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1997年3月1日発行 第9号

トリオ・ジャパン編集

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トリオ・ジャパン沖縄支部発足にあたって 栽 吉信

沖縄支部設立にあたって 青木 慎治

沖縄支部発足に参加して 五十嵐直子

沖縄シンポジウムに参加して 安田あさ子

シリーズ「私の思い」No.4 日本における臓器移植医療の実現に向けて 渡辺 直道

総会報告

F.Coコーナー

事務局より

お知らせ

編集後記


トリオ・ジャパン沖縄支部発足にあたって

栽 吉信

平成8年12月8日、トリオ・ジャパン沖縄支部が設立されました。これも一つの縁でしょうか、初代支部長の重責を担うことになった私ですが、今思うことを素直に述べてみたいと思います。

私は現在38歳、気象台に勤めています。5年前、尿毒症で倒れ1年の透析の後、母から生体腎移植を受け、約4年が経過しました。

トリオ・ジャパンの存在を知るきっかけは、3年前に沖縄で開催された移植者スポーツ大会で、砲丸投げ競技に参加した安田さん(心移植)との出会いです。その頃は、自分の体調ばかりが気になっていた私ですが、安田さんの「いつ止まっちゃうかわかんない」と冗談を言いながら、砲丸を思い切り投げる姿には、私を含めて周囲の人々がハラハラ、ドキドキしていたことが今でも思い出されます。

その後、安田さんを通じて、青木会長他トリオ・ジャパンの皆さんと話をする機会があり、心移植や肝移植の置かれている環境の厳しさを知るようになりました。

これらの臓器移植が腎移植と最も異なるところは、移植ができなければ「死」しか選択が許されないことです。また、脳死問題が大きな壁として立ちはだかっていることも挙げられます。このような問題と比較すると、腎移植は恵まれた環境にあると言えるでしょう。

私は今、日本移植者協議会、沖縄腎臓病患者協議会に属しています。毎年、秋の移植推進キャンペーン等を通して、移植推進啓発活動にも参加してきましたが、トリオ・ジャパン沖縄支部の話が来たときは、少し躊躇しました。人の死が直接関わる重責に自分が耐えられるか不安があったからです。

でも、トリオの皆さんから「焦らずゆとりを持って」と、励ましを受け、また私の楽天的な性格も手伝って、支部長の重責を引き受けることになりました。

ここで、トリオ・ジャパン沖縄支部の面々を紹介しましょう。中村先生(県立中部病院外科医)、Dr.キャサリン(在沖縄米軍医師)、山内さん、儀間さん、そして私の妻(腎移植)の6人です。山内さんと儀間さんは兄弟にあたり、残念ながら肝移植を待ちながら亡くなった山内さんの息子さんの死を乗り越えて、この会に参加してくれました。

トリオ・ジャパン沖縄支部は、まだ発足したばかりで微力ですが、仲間をもっと増やし、臓器移植推進に少しでも貢献できるよう頑張りたいと思います。


沖縄支部設立にあたって

青木 慎治

那覇市で移植についてのシンポジウムがあり、トリオ・ジャパンも実質的に共催することになった。
私は不思議なことに、沖縄だけはそれまで訪れたことがなかった。

会もつつがなく終わり、その会場で、安田義守氏、愛称安さんから一組の若いご夫婦を紹介された。それが気象予報士、栽吉信さん、それに奥さんのみどりさんと逢ったはじまりだった。お二人はともに腎移植者で、恋愛の末、結ばれたのだった。

吉信さんは眉のりりしい、左掌に楽器ダコのある好青年だった。みどりさんは何事も素直に受け入れ、悲しいことやつらいことがあっても、いつも笑顔を絶やさないとお見受けする、可愛い女性だった。お似合いのカップルとはまさにこのお二人のことであろうと、私は初対面から好印象を持ってしまった。

そもそもジミー・ジョーンズ海軍大佐(軍医)との折衝もあり、我々の促進する移植医療の今後に関しても、沖縄は重要な意味と位置にあると認識していた私は、心中、このお二人をおいて、支部をおまかせする人材はいないと、確信してしまった。私は早速、副会長の安さん(安田義守氏)と嘉男さん(荒波嘉男氏)に私の印象を語った。幸い、両者とも大賛成であると返事をくれた。

東京に帰ってから、安さんが栽さん夫妻と何度かの接触をされ、結果、快諾を得たとの報告を受けた。折しも山内辰也君が米国での肝移植を希望され、あらゆる努力を払っておられたにもかかわらず、不幸にして、移植渡航を前にして亡くなってしまうという不幸に見舞われた。悲しみに暮れる父親、山内精夫さんから募金残金をトリオ・ジャパンに寄託し、同じ苦しみを持った人々のために一助としたいとのご希望があって、そのセレモニーを取り行う必要が生じた。
そこで、東京から私をはじめとして、安田副会長、荒波事務局長、福岡支部から伊原幹事、山形県からは五十嵐崇史君基金の直子さんらが、励ましと式典参加のため、沖縄に同行することになった。その機会に栽さんの了解を得て、同時に、トリオ・ジャパン沖縄支部発足の機会ともしたいと考え、全員のご賛同を得た。

そして、1996年12月9日、那覇市自治会会館に於いて、山内辰也君基金とともに、沖縄支部が発足することになった。

夜の顔合わせ会には、前述のジミー・ジョーンズ大佐、後任者のキャサリン・ケイシイ少佐(軍医)、それに沖縄県立中部病院の中村信之医師も同席していただき、辰也君の悲しみを乗り越え、全員が一致協力して、移植医療が日本に定着するよう、その実を挙げることを誓い合ったのだった。


沖縄支部発足に参加して

五十嵐直子
平成8年12月7日の「石井直志先生を偲ぶ会」に出席する為に上京する私に、事務局長の荒波さんより、12月8日の沖縄に於ける「山内辰也さん基金」創設と、沖縄支部発足に同行して欲しいと申し出を受けました。

初めは、私がそのような重要な場に同席するような事には、とても重荷を感じて、お断りの電話を差し上げようと考えておりました。

しかし、この目で沖縄支部発足に立ち会うことで、私自身今後何をして行けばよいのかを考えるよいチャンスになるのではないだろうかという思いと、米国での脳死肝移植を目前に亡くなられた辰也君や御家族が、私の家族状況に似ている上に、同じ境遇になられたということをお伺いして、私に出来る事があればという思いで同行することに致しました。

そして、私は同行している間中、いつも感じていた事がありました。前日の「石井先生を偲ぶ会」に於いて、石井先生のトリオ・ジャパンにおける精力的な御活躍を、多くの移植患者の方々やその御家族、そして一般の方々からもお伺いした後だけに、一層感じたのかもしれません。私たち家族にとって、石井先生の御活躍はそのままずっと続けられるものと考えておりました。

ところが石井先生の突然の御他界を目の当たりにして、この度の沖縄訪問に同行させていただいた事により、トリオ・ジャパンの方々の活動の意味を再確認させられました。同行された方々は、私と荒波さんの他に、青木会長を始めとして、副会長の安田さん、九州支部の井原さん、そして沖縄支部代表を引き受けて下さった栽吉信さん・みどりさんと、皆様移植を受けられた方々でした。その活動は精力的で、真に体を張って国内での臓器移植の実現を訴えるものなのだと考えさせられました。

そして、外国で移植をしてそれで良いと言うものではなく、本当の移植医療に一石を投じるために、活動しているのだと実感させられました。

私も仏国で息子を通して移植を体験してきており、同じ目標を持っている者同士であるのにも関わらず、覚悟の違いをまざまざと目の当たりにして恥しさを感じました。また、自分の中で忘れようとしている色々の思いを、山内さんの御家族の心境をお聞きすることで、国内での移植の実現がどんなに大切なことであるか、そして、この実現がどれだけ多くの人々を安心させ、希望が生まれるかを、再び感じ考えさせられました。

今、私はトリオ・ジャパンの一員として、東北支部発足の実現に向けて、皆様の教えを請いつつ活動して行きたいと思っています。

自分の亡き息子と、石井先生の遺志をつぐものとして、新たな決意を目覚めさせて下さった沖縄への旅であったと思いました。


沖縄シンポジウムに参加して

安田あさ子

10月24日、沖縄でのシンポジウム「ふやしたいね思いやり」に参加する為に、会長を始めとした事務局のみなさまとご一緒させて頂くこととなりました。初めての沖縄訪問に、どんな所かと不安と緊張がいりみだれての訪問でした。ハイビスカスの花が咲き、初夏を感じさせられるほどの温かさにおどろきました。

会場に到着すると、沖縄腎の会の方々が丁重に迎えて下さいました。シンポジストは、医学者、肝移植者、腎移植者の皆様で、研究、データ、体験記など素晴らしいお話が聞けました。私は、こんな素晴らしいお話を、是非とも一般の人々に聞いて頂いて、臓器移植への理解を深めて頂き、ドナー登録、及び献腎運動に導けたらと考えました。

患者の立場から申しますと、会場には患者さんが多かったので、高度な医学的なお話というよりは、患者の手術前後の過程で起こるストレスなどの問題について扱っていただけると、移植者が安心をして、「移植手術を受けて本当に良かった」と思えるようになり、心から感謝出来るようになるのではないかと思いました。

こうしてはじめて、移植者から社会に向けて、移植の素晴らしさが語り伝えられるのではないかと思いました。また、移植者がボランティア活動などを通じて、社会参加することが、移植への啓発につながると思います。

今回の沖縄のレセプションでは、姉から生体腎移植を受けて悩んでいる女性にお会いいたしました。彼女は本来ならば食事制限もなく、透析からも解放されて、バラ色の人生を送れたはずです。ところが、彼女は移植を大変に悔いておられました。

それと申しますのも、提供者の姉の術後の経過がおもわしくなく、ことあるごとに、妹に「腎臓を提供したから」と結論づけてしまわれて、とても辛いと申していました。非常に悲しい事です。

そんな彼女に会って、以前から考えていた脳死者からの臓器提供による腎移植が望ましいのではと考えました。

今般、臓器移植法案も衆議院の解散と同時に、廃案と決まり、再度国会に提出がなされましたが不安です。医療の現場では、右往左往している間にも、やむをえない措置として、生体肝移植が施行されるようになって来ています。

また腎移植に至っては、死体腎移植も生体腎移植もどちらも受けられずに、タイやフィリピンで臓器を買う人もいることが大きなタイトルで報道されています。そこには、患者の悩む姿と、生体移植の影の部分でもある家族の悩む姿も見え隠れしています。

今回の沖縄訪問で素晴らしいお話が聞けて、これから先の患者さんのサポート及び声がけに生かされたらと考えています。



総会報告

1997年2月15日土曜日、すっきりとした冬晴れの日に、トリオ・ジャパン定期総会が六本木のVIVIにて開催されました。

副会長の安田義守氏によって開会宣言がなされた後、青木会長が開会挨拶を述べられました。いつものゆったりとした語り口で、トリオ・ジャパン創立時の逸話などを語ってくださいました。

議事に入ると、議長に国際理事の野村祐之氏が選出されて、「いい機会ですから」と一席講義をして下さいました。移植医療を変えることは、日本の医療を変えることになるのだ、ちょっと大変ではあるけれども、この部屋のじゅうたんをひっくり返すように、日本の医療を患者中心にひっくり返さなければならないと力説されていました。

事務局からは、荒波嘉男氏が詳細な資料とともに、96年度の活動報告および決算報告を行うとともに、97年度の活動予定および予算を提示されました。さらに、人事や会員動勢に関する報告もありました。

質疑応答に移り、今年度の活動計画にあるインターネット利用について質問が出ました。外国で移植を受けた方が、検査データを外国の先生に送るのに役立てているそうで、トリオ・ジャパンも早くインターネットを活用していこうというお話になりました。

最後に、拍手のうちに全議案が承認されて、総会は無事に幕を下ろしました。


総会における会長挨拶

青木 慎治

第6回総会に当たりご挨拶とお礼を申し述べさせていただきます。寒さ未だ厳しき折りにもかかわらず、多数ご出席を賜りまして有り難うございました。

山形や京都をはじめとして、遠方各地からご参加をいただいたことは、トリオ・ジャパンに対する関心の深さと、ご支援・ご期待の強さを実感させていただき、我々世話役一同は、一層の努力を新たにする思いでございました。

また、今回からは若林正君(生体肝移植)や、安田義守さんの娘さんの悦子さんたち若い仲間の参加を得て、移植医療普及のための情報発信として、インターネットの活用を今年度活動計画の一つとして企画出来る運びとなり、大変心強いことと存じております。

これらをベースに今期も「今日の命を救う」集団として、ますます一致団結して移植医療の普及および、日本国内における脳死移植の実施を目指し、努力致したいと存じております。

どうか会員各位におかれましても、トリオ・ジャパンの目的達成のために、温かいご支援とご協力をいただけますようお願い申し上げます。

最後になりましたが、皆様のご健康とご活躍を心からお祈り申し上げます。ありがとうございました。


シリーズ「私の思い」No.4 日本における臓器移植医療の実現に向けて

渡辺直道

1.はじめに

私の家内は、昨年8月、ドイツのベルリン自由大学付属病院において、末期肝硬変の治療のために、肝移植を受けて、現在では健常者と変わらない生活を送っております。

もしドイツが、私の家内を受け容れてくれず、臓器移植手術を受けていなければ、家内はもう既にこの世を去っていたか、仮にまだ生きていたとしても入退院を繰り返し、苦しい闘病生活を送っていたに違いありません。

家内が、昨年3月の危篤状態も含む闘病生活を送っている間、我が家は重苦しい暗い雰囲気に包まれていましたが、家内がドイツから無事生還してからは、我が家に明るい笑い声が戻ってきました。

家内の受けた肝移植は、家内を生き返らせてくれただけでなく、私たち家族の生活も甦らせてくれました。私たちは、ドナー(臓器提供者)の方、そして家内を受けいれてくれたドイツの病院に深い感謝の念を抱きつつ、ドナーになって下さった方のご冥福をお祈りしています。

2.日本人患者の海外における移植手術の実態

次に、家内がドイツで肝移植を受けるまでの経過を振り返りつつ、海外における臓器移植の実態を紹介します。

家内は、93年9月にC型肝炎から既に肝硬変に移行しており、末期に近いと宣告を受けました。そして、94年9月には癌ができていることが判明しました。

この時点で私たちは、海外で肝移植を受けることを決断し、患者とその家族及び医療関係者で構成されるボランティア組織であるトリオ・ジャパンに入会し、トリオ・ジャパンの紹介で、海外での移植の橋渡しをしていただける、東京女子医大の寺岡教授のお世話になることにしました。

現在海外では、肝臓は勿論のこと、心臓、腎臓、肺臓、膵臓、小腸など幅広い分野にわたって、脳死体からの臓器移植が、ごく当たり前の医療として行われています。

一例を挙げますと、家内がドイツで入院しているとき、毒キノコを食べた15歳の少女が緊急入院し、肝移植で一命をとりとめました。このように、病気だけでなく、事故による患者にまで移植手術が行われています。1人のドナーから60名以上の人が恩恵を受けることができる移植医療は、キリスト教的人類愛の精神と合致して、普及しているのかもしれません。

成功率は、1年後の生存率が、腎臓は90%以上、心臓や肝臓は80%以上と言われています。死が目前に迫った重篤の患者さんの生命が、移植医療によってのみ、1人でも救われるのであれば、成功率の高さ、低さに目を奪われるべきではないと思いつつも、この高率には移植医療の素晴らしさを実感せざるを得ません。

日本人が海外に渡って移植手術を受ける場合の医療にかかる費用は、国や臓器によって異なるようですが、肝臓の場合、アメリカは最低3000万円(再移植は別途3000万円)、オーストラリアは再移植費用も含めて1200万円(15万オーストラリアドル)、ドイツは1500万円(20万ドイツマルク)位と言われています。

そこで私達は、費用の面からオーストラリアにお願いしました。結果的には、家内の場合ご縁があって、ドイツで移植手術を受けることになりましたが、現在多くの日本の患者さんが、オーストラリアに渡って肝移植を受けるために待機中です。

しかし、一口で海外で移植を受けると言っても、その決心をするのは、並大抵の事ではありません。費用の問題の他に、待機中に異国の地で果てることになるのではないかという不安(実際に多くの方が海外で亡くなっている) と、そのようなギリギリの状況の中で、同じアパートに待機中でありながら、自分より後からオーストラリアに来た日本人が自分より先に手術を受けることになった時のストレス、言葉の問題、文化の違い等、患者とその家族にかかる精神的重圧は、筆舌に尽くし難いものがあります。

現在、山岡さんという日本人がファミリーアドバイザーとして、日本の患者さんとご家族のお世話をされていますが、この様な状況の患者さんを相手にして、彼女も大変なご苦労をされていると聞きます。

このように、海外で移植手術を受ける際には、経済的にも精神的にも、患者さんとその家族に非常に大きな負担がかかります。しかし、それでも海外で移植手術を受けることが出来る人たちは、大変幸運であると言わなくてはなりません。一方では多くの患者さんが、日本で脳死体からの臓器移植手術が受けられるようになる日を待ち望みながら、亡くなっているのです。

現在日本で闘病中の重篤な病状にある患者さんとその家族の方々は、国会に議員立法として提出された臓器移植法案が、この2年半の間に一度も審議されることもなく、9月27日の衆議院解散と同時に廃案となってしまった事をどの様な想いで聞いたでしょうか。

家内が94年9月に最初の入院をし、移植手術を受けることを望んでから、95年8月にドイツで移植手術を受けることができるまでの道程は、決して平坦ではありませんでした。95年3月には危篤状態になり、同年5月にはオーストラリアの病院から受入れ拒否の返事がありました。

家内と私達家族がそのような困難な状況を何とか乗り切ることができたのは、日本とドイツの医療スタッフの適切な処置と多くの友人たちの暖かい励ましのお陰でした。

特にボランティア組織である、トリオ・ジャパンの事務局を運営されている荒波さんご夫婦には、東京女子医大の寺岡先生との橋渡し、私達が苦しいときの適切な助言など、言葉に尽くせない程支えていただきました。

外国では、医療の周辺に、このようにボランティアで患者さんの心の支えになっている方がたくさんいると聞きます。日本も早くそのような社会になりたいものだと痛感します。

3.臓器移植法案の廃案とその問題点

日本でも生体肝移植が行われていることで判るように、医師の充分な技術と、今申し上げた様な素晴らしい人たちが大勢いるのに、何故、脳死体からの臓器移植ができないのでしょうか。

ここで廃案となった臓器移植法案を巡る論議を整理してみたいと思います。

2年半前に国会に提出された臓器移植法案を巡って、主に二つの点で意見が対立していました。

一つは「脳死を人の死とする」ことが条文に規定されていた点について、脳死を人の死とすることは、国民的なコンセンサスが得られていない現状において、問題ではないかということです。

もう一つは、ドナーからの臓器摘出に際して、臓器提供の意思についての故人の生前の意思を忖度して、遺族の承諾をもって臓器の摘出ができると規定していましたが、この規定ではドナーの人権が充分守られず、遺族の意思を、強いては故人の意思を無視して、臓器摘出が行われることになるのではないかと懸念する意見が出たことです。

そこで、廃案になる直前に、当初提出した法案の修正案として、臓器の摘出に際しては、故人の書面による意思表示が必要である規定した修正案が再提出されました。

この修正案に対して、移植医療を推進しようとする移植医や患者団体からは、現在の日本においてドナーカードなどの書面で臓器提供の意思を表示している人は極めて稀であり、この修正案の内容では、法案は通ってもドナーが現れず、実質的に日本における脳死体からの移植医療の実現を不能にするものであるとの強い反対の声が挙がりました。

この二つの問題について、私は次のように考えます。

一つ目の問題点「脳死は人の死か?」については、答えは明快で「脳死は人の死」であり、議論の余地はありません。

何故なら、脳死が人の死であることは、科学的・医学的事実であり、脳死の判定基準は世界的に確立されているからです。因みに、世界中で脳死を人の死と認めていない国は、日本を除いてパキスタンとルーマニアの2ヶ国を残すのみとなっています。

医学的には、脳死とは「全脳機能の不可逆的停止」と定義されますが、これをもう少し判り易く説明するとこういうことだと理解されます。

従来、個体としての人の死の訪れは、三兆候、即ち(1)心拍の停止、(2)自発呼吸の停止、(3)瞳孔の散大と対光反射の消失によって判定していました。このうち(2)と(3)が「全脳機能の不可逆的停止」を意味しています。

もう一つの兆候である(1)は、(2)と(3)すなわち「全脳機能の不可逆的停止」によって付随的にもたらされるもので、実は(2)、(3)の2兆候こそが、従来の個体としての人の死の判定において重要な意味をもっていたのです。
ところが、人工呼吸器の発明により、個体としての人の死が訪れた後でも、心臓が鼓動している状態を維持することが可能になりました。この状態を脳死状態と言う訳です。

従って、個体としての人の死の訪れる時期は、従来の三兆候による自然死と脳死は全く同時期であり、脳死の概念を受け容れたからと言って、死の判定時期が早まったと言うことでは勿論ありません。自然死であれ脳死であれ、厳然たる個体としての人の死という意味では全く同じなのです。

ただ後は、残された遺族が、心臓が鼓動している故人を目前にして、その死を納得できるか否かという問題が残ります。

しかし、これは「脳死は人の死か否か」という問題でなく、科学的・医学的事実である脳死を、感情的に受けいれる事ができるか否かという問題です。

従って、脳死体から臓器を摘出しても、当然のことながら、摘出した医師が殺人罪に問われることなどあってはならないことなのです。また、その人の人生観、死生観によって脳死を感情的に納得できないという人たちが多数いらっしゃるのは、当然の事と考えます。何人も、他人の人生観、死生観を強制する権利はありません。

しかし、脳死を感情的に納得できない故をもって、脳死体からの臓器移植に反対するのは、間違っています。その様に感じる人は、自分の臓器提供を拒めば良いだけのことです。自分の死後、臓器を提供して、他の人の命の中で生き続けたい、救いを求めている人の役に立ちたいという想いからくる、臓器提供の意思を阻むべきではありません。

この様に考えるとき、脳死を人の死とすることについて国民的なコンセンサスを得る必要があるという議論がありますが、私は全くその必要はないと考えます。この問題は、個人の自由意思によって決定すべき問題であり、どちらかの考え方に統一すべき問題ではないからです。

次に、二つ目の問題である臓器摘出に際して、故人の臓器提供の意思が不明な場合どうするべきかということですが、この問題も故人の意思、即ちドナーの権利を守ることを最優先させる以上、故人の意思が不明な場合は、臓器摘出をすべきでないと考えます。

ただし、故人の臓器提供の意思が必ず書面に記されていなければならないと規定する修正案には反対です。

遺族が故人の臓器提供の申し出をするときは、故人は生前どの様な人生観を持っていたかを良く知っている遺族が、故人の意思を生かしたいと願うからです。そのようなとき、故人の意思、遺族の想いが書面に記されていないからと言って臓器提供を拒むべきではありません。

通常、故人に臓器提供の意思がない場合や、全く不明な場合に、遺族は故人の臓器提供の申し出をするでしょうか。まずしないと思われます。

また、現状の医師と患者の関係を考えたとき、医師から臓器提供の依頼があれば、遺族は断わることができず、故人や遺族の「提供したくない」という意思に関係なく臓器を摘出されてしまうのではないかという議論がありますが、私はこれも問題とならないと考えます。

臓器提供の意思を確認するのは、移植医ではなくそれまでの主治医だからです。また臓器移植に際して、ドナーの権利を守るために、移植医と遺族の間にドナーコーディネーターが介在します。

日本でもまだドナーコーディネーターの数が決して充分とは言えませんが、心臓停止後の腎臓移植において、ドナーコーディネーターが重要な役割を担って活躍しています。

4.結論

臓器移植法案は国会に提出されてから2年半、ただの一度も審議されることなく廃案となってしまいました。人の生死に関わる法案をこの様な形で廃案にしてしまうことが、民主主義国家として許されるのでしょうか。私は激しい憤りを感じます。本来、この2年半の間、上記3.に述べたような臓器移植法案を巡る問題点が論議されていなければなりませんでした。

一刻も早い日本での脳死体からの臓器移植の実現を心の支えにして、今も苦しい闘病生活を続けている患者さんたちに、私達日本の社会はどう応えてゆくべきでしょうか。また日本における臓器移植医療の実現を待ちながら亡くなられた人々の無念の想いを、私達社会はどう受け止めたら良いのでしょうか。

海外でも臓器不足が深刻化しています。どの国も自国民の患者を守るのに精一杯で、段々日本人の海外での移植への途は狭くなってきています。

この様な状況の中で、救いを求めている患者に対して、肌の色、国籍によって医療提供の壁を設けるべきでないと考えて、日本人の患者を受け容れてくれている諸外国の善意に対して、私達日本人社会はどう応えて行くべきでしょうか。私は、この様な問いかけに応えるため、次の3つを提言します。

提言1


法律の制定を待たず、移植医は脳死体から臓器を摘出し移植手術を実施すべきである。

理由

(1)脳死体からの臓器摘出は、殺人ではありません。死の判定は従来より医師が医学的根拠に基づいて行ってきたもので、法律で規定してきた訳ではありません。

従って、死の判定について法律を制定する必要はありません。この問題に関して、「心停止後に検視を行う」という警察庁の通達がありますが、通達は警察庁外部に対する法的拘束力はなく、この通達の故をもって臓器を摘出した医師を殺人罪に問うことはできません。

(2)ドナーの人権・レシピエント(移植を受ける側)の人権を守るためのシステムの構築は、何も法律がなくてもできます。諸外国の例をとっても、まず移植医療が実施され、その後のその国の実情に合わせて法制面の整備が行なわれています。

法律が制定されなければ移植医療ができないというのは、むしろ日本における移植医療の実態に合わない法律を制定してしまう惧れがあります。

提言2


ドナーカードの普及を、官を中心として社会全体で取り組むべきである。

理由


臓器提供をする意思、しない意思を明確に表示することによって、臓器提供に際してのトラブルを防止し、もって個人の意見を尊重し、ドナーの人権を守ることができます。

提言3


マスコミはこの問題を取り上げていただきたい。

理由


現在私達の社会に、救いの手を差し伸べて欲しいと願っている重篤な病状の患者さん逹がいます。その人達は、外国人だったなら助かっていますが、日本人であるが故に、現在絶望的な闘病生活を強いられています。この様な日本の社会が持つ不条理にメスをいれるのが、マスコミの役割ではないかと考えます。


F.Coコーナー

荒波よし

当会の活動の一つに、ファミリー・コーディネーター活動があります。今回から紙面に登場させていただきます。

移植という事で相談に来られても、実際に移植に至る方、時期尚早であったりする方等、各人各様です。時々にその側面をご紹介いたします。皆様のご意見をお寄せください。この紙面にて取り上げさせていただき、共に考えていきたいと願います。

○月○日、父親からの問い合わせから始まった。

「募金で生体肺移植(ドナーは両親、レシピエントは小三の娘)をさせたい、どのようにしたらよいのか」
 これに対して、情報・資料の提供と、数回に及ぶカウンセリング(遠方である為電話にて)の結果、苦労の末募金開始にこぎつける直前になって、

「両親と子の血液型が合わない。急遽生体肺移植を断念しなくてはならなくなった」

との父親の電話である。彼曰く、

「ともかく今は募金を支援して下さっている方々の手前募金を始める」

 これに対して、父親の腹立たしさや不満を受け止めつつ、生体および米国での脳死下での移植についての説明をした上で、以前と状況が変わってしまったのだから、募金を始める前にまず夫婦や家族で意思決定をしなければならないことを話した。

「生体肺移植が出来なければやめるのか、脳死下で移植をするのか、その決定でもって、募金するか否かが決まってくる、現時点で募金は一時ストップして欲しい」

と、善意の募金は軽くあってはならない事を確認する。

結局、彼らは米国での脳死下からの移植には踏み切れず、現時点では移植を断念することを決断し、募金も中止して、日本で脳死下での移植が出来る日まで、大事に娘を育てて行くことにした。そこで、移植をしなければならないと説明していた小学三年生の娘に対して、移植を中止せざるを得なくなった事情を誰がどのように説明するのか、主治医とよく相談した上で、本人の納得を得る必要があることを伝えた。



事務局より


お知らせ


1.インターネットにおける情報発信について

トリオ・ジャパンのホームページが出来ました。アドレスは

http://square.umin.ac.jp/trioです。

活動報告や活動予定のご案内、会報の電子化をはじめとして、移植体験談や、移植に関する情報バンクなど、様々な企画を考えております。何かご意見やご希望がありましたら、お気軽に事務局までご連絡下さい。事務局あての電子メールは
「削除2006/11/01」です。
なお、現在は事務局側の体制が整っておりませんので、お急ぎのご用件につきましては、電話やFaxをご利用下さい。

2.会報の体裁変更について


会報のスタイルを一新いたしましたが、いかがでしょうか。

毎号試行錯誤を重ねておりまして、申しわけございませんが、より読みやすい紙面を作って行きたいと考えておりますので、よろしくお願いします。


<編集後記>


暫く会報の発行が中断していたことを、お詫びします。 一九九七年こそ、移植元年となりたいものです。廃案後再提出された臓器移植法案は、「書面による故人の意思の確認」を義務づけていること等不満の残る法案ですが、一刻も早く法案が成立し、脳死体からの臓器移植により、日本で初めて患者さんの命が救われた年として歴史に残る、そんな年であって欲しいものです。 トリオ・ジャパン沖縄支部が発足しました。戦後不幸な歴史を持つ沖縄が、その歴史故に、いまや移植医療の推進において最もホットな地になっているような感があります。栽支部長以下沖縄支部の人達の健闘を祈ります。 トリオ・ジャパンに、新たに山内辰也君基金が設立されました。山内辰也君とご家族の無念の思いを無にしないよう、移植手術を受ける方の支援および移植医療推進運動に使わせていただくことになりました。ご冥福をお祈りします。 トリオ・ジャパンの会員である黒田珠美さんが、昨年十一月二八日、無事男児を出産されました。オーストラリアのドナーから頂いた命を見事にバトンタッチされた珠美さんの勇気と、珠美さんを支えたご主人、こ家族に敬意を表します。(渡辺直道)