貝の見る夢
非力な僕は、ただ遠巻きに、慌しく行き交う人々を見ているしかなかった。
切れ切れに飛び込んでくる思考が、彼ののっぴきならない状態を、いやという程知らしめる。
どうして。
どうして。
どうして。
我々を否定してやまなかった子供なんかの為に、どうして?
――そんなこと、僕が聞きたい。
どうして。
どうして。
どうして。
僕は彼の言葉に耳を貸そうとしなかったのだろう。
だが、今更悔いたところでなんになる?
せき止められていた彼の時間は、すでに流れ出してしまった。
もう、どうしようもないんだと、誰もが知っていて、でもそんな事実を認める気にはとてもなれなくて。
当人の手に負えなくなった奔流を、わずかでも押し止めるべく、為せることを懸命に行っている。
けれども、僕に出来ることなど、なにひとつない。
こうして部屋の片隅に、木偶の坊みたいに佇んで、自責の念に苛まれるばかりだ。
どうして。
どうして。
どうして。
僕は彼の言葉に耳を貸そうとしなかったのだろう。
成人検査の邪魔さえされなければ、ユニバーサルに追われることもなかったのだと、馬鹿みたいに信じて、信じたくて。
勝手をした結果が――これだ。
今ならば、彼の行動の正当性が、よく分かる。
僕は、コントロールしきれないESPを内包する、無知な子供だった。
そうして、その力が開放されるきっかけとして、最も危険なのが、成人検査だった。
だとすれば、僕を助ける機会は、他にありえなかったろう。
その場で抹殺されるかもしれないのだし、運よく命は取られなかったとしても、ユニバーサルの研究所に入れられてしまっては、彼らも迂闊に手を出せなかったろうからだ。
それなのに僕は、なんにも知らないばっかりに、彼を責めてしまった。
我儘を言って、それがどれ程危険なことなのか考えてみもせずに、愚行を犯し、僕を助けようと奔走してくれた二人を、酷い目に合わせてしまった。
生活態度はともかく、学校の成績はいい方だった。
歳相応に、それなりの知識を持っていると自負していた。
ところが、現実はどうだ?
ユニバーサルの管轄下から、一歩外に出てしまえば、僕はなにも知らない、愚かな子供でしかなかった。
市街地から、ほんの山ひとつ越えた世界のことすら知る術を持たず、ユニバーサルから与えられる規制された情報のみを、この世の全てと思い込んでいた、ただの愚かな子供だった。
無知は、罪に等しい。
自らの行いの結果を突きつけられた僕は、そう思わざるをえなかった。
だが、14年もの長きに亘って、偏った知識に浸されていたのだと知った僕は、もう、なにを信じていいのかすら、分からなくなってしまっていた。
けれども、命がけで僕を助けようとしてくれた、ソルジャー・ブルーの想いだけは、この世で唯一、信じられるもののように思われて。
僕は彼の意思に従おうと、こころに決めたのだった。
しかし、だからといって僕が突然、彼のような立派な指導者になれよう筈もない。
導いてくれる者がいなければ、いとも簡単に右往左往してしまう、そんな無力な後継者でしかないのに、彼は、僕をおいていこうとするのだ。
僕は、僕に出来ることを、為したい。
そのための努力は、惜しまないつもりだ。
それが、ソルジャー・ブルーに対する、唯一の罪滅ぼしとなろう。
でも、時間が欲しかった。
少しでも彼に近づくべく、様々なことを学ぶ時間が欲しかった。
彼から、次期ソルジャーとしての術を学びたかったのに――。
貴方は、僕をおいていこうとしている。
一旦は、与えられた個室に引きこもった。
けれども、どうにも落ち着かなくて、結局、こっそり部屋を抜け出した。
僕の所為で、負の感情が満ち満ちてしまった船内を、おぼろげな記憶を頼りに、青の間へと向かう。
ちょっとでも気を緩めれば、遠慮のない悪意がどっと流れ込んできて、僕を酷く疲れさせた。
それから、ずっとこうしている。
彼の寝台から距離を置いて、なにが出来る訳でもないのに、じっと佇んでいる。
時折、誰かが声をかけてきたように思う。
邪魔だから、部屋へ戻りなさい。
――お前の所為で。
いつまで、そうしているつもりだ?
――お前の所為で。
いいから、放っておけ。
――お前の所為で。
一体どこまでを耳で聞き、どこまでを脳裏で感じたのだろう。
そんなことすらもあやふやになった頃、気がつけば僕は一人、寝台の傍らに立ち竦んでいた。
辺りに人影はなかった。
薄暗い室内で、時間の感覚はあやふやだけれども、今がもう深夜と呼ばれる時間帯だということだけは、なんとなく分かった。
寝台の上の彼は、相変わらず、こんこんと眠り続けている。
上掛けから覗く細い肩も、白い首筋も、端整な面も、微動だにしない。
本当に息をしているのか不安になって、僕は一歩、足を踏み出した。
そっと手をさし伸ばして、顔の上に手のひらをかざしてみる。
指先に、ほんの微かに覚える吐息に、堪えきれないため息をついた。
そのまま、崩れ落ちるようにして、床に膝をつく。
視線が、彼の面と同じ高さになる。
まるで生気を感じさせない青白い横顔を、僕はぼんやりと眺めた。
作り物のように整った顔立ちだと思った。
とても綺麗だと思った。
でも、もうすぐ失われてしまう。
永遠に――。
不意に、彼の横顔が滲んで、僕はぎゅっと目を瞑った。
けれども、後から後から溢れ出てくる涙は、僕の意思とは関係なく、頬を伝い胸元を濡らしてゆく。
僕は寝台に顔を埋めて、嗚咽を堪えた。
ふと動かした手が、上掛けの上から彼の手に触れて。
僕は思わず、上掛け越しに手のひらを重ねていた。
軽く握り締めると、こころの底から彼の回復を祈る。
生きて。
生きて。
生きて。
非力な僕には、それくらいのことしか、出来なくて。
それがひどく、情けなかった。
終