TRIO Japan News Letter

1997年10月1日発行 第11号
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臓器移植法案成立 〜施行は10月16日から〜 

1997617日、衆参両院で修正臓器移植法案が可決されました。当時の共同通信ニュース速報を掲載します。

 臓器提供の場合に限って脳死を「人の死」と定め、脳死の人からの臓器摘出と移植を可能にする修正移植法が、17日午後の衆院本会議で賛成多数で可決、成立した。

 脳死移植を認めた脳死臨調答申から54か月、最初の臓器移植法案(旧法案、昨年9月の衆院解散で廃案)の提出から32か月で、脳死移植立法が初めて実現した。

 脳死と臓器移植をめぐる議論は、臓器提供者(ドナー)を増やすためのドナーカードの普及や、臓器の公平、公正な配分に当たるネットワークの拡充、実施を阻む一因となってきた医療不信の解消など、条件整備に焦点が移る。

 参院臓器移植特別委員会は16日、公布日までに1カ月置くなどとする付帯決議をしており、決議通りだと施行は1016日になる。

 修正移植法は、脳死を一律に人の死として424日に衆院通過した移植法案(中山太郎衆院議員=自民党=ら提出)を、関根則之参院議員(自民党)らが修正。17日午前の参院本会議は、賛成181票、反対62票で可決した。

 本人が臓器提供の意思と脳死判定に従う意思を、事前に書面で示し、家族が拒まないか家族がいない時に限り、臓器提供のための脳死判定ができると定めた。

 この条件で脳死と判定されれば「脳死した者の身体」との表現で死とされ、臓器摘出できるとしている。

 人の死を法律で定めるのは初めてだが、脳死を一律に人の死とする十分な社会的合意はないとの立場で、本人と家族に拒否権を与えたのが特徴。病態把握のための脳死判定には適用されない。

 衆院通過した移植法案を参院で修正したため、衆院に回付され、同意するかどうか採決された。

 臓器移植法案としては(1)旧法案(2)移植法案(3)脳死を人の死と定めず衆院で否決された対案(金田誠一衆院議員=民主党=ら提出)(4)対案とほぼ同じ内容で参院に提出され審議未了のまま廃案となる修正対案(猪熊重二参院議員=平成会=ら提出)が出され、最終局面で急浮上した修正案で決着した。(共同通信社 [1997-06-17-13:52]


臓器移植法案通過を受けて

トリオ・ジャパン会長 青木慎治

 廃案・継続審議と、散々心配させられてきた移植法案も、ある種の国会運営上の政治バランスと、「今国会で陽の目を見なければ永遠にダメだ」という切迫感から、国会会期ぎりぎりで通過を見た。そのかわり、拙速さが優先されたために、次のような妥協を余儀なくされた。

 

1)本人の生前の臓器提供の意思を遺族が忖度して臓器提供することは許されず、本人が臓器提供の意思を書面によって明確にしておくことが必要であるという厳しいものになった。

2)脳死が法律上の死として認められるのは、「臓器提供の意思に基づいて臓器が摘出されることとなる者」が脳死に至ったと判定されたときのみである。つまり、移植を前提にした場合にのみ、脳死が認められる。

 

 以上のように、我々が移植医療の根底をなす重要な部分であると考えていた に、いわば歯止めをかけられた形となった。このことから、法律は出来ても臓器提供者がほとんど現出しないのではないかという不安を持たざるを得ない。

 そこで、10月中旬の法律施行に備えて、トリオ・ジャパンは次のような運動目標を立て、一層の努力を払う以外にないと考えている。

 

1) 臓器提供のシステムの構築を官民一体となって行う。その場への参加と提言。

2) 移植医療そのものの啓発・推進活動を継続する。

3) 今日の命を救うために、日本での移植を待てない方々が海外で移植を受けられるように支援を続ける。

 

以上、トリオ・ジャパンの今後の活動の柱としたい。

 

 移植医療は集学的な医療であり、医学界各界の協力なくしては行うことが出来ない。各診療科がそれぞれの立場から、移植医療に対する充分な知識を備えた上で、連携して対応していただきたい。なお、既存の施設ではプレッシャーのために扱いにくい、ハイリスクな患者さんのために、ナショナルセンター設置構想を促進しなければならないと考えている。また、異種移植や人工臓器の研究開発についても、出来る限りの支援を惜しまず、絶対的に不均衡な需給バランス解決の一助とせねばならない。

 以上、私が考えるトリオ・ジャパン努力目標を提案し、その実現に邁進したいと強く念じている。


特別企画

これからの移植医療を考えるために

 臓器移植法案の成立を受けて、これからの移植医療について考える上で、出発点となるような文章を3名の方からいただきました。皆さんもこれらの文章を読んで考えてみてください。

私の思い

富貫めぐみ(肝移植)

 私は肝臓移植して3年目です。この度の移植法案可決は私たちにとって待ちに待ったことだと思います。私はこの法律が出来るまで待てず、海外の医療機関に頼るしか生きる道はありませんでした。

 私の場合、父は心筋梗塞で何度か手術しており、母は高血圧で、日本で出来る生体部分肝移植は無理でした。私は以前かかっていた病院で「肝移植をすれば命は助かる」と言われましたが、私はそれほどまでに病気が進行していたとは思ってもいなくて、「良くなる悪くなる」ではなく、「生きる死ぬ」というところまで来ているんだと知って、とてもショックで、不安でたまりませんでした。

 私は子どものころに一度手術を受けていましたが、何もわからなかったときだけに、不安は全然ありませんでした。黄疸が出て腹水がたまり、かゆみで眠れず身体が重くて自分の身体を支えることもままならず入院しました。私は入院していればいつものように治って家に帰れると思っていました。

 

「移植しかない」と告げられて

 担当医が私を呼び、深刻な顔で「大事な話があるんだ」と言うので、私が「そんな怖い顔しないでよ。私何か悪いことした?」と聞きました。「そうじゃなくて、あのね…」と言いづらそうに話し始めました。

 最初に先生は「このまま入院していても治らないんだ」と言いました。何となく雰囲気で、「私は死ぬのかな? 余命何か月ですって言われるときこんな感じなのかな?」とまじめに心の中で思いました。

 私は先生からはっきりしたことが聞きたかったので、ズバリ聞きました。「例えば健康な人が80歳まで生きるとしたら、メグは40歳まで生きられる?」

 先生は「難しいかも」と一言ボソッと言いました。

 「じゃあ35歳くらいは?」

 先生は「このままだとだめだろうな」とつぶやきました。私は「もういい。よく分かった。話してくれてありがとね」と精一杯の笑顔で席を立ち、病室に戻りました。

 夕食もちゃんと食べて普通にしてたのに、消灯になって一人になると、とても淋しく悲しくなりました。私がいた病棟は小児科だったので、みんな消灯になると静かに寝静まって、私のすすり泣く声が響くので、私は外来に行き椅子に座って泣きました。

 帰ったはずの先生が私のそばに来て、「不安にさせてごめんね」と肩を抱き寄せてくれました。「いっぱい泣いたからもう泣かない。明日は元のメグに戻るよ」と言って先生と別れて、移植をすると決めた私は家に電話をして、「肝移植しないとメグはだめなんだって。オーストラリアに行けば手術できるよって先生が言ったよ」と言いました。母が「メグはどう思うの?」と聞くので、「メグは生きていたいよ」「じゃあみんなでオーストラリアヘ行こう」と言ってくれました。

 でも、日中はみんなが騒ぐので、私も一緒に騒いでいるのに、夜になるとなぜか心が落ち着かなくて、考えてないはずなのに涙がでました。日を追うごとに、だんだん子どもの声が気になり出し、イライラするようになってきました。私は先生に「大人の病棟に行かせて」とお願いし、転棟しました。

 病棟を変えても、やはり日中は普通にできても、夜は眠れなくて、先生と話したいと言って、当直でもないのに呼び出して「オーストラリアってどんなとこ?」と話し始めました。私は話しながらいつも安心して眠るのでした。

 その日から先生は毎日私のところに来て話をしてくれました。私が寝るとそっと部屋を出て帰っていたそうです。その日々は私にとってとても安心できてとても幸せでした。22歳なのに10歳程度のわがままを何のためらいもなく包んでくれる、とても素敵なお医者さんに出会えたことを今でも誇りに思います。

素敵な先生を見習いたい

 

 私は、とても単純でへんな奴です、今は東京女子医大に通っていて、やっばりここの先生方も素敵な方ばかりです。私はとても依頼心が強くて、誰かしら先生がそばにいてくれないと、不安で淋しくてたまりません。「点滴は何度失敗されても、先生といられるから別にいい」とか、「辛い処置の時も先生がいるから心配してないよ」とか、「痛いことも一人で頑張ってるんじゃないから大丈夫」って思ってしまいます。私はここの先生方に優しく支えられてもらい、大好きな先生もいます。

 先生方は入院してくる人たちを入院したその日から心配し、治そうとしてくれます。いじわるすることもなく、全ての人たちに優しく接しています。私はそんな優しさを見習いたいと思っています。

 

治そうって、思わなきゃね

 

 患者さんは皆、「医者が優しくするのは当たり前、病気を治すのは当たり前」と言います。だけどそれは違います。病院の外では自分のことを自分でするのは当然なのに、病院ではどうして自分のことを人に任せるのが当たり前なのでしょう。

 病気のことが詳しく分からないなら聞けばいい。ちゃんと話してくれるよ。「どうすれば元気になれるのかな」って、自分自身努力するとか、「治そう」って思わなきゃね。「がんぱろう」って思う患者の気待ちと、「治そう」って思うお医者んの優しさがあってこそ、初めて治療が成立するのだと私は思います。

 話を元に戻しますが、私は移植とは「生きるための手段」だと思います。脳死は人の死だとは思わないという人もいますが、私はもし自分が脳死の立場になって、私の身体の中でどこか使えるのなら、迷わず必要としている人に捧げたい。そして私はその人の身体の中で生きていたいです。どんな形でも私が生きていたことは、出会ったみんなの心に残るし、私の心にもみんなといたあったかい思い出が残るはずです。私もオーストラリアの誰かがくれた命で生きていられるのだから。

 来月25歳になります。身体は普通の25歳よりずっと小さいし、心も10歳程度の精神年齢だけど、私はどんなことも先生方と一緒なら頑張って行けると思います。私一人の命じゃなくて、私の中にもう一人同居人がいるから淋しくないよ。

 人並みにみんなと同じことしたいと思ってやると、病気に邪魔されて、いつも出来ずじまいだけど、辛いこと乗り越えてきた分、普通に生活している人よりは何事にも強いと思う。みんなと同じスタートは切れないけど、私のぺ一スでゆっくりじっくり人生を楽しみたいと思う。これからたくさん恋をして誰かと結婚出来たら私の人生はバラ色かな。結婚出来なくても、いつも誰かを好きでいたい。好きな人に囲まれて支えられて生きていられれば十分。

 私が生きていること自体すごいことだから、優しくされたり守られたり、誰かを好きになれることは素敵です。生きていて良かったと思います。「もう死ぬのか」と悔やんだことも、いっぱい涙流したことも、私一人じゃ飛び越えられなかったハードルは、先生方の支えがあってこそ飛べた。今もこうしてたくさんの人と話すと、私に笑顔を向けてくれる喜び、私の中の泣き虫を笑顔にさせちゃうくらいの元気をもらってる。

 私の大好きな言葉「一期一会」は、人との出会いを大切にしなさいって意味。誰かと出会うといつか別れなくちゃいけないのかなって思うと、人と出会うのが辛い。でも出会えた喜びが大きいから、別れの辛さに耐えられるのかな。誰かの笑顔はきっと誰かを笑顔にさせるはずだよ。

安田義守君の心臓移植が教えてくれたもの

小澤 研二(安田義守副会長の中学時代の同級生)

「愛」や「やさしさ」ではこの激動の世の中は生きていけない。企業戦士として、人のことにかまけていないで、自分が周囲から取り残されないように、常に気を配れ。人の痛みや人の情けは自分が挫折したときに感じるものだ。

 こんな気持ちで2040代を生き抜いてきたのは、どうも私だけではなさそうである。

 

義守との再会

 

 小学校からの友達である安田義守との再会は、自分が転職し、ふるさとの津久井町にUターンしての同窓会の時であった。相変わらず「おんなし(女性のこと…方言)」と気楽に話している義守の姿を見ると、子どもの頃から少しも変わってないなあと思った。30代の同窓会であったので、まだ男には男の世界があり、自分達は男同士で固まって話していたが、どうも気になる存在であった。

 

 そんな折、母校の中学校のPTAの話があった。同級生が二代会長を引き継いでおり、今度は自分に推薦が回ってきた。教育やPTAは別の世界と考えていたので辞退したが、「どうしても」とのことなので、条件を付けた。一期目(副会長)には斉藤(同級生)を、会長の時には義守を副会長に立ててくれるならとの条件であったが、二人とも、「奴のためならしょうがない」と気持ちよく引き受けてくれた。思惑通り、二人の同級生は「おんなし」の扱いがうまく、楽しく有意義なPTAを作ることが出来た

義守の心臓病

 

 それから2年くらい経ったころであろうか。「義守が心臓病で入院している」との話があり、早速町田市の成瀬にある病院に見舞いに行った。義守は、それまで相模原市の協同病院にかかっていたが、主治医の佐々木先生を追いかけて、成瀬の病院に転院したのであった。「自分の心臓はどうも無理が効かなくなった。板金屋は体力的にきついので、転職を考えている。不動産屋でもと、今宅建の試験勉強を始めたところだ」との話であった。その後、八王子市の老人病院・東京医大八王子病院と佐々木先生を頼りに転院を繰り返していた。

 東京医大八王子病院に見舞いに行ったときは、既に特発性拡張型心筋症が進行して、「自分の心臓は既に健康な人の心臓に比べ16%くらいしか機能していない」とのことで、何度か心不全が起こり、臨死体験までして、その都度病院の方々に助けられたと話していた。

 

「心臓移植」

 

 義守の中に「心臓移植」という雲の上の話が出てきたのはそんな時であった。病院の先生も心臓移植という言葉は聞いていたが、実際に可能性があるかはほとんどわからない状況だった。しかし義守の必死の訴えから、東京女子医大と連絡を取り、データ収集が始まった。

 当時の新聞の切り抜きでは、「心臓移植はまだ全国でも数例しかなく、外国でドナー(提供者)を求めて手術をすると費用が一億円以上かかる」という情報くらいしかなかった。現在でもそうであるが、心臓移植は誰でも希望すれば受け入れられるというものではない。外国でも貴重なドナーを日本人のために優先してくれるのか? 本当にその人に合ったドナーが間に合うように出てくる可能性があるのか?医師が心臓移植を宣告することは患者にとっては死の宣告になるのでは?様々な問題があり、医者が盲腸の手術を宣告するのとはずいぶん違う。このため、心臓移植の宣告をするには、万全の可能性が出なければ勧められないのが今の状況だと思う。義守の場合も「50歳を過ぎた者は死を待つだけなのか」と医師に詰め寄った。

 その後の心臓移植までの話は奥様の安田朝子さんの手記に書かれているので、ここでは同級生として友達の心臓移植によっていろいろ教えられたことについて話してみたい。心臓移植はいくつかの大切なことを、義守自身や家族に、そして同級生や支援してくれた人々に教えてくれた。

 

みんなの「絆」

 

 義守の心臓移植の話は、最初同級生数人と、恩師の小林先生の間で始まった。この小林先生は県の人権同和問題の参事も務めた方で、県立高校の校長先生であった。自分達が小学校5・6年の時の恩師である。今の自分達の心の中にある人権思想は、この先生から教えられたものであることは間違いない。今は恩師というよりも、良い相談相手として付き合わせていただいており、同級生皆が好きな先生である。

 最初の話し合いでは、社会の荒波を50歳まで戦い抜いてきた男達から冒頭のような言葉が出てきたし、

「一億円もかかるのなら自分なら諦める」

という話も出てきた。心臓移植という、誰もがよくわからない問題だったので、議論が百出してまとまらなかった。そんな話をにこにこしながら聞いていた先生のアドバイスは、「どうもお金の話や自分達の生き方の話ばかりに気持ちが行ってしまうようだが、それは少し置いておいて、同級生として何が出来るのか、友達として、義守は今自分達に何を求めているのかを考えたらどうか」であった。

 その後数回、近くに住む男女の同級生数十名が集まり、夜遅くまで話し合って、「安田義守君を支援する会」が発足した。数回の会合で同級生から出てきたのは、「いのちの大切さ」「友を思う気持ち」「相手を思いやる気持ち」「こころのやさしさ」であり、これらが仲間達全員の口から素直にわき上がり、一つにまとまったのであった。忘れかけていた人間としての心が、子どもの頃の心が、今義守の心臓移植をきっかけにして甦ってきたことには、自分も仲間達もビックリした。

「おれたちにもこんなやさしさがあったのか」

 義守をアメリカに送り出した後、皆で集まって話したときもそうだった。義守の渡米前の話をすると、ある友達は「大丈夫だよ。義守のことだから、一ヶ月もすれば成田にVサインで帰ってくるよ」と力強く言い切った。子どもの頃から、まだ毛の生えない時からの永い親友の言葉だけに、皆の心の中にあるもう一方の「死」という言葉を見事に吹っ飛ばしてくれた。

 もう一人の恩師である島崎先生は、「50代になった同級生が人間として最も大切な命や思いやりのことでまとまれるということは、君たちの人生の中で素晴らしいひとときである。結果など、心配もいろいろあるだろうが、それよりも、小中学校の同級生が子どもの頃の純粋な心で再びまとまることの素晴らしさを体験している姿は、私としてもとても嬉しい」と勇気づけてくれた。

 「支援する会」や「守る会」を作る人達は、患者家族と同じように、失敗して助からなかった時には、大勢の人々の善意を無にしてしまうおそれを常に抱えている。しかし、それは「無」ではなく、人間として大切なことを得られる「有」なのだということを多くの人に伝えたいと思う。

「差別と偏見」はじめての経験

 次に人権や差別のことについての体験について少し話してみたい。同和問題や差別のことが良く言われるが、普段の日常生活では差別などあまり考えられないことだと思っていた。しかし、今回の心臓移植をきっかけにして、差別という言葉の意味が痛いようにわかった。

 義守が健康で人並みの生活をしている時には何もなかったのだが、心臓移植と聞いたとたん、世間の人々は義守を自分達の格下と見下して、差別しだしたのであった。奥さんのゴミの出し方が悪いとか、安田は商売の金儲けばかりで世間の付き合いもまともにしていなかったとか、山のような悪口が公然と出てきた。自分にも、「おまえは教育者の息子で常識ある者と思っていたが、あんな安田を応援するのはどういうことか」と日頃よく知っている人から電話があった。自分の位置と同じか、上の位置にいる人間には、日頃思っていても何も言わないのに、心臓移植という世間様が認める(?)自分より下の位置に落ちた人間には、たとえ何を言っても世間は許すという世界が、この世の中に現実としてあるということ、差別は自分達の周囲にもあるということを、今回痛いほど知らされた。

 義守が元気で戻ってきた今は何もなかったように消えてしまったが、あの瞬間は何だったのだろうか? 今も思い出す。世間が一時とはいえ差別した、その義守が、世間の人々には到底出来ない、世の中のためになる活動をしている今の姿を、是非見てもらいたいし、知ってもらいたい。

 冒頭のような人生を歩んできた企業戦士の自分に、「心」や「やさしさ」を甦らせたのは、まさに「義守の心臓移植」であり、同級生の親友達であった。自分の尊敬する尾崎行雄(咢堂)の言葉に、こんな言葉がある。

世人の幸福を増す言行はみな善事、 之を減らす言行はみな悪事

(意味)「自分や他人の幸福を増やすことは全て良いこと、これを減らすことは全て悪いことだと理解しなさい」


肝移植を受けて

高橋 剛(肝移植)

自画像(!?)

 

 みなさんこんにちは。私は、昨年の1月に京都大学医学部付属病院で生体肝移植を受けました。この病院では、毎月5〜6例の肝移植が行われていて(現在通算300例以上)、さらに待機されている患者さんも沢山いらっしゃるそうです。そういった中で移植を受けられて、また元の生活に戻れたことは、とても幸運なことだと思っています。

 しかし、移植治療を受けてみて、改めて様々な問題点が感じられました。それは、一言では言い表しにくいのですが、あえて言えば「すばらしいと同時に難しい」ということです。

 移植医療を受けた上で見えてきた問題点は、お金の問題、技術の問題、心の問題の三つです。

 一つ目のお金の問題は、かなりシビアな問題ですが、様々な方法によって解決することになります。

 二つ目の技術の問題は、医療スタッフに努力して頂くほかありません(もちろん、治療では患者との共同作業が前提ですが)。

 そして、三つ目の心の問題、これが移植医療で忘れられがちな、しかし重要なポイントだと思います。なぜならこの移植医療はドナーとレシピエント、二人がいて初めて成立する医療だからです。

 今回は、この心の問題について少し触れてみたいと思います。現在、国内での肝移植は、10月の法令施行まで従来通りの生体肝移植でのみ行われます。つまりドナーとなる人は、親や兄弟など、健康な体をもつ身内です。その体にメスを入れなければならないと言うことは、レシピエントにとって、大きな心の負担となります。  「本当に移植をして良くなるのだろうか」「健康な体にメスを入れるほど、自分に価値があるのだろうか」等々、レシピエントが成人に近づけば近づくほど、このような心の負担が増すと思われます。

 また、ドナーにしても、自分の体にメスを入れるという決断をするのは、並大抵の決断ではないはずです。「社会にちゃんと復帰できるのだろうか」「本当に自分がそこまでしなければいけないのだろうか」  このようなドナーとレシピエントの心の負担を、少しでも軽くするには、家族内のチームワークや、医療スタッフとのコミュニケーションが大事になると思います。

 そのためには、まず移植に関する情報の共有が必要です。医師とのインフォームドコンセントの際に、ドナーとレシピエントの両者に加えて、なるべく家族が一緒に出席し、その時の身体の状態と、今回の治療の必要性や内容について、しっかりと聞き、皆が納得するまで話し合うことです。このような話し合いがないと、ドナーは「自分は提供だけすれば仕事は終わり」といったことに陥りやすいですし、また、レシピエントは親や兄弟にメスを入れたことに罪悪感を感じながら生活してゆくことになりかねません。たとえ患児が小さい場合であっても、いずれ大きくなったときに、自分が受けた治療について、マイナスに感じないよう、ドナーや家族がしっかりとした考えを持っていなければならないと思います。

 さらに医師、看護婦等の医療スタッフとのコミュニケーションも必要です。術後、現在の自分の状態がどうなっているのかを出来るだけ把握し、医療スタッフと相談しながら納得して治療を受けることが大事です。  「移植すること」に目標をもっていたところから、「これからどのような目標をもって生きて行くか」相談し、この治療を選択したことが本当に良かったと思えるように、また納得した生活を送れるように、本人が努力する必要もあると思います。

 最後にもう一つ、ドナーとレシピエントを支える大事なキーパーソンに、家族の存在があります。治療によって不安定になっている心を一番理解できて、フォローできるのは、家族だけだと思うのです。

 心の問題は非常に難しく、術前のみならず、術後あるいは退院後も含めて、長期的にケアしてゆく必要があると思います。移植を経験した私が、これから移植を受ける人たちのために何が出来るのかを考え、行動してゆきたいと思っています。

(神奈川県立こども医療センター胆道閉鎖症家族の会会報に掲載された文章に加筆修正)


神奈川県立こども医療センター胆道閉鎖症家族の会 会員数87名(97年3月現在)  

1980年に神奈川県立こども医療センターの外科医師を始めとする医療スタッフによってつくられた「胆道閉鎖症の会」がその起こりです。  当初、医療スタッフが運営しておりましたが、10年を迎えた1990年頃より患者家族が担うようになりました。その際に会の名称も「胆道閉鎖症家族の会」となりました。  当センターにかかっている胆道閉鎖症の患者とその家族のために、年一回の集会が開かれ、日頃外来や病棟では話しきれない病気に対しての不安や悩み、その他病気をめぐる様々な話題について話し合っています。臓器移植や保険医療費の問題にも関心を持ち、個別の勉強会を開くなどしています。最近では、会員相互の親睦を考え、サマーキャンプも行っています。


「美佑紀ちゃん基金」に思う 荒波 嘉男(事務局長)

 平成9年8月11日、豊島区勤労青少年センターにおいて「美佑紀ちゃんを守る会」代表の小池都由子さん・塚原ひとみさんと、美佑紀ちゃんの母物部多恵子さんは記者会見を行い、募金の収支決算報告と残金処理について報告されました。

 物部進二郎・多恵子さんの長女美佑紀ちゃん(8歳)は生後まもなく大動脈縮窄複合という病気であることがわかり、国立小児病院において直ちに肺動脈バンディング手術を行い、その後8ヶ月の時に根治手術が行われました。しかし4歳の時に大動脈弁下狭窄が発症して入院手術を致しました。平成8年6月には再度入院して大動脈弁置換手術を行いました。しかしその後の経過は思わしくなく、東京女子医科大学病院へのベッド待ちということもあって、国立小児病院に転院したところ、医師は直ちに、心臓移植のみが救命の道であることを両親に告げられました。しかもその猶予は2〜3ヶ月しか残されていないとのことでした。平成9年2月21日、物部さんご夫妻はトリオ・ジャパン事務局を訪問され、突然目の前に現れた心臓移植のこと、そのために必要な資金を残された少ない時間の中でどうしたら良いのか、とまどい、苦渋に満ちた心中を語ってくださいました。そのような中でご両親は美佑紀ちゃんへの心臓移植を決意され、多恵子さんの友人の小池都由子さんと塚原ひとみさんが中心になって「美佑紀ちゃんを守る会」を結成し、3月13日東京都庁において記者会見を行い、募金目標額8千万円へのスタートを切りました。

 病床での美佑紀ちゃんの姿は見る人々の心に響き、またこの時期衆議院での臓器移植法案の審議中ということもあって、今までにかつてない早さで目標額が集まったのでした。3月29日、5人の医師団と共に米国UCLAメディカルセンターへと出発することができましたが、無念にも4月15日、心臓移植を受けることなく短い生涯を閉じられました。この時ご両親は美佑紀ちゃんの角膜を提供され、米国の二人の子供に光を与えられました。これを聞いて、悲しみの中に心洗われる思いが致しました。全国から寄せられた募金額は186,527,169円に達し、医療費、渡航費、滞在費等を差し引いた残金として115,058,988円が残りました。「美佑紀ちゃんを守る会」とご両親は、この残金を他の方々の役に立ててほしいと、トリオ・ジャパンに託されたのです。

 10月16日は臓器移植法施行日であり、日本でも心臓・肝臓・肺など、脳死からの臓器提供による移植が可能となりますが、6歳未満の脳死判定基準が未整備であることや、臓器提供の意思表示可能年齢が15歳以上となったことから、美佑紀ちゃんと同じような子供たちの心臓移植への道は閉ざされたままです。また、臓器提供の意思を確認するシステムも整っていませんし、当分の間臓器提供者の数はごく少数でしょう。依然として、渡航移植を考えざるを得ない状況が続くと思われます。

 私たちは美佑紀ちゃんに寄せられた善意に応えられるよう、お預かりしたお金を活かして行きます。


ファミリーコーディネーター活動 荒波 よし

 ある日「腎臓移植ネットワークの方からトリオ・ジャパンを紹介されました」とKさんから電話がかかりました。「主治医の先生が信じられなくなって、病院を変えたいので、どこか紹介してくれませんか?」とのことでした。

 Kさんは、A大学病院で娘さん(24歳)への生体腎移植を予定していて、ドナー候補として診察を受けていました。「娘は早く透析を止めて移植したいと言っているんです。私も辛くて見ていられないので、早くやりたいです。主治医も当初すぐにとおっしゃっていたんですが、ここへ来て突然延期になったんです。何がなんだかわかりません。もう信じられないです」と言います。

 いろいろと話を聞いていくうちに、この母親が以前精神科にもかかっていたことから、精神科の先生と腎移植の先生がコンタクトを取り合っていて、精神科の先生は移植してもいいと言っていることがわかりました。また、娘さんは、かつてご両親に反抗していたものの、今はまじめに仕事をしているということですが、精神的に不安定なところがあり、やることにむらがあるということも話して下さいました。

 ここで、透析を導入している娘さんがどんなに大変か、共感して受け止めました。そして、ドナーになるKさんに、移植を受けるということはどういうことか、主治医の先生からどのくらい話を聞いているのか確認しました。

 すると、「移植をすると娘は元気になって、疲れないし、もっと仕事が出来るようになるでしょう」と言います。

 そこで、移植は手術後からが「はじまり」であること、術前の生活態度が移植後にも及びやすいこと、お母さんが提供されたた腎臓をどれだけ大切にするかが大事であること、さらに薬や生活のことについてお話ししました。また、Aさんが腎臓を提供したとしても、それが一生娘さんの身体の中で生き続けてくれる保証はなく、ひょっとすると五年、あるいは一年で、拒絶反応が出てだめになってしまうこともあるということを伝えました。電話の向こうは押し黙ってしまいましたが、「このようなことが実際あるんです。その時のショックを考えると、今すぐ移植ということについて、主治医の先生はAさん自身のことを心配してくださっているのではないでしょうか?」と申し上げました。

 するとAさんは、「今まで娘への移植ということばかりで、自分のことを何も省みることがありませんでした」と言われました。

 「娘さんも大事ですが、提供するAさん自身も大事なのですよ」と話すと、「何か温かいものをからだで感じました。先生がそこまで心配してくださっているのかと思うとうれしいです。私が病院を変えたいといったのは、私の勝手な思い過ごしでした」と言われました。 「これからも不安や心配があったらまたお電話ください」と言って、受話器を置きました。


東京女子医大心移植者主催 バーベキュー大会

 1997年7月27日、安田義守氏(トリオ・ジャパン副会長)の主催で、東京女子医大から渡航移植に行かれて心臓移植を受けた方々と、医療スタッフを集めて、バーベキュー大会が行われました。その模様の報告が届いています。

バーベキュー大会を 主宰して

安田朝子(安田義守氏夫人)

 バーベキュー大会は、7月27日、津久井町の我が家の裏庭で行いました。参加者は医療スタッフ、患者、記者を合わせて23名でした。前日は例年にない季節外れの台風が四国に上陸して、その影響からか、どしゃぶりの大雨でした。遠くは九州や岡山から集まっていただいて、移植者の合宿のようなありさまでした。

 夕食を囲み、お互いの情報交換をしたり、ロスアンゼルスでの待機中の話をしたりしました。私が海外での言葉の問題を取り上げると、N君は「安田さんたちのときは初めてで大変だっただろうけれど、僕たちの時はロスアンゼルスの病院でも、先生や看護婦さんが日本語を覚えていてくれたから助かった」と話してくれました。  また、H君は「待機中や術後に、N先生が時々日本語の新聞や雑誌を持ってきてくれたり、買い物など身の回りのことを手助けして下さって助かった」と話していました。私は、H君に、今だから言える話として、H君が入院して、最も危険な状態であったときの話をしました。Hコーディネーターから、「H君はもう移植は無理だから、病室に顔を出さないで欲しい」と言われたことをH君に話すと、H君は「ああそう。僕もあの頃はこのままベッドの上で死ぬだろうと思っていたんです。死ぬ覚悟は出来ていました」と何事もなかったかのような表情で言いました。

 「そうだね、みんな危機一髪のところで助かったんだね」と改めて思いました。生きている者どうしが集まり、社会復帰や将来のことについて語り合いながら、真夏の暑い夜が更けて行きました。  当日は前日の大雨がうそのように晴天になり、絶好のバーベキュー日和となりました。10時頃から人が集まり始めて、かまどを作り、鉄板や網を乗せる人、材料の買い出しに走る人と役割分担も決まりました。

 さあ、バーベキュー大会の始まりです。肉、野菜、とうもろこしを焼く香ばしい匂いが鼻を刺激して、食欲をそそります。顔に炭が付いたりして、人も洋服も真っ黒です。どの顔も童心に戻ったようなはしゃぎようでした。

 中でも、栄養士さんが大活躍で、移植者への食事のアドバイスやら、野菜の切り方やデザートの作り方などを指導して下さって、お料理教室でも始まったかのようでした。おまけに、バーベキューの残りの野菜を利用して、ヘルシーカレーまで出来ました。皆さんの評判も上々でした。栄養士さん自身も大変よろこんで下さって、「今度は腎移植者にも声をかけてみたい」とおっしゃって下さいました。

 参加者の皆さんのプライベートな部分もちょっぴり拝見させていただいて、とても楽しい一日でした。

 いつも私は、医者と患者の距離がありすぎるのではないかと思っています。たとえば、私が病気になって病院を受診するときでも、何時間も待って、いざ名前を呼ばれて先生の前の椅子に腰をかけると、緊張して上がってしまって、その時の病状の半分も先生に伝えられないということがあります。後になって、「ああ言っとけばよかったのに」と後悔するのです。

 今回、バーベキュー大会を開く中で、医者と患者の間の距離が縮まって、緊張や不安が溶けていったように思います。特に、移植者の場合、術後のケアを受ける際に、どんなに小さな病状であっても、先生にお話しして、早期発見をしなければ、重大な病気につながりかねません。先生も、「患者が主役で、医者は脇役」とおっしゃって下さいました。患者にとって、この上ない幸せだと思います。

 日頃の患者の生活は、医療スタッフの尽力によって支えられて、生かされているのです。この姿こそが、皆さんが求めているやさしさの医療の原点ではないでしょうか。

バーベキューパーティ 細川 靖夫(心移植者)

 7月27日は前日来た台風も見事に去り、朝から晴れて夏らしく暑い日でした。東京女子医大に通院している僕たち心臓移植者8人と、女子医大の先生・看護婦さん・コーディネーターの方々と、その家族との間の交流を図るために、安田義守さん宅で、バーベキュー大会が行われました。安田さんの家の栗の木の下にかまどを作り、ござを敷いて、いすも置きます。至ってのどかな雰囲気のパーティ会場でしたが、会は盛大に行われました。  日頃は病院内でしか顔を会わせませんから、普段はどことなく緊張して話をしているように思いますが、そこは太陽の下、みんな全くのびのび生き生きとしていて、とても楽しい時間が過ぎました。

 はじまる前から笑顔、笑顔、笑顔。笑顔があふれていました。そんな雑笑、雑談の中、バーベキューがはじまりました。

 最初の肉を口にほおばると、うまい。全員の顔がほころびはじめました。おいしさが、雰囲気が、どーんと来ました。二口めになると、ちょっと余裕が出てきます。会話が、笑顔が、再びはじまりました。おいしさが上半身に染みわたります。三口め、体全体で感じた太陽が焼きつけるように感じられ、飲み物をごくごくと飲みました。今度はバーベキューの楽しさが全身に染み込んで来ました。後はみんな思い思い騒ぎ出して、声が、会話が、笑い声が、いっそう大きくなって行きました。

 みんなそれぞれが苦しかった日々を見事に乗り越えて、今日ここにこうして集まったんだなあと思いました。僕たち心移植者は血はつながっていない。でも家族なんだ。日本のどこにもない大きな家族だ。しかも、強い絆のある家族だ。家族だから、楽しさはみんなで分かちあえばいい。そうすれば、楽しさは倍増する。悲しみも、みんなで分かちあえばいい。そうすれば、悲しさは半減する。このように感じれる、素晴らしい「家族」だと思いました。

 これからは日本でも移植医療がはじまります。この家族にどんどん新しい人が加わって、より大きくより強い絆を持つ家族になっていくことでしょう。そうすれば、もっと素晴らしいことになると思います。

オブザーバーとして 参加して

高野 義雄(読売新聞科学部)

 東京女子医大(東京都新宿区)を通じて、米国で心臓移植を受けた患者7人と、医師、移植コーディネーター、看護婦、栄養士ら合計20人ほどが7月末、トリオジャパン副会長を務める安田義守さんの自宅に集い、バーベキュー・パーティーを楽しんだ。安田さんは、女子医大から米国へ渡航、心移植を受けた患者第1号で、これまでの取材で健康回復ぶりは知っていた。だが、8人もの心臓移植患者の'集団'に接したのは初めてで、「命の贈り物」が生み出すパワーを強く感じた。  7月27日、日曜日の昼前、天気曇り。相模湖に近い神奈川県津久井町の安田邸は、クリの木などの豊かな緑に囲まれていた。裏庭の木陰にブロックを並べ、にわか作りのかまどで炭火をおこし、焼き肉やトウモロコシ、栄養士さんが腕を奮った焼きそばなどに舌鼓を打った。  狙いは、患者と医療スタッフとの親睦。定期検診に訪れる病院では、ゆっくり話す時間が少ないことから、最近はやっているアウトドアのバーベキューを囲んで、冷えた飲み物でのどを潤し、盛り上がる会話をゲストに、夏のひとときを過ごした。  8人は、屋外の仕事で日焼けした安田さんをはじめ、いずれも健康そのもの。「自分から移植のことを言い出さなければ、周囲の人はだれも心臓移植したとは気づかない」とだれかが話していた。  確かにそうだ。安田さんは4年半前、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の病院で入院中、奥さんと話しているうちに突然心臓が停止し、心臓マッサージで生き返った末、ようやく移植にこぎつけたと聞くが、今となればウソのような話。8人の中でも、とりわけ体格がよく、スポーツ選手のように見えた青年は、携帯型の補助人工心臓を7か月も体内に埋め込んだ後、渡米して移植を受けたというから、まさに「人は見かけによらない」。  脳死臓器移植の重要性を実感するには、こうした移植患者と会って話を聞くに限る。移植の意味を、理屈抜きで直観的に理解できる。米国で脳死肝移植を受けて7年になる野村祐之さん(トリオジャパン国際理事)から、現地の高校で移植体験を講演し、学生から盛んに質問を受けた話を聞いたことがある。骨髄移植の支援団体も、骨髄の移植と提供に対する社会の理解を深めるため、ドナーや移植を受けた患者による講演会などを開催している。脳死臓器移植でも、こうした取り組みがもっと必要なのかもしれない。  10月16日に施行される臓器移植法。ルールが厳しく、脳死臓器移植を待ち望む患者、家族や医師にとっては、「堤にあいた針穴」かもしれない。しかし、それが移植新時代を生み出す原動力になるのは間違いないだけに、展開をしっかり見守りたい。

 トリオ・ジャパンでは皆様からのご感想・ご意見・ご投稿をお待ちしております。イラストやマンガなど、「作品」も募集中です。  よろしくお願いします。

 なお、今号のイラストは若林明美さん(心移植)と、高橋剛さん(肝移植)に描いていただきました。ありがとうございました。


第5回トリオ・ジャパン・セミナー

 

 第5回トリオ・ジャパン・セミナーが6月28日(土)、キャピトル東急ホテルの竹の間にて開催されました。台風の中、遠方からも多数ご参加いただきまして、会場は満席となりました。

 最初に厳しい渡航移植の現状について、3名の移植者及び家族からの発言がありました。まず、家族3人が同じ難病に冒された星下瑠美子さんが、家族の苦しみとコーディネーターのあり方についてお話しされました。次に、渡米して心臓移植待機中に亡くなった物部美佑紀さんのお母さん、物部多恵子さんが、悲しみから月日の経たない中で、移植の告知のあり方について、厳しく問題提議をなされました。最後にドイツで肝移植を受けた渡辺環さんが、元気で充実した日常生活について語って下さいました。

 この後、京都大学の田中紘一先生が生体肝移植の現状についてお話しして下さいました。1997年8月1日には、移植者数が300人(再移植7例は重複して数えない)に達するという、世界に誇る実績を上げられています。  休憩を挟んで、移植医以外の立場で移植に関係する各学会の先生方に、それぞれの立場から移植に対する姿勢についてご説明いただいた後、パネルディスカッションを行って、「日本で移植医療が発展するためには何が必要なのか」話し合っていただきました。会場から多数の質問が寄せられて、30分ほど時間を超過しましたが、盛会のうちに幕を閉じました。

 お忙しい中、お時間を割いて出席して下さった先生方、苦しみや悲しみを乗り越えつつ、勇気を持って発言してくださった移植者及び家族の皆様、会場にお越しくださった皆様、本当にありがとうございました。  なお、トリオ・ジャパンではセミナーでの発言を全て収録した小冊子を発行致します。お読みになって、会場の熱気を感じていただければ幸いです。 (若林 正)

[参加者数] 看護学生 6 看護婦 2 コーディネーター 7 ケースワーカー 1 医師 9 腎臓バンク 4 マザーリング 1 心臓病の子供を守る会 3 日本移植者協議会 2 胆道閉鎖症の子供を守る会 1 早稲田バイオエシックス    セミナー 1 報道関係者 (除くカメラマン) 30 一般 26 トリオ・ジャパン会員 24 医師(発言者) 7 移植者および家族(発言者) 5 計 129

セミナーの感想

「院内コーディネーター」の立場から

大田原佳久(浜松医科大学)

 私はこれまで腎移植の関係者の話しか聞いたことがなかったので、心・肝移植患者の皆さんがわが国での移植をどれほど望んでおられるかを切実に感じました。

 腎不全の患者さんは我が国の高度な透析技術と健康保険制度に支えられ、必ずしも移植を必要とする訳ではありません。事実、腎不全の患者さんの多くは移植希望登録をさまざまな理由でされていません。しかし、透析ができるからこそ、心停止からの献腎移植もできるのです。移植か透析かは患者さん自身が選択することですのでそれはそれでよいと思います。

 それに比べると、心・肝の移植はかなり切迫していることを痛感しました。また、医療不信がこんなにも強いのかとびっくりました。

 これは今回のセミナーだけでなく、移植メーリングリストの中でも感じたことです。世界的には移植医療が一般の医療として受け入れられているのに対し、わが国ではまだまだ医療側で十分な対応が出来ていないないのが、その原因ではないかと考えています。救急医療の先生方の「我々は脳死にならないよう治療するのであって、脳死者を出すことではない」と言う話は、移植の勉強会でもよく耳にします。それは各診療科の先生方も、移植医も同じ思いでしょう。

 では、その先生方が医療全般を通じて、移植医療に関してどれだけ理解されているかが疑問なのです。診療科がどんどん専門分化、細分化していく中で、医療全般の中では移植医療がどこか遠くにあるような気がしてなりません。

 一方、全て医者任せにしてきた患者さん自身も、自分の病気についてしっかり勉強し、先生ときちんと向かい合って話し合わなければならないと感じています。  移植には生体移植と、亡くなった方からの移植があります。これについてもさまざまな意見があると思いますが、個人的には、移植は亡くなった方からの臓器移植であるべきだと思います。やはり健康な人の身体にメスを入れるべきではないと思うからです。

 しかし、京大の田中紘一先生が努力されているように、生体移植も必要だから行われていることですし、絶対反対ではありません。

 移植医療は一般の医療と違って、必ず提供者が必要です。臓器移植の基本は、臓器提供者も移植を受ける患者さんも納得のいく形で行われることだと思います。

 わが国で臓器提供が少ない理由に、宗教的な問題などがあるといわれていますが、藤田保健衛生大学脳外科の神野哲夫先生がおっしゃったように、患者さんの家族に適切に対応することで、最近は提供者が増えているという話には安心しました。確かに宗教的な問題もあるでしょうが、私がコーディネーターとして献腎の話をするときに感じることは、普通の人は自分の死、家族の死について話すことが少なすぎるのではないかということです。これは日本人の無宗教性とつながる事かも知れません。

 一般に死は悪いこと、生きることは良いこととして、死についてはあまり話したがりませんし、臓器提供することが善で、提供を断わるのは罪悪であるような感じがします。  一方では、余計なことはしたくない、これ以上身体を傷つけたくないとの思いが交錯します。私自身、面識のない人に改まって臓器提供のお願いをするにはかなりの勇気を必要とします。

 できれば元気なうちに、自分や家族の死について話す機会をもって欲しいものです。臓器提供を拒否することもまた、亡くなっていく人やその周囲の人々にとって良いことであるかもしれないのです。

 移植コーディネーターについては、ネットワークの井形先生から「現在のところ日本では、移植コーディネーターは、プロキュアメントコーディネーター(臓器確保・配分が職務)も、メディカルコーディネーター(レシピエントの世話をするのが職務)も両方やっていただかなければならない」というお話がありましたが、現在の移植ネットワークから委嘱されたコーディネーターだけでは、その仕事量と内容からして、とてもやりきれることではないという思いがしてなりません。

 また、移植コーディネーターは救急の現場にいつもいるべきだという大塚先生の話もあり、家族への臓器提供の話は救急医の方が話しやすいのではないかという話もありましたが、確かに亡くなっていかれる患者さんの家族とは絆があり、家族の悲嘆状況も把握でき、話しやすさはあるでしょう。

 しかし患者さんの家族の中には、臓器提供には気が進まないにもかかわらず、お世話になった手前、仕方なく臓器提供に同意することもあるかも知れません。

 そういう意味では、中立な立場の初対面のコーディネーターによる説明も必要ではないでしょうか。スペインなどでは救急医がコーディネーターとして活躍し、実績も上げているようです。一つの方法としては良いのかも知れませんが、私自身は少し疑問が残ります。  我々静岡県では院内コーディネーター協議会を発足させて勉強会を行ってきたのですが、問題点として、どちらかというとドナー側よりもレシピエント側の立場にいるということや、病院内でその身分や立場が十分に理解されていないことなどがあります。

 腎移植ネットワークが発足して3年になりますが、ドナー登録やレシピエント登録の問題、HLAの検査など、移植に関わる経費の問題、コーディネーターの育成など、どれをとってもまだまだ十分に機能していません。その上に、多臓器移植の問題が被さり、これからの移植医療は前途多難という気がします。

 しかし、我々もできることから少しずつやっていこうと思っていますし、少しづつですが、一般の方にも移植医療が理解されてきていることを実感しています。ともかくみんなが納得できる範囲で移植医療を実践していけば、法律や行政の問題は後からでもついてくるような気がします。

 トリオのセミナーではいろんな考え方、移植医療の進め方があることを教わりました。また、移植メーリングリストのメンバーの方々にもいろいろお話を聞かせていただき、関係者の皆様にこの場を借りて、厚く御礼申し上げます。

アンケートやご意見から

☆セミナーに伺いました。たくさんのすばらしいお話を聞かせていただいたのに、うちに帰って考えるとどうも気分が晴れません。患者家族の方の話が心に引っかかっていたのです。あのような発言を公開の場でする(させる)ことに意味はあるのでしょうか。医者の批判をするのは簡単ですが、そこからは何も生み出しません。医者が移植のことを口に出来ない、現在の日本の環境の方に目を向けて下さったらよかったのに、と思います。 (アンケートから)

☆病気を治す手段があれば、やはり医者はその手段を患者に示すべきです。「移植が出来ない国で移植しかない」というのは「死の宣告と同じ」という物騒な言い方をする人もいらっしゃいますが、「だから代わりに死の宣告をしてもよい」という訳には行かないでしょう。もちろん、役に立つはずもない「治療行為」をするに至っては論外ですが。たとえば、田舎の小さな病院で重い病気にかかった患者がいて、都会の大病院に行って大金をかけないと治らないとしましょう。医者はどうするべきですか? (アンケートから)

☆物部さんの門馬先生に対するお話は衝撃でした。患者を助けるのが医師の使命と思って、そう信じて、私たちは医師に命を預けることができるはずですが、門馬先生は何を考えているのでしょう。女子医大という心臓病学ではトップレベルの権威に寄りかかったとしか考えられない対処の仕方に、改めて怒りを覚えます。

 私たちは心臓病の子供を持つ親の団体ですが、門間先生への不満は数々聞いておりますが「女子医大の先生だから」ということで黙認してきてしまったことを今悔いています。患者の心や立場を理解しようとしない医師は、どんなに技術が高くても本当に患者のためにはなっていないという事実を改めて具体的に伺ったような気がします。  内科医と外科医との信頼関係が充分に得られない限り、このような問題は起こり得るし、患者への信頼は得られないと思います。移植に限らず、医療とはいかに医者が患者の立場に立って、患者の身になれるかにつきると思います。 (落合希子)

☆各分野の先生方のお話は、移植を前にした現場からの非常に力強いバックアップと感じました。いろいろな問題をのりこえてゆく上で大きな支えになると感じました。

☆当日のお話はどなたも印象に残るものばかりで充実したものになったと思います。特に、物部多恵子さんのお話は同じ病院の患者として複雑な心境で拝聴しました。  平成5年2月に十分すぎるほどの説明に同意して、人工弁置換術に臨みました。それでも術後は「こんなはずじゃなかった」と悩み、眠れぬ日々が続きました。  そこで誰にも相談せずに、精神科を尋ねて、時間はかかったものの何とか落ち着きを保っていますが、ここまで至れたのも、理解ある上司や同僚、そして愛情あふれる循環器内科の主治医に恵まれたおかげであることは言うまでもありません。

 もし、物部夫妻の揺れ動くお気持ちを「ただ黙って聞いてくれる人」がいたならと思わずにはいられません。安易な慰め、同情、励ましではなく、他人の言うことを聴くだけというのはかえって難しいのですが、そういう人の存在が、自分は本当に何をしたいのか、何をなすべきなのか見いだすきっかけになるでしょう。患者本人はもちろん、家族にも精神科医の必要性を痛感しました。

 しかし、門間先生への恨みは一生消えないとお察しします。憎しみとうぬぼれからは何も生まれないけれど、心の傷は年月とともに深くなる場合が多いからです。 (見留幸代)


みんなの広場

会報9・10号への感想

 沖縄支部発足の原動力である、栽吉信沖縄支部長の心を動かした「いつ止まっちゃうかわかんないよ」の言葉は、義守でなければ出てこない言葉だと思う。明るく前向きな義守の人生が、多くの人達を感動させているのでしょう。青木慎治さんから「安さん」と親しまれ、副会長として活躍しているのも嬉しかった。朝子さんの話にあった、姉からの生体腎移植で悩んでいる人の話は、まさに私の同級生が悩んで、私に相談してきたことそのものでした。渡辺直道さんの話は、義守の時、家族や自分達が悩み体験したことが書かれており、今の日本の現状を痛感しました。また、脳死について、今までいろいろな人と自分なりに議論してきたけれども、なかなか説得できなかったし、自分自身でも決め手がなかった。そんな中、10号の「脳死は人の死か」 Q&Aは自分の気持ちの整理につながり、大変参考になった。  義守のことを今も心配している同級生や恩師、町役場にも是非この会報を読んでもらいたいと考えています。 (小澤研二)

10号を読んで

 内容的にはすごく難しいと思ったんですけれど、とても興味深い内容でした。やはり、自分が移植しただけに、一生懸命に取り組んでいかなければならない大切な問題だと思います。世の中に移植を待っている人は沢山いるのに、出来ないで亡くなっていく現状がありますが、これは人のやさしさ、お互いの存在をありがたいと思い、支えあって人生が成り立つものだと思うのですが。 (富貫めぐみ)  

 ラックス先生の歓迎会の様子が手に取るようにわかり感動しました。もし、日本で移植が出来たなら、自分の国の言葉でお礼が言えたり、手紙を書いたりできるでしょう。私は4年前に人工弁の手術を受けてから、表現力が豊かになったように思っています。自分の病状や健康状態を先生に知らせたい、察して欲しいと考えたからです。短い診察時間では伝えられないことが多いので、手紙をたくさん書きました。旅先からは絵葉書、クリスマスが近くなったらカードも出したほどです。日本語で感謝の気持ちがお知らせできる、これほど素晴らしいことはありません。 (見留幸代)

近況報告から

 6月15日(日)新宿西口で臓器移植法案反対という、デモというか、街でマイクを持ち通行人に話しかけている人達を見ました。移植した私自身が責められているような、私が大切だと思っている先生方を非難されているような感じがして、とても悔しく腹立たしく許せませんでした。

 その人達は脳死は人の死ではないと言っていましたが、脳が死んで自分で呼吸できないでいる人は、私は人の死だと思います。もし植物状態でいるなら、もしかしたら生きてものを食べ、自分の両親の名前を呼ぶことが出来るのでしょうけれども、それは私は不幸中の幸いで稀だと思うのですが、どうでしょうか。  私は反対している人達にはもっとやさしさを持って欲しいです。身近に移植を必要とする人がいれば、その今の厳しい状況を理解し、協力してもらえると思うのです。

 私は女子医の先生皆が心の支えなので、先生方を守っていきたいです。移植反対の怒りよりも、その手術をしている先生方を非難されたことが一番ムカつきました。 (富貫めぐみ)

 なぜ執拗にドナーになりたいと思うのか。いつ頃からこの言葉が脳に侵入してきたのか。問われても答えられない。ドナーであった友人の死、裏切られた死と、親に迷惑をかけまいとして23歳で死を選んだ兄。病気が治らないことを知って。罪の意識の中で救われたいと思っているのかもしれない。人は理解してくれない。しない者はしなければいい。そう思いきれない苦しさをどうすることも出来ない。 (福山)


レイク先生来日

 かつてトリオ・ジャパン会長の青木慎治さんの主治医を務め、現在カリフォルニア大学サンフランシスコ校の肝移植内科部長をされているレイク先生が8月に来日されました。8月19日に運営委員会を兼ねて歓談の機会を持つとともに、東京大学医学部で「ウイルス性肝炎と移植」についての講演をされました。施設による差や見解の違いに驚きました。

レイク先生をお迎えして 青木 慎治(肝移植)

 カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校・肝移植プログラムの内科部長、ジョン・レイク先生を囲んで、キャピトル東急ホテルの一室で、レシピエントにとって、最も関心の高い「内科医によるフォロー」について語りあった。

 ジョンは、私が1989年2月9日にサンフランシスコ病院に入院した時から帰国するまで、約6か月間のフォローの主治医であった。

 前任のライト先生、この人は女性で、廊下を私の処置に向かってくるハイヒールの靴音からの出会いだが、出血や吐血を繰り返す私に、食道静脈瘤の硬化療法を行ったのも、止血のためのバルーンを入れたのもこの人だった。

 ところが、ある日突然、ライト女史からジョンに担当が変わったのだ。確かそのとき、主任教授のアッシャー女史が、「シンジ、ジョンは奥さんが日本人だし、あなたには最適の担当医よ」と言ってくれた記憶がある。

 後で聞いたところによると、実は私の移植手術のときに、ライト先生は「静脈瘤が破裂する可能性がある」という意見で、手術に否定的であったという。ところが、ジョンは「充分手術に耐えられる状態だし、手術直前にバルーンを入れておけば、たとえ出血しても止められる」と進言してくれたらしい。

 アッシャー教授には、「否定的な意見を持った医師が担当するのは適当でない」という考えがあり、肯定的なジョン・レイク先生にバトンタッチされたらしい。

 私は来る日も来る日も、ジョンの顔を見る度に、ベッドの中から「いつ手術をやってくれるのか」と聞きただす。そんな私の苦境を思いやったのか、ある休日、ジョンはジーンズの軽装で、そのうえ二人の少女を伴って私の病室に入ってきた。私から見る少女は、背からオーラを発し、あたかも天使のように見えた。おまけに口から出た励ましの言葉は、立派な日本語だった。5歳か6歳のお姉さんがカトリーヌ、妹さんがチェルシーで、日本名は真澄ちゃんに真也ちゃんであった。ジョンの愛娘である。

 私は気弱になっていて、特に夜は暗澹たる気持ちで自分の死を見つめる日々であった。ジョンはそんな私を気づかい、病院の規則を無視して、あえて二人の天使に励ましを託して、私を見舞ってくれたのだろう。国境を越えたジョンの友情が、私の胸に再起への灯を点けてくれた。

 手術日まで、天使の訪れは何度も繰り返され、ある時はナンシー教授までがカトリーヌを抱き上げ、「きっとシンジは良くなるからね」と間接話法で励ましてくれたりした。

 移植手術当日は、一番最後にジョンが待機病室にバルーンを持って入ってきて、「シンジが苦しむから、一番細い子供用バルーンを持ってきた」と言ってくれて、私もその好意に応えるために、「入れてくれれば自分でゴックンと飲むから」と、積極的にバルーンのチューブを飲み込んだ。ジョンは処置が終わると、「ユー・アー・グッド・ジョブ(いい仕事をしたね)」とほめてくれた。間もなく私はストレッチャーで手術室に運ばれた。

 手術後、回復病棟に移された私に、カリーライスを食べさせたのもジョンだ。おそるおそる口に入れたカリーライスのうまかったこと、今でも忘れられない。このショック療法から、見事病人から普通人への道へと一歩一歩進んで、回復していった。

 入院中はもちろんのこと、ホテルから通院に変わってからも、ジョンの温顔にふれることは、私にとって、サイクロスポリン(免疫抑制剤)よりも効果があった。

 再会したジョンは当年44歳、ハンサムボーイも中年医師として重みある存在へと変化していた。移植手術の症例もとっくに一千例を超えたという、移植医療界の高名な医師になってくれていた。だが、私にとっては、いつまでも優しくて素晴らしい友人、ジョンだ。

 この日はレイク夫人にも同席していただき、カトリーヌ15歳、チェルシー13歳、それにナタリー8歳まで加わってくれて、素敵なヤング・レディの美しい顔を私に見せてくれた。

東京大学医学部でのレイク先生講演要旨 北 嘉昭(東京大学医学部第二外科)

B型肝炎に対する肝移植

 HBs抗原陽性の末期肝疾患患者に対する肝移植については、移植後B型肝炎再発による肝障害が急速に進行する危険があり、昨今まで慎重であるべきとされてきた。さらに、移植後のB型肝炎再発の頻度が、HBe抗原陽性例では高いことから、B型肝炎免疫グロブリン(HBIG)の予防的投与を行って移植を行う場合も、一般にHBe抗原陽性例は除外されてきた。

 しかし我々の施設では、HBe抗原陽性例およびHBV-DNA陽性例についても、高用量HBIGの予防的投与により、B型肝炎の再発率が激減した。しかし、HBIG投与日に測定したHBs抗体価は各患者によって大きく変動することから、治療方針を決定する上で、HBs抗体価を利用することは難しいことがわかった。一応、我々の施設では、HBs抗体価を500 mIU/ml以上に保つことを目標にしているが、これは施設により異なっている。

 このように、高用量HBIGの予防的投与は、移植前にウイルスの活動性が高かった患者においても、HBs抗原血症の再発を減少させることが明らかになりつつあるが、患者の血清やリンパ球などを用いてPCR増幅によりHBV-DNAを検索すると、患者の大多数にウイルスが残存していることから、生涯にわたるHBIG投与が必要とも考えられるため、費用がかさむ(年3万ドル)という欠点がある。

 一方、近年このような患者の肝移植前後に、HBVの複製を阻害するラミブジンlamivudine(日本ではエピビルという商品名で抗HIV薬として認可されている)を100 mg/day経口投与する試みがなされている。我々の施設でも、ラミブジンの経口投与により、肝移植後のB型肝炎の再発率は激減した。また、ラミブジンと高用量のHBIGの併用も行っており、これらの方法が肝移植後のB型肝炎の再発防止に有効である可能性が示されつつある。ラミブジンはHBIGよりも安価であるので、ラミブジンの経口投与に加えて、術後6カ月のみHBIGの投与を行う方法がよいのではないかと思われる。

C型肝炎に対する肝移植

 HCV-RNA陽性の患者に対して肝移植を行った場合、ほとんどの患者に移植後に再発が認められ[補注: 一般に肝移植の場合、5年経過すれば生存曲線は横ばいとなって安定するが、C型肝炎に対する肝移植の場合は、5年を経過した後も生存率が年々低下する]、移植前よりもHCV-RNA量が多くなることが分かっているが、B型肝炎ウイルスに比して、その進行は緩徐であり、臨床像もmildであることが明らかになっている。また、HCV遺伝子型1bによる感染は、1b以外の遺伝子型の感染に比べて肝移植後の経過が重症であると報告されているが、当科の症例で検討したところ、ウイルス量・ALT・AST・ビリルビン・組織学的所見・移植片生着率は1bの症例と、1b以外の遺伝子型の症例との間で有意差はなかった。

 しかし、免疫抑制剤の違いにより、同じC型肝炎の再発症例で移植片生着率に差異が認められ、タクロリムスの方がシクロスポリンに比して有意に生着率がいい。組織学的な変化はタクロリムスの方が起こりやすいが、ステロイド抵抗性拒絶反応はシクロスポリンの方が多い。副作用については大差ない。C型肝炎以外の場合には、免疫抑制剤による生着率の差はない。

 C型肝炎の患者の治療には、インターフェロンは拒絶反応を誘発するなど有害無益であり、ウルソデオキシコール酸の投与が肝機能の改善に有効であると報告されている。しかし、現在のところ、HCVの再発を抑える有効な治療法はなく、抗ウイルス剤等の開発が望まれる。(補注: 9月の日本移植学会総会では、C型肝炎に対する移植後、肝機能の急激な悪化に対してラミブジンとインターフェロンを用いて著効を認めたという報告もあった)


書籍紹介

トリオ・ジャパン編集 『医師との対話−これからの移植医療を考えるために』 A5判並製 320頁 はる書房刊 \2400(税別) 10月初旬発売

 トリオ・ジャパンでは1992年に発行された『これからの移植医療』の第二弾として、『医師との対話』をはる書房より刊行致します。出版の時点で会員の方には無料でお送り致します。  お読みになった上で、お近くの方にお薦めいただければ幸いです。なお、お近くの書店でもご注文になれますが、トリオ・ジャパン事務局にご連絡いただければ、送料無料にてお送り致します。

[内容]  海外での移植を選択した3組の家族がそれぞれ医療の現場で体験した悩みや不安、医師との関わり方の難しさ、あるいは「医療」そのものに対する思いを、主治医へのインタビューの中で自ら問題提起しつつ明らかにしていく。医師との「対話」の中に、に本の医療の明日が見える。

[目次]

序文『医師との対話』のために  ディディエ・ウッサン(フランス移植機関事務局長)

T部 医師との対話

 「移植へ 患者が医師に求めたものは」

   古谷 亮(大森赤十字病院消化器科)    渡辺 環/渡辺直道

 「医療への信頼がもたらしたもの」

  1.吉村洋三(新庄病院副院長)    五十嵐徹/五十嵐直子

  2.林 富(東北大学医学部小児外科助教授)    五十嵐直子

 「ボランティアに見る 社会に根ざした医療のあり方」

   佐地 勉(東邦大学医学部第一小児科教授)    萩原 守

 「21世紀の医療に必要なこと」

   野本亀久雄(日本移植学会理事長)    五十嵐直子/萩原 守/渡辺 環

U部 トリオジャパン・セミナー

 特別企画 スターズル先生と語ろう   第3回 今日の命を救うために   第4回 世界視野からの肝臓移植治療

野村祐之著「死の淵からの帰還」 岩波書店 1900円(税別)

 トリオ・ジャパン副会長兼国際理事の野村祐之さんが、ご自身の体験を語った本を出版されました。

野村祐之さんの本を読んで

北 嘉昭(東京大学医学部第二外科)

 野村祐之さんの語りかけは、いつも霊的、哲学的な重みを持っていながら、人間的ですごくやさしい。神学を学んだ敬虔なクリスチャンとしての信仰心を核に、それを包む豊かな知性が相俟って心の琴線に響く一つ一つの言葉をを生み出している。

 野村祐之さんとは患者−医者の関係以上のおつき合いである。私事だが、結婚式の公証牧師の役まであつかましくもお願いした。そんな関係でありながら、この本を読んで初めて、今まで知らなかった野村さんの新たな素顔を発見した。

 アメリカでホスピスのボランティアをされていたときのこと、友人が肝移植を勧めてくれたときに感じた運命、肝移植直後の不思議な体験、スウェーデンの牧師さんとの霊的な交流など、全てが必然に起こっていると思われるような野村さんの体験は詩的であり、神秘的でさえある。

 しかし同時に、この本の中にある多くの鋭い理性的批判は、非常に示唆に富んでいる。たとえば、スウェーデンの牧師さんは脳死の状態を正しく理解しようとしない日本人を「理性的怠慢」としている。また、日本人が「自分に直接利害の関係しないことには無関心である」傾向があることが、献血にはじまって、生体移植のドナーさえも少ない原因になっているのではないかと鋭い考察をしている。さらに、医療界の閉鎖性、独善性が日本社会の縮図であるなら、脳死臓器移植が成功するかどうかは、日本という国が人間社会としての成熟度を試されているとしている。共感するところが大である。

 臓器移植法がようやく成立し、わが国において脳死からの臓器移植が始まろうとしている。日本において臓器移植を普及させることは困難な道であろう。しかし、人間であれば誰もが最期にできる、最も高貴な行為である臓器提供(言いかえれば、見知らぬ人の幸福を自然な気持ちで望めること)がもたらす医療「臓器移植」をこの国で花開かせることが出来るなら、この国は本当の意味で豊かな国になれるのではないか。  臓器移植を必要としている人、その恩恵を受けた人、医療従事者、のみならず一人でも多くの日本人に読んでいただきたい本である。

後藤正治著「ふたつの生命 心肺移植を待ち望んで」 岩波書店 同時代ライブラリー315 \1000円(税別)

 今日が臨終の日となるかもしれない。そう覚悟しながら、この十年に近い歳月が過ぎた―心臓と肺に移植でしか救われない病を持つ若い女性患者のもとに、同じ病と闘うアメリカ人女性から手紙が届いた。絶望と希望の交錯、生と死を見つめて生きる二人の心うつ交流、脳死論議の陰の生きるための闘いを描く感動の記録。(裏表紙から)

この本を読んだときの思い出 若林 正(肝移植)

 本書は1988年5月潮出版社より刊行された『きらめく生命の海よ』の文庫版である(一部加筆訂正されている。特に、あとがきに代えて、現在移植コーディネーターとして活躍されている仲田明美さんの弟さんについて書かれている)。

 私は昨年の1月31日に生体肝移植を受け、入院中はいろいろとあったものの、4月末には無事に退院し、夏まではとても順調に経過していた。免疫抑制剤の副作用(手指の震え)には閉口していたものの(現在も多少困るがかなり慣れた)、今から思えば、移植前とはうって変わって、多少疲れても一晩寝れば次の日に持ち越すことはなくなっていた。

 しかし、8月ころから肝機能が次第に悪化し、10月ごろは何をする気力もなく、毎日ベッドで横になっているのが精一杯の毎日を送り続け、結局11月には入院してしまった。秋からは学校に復学できると思っていた矢先のことであったし、移植後「健康な人の普通の身体の状態」を知ってしまったために、相当に滅入っていた。

 そのころたまたま手にしたのが『きらめく生命の海よ』であった。

 心肺移植を待つ二人、日本の仲田明美さんとアメリカのアンドレア松島さんの間の、心温まる手紙のやりとりを中心に、移植の厳しい現実が語られる。だが、この厳しい現実における二人のやりとりは、顔を見ることも声を聞くこともない関係であるにも関わらず、同じ立場にある人間として、相手のことを思う気持ちに満ちあふれている。移植に反対する人々や、疑問を抱く人々から、「移植を待つ人々はお互いにライバルになる」「人が死ぬのを待つんでしょう」「自分さえ出来ればいいとは思わないの」という声を耳にするが、この本を読めば、そんな単純な話ではないことがすぐにわかるはずである。

 また、仲田明美さんのたどってきた道が克明に記されていて、自分の思うようにはならない病気との闘い、あるいは病気との共存のなかで感じた思いが、仲田明美さん本人の日記や詩を引用しつつ綴られている。彼女の高校・大学時代の様子や思いは、他人には見えない肝障害を患いながら通学していた私自身の体験と重なることが多く、共感するところばかりであった。

 「何も移植まで受けなくても」「結局不公平になる」「人には運命があるのだ」移植に対するさまざまな反論を耳にする。中には、自分さえ移植を受けられればいいという人がいるかもしれない。これは一般社会でも同じであって、「いい人ばかりではない」というのが現実である。しかし、大半の移植が必要な患者は、「自分は移植を受けるに値するのか?」「自分はいいから、他の人に助かって欲しい」「本当に移植して良くなるのか」と悩みぬいた末に、ようやく移植を決断する。あるいは、死を目前にして、本人も家族も「移植しかない」という状況になって,移植に賭ける。こうした苦悩を経て移植を待つ人々は仲間であり、お互いに元気になれるよう願っている。本書にはこうした移植を待つ人々の本当の姿が描かれている。

 筆者があとがきに「この本の真の筆者は仲田明美でありアンドレア松島である」と書いているように、ノンフィクションとして客観的かつ淡々とした抑制された筆致であるにもかかわらず、根底には筆者が移植に関わる人々を見つめる温かいまなざしが通奏低音として響いており、読者の心を打つ。

 この本の魅力を言葉で充分にお伝えすることが出来なくてもどかしいが、実際にこの本を手にとって読んでいただければ、皆が勇気づけられる何かがあることを、きっと納得していただけるだろう。  今回改めて読み直してみたが、ほぼ半年ぶりに、当時の感動が甦ってきた。現在私がおかれている「慢性拒絶か原疾患の再発が疑われる」という状況を受け入れ、日々活動する支えとなってくれている本である。

春木繁一著「透析か移植か」 日本メディカルセンター 2600円

「透析か移植か」を読んで 荒波 よし(ファミリー・コーディネーター)

 今般トリオ・ジャパン編集「医師との対話」出版を控えて多忙の中、この著書が目を引きました。この本は、春木繁一先生が長年にわたってコンサルテーション・リエゾン精神医学の立場から透析や腎移植(特に生体腎移植)の方々と関わるなかでまとめられたものです。

 著書を手にして数頁も進まないうちに、私には腎移植者や腎提供者の苦悩と悲鳴に近いものが感じられました。さらに読み進んでいくうちに、私が今まで疑問に思っていたことに対する一つの答えが得られたように思いました。その疑問とは、腎移植も含めて、国内で臓器移植がはじまって30年もの歳月が流れているのに、なぜ移植医療の進展につながって行かなかったのかということです。ドナーカードの普及についても同じことが言えます。これらは、私が移植に関わり出して以来の疑問でした。

 ちょうどこの本を読んでいるとき、7ページの「ファミリーコーディネーター活動」で述べた相談を受けました。この母娘それぞれの中にわき起こってくる感情(不安・苦悩・心配)を現在の医療の中でどれだけ受け止めて対処してもらえるのでしょうか。もちろん、医療者だけでなく、家族も含めて、一緒になって受け止め、支え合うことが出来るのでしょうか。

 こうした医療体制や家族の支えがないところに何が起こるかと言えば、それは私が最初に申し上げた「苦悩と悲鳴」でしょう。彼らは自分だけで悶々と自己と格闘し、自分を責め、落ち込んで行くことでしょう。  このようなことばかりではないにしても、華々しい移植の「成功」の陰で、このようなことが延々と続いてきたわけです。本来、移植医療は生体移植であれ、死体移植であれ、喜びとなって、周囲の人々にも感動を与えるものでしょう。たとえ、不成功に終わったとしても、皆に感謝の気持ちが残るものであってほしいと思います。  この本は、こうした私の思いをすっきりと整理された形で語って下さっています。移植医療は、信頼を基盤に医療者も家族も、そして広く社会全体が、当事者を「独り」にすることなく、皆で受け止めて、支えて行くものであると思うのです。

 移植を受けるか受けないか迷っている方、移植に携わっている医療関係者に是非一読を薦めます。


ファミリー・コーディネーター相談件数 (1997年1月〜8月)

  相談件数 内死亡者 内渡航移植
肺移植 7 1 1
心移植 12 4 3
肝移植 15 3 5
腎移植 2    
36    
募金相談 6    

トリオ・ジャパン会員動勢(1997.9.10現在)

    個人会員 204名     団体会員 23団体

医療関係者 75 9
移植者 49 9
患者 11  
家族 37  
一般 24 3
臓器提供者(生体) 1  
臓器バンク   1
マスコミ 7 1

活動日記

5/22 参議院議員陳情 5名と面談
5/26 特別委員会傍聴
5/28 全参議院議員陳情 第4回セミナー冊子配布
5/31 運営委員会
6/1 移植勉強会参加(日本移植者協議会)
6/2 特別委員会傍聴
6/5 参議院議員陳情 移植関連8団体会議
6/6 患者6団体埼玉会議 移植医主導の意思表示及びカード普及について
6/11 全参議院議員陳情(会報・セミナー案内配布) 特別委員会傍聴
6/12 地方公聴会 新潟公聴会に黒田珠美さん
6/13 中央公聴会 公述人に渡辺環さん 家庭訪問
6/16 特別委員会 修正案提出審議採択
6/17 臓器の移植に関する法律(中山案の修正案) 衆参両院可決 埼玉医科大学訪問 野本先生と座談会「医師との対話」
6/19 東北大学病院訪問
6/21 心臓移植体験講演 木内博文さん(看護学校)
6/22 運営委員会
6/23 藤田保健衛生大学訪問
6/27 日本医科大学訪問
6/28 第5回トリオ・ジャパン・セミナー
7/4 移植学会カード普及委員会
7/10 都内会社訪問
7/17 東京医科大学病院訪問
7/19 運営委員会
7/22 岡山大学訪問
7/27 東京女子医大心移植チームと移植者及び家族のバーベキュー大会
7/30 病室訪問
8/6 厚生省臓器移植対策室訪問
8/7 家庭訪問
8/8 野本理事長と青木会長対談
8/11 「美佑紀ちゃんを守る会」より募金残金引渡式
8/12 松波総合病院訪問(岐阜)
8/13 順天堂大学訪問
8/19 臨時運営委員会 Dr. Lake歓迎会・意見交換
8/24 渡航移植者出迎え(成田空港)
8/25 臓器移植専門委員会オブザーバー 埼玉意思表示カード配布委員会
8/26 病室訪問
9/2 心臓移植体験講演 木内博文さん(看護学校) 家庭訪問(岡山) 患者家族支援者訪問(神戸)
9/4 京都大学訪問(胸部外科)
9/5 臓器移植専門委員会オブザーバー
9/15 運営委員会
9/23 移植関連8団体記者会見
9/24 衆議院議員に意思表示カード配布(8団体)

活動予定


クリプトスポリジウムについて

 最近、新聞や雑誌等で「クリプトスポリジウム」という名前を目にするようになりました。クリプトスポリジウムは人にも家畜にも感染する寄生性原虫で、口から入って腸に寄生し、激しい下痢や腹痛、発熱を起こしますが、健常者であれば通常1〜2週間で免疫が働き、自然に治ります。しかし、免疫力の低下した患者にとっては死の転帰をたどることも少なくありません。特に、1993年4月に米国のミルウォキー州の水道水を通じて集団発生した際には、推定40万人を超える患者が発生し、免疫不全者も罹患したため、1995年までに100人以上の死者が出る事態となりました。

 このようなことが起きた理由は、クリストスポリジウムが塩素殺菌に対して抵抗力が強く、水道水を通じて集団発生したことと、感染したときに治療薬がなく、感染者自身の免疫力に頼るしかないことから、AIDSなどの免疫不全者に重篤な症状を引き起こすためです。

 日本での最初の集団発生は、1994年8月から9月にかけて、神奈川県平塚市の雑居ビルで起こり、461名の患者が出ました。 また、1996年6月初旬に埼玉県越生町で、はじめて水道水を感染源として、住民の約7割(8705名)が罹患する集団発生が起こり、大きな問題になりました。  対策として、水道局が濾過処理を徹底し、水道水の濁度を0.1度以下に維持すれば問題ない(ほとんどの施設で対策済み)とされていますが、免疫抑制剤を飲んでいる方は、次の点に気を付けてください。

  1. 手をよく洗うこと
  2. 性行為の際は便等に触れないよう注意すること
  3. 畜産動物をさわらないこと
  4. ペットの便をさわらないこと
  5. 野菜などの生ものはよく洗うか熱を通す
  6. プール等で泳ぐときには水を飲まない
  7. より安全な水を飲むこと(1分以上煮沸)

 なお、AIDSなどの免疫不全者で、CD4値が200以下の人が感染した場合にはかなり危険だと言われていますが、移植後免疫抑制剤を飲んでいる方の場合は、移植後ある程度時間が経って、免疫抑制剤の量も減り、データが落ち着いている段階では、過度に警戒する必要はないと思われます。移植者の危険性に関するデータをお持ちの方は事務局までご連絡下さい。 (厚生省資料などから要約: 若林 正)


編集後記

 本来ならば8月中に編集作業を終えて、9月1日発行とする予定でしたが、諸般の事情により会報の発行が遅れてしまいました。原稿を依頼した一部の方々には非常にきつい締切でお願いしてしまったにも関わらず、このような結果になってしまい、申し訳ありません。事務局一同おわび致します。発行日は遅れましたが、その分内容は充実したのではないかと思いますが、いかがでしたでしょうか。今回は一部段組みを変えてみました。レイアウトや内容に関するご意見を事務局までお寄せ下さい。

 事務局は法案成立後も法案施行に向けた準備のための各種委員会に奔走しています。また、この微妙な情勢の中で、渡航移植に踏み切る方や、国内での移植に賭けることに決断される方からの相談も多く、忙しい毎日です。さらに、『医師との対話』および第5回セミナーの小冊子の編集・校正作業が入り、混乱に拍車がかかりました。どちらもこの会報と同じころ皆様のお手元に届く見込みです。

 インターネットのホームページをご覧になって、トリオ・ジャパンに入会される方が増えています。また、「移植コーディネーターになりたい」という方からの問い合わせが増えていますが、現時点では歯切れのよいお答えが出来ず、歯痒い思いをさせられています。現場では人が足りないようですが、公的資格もありませんし、需要と供給の関係で、就職口は非常に限定されているのが現状で、「こうすればなれる」という道は今のところありません。 (若林 正)


国際移植者組織トリオ・ジャパン
(Transplant Recipients International Organization)

 TRIOは 1983年米国ペンシルバニア州 ピッツバーグにおいて、移植を受けた人々の小さな集まりとして始まりました。創始者故ブライアン・リームスが心臓移植を待ち続けている間に、 孤独と恐怖や不安にさいなまれた経験から、移植を待つ人、移植を受けた人、そしてその家族の支援団体を作ろうと考えたのです。このグループの主な活動は、移植者自身やその家族が直面する様々な問題について、 お互いに助け合うことでした。  トリオ・ジャパンはTRIOの日本支部として、1991年2月9日に設立されたもので、先天性胆道閉鎖症のために肝移植を待ちながら、オーストラリア・ブリスベンで亡くなった水谷公香ちゃんの募金残金を 「トリオ・ジャパン公香ちゃん基金」として出発しました。

 トリオ・ジャパンでは移植医療を広く社会に定着させるために、 移植者が中心となって、講演やセミナー等、活発な啓発活動を行うとともに、 ファミリー・コーディネーターを育成して、患者及び家族に対する移植前後のサポートを行っております。多くの皆様のご指導とご協力をお願いします。  トリオ・ジャパンは非営利団体で、皆様からのご支援によって支えられています。当会の趣旨にご賛同いただける方のご入会をお待ちしております。会員の方には行事の案内や会報などをお送りしています。詳しいことは事務局までお問い合わせください。

 1997年10月1日現在、個人会員の年会費は5000円となっております。ご寄付の方もよろしくお願いいたします。

<振込先> 個人/団体/法人会員/寄付 郵便振替 00160-6-75283 トリオ・ジャパン 住友銀行巣鴨支店 普通 906012 トリオ・ジャパン 会長 青木慎治

活動内容

  1. 移植医療の情報収集および提供(国内・海外) ・ 移植希望者や移植者への情報提供
  2. 移植医療推進のための調査・研究・啓発活動 ・ 一般市民および医療従事者に対する移植医療の啓発活動
  3. ファミリー・コーディネーター活動 ・ 移植希望患者および家族に対する術前・術後のサポートおよびカウンセリング

トリオ・ジャパンでは随時会員を募集しております。

今日の命を救うために 皆様の参加をお待ちしています。


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