寝台を抜け出したブルーは、軽く身形を整えると、私室を後にした。
ゆったりとした足取りで、船内をあてもなく歩き始める。
船窓から窺えるのは、底知れぬ漆黒の世界だった。
人類の手を逃れ、宇宙に飛び立ってから幾許経ったろう。
時間の感覚があやふやなのは、寝台に縛り付けられている所為だ、きっと。

――なにを言っても、聞かないんだから。
彼のしかつめらしい面持ちを思い出して、ブルーは笑みをこぼした。
今日は、どれ程の自由をブルーに与えてくれるだろう?

『ブルー!』
その時、強烈な思念が脳裏に飛び込んできて、ブルーは咄嗟に目を閉じた。
そうして衝撃をやり過ごし、ゆっくりと瞼を上げると、数メートル先にジョミーの姿が現れていた。
苛立ちを顕にした足取りで、まっすぐにブルーへと向かってくる。

「今日はまた、ずいぶん早いね」
ブルーが困ったような表情を浮かべて小首を傾げると、目前で立ち止まったジョミーは大仰なため息をついてみせた。

「……勝手に出歩かないで下さいって、お願いしてるじゃないですか」
「でも、毎日寝ているばかりじゃ身体もなまるし、第一暇だよ」
「今の貴方に必要なのは、なによりも休養です」
ブルーの言い分に、ジョミーは少しだけ声を荒げた。
だがすぐにはっとした面持ちで口を噤むと、今一度大きなため息を漏らす。
懸命に感情を押し殺しているだろう声で、先を続けた。

「貴方がどこにいたって、僕必ず見つけ出しますよ。だから観念して、寝台に戻って下さい」
「……そうなのか?」
「今の所、100%の確率です」
首肯するジョミーに、ブルーはそれじゃあ仕方がないなとばかりに肩を竦める。
それから右手を差し出せば、ジョミーがその手をうやうやしく握り締めた。
と思った瞬間、二人はブルーの私室の、寝台の傍らに佇んでいた。

「さあ、早くお休みになって下さい。治りかけの無理が、一番よくないんですよ」
ジョミーはまるで母親のような口をききながら、上掛けをまくっている。
ブルーは堪えきれない笑みを浮かべながら、促されるまま寝台に納まった。
ジョミーが上掛けを肩まで引き上げるのをぼんやりと眺めながら、ぽつりと呟く。

「今日は、なにをしているところだった?」
「……講義の最中です」
「教授は怒っているだろう」
「いつものことだし、貴方の身体が心配なのは僕だけじゃないから」
さあ出来ましたと言わんばかりに、ジョミーは上掛けの上から軽くブルーの身体を叩いた。

「そんなことを気にするくらいなら、そもそも出歩いたりしないで下さい」
「……」
「返事はなしですか」
ブルーの反応に、ジョミーは大げさなくらい肩を落としてみせる。
その様子に、ブルーが思わす笑い声を立てると、ジョミーもつられて笑みを浮かべた。
その面が、段々と近寄ってくる。
ジョミーの吐息を頬に感じて、ブルーは静かに目を閉じた。
口唇に、暖かく、優しい感触を覚える。

「……よく眠れるおまじないです」
ブルーが視界を取り戻した時、ジョミーはすでに身体を起こしていた。
寝台に両手をつき、ブルーを覗き込むような格好をしている。
ブルーが小さく肯くと、瞬間笑みが深まった。

「夕食は、一緒に取りましょうね」
そう言い残すと、姿を消してしまう。
教授が待つ、講義室に戻ったに違いない。

「……僕が気配を消さないでいるのに、いつ気付くのかな」
ジョミーの消えた辺りの空間に向かってそう囁くと、ブルーは言われた通りに瞼を閉ざした。

おまじないのおかげで、少しは眠れるかもしれない。





人気のない機関室で、ジョミーは膝を抱えてじっと蹲っていた。
シャングリラを飛ばし続けている機械たちは、それはもう喧しい音を立てているけれども、雑多な思念をシャットアウトしたいジョミーにとっては、逆に都合のよい場所である。
また、滅多に人が来ないのもいい。
独りきりになりたい時、ジョミーは頻繁にここを利用していた。

自らの口からこぼれ落ちるため息で膝頭を温めながら、ジョミーは一体なんて言い訳すればいいんだろうと考えていた。
今日の失敗は、ちょっと酷かった。
ジョミーには甘すぎるといわれる彼も、流石に眉を顰めるだろう。
そうやって、すぐにかっとするのが悪いとさんざん言われている。
ジョミーだって、もちろん分かっているのだけれども、起伏の激しい感情を如何ともし難いのが現状であった。

その時、不意に名を呼ばれた気がして、ジョミーは膝頭に埋めていた面を上げた。
すぐに意識を船内へ張り巡らせると、ジョミーの反応に気がついたらしい詮索者がダイレクトに思念を飛ばしてきた。

『ジョミー、またそんな所にいるのか?』
『ブルー……だって……』
ちょうど思い巡らせていた人からのコンタクトに、ジョミーは思わず言いよどんでしまう。
どうやら早速、彼の元にも報告がいったらしい。

『いいから、こちらに飛んでおいで』
だがブルーの口振りは、どこまでも優しかった。
ジョミーは安堵すると共に、多分な申し訳なさを覚えて、促されるまま彼の元へとテレポートした。

寝台の傍らに降り立ったジョミーが目にしたのは、ヘッドボードに枕をあてて身体を預けているブルーの、微笑を浮かべた面持ちだった。
ジョミーを認めた彼は目を細めると、今日も派手にやったみたいだねと口にする。
ジョミーは居た堪れなくなって、身体を小さくした。

「ごめんなさい……」
「いつも言っているけれど、謝ることはない」
「でも……」
「壊れたものは、直せばいい。――ただし、仲間に被害が及ばないよう、その点だけは注意すること。君のESPはまだまだ危なっかしいからね」
ブルーは一瞬だけごく真面目な表情でそう言うと、またすぐに優しい笑みを湛えた面に戻った。
ぽんぽんと寝台の上を叩いて、おいでとジョミーを呼ばわる。

ジョミーはブルーに引き寄せられるようにして、寝台に腰かけた。
身体をブルーに向けると、どうしてだか彼はちょっと困ったような面持ちで、ジョミーを見つめていた。
ジョミーが首を傾げると、その疑問を察したのか、ブルーが口を開いた。

「僕の、所為だってね」
「違います」
また余計なことを吹き込んだなと長老たちに怒りを向けつつ、ジョミーは即座に否定した。
だがブルーは頭を振る。

「聞いたよ。僕がジョミーに甘すぎるから、君はいつまで経っても力を制御出来ないって、ゼルに言われたんだってね」
ジョミーはむっつりと黙り込んで、否定も肯定もしなかった。
ブルーはジョミーの反応を気にすることなく、先を続ける。

「僕の所為じゃないって、怒ってくれたんだって? それでちょっとESPが暴走してしまったんだろう?」
「……ちょっとじゃないです」
仕方なくジョミーは、彼の優しさからくる歪曲表現を訂正した。
事実、シミュレーションルームは半壊している。
暫く使い物にならないと、ハーレイが頭を抱えて嘆いていた。

「怒らないんですか?」
「どうして? 僕は嬉しいよ」
ジョミーがずっと恐れていたことを口にすると、ブルーはきょとんとした表情で応じた。

「なんて言ったら、またゼルが怒るかな?」
そう言葉を継いで、悪戯っぽい笑みを浮かべる。ジョミーは堪らず、ブルーに抱きついていた。
彼もまた、しかと抱き締め返してくれる。

「……貴方は全然悪くないのに……だから僕悔しくて……」
「うん、分かってるよ」
ブルーは小さく肯くと、ジョミーの背中を優しく撫ですさった。

「でも次からは、聞き流して」
「はい」
ジョミーの素直な返事に、ブルーはいい子だと呟いた。
こんな時、ひどく子ども扱いされているようで、ジョミーはちょっとだけむっとしてしまう。
でも実際そうだから、なにも言い返せない。

「もう、大丈夫かな?」
ブルーの問いかけに、ジョミーはこくりと肯いた。
「元気になった?」
「はい」
更なる問いかけには言葉で返して、ジョミーはブルーから、ちょっとだけ身体を離した。
正面から、彼の顔をのぞきこむ。

「でもこうしたら、もっと元気になれます」
そう言ってジョミーは、ブルーの唇に触れるだけのキスをする。
ブルーは瞬間目を見開いたが、すぐに破顔した。

「じゃあ、もっと元気になってもらおう」
ブルーの言葉に、近寄ってくる面に、ジョミーも笑みを浮かべる。
彼の為に、明日も頑張ろうと思った。





久しぶりに顔をあわせたジョミーは、何故かずいぶんと怖い面持ちをしていて、ブルーの浮き足立っていた心をあっという間に静めてしまった。
何事かあったのかと上体を起こし、歩み寄ってくるジョミーに首を傾げてみせる。
だが、彼が答えることはなかった。
無言のまま寝台の傍らに佇むと、じっと真剣なまなざしをブルーに注いでくる。
ブルーは緊張に、身体を強張らせた。

ジョミーがブルーの後を継いでから、もう大分経っている。
これまでは取り立てて問題もなく、ジョミーはとてもよくミュウを導いてきた。
だが、とうとうなんらかの事態が生じてしまったのだろうか。

ブルーの前では、いつもにこにこと機嫌のよいジョミーの、常にない様子に、ブルーは緊張の面持ちで口を開いた。
「ジョミー、なにかあったのか?」

しかし予想に反して、ジョミーはブルーの呼びかけに、くしゃりと顔をほころばせたのだった。

呆気に取られ、言葉を失うブルーを他所に、ジョミーは寝台の上に上がってきた。
ブルーの傍らに落ち着くと、唐突に抱きついてくる。
きゅうきゅうと抱きしめられ、すりすりと頬擦りをされたブルーは、ようやく我に返ると声を発した。

「ジョミー……、ジョミー? 一体どうしたんだ?」
「……ブルーが足りない……」
「は?」
ぽつりと呟かれた言葉に、ブルーは訝しげな表情を浮かべる。ジョミーの言動が、全くもって理解できなかった。
まずはきちんと話を聞かなければと、ブルーは両腕を突っ張って、身体を離そうと試みる。
だがいくら身形が若くとも、本物の若さには到底敵わない。
ブルーはあっさりと抵抗を封じられてしまった。

ブルーの胸中を知らぬジョミーは、ブルーをその腕の中にに閉じ込めたまま、どこか思いつめた口調で言い募る。
「――だって、もうずっと忙しくて、貴方に全然会えなくて――」
ジョミーは一旦言葉を切ると、すうっと息を吸い込んだ。
ブルーを抱く手を緩めると、彼の剣幕に再び呆気に取られているブルーの面を覗き込み、口を開く。
「すっごく、寂しかったんです」

そのあまりにも真摯なまなざしに、ブルーは気がつけばふきだしていた。
肩を震わせて、くつくつと笑ってしまう。
そんなブルーの態度は、ジョミーの機嫌を損ねたらしかった。
彼はぷくっと頬をふくらませる。

「……なんで笑うんですか?」
「だって、だってジョミー……」
堪えきれない笑いの隙間から、ブルーはなんとか言葉を紡いだ。
「僕は、てっきり、なにか、問題でも、起こったのかと、思って」
「問題?」
途端に不思議そうな面持ちで首を傾げるジョミーに、ブルーは小さく頷いた。

「君、すごく怖い顔をしていたから」
「えっ」
ブルーの言い分に、ジョミーが素っ頓狂な声を上げた。
ぱっと身体を離すと、両の手で自分の頬を覆った。

「そうでした?」
「そうだよジョミー」
思い出したらまたおかしくなってきてしまって、ブルーは満面の笑みを浮かべながら答える。
対してジョミーは、しゅんと肩を落とした。

「……ごめんなさい……。そんなつもりはなかったんだけど」
「――そんなに、寂しかった?」
彼の想像以上の落ち込みように、ブルーはそっと右手を伸ばして、頬を優しく撫でてやる。
するとジョミーは、大きく頷いた。
上目遣いに、ブルーを見つめてくる。
そのまなざしに、ブルーは面を傾げた。

「僕も、だよ」
「え……?」
「同じだね」
「ブルー……」
ジョミーは一瞬、顔をくしゃりと歪めて、今にも泣き出しそうな表情を浮かべた。
だがその面持ちは、すぐにブルーの視界から消え失せた。
今一度ジョミーに、力一杯抱き締められたからだった。

「好きです……」
「うん」
耳元で囁かれた言葉に、ブルーは彼の背中に両手を回すと、母親が幼子を宥めるようにぽんぽんと叩いてやった。





日記Logのバカップル。こんな時だからこそアップしてみる。
20070728



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