遠く、近く
今日こそは、いけるかもしれない。
そんな予感が、脳裏を掠める。
だがジョミーは、すぐに意識を改めると、次々に与えられる課題をこなしていくことに集中した。
折角ここまで上手くやってきたのに、つまらぬ予感に気を取られて、失敗しては堪らないからだ。
それでなくとも、訓練開始から、大分時間が経っている。
そろそろ、ジョミーの意識が散漫になる時分であった。
そうして確かにジョミー自身も、単なる光の球でしかない対象物に、単調さを覚え始めていた。
常ならば、そんな心持ちが、ジョミーの集中力を妨げるのだろう。
だが、今日は違った。
先に、淡い期待の入り混じった予感に気を取られた所為か、ジョミーは訓練の単調さに退屈する前に、意識を新たにすることが出来たのである。
それが功を奏したに違いない。
「おめでとう、ソルジャー・シン。パーフェクトだ」
不意に響いた拍手の音と、ハーレイの声に、ジョミーは我に返った。
そうして全てのシミュレーションを終えて、訓練室の真ん中にぼんやりと佇んでいる自分に、気がついたのだった。
「やれば出来るじゃないか、ソルジャー・シン」
ハーレイが、よくやったなと言わんばかりに、ジョミーの背中を叩く。
その後ろから、ハーレイと共に別室で様子を窺っていたらしい、長老たちもやってきた。
なににつけてもジョミーに苦言ばかり呈する彼らだったが、さすがに今日の出来には文句のつけようがないらしい。
それでも、一回ばかりじゃ単なる偶然かもしれん、なんて、憎まれ口をたたいては、いる。
負けん気の強いジョミーは、ずいぶんと勝手な言い草ばかり並べ立てる彼らに、何度食って掛かったことだろう。
しかし今日ばかりは、長老たちの言動も気にならなかった。
周囲の喧騒を、どこか遠い出来事のように感じながら、ジョミーは手元に目をやった。
先刻まで、ESPを放っていた手のひらを、ぎゅっと握り締めてみる。
ふつふつと込み上げてくる達成感に、ジョミーは知らず笑みを浮かべていた。
早く、彼の元へ行きたいと思った。
そうして今日の成功を、報告したかった。きっと彼は誰よりも、ジョミーの成功を喜んでくれるに違いない。
後継者の、これまでの惨憺たる結果に落胆する素振りもみせなかった彼。
それだけでなく、どんな時もジョミーを励まし続けてくれた彼。
ソルジャー・ブルーがいたからこそ、ジョミーは今日まで頑張ってこられたのだ。
ジョミーとしても、誰よりも彼に喜んでもらいたかった。
ジョミーを慰める、困ったような笑みでなく、こころからの笑顔を、浮かべてもらいたかった。
そんな事々を考えたら、なんだかいても立ってもいられなくなって、早くブルーの元へ行かなければならないような気がして、ジョミーは一歩足を踏み出した。
「ソルジャー・シン? どこへ……」
呼びかけるハーレイの声も、ジョミーの足取りを止めるにはいたらない。
二歩、三歩。
四歩目で、とうとう走り出そうとしたその時。
不意に頬を撫でる柔らかな感触に気がついて、ジョミーはたたらを踏んでその場に留まったのだった。
『ジョミー、見ていたよ』
ふと面を上げたジョミーの脳裏に、ブルーの言葉が心地よく響く。
『よくやったね、君なら出来ると信じていたよ』
歓喜を押さえきれないといった風な、ブルーにしてはめずらしく興奮した口振りに、ジョミーは嬉しいような、くすぐったいような心地を覚えた。
もしかして、と思ってはいたが、やっぱり彼は、ジョミーの訓練を見ていてくれたのだ。
本当は、体調が芳しくない分、あまりESPを使って欲しくないのだけれども、ジョミーを気にしていてくれたという事実は、単純に嬉しい。
そんな思いを込めて、ジョミーは虚空に向かって満面に笑みを浮かべた。
するとジョミーを取り巻く彼の気配が、その密度を増した。
まるで、すぐ傍らにブルーがいるような錯覚を覚える。
『……君は立派な、僕の後継者だ』
耳元で、そうっと囁かれたかのように感じられた言葉と共に、ジョミーは、確かに彼に抱きしめられたと、思った。
瞬間。
ジョミーの視界が、不意に歪んで。
立ちくらみでも起こしたのかと、ジョミーは反射的に目を閉じていた。
なんだか、辺りの様子がおかしい。
視界を閉ざしたジョミーは、すぐにそうと気がついた。
騒々しい長老たちの話し声が、全く聞こえず、しんとしている。
静謐な空気が、充満しているようだった。
瞼を透かしてさえ、周囲の薄暗らさが、知れた。
訝しく思ったジョミーは、ゆっくりと瞼を上げた。
すぐには焦点の合わない視界で、目にしたものが信じられなくて。
ジョミーは何度か、瞬きを繰り返す。
だがクリアになった瞳に、映るのはやっぱり彼の姿に他ならなくて、ジョミーは思わず息を飲んでいた。
彼――ブルーは、まるでジョミーがそこにいるのが当然のような顔をして、寝台の上に上体を起こしている。
ほんのりと微笑を浮かべた面は、真っ直ぐにジョミーに向けられていた。
そうして優しいまなざしを、ジョミーの上に注いでいる。
「え? あれ? 僕……」
自らの置かれた状況が、いまいち把握しきれないジョミーは、酷くうろたえた。きょときょとと周囲を窺うが、まごうことなくブルーの私室である。先刻まで、訓練室にいたはずなのに。そんなジョミーの内なる疑問に、答えを与えてくれたのはブルーだった。
「テレポートしてきたね。僕に会いたいと、思ってくれたのか?」
そう言って、小首を傾げている。
どこか悪戯っぽく細められた瞳は、ジョミーのなにもかもを見透かしているように思われて。
ジョミーは頬が熱く火照るのを感じた。
取り繕うことを諦め、素直に口を開く。
「ええ、まあ、はい」
ジョミーの言葉に、ブルーは笑みを深めた。
「詳しい報告を、聞かせてくれるのかな?」
「……違います」
けれども、さすがにジョミーの本心までを察することは出来なかったようである。
ブルーの推測に、ジョミーはゆるゆると首を振った。
ブルーは、ちょっとだけ目を開いた。
ジョミーの反応が予想外だったのだろう。
不思議そうな表情で、ジョミーを見つめている。
彼の視線を十分に意識しながら、ジョミーは寝台へ足を進めた。
ブルーは首を傾げて、ジョミーの言動を待っている。
寝台の傍らに立ったジョミーは、一息ついた。
ゆっくりとした所作で、寝台に腰掛ける。
「ジョミー?」
ずいぶんとかしこまった様子のジョミーに、ブルーが囁くような声で呼びかけてくる。
ジョミーは笑みを浮かべて応じると、寝台の上に乗り上げた。
ブルーを驚かせてしまわないように、負担になってしまわないように、細心の注意を払いながら、その身体を抱きしめる。
思ったよりもずっと華奢な体躯が、彼の現状を物語っているような気がして、ちくりと胸が痛んだ。
だが頬に触れる髪や、ほのかに伝わる温もりが、ブルーの存在を確かなものと教えてくれる。
それらを一片も逃さぬよう、ジョミーはブルーを腕の中に閉じ込めながら、彼の耳元で呟いた。
「……どうせなら、こうしたいと思って」
遠く離れていても、その気配を感じられる思念は、確かに便利なものだろう。
けれども可能であるならば、近くでその存在を、じかに感じるほうがずっといい。
訓練室で、ブルーの抱擁を覚えた時、ジョミーはそんな風に思ったのだった。
まさかその一念で、知らずテレポートしてしまうとは思わなかったけれども。
不意に、ブルーの身体が微かに震えた。
しかと抱きしめている所為で、表情は窺えないけれども、どうやら笑っているらしい。
はっとしたジョミーは、咄嗟に彼から離れようとした。
考えてみれば、テレポートで現れた途端に抱きつくなんて、ずいぶん子供っぽく、相手の都合を無視した行動だったろう。
だがジョミーが離れるより早く、ブルーの両手がジョミーの背に回されていた。
そのまま、優しく抱きしめられる。
「確かに、このほうがずっといいね」
そう言って、ジョミーの存在を確かめるかのように、頬を寄せてくる。
普段の様子からはまるで想像出来ない、ブルーの甘えた所作が嬉しくて。
ジョミーは今一度、彼の身体をしかと抱き締め直す。
「よく頑張ったね、ジョミー」
軽く背を叩きながら、囁かれたブルーの言葉に、ジョミーは元気よくはいと答えた。
終