ネガイ
美鶴は?なんて書いた?なんて、亘があまりにも分かりきった事を聞くものだから、美鶴はちょっと眉を顰めると、冷たい一瞥と共に答えてやった。
「受験生の願い事なんて、決まりきっていると思うけど」
すると亘はひどく傷ついたような顔をして、そんなぁ、と情けない声を出した。ところがすぐにはっとした表情を浮かべると、慌ててテーブルの上に広げてあった自分の短冊に覆い被さった。上目遣いに美鶴を見ると、見ちゃった?と問う。
「興味ない」
美鶴はあっさり切り捨てると、手にしていたサインペンをテーブルに置いた。美鶴の前の短冊には、几帳面な文字で“第一志望校に合格しますように”と書かれている。世の受験生が願い事を問われて、他に何を書くというのだろう。
美鶴の冷たい一言に、亘はまたしてもそんなぁ、と情けない声を上げている。おまえは願い事を知られたいのか、知られたくないのか、はっきりしろと思ったが、面倒だったので無視する事にした。
「ほら、書けたのなら行こう」
そう言って亘を促す。亘の住むマンションでは、毎年子供達の為に、エントランス前に大きな笹が用意されるのだという。住民は勿論、近隣の子供たちも自由に使ってよいのだそうだ。だから美鶴もどう?と誘ってきたのは、亘だった。本来ならば七夕なんて全然興味のない美鶴だったけれども、今年は受験という事情もあって、縋れるものなら神様でも仏様でも彦星でも織姫でも一応縋っておこうかなと思ったのである。
だが亘はテーブルに覆い被さったまま、恨めしげな目で美鶴を見ているばかりだ。
美鶴はため息を吐くと立ち上がった。
「行きたくないなら、俺は一人で行くけど」
そう言ってくるりと部屋のドアへ向かってやれば、背後から行く行く、行きますっ、なんて焦った声が聞こえる。ちらりと振り返って見てみれば、急いで立ち上がった亘が短冊を手に、テーブルを飛び越えて美鶴に向かってくるところだった。ぎょっとした美鶴が身構えると同時に、勢い余った亘が美鶴にぶつかってきた。美鶴は咄嗟に手を差し伸べて、亘の身体を支えてやる。
「……なにやってるんだよ」
流石にちょっと頭にきて、低い声で文句を言ってみる。けれども亘はへらへら笑いながら、ごめんごめんと全く悪びれた様子がない。美鶴は重ねて文句を言ってやろうとして、ふと自分たちがまるで抱き合っているような格好でいるのに気がついて、口を噤んでしまった。亘の体から、ぱっと手を離す。だがなんとなく気持ちが治まらなくて、そのついでに亘の手から彼の短冊を奪い取ってやった。一体彼がどんなにくだらない事を書いているのか、見てやろうと思ったのだ。
しかしその文面を見て、美鶴はちょっと固まってしまった。お世辞にも綺麗とは言えないけれど、丁寧に書いたと知れる文字はこう綴っていた。
“ずっと美鶴と一緒にいられますように”
亘はすぐに美鶴の手から短冊を奪い返すと、なにするんだよ馬鹿!と憤っている。そんな亘の罵り声を、美鶴はぼんやりと聞いていた。つと手元の短冊に目を落とす。
“第一志望校に合格しますように”
一見すると美鶴の願い事のように見えるが、実はそうではなかった。だって美鶴は安全圏にいるのだ。試験を受けられないような事態に陥ったり、試験日によっぽど体調を崩したりしなければ、まず落ちる事はないと、太鼓判を押されている。対して亘は、美鶴と同じ学校に行きたいばかりに、ちょっと、いやかなり無理をする事になってしまった。そりゃもう必死の必死で頑張らなければならない程に。
結局願い事は一緒だった訳だ。
美鶴は思わず苦笑を浮かべてた。
でも今更そんな事言えないから、暫くは黙っていよう。そう、もし亘が美鶴と同じ学校に受かったら、教えてやってもいいかもしれない。
美鶴の隣でぶつぶつと文句を言っている亘を見ながら、美鶴はそんな事を考えていた。
終