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さわりだけですが、参考になれば幸いです。






好きの最上級 〜本文23P〜




 昼休みに、ものすごくいやなことがあった泉は、確かに少々不機嫌だったかもしれない。けれどももう済んだことだし、いつまでも気に病んでいても仕方がないと、教室に戻る頃には自分なりに気持ちに決着をつけていたつもりだった。ところが教室に戻った泉の姿を認めた途端、田島は目を見開き三橋はびくっと身を竦め、浜田はそそくさと逃げ出したのである(とはいっても、同じクラスだから自分の席に戻っただけだが)。そんなにあからさまか? と思った泉は、両手でぺたぺたと自分の顔を触ってみたが、どんなに探ってみたところでわかろうはずもない。まあ一過性のものだろうからと、気にしないことにした。

 しかし放課後になって部室に赴いた泉は、またしてもチームメイトたちに先のような反応を取られることとなった。だけでなく、皆一様に泉から距離を置いている。ちらちらと視線を寄越してはくるくせに、誰も泉に話しかけようとはしない。ことここに至って、泉はさすがに不安になってきた。自分ではもうなんとも思っていないつもりなのに、オレは一体どんな顔をしてしまっているのだろう? だがなんとなく確かめる気にもなれなくて、泉は壁にかけてある鏡に、ちらと視線をやるだけに止めておいた。そうして少しでも楽しいことを考えようと努力した。すぐに今日の練習後の時間に思い至って、知らず笑みを浮かべてしまう。すると隣で着替えていた沖が、あからさまに身体をびくつかせた。訝しく思った泉が顔を向けると、沖は引き攣った面持ちでなんでもない、というふうにかぶりを振る。なんとなく釈然としないものを覚えつつも、泉は正面を向くと再び物思いに耽った。沖がため息をついたのは、気のせいだと思うことにする。

 昼休みのできごとは、未だ思い出すたびに、泉を不快な気持ちにさせた。けれども、今日でちょうどよかったのかもしれないと、泉は思い直し始めていた。というのも、部活さえ終われば、昼休みの不快なできごとを一掃できる時間が待っているからだ。もちろん、信じてないわけじゃないけど、あんなことがあった日には論より証拠、確実ななにかを得たいと思ってしまうのは、仕方がないことと思う。それでなくとも不安定な間柄だ。周囲に認められることのない以上、信じられるのはお互いの気持ちだけである。確かめたいと思って、なにが悪いのだろう。

「ちはー」

 そんな泉の物思いを破ったのは、ゆるーい挨拶の声と、部室のドアの開く音だった。普段に比べて、ちょっとだけ元気のない声音だったけれども、誰が入ってきたのかはすぐにわかった。というよりも、部員数十名では、わからないほうがどうかしている。泉は顔を上げると、ドア口を振り返った。はたしてそこには、泉がこっそりと待ち望んでいた人物が佇んでいた。俯いて、靴を脱いでいる真っ最中である。手を動かすたびに、やわらかな栗色の髪の毛がふわふわと揺れて。泉の目を奪った。

 自らの所作がどんなふうに泉の目に映っているのか知る由もない水谷は、靴を脱ぎ終えると室内に背を向けた格好で、上がり框に立った。それからしゃがみこみ、片手を伸ばすと、靴をきっちりと揃えて並べている。自分の分だけでなく、脱ぎ散らかされたチームメイトの分もである。そんなふとした仕草が彼の家のしつけのよさを物語っているようで、見ていてとても気持ちがいい。

 最後に軽く両手をあわせて埃を払った水谷は、再び上がり框に立った。くるりと身を翻して、室内に一歩足を踏み出す。ところが二歩目を踏み出す前に、びくりと身体を竦ませると、まるで金縛りにあったみたいに立ち竦んでしまった。原因は考えるまでもない。泉と、目があった途端のできごとだったからだ。

 泉は、自分の顔が強張るのを感じた。常ならば、泉と目があおうものならそれでなくともしまりのない顔を更にゆるませて、満面に笑みを浮かべる水谷が、「泉ー、朝練ぶりー」とかなんとかくだらないことを言いつつ懐いてくる水谷が、泉の存在にびくついた態度を取ったからである。
 
しかも水谷は、泉と同様に顔を強張らせていた。少し青ざめてもいる。手が震えているように感じるのは、泉の気のせいだろうか?

「おい、着替えてねーヤツ早くしろよなー。もうすぐ時間だぞ」

 だが泉が水谷を問い質すために口を開くより早く、花井が言った。途端に部室内が慌しくなる。水谷も、先刻までの態度が嘘だったかのように、「うっわやばいー」なんて言いつつロッカーに向かっている。泉も練習に遅れてモモカンに握られるのは勘弁だったから、仕方なく着替えに集中することにした。だがいくら手を動かしていても、脳裏をよぎるのは先ほどの水谷の所作ばかりである。なんだか今日はろくなことがない。厄日なんだろうか。思わず舌打ちしてしまったけれども、部室内の騒々しさに救われて、誰の耳にも届くことはなかった。







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