貝の見る夢 〜 漫ろな心
その話は瞬く間に船内を駆け巡り、皆を沸きに沸かせた。
ささやかな祝宴が催され、長いことシャングリラを包んでいた重苦しい空気が、一掃されたのである。
とはいっても、全ての問題がクリアになったわけではない。
人類との確執はより一層深まり、にも関わらずミュウ側は、母船の全容と、その潜伏地域を彼らに知らしめてしまったからだ。
そもそもシャングリラは、人類から奪った船である。
過去のデータから、とうに元の船体を割り出されているだろう。
いくら改良を重ねているとはいっても、人類側にシャングリラの基本データを知られてしまっては、ミュウにとって分が悪い。
今後、またしても空中戦となった際、シャングリラが元来持ち合わせていた弱点を攻められると考えておかねばならなかった。
また、ミュウの潜伏地域を特定した人類は、遠からず攻撃を仕掛けてくるに違いないと思われた。
ESPを駆使したステルスモードも、完全ではない。
偵察機や、監視衛星の電磁波は誤魔化せても、肉眼で探されてはこの巨体は隠しきれない。
だからこそミュウは、シャングリラを雲海に潜めているのだが、大まかな位置を特定した人類がなんらかの手を打ってその捜索に乗り出すのも、時間の問題であろう。
だがすぎたことを悔いていても仕方がない。
幸いにも、皆の士気は上々だ。
それぞれに為すべきことを為し、来るべき日に備えようと周知されている。
喜びと、ある種の緊張に支配されたシャングリラは、とても活気づいていた。
そんな中、件の起因であり、功労者でもあるところのジョミーは、ひとり不貞腐れた面持ちで朝食のプレートをつついていた。
食堂は人で溢れているというのに、彼とテーブルを共にする者はない。
ジョミーの周辺だけ、変に席が空いてしまっている。
彼がここで食事を取り始めてから、もうずっとこんな調子である。
誰も彼もが遠巻きに、ひそひそと噂話をするばかりだ。
その内容はといえば、心当たりがありすぎて探る気にもなれない。
聞きたくもない話を聞いてしまわないよう、思考のシャットアウトに骨を折る。
――自業自得。
脳裏をよぎった単語に、ジョミーは思わずため息をついてしまう。
無論、承知しているからこそ、彼らの待遇も甘んじて受け入れている。
ミュウであるのに、ミュウを否定したこと。
浅はかな行動から、彼らの大切な指導者を危険な目に遭わせたこと。
にも関わらずこうしてミュウの船に落ち着いていること。
彼らがおもしろくないのも当然であろう。
でも、ちょっとだけ、ひどいんじゃないかとも思う。
だってジョミーは、結果的に彼らの指導者――ソルジャー・ブルーを助けたのだから。
少しは感謝してくれたって、いいんじゃないだろうか。
だがそういった事実も、元はといえばジョミーの所為なのだから、当然のことをしたまでだと、彼らは受け止めているらしい。
そしてその通りだから、ジョミーに反論の余地はない。
こうして胸中で、愚痴を述べるのがせいぜいだ。
ジョミーは今一度ため息をついた。
フォークに刺しっぱなしだったオムレツを、ぽいと口に放り込む。
これは農業区域で飼育されている鶏の卵で、昨日の採卵分である、と呟いた。
ソルジャーとしての務めは、船全般の事々に及んでいた。
母星も、協力者も持たないミュウは、全てをこの船ひとつでまかなっている。
従って、恒星間移民船のごとく改造されているのだった。
農水産業区域があるのもその為である。
もちろん、追いつかない部分は人工合成食品に頼っているし、危険だが仕方なく街へと仕入れに行くこともある、らしい。
今日もまた、そんなつまらない講義を延々と聞かされた挙句、シミュレーターでのESP訓練を行わなければならない。
気がつけばこぼれ落ちているため息は、ジョミーの心境を雄弁に物語っていた。
もちろんジョミーも、そういった事々がソルジャー後継者として必要な知識だったり、不可欠な訓練だと分かっている。
分かっているからこそ、渋々ではあるが、毎日さぼらずに次期ソルジャー教育を受けているのだ。
ただ、ひとつだけ、どうしても遺憾なことがある。
――今後一切、私たちの許可なくソルジャー・ブルーに近付かないでもらおうか。
不意に、長老たちからきつく言い渡された言葉を思い出して、ジョミーはがくりと首を折った。
彼らの言い分は、ジョミーにも痛いほどよく分かる。
ブルーが生死の境を彷徨う羽目になったのは、ジョミーの所為だからだ。
現在はジョミーのESPで落ち着きを取り戻しているが、いつなんどき、どんなきっかけでまた体調を崩してしまうか分からない。
ESPも万能でないから、彼の生きてきた年月と、これまでの痛手をなかったことにはできないのだ。
故に、無理は禁物だった。
ソルジャーの地位をジョミーに譲らせ、ブルーには安穏とした日々をすごしてもらう。
それが長老たちの考えだった。
そしてその計画に、ジョミーは最大の障害と思われている。
ジョミーとしても、ブルーの身体を第一に考えると、不承不承認めざるを得ない事実だ。
それでも。
ジョミーはブルーに、会いたかった。
ソルジャーとしての教えを乞うなら、彼がよかった。
14年もの長きに亘り信じていたものが、まやかしだと知った今、ジョミーが信じられるのは命がけで助けてくれたブルーだけだったからだ。
ブルーが言うから、ジョミーは自分の力を信じてみようと思った。
彼の意思を継ごうと思った。
それなのに、当のブルーに会えないだなんて――。
今日何度目になるのか分からないため息をつきながら、ジョミーはそんなことを思っていた。
いささか乱暴に、サラダをフォークで刺す。
だが口に運ぶ気にはなれなくて、ただぐしゃぐしゃとかき混ぜるに止まった。
『ずいぶん、ご機嫌斜めのようですね』
脳裏に響く突然の声に、ジョミーははっとして手を止めた。
顔を上げて辺りを見回せば、リオが朝食のプレートを片手に近寄ってくるところだった。
至るところに覗く包帯が痛々しいが、先日からリハビリを兼ねて船内を歩き回っている。
職務にも、復帰しているらしい。
「リオ……」
『おはようございますソルジャー。隣、いいですか?』
にこにこと、朝のさわやかな空気にぴったりな笑みを浮かべながらリオが言うのに、ジョミーはこっくりと肯いてみせた。
彼はブルーと子供たち以外では、唯一、ジョミーを避けない人物である。
ジョミーの所為で大変な怪我をしたにも関わらずだ。
だからジョミーも、リオには心を許していた。
『それで、どうしたんですか?』
ジョミーの隣に腰を落ち着けたリオは、早速食事に手をつけながら言った。
ジョミーは大仰に吐息を漏らす。
「……なにが?」
『なにがって、ずいぶん不機嫌そうだから』
「ああ……」
ジョミーは横目でリオを見た。
彼は心配そうなまなざしをジョミーに向けつつも、食事を取る手を休めることはなかった。
きっと、この後のスケジュールがつまっているのだろう。
シャングリラでは、全員にしかるべき役割が与えられている。
それぞれがそれぞれの使命を全うすることで、この巨大な船は飛び続けていられるのだ。
「別に、なにも」
ジョミーは素っ気なく答えると、手にしていたフォークをプレートの上に放った。
机上からミネラルウォーターのボトルを手に取ると、適度に冷やされた水を口に含む。
リオが相手でも、さすがに胸中を吐露する気にはなれなかった。
『……会いたいって、ソルジャー・ブルーにですか?』
「……っ」
『ちょっと……ソルジャー・シン! 大丈夫ですか』
ところが、リオにあっさりと言い当てられてしまった。
図星をつかれたジョミーは、口に含んでいた水を変に飲み込んでしまい、思い切り咳き込むこととなった。
鼻の奥がつんとして、痛い。
苦しさに身体を丸めれば、慌てふためいたリオが背中を擦ってくれた。
「……勝手に読むなよ」
ようやく咳が治まると、ジョミーはリオを睨みつけながら言った。
するとリオは、心外だといわんばかりの表情を浮かべる。
『読んでなんかいませんよ、貴方が周囲にばら撒いているだけです』
彼の主張に、ジョミーは更なる苦情を言い募るべく開きかけていた口を、噤むしかなかった。
感情が高ぶると、思考の制御が出来なくなる。
それは散々注意されていることだった。
またなにかひとつのことに気を取られていると、余所がおろそかになってしまう傾向にある。
周囲の思考をシャットアウトすることに集中しすぎて、自らの思考にまで考えが及んでいなかったのだ。
『会いに行けばいいのに』
黙り込み、テーブルに視線を落としたジョミーに、リオが言葉を重ねる。
その、どこか同情の色を窺わせる口調に、ジョミーはため息を漏らした。
きっと、長老たちとの取り決めも、耳にしているのだろう。
「……行けない」
ジョミーはかぶりを振った。
リオが小首を傾げたのが視界の端に映る。
『どうして? ソルジャー・ブルーはきっと、歓迎してくれますよ』
「そうかもね」
『じゃあなんで……』
「だって、会えないよ」
ジョミーは自分に言い聞かせるように呟くと、席を立った。
プレートを手に、返却口へと向かう。
確かに、ジョミーさえその気になれば、ブルーに会うことは簡単だった。
この船には、ESPでジョミーに勝るものがいないからである。
テレポートしてしまえば、誰もジョミーを追いきれない。
そうしてジョミーがブルーの元を訪れたとして、彼は一体どんな反応を見せるだろう。
きっと、リオの言うとおり、喜んでくれるに違いない。
笑みを浮かべて、よく来たね、なんて言って、迎えてくれる様が目に浮かぶようだ。
しかしそれは、はたしてブルーの本心だろうか。
『でも、ソルジャー・ブルーは? 彼は貴方のことを気にかけているんじゃないですか?』
ジョミーの背中に、リオの思考が投げつけられる。
だがジョミーは振り返ることなく、プレートを返却口に戻すと出口へ足を向けた。
本当にそうだったら、どんなにかいいだろうと、ふと思う。
自らを顧みず、命がけでジョミーを助けてくれたブルー。
彼の仲間を思う気持ちは、人一倍だ。
だからこそジョミーは、不安になってしまう。
また、なにごとかあったら、ブルーは折角助かった命を、みすみす捨てるような真似をするんじゃないだろうか。
そしてジョミーは、そんな事態を引き起こしかねない存在である。
ESPの制御が不安定なうちは、どんな事変が起こりうるか計り知れない。
その証拠に、ジョミーは幾度か訓練室を破壊している。
もしブルーと共にいる時になんらかの事情でジョミーの力が暴走したら――と思うとぞっとする。
彼はまたしても、その身を捨ててまでジョミーを助けてくれようとするだろう。
先日は、幸いにもことなきを得た。
でも、次があるとは考えられない。
食堂を出たジョミーは、足早に自室へと歩を進めた。
支度を整えて、講義室に行かなければならない。
長老たちの言い分は、いちいち尤だった。
だからジョミーを苛立たせる。
けれども、最終的にジョミーが彼らの言いなりになっているのは、他にも理由があったからだ。
「……彼の行動は、いつも本心からのものだろうか……」
ここのところ、常にまとわりついている疑問が口からこぼれ落ちて、ジョミーははっとした。
慌てて辺りを見回すが、幸いにも人影はない。
ジョミーは安堵の吐息をもらした。
再び足を動かし始めたジョミーは、思わず口に出してしまった疑問を、脳裏で反芻する。
――彼の行動は、いつも本心からのものだろうか――。
気が遠くなるほど長きに亘り、ソルジャーとしてミュウをまとめてきたブルー。
その言動は、指導者に相応しい立派なものだったと聞いている。
船に来て日の浅いジョミーにも実感できるほどなのだから、相当素晴らしい長だったろう。
でも、だからこそジョミーには、ブルーの所作全てがソルジャーという立場に支配されたものとしか思えなかった。
彼はどんな時も、ソルジャーとしてあるべき姿で立ち回っているんじゃないだろうか。
本心を、押し殺しているんじゃないだろうか。
有事の際は、当然のことだろう。
そこに個人の感情が立ち入る隙はない。
だが、日常のささいな事々にまで及ぶに至っては、おかしいとしか言いようがない。
そしてそれは、体調を崩してからも、ようやっと回復し療養している現在も、変わっていなかった。
ブルーは、たとえどんなにつらくとも、ソルジャーとしての立居振舞を忘れないのだ。
そうしてことジョミーに対しては、その傾向がより強いように思われた。
ブルーは、まだ歳若いジョミーに過酷な運命を強いたことを、負い目に思っているようだった。
殊更ジョミーに優しいのは、可能な限りジョミーの意思を尊重してくれるのは、その所為に違いない。
結果、自らが大変危険な状態に陥っても、ブルーは決してジョミーを責めなかった。
あやふやで、つかみきれない。
それがブルーに対する、現時点でのジョミーの印象だ。
彼の、ソルジャーとしての言動は理解できる。
しかし個人の感情といったものが、あまりに見受けられない。
それ故ジョミーは不安になる。
ジョミーの知るブルーは、彼本来の姿なのだろうか。
本当は、無理をしているのではないだろうか。
それをソルジャーという立場で覆い隠して、ジョミーに知られないようにしているだけではないだろうか。
だからジョミーは、ブルーに会えない。
会わないのだ。
ブルーには、今、何よりも休息が必要である。
なにごとも考えず、ただひたすら休んで、回復に努めるべきだ。
それには次期ソルジャーとして大変心もとないジョミーは、邪魔でしかない。
余計な気を遣わせるだけである。
物理的な理由と、精神的な理由。
長老たちは何故か物理面ばかりを気にしているが、ジョミーには彼の精神面の安定も非常に気になる部分である。
こうしてブルーの身を思えば、ジョミーの子供っぽい我侭で彼に会いたいだなんて、とても言えなかった。
ジョミーは、堪えきれないため息をついた。
それに――、と自らに言い聞かせるように胸中で呟く。
ブルーが望むのは、彼の意思を継いで地球へと向かう、後継者だ。
そうと望まれてこの船に乗ったからには、皆にソルジャーと認められなければならない。
だが今のままでは、とても彼の期待に添えるとは思えなかった。
ソルジャーとなり得ないジョミーは、ブルーにとって、意味のない存在でしかないだろう。
不意に覚えた寂寥感に、ジョミーは慌ててかぶりを振った。
その意味を考えるのが、ひどく、怖かった。
終