お守り代わりにそっと



 随分と神妙な面持ちの亘に、美鶴は首を傾げる。でもすぐにあることを思い出して、ああなるほどと納得した。

「今日、だっけ?」

 そう問いかければ、こくりと肯く。

「うん。なんかもう……緊張しちゃって」

 亘はぎこちない笑みを浮かべると、落ち着かない口調で答えた。美鶴は苦笑を浮かべる。

「で、行かなくていい訳?すぐ始まるんだろ」
「そうなんだけど……」
「何?」

 どうしてだか俯いてもじもじし始めた亘に、美鶴は訝しげな視線を投げる。まだ着替えてもいないんだから、さっさと部室へ行った方がいいだろうに、本当に大丈夫なんだろうかと美鶴の方が不安になってきてしまう。

「亘?」

 呼びかけながら彼の腕にそっと触れれば、弾かれたように顔を上げる。美鶴の触れた方とは逆の手で美鶴の手を捉えると、縋るような目をしてこう言った。

「大丈夫だよって、言ってくれる?」
「は?」

 美鶴が怪訝そうな声を発すると、亘はまたしても俯いてしまった。口の中でもぐもぐと呟く。

「……なんか、美鶴に大丈夫って言ってもらえれば、上手くいくような気がするんだよね……」
「なんだそれ」

 あんまりにもあんまりなその思考に、美鶴が思わず吹き出してしまうと、亘は上目遣いに恨めしげな視線を向けてきた。

「だってぇ、そうなんだもん」
「分かった、分かったから」

 降参降参とでもいった感じで美鶴が空いている方の手を上げると、亘は途端に顔を輝かせた。その様がなんだかとても可愛くて、美鶴は苦笑を浮かべてしまう。
 幸せで、お気楽なお子様の亘。
 一時はそれが憎らしくて仕方なかったというのに、今はそんなこと微塵も思わない。そして美鶴をそんな風に変えてくれたのが他でもない亘なのだから、こんな可愛らしいお願いくらい、聞いてやらない訳にはいかないだろう。

 でもただ聞いてやるのではちょっとつまらないなんて悪戯心が湧いてきて、美鶴は亘に取られた手をちょっと引っ張った。それに気がついた亘が、首を傾げる。

「美鶴?」
「じゃあ、ちょっと来て」

 そう言うと、亘の返事も待たずにどんどんと歩き出す。ホームルームを終えたばかりでまだ沢山の生徒が残っている教室を出ると、昇降口へと向かう生徒達に逆らって、階段を上がる。

「ちょっ、美鶴?どこ行くの?」
「いいところ」
「はあ?だってこの先行き止まり……」
「そうだね」

 そうこうするうちに、屋上前の踊り場へと辿り着いた。生徒は屋上への出入りは禁止されているから、こんなところに来る物好きなどそういない。今だって、階下の喧騒をよそに、しんとしている。

 狙い通りだと美鶴はその面に笑みを浮かべた。反して亘は、訳が分からないという顔をしている。それでも亘は美鶴の手を離したりはしなかった。しっかりと握り締めている。

「亘」

 美鶴はそう呼びかけると、空いている方の手を彼の頬に添えた。亘がきょとんとした顔をするのに一層笑みを深めると、素早く顔を寄せた。ちゅっと、触れるだけのキスを彼の口唇に落とす。
 目を閉じてしまったので、その瞬間の亘の表情は見そびれてしまったけれども、顔を離してから目を開けてみれば、亘は顔を真っ赤にして、ぽかんと口を開けて美鶴を見ていた。時折ぱくぱくと口が上下するのだが、驚きのあまり言葉も発せられないようだった。

 それがあんまりおかしくて、美鶴はくつくつと笑いながら亘の背中をばんっ、と叩いてやった。すると金縛りが解けたかのように、亘があわあわしながら言い出した。

「み、みつる?おまえ、いま……」
「ほら、時間ないんだろ。頑張ってレギュラー奪ってこいよ」

 だが美鶴がそう言うと、はっとしたような表情をしてから青ざめて、慌てて走り出そうとした。その背中に、美鶴は呼びかける。

「亘っ」

 階段を下りかけていた亘が、顔だけで振り返る。美鶴は人差し指を口唇にあてた。

「お守り代わり」

 途端に亘の顔がぽっと真っ赤に染まる。美鶴はほら行ってこい、とばかりに手を振った。亘はこくりと肯くと、転がり落ちるようにして階段を駆け下りて行く。
 その背中を見送りながら、俺にここまでさせておいて、これでレギュラー取れなかったらどうしてくれようかと、美鶴はちょっぴり怖いことを考えていた。



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悪意無きイタズラ



 ふと気がつけば、部屋がしんと静まり返っていた。
 先刻まで亘とアヤがきゃあきゃあ言いながらゲームをしていたというのに、一体どうしたんだろうと、美鶴は没頭していた本から顔を上げた。椅子をずらして、背後を振り返ろうとする。二人はリビングのテーブルに腰掛けた美鶴の、ちょうど真後ろにあるテレビの前に陣取っていた筈だったからだ。

 だが美鶴が椅子ごと半分ほど振り返ったところで、突然の襲撃に遭い、それは叶わなかった。

「お兄ちゃーん」

 そう言って、椅子に座ったままの美鶴に正面から抱きついてきたのは、アヤだった。普段なら、アヤの突進くらい、楽々受け止められる美鶴だったが、流石に今回は分が悪かった。あまりにも突然だったことと、体勢が中途半端だったことが災いして、アヤが飛びついてきた勢いのまま、椅子ごと後ろにひっくり返りそうになってしまったのだ。
 美鶴は咄嗟にアヤを抱きしめると、ぎゅうっと目をつぶった。だが恐れていた衝撃が訪れることはなく、代わり後ろからもどーんと抱きつかれただけだった。

「美鶴お兄ちゃーん、僕達と遊んでよー」

 亘の能天気な声が美鶴の耳をくすぐる。

「そうよー、遊んでよー」

 続いて、美鶴にきゅうきゅう抱きついている所為で、幾分くぐもった声でアヤも言う。それから二人で、楽しそうにくすくすと笑った。一人で本なんか読んじゃってねー、つまんないよねー、なんて会話が、美鶴を真ん中に挟んだままで交わされる。
 あまりのことに呆気に取られて、ただぼんやりと二人の顔を交互に―――といっても、後ろからしがみついている亘の顔は視界にちらりと入る程度だが―――眺めていた美鶴だったが、冷静になってくるにつれなんだか、段々と、腹が立ってきた。

 それも当然であろう。たまたま上手いこと亘が支える格好になったから大事には至らなかったけれども、危うく美鶴とアヤは、椅子ごと後ろにひっくり返るところだったのだ。美鶴はともかく、アヤが怪我でもしたらと考えると、ぞっとする。
 そんな思いが口調に表れたのだろう。美鶴が亘の名を呼ぶと、亘は勿論、どうしてだかアヤまでぴたりと黙り込んだ。それから二人して、ぱっと美鶴から離れると、美鶴の目の前に寄り添って立った。

 美鶴が苛立ちも露に、亘を叱ってやろうと口を開きかけた時、亘とアヤは顔を見合わせると口をそろえてこう言った。

「美鶴お兄ちゃんが怒ったぁ」
「は?」

 当たり前だろ、と続ける間もなく、二人は芝居がかった調子で手を取合い、怖いね、おっかないね、なんて言い出す。けれどもアヤは今にも笑い出しそうな顔をしている。亘だって、必死でおかしいのを堪えているのか、時折顔をそらしたりしている。
 そんな二人を見ていたら、なんだかもう真面目に相手するのが馬鹿らしくなってきて、美鶴はがっくりと項垂れた。大きなため息を吐いてから、搾り出すようにしてこう問うた。

「……遊ぶの?」
「うん!」

 亘とアヤが、すかさず声を揃えて頷いた。



本当はやらしい方向だったんですが、アヤちゃんの前ではちょっと……、と思いとどまってしまいました(笑
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惚れた欲目を差し引いても



「それでね、アヤが羨ましいんだって。おかしいよねぇ、その子もお兄ちゃんいるのに」
「へえ、そうなの」
「どうしてなのかなぁ、取り替えてって言うのよ。絶対に駄目だけど」
「あはは、美鶴も絶対嫌って言うよ」
「ほんと?」
「当たり前じゃない」
「そっか」
「それとも……なんか心当たりあるの?最近美鶴に怒られた?」
「そんなんじゃないもん」
「ごめんごめん、怒らないでよ」
「アヤはずっとお兄ちゃんと一緒だもん」
「そうだよね。うん、その通りだ」
「……どうしてなのかな?」
「なにが?」
「普通、自分のお兄ちゃんが一番じゃない?」
「うーん、それはどうだろ……」
「どうして?アヤはお兄ちゃんが一番好きよ。あ、二番目は亘お兄ちゃんね」
「ありがと、僕もアヤちゃんが大好きだよ」
「亘お兄ちゃんは妹がいないから、アヤでいいの?」
「妹がいたとしても、アヤちゃんのこと大好きになったと思うけどね」
「でも自分の妹が一番でしょ?」
「うーん、だからそれがねぇ……」
「なんで?どうして?」
「えーっと、たとえばさ、美鶴はアヤちゃんにすっごく優しいじゃない?」
「うん、……でもときたま怒るよ」
「それはアヤちゃんがちょっと悪いことしちゃったりした時でしょ?でもそうじゃないお兄ちゃんもいるんだよ」
「どうして?」
「どうしてって言われると困るんだけど……そうなんだよ」
「いっつもおっかないの?」
「そうそう、そうやっておっかないお兄ちゃんもいるんだよ」
「……ふーん……」
「よく分からない?」
「うん、だってお兄ちゃんは優しいもん」
「そうだよねぇ、アヤちゃんにとってはそれが当たり前だから、難しいか」
「アヤがなんにも悪いことしなくても、怒るの?」
「うん、そういうお兄ちゃんもいるね。弱いものいじめ?ちょっと違う気もするな……」
「そういうお兄ちゃんは、妹のことが嫌いなの?」
「それがそうとも言い切れないから難しい訳で……」
「でもそんなお兄ちゃんはアヤ、嫌だな」
「うんそうだね、もしかしたらそのお友達の家も、兄妹仲が悪いのかもしれないね」
「だから取替えっこなんだ」
「多分だけど」
「でもアヤは絶対に、絶対に嫌なの」
「そりゃそうだよね、美鶴お兄ちゃんは最高だもんね」
「うん」
「優しいだけじゃなくって、勉強も出来るし、運動も出来るし、格好いいし。天は二物を与えないなっていうけど、あれ絶対嘘だよねぇ。じゃあなんで美鶴は文武両道、容姿端麗かって話……」
「おい」
「……なに美鶴?」
「いいからちょっとこっちへ来い」

 そう言って美鶴は、先刻から芦川家のリビングのソファーに座って、なにやらアヤと話し込んでいる亘を呼びつけた。ちょいちょいと、犬でも呼ぶように指先を振れば、亘は怪訝そうな顔をして、それでもアヤにちょっと待っててねと言い残して、美鶴の方へ近づいてきた。
 亘が手の届く範囲に到達するなり、美鶴はその手を取るとぐいと引き寄せた。亘がわわわっと慌てた声を発するのにも構わず、二人してアヤに背を向けるような体勢を取ってから、彼の首に腕を回すと顔を近づけた。

「おまえ、さっきからなにしてる訳?」

 その耳元に、極力怒りを抑えて囁く。すると亘はぽかんとした顔をする。

「なにって……美鶴がちょっと家のことする間アヤちゃんと話しててって言うから、話してただけだよ?」
「そういう問題じゃなくって」

 物分りの悪い亘を怒鳴りつけてやりたい衝動を必死で抑えながら、美鶴は言った。

「さっきからなに恥ずかしいこと言ってるんだよこの馬鹿」
「恥ずかしいこと?」

 しかし亘は首を傾げるばかりだ。

「なにが?」

 そんな亘の態度に、美鶴はもう無性に腹が立ってきて、亘の首をきゅうっと締め上げてやった。実はほんのちょっぴりの照れ隠しであったのだけれども、そんな事実は無論亘には内緒だ。

「ちょっ……みつるくるし……」

 亘は目を白黒させながら呻いている。ソファーでは、アヤがきょとんとした顔で二人のやり取りを眺めていた。



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食べさせてあげようか?



「転んじゃった」

 真っ白い包帯に包まれた右手首を顔の前に突き出しながら、亘は苦笑混じりにそう言った。すると美鶴は途端に眉を顰め、まじまじと亘の右手を見つめながら、ぼそりと呟く。

「……どじ……」
「……ハイ、その通りです」

 多分そんなもんだろうな、なんて覚悟はしていたけれども、やっぱり冷たい美鶴の態度に、亘は少々へこみながらも素直に認めた。

「僕の注意が足りなかった所為ですすみません」
「分かってるなら……」

 しかし更に追い討ちをかけようとする美鶴には、流石にちょっとむっとしてしまった。彼の言葉を遮るようにこう言う。

「……美鶴は酷い」
「どうして?」

 心外だ、という表情で美鶴が答える。亘は恨めしげな視線を美鶴に向けた。

「だって、普通はまず大丈夫?とか聞かない?」
「聞かない、そんなのは見て分かる」
「……はあ、そうですか……」

 なんだかここまで言われてしまっては、もう何も言い返すことは出来なくて、亘はがっくりと項垂れた。そのままのろのろ美鶴の座るベンチへ向かうと、そこに腰掛ける。手にしていた弁当の包みを、膝の上に置いた。
 
 昼休みの中庭は、二人のように外で弁当を食べようという目的の為に集まった生徒たちで、大層賑わっている。その楽しげな喧騒を、どこか別世界の出来事のように感じながら、亘は危なっかしげに弁当を開けようとした。だが利き手を怪我してしまった所為で、なかなか上手くいかない。

 すると不意に隣から手が伸びてきた。亘の膝の上から弁当を取り上げると、さっさと包みを開けてしまう。それだけでなく弁当の蓋も、箸箱も。その手の持ち主は、勿論美鶴だ。
 突然のことに亘がぽかんとしていると、美鶴はちょっと考える素振りを見せてから箸を取り、卵焼きを摘んだ。それを亘の顔の高さまで持ち上げると、小首を傾げほら、と言った。

「え?」

 亘もつられて首を傾げる。すると美鶴は訝しげな顔をした。

「なんだよ、早くしろよ。俺が食べる時間なくなるだろ」

 そう言って、卵焼きを摘んだ箸を、微かにゆすってみせる。

「ほら、あーん」

 亘はあまりのことにただただびっくりしてしまって、口をぽかんと開けてしまった。するとすかさずそこに卵焼きを放り込まれる。

「次は?ご飯?」

 美鶴がそう問うてくるのに、亘は思わず肯いた。すると美鶴はご飯を一口分だけ取って、亘の口元に運んでくれる。今度は亘も素直に口を開いた。ぱくりとご飯に食らいつく。もぐもぐと口を動かしていると、美鶴が小さくため息を吐いた。

「全く、手のかかるヤツ」

 そう言って、苦笑を浮かべる。その手馴れた仕草に、亘はああ、と思った。
 きっと美鶴は、アヤに何事かある度に、こうしてご飯を食べさせてあげているのだろう。そうと思い至ったら、なんだか亘は嬉しいような恥ずかしいような、微妙な心境になってしまった。

 美鶴にとって最愛である妹のアヤと同じ様にいてもらえるのは、勿論嬉しい。でもそれって、美鶴の中で亘は、年下のアヤと同じ位置に置かれているということではないだろうか。実際は同い年なのだから、子供扱いされるのはやっぱり恥ずかしいし、ちょっぴり悔しかったりもする。

 だがそんな些細なプライドは、美鶴がご飯を食べさせてくれるという状況の前では、すぐに消えてなくなってしまった。

「ほら、次」

 美鶴がそう言ってウインナーを箸で摘んでいる。亘は笑顔で肯くと、あーんと口を開けた。先刻までの凹んだ気分は、いつの間にかどこかへ行ってしまったようだった。


亘を甘やかしすぎです!!!(笑)でも実際美鶴は世話焼きたいタイプだよね?
20060830UP



それは息をするのと同じ



 突然の雨音に、美鶴は跳ね起きると慌てて窓を閉めに行った。
 夕立だろう。バケツをひっくり返したような雨が視界を閉ざしていた。雨煙で一寸先の様子もおぼろげだ。美鶴はなんとなくその光景に目を奪われて、ぼんやりと窓辺に立っていた。
 どれ程そうしていただろう、不意に背後でうーんと伸びをする声が聞こえた。美鶴は振り返ると、口を開いた。

「起きた?」
「ん?うーん……」

 そう答えたものの、亘はまだ半分夢の中のようだ。リビングの床に寝転がったまま、とろんとした目を美鶴に向けている。美鶴は苦笑した。

「まだ、寝てろよ」
「う……ん、雨?」
「え?」
「雨、音が」
「ああ」

 美鶴は肯いた。

「降ってる、すごいよ。窓閉めたから、エアコンつけようか?」
「んー……そう、だね」

 こいつは本当に分かって答えているのか、それとも単なる寝言なのかと思いながら、美鶴はテーブルに向かった。エアコンのリモコンを手に取ると、電源を入れる。風邪をひいては困るから、温度高めの除湿にしておく。
 それから今一度床に目をやると、寝ぼけたような亘の視線をかち合った。

「どうした?」
「みつる」
「なに?」
「もう……起きるなら」
「ああ」

 亘の言いたいことを察して、美鶴は言葉をさらった。

「もう一眠り、するよ。アヤはまだまだ起きそうにないし」

 そう言って、美鶴も先刻まで昼寝していた場所へと戻る。美鶴を真ん中に、三人は川の字で床に転がり、夏休み中の特権、昼寝を満喫していたのだった。
 床に腰を下ろした美鶴は、剥ぎかけていたアヤのタオルケットを直してやる。そのあどけない寝顔に、相好を崩す。逆隣では、亘がもう寝息を立てている。

 いっそつまらないまでに平凡な情景だ。当たり前のようにここにあって、これからもずっと変わりないもの。
 でもそれが、ある日突然奪われてしまう可能性だってあることを、美鶴は嫌というほど知っている。
 前回は、チャンスが訪れた。女神は美鶴を見捨てたりしなかった。でも、次回は?もし次回が訪れてしまったとしたら、美鶴にはもうなす術がないだろう。

「どしたの?」

 唐突に声をかけられて、美鶴はびくりと身体を竦めた。

「恐い、夢、見た?」

 とっくに寝入っていると思い込んでいた、亘だった。寝惚けたような声で、大丈夫?なんて言っている。
 気がつけば強張っていたその面に、美鶴は無理矢理笑みを浮かべると、大丈夫だよ、と答えた。すると亘がつと手を伸ばしてきた。首を傾げる美鶴をよそに、亘は美鶴の手を取るとぎゅうっと握り締めた。ほにゃっと幸せそうな笑みでもって、こう言う。

「こうしてれば、大丈夫」

 そしてそのまま目を閉じると、すうすうと寝息を立て始めた。美鶴は苦笑を浮かべると、亘に握り締められた手と亘とを、暫く交互に眺めていた。
 確かに、こうして亘に今の幸せな現世に繋ぎとめてもらっていれば、何もかも大丈夫なような気がしてくるから不思議だ。
 もしかしたらそれは、女神の寵愛を賜った亘の、力なのかもしれない。

 雨は止む気配もなく、ざあざあと降り続いている。美鶴は吐息を漏らすと、床に寝転がった。先刻跳ね飛ばしたタオルケットを、しっかりとお腹にかける。亘のタオルケットも直してやってから、美鶴は静かに目を閉じた。
 
 目覚めても、この幸せな時が続いていることを確信しながら。



切ない系……?
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