WISH
「あのー……泉さん?」
「……なに、水谷」
「なんか……、怒ってない?」
「……別に」
じっと前を見たまま、ちらりとも視線を寄越さずに応じる泉に、オレはひっそりとため息をついた。
とうに日の暮れた街中を、オレと泉は二人並んで歩いている。
部活の後、買い物に行くという泉に、オレが無理矢理くっついてきたからだ。
泉は口ではなんでわざわざ? とか言って呆れてたけど、本心はそうでもなかったらしい。
というのも、泉の機嫌がすこぶるよかったからだ。
いつもより饒舌だったし、買い物中、オレが後をくっついて歩くのも嫌がらなかったし、腹減ったって言ったらマックにも付き合ってくれたし。
絶対にオレの気のせいなんかじゃなくて、すっごくいい雰囲気だったと思う。
しかも店や街路はクリスマス一色で、道行く人もみんなどこか楽しそうだし、はっきりいってムード満点。
オレはもしかしなくてもこれってデートじゃん! なんて後から気がついて、そりゃもうスキップしそうな勢いで浮かれていたわけですよ。
……なのになんでこんなことになっちゃったんだろ……。
気持ちに引きずられるようにしてうなだれたオレは、横目でちらりと泉の様子を盗み見た。
泉は相変わらず前だけをまっすぐに見つめて、隣を歩くオレのことなんか知らんふりしている。
どっちかっていうと可愛い系の顔だけど、こうしてちょっとだけ眉を顰めて、きゅっと口を結んでいるさまはすごく格好いい。
泉のご機嫌斜めのせいでなかったら、オレは心置きなく眺めちゃうところだね。
でも今そんなことをしたら、間違いなく泉の眉間のしわは深くなるだろうから、やらないけど。
ほんとに、泉はどうしちゃったんだろう。
さっきまではすごーく機嫌がよかったのに、オレがあれ? って思ったときには、すでに憮然とした表情で、ろくに口も利かなくなってしまっていた。
きっとオレがなんかしちゃったんだろうけど、これがさっぱり思い当たる節がない。
そいでいつもの泉だったら、なんか気にくわないことがあったらすぐに文句を言ってきたりするのに、今日はだんまりだから打つ手がなかった。
――やっぱり、オレがついてきたのが迷惑だったのかな……?
唯一、そうじゃないかなぁと思われる事柄に、オレは再びはふとため息をついた。
泉と二人っきりでのお出かけが嬉しくて楽しくて、ついつい浮かれすぎたオレが、段々鬱陶しくなったのかもしれない。
でも泉は優しいから、口ではきっついことばっか言ってるけど、本当の本当は優しいから、黙り込むことで鬱陶しさをやりすごしているのかもしれない。
だとしたらすごく悲しい。
けど、泉と気まずいままばいばいするのはいやだから、オレは意を決して口を開いた。
「泉……ごめんね」
「は?」
オレの言葉に、泉は不意に足を止めた。
怪訝そうな面持ちだったけれども、ようやくオレに目を向けてくれる。
それがなんだかとても嬉しくて仕方がなくて、気がつけばオレは、恥ずかしいことにちょっとだけ涙ぐんでしまった。
「……おまえ泣いてんの?」
「へ? 泣いてない泣いてない」
泉のするどい指摘に、オレは忙しないまばたきを繰り返して、涙を誤魔化した。
でも泉は信じてないみたいだった。
ふーんとか言いながら、探るようなまなざしを向けてくる。
だがそれ以上言及されることはなかった。
「それで? なに謝ってるわけ?」
「泉が……なんか怒ってるから」
通行人の邪魔になってはいけないと考えたんだろう泉が、街路の端に寄っていくのについていきながら、オレはぼそぼそと呟いた。
「別に、怒ってないって」
「怒ってるよ」
「怒ってない」
「……じゃあなんで?」
「は?」
「――急に黙り込んだと思ったら、全然しゃべってくんないし、オレのこと見もしなかったじゃん」
小さな路地の入り口に辿り着いて、こちらを振り返った泉に、オレは気がつけばそうまくしたてていた。
だって泉は、ひどい。オレは一生懸命ギクシャクしちゃった空気をなんとかしようとしてるのに、泉は全然気にしてないんだもん。
きっとオレとどんなに気まずくなったって、どうでもいいんだ。
そう思ったら悲しくて悔しくて、視界がぼんやりにじんできたけれども、絶対に泣きたくなんかなかったから、くっと顔を上げてまばたきをして、なんとか我慢した。
そんなふうにしてたもんだから、オレには泉の行動が見えていなかったわけで。
突然の所作に抗えなかったのも、当然のことだろう。
泉は不意にオレの腕を掴んだかと思うと、力任せに引っ張った。
驚いたオレは泣きそうになっていたことも忘れて、つんのめりそうになったのをどうにかこらえる。
だが泉はオレに構わずに、どんどんと路地の奥へと入っていこうとする。
もちろんしっかりと手を掴まれているオレには、なす術がない。
おとなしく泉の後に従うしかなかった。
時折転びそうになったけど、泉が気にする様子はなかった。
それが本当にオレのことなんてどうでもいいんだなぁって感じで、オレはますます悲しくなる。
あんまり悲しくてむなしくて、泉の手を振り解こうとしたとき、泉が急に振り返ったもんだから、オレたちは正面衝突してしまった。
――んじゃ、なくて。
泉にぎゅうって抱きしめられているんだってことに気がついたのは、しばらく時間が経ってからだった。
自分の置かれている状況にようやく気がついたオレは、泉から離れたくて身じろいだ。
けど、まわされた腕に余計に力を込められただけだった。
と同時に、泉が耳元で囁いた。
「……ごめんな」
「……なに、謝ってんの」
オレはまだ気持ちの整理がついていなかったから、すごく素っ気ない口調で答えてしまった。
でも気がついてみればオレの両手は泉の背中に回っていて、コートをぎゅっと握り締めていて。
なんだか説得力のない体勢だなぁなんて、思わず苦笑を浮かべてしまった。
でも泉は気にしなかったみたいだった。
淡々とした口調で先を続けた。
「別に、ほんと怒ってるとかじゃなくて」
「……じゃあ、なんだよ」
「おまえさっき、じっと見てたから」
「え?」
「クリスマスツリーの下で、いちゃこらしてたカップルをさ」
そう言われてみて初めて、そんなこともあったなぁと思い出した。
けどあれは誰だってつい凝視しちゃうと思うんだ。
だってすっげーいちゃつきっぷりだったんだもん。
人目も構わずちゅーしたりとかしちゃってさ、ここは外国じゃねーっての!
……そりゃまあちょっとは羨ましいなぁなんて思ったりもしてたんだけど――。
「羨ましかったんだろ?」
「……っ」
今まさに考えていたことを言い当てられて、オレは息を飲んだ。
そしたら図星だったって、泉に知られてしまったみたいだった。
泉はちょっとだけ、笑った。
「やっぱり」
「や、それは、あの、その」
「――でも、オレはしてやれないし」
しどろもどろで、でもなんとか言い訳しようとしたオレの言葉を、泉は強い語気で遮った。
「水谷はさ、どっちかってゆーとべたべたしてたいほうだろ? でもオレはそういうの柄じゃないし、いろいろ考えちゃうし……。したらやっぱオレなんかじゃなくて、女と付き合ったほうがおまえのためなんじゃないかなーって、思ってた」
「はあ?」
なんだかすごーく聞き捨てならないことを言われた気がして、オレは泉の肩に預けていた頭を上げた。
ちょっとだけ上体を離して正面からのぞきこむと、泉は困ったような面持ちで、目を伏せていた。
「なに? なんで? なんでそういうふうになっちゃうわけ?」
「だっておまえ、あーゆーことしたいんだろ?」
「あーゆーことができればいいんじゃなくて、オレは泉としたいの!」
頑なに目を合わせようとしない泉に苛立ちを覚えながら、オレは叫んだ。
それから泉の口に、自分の口を押し付けた。
乾燥した空気に晒されているそこは冷たくてかさかさしていて、でもふんわりとやわらかかった。
どんなときでもオレを幸せなここちにしてくれる、大好きな感触だった。
オレがこんなことしたいと思うのは泉だけなのに、どうして肝心の泉にそれが伝わらないんだろう。
好きでもないやつといちゃいちゃしたって、楽しくもなんともないじゃん。
それともやっぱり泉はそんなこと考えちゃうオレがうざくなって、遠まわしにふろうとしてたりするんだろうか。
「……オレが悪かったから、もうあんなこと言わねぇから、泣くなよ水谷……」
心底困ったって口調で言われて、オレは自分が泣いてることに気がついた。
だらだらと、なまあったかい涙が頬を伝っている。
うわこんなことで泣いてたら、ますます泉にうざいって思われちゃうじゃんか。
オレは慌てて握り締めていたコートから手を離すと、両手で顔を拭おうとした。
けど一瞬早く延ばされた泉の両腕に頭を抱きこまれたので叶わなかった。
オレは泉の肩口に涙でぐちゃぐちゃの顔を押し付ける格好になった。
「泉……コート汚れちゃう……」
「いいから、オレのせいだから気にすんな。でもできれば鼻水はつけんな」
そう言って泉は、よしよしってオレの頭を撫でてくれた。
オレはすんって鼻を啜ると、努力しますって、小さな声で答えてから泉にしがみついた。
「あーあ」
不意に泉がため息混じりに呟いたので、オレはん? って首を傾げたつもりだった。
けど泉の肩口に顔を押し付けているせいで、ちょっと身じろいだくらいにしか思われてないだろう。
「結局、オレらもいちゃこらしてんなぁと思って」
「あ……」
泉の言葉に、オレは血の気が引く思いがした。
急いで身体を離そうとしたけど、でもどうしてだか当の泉に阻まれてしまった。
「いいから」
「だって泉、いやでしょ……?」
「いいんだよ」
ひどくぶっきらぼうに言い放った泉は、その口振りとは裏腹にオレの頭をぎゅうって抱き締めてくれた。
「人目もねぇしな。それに――」
耳元でこそこそっと囁かれた言葉に、オレは思わず泣き笑いしてしまった。
泉も同じように思っていてくれたのが嬉しくて、それを伝えようとしたんだけどなんて言えば上手く伝わるのか分からなくて。
結局オレはこう言った。
「泉、大好き」
泉はオレもだよって、返してくれた。
終
まず思いついたタイトルが、「エリカ様じゃないよ」でした……。
20071215
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