たしかな、ぬくもり
「やっぱり、一定時間を越えると駄目なんです。どうしても意識が散漫になってしまって……」
組んだ腕と顎を寝台に預けつつ、床に座り込んだジョミーは、いつもとさして変わらぬ、愚痴とも取れる報告をブルーに語り始めた。
しかし寝台の上の彼は、ジョミーの訪問にも、言葉にも、微動だにしていない。
一糸乱れぬ寝姿で、上掛けの中に収まっているばかりだ。
その紅玉色の瞳も、瞼に隠されたままである。
けれどもジョミーには、ブルーがきちんと話を聞いてくれているのだと分かっていた。
彼の思念が、自らへと一心に向けられているのを、感じているからだった。
『まだ慣れぬESPを駆使するのだから、その疲労も桁違いだろう。すぐに集中出来なくなってしまうのも、その所為だよ』
その証拠とばかりに、ブルーの言葉が脳裏に響いた。
ここのところ、テレパシーでばかり会話をしているのは、彼が今、普通の状態ではないからだ。
ジョミーと違って、ブルーにとってはESPを使うほうが、身体的に楽なようである。
そうと知っているから、そしてその原因が自らにあるから、こんな時、ジョミーの胸は激しく痛む。
だが当のブルー自身が、気にしないでくれと望むものだから、ジョミーとしてはなんでもないふりをするしかない。
ジョミーは胸の痛みを押し殺して、口を開いた。
「そう、なんでしょうか?」
『慣れれば、なんてことはなくなる』
「だといいんですけど……」
もごもごと、はっきりしない口調で、ジョミーは呟いた。
ブルーは、ジョミーの訓練の実際を知らないから、そんな風に優しいことを言えるのではないかと思ったからだ。
けれども、すぐにそれはないと思い直す。
いくら私室の寝台に寝たきりだといっても、ブルーは思念を飛ばすことによって、船内の何事をも把握している筈だった。
こんな状態になっても、彼は皆のことに気を配りすぎると、こぼしていたのはハーレイだったか。
『大丈夫、君なら出来るよ』
そんなジョミーの戸惑いを見透かすようにして、ブルーが言葉を継いだ。
余程のことがない限り、許可なく相手の心を読むような真似をしない彼のことだから、ジョミーの様子から胸中を察してくれたのだろう。
なんとも頼りない後継者を、ブルーはこうして暖かく見守ってくれる。
訓練の、惨憺たる結果を知っていても、長老たちの、きっとろくでもない報告を聞いていてさえ、決してジョミーを叱ったり、責めたり、努力を求めたりしない。
どころか、ジョミーを選んだことに負い目を感じ、申し訳ないと思っているようなのだ。
だがブルーがいなければ、今頃ジョミーはこの世にいなかったかもしれない。
もしくはユニバーサルの研究所に収容されて、死んだほうがましという目に合わされていたかもしれない。
それなのに、どうしてブルーが負い目を感じる必要があるのだろう。
むしろジョミーが、自らの勝手の所為で彼をこんな目に合わせてしまって、罪悪感を覚えているというのに。
でも、だからこそ彼は、皆に好かれているのだ。
あの気難しい長老たちでさえ、ブルーとは同世代だというにも関わらず、絶対服従の姿勢を貫いている。
ESPが人より秀でているだけジョミーとは、大違いだ。
皆がジョミーを受け入れ難いのも、いた仕方ないことである。
彼の後継者という立場は、ジョミーには荷が勝ちすぎているのだった。
もちろん、ブルーに認められたという自負もある。
だが本当に自分で良かったのかという、不安のほうが強かった。
「……頑張ります」
そんなふうに考えていた所為だろう。
応じたジョミーの口振りは、言葉とは裏腹にずいぶんと沈んだものだった。
――しまった。
自らの失態に気がついたジョミーは、すぐに取り繕おうとした。
だが、時すでに遅かった。
ジョミーの鬱々とした心持ちを察してしまったであろうブルーの、気遣わしげな言葉に先を越されてしまったからである。
『大変だろうけど、ジョミー……』
「……いいえ」
ブルーの言葉に、ジョミーは大仰に頭を振った。
「いいえ、大丈夫です」
そう言いながら、勢いよく立ち上がる。
ジョミーは、ブルーに余計な心労をかけたくて、こうしてその日の報告がてらお見舞いに来ている訳じゃない。
話の雲行きが怪しくなってきた時は、早々に立ち去るに限る。
そう考えてのことだった。
それに、あまり長居をしていては、彼を疲れさせてしまう。
『もう、行くのか?』
ジョミーの所作を悟ったであろうブルーの、どこか残念そうな口ぶりに、ジョミーはこころがほんわりと温かくなるような心地を覚えた。
本当は、ジョミーだってもっとずっとブルーの傍にいたい。
この船の中でジョミーに好意的な人物は、ごく少数だからだ。
けれども、今は彼の身体を一番に考えなければならない。
「また、明日伺います」
そう言ってジョミーは、踵を返しかけた。
しかし、ふと寝台の上のブルーに視線を奪われて、足を止める。
こうしてなんの問題もなく会話を交わしているというのに、その瞳は相変わらず閉ざされたままだった。
瞼を縁取る長い睫さえ、ぴくりとも動かない。
ほっそりとした鼻筋に、緩く結ばれた口元は、あまりの端整さに、作り物のようだった。
青白い顔色が、余計にそうと思わせるのかもしれない。
『ジョミー?』
寝台の傍らに、じっと佇むジョミーを訝しく思ったのか、ブルーが不思議そうな声音で尋ねてくる。
だがジョミーは応じなかった。
まるで吸い寄せられるかのように、寝台に手をつく。
ジョミーの身体の重みの分だけ、寝台がきしりと沈んだ。
『ジョミー? どうかしたのか?』
ブルーの言葉を、どこか遠くに感じながら、ジョミーは上体を伸ばした。
彼の面を目前に認めてから、ことさらゆっくりと目を閉じる。
そうして、ブルーの頬の感触を、口唇で確かめた。
そこは想像に違わず滑らかで、意外にほんのりと、温かかった。
わずかに触れるだけの口付けを終えて、ジョミーは顔を上げた。
ついで目を開くと、ジョミーをしかと見据える紅玉色の瞳が飛び込んできた。
突然のことに、ブルーは驚きを隠しきれない様子である。
「おやすみなさいの、キスです」
久方振りに、ブルーのまなざしに捕らわれて、ジョミーは急に自らの行動が恥ずかしくなってしまった。
どうしてこんなことしてしまったんだろうと自問しながら、慌てて言い訳がましいことを口にする。
――迷惑、だったろうか?
気分を害していたら、どうしよう――。
だがブルーの反応は、ジョミーの予想外のものだった。
彼は、ふんわりと、微笑を浮かべたのである。
「おやすみのキスなんで、ずいぶん久しぶりだ」
ブルーはそう呟くと、ゆっくりとした動作で身体を起こし始めた。
その笑顔にこころ奪われ、ついぼんやりしていたジョミーだったが、彼の所作に我に返ると、慌てて手を差し伸ばし、身体を支えてやる。
ジョミーに助けられて、ブルーは寝台の上に上体を起こした。
訳も分からずに手を貸したジョミーだったが、彼の身体が安定したのを見て取ると、手を引きかけた。
しかしブルーの手に阻まれ、叶わない。
ジョミーの腕に、そっと手を置いたブルーは、少しだけ首を傾げている。
つられるようにしてジョミーが首を傾げると、ブルーは、笑みを深めた面を近づけてきた。
かすかに触れた口唇は、病人のそれらしく乾いて、かさかさしていて。
でもやっぱり、ほんのりと、温かかった。
ジョミーの頬に口付けを落としたブルーは、満足げな表情で、再び寝台に沈んだ。
ぎしりと軋む寝台の音に、ジョミーははっとする。
途端に、頬が火照るのを感じた。
ブルーは寝台の上から、優しいまなざしをジョミーに向けている。
そのちょっとだけ細められた紅玉色の瞳に、なんだか居た堪れないものを覚えて、ジョミーは覚束ない言葉で暇を告げると、踵を返して走り出した。
寝台の上の彼が、くつくつと笑う気配に。
ジョミーの面は、ますます赤くなった。