TRIO Japan News Letter

1998年4月1日発行 第12号
〒170 東京都豊島区巣鴨3−2−5 豊ビル102 トリオ・ジャパン発行
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法律違反の奨め

西村洋治

 臓器移植「阻止」法案が通ってから2ヶ月が経過したが、何も変わりがない。ある人が言ったが、法律は変えられても人の心は変えられないと。人の心はとうに変わっているのに法律はそれを抑制することしか考えない、ということがむしろ正確な言い方か。法律をよく守る民族として日本人は知られているが、法律が現実に合わなくなってきた時、法律を現実に合わせるか、現実を法律に従わせるかは民族の特徴を見る上で面白い。

 アメリカは当然前者であり、日本は明確に後者である。100メートル背泳で潜水泳法(バサロ泳法)も違反でないとわかるとそれも取り入れるのが日本、日本人に金メダルを取られるとルール改正で潜水泳法を体よく禁止してしまうのがアメリカなのだ。真夜中の4時に見通しの良い交差点で、誰も通らないのに赤信号を青に変わるまで待ち続けるのが日本人。読者の多くは、渡るにしても良心の呵責を少し感じるのではないでしょうか? イギリスなどではそもそも信号機を作らない。ピカデリーサーカスのようなロータリーしか作らない。終戦後まもなく闇米を食べずに餓死した裁判官を美談にした方々も多いと思いますが、法律改正を急がなかった政府の怠慢をどれほど糾弾したのでしょう?

 そもそも、法律は人間生活を守るために作られたのであり、法律を遵守すると命が無くなるのであれば、それは法律が悪いのであり、法律である資格がないのであり、それを作った国会、改正を急がなかった議員達の怠慢を糾弾すべきだ。日本人は私を含めてあまりにもおとなしすぎる。

 国の根幹を問われている、日米安全保障条約とか、国連への貢献問題の時、常に出てくるのが、「憲法の許す範囲で」という言葉。憲法の許す範囲で国民生活があるのではなく、国民の許す範囲で憲法があるはずなのに。日本国憲法前文は世界に冠たる美しい文章だと私は思いますが、本当に世界平和のために名誉ある地位を占めたいと思っているのなら、対人地雷廃止条約にアメリカが躊躇している時、アメリカの顔色を伺うことなく、兄貴分のアメリカを諌めるべきなのに、いつものように兄貴分に追随して…。フランスが南太平洋で原爆実験をしたら、真っ先にフランス政府に断固抗議すべきなのに…。憲法前文が高らかに宣言していることを何もやらずに、「平和憲法の許す範囲で」どこまで戦争に加担できるかという机上の空論に時間を費やしているのは、業者からの賄賂性のない献金なんてあるわけないのに、企業献金を合法化しようと詭弁を重ねている国会議員には仕方のないことなのだろうか?

 神戸で大地震が起きた際、私はイギリスにいたが、各国政府が医療チームを派遣しようとしたとき、日本政府が断ったのにはがっかりした、と言うか、呆れた、その理由を聞いて。医者がもう十分足りているという理由ではなく、イギリスの医者が日本国の医師法で定められた医師免許を持っていないという理由を聞いて。太平洋のど真ん中を飛んでいる飛行機の中で急病人が出たとき、私はいったいどの国の医師免を取ればよいのだろうか?

 アメリカのブッシュ大統領が来日した時、救急医療チームを引き連れて来た話は有名だが、ウガンダやカンボジアに来訪したならいざ知らず(ウガンダやカンボジアの皆さん、すみません!)、随分失礼な話であった。しかし、これはもっともな話であって、急場の時には免許のあるなしに関わらず、出来る人が出来ることを要領良くやる、これが原則であって、その当時救急隊員に気管内挿管や静脈点滴ラインの挿入、強心剤の静脈投与など許されていなかった日本で、健康に不安のあったブッシュ大統領が本国チームを連れてきた理由はよく肯けた。実際、その当時、病院到着時心臓停止患者の救命率は日本で1〜2%、かの国で10%前後であったと思う。厚生省がばかにされたことは甘んじるとして、ばかな法律のためにアメリカなら助かる患者が何人も、何もできない救急隊員のために(ちょっと訓練してもらえば十分出来る事なのに)、そうさせてきた厚生省のために、あの世にいってしまったことに日本国民はもっと怒るべきであったのに…。

 ソクラテスのごとく、遵法思想の高い多くの日本人は法律は尊いものだと考えていると思いますが、私は基本的に法律は不道徳だと思う。池で溺れている人を見過ごして通り過ぎるのは法律上無罪なのに、助けるつもりで枝を差し出して、結果的に沈めてしまったら過失致死を問われかねない。としたら、見過ごした方がよいに決まっている。いわゆる、君子危うきに近寄らずというやつ。末期癌患者に無駄で苦しいだけの人工呼吸をするのは無罪なのに、見るに見かねて安楽死させると殺人罪になってしまう。重症心不全の若い患者に心移植の話をせず、結果的に移植のタイミングを失わせても無罪なのに、家族の忖度(そんたく)のもと脳死下で心臓摘出し、この患者を心臓移植で救おうとすると殺人罪に問われてしまう。この国には法律はあっても正義はないのだ。

 毎年何万件も行なわれている社会的適応という名の人工妊娠中絶は、そのまま継続すればほぼ確実に社会の一員となるべき生命なのに、それを抹殺することは一方で全く問題視せず無罪としながら、百歩譲って99.9%「死ぬ」運命にある脳死患者に1日10万円もの医療費をたれ流すことの是非を考えもせず、家族の承諾を得てその方の臓器を摘出することの違法性のみを追求する、この社会的なバランス感覚のなさは何ということだろう? ヤクザに対する200億円もの巨額不正融資をした第一勧銀に対する罰金50万円というアンバランスも記憶に新しい。法律を世の中の動きに合わせることをサボっている国会の怠慢は言うまでもないが、これがまかり通る世の中なら、交通違反で私たちが払う罰金も1円でいいのでは?

 本当に世の中にはちょっと考えれば誰にでもわかるひどいアンバランスがたくさんあるものだ。脳死臓器移植の領域は何をやろうとしてもすぐに倫理倫理と、鈴虫のような鳴き声がひどくうるさいが、その一方で私も含めて医者は日々倫理など度外視して激しい治療を開発している。マスコミもマスコミで、臓器移植や産科領域以外ほとんど全く取り上げない。ある段階の胃癌や胆道癌で行なわれている激しい手術、副作用の強い化学療法などもっと鈴虫が鳴いても良いと思うのだが。

 

 

 いずれにしても法律が内在的に持っている決定的な欠陥は、人間を性悪説で見て、悪い人間を取り締まるためのあらゆる場合を想定し、人間の活動を抑制するため、副作用として性善説の部分まで抑制してしまうことである。それはあたかも癌細胞をたたくため、抗癌剤を投与し結果として白血球など味方も殺してしまい、寿命がかえって縮まることに似ている。ここがまさに、西洋医学がどつぼにはまっているところで、味方を増やして癌とうまくやって行こうという漢方医学などに学ぶところが多いところだと思っている。

 医学教育も問題だ。私たちは人の生かし方は飽きるほど習ってきたが、死なせ方は全く習うことなく医者になった。尊厳死・安楽死の問題は、医者には任せられないと思った人たちが協会を作り問題解決を図ってきたが、これこそ幸せな人生の終わらせ方を全然考えてこなかった医者の怠慢に腹を据えかねてできたものと思う。

 厚生省も問題だ。薬害エイズや脳硬膜によるクロイツフェルト・ヤコブ病など記憶に新しいが、同じようなことが今後も必ず起こるであろう。なぜなら、彼らの基本ポリシーが「疑わしきは罰せず、業者の利益に」という考え方だから。疑わしきは、泣いて馬謖を切っても、罰さなければなりません!! そのくせ、欧米で良いと分かり認可されている薬に対し、5年も10年も同じ繰り返しの臨床治験を要求して結果的に認可を遅らし、助かるべき人を見殺しにしている。アメリカのFDAやEUで通った薬は原則フリーパスで良いと思うのだが。日本で開発されたFK506(プログラフ)が自由に使えるようになったのもアメリカよりはるかに遅れたし、ネオーラルというサンディミュンの改良型は日本ではいつになったら使えるかわからない。先進国でまだサンディミュンを使っているのは日本位のものだろう。B型肝炎に対してラミブジンを1日100mg1回1ヶ月間投与すれば、ほとんどの症例で副作用なく血液中からウイルスが消失することがわかっていて(半永久的に まないと再出現するが)、しかもエイズの治療薬として利用されており、安全性は証明されているのにも関わらず、まだ当分の間、厚生省は認可するつもりはなさそうだ。厚生省の罪は深い。

 法律は常に抑制的で進歩を阻害する。悪をも同じくらい阻害してくれればよいのだが…。本当に悪も阻止するならイスラム法の方が有効だと思う。例の、目には目をというやつ。窃盗犯の指を切り、強盗犯の足を落とし、強姦男のペニスをちょん切る…(本当のところは知りません、想像だけで列記しました)。これらの罰を野蛮と思うかもしれないが、文明的な法律では、再犯のために多くの新たな犠牲者が出ている野蛮な現実を直視すべきです。野蛮な再犯者を保護する文明的な法律より、文明的な生活を享受していた新たな犠牲者を保護する野蛮な法律の方が良いのでは? 中世の魔女裁判以来、文明国の法律家は法が犯した無実の罪の犠牲者達を二度と出さないように、犯罪に寛容になりすぎていると思うのですが?

 

 トリオの愛情豊かな新聞にそぐわない、かなり過激なことを書いてしまいました。が、こういう私も文部省の役人であります。法律の悪口ばかり言ってきましたが、私たちは法治国家に住んでいます。法律は守りたいものです。納得できる法律なら。私たちは小さい時から理不尽な校則でも(髪の毛の色・スカートの長さ等々)守るようしつけられてきました。世界からは遵法精神の行き渡った礼儀正しい国民と見られています。すばらしいことです。ですから、医学の進歩が三年一昔であるように、社会の進歩に追いついてゆくためには、全ての法律を3年に1回見直すくらい当たり前であることを、居眠りしている国会議員たちに言っていきましょう! 少なくとも選挙のときくらい、怠けている議員たちを追放するくらいの意気込みで私たちの怒りの一票を行使しましょう。腐った厚生省を、誰がちゃんと行政改革するかしっかり見ていきましょう。どうせ私の一票位と思わずに!

 

 最後にこの場を借りて、東京大学医科学研究所の脳死肝移植のプログラムを実施に移せなくて無念のうちに亡くなっていかれた方々に、私たちの非力をお詫びするとともに、御冥福をお祈りいたします。

 

1997.12.16

(にしむら ようじ・東京大学医科学研究所 外科・移植科)

※非常に早く原稿を提出して下さったのにもかかわらず、遅くなってしまってすみません。

 

娘の肝移植を通して考えたこと.

染井 伴子

 娘は昨年7月にブリスベンで肝移植を受けました。移植後、娘が金色の地に黒と赤で印刷されたしゃれたドナーカードを持っていました。銀行がスポンサーになっていました。病院の待合室に置いてあるとのことで、次の診察日に手に入れ、その場でカードに署名しました。娘が「オーストラリアでは臓器だけでなく骨も組織も全部あげちゃうんだけどいいの」と聞きます。物を割り切って考える娘が古風なことを言うのでおかしくなりました。「もちろん。」といいながら娘に家族の同意欄に署名してもらいました。

 十年前に義母が亡くなり、遺言に角膜と腎臓を提供するとありました。臓器提供について何も知らなかった私は驚き、義父もすごい人だと思いました。そんな時期に友人の親族が献体した話をききました。おぼろげに私も骨をただお墓に埋めるのはつまらないなあと思いだしていました。

 三年前、娘の病気が分かり、「いずれ肝移植が必要になるかもしれません」と言われ、驚き悲しみ悩みました。移植医療へのもやもやした気持ちは、医療技術への不安ではなく脳死の人から臓器を戴けるのかという迷いでした。

 どういう訳か、自分の家族の臓器提供に同意できなくては娘の臓器移植を受けることはできないと思いこんでいましたから、毎日気持ちが重くなっていきました。自分の臓器提供にはためらいはなかったのですが、家族となると、たとえ脳死状態でも横にいたいのではないか、いや絶対生き返ることはないのだから・・・、機械で生かされてとはいえ温かい体にメスを入れることに同意できるのだろうか、でも・・・と堂々巡りの一年間でした。

 精神のバランスが崩れてしまいそうで精神科の門をたたこうかと真剣に考えました。癒しを求めて宗教の本や、心理学者・精神科医の書いた本を手当たり次第読みましたがすっきりしませんでした。ひどいことに「喪の途上にて」とか「死別からの快復」とか娘がタイトルを見て嫌がる本まで読みました。

 私が家族の臓器提供に同意できると確信するまでに長い時間がかかりました。ただどうしてそう思えるようになったかは言葉でうまく説明できないのですが。

 娘がドナーに対する感謝を口にする度に、夫が必ず「ドナーの家族にも」と言葉を補います。それを聞きながら、夫も私と同じように苦しんだ時があったのだろうと想像するのです。

 そして、オーストラリアのドナーカードの説明書に、家族に自分の意志を伝え十分に理解してもらっておくことが大切だと大きく書いてある訳ががよく分かるのです。ドナーになる意思があるのに家族の反対で命の贈り物ができないことも少なくないと聞きました。

 先日、新聞投書に臓器提供だと慌ただしい別れが嫌だと書いている方がいました。それを読んだとき、私が一年間ももやもやしていたのは、「慌ただしい別れに対する不安」だったのかもしれないと思いました。

 今、献体は希望する人が多く、申し込みに行っても断られるそうです。ドナーも十分足りていると言える日が早く来る事を希望しています。ドナーカードが身近なところに置かれて、たくさんの人の手に渡り、手にした人が人生の最後をどう締めくくるかの選択肢の一つとして臓器提供を考えることができるようになるといいなあと思うのです。

(そめい ともこ・娘さんが肝移植)

 

肝移植体験記

生田 寛治

 私は、7年前に献血で異常が見つかり、ホームドクターである開業医の本田先生に採血してもらい、B型肝炎と診断されて以来病状が悪化し、3年前には肝硬変となってしまいました。

 昨年、神戸中央市民病院入院中に、担当外の先生より「移植は無理」と聞かされておりましたところ、2月末に私と同じ病気で、ドイツで移植手術を受けた磯田さんを新聞で知り、うちのカミサンが直接お会いして詳しく移植の話をうかがいまして、「自分も助かる」という気持ちになりました。

 そして、担当医の工藤先生に移植手術希望という話をしたところ、同僚の樫田先生を紹介されました。樫田先生の外来で、移植医療の実状をうかがって、「何とか海外に救いを求めよう」ということになりました。

 諦めていた自分の人生に、磯田さんを知り得てから、「未来がある」と思うようになりました。2月末より検査入院まで、バタバタしていましたが、3月10日に、移植適応かどうか診断するために入院となりました。様々な検査を受けつつ、磯田さんと同じドイツの病院とコンタクトを取っていただいて、返事を待ち続けていました。

 検査入院の間に、130kgほどあった体重が、利尿剤のおかげで、97kgまで減っていました。このころには、コッソリと、カップラーメンなどを買って食べるようになりました。肝性脳症という怖い状態だったのですが、先生方が体調をうまくコントロールしていてくれたので、自覚症状がまるっきりなかったのです。また、病院の食堂にうどんを食べに行ったり、アイスクリームを買って、トレーナーやTシャツの下に隠して病室に持ち込みました。ラーメンを食べるときやたばこを吸うときは、窓を開けて臭いや煙を外に出すようにしていました。友達夫婦がビデオを設置してくれて、レンタルの映画を持って来てくれたり、本を買ってきてくれたりして、何不自由のない入院生活を送っていました。

 そして、4月下旬頃だと思います。まさかと思いましたが、ドイツより断りの返事が来ました。樫田先生より、何とか多方面にお願いして受け入れ先を探すので、私自身もいろいろ探してみてほしい、という話がありました。

 アメリカでは、B型肝炎の患者への肝移植はしていないと聞いていましたが、ロサンゼルスの友達に、UCLA(カルフォルニア州立大学ロサンゼルス校)への受け入れ交渉を、すがる思いで頼みました。樫田先生もオーストラリアのブリスベーンにお願いしてくれたのですが、断りの返事が来たと告げられて、もう世界中に受け入れ先はないのかとあきらめかけていたら、アメリカのピッツバーグの病院の話が出てきました。

 そのうちに、阪大からの紹介で、フロリダ州のマイアミ大学に受け入れのコンタクトを取っていると言われました。神戸中央市民病院より、阪大の外科外来に診察を受けに伺いまして直接お願いしましたところ、「大丈夫だろう」という返事をいただきました。

 しばらくして、マイアミより「OK!」と、正式な返事が来ました。

 そして、詳しい入院資料のファックスが届き、さっそく入院預託金をマイアミ大学とジャクソン記念病院に振り込みました。後で知ったのですが、公立病院だったジャクソン病院が経営危機に陥ったところ、マイアミ大学の援助によって立て直したそうです。ようやく、手術が受けられるという実感がわいてきました。

 まもなく、ロサンゼルスの友達より連絡が入り、UCLAとの交渉が成立して、OKがとれたとのことでしたが、事の経過を友達に説明し、阪大から紹介されたマイアミへ行くことになりました。

 アメリカでの移植の費用は予想以上に高額になると言われており、資料のようにはいかないだろうと言うことでした。トリオ・ジャパンより、「できる限り援助をする」との心強い言葉をいただき、本当にありがたかったです。

 さて、すでに預託金を振り込んでいるので、追加金などの後のことは頼んでおいて、一週間後には日本を発ちました。

 6月4日、17:30に関西国際空港を発ち、マイアミ空港には同日22:05に着きました。阪大の加藤先生が奥様と一緒に空港まで迎えに来てくれました。夜も遅かったので、私はそのまま入院させて、うちのカミサンを近くのホテルへ送り届けてくれました。手術が成功して、レンタカーを借りるまで、加藤先生の奥様にうちのカミサンを送迎してもらい、本当にありがたかったです。

 

 

 さて、翌日目を覚ますと豪華な食事が運び込まれてきました。そして、加藤先生が入れ替わりに入ってこられて、「しっかりと食事をして、体力をつけるように」と言われました。肝性脳症による食事制限をしていましたので、朝食の肉・卵・ケーキ・アイスクリームにはビックリしました。冷蔵庫には、ジュースやアイスクリームが詰まっており、自由に飲んでくださいとのことです。また、朝食にカードがついているので、よく見ると朝、昼、晩と食事のメニューが書いてあり、自分で食べたいものを選択するシステムになっているので、またビックリしました。

 早朝より、先生も入れ替わり立ち替わりに入ってこられて、日本から持ってきた資料を見られていました。また、看護婦さんも専門分野に分かれているらしく、何人も来られていましたが、南米の方が多いように感じました。看護婦さん同士は、英語よりスペイン語の会話が多く、ときどき英語が混じり、部屋中にぎやかでした。

 昼から心臓負荷テストを再度やり直しました。そして、病院内はエアコンがとてもよく効いていてかなり寒いので、うちのカミサンに羽毛布団を買ってきてもらいました。その日は時差のせいか早く寝てしまいました。

 翌朝4時に起こされて、英語かスペイン語で何かを言われましたがよく分からず再び寝込みました。次に6時に起こされたときは、カミソリがいくつか置かれており、部屋中に看護婦さんもおり、何か異常な雰囲気で、「これから手術なんだ」と思いました。そして手術の恐怖心を感じる前に、剃毛とシャワーと下剤のカプセルと、次々と追い立てられ、薄い布製の幼稚園のスモックみたいなモノを着せられ、ストレッチャーに乗るように言われました。

 その内に、デカイ黒人が現れてストレッチャーを片手で飛ばすように運んでいきました。手術室の前まで運んできたら、何か私に言ってどこかへ言ってしまいました。一人残されて手術の恐怖を少し感じ始めたところへ、カミサンが駆けつけてくれました。二言三言、言葉を交わしているうちに手術室へと運ばれました。

 このあたり記憶がなく、とにかく気がついたときには薄暗い部屋にいました。後で聞くとICUだったらしいのですが、マスクも手袋もなく患者の家族が会いに行ける大部屋みたいなところでした。

 3日ほどで普通病棟に戻れました。そのときより例の豪華な食事が始まりました。看護婦さんが次々に入ってきて、身の回りのことはなんでもしてくれます。キューバ、ハイチ、メキシコ、フィリッピン、台湾などと本当に多国籍で皆親切で、とても陽気なカリビアンでした。

 加藤先生が紙に英語とローマ字で日本語を書いて壁に貼ってくれましたので、それを先生や看護婦さんは見ながら話しかけてきます。私がポータブルCDで音楽を聴いていたら、イヤホーンを取って陽気に踊り出すのです。

 本当に楽しく入院生活が送れました。血圧、体温、体重、採血などのデータを長い紙に毎日つけて病室のドアに張ってあり、それを先生方や婦長が見て、中に入ってきて診察するのです。

 やがて退院の許可が出ました。6月23日のことでした。

 私の手術中にうちのカミサンが倒れてしまって、急遽長女を日本より呼び寄せたため、3人でマイアミビーチ沿いのコンドミニアムを借りて暮らすことになりました。手術成功後にレンタカーを借りていたので、週一回の検診日には、通院にも使っていました。

 フリーウェイを利用すれば、コンドミニアムから20分ほどの距離でした。そうしているうちに、甥が日本より見舞いに来てくれたのですが、ネアカ人間なので、ずいぶん助かりました。そんなこんなで、通院日以外は4人でマイアミ市内の見学と買い物と、少し離れたところにある日本食料品店へ買い出しなど、マイアミの生活を楽しんでいました。この小さい日本食料品店のおかげで、カミサンの日本料理が食べられたのはずいぶんと助かりました。

 やがて、帰国の許可が出ました。関西国際空港について、税関を経て、表へ出ると友達夫婦が迎えに来てくれて、顔を見たとたんに、涙が出てきました。

 そして、神戸中央市民病院に直行しました。私の術後管理のために検査入院するのです。移植医療とは、外科と内科のコンビネーション医療なのだなあと思いました。感染症と拒絶反応の狭間を、いろいろな薬で生き抜いていくのです。

 今回は本当にたくさんの人々にお世話になって生き返りました。私に、人の運と、時の運を恵んでくれました。私に課せられたのは、ドナーの方の分と一緒に2人分の人生を大切に生きていくことなのです。

(いくた かんじ・新聞販売店経営/肝移植)

 

私の闘病生活

永幡 勝則

 私は、1992年2月、肺炎から心不全を起こし、岡山赤十字病院へ緊急入院となり、検査治療を受け、約2ヶ月で退院、しかし、その後4年間で3度の入退院を繰り返しました。しかし、この時には、まさか心肺移植が必要になるとは思っていませんでした。

 そして、1996年3月に、4回目の心不全を起こし、同時に、不整脈発作(VT)を起こすようになり、血圧低下、脱力感、呼吸困難、意識障害、激しい胸部痛に悩まされ、岡山心臓病センター、榊原病院へ緊急入院しました。そして長い入院生活になり、苦しいときが長く、生きる気力も薄らいでいた頃のことです。移植準備が進みながらも、移植に対して不安だらけだった私のところに、心臓移植を受けられた青木正邦さんや松内賢三さんが来院してくださり、その他の方々からも励ましのお手紙や、ご相談に乗っていただきまして、本当に勇気づけられました。このことを教訓に、私も今後、自分自身が元気に生活し、移植に対して不安な気持ちを持たれている方々のご相談にのっていきたいと思っています。

 1997年1月30日、東京女子医大病院から、心臓移植に向けてアメリカに出発することができました。当初、私は体調が安定していたので、アパート待機を1年くらい覚悟していましたが、渡米して一週間目の、2月7日、UCLA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校)メディカルセンターでの外来診察中、突然、心不全・不整脈発作を起こし、CCU(循環器集中治療室)へ緊急入院となりましたが、このことがきっかけで、移植待機リスト上で、ステータスVから、ステータスTのトップへとランクアップされ、3月1日、無事、心臓移植手術を受けさせていただくことができました。この移植にあたっては、本当に、国内をはじめ、国を越えた大勢の皆様方の、御力をいただいたことに感謝の気持ちで一杯です。

 現在は、移植から約10ヶ月が経ちまして、元気に日常生活を送っています。今後は、国内での移植医療がスムーズに施行されるよう、そしてその中でも、海外に頼らざるを得ない人のためにも、微力ながら活動していきたいと思っておりますので、今後とも何卒よろしくお願い申しあげます。

 

(ながはた かつのり・おかやまハートサポート/心移植)

 

 永幡勝則さんのご活躍の様子をNiftyserveのクリッピングサービスから、ご紹介します。

 

11/13 18:51 NH:

米で心臓移植の男性が母校で体験を講演

 

NHKニュース速報

 

 アメリカで心臓の移植手術を受け、今年五月に帰国した岡山県勝田町の永幡勝則さんがきょう母校の高校を訪れ、「生きる喜び」と題して講演を行いました。

 永幡勝則さん(30)は重い心臓の病気になり、今年の三月アメリカで脳死の人からの心臓移植を受けて五月に帰国しました。

 きょうは、永幡さんの母校で岡山県作東町にある県立江見商業高校の文化祭に招かれ、およそ三百人の全校生徒を前に心臓移植を受けた体験を講演しました。

 このなかで永幡さんは、去年の秋には発作が続き、寝ているうちに死んでしまうのではないかという不安にかられた日々を思い起こし、今、生きている喜びを繰り返し語っていました。

 また、「ヘリコプターの音が近づくたびに心臓を提供してもらえるかと期待する一方で、人の死を待っているような罪悪感を合わせて感じていた」と複雑な心境だったことを打ち明けました。

 そして、日本で臓器移植法が施行されたことについて、「外国では言葉や食事の問題がつきまとい、日本で移植を受けられるのが一番です」としたうえで、「善意の臓器の提供がなくては移植は行えません。臓器移植を自分のこととして一度、考えてみてください」と呼びかけていました。

 

02/28 08:19 共:

岡山で移植支援組織が発足

  米国で心臓手術の元患者ら

 

共同通信ニュース速報

 

 難病の拡張型心筋症で昨年、米国で心臓移植手術を受けた岡山県勝田町の元会社員永幡勝則さん(31)とその支援者が、永幡さんの手術から一年経つ三月一日に、移植を必要とする患者らを助けようと支援組織「おかやまハートサポート」を発足させる。

 手術を受けるまでの間、孤独や不安を感じる待機患者や家族のために情報を収集、提供したり、啓発活動を行ったりして、移植医療が日本で定着するために活動する。

 永幡さんは「手術前は心細かったが、全国の移植経験者などから手紙などを頂き、不安がなくなった。同じような病気の人を勇気づけたい」と意気込んでいる。

 「ハートサポート」は永幡さんの手術費用を集めるためにつくった「救う会」が母体で、会員は学生時代の同級生や看護婦、腎(じん)移植を受けた人など三十八人。「ハート」には心臓という意味のほかに心の意味も込め、心臓だけでなくすべての移植を対象とする。

 中学時代の同級生で会長の坂元省吾さん(31)は「募金に協力してくれた多くの人々の気持ちをこのまま終わらせたくない。永幡君の真の社会復帰のためにも移植を社会に理解してもらうことが大事」と話している。

 連絡先は岡山県勝田町大町四三五ノ四、永幡さん宅、08687(7)0894。

[1998-02-28-08:19]

 

第16回トリオ・ジャパン談話会

『医師との対話』出版を記念して

 10月18日(土)、中央大学駿河台記念会館にて、第16回トリオ・ジャパン談話会・『医師との対話』出版記念会が、『医師との対話』に登場する3家族(五十嵐さん・渡辺さん・萩原さん)をお迎えして開催されました。

 3家族のみなさんが心うたれる体験談をお話しされた後に、この本の編集に携わってくださったはる書房の佐久間さんが編集の裏話を語って下さいました。その後、日本を見つめつつ、報道や医療のあり方について様々な意見が交わされて、大変有意義な集会となりました。

 

私たちの経験をふりかえって

萩原 守

 私たちは、その当時、ただ娘、佳奈の命さえ取りとめられれば…。それだけしか考えられず、援助をしてくださった方達に甘え、迷惑をかけ、周りの人たちのことは何も考えず行動をしてきました。今回「医師との対話」が出版されるに当たり、今になってそんな気持ちが強くなり、心苦しい思いをしております。

 私たちがこの本で紹介されましたのは、ボランティアの方をはじめ、「ひと」に恵まれたケースだからだと思っています。事実、佳奈が発病をしてから「ひと」には本当に恵まれました。

 発病から現在まで、三つの医療機関を転院していますが、転院のきっかけは医療機関または主治医の先生とうまくいかなくなったというのが原因ではなく、佳奈の病状に合わせて、その時点で最良の判断をして転院をしてきました。いずれの先生も協力的で今でも病状をお知らせし、気にもしていただいております。特に、本で紹介されました佐地教授におかれましては、移植についての仲介役を行っていただきました。もちろん、佳奈の主治医の先生で、いまだにご迷惑ばかりかけています。

 募金については多くの人たちに助けていただきました。とにかく初めてのことであり、トリオ・ジャパンの方々には一から教えていただきました。小学校の校長先生やPTAの方々、私たち両親の出身地の方々、新聞やテレビなどの報道関係の方々、そして募金をしてくださった多くの方々、最後にこれらを全て取りまとめてくださった募金活動の代表者の金田さんには本当にご苦労をおかけしました。後日、このようなケースはめずらしいと言われ、ここでも「ひと」に恵まれていたと言うことを実感しました。私たちは佐地教授や金田さんのお二人をはじめとする方々に全てを任せて、療養生活において何一つ不自由することなく治療に専念することができました。

 今思うと、私たちは娘の命を救えただけでなく、もう一つ大きな、とても大切なものをいただいた気がします。こんな大きな事業は私たちだけでやれることではありません。私たちの周りの人たちが大きな輪になって一つの目標に向かい動いてくださったからできたのです。この輪のどなたか一人でもかけていたとしたら、このような良い結果は出ていなかったと思います。皆様には改めて感謝いたします。

 今後、国内で移植を行うことになっても、仕方なく海外へ移植のために行くことになっても、患者と家族だけでは何もできません。その人の周りの方々がそれぞれの分野において援助をしてくださり、それが一つになって初めて成功すると思います。私たちは、今後は援助ができる中の一人となって、家族皆そろって生活して行ければと思っています。

(はぎわら まもる・片倉病院事務長/生体肺移植ドナー)

 

トリオ・ジャパンの談話会に参加して

長峰 蔦子

 お三方の病気はそれぞれ違いますが、悩み、考えた末に決断されたことを拝聴し、胸が痛くなるほどでした。

 私にも胆道閉鎖症の娘がいます。手術後、何度も繰り返し起こす下血。昼夜を問わず救急車で病院につれていくたびに、何故私の娘だけがこんなことになるのだろうか、笑顔で家に帰ることができるのだろうかと、不安ばかりの日々でしたが、神奈川こども医療センターの先生方はいつも「心配ない、大丈夫」と、その言葉に何度も救われ、助けられたように思います。

 崇史君もそうでしたが、私も娘も主治医の先生を絶対に信頼しています。小さいながらも病気がどんなものか理解しようと、先生と一対一で身体の図を書いてもらいながら、どんな治療をするのか訪ねています。内視鏡による食道静脈瘤の硬化療法、5才での脾臓塞栓、血小板の減少、貧血など、次から次へ出てくる新しい症状に対する治療に、自分で納得すると、痛いのを我慢して受け入れているようでした。

 私自身、先生から教えていただく数値を、他の子どもと比較してずいぶん悩んだときもありましたが、「心配ない、よし!」との一言にはげまされてきました。

 おそらく肝硬変は確実に進行していることでしょう。将来どうなるのかと不安が消えることはありません。しかし、今は高校生活を目一杯楽しく過ごしています。それも神奈川こども医療センターの先生方、看護婦さんたちの温かい心と、手厚い治療のおかげだと感謝しています。

 トリオ・ジャパンの皆様方の行動力、大きな手を限りなく広げて、これからも頑張ってくださいますように。今日は本当によい体験をさせていただきありがとうございました。

(ながみね つたこ・神奈川こども医療センター

胆道閉鎖症家族の会代表)

 

談話会に参加して

酒井 和恵

 私は、子どもの頃発病し、平成8年6月に生体腎移植を受けました。

 今は、家事を中心に普通の生活ができるようになりましたが、いつ具合が悪くなるのか不安な毎日です。そんな時、『医師との対話』の出版記念会の案内をいただき、参加することができて、大変嬉しく思います。

 今までは、一人で外出するほどの自信はなく、家に閉じこもりがちでしたので、死ということをよく考えていました。しかし、「いろいろな人と話をしたらどう?」といわれ、前向きな気持ちになれました。

 今回皆様の話を聞き、また、いただいた本を読むうちに、私より苦労されている方がいるのだと感じ、勇気づけられた気がします。

 私は、結婚6年目になり、子供を作るか作らないかで悩んでいます。多量の免疫抑制剤の服用のために、母子双方への影響が考えられること、父からもらった腎臓が無駄になってしまう可能性があることを考えると、それだけの危険を乗り越える価値があるものかどうかと考えてしまいます。

 しかし、移植者だけでなく、それをサポートする家族や医師、また、マスコミの方々などによる、それぞれの立場からの話は、大変参考になりました。

 これからは、このような機会を生かし、友達作りをかねた情報交換をしていくためにも、私の経験を役立てることができればと思っています。主人にも協力してもらい、できるかぎり参加させていただきたいと思います。

(さかい かずえ/腎移植)

 

談話会にて

新見裕子

 第16回トリオ・ジャパン談話会に出席させていただきありがとうございました。今回は、「医師との対話」の出版記念を兼ねての会とのことで、談話会より先に会から本を頂戴し、読ませていただいていたので、御三家族にお会いできるのを楽しみにしておりました。

 本の中で御三家族の苦しみやご苦労を知り、ある時は自分の経験とだぶらせたりと、会場でお会いできたときは、以前からのお知り合いのような親しみを感じてしまいました。

 移植医療という、苦悩の末に決断する医療に対して、最も大切である医師と患者の間に、病気を患う側と、それを見る側というだけではない強い信頼を築かれている。医療不信を、多かれ少なかれ持つ人が多い現在、これほどの信頼関係を作り上げたと言うことはとてもすばらしいことです。医師との関係、医療のあり方などを改めて考えさせられました。

 御三家族の他に出席されていた方々も、皆様とてもお元気そうで、移植を受けて1年目となる息子を持つ私も、とても勇気づけられました。1年がすぎ、移植後の生活の注意などにも慣れ、子どもの元気な笑い顔を見ていると、もう以前の様な心配はないと思う反面、状態が少しでも思わしくないと、とたんに不安が押し寄せてきてしまいます。そんなときの私の一番のお薬は、みなさんのお元気な姿であり、貴重なご経験や御意見をうかがえるときです。

 また、移植なさった方、その家族だけでなく、医師や報道関係者など、いろいろな角度からの御意見をおうかがいする機会はなかなかありませんので、このような機会を大切にして、みなさんから得たことを、今度は、微力ながら私が役立てて行くにはどうしたらよいのかを考えていきたいと思っております。

(しんみ ゆうこ/生体肝移植ドナー)

 

沖縄シンポジウムに参加して

 

 10月26日(日)、サザンプラザ海邦にて、各団体との共催にて、沖縄シンポジウム「いのち一つ輝いて―臓器移植の現状を考える」が開催されました。

 トリオ・ジャパンからは野村祐之副会長と、物部多恵子さんがお話をされました。

 物部 多恵子さんからのご報告です。

 

 1997年10月26日、沖縄でのシンポジウムに参加させていただきました。参加の機会を作っていただいたトリオ・ジャパンの皆様には感謝しています。この日は、先日亡くした娘の9回目の誕生日に当たる日で、大変複雑な思いがありました。

 私の地元である沖縄でのシンポジウムでしたが、一般の参加者が予想以上に多いことにはびっくりしました。是非、こういう機会をきっかけに、一般の家庭でも臓器移植ということを考えていただきたいと思います。

 今回、シンポジウムで伺った話では、腎移植についてのお話が多かったように思います。一応、移植全般に関するシンポジウムなのですから、もっと様々な臓器にまたがった話題を、医療関係者の先生方にお話を伺いたかったと思います。

 懇談会では、あるお母さんの話が印象的でした。娘さんが重度の心疾患で、沖縄では手術ができなくて、大阪で手術を受けられたそうです。私の娘がアメリカに行かなくてはならなかったように、大阪に行かなければいけなかったわけです。

 私の娘の場合、東京の病院に8年間お世話になっていたこともあって、技術のある病院が家の近くにあるというのが当たり前の様な気がしていました。国内での医療施設、医療技術の格差、ということはあまり考えたことがありませんでした。これも、解決していかなければならない問題だと思います。

 文章を書くことになれていないため、つたない文章になってしまいましたが、これからもいろいろなところで勉強していきたいと思います。今後ともどうかよろしくお願いします。

(ものべ たえこ・故物部美佑紀ちゃんの母)

 

ファミリーコーディネーターから

荒波 よし

 10月16日を待ちわび、肺移植指定病院が決まることを願い、そして移植が実現することを願いながら、11月27日にお亡くなりになったMさんのことを、追悼の意をこめてお話させていただきます。

 Mさんに関しての第一報は3月末の頃、主治医のA先生からでした。「肺移植が必要な患者さんがいます。トリオを紹介してもいいでしょうか。支援していただけますか」

 その後、Mさんから「肺移植に関してうかがいたい」との連絡を受けました。その時は入院中で、許可が得られて外泊しているとのことでした。

 奥様と連絡を取りあって、《肺移植の現状》《日本国内の現状》をお話しして、具体的にMさんが肺移植を受けるまでの手順・状況を説明しました。先生にお願いすること、Mさん側で準備しなくてはならないことなどを話しあいました。そして、奥様とともに会社の上司への説明に伺いました。会社側として、渡航移植に備えて、すぐに募金の為の支援体制を組んで下さいました。また、同僚の皆様方はMさんを励ます為のお見舞のローテーションを組んでくださったようです。

 しかしアメリカでの平均待ち時間が1年半と言う中で、主治医から聞いているMさんの余命を考えると、奥様の悩みと迷いは大きく、長きに及びました。その間に病状が進み、Mさんも渡航が困難であることを自ら悟り、目標を国内での移植に切り替えました。

 《脳死臓器移植法案》が可決され、10月には施行されるという情報に期待し、Mさんは新聞やテレビに目を凝らしていました。奥様を通して、いろいろ質問されたり、意見を求められたり、期待されたりいたしました。Mさんは何とか移植まで我が身をもたせたいと一生懸命でした。

 この一生懸命が奥様を動かし、共に歩く私にも拍車がかかりました。肺移植が出来るように、入院先の主任教授に会社の方々と共にお願いに行ったり、他施設で肺移植を実施されるだろうと目されている先生方にお願いに上がったり、関係機関に要望書やお願い文を提出したりするきっかけになりました。また、新聞紙上に肺移植に関する記事が出ればお手紙を出したり、時には当事者に抗議をしたりもしていました。これら一つ一つをMさんに伝えました。Mさんも病床で「自分も出来ることをしたい」と頑張っていました。しかし長くは続かず、ついにドクターストップがかかってしまいました。

 ここに至るまでに、奥様は「家族で何が出来るのかと子供たちと話し合った」といいます。そして、厚生大臣に「お父さんを助けて欲しい」と手紙を書きました。お返事はいただけたものの、余りにも形式的で、子どもには理解出来ないものでガッカリされていました。ところが、その後、この話に非常に同情を示して下さいました方のご助言で、厚生省臓器移植対策室長名でルビ付きのお返事をいただくことができました。

 この様な中で、会社の方々から「出来る事があるならなんでも言って欲しい」との申し出に【意思表示カ−ド】の配布をお願いしました。会社側でご検討してくださり、労働組合の皆様を紹介して下さいました。

 奥様と共に行った先の幹部の方々のやさしさとねぎらいに共に感謝致しました。

Mさんにこのことを伝えて、「その中からドナ−が出るといいね」と奥様共々話しあいました。こんなこともあってか、Mさんはずいぶん頑張ったのだと思います。お亡くなりになる数十分前まで会社の方と語らっていらっしゃったそうです。病状からくる苦痛を周りの方々に心配させないようにとのMさんのお気持に、奥様もどんなに助けられたことでしょう。

 そして会社の労組の方々の手で今に至るまでに【意思表示カ−ド】を8万枚配布してくださり、その後1千枚の追加の申し出も受けるに至りました。

(あらなみ よし・トリオ・ジャパン・ファミリーコーディネーター)

 

1998年度トリオ・ジャパン総会報告

 1997年11月29日、 どしゃ降りの雨の中、トリオ・ジャパンの年次総会が池袋にある都立芸術劇場の会議室で行われました。

議長の渡辺直道氏の議事進行のもとに、青木慎治会長からの挨拶の後、荒波嘉男事務局長より1997年度活動報告、会計決算報告が行われました。

 引き続き1998年度活動計画案、会計予算案の説明と質疑応答が行われ、参加者の了承を頂きました。

 悪天候の中、ご参加くださいました皆様に御礼申し上げます。

 

みんなの広場

 

TRIO JAPAN様

 

 この度、わずかばかりの私たちの気持ちをお受け取りくださいまして、ありがとうございます。大変ぶしつけではございますが、私どもの思いをお便りにて同封させていただきます。

 このお金は、昨年、長男長女の七五三のお祝い行事のために、毎月少しずつ貯めたお金です。七五三の時期が近づき、あれこれ準備している頃、テレビ番組で、海外で臓器移植を受け、ご両親とともに立派に病気と闘う子供さんを拝見し、大変感銘を受けました。私は、「本来七五三は、子どもたちの健康と幸せを感謝し、祈るもの。私の子どもたちは、たまたま健康に生まれ、健康に育っている。これはとても感謝すべき事だけれども、この感謝の気持ちを表すならば、自分たちの子どもだけにきれいな着物を着せて神社につれて行くよりも、貯めたお金でより多くの子どもたちがより健康になれるように、わずかながらでも協力したい。」という気持ちで一杯になり、すぐに夫に相談しました。アメリカ人である夫は、七五三の参拝行事は日本の伝統文化だからと張り切っていましたが、この考えにはすぐに大賛成してくれました。

 とはいっても、どのような機関に連絡を取ればよいのか分からず、いろいろ調べたのですが時間ばかりがすぎて、七五三とはかけ離れた時期になってしまいました。が、夫の知人である東海大学医学部移植研究室の萩原先生に相談したところ、大変快く対応していただき、TRIO JAPAN様をご紹介いただきました。

 本当にわずかばかりでお恥ずかしいのですが、協力させていただけることに感謝いたします。

 皆様の、よりいっそうのご活躍をお祈りいたします。

(1998.1.19 Norton直子)

☆ご寄付をありがとうございました。尊いお金を大切に役立ててまいります。

 

脳死臓器移植法は成立したけれど…

若林 登志子

 昨年10月、関係者の並々ならぬ長年の努力が実り、脳死臓器移植法が成立して、患者サイドの私たちは、心からほっといたしました。ところが、やっと歩みだしたこの法律も、ドナーがいないという壁にぶつかり、ただ漂っているだけの小さな光と化してしまったかのようです。移植を待っていても、日本では実際に移植ができそうにない現実に、現在苦しんでいる人々の落胆を思い、胸が痛みます。

 次の拙文は、毎日新聞に投稿し、掲載されたものです。

『私の娘は、約3年前、アメリカで心臓移植手術を受け、今、大変元気に普通の生活を送っています。この移植というすばらしい医療の恩恵に浴している者として、日本での脳死臓器移植手術の開始を不安と期待のうちに見守っています。しかし、やっと法律が成立したものの、1例の実現もないまま1か月が経過しました。

 外国への道も、さらに狭くなり、待ち望んでいた自国での移植が事実上難しい今、重症患者がますます苦境に立たされているのではないかと危惧しています。

 脳死という状態の理解とドナーカードの普及に、この医療の再開と定着がかかっています。つまり、脳死を是認し、提供の意思があっても、本人がその意思表示を示したドナーカードを持っていなければ、その貴い意思は生かされないのです。私たち関係者は、一日も早くドナーカードが広まってほしいと願っています。』

 これは施行1か月後のものですが、5か月目を迎えようとしている今も、全く進展していないようです。1例目の成功が待たれます。

 実際に脳死になられてしまう方がたくさんおられるのに、一例も実施されないということは、やはり、人の理解不足だと思います。いらなくなったものを必要とする人にプレゼントする、というキリスト教の精神も、仏教を主とする日本の宗教も根本的な思想は変わらないのだということを、もっともっと知っていただけたらと思います。「五体満足」で浄土へ、ということの真の意味が誤解されていることが大きな原因だと思われるので、たとえば瀬戸内寂聴さんのような方が、マスメディアで訴えてくださったらと思っている今日この頃です。

 

1998.3.10

 

(わかばやし としこ/心臓移植を受けた若林明美さんの母)

 

世界移植者スポーツ交流会に参加して

冨貫 めぐみ

 今回のスポーツ大会は、オーストラリアのシドニーで行われました。

 私にとってこの大会は特別な思いがありました。私は、オーストラリアのブリスベンで肝臓移植手術をしました。だから是非オーストラリアで開かれる大会には参加して、お世話になった先生や看護婦さんに、挨拶をしたかったのです。行く前まであまり調子が良くなくて、心配してくれる先生を振りきって参加したというのが本当のところです。でも、次にいつオーストラリアで行われるか分からないし、帰国して一度は元気になった姿を見せに自分から会いに行きたいとずっと思っていました。このような機会がなければ、経済力もない私には予定が立たないことでした。実際、現実に、オーストラリアに行けたことは本当に良かったです。

 成田空港から飛行機に乗り、滑走路を走り、飛び立つ瞬間、涙が出ました。3年前には感じなかった思いがあったのです。あの当時は不安ばかりで、今回のようなワクワクした気持ちなんてかけらもなかった。窓から外を見ると星に手が届きそうで嬉しくて眠れなかった。だんだん朝になり、窓の下には真っ白の雲が広がり、見上げると真っ青な空が見えた。病院の先生にも見せてあげたくなる。私の目を通して先生に届けたいな。無理か…。

 私は今回の旅でいくつもの再会を果たした。まずはDr. Wallとの再会。彼はオーストラリア・チームドクターとして参加していた。そして、同じ病院で肝移植をを受けた、現地人の日本語教師のCindyとの再会。彼女の結婚式に招待されていた。ブリスベーンで、Dr. StrongとDr. Lynchや移植コーディネーターの山岡さんとの再会。すべての人たちは私との再会をとても喜んでくれた。

 私の心に強く印象に残ったのはシンディの結婚式。日本でも友達の結婚式に出席したことのない私は、同じ移植を受けたこともあり、とても感動した。いままで恋愛に対して憶病になっていたが、私も結婚したいと思うようになった。移植を乗り越えてつかんだ幸せは、きっと格別なものなんだろうなぁ。私は結婚している人の方が安心できて好きなので、つい一緒にいてしまう。でも、それはきっと傷つくのが怖いから逃げているのかも知れない。私は結婚しなくても、誰かを好きでいられれば嬉しいです。そしてその誰かが私のことを見ててくれたら、それだけでいいと思ってしまいます。今、自分が恋愛に対してどういう風に思っているのか分かりません。読んでいる人には、もっと私の言っていることが分からないかも知れませんね。ごめんなさい。

 とにかく、今は楽しかったので、それでいいのだと思います。

 今までどこの団体にも属していなかった私は、今回の旅で、同じ移植者同士の交流がどれだけ楽しいか嬉しいかを実感して、日本移植者協議会に入りました。お互いが助け合い励まし合い、許し守るすばらしさを感じました。初めてあった人でも、昔からの知り合いのようでした。体のどこかにある傷が、同じ痛みや苦しみを感じさせ、相手に優しくなれるのでしょう。

 人って、基本的にはやさしい生き物なんです。だって、笑顔で話している人を見ると、つい自分の顔もほころんでくるでしょ? 悲しい顔をしている人を見ると切なくなったり、中には一緒に涙しちゃうひとだっている。やさしさも愛情の一つです。愛してるから励ますし支えるし心配したりそばにいてくれるの。愛してるって言葉はなかなか言うの照れちゃって恥ずかしいけど、同性の人にも異性の人にも使いたい言葉だと思う。愛情は人に勇気や希望や夢を持たせてくれます。先生だって治療に関しては顔色一つ変えずに淡々と話すけど心は辛いと思う。同じ人だもの。私が治療中に辛くて涙流したときも私の顔を見ながら先生も辛そうな顔してた。人って相手を傷つけるのを怖がりながら生きてるよね。もちろん、自分が傷つくのも怖いけど。私は移植者同士の関係をこれからもずっと大切にしたいと思います。これからの出会いもずっと。

(とみぬき めぐみ/肝移植)

 

 

 トリオ・ジャパンでは皆様からのご感想・ご意見・ご投稿をお待ちしております。イラストやマンガなど、「作品」も募集中です。

 よろしくお願いします。

 

 なお、今号のイラストは若林明美さん(心移植)と、高橋剛さん(肝移植)に描いていただきました。ありがとうございました。

 

ファミリー・コーディネーター相談件数

(1997年10月〜1998年2月)

 

肝移植関連 13件(内3件基金貸与)

肺移植関連  9件

心移植関連  8件(内3件募金開始

    内2件募金継続中

    内1件基金貸与)

 

活動日記(1997.10〜1998.2)

 

10/ 4 運営委員会

10/ 8 企業労組訪問

10/12 埼玉臓器移植協議会(埼移協)統一行動

埼玉6団体

10/16 会報11号発行

『医師との対話』はる書房刊

第5回トリオジャパンセミナ−収録集発行

10/18 第16回談話会

 『医師との対話』出版記念

10/26 米軍基地からの臓器提供に関する

要望書提出

法務大臣 下稲葉耕吉殿

外務大臣 小渕 恵三殿

厚生大臣 小泉純一郎殿

10/26 沖縄シンポジウム−各団体との共催

栽吉信沖縄支部長挨拶

野村祐之氏講演

物部多恵子さん特別挨拶

11/ 2 アピ−ル行動・カ−ド配布(銀座)

 移植関連8団体主催

11/15 埼玉臓器移植協議会推進会議

11/20 厚生省訪問

11/22 第7回全国移植者スポ−ツ大会

 日移協主催

11/22 心臓移植体験講演 木内博文氏

(市原市医師会付属看護学院)

11/24 運営委員会

11/26 第26回精神研シンポジウム

「リエゾン精神医学」参加

11/27 医療人が発信するメッセ−ジ・

 臓器移植を考えるコンサ−ト参加

 ユニットキャロ(亀田総合病院)主催

11/28 移植体験講演 木内博文氏

(船橋市医師会付属看護学院)

11/29 1998年度役員会および総会

12/20 移植体験講演 木内博文氏

(茨城県国立霞ヶ浦病院付属看護学院)

12/25 埼玉6団体県知事面会

(平里奈ちゃん支援感謝・ドナ−カ−ド普及ヘの協力要請)

1/17 運営委員会

1/27 NHK放映 栃木県−木内博文氏講演活動

1/30 櫻井良子氏との話し合い

1/31 埼移協会議

2/ 7 厚生省臓器移植臨床研究開発事業

「海外渡航移植の追跡調査に関する研究」オブザ−バ−出席

2/21 移植関連8団体会議

2/22 要望書提出−意思カ−ド配布について

 厚生省臓器移植対策室長 朝浦幸男殿

2/23 運営委員会

2/24 移植体験講演 木内博文氏

(松戸市医師会付属看護学院にて)

2/28 渡辺淳一先生特別講演

「臓器移植の夜明け」静岡腎バンク主催

 トリオ・ジャパン共催

 

トリオ・ジャパン会員動勢(1998.2.28現在)

    個人会員 201名

    団体会員 22団体

 

 

個人

団体

医療関係者

73

9

移植者

53

9

患者

14

 

家族

41

 

一般

19

3

臓器提供者(生体)

1

 

臓器バンク

 

1

マスコミ

7

1

 

活動予定

3月28日(土)13:00〜17:00

  第17回トリオ・ジャパン談話会

   「移植医療とリエゾン精神医学」

    講師  福西勇夫先生

(東京都精神医学総合研究所 副参事)

豊島区勤労青少年センター(3F)中集会室

東京都豊島区北大塚1−15−10

03-3915-2334

会費1000円(参加申し込みは3/25まで)

 

編集後記

 個人的な事情で会報の発行が遅れてしまいまして、早くから原稿をいただいておりました皆様には大変失礼いたしました。深くおわび申し上げます。

 また、毎号毎号のことですか、許可なく編集させていただいてしまっている部分がありますが、ご容赦下さい。

 臓器移植法施行以来、依然として脳死移植は行われていません。それでも、郵便局にドナーカードが置かれるようになったり、吉本興業がドナーカード提示で割引するサービスをはじめたりと、少しずつ世の中が動きだしています。

 しかし、現在移植を待ち続けている人々にとっては厳しい日々が続いています。また、臓器を提供したいと考えている人々にとっても、指定病院に運ばれなければ、脳死下での臓器提供が出来ません。

 11月はじめに行われた厚生省のコーディネーター研修会では、一応多臓器を取り上げていましたが、やはりこれまでの腎移植の経験に偏った内容が多く、生体肝移植者として参加していた私たち3人にとっては、「あれ?」と思う場面が多々みられました。個人的には有意義であったものの、どのような受講者層を想定しているのかはっきりせず、思うままに詰め込んだという印象を受けました。

 こうした状況のもと、一年あまりにわたってこの会報やホームページを編集させていただいた私も、とうとう生まれて初めて、「海外旅行」に出かけなければならなくなりました。

 私はしばらくお休みしますが、また帰ってきましたらよろしくお願いします。

(若林 正)