君とふたりで






先の誕生日に、幸いにも片想いしていた三橋と気持ちを通わせることができた阿部は、クリスマスの今日、またしてもとある願望を胸に、学校への道のりを自転車で急いでいた。
とはいっても、学校自体はすでに冬休みに入っている。
当然のことながら、野球部の練習のためだった。
部員はもちろん、関係者の誰もが熱心な西浦高校野球部は、年末年始も最低限の休みを除いて、全てが練習にあてられている。
それはクリスマスといえども、例外ではなかった。


でも――と、駐輪場で自転車を降りながら阿部は思った。
クリスマスは世間一般的な認識からすると、部活動で汗を流す日などでは決してなく、子供と恋人たちのためにあるようなイベントだ。
実際の宗教的な意味合いはどうあれ、日本ではとりあえずそういうことになっている。
そしてまだ日が浅いとはいえ、阿部と三橋はれっきとした恋人同士である。
世間一般的なクリスマスをすごしたいと考えるのも、至極当然のことだろう。


まずはなんとしてでも、今日は二人っきりで帰るべきだよな。
そいでコンビニかなんかでケーキを買ってやって、公園でもどこでもいいけどなるべく人通りの少ないところで、二人で仲良くつつくんだ。
あいつは食いもんに目がないから、きっとでっかい目をきらきらさせて、阿部君、あ、りがとう! とか言うに違いない。
そしたらオレにもプレゼント頂戴、とか言っちゃって、キスのひとつくらいしても罰はあたらない気がする。
っていうかあたらないって言ってくれ! 
だってせっかく両想いになったってのに、部活部活でいつも帰りはみんな一緒だし、結局未だに恋人らしいことなにひとつできてねぇんだもん!


――とまあ、恋に狂った男子高校生らしく、妄想満載の考えに浸りきっていた阿部は、気がつけば部室の前に佇んでいた。
4月からいやというほど通いなれた道のりである。
少々頭がぶっ飛んでいても、身体は取るべき行動を取ってくれるものらしい。


我に返った阿部は、いかんいかんとかぶりを振った。
先日の誕生日のことが、不意に脳裏をよぎったからである。
焦りは禁物、帰りまでは極力いつも通りにすごして、そいで二人きりになってからは――。


またしても願望混じりまくりな妄想にどっぷりと浸かりそうになってしまった阿部は、今一度かぶりを振るとノブに手をかけた。
ひとつ深呼吸してからドアを開ける。
「はよーっす」と声をかければ、あちこちから同じような言葉が返された。
その中に普段ならこの時間に聞かれない声が交じっていて、阿部は勢いよくそちらを向いた。


「……三橋、今日ははえぇじゃん」
「う、ん。休み、だから」


ふへっと笑って答える三橋は大層可愛らしく阿部の目に映った。
だが残念なことに、阿部には三橋の言っている意味がよく分からない。
しばらく考えてみてもやっぱり分からない。
阿部は首を傾げた。


「は?」
「早く、起きれて」
「へ?」
「冬休みで部活だけだから、いつもより楽なんだよな! 早く寝れるし、その分早く起きれるし。オレもだけど!」


阿部が難解な三橋語に四苦八苦していると、見かねたのか専用通訳を自任する田島が口を挟んできた。
途端に三橋がぱっと顔を輝かせると、その通りだとばかりにこくこくと首を縦に振っている。
それがなんとなくおもしろくなくて、阿部はむっつりと黙り込んだ。
三橋の隣である自分のロッカーに向かうと戸を開けて、バッグを放り込み着替えを始める。
すると三橋が、ちらちらとこちらの様子を窺っているのが視界の片隅に映った。


「……なに」
「ひっ、な、なんでも、ありませ……」


だが阿部が顔を向けて問いかけても、視線をそらされてしまうだけだった。
まあコイツの挙動不審は今に始まったことじゃないから、気にするだけ無駄だよなと阿部は思った。
互いの気持ちを確認しあったはずなのに、未だにどこかよそよそしい三橋の態度も、あの誕生日以来、全然それっぽい雰囲気になっていないからに違いない。
だからこそ今日という絶好の機会に、二人は恋人同士なんだってことを、三橋にいやというほど分からせてやつもりだった。
そしたらちょっとくらいは、三橋も自分に自信が持てるようになるんじゃないか? 
投手としてだけじゃなく、一個人としても。


そのためには、今日の三橋の部活後のスケジュールを押さえるのが重要だ。
阿部はさりげなーく、その辺りを探ってみることにした。


「そういえばさ」
「は、ひぃ?」


なんだその妙な返事は、と思ったが、そういった事々をいちいち指摘していては話が全く進まなくなる。
阿部はとりあえず無視することにして言葉を継いだ。


「今日、練習終わったら、暇?」
「へ?」
「なんか予定、ある? 早く帰って来いって言われてるとか」


高校生男子にしては、異常なほど親子仲のいい三橋家ならありえるかな? と考えて阿部はそう言ったのだが、三橋はふるふると首を横に振った。


「なんも、ない、よ」
「そっか、じゃあさ」


阿部はごくりと息を飲むと、本題に入った。
他の連中に聞かれると厄介なので、三橋にだけ聞こえるようひそひそと囁く。


「今日帰り、最後まで残ってな」
「え……?」
「他のヤツらになんか誘われても、オレと打ち合わせがあるって言って断れよ」
「……」


――あれ? と阿部は思った。
三橋が不意に黙り込んだかと思うと、どうしてだか顔面を蒼白にして、目を伏せてしまったからである。


「おいおまえら、さっさとしろよな」


だが阿部が疑問を口にすることは叶わなかった。
花井の声に我に返ってみれば、いつの間にか部室には阿部と三橋と、花井の三人だけになっていたからだ。
みなとっとと着替えて、グラウンドに出て行ったらしい。


「お、おお、わりい」
「先行ってっぞ。鍵頼むわ」


そう言って部室を後にする花井を見送ってから、阿部は慌てて着替えを進めた。


「おまえも、急げよ」
「う、うん……」


促せば、三橋も素直に手を動かし始める。
だから阿部は、先刻の違和感は気のせいだったに違いないと思ってしまった。
その上あれだけはっきり言っておけば、三橋もちゃんと分かっているだろうと、話をむしかえしたりもしなかった。
そのことを阿部が後悔するのは、練習後にまんまと二人きりになってからのことである。












――三橋の投球練習のことで、ちょっと打ち合わせしたいからさぁ。


との阿部の言に、誰一人疑うことなく部室をあとにしていった。
そうして残されたのは、想定どおりの展開にほくそ笑む阿部と、その向かいに座る三橋である。
だがことここに至って、想定外のできごとも起こっていた。
それは三橋の、不審極まりない態度である。


三橋は、阿部に言われたとおり最後まで残っていた。
だが一人、二人と部室から去っていくにつれ、その表情はどんどんと強張っていった。
最後に花井が鍵よろしくなー、と言って出て行った途端、その顔色は青を通り越して白くなったくらいだ。
泣き出さないのが不思議なほどの涙を、目にいっぱい溜めている。
思い返してみれば、部活中も少しおかしかった。
ふと手を止めたかと思うと、何事か考え込むような素振りをみせたり、不意に青ざめたかと思うと、懸命に泣くのを堪えたりしていた。
けれども、三橋の挙動不審は日常茶飯事である。
よほどのことがない限り、口を出さずに見守ろうといった風潮が、いつのまにか西浦高校野球部内には生まれていた。


しかしながら、明らかに様子のおかしい三橋と二人きりで部室に取り残された――正確には、仕組んでそうなったのだが――阿部とはして、なんで部活中にどうかしたのかと問うておかなかったのか、後悔しきりである。
というのも、せっかく二人きりになれたというのに、雰囲気が恋人同士のそれとは程遠いからだった。
このままでは阿部が思い描いていたあまーい一時なぞ、夢のまた夢。
クリスマスだというのに、気まずい一時をすごさなければならなくなる。


そんな事態は断固阻止せねばならない、と息巻いていた阿部は、花井の足音が部室棟の外階段を下りきって聞こえなくなると、早速口を開いた。


「三橋、おまえど……」
「ごっ、ごめんなっ、さいっ」
「……は?」


人の言葉を大きな声で遮る、なんていう三橋らしからぬ行為に、阿部は瞬間呆けてしまった。
しかもなんで謝られているのかさっぱり分からない。
どうせまた見当違いのことでぐるぐるしてんだろうとは思うものの、早いとこ解決しなければ阿部の計画は大いに狂ってしまう。
なにを言われても大声出したりしねぇぞ絶対にしねぇと心に誓いながら、阿部は三橋に聞いてみた。


「なに謝ってんの?」
「ひっ、ぐう……」
「泣いてちゃ分かんねぇよ、言ってみ?」


とうとう涙をこぼし始めた三橋に、阿部は更に問うてみる。


「だっ、あべ、くん」
「うん」
「お、怒って……」
「……別に、怒ってねぇけど?」
「で、も、怖い顔、してた」
「へ?」
「オ、オレ、なんかしちゃった、んだよ、ね」
「は?」
「ご、ごめんなさい」
「……」
「オレ、一生懸命悪い、とこ、直す、から」
「……」
「だ、だ、だから、嫌いに、な、ならない、で」
「……」
「阿部君のこと、好きで、いさせて、くださ……」
「……なんでいきなりそうなるんだよっ!」
「ひぐっ!」


だが三橋の突拍子もない思考展開に、阿部が辛抱していられたのはほんのわずかな時間だけだった。
思わず大声を出した阿部に、三橋は飛び上がらんばかりに驚いてみせた。
ぶるぶると震えながら、あちこちに視線を彷徨わせている。
きっと、懸命に逃げ場所を探しているのだろう。
だがここは閉ざされた部室である。
しかも阿部が出入り口を塞ぐ格好で座っているから、三橋に逃げ場所などあろうはずもない。
すぐに観念したのか、三橋はぎゅうと拳を握り締めると、俯いて膝の上にばたばたと涙をこぼし始めた。


そんな三橋の姿に、どうしてコイツはこうも悲観的なんだろうとため息をつきかけた阿部だったが、ふととあることに思い至って口をつぐんだ。
まさかあの程度のことで、と思わなくもないが、クリスマスにかこつけた恋人同士のあまい一時に心奪われていた阿部が、今日一瞬でも三橋に怖い顔をしたのだとしたら、他に思い当たる節がない。


「……もしかして、朝のことか?」
「ひっ、ひっく」


阿部が見当をつけたことを口にすると、三橋の嗚咽が大きくなった。


「田島が通訳した……」
「う、ひっく」


更に言葉を続けると、三橋は恐る恐るといった態で、小さく頷いた。
その拍子に、涙がぼたぼたと落ちて、三橋の膝を濡らしていく。
ぷるぷると小動物のように震え続ける身体が、どうにも痛々しい。


そんな三橋を目の当たりにして、阿部は堪えきれないため息をもらした。
途端に揺らぐ三橋の身体に、コイツはまたしょーもないことを考えているなと阿部は思った。
けれども、出会った頃はどうにもムカついてしようがなかった三橋のマイナス思考が、惚れてしまった今となってはあまり気にならない。
どころか、オレが三橋のアイデンティティを確立してやって、そんなふうに思わなくなるようにしてやろうとさえ考えてしまうのだから、恋に溺れた男は本当に救いようがない。


それはともかく、今は三橋をなんとかすることが先決である。
このままでは、クリスマスにかこつけた恋人同士のあまい一時が粉塵に帰してしまうではないか。
三橋の誤解をさっさと解いて、二人仲良くコンビニへと向かうことが、阿部の幸せへの第一歩である。
そいでケーキを買い与えて、三橋に食わせてやって。
それからは――。


「――ふっ」
「ひぐっ」


脳内で繰り広げられる妄想に耽っていた阿部は、三橋のけったいな悲鳴で我に返った。
はっとして眼前を見れば、両の拳を口元にあてた三橋が、得体の知れないものでも見るような目をして、阿部を凝視している。
おまえその格好はどうよ? と阿部は思ったが、そんなことを逐一突っ込んでいては今日が終わってしまいかねない。


阿部は軽くかぶりを振ると、自らの不気味な笑みは棚に上げまくって、ごめん、と三橋に向かって頭を下げた。


「……へ?」


三橋の間の抜けた声に促されるようにして面を上げると、三橋は涙に濡れた瞳をきょとんと見開いて、阿部を見ていた。
その視線になんとなく居た堪れないものを覚えながら、阿部は先を続けた。


「アレはさ、オレがオレにムカついてたってゆーか、田島に嫉妬してたってゆーか」
「し、っと?」


よく分かりません、とクエスチョンマークを辺りに撒き散らしながら三橋が首を傾げる。
ああもうコイツはホントに察しが悪いな、全部言わないと駄目なのかよと、恥ずかしさから阿部はついそんなことを考えてしまったが、今後のあまい一時がかかっているのだと思えば我慢するしかない。
我慢できるだろオレ! と自分に言い聞かせて、それでも照れ隠しに視線をあらぬ方へとそらしながら、阿部は言葉を継いだ。


「だからさ、オレはお前の言ってることすぐわかんなかったのに、田島はわかってただろ?」
「う、うん」


三橋がこくりと頷いたのを、阿部は視界の片隅に確認する。


「オレたち付き合ってんのに、それはどーよって、思ってた」
「つ、付き合って、る……」


途端にぽっと頬を赤らめた三橋をやはり視界の片隅に捉えていた阿部は、いやいやいや今はそこに反応してもらっても、と思ったが、すぐに可愛いからまあいいやと思い直した。


「ようするに、通訳がいなきゃお前の言ってることわかんないだなんて、恋人失格だってことだよ」
「え……?」
「なんで自分にすげー腹が立ったし、お前の言うことすぐにわかる田島には……嫉妬みたいなもん、覚えてた」
「……」
「そーゆーわけだから、別に三橋に対して怒ってたわけじゃねーよ。三橋が気にするようなことは……」
「オ、オレ、も」
「は?」


不意に勢い込んで言葉を発した三橋に、阿部は口にしようとしていた事々を飲み込んだ。
そらしていた視線を戻すと、三橋はいつの間にか俯いて、膝の上で両手をぎゅっと握り締めている。
伏せているせいで表情はわからないけれども、その面が真っ赤に染まっているであろうことは、真っ赤な両の耳から想像がついた。


三橋は、呆気に取られてただぼんやりと眺めているばかりの阿部にもわかるくらい両手に力を入れて突っ張ると、更に言い募った。


「いつ、も、嫉妬、してます」
「へ?」
「オオオ、オレ、せっかく阿部君が話、かけてくれても。みんなみたいに上手く、喋れないし。すぐに、どもる、し」
「……」
「だ、から阿部君と、普通に喋れてるみんなに。いつも、嫉妬、してる……」
「……」
「嫉妬、してます……」
「おま……」


とうとうと訴えられる内容に、阿部はぽつりと呟くとそれきり絶句してしまった。
すると三橋が、おずおずと顔を上げた。
真っ赤に染まった面を傾げて、涙に濡れた瞳をひたと阿部に向けてくる。
それから微かに震える唇を開くと、こう言った。


「阿部君も、一緒?」


――本当なら、そうだよオレも一緒だよとか、妬いてくれて嬉しいとか、口にしてやるべきだったのかもしれない。
だが阿部にはそんな余裕なぞこれっぽっちもなかった。
決死の覚悟といった態で吐露された三橋の想いに、感極まっていたからである。
じんわりとにじんでいく視界に、真っ赤な三橋の顔もぶれていく。
阿部は慌てて何度かまばたきをすると、それをこらえた。
たまらずに、目の前の投手としては華奢な身体を、力一杯抱き締める。


「あ、あああああ、阿部、くん!?」


途端に、耳元で三橋の素っ頓狂な声が上がった。
そのどもりっぷりに阿部は思わず笑ってしまったけれども、背中に回した手を緩めることはしなかった。
鼻先を三橋の髪に埋めれば、汗とほのかなシャンプーの匂いがする。
運動部員の練習後の髪の匂いなんて、本来ならとても嗅げたものではないだろう。
だが阿部にとっては、この上なく良い香りのように思えた。
触れ合うところから感じるぬくもりが、心地よくて仕方がない。


「……すっげぇ好き……」


阿部は気がつけば、そんなことを口にしていた。


三橋は阿部の腕の中で、びくりと身体を震わせた。
阿部は、三橋も言ってくれないかな? と思ったのだが、ひどく内向的にできている三橋が、答えてくれることはなかった。
まあそんなところも三橋らしいよなと阿部が考えていたとき、腕の中の三橋の身体がわずかに身じろいだ。
そう認識した途端、三橋の身体がしなだれかかってきて、阿部は心臓が口から出るんじゃないかと思うほど驚いた。
しかも三橋の両手がそっと阿部の背中に回されたかと思うと、優しく抱き締め返してくれる。
その行動のひとつひとつが、言葉よりも雄弁に三橋の想いを物語っているような気がして。
不覚にもまた泣きそうになってしまった阿部は、涙を誤魔化すように三橋の肩口に顔を押し付けた。


そうしてふと、予定とは大分違ったけど、オレたちも恋人同士のクリスマスってヤツをきちんとやれてるんじゃないかな、と思ったのだった。









2007年クリスマスアベミハ
20080324



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