「あの子の様子はどうだい、ピーターパン」
「……」
「……どうかしたのか?」
「……いえ……」
寝台の傍らに、頭を抱えて座り込んでしまったジョミーを、ブルーがきょとんとした面持ちで眺めている。
リオは思わず、苦笑を浮かべた。






飛行夢 〜案ずる人々






医局を後にしたリオとジョミーは、ブルーの私室を訪れていた。
やはり、シロエのことが気になっていたのだろう。
リオとジョミーが室内へと足を踏み入れた時、ブルーは寝台に身を起こし本を繰っていたのだが、心ここにあらずといった雰囲気だった。
二人の存在に気がつくと、瞬間、はっとしたような表情を浮かべる。
しかしすぐに顔をほころばせると、二人の訪問を歓迎し、そして先の問題発言を口にしたのである。

『ソルジャー・シン……。皆、貴方とあの子に関心を寄せてましたから……』
いつも元気なジョミーの、ひどく項垂れた様子に、リオは気がつけばそう伝えていた。

現在この船では、唐突に宇宙空間に姿を消したかと思えば、ミュウの子供を連れ帰ってきたジョミーと、その子供であるシロエに、話題が集中している。
宇宙に飛び立ってから、新しい仲間が増えるのは初めてのことだから、皆の興味をさらうのも当然である。
誰もがジョミーの動向を、シロエの素性を知りたがり、結果、彼らの揃っている医局に思念が集まっていたのだ。
知りたがる心と、伝えたがる心。
そのふたつは、いとも簡単に共鳴したに違いない。

だがリオの言葉は、なんの慰めにもならなかったようである。
逆にジョミーに、じろりと睨まれてしまった。
ブルーはといえば、二人のやり取りが理解できないのだろう。
不思議そうな面持ちで、首を傾げている。

『ソルジャー・シンは、そう呼ばれることに抵抗があるそうです』
仕方なく、リオは簡潔に説明した。
ブルーが、そうなのかと問いかけるような目をジョミーに向ける。
ようやく立ち上がったジョミーは、どこか不貞腐れた表情で大きく頷いた。

「どうして? 可愛いのに」
「可愛くなくて結構です」
勿体無いといわんばかりのブルーに、ジョミーがむきになって言い返している。
ここのところ、ずいぶん大人びてきたジョミーだが、ブルーの前ではその限りではない。
ブルーにとってそうであるように、ジョミーにとっても、彼が唯一心を許せる相手なのだ。
皆のトップに立っていた者と、立つ者。
リオには想像もつかない、彼らでしか分かりえないことが多々あるのだろう。
二人のつながりはとても強固で、リオの立ち入る隙などなかった。

「そもそもあれは……まだ小さかったシロエに……ミュウを取り急ぎ理解してもらう為の便宜上の呼び名で……僕も好きで呼ばれてるわけじゃ……」
そんなリオの胸中を他所に、ジョミーは懸命に弁解を図っている。
それでようやくリオにも、何故彼がピーターパンと呼ばれているのか、薄々察することができた。
ブルーも同様なのだろう。
もとより彼に、ジョミーをからかうつもりなど微塵もなかったに違いない。
困ったような面持ちに微笑を湛えると、話題を変えることにしたようだった。

「あの子――シロエは、ピーターパンが好きなんだね」
「はい。ずいぶん大切そうに、本を抱えていたのを憶えています」
ジョミーはあからさまにほっとした様子で、大仰に首肯する。
ブルーは暫し考える素振りをみせてから、口を開いた。
「……書庫に、絵本があったはずだよ。後で探して、持っていってあげるといい」
「そうします」

ごく真面目な表情で頷いてから、ジョミーはようやく笑みを浮かべた。
リオも、安堵の吐息をもらす。
ジョミーの機嫌を取らせたら、ブルーの右に出るものはいないと心の中で呟いた。

気を取り直したジョミーは、早速現状の報告を始めた。
人類にコンタクトを取った際、シロエのSOSに気がついたこと。
時間に余裕がなくて、勝手に宇宙に飛び出したこと。
間一髪、爆撃された船から助け出したこと。
彼の怪我の具合のこと、などである。

「詳しい経緯は……まだ分かりません。余程辛かったのか、彼自身の力で記憶を封じているふしがあります」
「そうか……」
ジョミーの説明に、ブルーはため息をこぼした。
シロエの境遇に、ひどく胸を痛めているのだろう。
確かに、彼の痛めつけられた身体や――乗っていた船の爆発からはジョミーが守っているから、教育ステーションを逃げ出す前につけられたものだと推測できる――、疲弊した精神を思うと、リオも息苦しさを覚える。
ミュウにとって彼は、そうあったかもしれない自分自身の姿だ。

「勝手をしました。すみません」
不意に、ジョミーが頭を下げた。
リオはわけが分からずに、ぽかんとしてしまったが、ブルーには通じたようだった。
ゆるゆると首を横に振っている。

「いや、最善の判断だ。よくやったねジョミー」
「……ありがとうございます」
ブルーの言葉に、リオもようやく事情が飲み込めた。
ジョミーは、独断で宇宙に出たことを詫びたのだ。
だがブルーの言うとおり、最善の判断だったろう。
躊躇していたら、きっとシロエを助けることは叶わなかった。

今一度頭を下げたジョミーは、ブルーの労いが嬉しかったのだろう、満面に笑みを浮かべている。
ブルーは、誰に向けるよりも優しいまなざしをジョミーに注いでいる。
そんな二人の雰囲気に、なんとなく居た堪れなくなって、リオはもじもじと身動ぎした。

一時の確執がまるで嘘だったかのように、二人のソルジャーはとても仲睦まじくもある。
それ自体はとてもよいことなのだけれど、時折ジョミーとブルーは、二人の世界に入り込んでしまうから困ってしまう。
例えば、今なんかがそうだ。
きっと、リオが二人の背後に佇んでいるなんて、彼らはとうに忘れてしまっているに違いない。

リオはわざとらしく咳払いをした。
途端に、ジョミーとブルーが顔を上げる。
はっとしたような面持ちの二人に見つめられて、リオはますます居心地が悪くなってしまった。

『あの、えっと……そうそう。長老たちのところへ、先触れに行っていますね』
慌ててそれだけ伝えると、リオは勢いよく踵を返して歩き出した。
背後で、ジョミーがなにか言ったようだが、気づかぬふりをしてブルーの部屋を後にする。
廊下に飛び出したところで、息をついた。
どうしてだか火照る頬に、リオは両手をあてる。

仲がいいのは、本当にいいことなんだけどねと、ため息をもらした。










シロエ不在ですみません。
20070611



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