信じ難きこと






「オレ水谷が好きだ」


二人きりの部室内はしんとしていて、小さかった泉の声もとてもよく響いた。




鍵当番だったオレは、みんなが着替えて次々と帰っていくのを横目に、一人パイプ椅子に腰かけて長机に向かい、部誌を書いていた。
珍しく泉が、最後まで残っているなぁなんて思いながら。


そしたら誰も――オレたち以外ってことね――いなくなった途端、先の発言ですよ。
これが驚かないでいられますか? いられませんよねフツー。
てゆーかオレはまず自分の耳を疑っちゃいましたよ。
二人っきりなんていう滅多にないシチュエーションに、浮かれたオレの脳が生み出した、幻聴なんじゃないかって。


――はい、そうです。
オレは泉が好きなんです。
不毛な想いだって分かってます。
もちろん泉に告げるつもりはありませんでした。
だってせっかく仲良くしてもらってるのに、下手なこと言って避けられたりしたら、文貴泣いちゃうもん。
それ以前に、十人しかいない野球部で、レフトとセンターの関係が最悪っていうのもやばすぎるしね。
ゆるく見られがちなオレだけど、一応野球部最優先でものごとを考えてるわけですよ。


でもさ、気がついてしまった気持ちは結構止めらんないもんなんだよね。
しかも野球部は練習時間が死ぬほど長いから、一緒にいる時間も家族よりも多くて。
最近ちょっと、なんていうか――つらかった。
うん、そうそう、オレはつらかったんだ。


だからといって、都合よく泉がオレに告ってくれるわけないじゃん。
オレの頭も相当いかれてるよね。
きっとオレがなんか聞き間違えしたんだよ。
そうに決まってるって。


オレは目を落としていた部誌から顔を上げると、ぎゅっとシャーペンを握り締めてから口を開いた。


「……え、と。泉なんか言った?」


そしたら自分のロッカーの前に立ち、オレに背を向けている泉の身体が、びくりと震えた。
あれ? なんか反応おかしくない? いつもならてめー聞いてなかったのかよとか言って、黙ってれば可愛い顔――なんて言うと殴られるから絶対口にしないけど――をむくれさせたりするのに。


「あの……いず」
「おまえが」


様子のおかしい泉に、オレは言葉を継いだ。
でも泉に、強い調子で遮られて、途中で口を噤んでしまった。


「好きだって言ってんの」
「……へ?」


オレは視界の中でゆっくりとこちらを振り返る泉の姿と、耳に届いた自分の間抜けな声を、同時に認識していた。


泉は眉間に皺を寄せて、でも頬を真っ赤に染めて、まるでにらみつけるみたいにして、オレを見ていた。
ううん、きっと本気でオレをにらみつけているんだ。
でも、どうして? オレ今、泉に告白されたんだよね。
それなのになんでにらまれなきゃいけないわけ?


……ってゆーか、告白!? さっきのはオレの聞き間違いなんかじゃ、なかったってゆーわけ!?


あまりの事態に、オレはもうぐるぐるしちゃって、ただただぼんやりと泉を見ていた。
泉も、きついまなざしでオレをねめつけていた。


どれだけそうしていただろう。
実際は短かったのかもしれない。
でもオレにはすごくすごく長く感じられた。
そんな時間を終わらせたのは、泉だった。


泉は唐突にため息をついた。
それから振り返ってロッカーからスポーツバッグを取り出すと、肩にかけた。
もう一度ため息をついたのが、背中を見つめているオレにも分かった。
でもオレはやっぱりなにもできなくて、泉の所作を眺めてるしかなかった。


きびすを返した泉は、もうオレを見ることはなかった。
頑なにオレから視線をそらせたまま、ドアまでの短い距離を足早に歩く。
オレは吸い寄せられるようにして、その姿を追っていた。


ドアノブに手をかけた泉は、そこで一旦動きを止めた。
しばし逡巡するような素振りをみせてから、小さな声で言った。


「――もういい。なんでもねーから、忘れてくれ」


オレがパイプ椅子をひっくり返して立ち上がったのと、泉がドアを開いて出て行ったのは、ほぼ同時だった。
オレは混乱する頭で、それでも泉を追いかけなきゃって思って部室を飛び出しかけて、すんでのところで鍵当番だったのを思い出し、はやる気持ちを懸命に宥めながらバッグを引っつかむと、戸締り確認をしてから鍵を手に外に出た。
震える手で鍵を閉めようとして、何度も失敗して、オレは舌打ちする。
早く、早く、早く。
泉を追いかけなきゃ、いけないのに。


だって泉は、絶対に誤解した。


違うのに、オレだって泉のことが好きなのに。
でも泉が男のオレなんか好きになってくれるわけがないって思い込んでて、だから泉の言葉がにわかに信じられなくて。


結果的に泉を、傷つけてしまった。


ぼんやりと霞む視界に苛立ちを募らせながら、オレはなんとか鍵を閉め終わると、駐輪場へ向かって走り始めた。
本当は鍵を職員室へ返しにいかなきゃなんだけど、知ったこっちゃなかった。
ガンガンとけたたましい音を立てて、部室棟の外階段を下りる。
悪くなる一方の視界に、腕でぐいと顔を拭った。


「……なに泣いてんの」


不意にかけられた言葉に、オレはぴたりと動作を止めた。
腕を下ろすと、声のしたほうに顔を向ける。


そこには、泉が立っていた。
どこか困ったようなおももちで、オレを見ている。
さっきは全然オレを見てくれなかったのに、今はちゃんと見てくれている。
それが嬉しくて仕方がなくて、気がつけばオレはバッグを地面に落とすと、泉にしがみついていた。


首に腕を回し、ぎゅうぎゅうとしがみつくオレに、泉はため息をついた。


「そんなこったろーと、思ったよ」


泉の呆れたような口振りに、オレはもちろん反論なんかできなくて。
泉にしがみついたままこくこくと何度も頷いた。









イズミズなんだよ! と言い張ってみる。
泉サイドも近日中に。
20071112



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