ですけれども、倫理委員会の中でも一般の職員がいらっしゃいます。簡単な審査ならやってしまったり、コピーをしたり、お茶を出したり、会計したり、それから先生たちのスケジュールを調整したりといったスタッフの方々を中心に作った集団がアメリカにあります。

これはアリーナ(ARENA)と言う1986年に始まった組織ですけれども、倫理委員会の委員が当てにならないので自分たちが専門家になろうということを言いまして、たくさん研究プログラムとか教育プログラムをやっています。
また、患者さんに新しい研究などをやるときにどういった規則を守らなければいけないか、インフォームド・コンセントについてどういったアイデアを出さなければいけないかといったことについて検定試験みたいなのもやっていて、かなり熱心にやっています。ここのリーダーの方にお会いしたことがあるのですけれども、「本当に倫理委員の委員なんて当てにならないから、私たちが頑張るしかないのよ」ということで、すごく張り切ってやっておられます。
日本でそういった医療機関とか大学でこういった倫理委員会のスタッフ、委員ではなくて、いろいろな事務のこともされているスタッフで専任の方がいるのは多分1施設だけです。
2番目の点で、委員の構成という問題があります。性別、年齢、人種に偏りなく選びましょうという国際的な基準があります。特にイギリスの保健省などでは、少数民族の方、エスニックマイノリティーと言いますけれども、その方々を参加させるようになるべく全力を尽くしなさいという規定まで出しています。
ところが日本の委員会は男ばかりです。内部ばかりです。内部の委員の先生ばかり。ただ、ヒトゲノム解析研究の委員会とES細胞に関する委員会だけは別で、きちんと女性が入っているようにという規定も加えていますけれども、今度女性の委員が探せないと言って、大体泣き言が出てきます。それから教授ばかりです。私がなりたいというわけではないのですけれども、教授でないと委員になれないという規定を持っている大学はたくさんあって、つまり男の内部の関係者の、それから教授の、かつ健常者ばかり。障害を持たれた方が委員になるということがほとんどないわけです。
最も配慮がないのがエスニシティー、民族の差です。例えば、日本にも在日韓国・朝鮮人もいらっしゃいます。いろいろな方がいらっしゃるのだけれども、そういう方々に入っていただこうという意見は全然出てきません。
いいのです、健常者で男で教授で内部の人が委員をやっていてもいいのですけれども、では、いろいろな倫理的な観点というのはどう考えたらいいのか。患者さんの気持ちをどう考えたらいいのか。難しい問題がいろいろあるわけですけれども、それについて教育をどうしているかということです。
先ほどご紹介した白井班のアンケートによれば、「倫理指針についての解説をやっているというのが教育だ」と考えている委員会があったり、あるいは、「生命倫理に関する全般的なセミナーをやっている」ということが回答として挙がってきましたが、いずれも50%を満たしていない。だから、半分以上の倫理委員会では、委員に対する教育というのを全く何もしていないということです。

先程挙げた連絡会議への出席というのは重要な研修だと思われていて、年に2回だけですけれども、その連絡会議に行けばいいのではないか。つまり、内部・外部の委員を問わずに、委員としての要件を満たす教育というのは全然行われていませんし、そもそも、委員の要件なんていうのは、多分十分に考えられていないのではないかと思います。
ある委員がはっきりおっしゃっていましたが、例えば広報委員会、学生委員会、何とか委員会といろいろな委員会がありますけれども、それと倫理委員会といったい何が違うのか、教育とか研修とかやらなければいけないようなことなのかと怒っている方がけっこういらっしゃるということです。
最後に少しだけ移植のことに触れますが、ドナーの適応範囲がどんどん拡大してきているというのは、先程鈴木さんのお話にもありました。ところが、倫理委員会というのはこれに関してほとんどやるべきことをやっていないというのが現状だと思います。医師も、もうドナーの同意を得て、みんなスタンバイできていますという状態で倫理委員会に申請してくる方がいて、そうなると倫理審査委員会では、どうもこの同意の取り方はおかしいのではないか、納得されてないのではないかと思ったとしても、それを撤回するところまでいけないというケースもあったりします。

あるいは、長年、全然ご縁のなかったご親族が肝臓を提供されるといった場合、例えば25年ぐらい会っていなかった人から臓器をいただくということがあるそうですけれども、そういった場合はやはり慎重にならざるを得ないのではないかと思います。そういったことでも、医師がOKしている、それからレシピエント候補がOKしているとなると、倫理委員会としては特にものを言わないということがあります。
ある大学では、こういった生体肝移植に関して診療に全くタッチしていない倫理委員が出向いていって、ドナーに意思の最終確認をしているということがあります。拒否の最終機会というのを診療チームと関係ない人が改めて確認するということをやっているそうですけれども、これはどうもいろいろ伺ってみますと、成人の場合に限られていて、小児の移植の場合には全然こうしたことは行われていないということです。こういう行為を、倫理委員会が実際患者さんとお話しするということはほとんどまれです。

倫理委員会に対して、大変がっかりするようなことを私はさっきから話していますけれども、どうやってこの委員会の質を確保したらいいかということで、たくさんいろいろなアイデアはあるのです。強いガイドラインを作ればいいのではないか。教育をやればいいのではないか。予算が増えればいいのではないか。それから、審査してゴーサインを出した研究をちゃんと追跡すればいいのではないか。あと、各委員会で生じたいろいろな課題をもっとみんなで煮詰める機会を持った方がいいのではないかとかいろいろな意見がありますけれども、どれも実現されておりません。
そこで、今日皆様にお願いとして、下の緑色の所に書きましたけれども、こうした日本のかわいそうな倫理審査委員会をぜひサポートしていくために、今日のように、鈴木さんとか河野さんのように、やはり当事者がいろいろな体験をお話しくださるというのはとても大事なことだと思います。倫理審査委員会をみんなでサポートしていく仕組み、そういう文化みたいなものをどうやって育てていくかということに私はとても関心があって、そのためには患者さんお一人お一人、プラス当事者団体全体として、あるいは先程河野さんからもご指摘があったように、専門家の団体が倫理審査委員会とどう付き合っていくのかといったことを考えていかなければいけないのではないか。
一番下に「小学生から倫理委員会体験教育を」と書きましたが、倫理委員体験教育といってもそんな大げさなことではなくて、小学校のうちからいろいろなニュースを聞いて、自分たちはこれをどう考えたらいいのか、この場合の命の大きさとか、重さとか、それからリスクとかそういったことをどう考えたらいいのかということを日ごろからやっていくのはとても大事ではないかと思っています。
今日、ほとんど移植に関してあまり触れていないのですけれども、一つだけ追加的に申し上げますと、倫理委員会となぜ私がしつこく追求しながらもサポートしたいようなすごく複雑な気持ちでいるのかというと、患者さん、あるいはドナーの候補といった方々が、本当は家族の中でいろいろ言いたいのに言えないことはたくさんあるというのを、私はいろいろな調査で聞いております。
先程河野さんからも例がありましたけれども、私もどうしても自分しか臓器を提供する候補がいないからといって、でも、本当は私はあげたくないのだ。やっぱりどうしても怖い。どうしても怖いという気持ちを、そこに愛という言葉が突き刺さりますと、提供できないというのはイコール愛がないというふうに取られてしまっては非常に困るわけです。倫理審査委員会というのは、そこで最後のとりでになる機関だと思っていまして、それなのに適当にやっている。こんな仕事はうざったいなと思いながらやっている方がかなり多いという現状があります。
それに対して、もう大人になってしまった私たちではなくて、若い人からもいろいろな命を考える機会が広まっていけばいいのではないかという気もしますし、それと愛という言葉が安易に倫理委員会の中で使われないということも非常に強く希望しております。
いろいろ申し述べたいことはありますが、またあとの機会にと思っておりますので。どうもありがとうございました。(拍手)
武藤さん、どうもありがとうございました。倫理委員会の実情を知ると暗澹たる気持ちになってきますが、小学校が倫理委員会ごっこをやってくれるような時代になったらいいなと思いつつ、また、後ほどパネルディスカッションで議論をしていきたいと思います。
それでは、第一部の最後に、加藤友朗先生にご講演をお願いしたいと思います。簡単にご略歴をご紹介させていただきます。加藤先生は1987年に東京大学薬学部をご卒業後、大阪大学医学部に学士入学されました。1991年に大阪大学医学部をご卒業され、大阪大学第二外科に入局後、伊丹市民病院などでの臨床研修を経て、1995年8月よりマイアミ大学に留学し、Clinical Fellowとして肝移植および腹部多臓器移植の臨床・研究に従事され、その後97年7月よりAssistant Professorとして、ご活躍されています。また、2000年7月からは大阪大学大学院医学系研究科病態制御外科助手として、生体肝移植チームの中心として関わられています。
ちなみに、私自身も1996年1月31日に東大の第1例目として母から生体肝移植を受けているのですが、その後、再移植が必要となり、1998年6月19日にマイアミ大学にて脳死肝移植を受けることになりました。それ以来、加藤先生に大変お世話になっております。
それでは加藤先生、よろしくお願い致します。
皆様、こんにちは。移植外科医師の加藤です。
私は主にアメリカで肝臓移植を中心に移植をやってまいりました。最近は、日本でも生体肝移植をする機会があるようになりまして、現在は大阪大学の所属であります。
その中で、私が常々感じておりますのは、やはり移植の医療はそれを推進させるためには脳死でなければいけない。脳死ドナーでなければいけないのだということです。
既にいろいろお話が出ました。第一に脳死でなければいけない理由は、脳死でなければ移植のできない臓器があるわけです。心臓移植の場合、これは生体のドナーから切り取るわけにはいけません。同じように、肝臓の場合も、今は生体があるということで、「肝臓移植は大丈夫だ」と思われている方もおられるかもしれませんが、実際問題、今日の河野さんや鈴木さんの例のように、ドナーが出て移植が受けられる方はまだまだ一部の方です。
お子さんの場合はかなりの率で生体肝移植が受けられるようになっていると思いますが、成人の場合、私の個人的な経験から考えますと、おそらく2、3割ではないでしょうか。実際に生体肝移植で助かるという方でドナーが現れる率は、それぐらいでしかないと思います。もちろんそれには、今までお話が出ましたような社会的な問題、不適合の問題、いろいろなことがあります。
そういうことを考えますと、やはり脳死ドナーからの移植がこれから先日本で増えていかないといけないし、それをするためにどのようなことができるのかを考えていかなければなりません。
今日は生体肝移植のお話ですが、私はむしろアメリカ側から見た立場で、日本に対してどのような提言ができるかといったお話をさせていただきたいと思います。

ここに出しましたのは、クリス・クルッグと言う方の写真です。おそらくご存じの方が多いのではないでしょうか。オリンピックのスノーボードで銅メダルを取った患者です。患者と申し上げたのは、この方は脳死のドナーからの肝臓移植をオリンピックの約1年前に受けております。原発性硬化性胆肝炎と言う病名です。
写真を見ていただくと分かりますけれど、これが移植を受けた直後の写真ですが、非常に元気そうです。かなりいい状態で移植を受けましたが、彼の回復は非常に早くて、移植の3ヶ月後には既に平地でのトレーニングを開始しています。これは、そのトレーニングの時の写真ですが、あのように手術の傷跡が見えます。そして、その1年後には何とオリンピックに登場して銅メダルを取ってしまったのです。
これは生体の肝移植でもじゅうぶん可能性があることではあります。しかし、脳死ドナーからの全肝の肝移植は、私の個人的な経験では、やはり回復のスピードが全然違います。こういったことができるのは、やはり脳死ドナーならではのことと言えるのではないでしょうか。
この方はエリック・コンプトンさんと言う方で、日本ではあまり知られていないと思いますが、私の非常に親しい方の息子さんです。12年前にマイアミで心臓移植を受けられました。拡張型心筋症と言う病名です。彼は、高校時代は野球をし、大学時代からはゴルフに転向して、今はアメリカのプロゴルフツアーでプレーをしています。活躍中と書きましたが、今年の成績はまだ芳しくなくて、来年プロゴルフに残れるかどうかはぎりぎりのところだということであります。

しかし、今の2人の例を見ていただいても分かりますように、移植の医療には非常に大きな計り知れない魅力があります。もちろん移植の医療で亡くなる方もいるわけで、難しい問題もたくさんあるわけです。しかし、この移植にある非常に大きな魅力がどこからきているのかということを考えますと、移植の医療は従来の外科の医療と非常に大きな違いがあります。
従来の外科の医療というのは、悪くなった所を切り取るのが医療でした。しかし移植の場合は、悪くなったものを新しいものに、良いものに変えるわけです。ですから、移植が成功して非常に良くなった患者は、ただ単に瀕死のところから生き永らえるだけではなくて、ほぼ普通の健康な人と全く同じ生活に戻ることができるわけです。そしてこのように、健康な人ができ得る人生を歩んでいくことがそこからできるわけです。
移植医療について、少し駆け足になりますが次のような順番でお話ししていきます。まず、アメリカの現状、それから日本の脳死臓器移植、生体移植の問題点、小児ドナー、脳死判定を巡る問題、最後に移植医療への理解を深めるために、といったお話をさせていただきます。
まず、こちらに1990年から1999年までのアメリカにおけるドナーの数の推移を示しました。これが脳死のドナー、こちらが生体のドナーです。
ここに実際の数が書いてありますが、1990年の時点で、アメリカでは年間に約4,500の脳死ドナーがありました。1999年では5,800ですから、アメリカでは脳死ドナーの増加は頭打ちになったと言われているのですが、頭打ちになったというアメリカでも、この10年間に1,500近い数の増大があったわけです。これは、アメリカの方々がドナーを増やす地道な努力をずっと続けてきているからです。日米の現状の提供者数と、日米の人口比を考えますと、いかに大きな違いがあるかということが分かるかと思います。
この表を見て、「アメリカは案外生体ドナーがいるのだな」ということを思われた方がいるのではないでしょうか。数だけで見ますと、1990年の時点で生体ドナーが4,700人、脳死ドナーが5,800人。アメリカも脳死と生体のドナーの数は大して変わらないのだと思った方がいるかも知れません。
しかし、やはりそうではないのです。次のスライドを見てください。アメリカの移植医療はやはり脳死が中心です。それはなぜかといいますと、脳死のドナーはドナー一人で移植が一つではないのです。脳死のドナーの場合は、一人のドナーがたくさんの臓器を提供することができます。ですから、これで見ますと、ドナー数は5,800ですが、移植数で見ますと、同じ5,800のドナーから16,000の数の移植ができるわけです。これが、脳死のドナーで移植を行うということの大きな有意点でもあるわけです。
次のスライドが臓器別の摘出率です。腎臓が得られる場合が一番多く、腎臓はほとんどのドナーで得られます。肝臓が得られる症例がその次に多くなります。膵臓、心臓の場合は、どちらかと言うとドナーのクオリティーの問題で、必ずしも、ドナーになる脳死の方の心臓の状態が良いというわけではありませんので、得られない例もあります。小腸の場合はまだ非常に少ないのですが、これはドナーの問題というよりはレシピエントの側の問題になります。移植を希望する方が、まだそれほどおられないということです。
次のスライドがは臓器別の1年生存率です。1年生存しただけで生存したというわけではないのですけれども、移植の医療の場合、1年生存しますとそのあとの生存はある程度安定致します。これは全米のすべての統計でありますので、患者生存率の高さが非常によく分かると思います。
腎臓移植で、死体腎と書いてありますが、脳死の腎臓を含めた死体腎、それから生体腎、肝移植その他、非常に良い成績がここに得られています。5年生存になりますと少し落ちますが、それでもやはり成績としては非常に良いものであると言えると思います。

日本における脳死臓器移植。一番最近の例は入っていないのですけれども、1999年に初めてのドナーが出てから脳死臓器移植が行われたすべての数です。心移植が15例、肺移植が12例でしたか、肝が19例、今20例になったのだと思います。それから腎が30例ちょっとになります。
年次別の推移ですが、1999年に4例、2000年が6例、2001年が8例、そして2002年が、前回の提供で6例になったのだと思います。先程のアメリカの4,000〜5,000という数から比べますと、人口比が約2対1ということを考慮しても、非常に少ないわけです。

しかし、まだまだ日本の脳死臓器移植は始まったばかりです。私と非常に親しい、アメリカで30年間にわたって移植の啓蒙活動を続けておられる方に聞きますと、彼は「アメリカでも脳死のドナーが10例以下だったころから活動しています」とおっしゃるのです。やはり初めは、このようなものですから、これから先これがどう増えていくかを考えていかなければいけないと思うわけです。
生体移植の問題点については、既にたくさんお話が出ましたが、第一の問題点は家族にかかる心理的負担です。これがアメリカであれば、脳死のドナーがいるわけですから、同じように肝臓が悪くても、自分がドナーにならなければいけないかどうか悩む必要がないのです。もちろんそれでも生体肝移植はアメリカでもやっていますが、アメリカで生体肝移植が始まった時に、最初に問題にされたのはその点でした。ドナーに対する心理的負担、それが果たして問題にならないのだろうか。もちろんそういう議論がある中で、アメリカでも生体肝移植が先に進んでいくという現状があるのですが、とにかくこれは非常に大きな問題点です。

もう一つは、これはドナーの安全性ということがあります。もうご存じの方もおられるかもしれませんが、日本での肝移植のドナーで亡くなった方はおられません。しかし、海外では肝移植のドナーになって亡くなった方は複数おられます。私も出てくる前に頑張って集めたのですが、最後のところで分からなくて、正確な数のデータがないのですが、少なくても5例以上、10例近くはおられるかと思います。
しかし、先程も話が出ましたが、ドナーはただ単に亡くなるだけではなくて、その他にいろいろな合併症がありまして、それによって後遺症を持たれたという方もどこかにはおられるのではないか。そういった統計はあまりありませんので分かりませんが、そういった問題もあるわけです。
レシピエントの成績に関して言いますと、腎移植は生体腎移植のほうが脳死の腎移植よりも成績が良いです。ですからこれはある意味で、成績という面から言えば、それが良いと認められてもいいのではないかと思います。小児の肝移植も先程鈴木さんのお話しがありました。初期は難しかったのですが、今現在は成績的にはかなりいいものになってきています。脳死の肝移植とあまり違いはありません。むしろ、生体の肝移植の方が成績がいいというデータもあります。ですからこれもやはり問題にならないです。
しかし、成人の肝移植になりますと、先程若林さんが示されましたように、成人間の生体肝移植のデータは脳死の肝移植のデータよりもまだまだ劣るものがあります。もちろんそれには一番大きな問題があって、結局肝臓のサイズです。ドナーの方の肝臓を全部取るわけにはいかないわけですから、どうしても限りある数で、限りあるサイズで移植をしなければいけない。その問題からどうしても成績が少し落ちます。いろいろな先生方の努力で成績はかなり良くなってきていますが、しかしそれも生体移植の問題点として認識しておかなければいけないのではないかと思います。
最後になりますけれども、生体ドナーからの移植はあくまでも一部の臓器だけでできるわけで、「生体移植があるから日本の移植医療は大丈夫だ」などと言っているわけにはいかないわけです。もちろん、心臓移植の場合は全くそういうわけにはいかないわけです。
さて、小児ドナーの問題も先程少し話が出ましたが、それを少し考えてみようと思います。現在の臓器移植法案でありますと、15歳未満のドナーは認められておりません。しかしながら、小児ドナーの問題というのは、移植を待つ患者・家族にとっては非常に切実な問題です。特に心臓移植を待っているお子さんをお持ちの方、小児ドナーができない、日本でそれができないということに対する歯がゆさ、悔しさを持っておられる方はたくさんおられると思います。それに対する法律改正の動きがあるわけです。ですから、今までの臓器移植法案に加えて、小児ドナーもその中に追加したいという話があるわけです。しかしながら、小児ドナーを追加するということは、今までの成人のドナーをただ単に延長するというだけではない難しい問題があります。
臓器移植法案ができた段階、これはいろいろ「妥協の産物だ」ということを言われたりもしました。その段階で一番重視されたのは「本人の意思」ということです。本人の意思を尊重するというのがこの法案の基本的な理念であります。
それからもう一つ、これは妥協の産物だったということなのかもしれませんが、臓器移植法案をある意味で通すために折衷的な案が出されました。それは、脳死を死と認めるのではなくて、あくまで自分で希望した者に限って臓器提供をする場合に脳死の判定をする。要するに、自分で脳死と判定されたくない人はされなくてもいい、そういうことを認めたわけです。このことは実は生命倫理の世界では画期的なものではないかという見方があります。
どういうことか言いますと、結局日本の臓器移植法案では、自分自身が死ぬときにどういうかたちで「死」を迎えたいかということを自己決定することができるわけです。これは世界にも例を見ない法案だという話を聞いたことがあります。
しかし、こういった基本理念を考えますと、そこに小児を加えるというのはそう簡単な問題ではないわけです。小児を加える以上、当然小児の自己決定がそこでできなくなるわけです。もちろん小児を加える場合、子どもの脳死判定の不安というのがあります。そういうわけで、小児ドナーをこれから増やすということには、もう1回また一に戻って、脳死に対する理解をきちんとし直さなければいけないということがあります。臓器移植法案が最後に通る段階では「どうしても脳死が分からない」という人もたくさんいたのだと思います。議員の中にもおられたと思います。それでも自己決定を、自己意思を尊重することでそれを解決したということがあったわけです。しかし、臓器移植を先に進めるためには、脳死に対する理解が不可欠なのではないかと思います。
これから脳死判定および脳死に関することについて、私の個人的な意見として申し上げます。個人的な意見と申し上げたのは、私は移植外科医でありますので、ドナーの脳死判定に携わったことは全くありません。これについてはもちろん移植医は携わってはいけませんので、当然分かれているわけです。そのようなわけで、脳死判定の専門家ではない臓器移植医の側から見た脳死判定の意見だとご理解ください。
日本において脳死が受け入れられない、脳死がなかなか実感できない理由として、「日本人の感性の問題があるのだ」、「日本人は肉体を重視するのだ」といったことがよく言われます。たとえ脳が死んだと言われても、血が流れていて体が温かいうちはそれが死んだとはどうしても思えない。もちろん、私も日本に生まれ育って日本で医療をして、それからアメリカに行ったわけですからその感覚は非常によく分かります。
しかしながら一方で、私も医学部の時に経験致しましたが、死体解剖ということを医学部の教育のために献体なさる方、これはずっと昔からたくさんおられたのです。その数は少しの数ではないのです。私がいた医学部だけでも年間数十例の遺体が解剖されています。それから考えますと、全国の医学部で遺体解剖として献体されている数はかなりの数に上るはずです。もちろん、死体児に対する体の提供もあったわけです。そういう意味で、これだけのことで日本人は脳死が受け入れられないというわけではないと私は思います。
脳死が受け入れられない理由、まず一つの大きな問題は、脳死の判定が非常に実感しにくいということにあるのではないでしょうか。脳死の判定になりますと、「何とか反射」という話が出てきます。対光反射ぐらいは聞いたことがあるとしても、ほかの「何とか」反射は、ほとんど一生涯聞いたことがないし、経験することもないという方が多いと思います。この非常に分かりにくい反射をいくつ検査して、それがプラスだマイナスだ、その結果として脳死だと言われてしまうので、そこが脳死ということを少し分かりにくくしている原因ではないかと私は思っています。心臓死の場合は、心臓が止まり、血が止まります。血が止まった結果臓器が死んでいくわけですから、非常に分かりやすい。
それから、ここで非常に大きな問題になっているのは、医師に対する不安、不信感、特に和田移植から始まった移植医に対する不信。「移植医は、もしかしたら、移植をするために死んでない人を脳死と判定して臓器を取ってしますかもしれない」という潜在的な不安というのは、やはりかなり大きなものがある。医師の側からすると残念なことではありますけれども、しかしそれが現実なのは間違いないと思います。
そこで、臓器移植を先に進めるために、どのようにすれば脳死の判定というのがもう少し実感できるものになるかということを、私なりに考えてみました。これはあくまでも私の個人的な意見でありますが、これはアメリカで実際に脳死判定をしている方にお話を聞いて、そういうことを調査した上での話であります。
脳死というのは、「全脳細胞の死」であります。脳死はああいう判定基準があるので、判定基準によって決まるものだと思っている方がおられるかもしれませんが、脳が死ぬということは脳の細胞が死ぬということです。それをいかに見つけるか、いかに判定するかというのが判定基準の問題であって、脳が死ぬということは、脳が死ぬということです。判定基準がどうこうというわけではないわけです。
心臓が停止したときに、それはなぜ「死」なのかということを皆さんお分かりになりますでしょうか。心臓が止まっただけで人は死ぬわけではないですよね。1回心臓が止まっても、また電気ショックで心臓がもう1回再開すれば、それで生きていく方もいるわけです。ですから心臓が止まったことによって人が死ぬわけではありません。心臓によって人が死ぬのは、心臓が停止することによって循環が停止して、その結果血流のなくなった臓器が細胞のレベルで死んでいくからです。
脳死の場合はどうでしょうか。脳死の場合も実は同じような循環の停止ということが起こります。ここに書きましたが、脳死時の脳血流。脳死時には、脳血流がほとんどの症例で消失致します。脳死になりますと、脳の細胞が死ぬために死んだ細胞がある脳の圧力が上がって、血が入っていかなくなるのです。「ほとんどの症例で」と申し上げましたが、「ほとんどでは困るのだ」と言う方もおられるかもしれません。しかし、実際は脳血流があっても脳死である状況があるのです。そういう状況もしばらく時間がたてば脳血流は停止すると言われています。
これは血流が停止するから脳死になるのではないので少し分かりにくいのですが、脳死イコール脳血流の停止という考え方をしますと、かなり脳死が分かりやすくなります。これは全く私の個人的な意見と先程から申し上げていますけれども、小児の脳死判定には、やはり脳血流をそこに組み入れていかなければいけないのではないかと私は思います。なぜ私がそう思うかといいますと、実際アメリカでも小児の脳死判定には脳血流の測定が行われているのです。
アメリカの脳死基準では、脳血流の測定はあくまでも参考条件でありますが、実際に私が見ている、周りで働いている小児科の先生たちは、脳血流を測ることが多いです。なぜ脳血流を測るかといいますと、脳血流を測って脳の血流が全くないということが分かれば、自分で安心して脳死の判定ができる。それから、そうやって判定されものに対しては家族の理解も得られやすいといった理由だということです。
いささか表現が不適切なモデルになりますが、架空のモデルをここに出します。あくまで脳死を説明するための架空の話ですので現実の患者さんに置き換えて考えないでいただきたいのですが、首が胴体から離れた状態でも論理的には体の循環を保つことはできます。心臓を動かすことができるのです。心臓が動けば、首から下の臓器は生き続けます。しかし、切り離された首は血が行かなくなりますから死んでしまうわけです。首から下だけの臓器が、心臓が動いている結果動いている。もちろん体は温かいです。
この状況が、果たして生きていると思える人がどれだけいるでしょうか。
「日本人は体を重視している」、「体が生きている温かいうちは、死んだと思えないのだ」という方はたくさんおられます。しかし首が離れて体だけでも生きていると実感しているという方はあまりいないのではないでしょうか。
脳死も脳血流が停止した段階を脳死とすれば、これと似たような状態と考えることもできます。
結局、脳死の状態でもほとんどの症例で血流はなくなります。少し待てば、少しあった血流もなくなります。ということは、脳の中で浮腫が起こって脳細胞が死に絶えて、その結果血液が行かなくなります。行かなくなった以上、この血液が行かない脳が再生するということは全くあり得ない。これは首が離れた状態と一緒です。このようにして、脳血流測定ということをして脳死を理解すれば、私は脳死に対する理解が深まるのではないかと思っています。立花隆さんが前回の脳死、臓器移植法案ができる時に、かなり主張されたことの一つでもあります。
脳血流の測定方法でありますが、ここに示しましたのが主にアメリカで行われている脳血流の測定方法です。脳血管造影と申しますのは、動脈に管を入れましてそこから造影剤を打って脳の血管を映し出す方法です。これが一番確実な方法でありますけれども、少し技術的に難しい。それから医師、それから患者の体に対する負担がある。実際に脳血流が認められて「まだ脳死ではない」と判定された場合、このことによって患者の体を危険にさらす可能性がある。そういった意味で脳血管造影に対しては否定的な意見がある方が多いです。
しかし、この脳血管造影に関しても、アメリカの脳外科医に聞きますと10年ほど前はやっていたと言うのです。それはやはり同じように、脳死判定を間違えたくないといった医師たちの気持ちによるものです。
頭蓋内ドップラー検査というのは、比較的最近の検査でありまして、特に頭蓋骨の軟らかい子どもの場合は、頭の中の血流がドップラー検査と言う超音波、お産のときに赤ちゃんを見るあの検査と同じです。あの検査で見ることができます。今は、これもかなり確実な方法と言われていますが、私自身はあまりなじみのない検査ですので、説明を省略させていただきます。

脳血流シンチグラフィー、これが今アメリカで一番たくさん行われている方法です。結局、脳の血管、血流を映し出す薬を静脈に注射して、その結果脳の中に血液が行くかどうかを見るという方法です。アメリカでは、これをベッドサイドで行う機械もあります。ですから非常に簡便にできて、精度も非常に良いので、この方法が用いられることが多く、先程申しましたように小児の脳死判定の場合はこれが用いられているケースが非常に多いのです。私は脳死の判定は致しませんけれども、私が実際に臓器を取りに行く場合に、どのような脳死判定がされたかをチェックします。そのときに、この方法で血流が測定されていることは、小児のドナーでは非常に多くあります。
上に示したのが実際の脳血流シンチの写真です。左側が正常な脳です。これが頭の形だというのがお分かりになりますでしょうか。これが頭ですね。頭の中には当然脳味噌があって、そこにこういう細かい血管のネットワークがあるわけです。真ん中に大きな血が入る所があります。脳死の患者さんの場合は、このように中が全く空洞になってしまうわけです。このように血流が止まってしまったという段階であれば、これから先にどんな治療、低体温療法であれ、何の療法であれ、これによって脳が再生するという可能性はありません。
もちろん、血流が止まったイコールすぐ脳細胞が死ぬわけではないので、そこを誤解いただきたくないのですが、脳死の場合はほとんどの症例で脳死が先に起こります。脳の細胞が死ぬことによって血流が止まりますので、「血流が止まった段階で、もう脳の細胞は不可逆的に死んでいると思ってまず間違いがない」というように言われています。
さて、最後になります。移植医療への理解を深めるためにということで、今までの話をまとめます。脳死への理解はどうしても避けては通れないところではないかと思います。私の言ったことがいいのか、そうではないのがいいのか、しかし、またもう1回、脳死への理解を深める方法を洗い直す必要があるかもしれません。
臓器移植の魅力ということ。これは一番大切なことだと思います。臓器移植で良くなる人がいる、臓器移植で助かる人がいる、そういうことを見て初めてドナーになろうという人たちが生まれてくるわけですから、やはりそこのところを非常に大事に、特にこれはマスコミ、報道関係の方、ここにどれだけおられるか分かりませんが、何とかそういったことも取り上げていただきたい。どうしても日本の報道は、脳死のドナー判定、脳死の問題、そちらに偏っているところが少しあると思うのです。もちろん、先程河野先生がおっしゃられたように、あまり安易に「何でもいいのだ。生体肝移植がいいのだ」と言ってはいけないということもあるのですが、一方で、先程のオリンピックの選手のような方、そこまでではなくても、非常に元気になった方は日本人の中にもたくさんおられます。そういう方がもう少し報道されていく必要があるのではないでしょうか。
それから最後ですけれども、移植で救われた人々の役割。ここにドナー、移植を受けられた方がたくさんおられると思うのです。若林さんのように活動している方、ほかにも個人的に活動されている方もおられると思います。移植で助かった人、そういう人たちがあとの人たちに道を付けるために、それに役に立てるように何かをするということは大事なことだと思います。
最後に一つだけ、アメリカで私の知っている若い女性の例を挙げます。この方はトリーンさんと言う方で、1981年生まれですから、20数歳の方です。

この方は2歳の時点で、既に末期の肝硬変という診断を受けています。少し小さいのですけれど、この子です。このおなかがぽこんと膨れて、顔全体が黄色くなっている、この子です。この状態でも、まだ1983年ですから、アメリカでも移植への理解はあまりありません。ですから、その当時の担当医者には「あと数ヶ月の命だ」と宣告されました。

鈴木さんと同じように、この方のご両親も非常に頑張ってアメリカ中を探し歩きます。その結果として移植をしてくれる施設が見つかるのです。しかし、当時は、肝臓は切って分割移植するということは行われていませんでした。ですからどうしても同じサイズの合うドナーが必要だったのです。アメリカでもその当時は、小児のドナーというのはなかなか出るものではありませんでした。ですから、ご両親は、小児のドナーに対する活動をします。テレビ局に掛け合ってテレビに出演して、小児のドナーの必要性を訴える。トリーンさん自身も実際にテレビに出演したということです。
そのようなかいがありまして、トリーンは肝臓移植を受けます。この場合の脳死のドナー提供者は、テレビで彼女の報道を見た人だったそうです。

移植の経過は順調で5歳、それから少し大きくなって高校生になります。このときに、私が彼女と出会ったのでありますけれども、高校生になった彼女は地元の高校を回って、そこで移植の理解を深めるために講演会をやります。彼女は講演をやって、その最にドナーカードを配り、ドナーカードに記入してもらう活動をしました。同時に教育ビデオも作製して、その教育ビデオの作製の時に私の所にいらっしゃったのが、最初に出会ったきっかけです。
こういったことは、もちろんやっておられる方もおられるかもしれません。しかし、日本では、どちらかというと、何かほかと違うことをすると少し白い目で見られるというか、難しい目で見られるというところがあって、移植を受けられた方も、まだなかなか積極的に表に出にくいというところもあるかもしれません。しかし、河野さんも移植を受けられたわけですし、これから先、移植を受けられた方は、少しずつこういうこと、草の根の活動でもやって、今後の移植への理解を深める努力をされてみてはどうでしょうか。どうもご清聴ありがとうございました。(拍手)
加藤先生、どうもありがとうございました。私も含めてこの会場には、マイアミで加藤先生にお世話になりながら移植を受けた患者さんがいらっしゃっていると思います。マイアミは、私が行った1998年は、肝臓で200例以上の移植がある所で、非常に忙しい施設です。そうした施設に1995年から7年間にわたってアメリカにいらっしゃって、実際に臨床に関われてこられた経験に基づいてお話をしてくださいました。また、脳死をめぐる問題についての話は移植医の先生としてはなかなか語りにくいテーマかと存じますが、はっきりと非常に分かりやすくお話しいただきまして本当にありがとうございました。
「時間の経つのを忘れて」と言っておりました通り、もう既に16時を回っておりますので、いったんここで15分間の休憩をいただきます。お茶とお菓子をご用意させていただいておりますので、どうぞおくつろぎいただければ幸いです。(第一部終了)

若林 それでは後半のパネルディスカッションを始めたいと思います。皆様、たくさんご質問をいただきましてありがとうございます。30分ほど時間を延長して5時半まで進めたいと思いますけれども、すべての質問にお答えできないかもしれません。どうかご容赦ください。
河野さんのご予定が5時までということでしたので、まずは河野太郎さんへの質問から行きたいと思います。
若林 「避けては通れない経済問題があると思います。保険請求を伴っている疾患が少ないので、患者さんにかかる治療費、時間外は無給が当たり前となっている移植外科医の待遇、ほとんどボランティア的待遇のレシピエントコーディネーター。患者さんの希望にも応えたいのですが、職業として確立しないと医療スタッフが長期に勤務することも難しく、移植医療は困難な側面ばかりのように思えます。恣意的な案にならないようにするために、政策として何かあるのでしょうか」というご質問なのですけれども、河野さんいかがでしょうか。
河野 本当に医療の費用負担の問題というのは非常に難しくて、この話を聞けば、C型肝炎にしろB型肝炎にしろ移植の適用にしようではないかとなるのですが、一方で保険財政を考えたときに、保険財政がパンクしてもいけないという議論の中で、どこで整合性を採るかというのは一概に言えないのが現状です。
ただ、問題があるのは、医療費の総額が30兆とか何十兆とか言われていますけれども、それではそれをどう割るのだという決め方が今は非常に不透明になってきているのかなという気がしています。もう少しはっきり、プライオリティーをこういうように付けますという議論をして、もう少し具体的な細かい作業に入らなければいけないのかなと。どうも最後に自民党とどっかの政治折衝があって、それで、えいやで決まっているというのは、そろそろ止めなければいけないかなと思います。そこから先のことは、私もいろいろと考えておりますが、なかなか具体的なものは今のところ見えてきてない。
先程も薬の話でお話しいただきましたけれども、本当にそういう細かい話、解決への道筋が今のところないのが、正確なところだと思います。
若林 ありがとうございます。今のご質問に関連した意見として、「治療中は保険適用されているのにもかかわらず、移植という最後の治療になって保険が適用されない現状というのが腑に落ちない感じが致します。なぜ移植には保険が適用されていないのか、本当の理由が知りたい。そして病院によって差があるのが現状です。どうして、こうした差があるのか疑問です」というご意見もありました。
若林 他にもたくさん質問があるのですけれども、これはご意見というか、私も言われたらどうしましょうという感じがあります。「河野先生は臓器提供の際に、お父様であるレシピエントに対して今後の生き方に注文を付けられていたように思いますが、本来無償の行為であるべきだと思いますが、いかがでしょうか」というご質問ですけれども、どうお答えになりますでしょうか(笑)。
河野 この際注文を付けるだけ付けてやろうと思ったのですが、何にも受け入れられませんでした。「辞めろ」と言ったことだけが広く報道されてしまったのですが、私の本音を言うと、正直言ってこんなに元気になるとは思ってなかったのです。何とか、片肺飛行みたいな形で死なないでいけばいいかなと、せっかく肝臓をあげて死なないで済んでいるのに、それをばかな党内抗争で死なないでくれというのが本意で、ここまで元気になられてしまうと、あまり辞めろといってもどうせ聞かないだろうなと。それ以外いろいろな注文を付けたのですけれども、もう一切、「もらったものは俺のものだ」という感じでシカトされております。
若林 ありがとうございます。ユーモアのあるお答えをありがとうございます。
若林 次の質問にいきたいと思います。個人的なご意見だと思いますけれども、「脳死下での提供意思表示、いわゆるドナーカードは非常にプライベートなことと考えますので、免許証はともかく、受診時に他人が見る健康保険証への表示は絶対に止めてほしい」というご意見があったのですが、これについて皆さんはどのようにお考えになりますでしょか。まず河野先生からお願い致します。
河野 最終的には、どなたかが脳死になった状況で、「この人の意思はどうなのだ」ということをできればご家族、そうでなければだれかが確認をしなければいけないわけですから、免許証なり保険証なりに意思の表示があるというのは、大事なことなのではないかなと思っております。
ただ、そういう表示があると、いざというときに脳死にされてしまうのではないかというような不安があるとやはりいけないのかなと思いますし、プライベートだから表示をしてはいけないという気持ちも何となく分かりますが、脳死の移植を増やさなければいけないときの手段として、保険証と免許証というのは普段かなりの人が身に着けている公的な文書なわけですから、私はやったほうがいいのではないかと思っております。
若林 加藤先生、アメリカで実際にいろいろな方に会われていて、この辺のことはいかがでしょうか。
加藤 アメリカの場合は、実際は本人の意思がなくても遺族の意思で提供はできますので、実際はドナーカードがそれほど普及していないのです。ですから、そういう意味では難しいのですが、免許を更新する際に提供するかしないかということは聞かれます。それに答えなくてもいいのですけれど、必ず答えを留保することができるのです。実際には、免許に入れることにプライバシーの問題があるとお考えの方は、おそらくあまりいないのではないかと思いますが。
若林 今のご質問に関連して、加藤先生にご質問が来ているのですけれども、「現在の意思表示カードでは臓器提供したいのに書類の不備により提供できず、臓器提供の意思を酌み取れないという意見があります。ドナーカードの普及をしていく上で反対意思表示方式に変更していったほうがいいか、それとも現在のまま普及に努めているほうがいいか、加藤先生のご経験からご意見をお聞かせ願います」ということですけれども。
加藤 これは非常に大きな問題です。反対をしない限りは取ってしまうという方法を採っている国はあるのです。欧米にはあります。最近では確かイタリアだったと思うのですが、脳死になった時点で本人の意思も何も関係ない。脳死になった時点で臓器は国の持ち物になるという法律が確か通った所があったと思います。
その辺は臓器移植、脳死をどう考えるかという気持ちにかかわりますので、それは臓器を増やすためにはそのほうがいいのでしょうけれども、すぐに日本がそういうかたちに一足飛びにいけるとは私は思いません。やはり、先程も言いましたけれども、脳死に対する理解を進める努力が先に進まなければいけないのではないかなという気は致します。
若林 この辺について武藤さんは何か倫理的な、あるいは社会学的な観点からご意見がございますか。
武藤 少し実務的な話なのですけれども、私が2000年から2001年にかけてアメリカにいましたときに、私の州では免許を持っていない方も免許証を発行する機関に行って免許証のようなカードを出してもらっていました。それが皆さんのID(身分証明書)になっていたのです。そのIDには、ドナーになるかどうかの意思の表示欄というのがありまして、それに記入して全員持っている。
先程のご質問は、きっと保険証というのは医事課の方も見ますし、看護婦も見ますし、それで嫌だということで、免許証は多分、警官と自分以外は見ないのではないかということで、そちらの方がよりプライバシーは保たれるかなということをおっしゃりたかったのかなと思ったのです。私もどちらかと言えば免許証の方がいい。ただ、私のようにゴールドカードを持っていない人間というのは、しょっちゅう免許を更新してそのたびに意思を変えるということができるかもしれませんが、ゴールドをお持ちの方は基本的に10年間は免許証を書き換えに行きませんよね。そういう10年間の意思というものを、変えたくなったときにどうするかということについて、具体的な解決の仕方があるのだろうかという気はしております。すいません、倫理的ではなくて。
若林 倫理的な話はまたあとで、ご質問がたくさん来ていますので、お伺いしたいと思います。
今度は河野先生、加藤先生へのご質問ということですが、「現在の臓器移植法は重度心臓病の赤ちゃんに対して死になさい、それが嫌なら自費で脳死を認める外国で心臓をもらってきなさいという法律です。世界に例がありません。なぜ見直しがなされないのかお考えを伺いたいと思います」ということですが、なかなか難しいかもしれませんけれど河野先生、いかがでしょうか。
河野 おっしゃる通りの法案です。それで、年限を切ってこれは見直すということになっていたのですが、実は見直しの作業が遅れています。今、党内で作業をしておりまして、来年の通常国会に見直しの改正案を出すつもりで、つもりでというか、おそらく出てくるようになると思います。いくつかイシューがありまして、脳死の場合の提供先の指定をどうするか、それから子どもに対して臓器提供を認めるか、要するに子どもの脳死を認めるか、それから指定病院が限られていて指定病院外の場合の脳死提供はできない、それをどうするのか。いろいろと、要件をできる方向に緩和しようという声と、あまり急激にやって脳死移植そのものの信頼性がなくなってもいけないという声と両方がございます。
それで子どもの場合には、確か要件があって、一つは竹内基準で脳死の判定をしたときに、国内ではないのかもしれませんけれども、海外で脳死と判定されて、よく分かりませんが水底か何かでおぼれたケースではなかったかと思いますが、脳死判定をされた子どもが脳死ではなかったのかもしれませんが、復活したという例があるので、子どもは脳死に対して非常に抵抗力が強い、それである程度のところで線を切らなければいけない。
もう一つは民法の遺言の能力が15歳ぐらいから下は認められていないので、その意思表示が法律的には認められないのではないかという二つの理由で子どもの臓器提供を切っております。先程の加藤先生のスライドの通りで、では親が判断をするのか。それから竹内基準プラス子どもの脳死判定は別の基準を設けて、不可逆性を担保するかという二つのイシューに今はなっています。
若林 加藤先生お願いします。
加藤 河野さんからお話があった通りだと思うのです。私も実際にそういう患者の家族を知っておりますので、これは本当に切実な問題です。日本に生まれてきたがために、同じ医療先進国でありながらアメリカでできることが日本できないというのは本当につらい問題で、特に今のこれだけ情報が行き交う時代にとっては本当につらい問題。早く動いてほしいとは思うのですが、見切り発車で納得できないことを進めてしまうと、結果的にそれがマイナスになるということもあるわけです。そこは十分な検討を積なければいけないと思うのですが、ただ一つ私が思うのは、その改定案が改定、見直しが決まっていたのに見直しが出されなかったということが・・・。議員さんの間では、あまり徳にならない、損にもならないといった法案ですので、どうしてもそこに議論がいかないということがあるのではないでしょうか。
しかし、議論が議員の間でいかないからといって、私たち民間の人間が話し合ってはいけないわけではないです。ですから、そういうことを進めていけばいいのではないかと思うのです。
NHKの「インターネット・ディベート」と言う番組がありますが、先月そこでそういった問題が取り上げられていました。私はまだまだいろいろな意味での誤解に満ちあふれた内容だったような気がしました。それはそのNHKの側というわけではなくて、そこに出された意見ですけれども。しかし、そういったことがこれからたくさん行われていく必要があると思うのです。それぐらい切実な問題ですから、何も国会で議論されるのを待たなくても、どんどんそういう草の根の議論、トリオはそういう活動をしていると思うのですが、そういう活動を先に進めていっていただきたいと思います。
若林 子どもの意思表示について、患者会でいろいろなお母さんのお話を伺ってきたと思うのですけれど、鈴木さん、ご経験の中から子どもの意思表示ということについて何かありますでしょうか。
鈴木 「意思表示能力」ということで子どもの年齢が線引きされてしまうのですが、特に病気の体験を持っているお子さんたちというのは、おそらく世間一般で言われている年齢のお子さんが考えているよりも、自分が生きること、人が死ぬということを大変深く理解しています。ですからこの小児の臓器提供に関することは、もちろんそういうチャンスがいただけるのであれば、私はそれを支えたいという気持ちがありますが、それ以前に「みんなが自分の命がどこから来てその先どこへ行くのだろう」ということをもっと考えてからでないと、ただ「提供を増やすには」という前提でいつもお話が進んでいくということを非常に胸が痛く感じています。
ですから、意思表示に関してはきちんときっかけがあって話をする機会があれば、むしろ子どもたちの方が、命は自分のコントロールの利かないものであって、非常に不思議な力で自分が生かされているのだということを本当に純粋に体と心で理解しています。むしろ大人の方がいろいろな理屈を付けて、いろんな欲得で物事を考えて法律を作ろうとしたり、それを実行しようとしている感じがします。
私の子どもは15歳で亡くなりましたけれども、もちろん臓器提供には賛成しておりましたし、自分の言葉で、「あの時亡くなった誰々ちゃんの代わりに誰かかが生きてくれるかもしれない」ということをはっきり言っておりました。しかも、一言で、人の命が失われるということがどれほど切なくて大変なことかということも言っておりましたので、年齢とか遺言規定とかそういうことだけで大人が議論するということに対しては大変胸の痛い思いをしております。
若林 武藤さんもこのことについてご意見をお願いします。
武藤 私も子どもだから何歳以下だから、例えば臓器の場合は何歳、遺伝子解析の場合は何歳などと、いろんな行政が作っているルールによってお子さんの自発的な意思を認める年齢がばらばらになっていて、とにかく年齢で線を引こうと決まっていることにはすごく腹立たしい感じがします。
何年か前のトリオのこのセミナーで、聖路加の細谷さんが小児がんの方の話をなさっていました。私はあの時に来させていただいて、細谷さんがその小児がんのお子さんたちにもしっかりその病気の意味とか生きる意味とか死ということの存在を子どもにも分かる言葉で、いろんな手段で伝えていらっしゃるというお話を聞いて非常に納得しました。
私が知っている病気のお子さんたちも本当によく腹をくくっている。むしろ周りにいる親とか先生たちがそれに耐え切れない、その状態を見るに忍びないというかたちもあります。できる限りいろんなことをいろんな言語のかたち、いろんなコミュニケーションの手段を用いて、小さいうちからいっぱいお話ししていけるといいのではないかという気がします。
若林 ありがとうございます。細谷先生のお話につきましては第7回の「いのちを見つめる」というセミナーの中にお話が出てきますけれど、「忘れられない贈り物」という絵本を使って、小児がんでもう治療手段がなくてあとがないという状況で、ご兄弟に兄弟がいなくなるということをきちんと一つ一つ説明されるというお話をしてくださいました。
トリオ・ジャパンの活動の中でも、病気のお子さんが、例えば、ドイツで心臓移植を受けるといった場合に、お子さん自身に移植の説明がなされていないことがよくありますので、できるだけ先生とかご両親にお話をしてもらうのですけれども、なかなか難しい場合にトリオの荒波さんがお話をするといったこともあります。やはり、子ども自身も自分の病気は年齢以上に死というものに直面していますし、私自身もそうですけれども、本当にそこまで行くと分かる感じがするというのはあると思うのです。やはり、子どもに対してどういうふうに説明するかということに関しても、法律で何歳という議論ではなくてもう少し建設的な議論ができないかと思っています。
若林 それでは次のご質問にいきたいと思います。河野さんのお時間がなくなってまいりましたけれども、「日本臓器移植ネットワークに脳死の移植の登録をしたくても、登録できる病院とできない病院があるのはおかしい。ずっとかかっていて親しく、信頼関係のある地元の病院と、移植のできる大学病院の医師同士の付き合いがないと、連絡が行き届かずに時間ばかりが経過して、死に直面している患者は置いてきぼりにされて、病院同士の不協力ばかりが残る。大学病院の手続きが済んでも、日本肝臓移植学会の判定が月1回で、のろのろして時間ばかり経過して、死に直面している患者の残り時間ばかりが少なくなってネットワークに登録するまで長い長い時間がかかる。ドナーも出ないけれども受け入れるネットワークのほうの体制作りもできていない」ということでしたけれども、何かご意見をお願い致します。
河野 すみません。私は脳死のネットワークの登録については全く知識がないものですから、ここでお答えをするのは適切ではないと思います。実は地元で登録の仕方がおかしいという話は伺ったことがあるものですから、今、具体的にどうやっているという資料をもらおうと思って申請はしているのですけれども、まだ中身を見ていないものですから、すみません、ここでお答えするのは適切ではないかなと。
若林 この辺の事情について加藤先生は耳にはされていますでしょうか。
加藤 その最後の点ですけれども、実際に肝臓移植の検討会を通るのに時間がかかるという話はかなり最近改善されたはずです。私の知っている限りでは、もう数日で答えが返るようになっているはずです。それ以前、登録までの時間かかかるという点は、これは制度の問題だけではなくて、日本全体の医療機関のコミュニケーションの問題というところがありますので、そこを改善しなければいけないというところがあります。情報開示も含めて日本ではそういうことがあまり進んでいません。
私はアメリカで医者をやっていますので、「カルテを見せろ」と言われてそれに対する抵抗は全くありません。カルテを書いていないから見せたくないという気持ちがあることもありますが、実際は書いてないカルテでも見せてしまうしかないのがアメリカのやり方です。患者も患者で書いてないということも知っていて見ますので、案外それほど問題は起こらないです。それと同じように、アメリカでは実際に直接患者が医者に電話をしてきます。そういった間の手間がアメリカもかなりかかるんです。ほかの人任せにしていられない場合は直接医師に電話ができるということがあります。
日本ではまだ一般的ではないのですけれども、病院によっては、ウェブページを持っている所があると思うのですが、それぞれの医療機関、移植機関のウェブページを引いていただければ、おそらくEメールで直接医者とコミュニケーションをすることができるはずです。そういったことを利用されればそういった問題はだいぶ解消できるのではないかと思います。
若林 ありがとうございました。電子メールの公開されている病院もだいぶ増えてはきたのですが、やはり病院によって、個人の先生によってすぐにお返事をくれる先生と「返事が来ないのだけれども」と言ってこちらに相談に来られる方といらっしゃいまして、なかなか厳しいのが現状です。それでは5時になってしまいました。河野太郎さん、まだまだ先程の講演の中で言い残されたことがたくさんあるのではないかと思いますが、今日の感想も含めてお話いただけますでしょうか。
河野 私も今日はいろいろと勉強をさせていただきまして、本当にありがとうございました。今の話ですが、15歳未満のお子さんの脳死移植をどうやるかという中に、「子どもの意思を」というのは実は僕は全く考えたこともなくて、子どもだから親が代わりにやらなければいけないだろうと思っていたものですから、「子どもにだってそういう意思があれば登録できるじゃないか」と言われて「それはそうだな」と。本当に全員ができるかどうかは分かりませんけれども、第3の道というのがあるかなと思いました。少しその辺はまじめに研究しなければいけないと思っています。
いずれにしろ、この数ヶ月で法案の改正案を作っていかないと、来年の通常国会に間に合わない。日本の国会というのは国会に出した後に変えることはなかなかできないという変な仕組みなものですから、もしご意見がありましたら、私の電子メールのアドレス、若林さんご存じですよね。そちらの方にお願い致します。
若林 河野さんのプロフィールにホームページのアドレスを掲載しておきました。
河野 ホームページにアクセスしていただければ、私のメールアドレスが書いてありますので、何かありましたら遠慮なくメールを送っていただければ、1件ずつ全部お答えできるかどうかちょっと自信がありませんけれども、少なくても皆さんの声だけはきちんと受け止めさせていただいて、ホームページに回答だけは載せるようにしたいと思いますので、何かありましたらよろしくお願い致します。
若林 河野さんが書かれているエッセーもなかなか面白いので、是非ご覧ください。「ごまめの歯ぎしり」と言うタイトルで書かれています。政務官日記などとても面白いです。河野さん、本日はお忙しい中、本当にありがとうございました。どうもありがとうございました。皆さん、拍手でお送りください。(拍手)
若林 河野太郎さんがお帰りになったところで、倫理委員会に関する質問が10枚ぐらいございます。武藤先生へのご質問ということで、「倫理委員会で議論されている内容の具体例を知りたい。患者や受け持ち医はどれだけかかわれるのか。患者や家族は参加できるのか」というかなり具体的な質問ですけれども、よろしくお願い致します。
武藤 それは倫理委員会によって全くばらばらです。一番オープンな倫理委員会は傍聴OKというところがあって、事務局に申し込みをすればその月に開催される倫理委員会を傍聴することができます。ただ、そこで意見を申し述べるというのはできないと思いますが、どういう議論があるのか、どういう案件が挙げられているのかということは聞くことができます。
ただ、そういうことをやっている委員会は非常にまれで、よくあるのは、委員以外はもちろん中には入れませんし、どういう議論があったのかということがあとで公開されるということも、実は情けないことですがあまりなくて、ホームページで抜粋した内容を報告している所もあれば、事務局に問い合わせて情報公開をわざわざ申し入れて2ヶ月ぐらい議論された末に紙が上がってくるということもありますので、それは全くばらばらというのが現状です。
若林 なんとも言いがたい現状ですね。どのような議論がなされるのかということについて、具体例を挙げることはできますでしょうか。
武藤 この中には委員をされていて詳しい方もいらっしゃると思うのですけれども、私が見知っているものでは、例えばすごく大規模な、住民の方を対象にして住民の方の血液とアンケート調査と使って研究をしたいということについて、住民の人数がとても多いものがあります。健康診断で使われている血液を使うので血液は手元にあるといった状態で改めて同意をいただかなければならないだろうか否かというもの。
それから、非常に遺伝性の強い病気の遺伝子を調べたい。それで、既にその病気で亡くなられている方の解剖のときにその方の血液をいただいてその遺伝子を持っている家系であるかどうかということを調べたい。その結果をご遺族に告知するかどうかといったことです。
私が倫理委員会で少しお手伝いをしている北里大学は倫理委員会が3つありまして、Aと言われている委員会では社会的にも非常に大きな問題、これはわれわれだけでは解決できない、広く議論しなくてはいけないということを扱っています。Bというところでは医学研究の審査をしていまして、Cというところでは臨床上の判断に困ったものについて病院の中で主にやっている。そういうふうに役割を変えている委員会というのはあまりなくて、大体一つの委員会とプラス遺伝子解析研究に関する委員会、それからES細胞を使った研究に関する委員会というのが普通のパターンではないかと思います。
若林 ありがとうございます。今のことに関連して「欧米の倫理委員会で被験者や患者、家族が参加しているのでしょうか。あるいは希望すれば参加できるのでしょうか」という質問なのですけれども。
武藤 参加というのは委員として参加ということでしょうか。
若林 その辺も含めてご説明いただければと思います。
武藤 傍聴に関してはその委員会ごとに違うと思います。私が留学していた先の大学の倫理委員会は非常に日本の委員会と似ていまして、傍聴するのに何枚も書類を書いて届け出が必要でした。委員会の方針によっては必ず患者団体の代表の方を入れる、障害者団体を入れると内規で決めている所もありまして、そういうところであれば定期的に当事者団体の方が何人も入られるということはあります。
若林 もう一つ、実際の患者とかかかわる方が、先程の鈴木さんのお話にもあったように、自分の意見を申し述べるといったことをできる機会はあるのでしょうか。
武藤 残念ながらほとんどないと思います。
若林 欧米でもないということですね。私自身も東大の1例目でしたので、病状自体はもっと早く移植をしてもよかったのではないかと今になっては思うのですが、東大のほうに移ってからよくよく聞いてみると倫理委員会で、何とか委員会でいろんな委員会とか行政の認可とかいろいろあって止まっているということで、随分待っていた覚えがあります。
引き続き、倫理委員会シリーズを続けていきたいと思います。「日本の大学における倫理委員会は、なぜ形式だけのもので、本当の意味での社会全体を見ていく専門家の集まりでなければいけないのに、なかなかそれぞれの法律とか社会学とかいろいろな専門家が医学とつながっていかないのか」ということなのですけれども、先程の講演の中でも、海外でもいろいろ倫理委員会は難しいというお話でしたけれども、もう少し具体的に、もし例などありましたら説明していただけますでしょうか。
武藤 伝統的に日本の大学の医学部とそれ以外の学部はほとんど交流がないというのが現状だと思います。皆さんご存じの大学を想像していただくと、せっかく総合大学なのに医学部だけ別のキャンパスでそれ以外の学部が一つの場所に集まっていてほとんど交流がないということがよくあると思います。
学生時代に体制としてそういう関係になってしまったものが、今度は病院あるいはそれぞれの職場、文科系、理科系の人が就職する職場となったときになかなか交流する機会がありません。日本で社会学あるいは経済学といった分野が医療や医学を対象にして研究をしたいと思っても、もちろん社会学、経済学、人文社会科学系の人間の怠慢もかなりあるのですが、なかなか医療の現場に足を踏み入れさせてもらえない。どういうふうに協力していろんなことを考えていけばという土壌が全然できてこなかったということがあります。
それゆえに、私自身文科系の出身で、今、周りにたくさんの医学部の関係の方とお知り合いになれていろいろと一緒にディスカッションする機会があることを非常にうれしく思っていますけれども、最初はとても難しかったです。医師ではない人間がなぜ病院とか医療に口を出してくるのだという雰囲気がもっと濃厚にありましたので、本当に機会がありませんでした。それゆえに、今でも大学医学部倫理委員会は医学部出身の方だけで組織されているという所がまだまだあります。だんだん変わってきていると思いますけれども、そういった根深いものがあるのではないかという気がしています。
若林 元々歴史的なものもかなり大きいということでしょうね。
加藤先生は日本では薬学部を出られてから医学部に行かれて、阪大で勉強されて研修されて、それからアメリカに行かれたということですけれども、日本とアメリカを比較して何かご意見ございますでしょうか。
加藤 アメリカも倫理委員会、特にIRB、先程の話にあったIRBという実際の臨床研究を審査する機関というのは、かなり医師に偏った機関ですし、IRBの機能というのが非常にいろいろ問題視されています。
その一つは、あまりに仕事がきつすぎるのです。例えば、マイアミ大学のIRBは月に大体100例以上の臨床研究を審査します。それに対応する委員は一月に20時間から30時間ぐらいを使わないといけないのです。しかし、それに対して先程のUCLAのようにお金を出す制度がマイアミにはまだありませんので、そういったことをした方がいいのではないかという話があります。数が増えますとどうしても業務上の、事務的な問題というのが一つあるのです。しかし、本当の意味での倫理のことと臨床研究をどう扱うかということはもしかしたら少し区別したほうがいいのかもしれないと思うのです。
ですから、大学によって日本でもいろんな下部組織ができていたりとか、また別の組織ができていたりする問題があるのですが、非常に大きな倫理的な問題、どう見ても医者だけでは扱いきれない問題、比較的医者だけで扱ってもいいのではないかと思われる問題、その中間ぐらいの問題、そういうのを三つぐらいの構成で組織するとだいぶ話が変わってくるのではないかと思います。
武藤 ちょっといいですか。先程上げたUCLAとか一部の大学ではそういった倫理委員会を医学部だけが対象ではなくて、人文社会科学系で皆様にインタビューしたりとかアンケート調査をしたりといった調査研究全部をその対象にしているところもあります。UCLAは先程ちらっと出しましたけれども、医学系のことを扱う倫理委員会とそれから人文社会科学、人類学、行動科学、看護学といった分野の研究についても審査する組織ができています。私は医学部の方だけを槍玉に上げるというのは非常のアンフェアだと思っています。
例えば、鈴木さんのようなご遺族の方にインタビューをすること仮に考えたとします。鈴木さんのいろんなおつらい経験とかいろんな葛藤をその場で思い出させて語らせてしまうという、見方によっては非倫理的なことをして、「倫理的な調査」と銘打って非常に裏腹なかたちで進めなくてはいけない。そういうことを研究者はいつも自覚して、それでもどうしても意義があると思えば倫理委員会に申請をして、こういう事情でこういう配慮をしたうえでこういう目的でやりたいということを言うべきだと思っているのです。先程、日本の倫理委員会はひどいという話をしましたけれども、人文社会科学系の研究者は全くそういうことに関心すら持っていませんので、その状態も非常にまずいと私は思っています。
どんどんぶちまけてしまいますけれど、実は昨日と今日と「日本社会学会」という学会が大阪大学で行われているのですけれども、そのセッションで「調査に倫理について検討をしよう、アンケート調査、インタビュー調査の倫理性について考えよう」というセッションを計画された方がいらっしゃいました。私は前から非常に問題に思っていたのでいい機会だと思って、「そのセッションを是非お手伝いしたい」と申し入れましたら、ちょうどこのトリオの今日の会に来ませんかとお誘いをいただいたころに、「不成立になったので調査倫理の会はやりません」というお返事を学会からいただきました。不成立になったというのは、関心がある人がほとんどいなかったからということです。
アンケート調査であればいくらでもやっていい。でも、人の体にメスを入れることは非常にいくつも手続きを踏んでやらなくちゃいけない、というこのギャップは、確かに命にかかわる問題ですので多少傾斜は必要だと思います。しかし、精神的に非常に嫌な思いをさせてしまうようなことは、インタビューの場合はたくさんあると思っていますので、そういったことが軽視されている人文社会科学系の学会自体の問題も非常に大きいと思います。
若林 私も人文社会系にいますので少し耳が痛いところですが、しかし周りの無関心はやはりひどいものがありまして、心理をやっている人の中でも医療のことに興味がある人はあるけれども、関係ない人は「夢を分析しよう」とか言っていまして、あまりに関係のない世界に住んでいるという感じがして、もう少し現実に興味を持ってくれればいいなと思っています。先程のご講演の中で、鈴木さんのお話の中で最後に調査の重要性ということをおっしゃっておられましたけれども、今のお話に関連してお話しいただけますでしょうか。
鈴木 あの話を出した一番のきっかけは、生体肝移植の医療の対象が非常に早いスピードで拡大をされたことによって、特に成人同士の移植の場合ですけれども、ドナーになられる方が急激に増えて、なおかつ肝臓の右側という大きい部分を切り取るがための合併症が非常に増えてきているということです。
現実を広く伝えるといっても、現実には一方的な数字による調査で、しかも、医療施設が担当されたお医者さんにだけ聞く調査なのです。なぜか日本では患者とか家族を亡くした人というのは、その時点で別の人種になったような扱いを医療の世界では受けてしまいまして、一言聞けば泣き出すのではないかと思われるような、過剰に配慮してくださっているのですが、正直私からするとそれは配慮ではなくて差別だと思っているぐらいのところがあります。
全数による調査というのが必要な場合と、そこまでしなくてもいい場合があると思いますが、本当にそこで起こっていること、次にその医療を受けようをと切羽詰まった人がいるのが分かっているのに、形の上だけの紙だけの調査というのは全く意味がないと考えています。もちろん聞かれたら嫌だという人はいらっしゃるでしょうし、もう悲しい経験を思い出したくないという人はたくさんいらっしゃると思いますが、悲しい経験をしないで一生過ごせる人はいらっしゃらないと思います。
先程も子どもというのは自分の命がどこから来てどこかへ行くということを理解していると申し上げましたが、大人はあまりにもそういうことを理解していないと思います。生きるということだけが大切で、意味があって素晴らしいというムードが、医療の中に、現場にもありますし、一般の社会の中にも少しあるような気がします。ですから、今日こういう場に出させていただいたことの理由の一つも、子どもを亡くすという経験をすれば多分悲しくて何も話してくれないのではないかと皆さん思われるかもしれませんが、そういうことではなくて、自分の体験をいい悪いにかかわらず提示をして、そしてそこをいろんな分野の専門家の方に分析をしていただいた上で次に生かすということがどうしても必要なのではないかと思います。
医療に起こることは医療者の分析だけに頼っていたのではこれからは絶対立ち行かないし、特に移植、脳死の問題も含めて医師の方がどうということではなくて、やはり見える分野というのがそれぞれに違いますので、ぜひいろいろな方を入れて、「人文社会科学系はそういうことに無関心だ」と今おっしゃられましたけれど、みんな生きた肉体を持って心を持っている人であることには変わりはないですから、専門家の方も是非関心を持っていただいて、そして体験者・当事者であるわれわれもそこに材料を提供するんだという気持ちが両方にないと本当の意味での改善も望めないと思いますし、いつまで経っても施設にアンケート用紙が配られて生存率、何とか率という数字だけが残っていくことになると思います。
先程、河野さんが「85%の生存率で15%しか死なないから大丈夫だ」とおっしゃられたお気持ち大変よく分かりますが、1人の人間の体の中で85%が生きていて15%が死んでいるという人は絶対にいないわけで、そういう数字の魔力というのも私は痛感しております。是非広い分野の方々がいろいろな関心を持って、調査には取り組んでほしいと思います。
ただし、武藤さんもおっしゃられましたように、ずかずかと人の心の中に入っていくような調査の仕方というのはやはり控えていただければありがたいと思いますが、できるだけたくさんの直接の声を拾うようなシステムとそれを追求とか糾弾ではなくて適切に評価できる方法をぜひ多くの方が考えていただきたいと思います。
若林 ありがとうございます。私自身、鈴木さんに今回このようなかたちでお話ししていただくのをお願いするのもかなり躊躇があったのですけれども、昨年は千葉大玄さんと相馬尋さんにそれぞれ息子さんの臓器提供のご経験、あるいは奥様の臓器提供のご経験をお話ししていただきました。また、今年はこうして鈴木さんがお話ししてくださったのですけれども、このセミナーにもいろいろな経験をされた方が参加してくださっていると思います。
また、皆さんがこれだけ長時間にわたって熱心に聞いてくださるのはそれだけ関心があるということですから、専門家もこうした現状があるということをきちんと受け止めて研究を進め、それがきちんと現場に還元されるような形にしていかなければならないと思います。
若林 今の話に関連してご意見も含めた質問なのですが、「移植医療は関係する家族に苦渋の選択を迫ります。鈴木さんがおっしゃるように、先端医学というのは戦場の最先端です。このような苦渋の選択を迫られるようなご家族を少しでもバックアップするのも倫理委員会の役割だと思います。しかし、日本の医学部倫理委員会の現状は武藤先生がお話ししてくださった通りです。だとするならば、例えば社会学が皮肉屋で終わらないために現状を具体的に変えていくために行動するにはどうしたらいいですか」というご質問ですが、武藤さん、お願いします。ちなみに健常者、男で教授の倫理委員よりと書いてあります。
武藤 健常者で男の教授の倫理委員の方がいなくなればいいと思っているわけではなくて、そういう方もいらっしゃりそうでない方もたくさんいらっしゃるという場でないといろんなお話は進んでいかないと思います。
倫理委員会での議論というのはかなり知れば知るほど絶望的な気分でいるのですけれども、それはひとえに倫理委員会での議論というのはすごく特別な、倫理という崇高なかたちの決まったものをどう押しいただいて取り扱うかではなくて、今生きている私たちがどういうふうに医療とか医学研究を考えるかということ、それを積み上げていく場であって、それは何も倫理委員会でなくてもいろいろな場所で、こういう場所にいらっしゃっている皆さんなら、日常生活の中できっとされてきたと思うのです。そういう訓練が多分今の倫理委員会には足りていなくて、足りていないのだけれども倫理委員会という箱を与えられてしまったので、その中で何とかやっていくしかないという状況にあるのだと思います。
「社会学は皮肉屋」と自嘲ぎみに言いましたけれども、実際にその通りで皮肉だけ言って規範を壊して、批判だけ言ってそれで立ち去るということを本当に今まで長い間社会学はやってきたと思います。
例えば、鈴木さんのような方にインタビューしていっぱいいろんなことを引き出して、「そうなんだ、大変だったのですね」と聞いてそれで立ち去っていくということやってきて、とても非倫理的だったと思うのです。先程、鈴木さんがおっしゃってくださったように、それをどう次に生かすかという構築というところに対して社会学はこれからいっぱい貢献していかなくてはいけない。
ただ、一方だけのご意見を採り入れるというわけにはいきませんので、社会にあるいろんな立場の方々に目を行き渡らせて、いろんな考え方があるということをお伝えするということが社会学の仕事だと思うので、お伝えしたものをどう生かしていくかという架け橋のところまで責任を持ってやるという責任感がある社会学の人がもっと増えていってほしいと思います。私も時々そういうわなに陥りやすいところが自分でもあると思っていますので、自分でも自覚していきたいと思います。何しろ、先程申し上げたように社会学会で調査倫理のセッションが不成立になるというとても悲しい出来事が二度とないように来年から頑張りたいと思います。
若林 ありがとうございます。私と武藤さんは移植メーリングリストで確か初めて知り合いまして、その後「移植の話を聞かせてほしい」と言って、実際にお会いしてお話を伺ったのですけれども、実は個人的には社会学というのはあまり好きではない。武藤さんがおっしゃる通り「皮肉は言うのだけれども、現実は何も変えてくれていないじゃないか」というのは勉強していて思ったのですけれども、武藤さんみたいな方もいらっしゃると思って読ませていただいて、これからぜひ社会学の中を変えるために頑張って活躍していただきたいと思います。
少し趣向を変えた質問を加藤先生にお願いします。「現在、大学で移植医療に関する勉強をしています。脳死判定の是非、日本の臓器不足など様々な問題がありますが、臓器不足について文献を読むと多くのものに日本人の感性や無宗教性、身体へのこだわりといったものを取り上げて関連させています。確かに医学部への多数の献体について考えるとそれだけではないとも思いますが、先生が実際にアメリカという多民族国家で医療に携わっていらして、宗教性の違いによる死生観、倫理観の違いを具体的に感じられたことがありますでしょうか」というご質問です。よろしくお願い致します。
加藤 確かに違いはあります。民族間にも違いがありますし、人種間でも違いがあると言われています。一つご理解いただきたいのは、アメリカ人も全員脳死を受け入れているわけではありません。アメリカでは法律上、脳死は死と決まっていますので、脳死判定がされてしまった場合、その時点で治療が打ち切られても家族は文句が言えないということはあるのですが、実際は「どうしても理解できないので脳死判定はしないでください」とおっしゃる家族はいます。そういう方に対しては実際の医療の場では脳死判定を行っていません。もちろん厳密な意味では、行って止めてしまっても法律上そうですからだれも文句は言えないのですがそうではないのです。これがけっこうな数います。
そういった中で、人種間の差が言われるときに確かにアジアンは臓器移植に対して提供率が低いと言われています。1番高いのが白人の人たちで、低い方はアジアン、それから黒人たちといったマイノリティーのグループで比較的臓器提供が低いと言われています。そういった感受性の違いというのはおそらくあると思います。
先程も言いましたけれども、それだけですべてが説明しきれないところがあるということ。それから、日本人だからといってみんなが均一のわけではなくて、日本人が例え理解しにくくてもある程度のパーセントの人は理解できるわけです。そういった意味では、多分欧米に対してそういった臓器提供に対する意思は、アメリカでの人種間の違いから考えると日本が少し低くなってしまうのはある意味で仕方ないのではないかと思います。
それから、先程の質問に対してお話ししたかったのは、ドナーの家族その他に対するサポートをもう少し取り上げてほしいということです。それは倫理委員会の問題かもしれませんが、しかしそれよりも何よりも病院の全体の医療体制の問題ではないかと思うのです。日本では、どうしても医者がいて看護婦がいてその他の人がいないという状況ですが、やはりそこに患者の家族をサポートできるスタッフが、医者でなく看護婦でなく病院の中にいればいいと思うのです。そういった人たちを行政の面でも・・・。
日本の場合、役職がないとどうしてもそこに人が雇えないのです。実際は国立大学がほとんどですから、国立大学ではそういう職種を作らない限りそういう人が増えないのが現状です。国立大学、公立病院でそういった職種をもっと増やす。コーディネーター、サポーティングスタッフを増やすということは日本に移植医療を進める意味では、非常に大事な要点だと思います。
若林 今のお話の中で引き続きですけれども、「脳死への理解の中に完全なものを求める市民意識はいろいろな問題に反映されているのだと思いますが、99%の成功のうちにある1%の評価の失敗についてどのように受け入れることができるのか。米国の脳死判定失敗は裁判沙汰になると思うのですが」というご質問なのですが、この辺はどのように考えていったらいいと思われますか。
これは加藤先生、武藤先生への質問ということで来ているのですけれども。加藤先生何かコメントございますか。なかなか難しい質問だと思います。
加藤 やはり脳死判定は脳死が確実なものでなければいけない、これは間違いがないと思うのです。脳死は脳が死ぬことですから、脳が死ぬことでなければいけない。ただ、判定は人間のすることですから、どうしてもそれなりに問題が出てくるということはあります。
脳死の判定基準は日本の法律上決められました。しかし、三徴候死と言われている従来の死にはその判定基準がありません。心臓が止まったというのはどこをもって心臓が止まったことにするのか。瞳孔散大をどこももって瞳孔散大とするのか。それに対してきちんとした条項がないわけです。ですから、ある意味では三徴候死であっても、そこには三徴候死を判定し損なう危険というのがそこにあるのです。脳死に比べて三徴候死が確実なのは、見ている家族に体が冷たくなるということが分かるわけです。そういった意味で、脳死の場合はそれよりもさらに厳しい規定を置かなければいけない。
脳死の場合は、さらに単なる三徴候死では一応医師が判断すればいいというのが今の日本の法律ですが、それよりも細かい規定を設けなければいけない。それは当然のことだと思うのです。しかし、それをいくら増やしても、あるところでどうしてもそこができない可能性というのが残るのです。今までもやはりあった。三徴候死であってもあったのではないか。それが答えになるのか分かりませんが、そんなことでご理解いただけるかと思うのです。
若林 これに付随してご意見が書いてあるのですけれども、「和田移植の総括としてはプロフェッショナル・レビュー、すなわち専門家の間での仲間同士のレビューがないことに対する不信ではないでしょうか。新しい状況に対して専門家の間での評価がきちんとした評価がなされていないことへの不信というのはいつまでもなくなりません」ということが書かれています。
少し医学的な質問が来ていますので、また加藤先生にお願いします。「今後人工臓器、再生医療を含む開発が発展していったときに、拒絶反応の大きい移植医療がと書かれていますが、どのような立場を取るかのご意見をお聞かせください」ということです。
加藤 人工臓器や再生医療が発展して移植が必要なくなる時代が来れば、私はそのほうがいいと思います。もちろん人工の人工がどういうかたちになるのか、それが異種肝移植を含めるのか、胚細胞からの臓器を作り出すということを含めるのかということになりますとここはまた大きな倫理的な問題があって、私自身もはっきり言うと分からないという状況です。しかし、全くそうではないかたちの人工臓器、再生医療の発展というのは、非常に期待されるところで、それによって臓器移植が必要なくなればそれはそれで非常に素晴らしいことではないかと思います。
しかし、現実の今の問題では果たしてそれだけ早くなるか難しい問題があります。おそらく異種肝移植がその中では一番近いと思うのです。豚による臓器で移植ができるようになるということ。これもなかなか心理的に受け入れにくいものがかなりあるとは思うのですけれども、しかし現実問題としては欧米の今の進み方を見ますとそれが現実になる可能性がおそらく一番近いのではないかという気がします。
若林 ありがとうございます。次にこれは再移植に関する質問なのですけれども、これは直接お答えすることは難しいかもしれないのですが、それぞれ先生方にこの質問をお聞きになって感じたことや何かおっしゃられることがありましたらお答えいただければと思います。
「生体部分肝移植後順調な経過をたどっていく人ばかりではなく、さまざまな症状が現れることがあります。肝機能高値、ビリルビン高値、腹水など。その場合原因も分からず対症療法のみの治療を受けていても快方に向かうこともなく今後どうなっていくのか不安な中、再移植という道を当事者が決断していくのはいつ頃なのか。また再移植には費用が莫大にかかるのでその準備をしていかなければならないという切迫した状況の中で、どのような程度の症状が目安になるのでしょうか」ということですけれども、再移植ということに関してご家族の思いということから、まず鈴木さんにお話をいただければと思います。
鈴木 私は医学の専門家ではありませんので、これこれこういう数値が出たから再移植をするとかそういうお返事はできません。そして医療者側の方も「再移植をした方がいいですよ」というようなアプローチの仕方は大変に難しいものがあるので、なかなかはっきり言い出せなかったのが私たち家族の経験です。
ただ、現在は小さいお子さんなどの生体部分肝移植ではご両親の両方、あるいはおじいちゃんおばあちゃんまでドナーが拡大されております。しかも、移植後生存される方が非常に多い。つまり、容積が小さいですから全肝移植を2回やると同じように考えておられる。大雑把ですけれどもそういう状況がありますので、比較的最近では再移植という言葉を使って患者さんにお話をされると、ここ1、2年の友人からのお話では聞いております。基準は特に数値がどうのということは私の専門的な知識ではとてもお答えできません。
ただ、子どもとか家族を見ていると、そして移植後のいろんな経緯を考えると、素人でも「もうこれ以上は」と思う瞬間というのが確かにあるのです。「じゃあ、どうしたらいいか」と考えたときに、例えば国内で生体がもう2度とできないのであれば海外に行く手続きをしなければいけないとか、本当に決断というのは苦渋のものです。若林さんも2度目の移植を海外でということで決断をされましたけれども、やはりそこには話しきれない、言葉にならない思いがたくさんおありになったと思いますし、ご家族もそうであったと思います。そういう時に忌憚なく相談ができる人もシステムも現場には全くありません。先生方は本当に最後になって、こちらが言い出して初めて「そういうことであればこういう方法がありますよ」と提示してくれます。
専門家である医師が病状から判断して再移植が必要ではないかととらえるものと、家族がこれはどうしても考えなければいけないだろうと思うタイミングというのは、実は非常に大きくずれておりまして、特に子どもなどを目の前で見ておりますと、最後の最後まであきらめることは絶対に考えられないことですので、どうしても心情的に引き延ばしてしまうことがあるのです。
そこに、専門家としての医療者がどういうふうにアドバイスをしていくかというのは本当に難しくて、私は東京女子医大で最初の移植を受けて拒絶反応がしつこかった時に、当時の主治医に自分から相談をしました。「今後はどうなるのだろう」と。「自分の得た知識から言うと、これは実は再移植を検討しなければいけないのでないかと思う」とお話をした時に、初めて「これはプロとしての自分の考えと過去の症例ですが」とお話をいただきました。それを念頭に入れて病院を転院して再移植のできる病院にいきましたけれども、そこでの現実は、やはりそれを強制することはできないという医療者の考えが大きくて本当に再移植をすればよかったと客観的に考えられるタイミングで自分たちが再移植を受けたかどうかを問われたら、やはりこれは非常に問題があったと思います。
ですから、再移植という言葉を使って患者・家族に話をすることは、ご本人の肝臓が駄目になりそうだというときに、医療者が移植の話を最初に切り出すのとはまた別の、非常に難しいタイミングと言葉を選ばなければいけないとか、それは医療者の側のご苦労が大変多いのだろうと思います。
私たちは自分たちの考えを先に提示するというかたちでその情報を求めましたけれども、それですら非常に難しかったということです。医療は専門家が専門家としての責任を全うすることと、当事者が自分たちの人生に対する責任をどうとらえるかの両方がきっちりと正面をきって向かい合っていかないと、どちらかに偏って均衡が破れれば必ず後悔とか不信という嫌な言葉が残るようになると思います。すみません、ちょっとまとまらないのですがそういうことです。
若林 ありがとうございます。加藤先生、再移植についてコメントをお願い致します。
加藤 医学的に再移植をどう考えるか、生体肝移植をどう考えるかに関してはあまりこの場に適切でないかもしれませんので、私としての個人的な意見もありますし、私の経験から言えることもたくさんありますが、それよりも今の鈴木さんの言ったことに関連して再移植をするかしないかについて、私の個人的な経験も含めてお話ししますと、アメリカでは再移植というのはかなり行われます。子どもの場合、4臓器を3回再移植するということがありまして、大きく話題になったこともあります。また、劇症肝炎などでドナーが現れず、やはり生体肝移植を考えざるを得ないというケースもありました。
しかし、様々な症例を経験する中で分かったのは、生体肝移植、特に成人間の生体肝移植をやった場合に再移植をするということは非常に大きな負担がある。家族に対する負担があるというのが第一のことです。やはり技術的に難しいのです。生体で再移植するということは脳死の全肝移植で再移植をするのに比べると技術的には非常に難しくなります。難しければ当然それによる成功率も下がります。
それから経済的な負担、家族の中で2人の方が傷つけられるという負担。そういったことすべてを考えると、これは施設それぞれの考え方があるようですが、施設によっては最初からやらないと完全に決めている所もあるようです。私の聞いた限りではある大学施設は最初に移植をする時点で「再移植はありません」と最初から告げると言っておられました。そのほうが逆に言えばしっかりするのかもしれません。
鈴木さんの言ったことに関連してですけれども、患者の側も本当に再移植も含めて情報を全部聞きたいのであれば聞くべきだと思いますが、やはり聞いた時点でそれに対して当然動揺しますけれども、しかしそれによっての動揺を乗り越えていくというだけの覚悟も必要になってきますので、最初の段階ですべてを話しておくのが本当は一番いい。しかしこれはなかなか難しいのです。最初に移植する段階で、移植の医者の側、私の立場で失敗したときのことを話すというのはなかなか難しい。しかし、家族の方からその段階でディスカッションすれば、おそらくその後のコミュニケーションが一番スムーズになるのではないかと思うのです。
若林 ありがとうございます。なかなか日本で再移植というと、お医者さんのほうから話をしてくれない、家族からも言い出しにくいということで非常に難しい状況に置かれているのですが、アメリカから帰った時の実感をお話しくださって本当にありがとうございました。
そろそろ時間もなくなってまいりましたので、すべての質問にお答えできなくて申し訳ありませんでした。それぞれ一言ずつコメントをいただいて終わりにしたいと思います。今の順番でいきますので、武藤さんからお願いできますでしょうか。生体肝移植という入り口から入ったのですけれども、倫理の問題など本当に幅広い問題に広がって、なかなか最後に何を言うかというのは難しいと思いますがお願い致します。
武藤 胸がいっぱいで何を言っていいのか。私は今日、刺身のつまというと刺身のつまに失礼なのですが、そのような立場で参りました。倫理委員会のことをお話ししましたけれど、このように皆さんが熱心に聞いてくださって、私が持っている倫理委員会に対する疑問を一部皆さんと共有できたというのは非常にうれしく思っています。
移植医療だけではなくて先端的な医療はいろいろあるわけですけれども、そういったもの全体と当事者、家族の皆さんの団体との関係をもう少し考えていくにあたって、倫理委員会は一つの切り口になるなと思っていました。「倫理委員会に患者や家族が参加できないのか」というご質問があって、そういうお気持ちを持つというのはとてもよく分かりますし、それに対して倫理委員会は「いや、駄目です」という皆さんが納得いくような答えを今出せるような状況でもない、それぐらい当事者の立ち入る状態というのを過剰に警戒しています。
そういう態度が悪い循環を生んで、当事者の皆さんから見て「倫理委員会って、いったい誰のために何をやっているんだ」という不信感を募らせることにもつながっていくので、負の循環を逆戻しにして前向きの循環になるような仕掛けを作ることも、私のできる範囲でですけれども、仕事の一つだと思っております。そういう意味で今日いろんな方々からお話を伺えたのは非常にありがたかったというふうにお礼を申し上げたいと思います。
あと一つこれはやや宣伝ですけれども、9月に日本家族社会学会というところで「家族愛の名のもとに生体肝移植を巡って」というセッションをやりまして、その時にお隣にいる鈴木清子さんと、東京大学大学院の清水順一さんと、細田満和子さんと言う同じく東京大学大学院の社会学の方と4人で初めて、医療側のスタンスを、家族を研究している人たちの前で話すという機会を作りました。
その日の原稿をまとめたものが年内に学会の特集号として出ます(家族社会学研究 14(2) 128-161, 2003)。それは学会の会員の方しか基本的には見るチャンスがないと思うのですが、そういう閉鎖性も非常に問題があるので、もしトリオ・ジャパンの方にメールを送ってくださいましたら、私の方でコピーなど送らせていただきますので、是非読んでいただければありがたいと思いますので、よろしくお願いします。どうもありがとうございました。(拍手)
若林 どうもありがとうございました。それでは鈴木さん、コメントをお願い致します。
鈴木 こういうところに座らせていただいて、先生なんて呼ばれるのは非常に心苦しく思います。私は病気を背負った子どもを持つことで、好むと好まざるとにかかわらず、選ぶ余地なくいろいろなことにかかわってまいりました。そして自分自身の経験以外のたくさんの方々の経験を見せていただいて、そして今の自分があると思っています。
私の場合、脳死の臓器移植を語るときに、今病んでいる、救いを求めている方たちのスタンスというのは大変よく理解できるところがあるのですが、やはり医療の中で亡くなっていった人たちのたくさんの思いというのも体に染み込んでいるものがありまして、やはり人が生きてそして亡くなっていくということをあまりにもみんなが語らないのではないかとすごく思っています。たとえば、時々マスメディアなどで取り上げられる意見の中で、たくさんいろいろな基準を設けて100%の判定基準を設ければ脳死の臓器移植は不信感が拭われて広まっていくだろう、というようなスタンスには非常に違和感を覚えます。
そして、それよりも、どうしても亡くならざるを得ない、失わなければいけないという切ない状況をいかに支えられるかということが社会や医療の現場でもっと取り上げられない限り、やはり心からの臓器提供というのは難しいのではないかと思います。基準をたくさん設けて数字で保障すれば人の心が動くと思ったらそれは大きな間違いで、何度も申しますが、病気を持った子どもたちというのは理屈なしに自分と同じ苦しみを持つ、あるいは持つであろう人たちへの思いやりを誰に教えられるでもなく持っています。そういう気持ちに大人たちがもっと真剣に向き合うことが必要なのではないでしょうか。
この脳死臓器移植を語るときにぜひ気を付けていただきたいことは、生きる側の人たちの視点だけでものを語らないでもらいたいということです。大切なものをなくしながら生き続けなければいけないドナーのご家族が一方であって、初めて双方の思いが臓器移植という形で実現するわけですから、こうした深い思いについてもぜひ考えていただければありがたいと思います。大変つたない話を聞いていただきまして本当にありがとうございました。(拍手)
若林 どうもありがとうございました。加藤先生、お願い致します。
加藤 このような一般の方々にお話をさせていただくというのは、実は私は初めての経験で、どういう話をどういうふうにしたらいいのかとだいぶ考えてきました。とにかく、私が臓器移植、特に脳死ドナーからの臓器移植にアメリカでたくさんかかわってきて、そして日本でまた移植の医療にかかわって、そこでどうしてもいつも考えるのはアメリカでは当たり前のように助かる人が日本では当たり前のように亡くなっているという現状があるということです。
もちろん、臓器移植は本当に良いのかいけないのか。それから今言われたようにドナーになる人に対してどれだけサポートができるのかできないのか。いろんな問題はあるのですが、おそらく皆さんも状況をもう少し見れば分かると思うのです。アメリカの状況、アメリカだけがいいわけじゃないですけれども、臓器移植が先に進んでいる国の状況、日本の状況その間を比べて、そしてもしそれが本当にいいものであると感じられるならば、それを取り入れるにはどうすればいいかといったことを広く、このフォーラムはどちらかといえば移植をもう既に分かっている方中心だと思いますけれども、そうでない方にも伝えていく方法を私も個人的に考えていきたいと思いますし、皆さんもぜひ考えていただけたらと思います。今日はどうも本当にありがとうございました。(拍手)
若林 どうもありがとうございました。本日は本当に長時間ありがとうございました。演者の3人の先生方にもう一度拍手をお願い致します。(拍手)
最後に閉会の辞をトリオ・ジャパン副会長の野村祐之より申し上げますのでよろしくお願い致します。
野村 ご紹介いただきましたトリオの副会長の野村でございます。実は主催者側ですのでこういうことを申し上げるのはちょっと気が引けるのですけれども、「臓器提供 現状と課題−生体肝移植の経験から」とテーマで、今日は私自身が伺って本当にいい時を過ごさせていただいたと思っています。また掲げられたテーマに本当に応える内容であった。しかもそれ以上に深い内容であったと感激しております。
特に、今更ながらこうして見ますと実際に生体肝移植を経験された側の方、それと同時に政治的な立場の方の本音がちらっと伺えた。それから今度お医者様の本音がちらっと伺えた。それだけではなくて、「倫理」ということがこのごろよく話題になり、問いかけになっているわけですがそういったご専門の方がどういった考えでどういうことを思ってらっしゃるのか、それぞれ専門の方、あるいは実際にそれを経験された方から本当の声が伺えるというのは日本の社会の中で非常に珍しいことだと思います。
しかも、それが私個人に言わせていただくと、これからに対して希望が持てる。「本気で受け止めている政治家がいるじゃないか」、「ここまで考えてくださっているお医者さんがいるじゃないか」。あるいは倫理ということも「やっぱり僕はうさん臭いと思った」とか「そうなのかもしれないもっと本気で受け止めていいんだ」。倫理ごっこをする、あれが大事と言うのは下手をするとわれわれは倫理のことは「倫理委員会があるならもうわれわれはいい。手放し。専門家に任せよう」。「脳死のこと?」「はい、お医者さんが決めてくれればそれでいい」。そうじゃないんだということが今日分かったと思います。私たちが本当に倫理のことを真剣に受け止めなければ、まともな倫理委員会はできないということ。
本当に死ということ、命ということを本気で受け止めなければ、本当の意味での「脳死は死なのか」ということに、ただ、医学的な分析的な数字だけでは答えが出ないということ。われわれの現代の科学というのは、ものを分析して数値化してコンピューターに入れてということで非常に厳密になっていると思う。そういう意味で、ものを知るというのは、われわれは普段、分析的に知る。客観的に定義をして頭を使って知る。そのことに慣れ過ぎているのかもしれないと今日は思いました。
もう一つの知り方とは何か。それは、客観的に距離を置いて分析的に正確に知るとは全く別に、そこのものとかかわって、かかわりの中で深く知る。関係の中で知る、分析の知とは別に「関係の知」というのがあるのではないかということを知らされた。そうすると、あくまでも脳死のことは分析知的に正確でなくてはいけないけれども、それが私にとってどう意義があるのかという関係知の中で受け止められたときに、それが臓器提供の意思につながっていく。他のことでもそうだと思います。
そういう意味で、さらに移植というのは、あの中でも話になりましたけれども、ただ差し当たり、たまたま何の巡り合わせか、それに直面した人だけが考えて解決していけばいい。実はそうだと思います。その患者になるというのははっきり言って何十万人に1人のことだと思います。しかし、われわれがこうしたことを考えたのも、今日は氷山の一角だったかもしれない。しかし今日の集まりで私が感じたのは、氷山の一角の下にはとてつもなく大きな氷山があるんだということ。その全体像が見えてきた。だとすると、その氷山の一角に本気でかかわるということが実はその大きな氷山全体につながっているのではないか。
何を言っているかと申しますと、命をどう受け止めるか、あるいはいろんな日本の大企業にしても政治家の間でも原発にしても学校の先生の間でも、倫理ということがあらゆる所で、日本中で言われています。そのほころびでテレビに出たお偉いさんが謝るときというのは、僕が知る限り、自分たちの失敗を絶対に認めないのです。では、何て謝っているか。涙を流しながら「世間をお騒がせして申し訳ありませんでした」、つまり基準は「お騒がせしたかしないか」なのです。下手すると患者も世間をお騒がせするような患者の在り方はいけない、お医者様も世間をお騒がせするようなことはあえてしない方がいいみたいな感じで、本当のところがちっとも出てこない。そしていよいよどん詰まりに来てしまっているこの社会だと思います。
ですから、むしろ世間をお騒がせするかしないかではなくて、本当に客観的な冷徹な分析的な目と、それにかかわって自らの問題として受け止めて私たちが氷山の一角に本当にこだわるときにそれが日本全体の倫理あるいは医療システムを変えていく。そしてここから出てきたことというのは、本当にインフォームド・コンセントにしろお医者さんがどういうふうに伝えてくれるのか、あるいは患者の気持ちをどう受け止めてくれるのか、私たちが自分の本音をどう表現したらいいのか。
そういったことが特に移植医療というのは先端であるだけではなくて、国全体で受け止めてくれなければドナー、提供ということとはつながりませんからそういう意味でちょっと大げさになるかもしれませんけれども、医療だけでなく日本の社会全体を、優しさを持って変える。
今、命がどう扱われていますか。とんでもない。「たまたま殺してみたかった」、「たまたま出会ったから殺した」、「たまたま電車で肩がすれ違ったから、ぶん殴って相手をどうした」、そういう中で命の大切さというのをつくづく感じている。そこに限りなく近いところにいるのが私たち。それから、今も鈴木さんがおっしゃってくださったように、病んでいる子どもたちなのだと思います。そういった気持ちに教えられてこの国がもう一度命を大切にして立ち上がらない限り、今にこの国はどこに行ってしまっているのだろう。そういう意味で言うと、話が大げさになったようですけれども、これから本当に地に足をしっかりと着けて希望に向かって歩いていけるのではないかという勇気すら与えられました。
そういうときに午後のひととき参加させていただけて私は非常に感謝しております。何か立場上のご挨拶がなくなってしまいましたけれども、思わず本音の気持ちを申し上げてご挨拶に代えさせていただきたいと思います。この後はちょっとお茶の時間があるかと思いますので、またそちらでこのお気持ちをさらにご歓談へとつなげていってくださればと思います。どうも本当に今日はスピークアウトしてくださった方々、それからこうしてお集まりいただいた方々、この会の準備をいろんなかたちでボランティアとしてあるいは中心的にかかわって支えてくださった方々、本当にありがとうございました。(拍手)
若林 長時間にわたり本当にありがとうございました。このあと会場を出て左側にあります奈良の間のほうでお茶とお菓子を用意しておりますので、ぜひ一息入れてからお帰りくださいませ。本日は長時間本当にありがとうございました。最後に3人の先生に拍手をお願いします。(拍手)おつかれさまでした。
(終了)
加藤友朗先生の講演「<講演4>最新の臓器移植事情−アメリカの現場から」中に、一部不適切な表現がございました。本文を修正すると共に、加藤先生からのお詫びを掲載いたします。(2005年6月) セミナーの中で用いた表現が一部の方の感情を傷つけることになったことをお詫びすると同時に、その部分の表現を変更させていただきました。 脳死をより分かりやすく説明したいと言うのが演者の意図でしたが、脳死を人の死と認めない方々(特にご家族の死にあたって脳死を受け入れないことを決めた経験を持つ方々)に対する配慮にかけた表現であったことを反省しています。 私たち移植医療にかかわるものは、今後日本でも脳死からの臓器提供が増えることを望みますが、脳死の理解を深めるための運動が脳死を人の死と認めない人たちの気持ちを踏みにじるものであってはいけないということも改めて認識しました。ご批判をいただいた方に感謝します。 今後の日本での臓器移植の議論のなかで、脳死を死として受け入れる側も受け入れない側も、お互いの立場と意思を尊重していくことが大切だと思います。 平成17年6月 演者 |