トリオ・ジャパン会報 第8号 1995年1月20日発行


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第4回全国移植者スポーツ大会にて安田義守氏・木内博文氏ら優勝

--沖縄県・日本移植者協議会等主催--

 第4回全国移植者スポーツ大会が、沖縄県、日本移植者協議会などの主催(トリオ・ジャパンその他後援)により、11月26日、沖縄県宜野湾市にて開催されました。昨年までは腎臓移植者のみの参加でしたが、今回は安田さん、木内さんお二人の心臓移植者も参加して、初めて多臓器に渡る移植者スポーツ大会となりました。 大会は、60名余の参加者により、卓球、バトミントンなど室内競技と陸上競技が行われました。
 開会式で、主催者を代表して日本移植者協議会会長の大久保通方さんは、臓器移植の素晴らしさと、ドナーへの感謝を述べると共に、一向に進展を見ない「臓器移植法」の国会審議に対し懸念の意を表明され、一日も早い法案の成立を訴えられました。
 今回の開催地、沖縄県は腎臓移植に関しては理解があり、献腎も他の県に比べて多いと聞きましたが、肝臓・心臓の移植者はおらず、心臓移植者が来県するのも初めてとのことで、マスコミもかなり関心を示しました。しかし、まだまだ興味本位で、多臓器移植の必要性や、臓器移植のすばらしさなどを認識はしていないようです。
 当日は曇り加減でしたが、本島の寒さに比べ、気温も25゜前後と夏を思わせる気候では、かえってありがたく感じました。大会は、いつもの通り、午前中に室内競技のバドミントン・卓球が、午後から陸上競技が行われました。
 移植者スポーツ大会世界大会に出場してもメダルを狙えるクラスから、小学校の運動会でも入賞はどうかと思われるクラスまでのレベルが混在しての大会風景はいつものことですが、今回は開催地とあって沖縄県勢の意気込みは凄く、圧倒される思いがありました。 また、例年になく準備が行き届いており、審判も国体クラスの審判員が協力をしてくださり、次回からの開催地がプレッシャーを受けるとの声も聞こえるほど、本格的な大会となりました。
 トリオ・ジャパンからは、安田氏(心臓移植者)木内氏(心臓移植者)金子氏(腎臓移植者)の三名が参加し、安田氏が砲丸投げで、木内氏が立ち幅跳びでそれぞれ金メダルを獲得し、移植者スポーツ大会史上初めての腎臓移植者以外からの優勝者となりました。また、砲丸投げ・立ち幅跳びでは金銀をトリオ・ジャパンで占め、走り幅跳びでも銀メダルを獲得するなどの活躍を見せました。
 安田・木内両氏は、「移植後、本格的にスポーツをしたのは初めて、本当に幸せだ。」と語り、「今は普通の人の生活と変わらない、病気を抱えていたときのことが信じられない。提供者には感謝の気持ちでいっぱいです。」「日本で手術できればそれにこしたことはない。」と口を揃えて訴えました。
 沖縄から出場した選手の中には、今年那覇で行われるフルマラソンに挑戦を予定している方もあり、「当初は走るのが恐かったが、今は大丈夫。こんな形で移植者が勢揃いし、スポーツを楽しむのはとても心強い。」と喜んでいました。 大久保会長も「この大会は勝ち負けでなく、今の健康に対する感謝と自分への挑戦です。無理をせずに楽しんでください。」と述べていました。
 次回は千葉県での開催を予定しています。


シリーズ 「私の思い」 No.3 「臓器移植法」を巡る動きに思う

金子 恭介

 「臓器移植法案」が国会衆議院本会議にかけられて以来、マスコミなどが同法案について様々な報道をしています。その多くが、一応、臓器移植の必要性は認めていますが、脳死が個体死であることに対し疑問視する傾向にあります。
 また、初めに臓器移植があって脳死が存在するかのごとく受け取れる内容のものさえ見受けます。確かに、臓器移植には「脳死判定」は必要です。臓器のバイアビリティーを考えれば、心停止後では余程管理されていなければ、移植は不可能となるケースが殆どです。
 しかし、「脳死」という個体死と、「臓器移植」とは本質的に次元の異なることなのです。ましてや臓器移植のために脳死者を造り出すかの発言は、移植待機者への中傷であると共に、救命救急にあたっている多くの関係者に対する冒涜といわざるを得ません。
 「脳死」の判定を受ければ臓器の提供を強制されるかの発言も大変な誤解ですし、この考え方を基にして、「臓器提供は本人の意志が文書で示されているときだけにすべきだ。」と発言する向きもありますが、「人の命」とはいったいどのようなものであるのか、本質を見ていないのではないでしょうか。
 「命」は確かに個人のものかも知れませんが、「命」を支えているのは決して一個人ではありません。社会であり、家族、友人でもあるはずです。中でも生活の、人生の大半をともにする家族・友人の支えがあって、初めて「人」としての生活があるのです。
 実際に生活する中で、お互いに支え合っている中で、一番重要なのは「心」の問題です。お互いを思いやる気持ちがあって「心」が通じ合い、豊かな人生が送れるのです。
 たとえ家族の誰かが亡くなったとしても、家族の「心」の中では生き続けているのです。思い出として、残されたものの心の支えとして、肉体はなくても「心の中で生き続けている」のです。同時に、一個人としては亡くなっても、愛する人の一部分でも生き続けてくれたら、臓器提供というかたちで、だれかの命を救いながら、生き続けてくれたらどんなにか「心の支えになることか。」と考えることを法律で否定することはできないと思います。
 家族の愛情を、相手を思いやる心を単に、医療不信や疑心暗鬼で、法律的に規制し、あたかもそれが、個人の人権を守ることだとの意見や、法律の在り方だという考え方には賛同できません。臓器の提供とは家族の愛情に裏打ちされて初めてできることなのです。ですから、本人に提供の意志があっても家族が同意しなければ提供が行われないのは当然のことなのです。
 臓器を受け取る側から見ても、単に法律的要件を満たしているから問題ない「臓器」を移植されるのはたまりません。
 臓器を受け取る側も同じ人間であることを忘れないでいただきたい。同じように家族もあり、人生もあるのです。「臓器を受け取って助かるのだから文句をいうな。」とも受け取れるような、昨今の社会風潮(おもにマスコミの対応)には憤りを感じます。
 臓器移植治療とは人の心の橋渡しの医療でもあるのです。移植者は提供された臓器とともに、ドナー家族の思いとも生きていかなくてはならないのです。法律のもつ意味を否定はしませんが、法律は人が生きて行くためにあるものだという大原則をもう一度考えてみていただきたいと思います。日本という国が経済大国だけでなく、人間として豊かな人生の送れる国となることを切に希望して止みません。


特集 ドナーカードを考える

--移植法(仮称)で問われている本人の意思と家族の忖度とは何か--


 第九回トリオ・ジャパン談話会が6月25日に「ドナーカードについて」をメインテーマに開催されました。
 会は先ずトリオ・ジャパン会長(青木慎治)が臓器移植法案が廃案になりそうな状況(*継続審議となる)を踏まえて「今後は自分の命は自分で守る」と怒りと憤懣を述べて始まりました。
 続いて出席者の自己紹介が行われ、肝臓・心臓・腎臓・角膜移植をされた方を始め、脳死移植をテーマにレポートをまとめている学生の方、心臓弁膜症の大手術をしたのをきっかけに臓器移植に関心を持ち始めた方、自分が臓器移植に賛成か反対か分からないけれども勉強したいという方、オーストラリアの病院で臓器提供を待っている息子さんを持つご夫婦、新聞社の方など、様々な立場の方がそれぞれ会に参加したきっかけや臓器移植に対する思いを短くコメントしてくださいました。次にオーストラリアの病院で半年間の研修を終え、帰国したばかりの移植コーディネーター玄順烈女史により「オーストラリア・ブリスベン市からの報告」がされました。
 その中で玄女史は、オーストラリアではドナー数が100万人中12人にも及ぶこと、移植医以外の多くの役割が連携して移植がなされていること、オーストラリアでは日本人の患者と家族にもっと移植を理解して欲しい(人任せ医療にならないように)との声が上がっていること、ドナーカードが映画館等でも入手できることなど、女史が体験したオーストラリアの移植医療を報告してくださり、諸外国が外国人への提供を拒否しつつある状況の中で、なぜオーストラリアは今も多くの外国人(特にアジア人)へ臓器提供ができるのかという女史自身の訪豪前の疑問に、それはオーストラリアが余った臓器を有効に活用している為だと理解できたと結びました。


第九回トリオ・ジャパン談話会報告

上田亜紀

 本談話会のメインテーマである腎臓移植普及会理事長山川和夫先生による「ドナーカードについて」では現在のドナーカードのシステム(登録制)の問題点[カード発行業務を斡旋業と見なすことができる][時間と手間がかかり普及が進まない][登録情報陳腐化、維持コストが高すぎる][カード保持者がポテンシャルドナーであると間違って理解されている]やドナーカードの役割[本人に意思表示手段を提供する][家族との会話のきっかけを提供し本人の意思を家族に知らせる][一般の意識を高め、遺族に臓器提供の意思確認を容易にする]を指摘する一方、ドナーカード普及の予備調査でアンケート対象者400人中50%がドナー登録の機会があれば登録する意思があるという結果が得られたことを報告され、今後はドナーカードをより簡便にし多くの人に普及したい旨述べられました。
 最後に山川先生の講演に対し参加者全員でディスカッションの機会が設けられ、幾つかの質疑応答の他、今後の腎臓移植普及会の在り方やトリオ・ジャパンの在り方が議論され、青木会長は山川先生が国(地方公共団体)を巻き込んだ大きな波を作っていくことを期待すると同時に、トリオ・ジャパンとしては現状に対応してドナーカード以外の意思確認書を配布したり、反対派に対して意見広告を出すなど様々な方法をとっていきたいと意見を述べました。山川先生に於いては、今後1000万人単位での普及が重要であり、移植者による運動会を通常移植に関わりの無い人に見せることにより一般の人に感動を与える、ドナーカードを確認書とするなどの例を挙げ、トリオ・ジャパンに対し、是非、移植問題に関する活動を大きくできる仕組みを、ドナーカードが広がるような仕組みを議論して欲しいと語りました。


ドナーになりたくないカードも

見留幸代

先日の談話会で二月の移植フォーラムでお見かけした星さんと心研の看護婦さんにお会いでき驚くやら感激するやら、意義ある半日を送ることができました。
 新しい命を贈られた者がドナーになろうとする時、そこには一つの共通点があると思います。ただ単に「救命」というだけでなく、患者に係わった全ての人の心の繋がりが、ドナーになりたいという気持ちを芽生えさせるのです。こんな純粋な心を持っている人間がいることを、移植に反対している人々に知って欲しいと思います。
 「ドナー」になりたくないカード」の存在を広く世間に伝える時期にきているとも感じました。
 そんなカードのあることを談話会で初めて知ったのですが、「反対」するだけでなく、このカードを所持することで、遺族の悩み、苦しみを軽減することができるのではありませんか。
 私は腎バンクとアイバンクに登録しました。献体登録をした際「臓器移植とは両立しない」と説明書にあり諦めていたのですが、どのような死を迎えるかわかりませんから「登録」は可能だったのです。
 去年の手術、術後の貧血を乗り越えた私ですが、時々虚しさに襲われます。「サンデー毎日」に投書した頃と心境は変わっていません。不自由の中で満足する方法はあるのか、命以上のものを望むのは罪なのか、疑問がわいてきます。貧血以降体調が戻らず周囲に当たり散らしています。
 主治医は広い心で接してくださり、愚行を詫びたときも「いいの、気にしてないから。でも、あんまりべらぼうなことを言うと元気なところまで悪くなって病気を作るんだよ。見ていて可哀想になるけど、決してイライラしたり、焦らないこと。」と言われ、また「何かあったら来なさい」と優しくしてくださるのです。先生とお別れしてから嬉しいのか、悲しいのかわからない涙が出てきました。
 レシピエントの方達は私のように悩むことはあるのでしょうか、機会があれば是非お伺いしたいと思っています。


私の考え

藤本朋子

 ドナーカードにつきましては、常日頃よりいろいろ考えさせられることが多く、今後の取り組みの中でより良い試みが行われることを期待します。
 生体腎移植を受け早2年が過ぎました。その間、「脳死臨調」「骨髄移植」「生体部分肝移植」等の言葉が新聞テレビで目にふれる機会が多くなりました。
 また「ニュース・ステーション」に於いても”腎臓移植””移植コーディネーター”等、特集を組んで戴き、一般の方々に移植とはどういうものか、広まりつつあるのではないでしょうか。
 私自身、移植後よりドナーカードの登録を友人知人にお願いし続けておりますが、医療従事者である看護婦、看護士の方でさえ登録を尻込みする状態の中で、一般のまして健康な人々に登録をお願いするのはとても大変なことです。
 もう少し脳死や移植に対する情報が多ければ世の中の考え方も違ってくるように思えます。

  1. 登録所(登録カード)を大学病院、移植関連施設に設置。
  2. 医大、看護学校、教習所でドナーカードの授業を組み込む。
  3. マスメディアによるアピール、雑誌等による特集。ポスター等。


 以上、予算的に大変なこともありますが、患者は勿論のこと、医療従事者の間でもっと積極的に話し合って頂きたいと思います。
 1.については、各病院の先生に頑張って頂きたいと思います。もっともっと、身近なものとして、身構えるもので無くすためには、献血運動のように、優しく、押しつけるものではないアピールが必要だと思います。


ドナーカードを持つということ

木内博文

 わが家ではよくドナーカードについて、普及していないことが唯一の問題と思い、どうすれば多くの人がドナーカードを持ってくれるのか、勝手なことを話し合ったりしていました。
 6月25日の談話会で、自分はドナーカードについて知っているつもりで、実は何も知らなかったことを痛感しました。
 その一つとして、腎バンクが各県単位での登録をしていること。腎バンクは国が統括しているものと思っていましたので、あれだけ沢山のデザインのカードがあるとは知りませんでした。
 しかも、横の連絡もなく、情報交換も全くないことには驚かされ、呆れさせられました。
 大体なぜドナーカードが登録制でなければいけないのでしょうか。例えば、骨髄のドナーになるためにはHLAの検査をし、登録する必要があるので納得ができますが、今のかたちの腎バンクにはその必要がありません。
 しかも登録に家族の承諾を必要とすることにも疑問が残ります。
 ドナーカードを持つか持たないかは全く個人の自由であり、その人の死に当たり家族がどうするかは別の問題だと思うのですが、どうでしょうか。
 もう一つ、ドナーカードが昭和52年からあるということ。ずいぶん長い期間経っているのに登録者の数が少ないのはどうしてなのでしょうか。それと、腎臓は腎バンク、角膜はアイバンクと、各臓器毎にカードを発行しているのも変な感じがします。
 全臓器を提供しようとすると、かなりの枚数のカードを持たなくてはなりません。これではせっかくの人の善意が全く活かされなくなってしまい、現実的ではないと思います。 知らなかったというか気付かなかったことで、しかしこれがあまり普及しない原因の鍵の一つだと思ったことがあります。
 サイフの中には何枚かのカードがあり、それを持ち歩くのに何の不都合もありませんし、疑問もありません。ですが、それらのカード全てが、何らかの価値を持っています。しかし、ドナーカードというそのものには何の価値もありません。これを聞いたときなるほどと思いました。
 これではドナーになってもいいと漠然と考えている人が積極的にドナーカードを持とうとはあまり考えないはずです。
 これに対する海外の面白いエピソードとして車が当たるクジになっているというのがありました。ドナーになることは全くの無償行為であるべきですが、何もドナーカードを持つこと自体が無償でなければならないとは思いません。
 こうすればかなりの数の人にドナーカードを持つということを考えてもらえると思うので僕は賛成です。しかし、今の日本の法律ではできないということで残念です。ドナーカードと臓器提供に関するアンケートがありましたが、その約半数の人が脳死を認め臓器提供に賛成しているとありました。
 この結果は大変満足できるものだと思います。ですが少し残念に思ったところもあります。それは誰かを助けられるのだから喜んでドナーになりたいと考える人よりも、死んでしまったら体はゴミ同然と考えている人が多いということです。 確かにそれでも誰かが助かるのですからいいのですが、少し寂しい気がします。
 それは僕が喜んでドナーになりたいと思ったとき、初めて移植を受けるのを承諾することができた、という経験があったからです。
 もしこの気持ちになれないと実際にドナーになってくれる人はあまりいないのではないかと不安です。
 この他にも、まだまだたくさんの問題があるようなのですが、話が難しくなってしまってよく分かりませんでした。
 ですが、今回参加してあらためて感じたことがあります。それは僕達レシピエントは元気で喜んでいるということを皆に知ってもらわなければならないということ。なぜならばそのことがこれからの移植医療をよりよいかたちで発展させるために重要だからです。
 そしてそのことが僕のドナーとなってくれた人への何よりの感謝と供養になると思ったからです。


知らなかったカードのこと

看護婦N.S

 病院の中だけでは聞くことのできない貴重な話や、体験、意見をいただくことができ、とても有意義な一日でした。
 今まで心臓移植に関する知識しか集めていなかったのでというか、病院内で知る情報とTV、本などで得る情報しか、私の中にはなかったので、たった一回、この会に参加できたおかげで、いろいろな臓器に関して病気と闘ってきた人達、それらの人をサポートする人達の生の声をとても新鮮な気持ちで聞き、共感することができました。
 この会に参加するまで、私は日本にドナーカードが存在することも知りませんでした。懇談会の後、同僚数人にも[ドナーカード]について尋ねてみましたが、「えぇ、そんなのあるの?」「どこで申し込めばいいのかしら、腎バンクってどこにあるのかしら?」看護婦である私たちでさえその程度のものなのです。
 一般の人々への[ドナーカード][ドナー]に関する情報はいったいどこまで普及しているのだろうと思いました。いろいろな情報が黙っていても入ってくる生活を送っているのに、命懸けで必要としている人がいる「移植」に関する情報がこんなにも少ないということはとても残念なことだと思います。
 そして、そんな現状をなんとかするために、トリオ・ジャパンが活動しているのだと思いました。
 YさんやKさんがアメリカで移植を無事に終え戻ってきたときに「本当にすごい、素晴らしいことだ」と病棟で迎えた私たちは思いました。同時に「早く日本でもできるようになれば・・・」とも思いましたが、現実には、国・地方・病院・病棟・手術室とそれぞれの中でいくつもの問題が残っています。勿論、本人・家族にも。
 でも待っている人達のために、少しでも働きかけていかなければと思っています。私の立場で何ができるか、出席し話された人達の真剣な口調・素顔にふれて、いろいろと考えさせてくれる会でした。


自分らしい生き方を

T.S

 もう4,5年前ですが、テレビで臓器移植の特集を見ました。その中でコーディネーターを追っていました。苦悩とジレンマと人間性と。それは人の命について考えさせられるきっかけとなりました。 生命の価値、人生観は人それぞれで、何が正しいといえるものではありません。一番大切なのはどのようなものでも尊重しなければならないということです。私には私なりの人生哲学があります。それを理解してくれない人もいます。それぞれが自分なりの考えをもっているからこそ、世の中バランスが取れているのだと思います。
 私は、自分の考えを押しつけること、押しつけられることが大嫌いです。自由は心の特権だと思うからです。なかでも、生命、人生という重大なテーマについてはなおの事、人それぞれが尊重されなくてはならないと思うのです。
 ドナーカードに家族の承認が得られないのが普及率の伸びない原因の一つとのお話がありました。また、臓器提供に際し、本人の意思が明確でないときは家族の承認で良いとの考えが議論を呼んでいるようです。
 これは大変難しい問題です。命は自分自身のものであり、同時に自分を支える家族や友人のものであります。臓器提供には本人の意思は必ずいると思います。
 ドナーカードを、例えば成人式を迎える人に全国的に官庁等を通して配布するなどし、その存在を国民的にアピールするのが先決では?
 皆が一度はこの問題を考え、家族で話し合う機会をもてば、あとは家族の承認欄は必要ないのでは?一人や二人の承認を得たところで、それはあまり意味が無いように思えます。
 数を増やそうとか、そういう目的に走っては方向を間違えてしまうことがあります。ゆっくり慎重に、且つ大胆にうねりを起こしていけばいいと思います。
 今私は25歳です。自分の人生を踏み出す時ではないかと思っています。自分らしい生き方に入っていきたいと思っています。