願い事ひとつだけ
「オ、オレ……阿部君になにあげたらいいのか、わかん、なくて……」
そう言ってひいっくとしゃくりあげた三橋は、またもやべそべそと涙をこぼし始めて。
オレが思わず大きなため息をついてしまったのも、仕方のないことだと思うんだ、ホント。
今日の三橋は朝から様子がおかしかった。
挙動不審はいつものことだけど、更に拍車がかかっていたし、どうしてだかひどく青ざめた顔をしていた。
それでも練習中はしゃっきりしていたし、具合が悪いってわけでもなさそうだったから、最初はそっとしておくつもりだったんだけど、昼休みに飯を終えたらしい田島が、三橋がなんか変だ、と言って飛び込んできたので、そうも言っていられなくなった。
聞けばあの三橋が、間食したわけでもないのに弁当を残したのだそうだ。
聞き捨てならない事態である。
オレはすぐさま九組へと向かった。
そうして問い詰めた結果が、先の言葉である。
確かに。
今日は3月14日、いわゆるホワイトデーというヤツだ。
先のバレンタインデーに、恥ずかしさを忍んで三橋にチョコをやったオレは(でもあれはちょっと失敗だった。ホントは二人きりになってからやるつもりだったのに、うっかりモノを三橋に見られて、部活の休憩時間になあなあでやることになってしまったからだ)、確かに少々の期待を抱いていた。
けど、そんなになるまでのもんか?
オレは三橋がオレの為に選んでくれたってんなら、なんだって構わないのに。
そいで恥ずかしそうに頬を染めながら、上目遣いで「これ……阿部君に……」とかなんとか言ってくれたりしたら、なんつーかもうそれで十分ってゆーか、可愛くていい! なんて思ってしまうオレは相当三橋にやられているのだろう。
それはともかく。
人気のない屋上でうずくまり(今日がいい天気でよかったぜ)、ひぐひぐと泣きじゃくる三橋を前に、オレはどうしようかと頭を悩ませた。
昼飯を食ってから呼出した所為で、昼休みは残りあとわずかである。
授業が始まるまでに三橋を泣き止ませ、かつ放課後の練習に支障のないようフォローをしなければならない。
オレとしては、三橋がそんなにまで今日のことを思い悩んでくれていたという事実だけで嬉しくて堪らないんだけども、心の片隅ではやっぱりちょっとだけ、ちぇっ、という気持ちがないわけでもない。
ようするに、このままいいやいいやでホワイトデーを終わらせてしまうのは、いささかもったいないと思っているのだ。
「うぐっ、あべく……、なんか欲しいもの……あります、か?」
なんてオレのよからぬ胸中を知るよしもない三橋は、まるでオレに揚げ足を取ってくださいと言わんばかりのことを口にした。
なのでオレは、瞬時にひらめいたことを実行に移した。
「なに? オレの欲しいものくれるの?」
「う……うん、あげたい……」
三橋は相変わらずぼたぼたと涙をこぼしながら、嗚咽の合間に言う。
あげるよ、じゃなくてあげたい、な辺りがコイツの謙虚さを表してるよなぁ。
そんなとこがまたいいだけどさ。
「あっ、あのっ……阿部君が……よかったらだけど……」
もちろんいいに決まってる。
だからオレは、お願いを口にしてみた。
「じゃあさ、キスして」
「……へ?」
間の抜けた声とともに、三橋がゆるゆると顔を上げた。
涙のいっぱいにたまった目が、ひたとオレに向けられるけど、きょとんとした表情をしている。
……絶対分かってねーなコイツは。
「だからキス、して欲しいんだけど?」
重ねて言うと、色々鈍めな三橋もさすがに理解したようで、途端に顔がぽっと赤くなった。
不意にそらされた視線がきょときょとと、オレと三橋の間の床をさまよう。
いつもなら腹が立って仕方がないコイツのきょどりだけど、こういう場面に限ってはなかなかいい眺めである。
けど、実際問題三橋からキスなんて無理だよなぁ。
だって奥手を絵に描いたようなヤツだもん。
オレだってはなからそこまで期待してるわけじゃない。
なんも用意できなかった三橋に対する、ちょっとした意地悪で終わらせるつもりだった。
だから暫く三橋が恥ずかしがってきょどるさまを眺めてから、すぐにでも撤回してやるつもりだったんだ、けど。
オレのとんでもない要求に涙も止まったらしい三橋は、オレの思ったとおり身体はびしりと固まらせつつも、涙に潤んだ瞳は忙しなくあちこちに動かしていた。
いまや耳まで真っ赤に染まっている。
時折ぱかぱかと開閉される口が、まるで金魚のようだった。
そろそろ潮時かな、とオレは思った。
あんまり長いこと困らせたままでいると、またしても泣き出さないと限らない。
でも、ただもういいよ、なんて言った日には、卑屈精神を総動員してろくなこと考えないに違いない。
ここは慎重に慎重を重ねて言葉を選ばないと――。
なんて。
ついつい物思いに耽ってしまった所為だろうか。
ふと気がついてみれば、目の前に三橋の顔が迫っていて。
ぎょっとしたオレが固まっているうちに、ふんわりと優しいぬくもりが唇を掠めていった。
突然のことにオレが呆けていると、三橋はぱっと身体を離して、湯気が出そうなくらい真っ赤になった面をちょっとだけ俯けると、両手を胸の前でぎゅっと握り締めながらちらちらとオレの様子を窺い始めた。
一瞬だけ視線が合ったけれども、うひっと変な笑いを浮かべながら、すぐさまそらされてしまう。
三橋のひどく恥ずかしそうな様子に、遅ればせながらオレも、かっと顔に血が上るのを覚えた。
心臓がばくばくいってやかましいことこの上ない。
ふんわりとやわらかく、あたたかい感触が唇によみがえって。
オレは唐突に泣きたくなってしまったんだけど、それも当然のことだろう。
だってあの三橋が、オレの為に、初めて自分からキスしてくれたんだから。
そんな感動に、涙目のオレが浸りきっていると、床にうずくまりもじもじしていた三橋が不意に口を開いた。
「あ、あの、他には?」
……はい?
とか思いつつも、オレの脳裏には瞬時に三橋にしてもらいたい様々なことがよぎった。
けど。
これ以上あれやこれやしてもらえた日には、二人で午後の授業はさぼり決定になってしまう。
それは部活的にものすごーくまずいので。
「いやもう十分だから……」
オレは恥ずかしそうながらも、どこか浮かれた様子の三橋に、そう言うしかなかった。
そいで続きは練習後になって言わなかった自分のあほさ加減に、頭を抱えるのは午後の授業が始まってからのことである。
終
阿部君は後できっとさっきの続きしよって言う。
20080330
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