いちばん
隣を歩く三橋は、さっきからこの世の幸せをひとりじめしてるみたいな表情で、もごもごと菓子を食い続けている。
聞くところによると、今日は朝から暇を見つけては、田島と共に底知れない食欲を満たしているらしい。
にもかかわらず三橋は、未だに菓子のつまったコンビニ袋をぶるさげている。
田島も、同様のコンビニ袋を手にしていた。
そんな大量の菓子が、どうして二人の手に渡ったかというと、クラスの連中がハロウィンにかこつけて、万年欠食児――三橋と田島に、こぞって恵んだからだそうだ。
あいつらいっつも腹減った腹減ったってやかましいからさ、とは、二人のお目付け役泉の言である。
確かに、三橋と田島の食い意地は異常だ。
しかも二人揃って子供だもんだから、どうにも我慢ができないらしい。
ことあるごとに腹が減ったと訴えては、かたや涙ぐみ、かたや騒ぎ立てる。
それがどうやら、クラスの連中の同情を集めてしまったみたいだった。
怒涛の快進撃をみせた夏大以降、野球部は非常に注目されている。
練習がきついのは、いつしか周知の事実となっていた。
そんな野球部のエースと四番なんだから、その重圧は相当のものだろう、そりゃ腹も減るよな、といった空気がクラスに流れているようで。
以前から気の向いたクラスメイトが、二人に菓子を恵んでやったりしていたそうだ。
そういった事情を踏まえると、ハロウィンという格好のイベント時に、クラスメイトが面白がったとしても、納得せざるをえないというか。
とにかく結果として、大量の菓子がエースと四番の手に渡ることになったわけである。
まあつらい過去のせいでなかなか人と打ち解けられない三橋が、クラスメイトと上手くやっているのは、オレも嬉しいよ。
大量の菓子を前にして、幸せでたまらないって笑みを浮かべる三橋を見ると、オレもなんだか幸せを感じちゃうよ。
でも、さ。
オレはため息をつくと、相変わらずもそもそと菓子を食い続けている三橋を横目で見た。
……こいつまさか、これ全部を今日中に食いつくす気じゃあないだろうな……。
いやいやいや、まさかそんなことと否定したい。
だがそうはさせてくれない実績が、三橋にはある。
オレにしてみれば、一週間あったって食いきれるかどうかって量なんだけど、三橋にとっては、夕食までの場つなぎ、ほんのおやつ程度でしかないと考えたほうが無難だろう。
しかしいくら三橋の胃腸が丈夫でも、菓子の多量食いはよくない。
だってむちゃくちゃ身体に悪そうだ。
そんなオレの胸中を知る由もない三橋は、一心不乱に菓子を口に運んでいる。
その所作があんまり真剣だからか、ずいぶんと子供っぽく思える。
オレは気がつけば三橋を、まじまじと見つめていた。
大量の菓子を与えられたのが、本当に嬉しくて仕方がないんだろう。
三橋は頬をほんのりと赤く染めて、しまりのない口元にこらえきれない笑みを浮かべている。
でっかい目はとろんとしちゃって、普段の半分くらいの大きさだ。
どこか夢見るようなまなざしで、ひたと菓子を見すえている。
そのとき、オレの視線に気がついたのか、三橋がふと顔を上げた。
目があうと、小首を傾げてふにゃりと微笑んだ。
……あー。
すっげぇ可愛い。
――じゃなくて!
オレはぶるぶるぶるとかぶりを振った。
今は三橋の可愛さに翻弄されている場合じゃねぇっての。
そりゃまあオレがこいつの恋人でしかなかったら、今日一日くらいはほっといて、嬉しそうに菓子を食らうさまを堪能するのもいいだろう。
だがオレは三橋の恋人であると同時に、三橋の捕手でもある。
明らかに栄養の偏った暴飲暴食は、捕手として断固阻止せねばならない。
それがひいては三橋のため、野球部のためでもある。
しかしながら恐ろしく食い意地のはった三橋が、身体によくないから菓子を控えろと言ったところで、聞くわけがない。
どころかどうして阿部君はそんなひどいこと言うの? なんて、涙腺ゆるめまくりの捨てられた子犬の目で、おどおどと視線をそらされるのがおちだ。
できればそれは避けたい。
すごーく避けたい。
というのも、今日は週に一度だけの、ミーティングのみで部活が終わる日だからだ。
ようするに、常々野球にばかりかまけているオレと三橋が、唯一野球を忘れて、恋人らしいことをしてすごす日なのである。
これから両親不在の三橋の家におじゃまして、一介の高校生らしく大好きなやつと二人きりですごす時間を満喫しようとしているのに、ここで三橋をびびらせてしまったらおしまいだ。
あまったるいはずのひとときが、ひややかで気まずいひとときになってしまう。
せっかくいろいろできるチャンスなのに、そんなのもったいない。
これまた断固阻止すべきである。
オレの心の安定のためにも。
ではオレはどうするべきか。
三橋をびびらせることなく、上手いこと菓子の山を取り上げねばならない。
もちろん、一時的に取り上げられればいいのだ。
いっき食いがよくないんであって、ちょっとずつ食うんだったらなんの問題もないからな。
なんてことをつらつらと考えていたオレは、ふととあることに思い至って、試してみようかなと思った。
それはそもそも三橋が大量の菓子を手にいれることになったきっかけだった。
きっとクラスでもおふざけでこの言葉を誰かが口にしているに違いない。
いくら三橋がぼやっとしてるからって、大好きな菓子を山ほど与えられたイベントの内容くらいは把握しているだろう、多分。
「トリックオアトリート」
「ふへ?」
オレはぽつりとその言葉を呟いてみた。
すると再び菓子に夢中になっていた三橋が、奇妙な声を発しつつ、つと視線を上げた。
ゆっくりと首を巡らせてオレを見ると、不思議そうな面持ちで頭を傾げている。
はてなの飛び交う三橋の表情に、オレはいくばくかの不安を覚えた。
――まさかこいつ、意味も知らないで菓子をもらってたんじゃないだろうな?
「トリックオアトリート、今日はハロウィンだろ? なんかくれなきゃいたずらするぞーって」
仕方ないので、オレはもう一度口を開いた。
今度は本日のイベント名に、日本語訳つきだ。
これで分からなかったら、ちょっとばかしウメボシをくらわせたい気分である。
もちろん、先々のことを考えて、そんな無体な真似はしないけど。
「あ、う、うん」
そしたら三橋は、こっくりと頷いてくれた。
ああよかったと、オレは胸を撫で下ろす。
さすがにこいつも、今日のイベントのなんたるかは知ってるってことだ。
なら話は早い。
いたずらされたくなきゃ菓子を寄越せとせまるばかりだ。
もちろん、菓子を寄越したら本当にいたずらしないかっていうと、それはまた話が別なんだけどさ。
けど明日も朝から練習だし、あんまし無茶させるのは――。
と、今後の予定に心奪われそうになったオレだったが、三橋の変調に気がついて我に返った。
三橋は、 不意に目を伏せたかと思うと、顔を真っ赤にしていた。
手にした菓子を、食いもせずにせわしなくもてあそんでいる。
その度に、コンビニ袋ががさがさいってやかましい。
「……三橋?」
「だ、駄目っ」
訝しく思ったオレが首を傾げたのと、三橋が珍しく大きな声を出したのは、ほぼ同時だった。
えーっと、駄目? 駄目って……。
「なにが?」
「えっ? だって、あ、阿部君、言った」
「は?」
「と、とりっくおあとりーと、って」
「うん」
「なんか、く、くれなきゃ、いたずらする、ぞって」
「ああ……」
なるほど、それに対して答えちゃってたわけだ。
三橋にしてはずいぶんと反応が早いじゃねぇか。
オレの方が話の展開においていかれるところだった。
そうかそうか、駄目か――って。
「はあ?」
「ひっ」
突然大声を出したオレに、三橋は大層驚いたようだった。
びくりと身体を震わせて、そのまま立ちすくんでしまう。
それでなくとも大きな目が、限界まで見開かれている。
口は悲鳴を上げたまま、ぱくっと開きっぱなしだ。
顔からはどんどんと血の気が失せ、反対に目には涙がどんどんとたまっていく。
ああやばい泣くかも。
そうは思ったが、勢いづいてしまったオレの口は勝手に言葉を吐き出していく。
「駄目ってなんだよ駄目って。ちょっと菓子を寄越してくれりゃあいいだろ」
「ででででも、駄目、です」
そしたらこれまた珍しいことに、三橋が言い返してきた。
オレはさらにむっとして、思わず怒鳴りつけてしまった。
「いいからその菓子をオレに寄越せってんだよ。ほんっと意地汚いやつだな」
「ひぐっ」
三橋は変な声を発したかと思うと、途端にぼたぼたと涙をこぼし始めた。
両の手をぎゅっと握り締めて――それでも菓子は放さない辺り、もうなんも言う気になれない――、全身をぷるぷると震わせている。
これで今日のあまいひとときは粉塵に帰したな。
でもだからどうしたって、投げ遣りな気分になっていた。
だって三橋はクラスメイトからもらった菓子に夢中で、オレが心配してることになんか気づきもしないんだもん。
いや、気づかないのは仕方がないかもしれない。
でも、でもさ。
こいつは菓子をくれっていうオレに、駄目って言いやがった。
それって要するに、こいつにとってはオレよりもクラスメイトからもらった菓子の方が、大切だってことだろ。
オレは三橋内ランキングで、食い物に負けてる恋人なんだ……。
そう思ったら無性に腹立たしく、かつ悲しくなってきて、オレは顔を伏せた。
このままきびすを返して、家に帰ってしまおうと考えた瞬間。
「だ、だ、だ、だって」
三橋が嗚咽の合間をぬって、話し始めた。
「お、菓子、あげたら」
立ち去るタイミングを逃したオレは、仕方なくん、と言った。
「あ、べ、くん、……なっちゃう」
「は?」
「あべくん、オ、オレに、いたずら、できなく、な、なっちゃうって」
「……」
「たじまくん、言った」
「……」
「だ、だから、駄目……」
「……」
「だ、うおっ?」
ぼろぼろと涙をこぼしつつ、懸命に言葉をつむぐ三橋の手を取ると、オレはぐいと引っ張った。
そのまま三橋の家への道のりを、足早に歩き出す。
「あああああべ、くん?」
「……いいから、黙ってろ」
オレの突然の所作に驚いたんだろう、三橋の怯えた声が背後から聞こえる。
だがオレの返事はひどく素っ気ないものになってしまった。
三橋の手がびくりと震えたから、びびらせてしまったんだと分かったけど、オレにはどうしようもなかった。
絶対に逃げられないようにと、三橋の左手をしっかりと掴みなおしたくらいだ。
だって今立ち止まったら、オレ三橋になにしちゃうかわかんないんだもん。
でもここは住宅街を過ぎる通学路で、誰に見られるか知れない公共の場である。
せっかくの三橋のお誘いを実行するには、大変不適切な場所だ。
でも三橋の家に着いたら、まずはぎゅって抱き締めてやろう。
そいでさっきのことをきちんと謝るんだ。
ただ菓子のいっき食いに関してはどうしても譲れないから、その辺はちゃんと分からせよう。
そのあとの時間は、三橋のお望みどおり――。
へらりとゆるむ口元に、オレはいけないいけないとかぶりを振った。
我ながらげんきんだなぁとは思うけど、好きなやつにあんなこと言われたんだから仕方がないよな。
三橋は相変わらずぼろぼろと泣きながら、それでも菓子の袋を大切そうに右手で抱えて、オレの後を懸命についてきている。
三橋の家まで、あともう少しだった。
終
一日遅れのハロウィン話。
なんかどうもしっくりこないので、そのうち手直ししたいです。
20071101
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