貝の見る夢 〜 交差する想い
寝台の上で一日の報告を聞き終えたブルーが、なにごとか考え込むような素振りで黙り込んでいる。
その様を、ハーレイは落ち着かない心持ちで眺めていた。
ここ数日は、毎日こんな調子である。
ブルーがなにを考えているのか、ハーレイには察しがついていた。
だからこそ、こうしてじっと彼の言葉を待っている。
問われるまでは黙する、それが長老たちの判断だった。
ハーレイも依存はないから、その指示に従っている。
日報も、彼についての項目は省略して行っていた。
ブルーは少々、彼にかまけすぎなのだ。
「ここのところ、ジョミーの姿を見ないようだが……」
長い逡巡を経て、ようやく口を開いたブルーが告げた内容に、ハーレイは知らずため息をもらしていた。
やっぱりという思いと、いよいよかという思いが交差する。
こういった面倒事は、大抵ハーレイに押し付けられるのだから、当人としては堪ったものではない。
「……ソルジャー・シンは、許可なく貴方に近づくことを、長老たちに禁じられています」
気が進まないながらも、ハーレイは端的に事実を告げた。
実のところ、彼に伝える是非には迷いがある。
いつまでも隠し通せるはずがないのだから、問いには真実を。それが長老たちの言い分だ。
ハーレイも、確かにその通りだと思う。
だが、伏せていられるうちは、伏せておいたほうがいいのではないかとも、思うのだ。
「何故?」
ハーレイの言葉に、ブルーの目が見開かれた。
予想通りの反応に、ハーレイは思わず苦笑を浮かべる。
ブルーの彼への執着は、他と一線を隔している。
いくらブルーの為とはいえ、勝手な判断を下したと知ったら、彼は機嫌を損ねるに違いない。
しかし病み上がりのブルーには、心身ともに安静であって欲しいのだ。
だからこそハーレイは、あえて伝えないという遣り方もありではないかと考えた。
せめて、もう少しブルーの体調が安定するまでは、適当な理由をでっち上げて誤魔化すほうがよかったのではないだろうか。
しかしハーレイには、どちらがよりよい方法なのか、判断出来かねた。
結局長老たちの決定に従ったのは、そういった事情からである。
「何故と仰いますが……、ソルジャー・シンの所為で貴方は大変な目に遭ったのですよ。適切な判断かと」
ハーレイは慎重に、用意しておいた言葉を述べた。
こんな言い分に、ブルーが納得しないことも重々承知している。
その証拠に、ブルーは瞬間、意味が分からないという面持ちでハーレイを見た。
だがすぐに表情を改めると、いつもの飄々とした雰囲気を身にまとう。
しかしその口から発せられたのは、珍しくきつい調子の言辞だった。
「僕が彼に強いたことを思えば、たいしたことじゃない」
ブルーは、吐き捨てるようにそう言うと、それきり口を噤んでしまった。
手元に視線を落とし、じっとなにごとか考え込んでいる。
ハーレイはといえば、常にないブルーの態度に、言葉を失っていた。
ソルジャーとして、長きに亘りミュウを率いてきたブルー。
一個人の為に感情を乱すことなど、これまでなかったのに。
重苦しい沈黙が、辺りを包んだ。
ハーレイは居心地の悪さに身動ぎする。
寝台の上で上体を起こしているブルーは、深い思案の淵に沈んでいるのか、ただひたすら手元を見つめているばかりだ。
その端整な横顔をぼんやりと眺めながら、ハーレイはいつまでこの気まずい時間が続くのだろうかと懸念した。
それから自分たちの状況認識の甘さを、後悔する。
ブルーの、自らが見出した後継者に対する執心は、ハーレイたちの想定以上だったのだ。
しかし、だからこそ二人を引き合わせてはならないと、ハーレイは考えた。
この調子では、また何事か起こった際、ブルーがどういった行動に出るのか想像に難くない。
せめて後少しブルーの体調が落ち着くまで、後少しジョミーのESP制御力が落ち着くまで、引き離しておくのが双方の為であろう。
折角助けた命をみすみす無駄にされるのは、ジョミーとしても本望ではないはずだ。
そしてハーレイがそう思うのには、根拠がある。
長老たちは、許可なくブルーに会わぬよう、きつくジョミーに言い渡した。
だが実のところ、そんな忠告は無駄だろうとも思っていた。
ジョミーは、命がけで彼を助けたブルーに、心底心酔しているからだった。
その力を持ってして、危ういと思われた彼の命を繋ぎとめさえしたのだから、相当なものだろう。
加えてあの性格だから、会うなと言われてはいと従うはずがない。
それでなくともジョミーのESPは、船内の誰よりも勝っている。
ソルジャー・ブルーといえども、その力には及ばないのだから、潜在能力は計り知れない。
彼がESPを駆使してなにかをなしえようとしたら、止められるものはないのだ。
だがブルーの体調を考えると、一応でも牽制しないわけにはいかなかったのである。
ところが現実は、いい意味で予想を裏切られた。
ジョミーは、どうしてだかブルーに会おうとしないのだ。
彼がなにを思っているのか、ハーレイたちには知る由もない。
寝た子を起こしては堪らないので、誰も確認しようとしないからだ。
しかしながらジョミーもまた、ブルーの身を案じていることは確かであろう。
「ジョミーは、どうしているだろう」
ぽつりとこぼされた言葉に、ハーレイははっとして物思いから覚めた。
気がつけばブルーは、面を上げてハーレイを見ている。
小首を傾げているのは、応じないハーレイを訝しく思ってのことだろう。
ハーレイは慌てて口を開いた。
「はあ、まあ……渋々といった態度ですが、頑張ってはおりますな」
「そうか……」
ブルーは首肯すると、またしても目を伏せてしまった。
そのどこか寂しげな横顔に、ハーレイは気がつけば更に言葉を重ねていた。
「我々も、ソルジャー・シンが素直に言うことを聞くとは思っておりませんでした。しかし現に貴方の元へと来ていない……。彼にもなにか思うところがあるのでしょう。反省しているのかもしれないし、ソルジャーとして覚えるべきことに忙殺されていて、とても暇がないのかもしれません。今はそっとしておくのがよろしいかと」
「……そうかもしれないな」
ハーレイの必死さが伝わったのだろうか。
ブルーはその面に、微かな笑みを浮かべた。
だがそれは、余計に彼の所在無さを物語るばかりであった。
どこか憂いを帯びた表情は、ハーレイを落ち着かない気分にさせる。
ふと、やはり我らの判断は間違っているのではないかと、思った。
ブルーは、初めて頼れるべき人物に出会えたのかもしれないからだ。
その類まれな能力から、ミュウの長として立ってきたソルジャー・ブルー。
同世代の仲間はいるけれども、力の差は明確だった。
有事の際は、どうしても頼られる側となってしまう。
たったひとりでミュウ全体の責任を負うなんて、その負担はどれほどのものだったろう。
ハーレイには、想像することすら難しい。
だがジョミーなら、彼の能力を上回っている。
まだ歳若いから完全に、とまではいかなくとも、ESP面では十分頼りになるはずだ。
それとも、凡人には及びもつかない強大な力を持つふたりだからこそ、引き合うなにかがあるのかもしれない。
そうだとしたら、引き離しているほうがよくないのではないだろうか。
だが指図したのは長老たちでも、選択したのはジョミーである。
ハーレイに、なにが言えよう。
「短期間のうちに、ソルジャー・シンを取り巻く環境は激変してしまいました。彼もまた必死なのでしょう。落ち着けば、きっと――」
きっと、なんだというのだ。
ジョミーの思うところを知らないハーレイが、どうしてそんなことを言える?
だがブルーのいつにない様子に、ハーレイは口を出さざるをえなかった。
ジョミーを仲間に迎え入れてから、確かになにかが変わっている。
現実問題として、ミュウの存在が人類に知れてしまった。
運命の歯車は、望むと望まないとに関わらず回り始めた。
それこそがジョミーを迎え入れたブルーの、狙いだったのかもしれない。
だが吉と出るか凶と出るかは、まだ誰にも分からない。
それぞれが良かれと思うことを為し、審判を待つばかりである。
「ジョミーが元気にやっているなら、いいんだ」
誰に聞かせる風でもなく囁かれた言葉と共に、ブルーは身体を寝台に横たえた。
なにかを追い求めているかのように揺れる真紅の瞳を、瞼で覆い隠す。
それは、この用談の終了を告げる合図であった。
ハーレイは暇を告げると、踵を返した。
終