仕方ないこと
「オレ、オレもね、泉が好き、好きなんだよ」
オレに力一杯しがみついている水谷が、嗚咽の合間から必死に訴えてくる。
その一言一言に、全身の力が奪われてくみたいだった。
思わずへたり込みそうになるのを、オレはすんでのところで懸命に堪えてた。
それでようやく自分が、自分で思ってた以上に緊張してたんだって、分かった。
まあそれも当然だけど。
だってオレは、同じ部活の男に、告白ってやつをしちまったんだから。
水谷をいつ、どうして好きになったのかなんて、全然覚えてない。
未だに、オレはどうしてこいつを好きになっちゃったんだろうって、疑問に思うくらいだ。
でもオレと違って人懐こい水谷が、オレ以外のやつらにべたべたまとわりついてるのがむかついてむかついてしようがなかったから、そういうことなんだろうなって自覚するしかなかった。
そいで自覚してみれば、水谷だって絶対にオレのこと好きだろうって、思った。
こいつは結構分かりやすいからな。
それでも念には念を入れて、しばらく様子を見て、鎌かけたりなんかもして、オレの想像に間違いはないだろうって確信を持てたから告ってみたのに。
オレの言葉を聞いたこいつは、よりにもよって黙り込みやがった。
だけじゃなくて、ひどくうろたえてさえいた。
あーやっちまったって、オレは自分の行動を激しく後悔したね。
だってオレと水谷は、同じ野球部で外野守ってんだ。
しかもうちの部は新設で、部員は一年生十人しかいない超小所帯だ。
にも関わらずかなりな逸材に恵まれてて、マジで甲子園目指してたりするから、迂闊にもレフトとセンターが色恋沙汰で気まずくなっちゃいました、なんて絶対に言えない雰囲気なわけで。
しかもそんな事情が学校側や高野連に知れたら、すっげぇまずいだろう。
つかまずいに決まってる。
別に水谷がそういうこと言いふらすやつだと思ってるわけじゃないけど、どうしてだかばれたくないことほど、広まりやすいんだよな。
だったらそもそも告白なんかするなって話だけど、それがそうもいかないのが健全たる男子高校生の証ってゆーかなんてゆーか。
だって練習時間が長いせいもあって、好きなやつとそりゃもう四六時中一緒にいるんだぜ。
しかもそいつがまんざらでもないみたいな態度を取りまくるもんだから、これで我慢できるほうが男としてどっか問題があるんじゃねぇのって、オレは思うんだけど。
それに、だ。
どうせ対外的に伏せとかなきゃなんない想いを互いに抱いてるんなら、いっそ共有して二人で協力して秘密にしといたほうが、いろいろと上手くいくような気がしたんだ。
たとえば誰彼構わずべたべたしがちな水谷だけど、オレっていう恋人ができたら、さすがに控えるかもだろ。
そしたらオレはそういう場面を見ていらいらしたりしなくてすむし、水谷だってオレが田島や三橋の子守をしてんのを、羨ましそうな顔して眺めたりもしなくてすむはずだ。
結果的にくだんねぇことで、ボロ出すことを防げるに違いない。
なんだかんだいっても、やっぱり野球部はすごく大切だし、今のメンバーでする野球はすごく楽しいし、できることなら甲子園にも行きたいしな。
とまあオレなりにいろいろ考えて、そいで意を決して告白なんかしてみたんだけど、結局全部が全部オレの空回りでしかなかったんだって、困った顔をして黙り込む水谷を見て、オレはようやく悟ったんだ。
そりゃもう居た堪れなかったさ。
でも慌てて逃げ出すなんて格好悪すぎだから、なんとか冷静なふりして忘れてくれなんて言って。
ふられてさえ好きなやつの前ではいい格好したいんだななんて自分をあざ笑いながら、オレは水谷を残して部室を後にしたんだ。
すぐにでも走って逃げ出したい気持ちを懸命に堪えて、静かにドアを閉めたとき、中からすごい音がした。
オレは水谷になんかあったんじゃないかって心配になって、またドアを開けようとしたけどやめといた。
音からして水谷が座っていたパイプ椅子が倒れたんだろうってことが分かったからだ。
続いて、中からばたばたと水谷が動き回っているであろう物音が聞こえてきた。
だからオレは水谷は大丈夫だなって思って、そいでここでまた鉢合わせなんかしたらみっともないことこの上ないよなって気がついて、さっさと帰ろうと部室棟の外廊下を歩き出したんだけど。
そのときふと、なんで水谷は外からも分かるくらい慌てふためいてるんだろうって、思った。
だって水谷がオレのこと好きでもなんでもなくて、男から告られて気持ち悪いとか思ってたとしたら、さっきのオレみたいに鉢合わせしたりしないよう、十分時間を置いてから部室を出るんじゃないだろうか。
つーかオレだったら間違いなくそうする。
絶対にそうする。
ほとぼりが冷めるまで、部室でじっと時が過ぎるのを待っているだろう。
なのに水谷は、忙しない物音を立てて、部室内を歩き回っていた。
今日は水谷が鍵当番だから、きっと戸締りを確認しているんだろうと想像がつく。
でも、なんのために?
なんでそんなに急がなきゃならないわけ?
今水谷が慌てて部室を後にしなきゃならない理由があるとしたら、それはひとつだけじゃないだろうか。
オレは脳裏をよぎった考えに、ふるふるとかぶりを振った。
そんなの、オレにとって都合のいい妄想でしかない。
でも、もしそうだとしたら?
その可能性を捨てきれない以上、オレは水谷を置いてさっさと帰ることなんて、できるわけがない。
階段を下りきったオレは、少し考えてから、階段の裏の暗がりへと身を潜めた。
そこで水谷が下りてくるのを待とうと思った。
そいで水谷の様子を見て、どうするか決めるつもりだった。
ただ単に、早く帰りたいだけかもしれないしな。
でもけたたましい音を立てて階段を下りてきた水谷は薄暗い中でもはっきりと分かるほど涙ぐんでいて、しかもきょろきょろと辺りに視線をやっていて。
鍵を返しに職員室へ行かなきゃなのに、腕で涙を拭うとまっすぐに駐輪場へ向かおうとしたから、気がつけばオレは水谷に声をかけていた。
やっぱりオレの想像に間違いはなかったんだって、今度こそ本当の本当に確信しながら。
オレに気がついた水谷は、ぼろぼろっと涙をこぼしながらも嬉しそうに笑った。
それから鞄を地面に落とすと、オレに抱きついてきた。
その身体を受け止めながら、オレは安堵の吐息をもらしていた。
考えてみれば水谷は、ちょっとゆるいところがある。
あんまり頭の回転が速いほうではない。
きっとさっきは突然のオレの告白に思考回路が停止して、なんの反応もできなかっただけなんだろう。
さすがにオレもいっぱいいっぱいで、水谷のそういうところに思い至ってやれなかった。
でももう分かったから、大丈夫だから。
「そんなこったろーと、思ったよ」
だからオレはそう言ってやった。
したら水谷は勢いよく何度も何度も頷いてくれた。
それからオレにしがみつきつつ、泣きじゃくりながらも、嗚咽の合間から必死に訴えてきた。
「オレ、オレもね、泉が好き、好きなんだよ」
オレはへたり込みそうになるのを懸命に堪えながら、水谷の背中に両手を回した。
ちょっとだけどオレより身長の高いはずの水谷がやけに小さく、しかも可愛く見えて。
早く泣き止んでいつもみたいにへらりと笑ってくれるといいなぁと思ったから、背中を撫でさすってやるつもりだった。
でも水谷を抱きしめたことで気が抜けたのか、オレは本格的に足に力が入らなくなってしまった。
みっともないけど、背に腹はかえられない。
オレは仕方なく水谷にすがりついた。
「い、ずみ? どーした……」
オレの肩口に顔を埋めていた水谷が顔を上げた。
それになんでもねぇって答えようとしたんだけど、水谷がひどく驚いた表情を浮かべたので、首を傾げるに止まった。
「ちょ、泉っ!? な、どっ、えええっ?」
まるできょどった三橋みたいにどもりまくる水谷に、おまえこそどうしたよって言おうとしてオレは口を開いたんだけど、こぼれ落ちたのは情けない嗚咽だけだった。
それでようやくオレは、自分が泣いているんだってことに気がついた。
そういえば、顔をなまあったかいもんが伝っている。
もしかしなくても結構な勢いで泣いている、らしい。
それもこれも全部が全部、水谷の思考回路がゆるいせいだ。
ひとのこと散々びびらせやがって。
おまえが微妙な反応したりするから、オレはもうこれまでみたいに仲良くできないんだって、おまえに嫌われたって、思ったんだからな。
――ああ、そうだ。
すごく、自分勝手だけど。
オレはなによりも水谷との関係が壊れてしまうのが、恐ろしくてたまらなかったんだ。
「いずみぃ、な、泣かないで? ごめんね?」
先刻とは一転して、驚きのあまり涙も引っ込んだであろう水谷が、一生懸命オレをなだめてくれている。
いつの間にか背中に回された両手が、ゆっくりと上下に動かされているのは、オレの呼吸を少しでも楽にするためなんだろう。
結局自分がしてやろうとしていたことを、オレは水谷にしてもらうことになってしまった。
なんかそれってちょっと悔しい。
悔しいけど。
「み、ずだに……」
「う、うん、ごめん、ほんとにごめんねぇ」
まともに口も利けないんだから仕方がない。
水谷がちゃんと理由を分かって謝っているのかはあやしいとこだけど、今はこいつに甘えるしかないだろう。
はふと吐息をもらしたオレは、水谷の肩口に顔を押し付けるとその身体をより一層強く抱き締めた。
ああもうこれ、オレのになったのかな、なんて思いながら。
終
泉サイド。
20071125
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