ぎゅうと握り締めた手のひらの中で、受験票はくしゃくしゃになっていた。






別れの季節






 屋外掲示板に張り出された合格発表を、亘は随分長い事ぼんやりと眺めていた。周囲では、ヒトが入れ代わり立ち代りやってきては、歓声を上げたり、がっくりと肩を落としたり、泣き出したりしている。付き添いの母親だろう、号泣する娘を懸命に宥めている。まだ次があるじゃない、学校はここだけじゃないから。ああ、その通りだと亘は思った。けれども美鶴と一緒に通える学校は、ここだけだ。

 亘はゆっくりと、視線を手元に落とした。握り締めた所為でくしゃくしゃになっている受験票を、そっと開く。見返す必要などない、すっかり諳んじてしまった番号を、もう一度見直した。1237。美鶴と一番違いの番号を、亘は合格者番号の中に見つける事が出来なかった。学校の先生にも、塾の講師にも、難しい難しいと言われていたから、亘は心のどこかでああやっぱりと思っていた。

 亘は顔を上げると、合格発表を見上げた。1236。美鶴の受験番号だ。合格発表には、しっかりとその番号が記されている。この地域では一番の難関校に、美鶴は合格したのだ。なんでも完璧にこなさないと気が済まない美鶴。その為の努力は惜しまない美鶴。常日頃の態度が飄々としているから、皆誤解しているけれども、亘だけは彼がどれ程苦労して今日の日の合格を掴んだのか、知っている。

 勿論亘だって努力した。すごく、すごく頑張ったのだ。それだけじゃない、美鶴だって、自分の勉強が大変なのにも関わらず、一生懸命亘の勉強を助けてくれた。土日も返上して、どちらかの家や図書館、塾へ行って毎日毎日ずっと勉強していた。絶対に一緒の学校に行こうねと亘が笑えば、美鶴もその端正な面をほころばせて、うん、と肯いてくれた。でも全部無駄になってしまった、亘の所為で。

 大好きで堪らない美鶴。ずっと一緒にいたくて堪らない美鶴。でも中学も、結局離れてしまった。全部亘の努力が足りなかった所為だ。

 あまりにもすぎた出来事には、心が麻痺してしまうのだろう、きっと。
 亘はふとそんな事を思った。だって、悲しくて悔しくて申し訳なくて仕方ないのに、亘はさっきからただぼんやりと合格発表と受験票を見比べているだけだ。周りの子達のように、感情を表に出すことが出来ない。涙すら、浮かばない。ただただ心にぽっかりと穴が開いてしまったようだった。

 その時、不意に亘は手を取られた。ここでそんな事をするのは、隣に立つ美鶴だけだ。彼は亘の、受験票を握り締めた手を、上から包み込むようにぎゅうと掴んでくる。

 それで漸く亘は、美鶴にまだおめでとうと言っていなかったのを思い出した。自分に手一杯で、おめでとうも言わないなんて、最後の最後までどうしようもないヤツだなと自らを罵りながら、亘は美鶴の方を見た。

 美鶴は、じっと俯いて掲示板の足元を見つめていた。気配で亘が美鶴を見たのを知ったのだろう。ゆっくりと顔を上げた。そのまま亘の方へ顔を向ける。

「美鶴っ?」

 驚きのあまり、亘は素っ頓狂な声を上げてしまった。だって、だって、亘を見つめる美鶴の目に、涙が浮かんでいたのだ。すると亘の声に触発されたかのように、美鶴の澄んだ目からぽろりと涙が一滴零れた。と思った途端、ぽろぽろと後から後から溢れ出てくる。亘はもうひどく慌ててしまって、不合格もどこへやら、みつるぅと情けない声を出すと、掴まれていなかった手で彼の手を上から握り締めた。

 美鶴は声も出さずに、ただ涙を流し続けている。美少年と名高いその顔をきゅっと顰めて、歯を食いしばって。そんな様も美鶴だとどこか綺麗で、亘は場違いにもちょっとどきどきしてしまった。

 そんな馬鹿な考えを振り払うようにぷるぷると首を振ると、亘はもう一度美鶴に呼びかけた。

「美鶴?どうか……」
「悔しい」

 だがみなまで言う事は叶わず、美鶴に遮られてしまった。亘が首を傾げると、美鶴は掠れた声でこう言った。

「おま、え、あんなに、頑張って、たのに」

 泣いている所為で途切れ途切れではあったけれども、それで漸く亘は美鶴が自分の為に泣いてくれているのだと知った。亘の頑張りを認めてくれていたのだと知った。自分の合格よりも亘の不合格を悲しんでくれているのだと、知った。

「美鶴……」
 
 亘が今一度呼びかければ、美鶴も今一度悔しい、と呟いてぐいと袖で顔を拭った。けれどもその程度では、止まらないようである。相変わらずぽろぽろと涙を零している。

 場所が場所だから、こうして美鶴が泣いていても、誰一人として気にする者はない。本当のところはどうあれ、不合格だったのねと思われるくらいだ。

 それでも美鶴が亘の為に泣いてくれているのかと思うと、どうしてだか亘はその涙を誰にも見せたくなくなっていた。そっと美鶴の手を離し、離させると、彼の背中に腕を回してぎゅうと抱き締める。美鶴の方がちょっぴり身長が高いから、無理があるかもと思ったが、美鶴が亘の肩に頭を預けてきたので、上手い事亘の腕の中に収まった。

 美鶴の涙が、亘のコートを濡らしてゆく。預けられたその重みを感じながら、亘はすうっと心が軽くなっていくような気がした。先刻まで固まっていた心が、まるで美鶴の涙で解かされていくかのようだ。悲しかったり悔しかったりは、もうどうでも良くなっていた。だって、美鶴が認めてくれたのだ、亘の努力を、亘の悔しさを、亘の悲しさを。

 ただ亘の為に協力してくれた美鶴に対する申し訳なさだけはどうしようもなくって。亘はその思いをこめて美鶴を抱き締めていた。









美鶴君は、自分が認めたヒトの為になら泣ける子だと思います。
あんま自分の事では泣かなさそう。

20060722


で、最初拍手お礼に上げてましたが、色々考えて普通にアップ。
すみませんです。
20060724



戻る