貝の見る夢 〜 君に想うこと
暇を告げる、低い声。
遠ざかってゆく、硬い靴音。
ドアの開閉する、微かな空気音。そして訪れる――静寂。
しんとした室内で、ブルーは閉ざしていた瞼を、ゆっくりと開いた。
淡い光に彩られた虚空を、ぼんやりと眺める。
脳裏を占めるのは、先刻のハーレイとの会話だった。
彼の言動を、余さず反芻する。
こうして茫漠とした日々をすごすようになってから、幾日経ったろう。
ハーレイが一日の終わりにもたらす報告だけが、ブルーと船内を繋ぐ唯一のものとなっていた。
もうなんの心配もないというのに、彼らの過保護ぶりには困惑するばかりだ。
放っておけば、また無茶をすると思い込んでいる。
だがこれまでの行いを顧みると、一概に彼らを責められないのかもしれない。
確かにブルーは、無茶ばかりしてきた。
そうして同世代のものよりも早く、終焉を迎えようとしていた。
彼らの不安を煽っていたのは、他ならぬブルー自身である。
なれば彼らが納得するまで、軟禁状態にも辛抱せねばならないだろう。
けれども、長きに亘ってミュウを統率し、忙しく立ち働いてきたブルーにとって、手持ち無沙汰にすごすというのは苦痛でしかなかった。
時の経つのがこんなに遅く感じられるのは、研究所以来である。
仕方なくブルーは、密かに思念を船内へ飛ばすことで、日々の退屈をやり過ごしていた。
だが得られる情報はごく少量である。
あまり力を使えないからだった。
ハーレイ以下長老たちにそんなことしているなんて知られたら、また喧しく安静にしているよう言われてしまう。
気づかれないように、力をセーブしなければならなかった。
それでも仲間たちの、活気に溢れた生活の雰囲気は感じられて、ブルーの心を和ませた。
先の戦闘で生じた不安材料も、逆に適度な刺激となって、皆を駆り立てているようだった。
そんな中でただ一人、ぴりぴりとした空気をまとっている者がいた。
時期ソルジャーとしてブルーが見出した、ジョミーである。
半ば強引に仲間へと引き入れたブルーとしては、それが気になって仕方がない。
――どうして、僕のところへ来てくれないのだろう。
大きなため息をついたブルーは、瞳を閉じた。薄暗闇の中で、最後に見た彼の姿を思い出す。
面には笑みが溢れ、にも関わらず瞳は涙に濡れていた。
力いっぱい抱きついてきたぬくもりが、忘れられない。
その力をもってして、ブルーを助けてくれたジョミー。
彼を助けに宇宙へ上がった時、最期を覚悟したにも関わらず、ブルーがこうしていられるのはジョミーのおかげだ。
いくら潜在的なミュウだったとはいえ、ブルーは成人検査を妨害した。
覚醒してからは、過酷な運命を押し付けた。
ミュウの未来の為に、自らの悲願の為に、ジョミーを犠牲にしようとしたのだ。
嫌われこそすれ、まさか助けてくれようとは思ってもみなかった。
心の優しい少年なのである。
今、ここにある命は、ジョミーのものだ。
彼がいなければとうに存在していなかったのだから、当然であろう。
ブルーの今後の人生は、ジョミーの為にある。
彼が望むあらゆることに、出来うる限りの助力を捧げるのだ。
だからこそ長老たちの勝手な振る舞いには、ほとほと呆れてしまった。
どうして先を見越せないのかと、瞬間、憤りを覚えたものである。
しかしながら彼らの忠告が、ジョミーの無音の原因とは思えなかった。
ジョミーは自らが納得しないことに、素直に従うような性質ではないからだ。
そして幸いにも、彼はブルーを慕ってくれている。
それは繋いだ手から流れ込んできた、偽りようのない感情だ。
だからたとえ長老たちが忠告を重ねようとも、何事かあった際、ジョミーはブルーを頼ってくれると思っていたのに――。
しかし、現実はそうではなかった。
遠く離れた場所から、ごく僅かな思念を飛ばしているだけのブルーにも分かるほど、ジョミーの気持ちはささくれ立っているのに、彼が現れる気配は一向にない。
なにかのっぴきならない事情でもあるのかとハーレイに問うてみたが、取り立てて問題はなさそうだ。
ハーレイが隠し事をしている風でもない。
では、何故?
何故ジョミーは、ブルーを頼ってくれないのだろう?
ブルーでは、とても助けにならないと思っているのだろうか?
それとも、先日からジョミーが一途に想う、『会いたい』人に関係するのだろうか。
そうと気がついたのは、船内に思考を巡らせるようになって、すぐの時分だったと憶えている。
ふとした瞬間、ジョミーの身体から、溢れんばかりの『会いたい』という気持ちが感じられるのだ。
狂おしいまでの、切ない感情の発露であった。
きっと、相手は母親に違いない。
まだ船に来たばかりの頃、ジョミーはママのことばかり考えていた。
アタラクシアへ帰りたがったのも、彼女に会いたいが為だった。
だが向かった先で、ジョミーはつらい現実を目の当たりにした。
無論、母親にも会えずじまいだ。
だとしたら、たとえどんなに乞われようとも、ジョミーの願いを叶えることは出来ない。
ミュウと人類の現状に、歩み寄りなどありえないからだ。
知っていて、だからジョミーは独りで、やり切れない想いに耐えているのだろうか。
神経をぴりぴりと尖らせて、決して叶わぬ願望に、絶望を見て取っているのだろうか。
――僕は、無力だ。
ブルーは両手で、顔を覆った。
その手の隙間から、堪え切れないため息が幾度もこぼれ落ちる。
それでも、ジョミーの為に何事か為したかった。
為さねばならないと思った。
ジョミーにとって、不要な者にはなりたくなかった。
記憶の中のぬくもりを捕まえるかのように、ブルーは優しく、その手を握った。
終