「……美鶴ぅ……」
今にも泣き出してしまいそうなのを、なんとか堪えて絞り出した声は、とても小さく、掠れていて。けれども辛うじて彼の元へと届いたという事は、ちらりと寄越された視線でもって亘にも知れた。
だが美鶴は、すぐに亘から目を逸らすと、妹を伴って職員室の方へと歩いていってしまったのだ。
「あの人、お兄ちゃんの事呼んでなかった?」という妹の問いかけに、美鶴がその横顔に曖昧な笑みを浮かべるのを、亘は昇降口にただ呆然と立ち尽くし、眺めていた。
長い長い帰り道
「三谷ぃ、おまえ本当に大丈夫かよ」
自分の席に納まり、机に頬杖をついてぼんやりしている亘の周りをちょろちょろしながらカッちゃんが言うのに、亘は心ここに在らずといった態でうん、と答えた。先刻からこんな問答ばかりを繰り返している。
気がつけば、昼休みになっていた。午前中の授業を、給食を、どのように過ごしたのか、亘はさっぱり憶えていなかった。それどころではなかったからだ。
―――美鶴。
亘は胸のうちで呟いた。美鶴、芦川美鶴。幻界で亘が最期をみとった、大切な大切な友達。どうしても一緒に現世に帰りたくて、でも叶わなくて。初めて経験する人の死に、亘の幼い心は張り裂けんばかりに痛んだ。そうして後悔した。美鶴と共に現世に帰れる方法があったのではないか、亘が上手くやらなかったから、こんな結末になってしまったのではないかと。
失敗したら、二度と現世には戻れない。確かに美鶴はそう言っていた。けれども亘は、心のどこかで信じていなかった。いや、信じたくなかった。美鶴が死んでしまったなんて、絶対に認めたくなかった。
だから今朝カッちゃんに美鶴の存在を否定された時、亘は頭が真っ白になってしまった。認めたくないからといってなかった事にしていても、現実はいつか必ず自らに降りかかるのだ。逃げていてはなんにもならない。良くも悪くも現実を受け止め、受け入れ、乗り越えてゆく強さを、亘は幻界で学んできた筈だったのに、またしても亘は逃げ出そうとしていたのだ。
美鶴は亘の勝ちだと言った。でも本当に勝ったのはどっちだったろう。だって亘はやっぱりこんなにも弱い。受け入れ難い事実に、泣いて、叫んで、嫌だと駄々をこねたかった。美鶴のいない現世なんて、信じられないと。ただあんまりにもショックだったから、あの時は呆然としてしまっただけなのだ。
だが美鶴は違ったじゃないか。願い叶わず死に瀕した時、美鶴はあんなにも穏やかだった。穏やかに現実を受け入れていた。それだけじゃない、泣き喚く亘を、諭してさえくれた。幻界に旅人を迎える女神の真の目的が、現世の運命を悲観している者にそれを乗り越える強さを身に付けさせる事だとしたら、美鶴だって決して失敗した訳でも、負けた訳でもなかったんじゃないだろうか。
そしてその答えは、亘の目の前に現実となって現れたのだ。
亘は小さくため息を吐いた。何時の間にかカッちゃんの姿が消えている。何を言っても生返事ばかり返す亘に呆れて、他の友達のところへ行ったのだろう。教室内を見回してみれば、果たして数名の同級生と教卓を囲んで何やらふざけあっている。その様子がとても楽しそうで、亘も思わず笑みを浮かべてしまった。
その時、亘は不意に気がついた。教室の前の、開け放たれたドア。そこに佇む人影に。
亘は弾かれたように立ち上がっていた。あんまり勢いよく立ち上がったものだから、椅子をひっくり返してしまった。耳障りな音が教室中に響き、同級生達の視線が亘に集まる。何やってるんだよ三谷、なんて非難の声が上がるのに、亘はごめんごめんと言いながら慌てて椅子を直し、改めてドアを見た時には、既に彼の姿はそこから消えていた。でも見間違いなんかじゃない。見間違える訳がない。絶対に絶対に美鶴が亘のクラスを覗いていたのだ。
だからどうしたっていうんだ。
自分に自分で突っ込みを入れつつ、亘は椅子に沈み込んだ。転校生が隣のクラスの様子をちょっと気にするのなんて、別段不思議な事でもなんでもない。亘は机に両肘をつき、組んだ手の上に額を乗せた。はあ、と大きなため息を吐く。
亘の隣のクラスにやってきた転校生の事は、すぐに亘のクラスにも伝わってきた。昼休みの今では、きっと5学年全体に広まっている事だろう。刺激の少ない学校生活において、転校生はそれだけでも大ニュースなのに、今回は加えて美鶴の容姿が最大の噂になっているようだった。亘のクラスの女の子たちも、休み時間に早速偵察に行ってきたようで、格好いいとかなんとか、きゃあきゃあ騒いでいる。
変なの。亘は不貞腐れた顔でそう思った。前にも同じ事している筈なのに、全部なかった事になっているなんて、凄く変だ。しかも前と同じ事をしている筈なのに、前よりもよっぽど騒がれているなんて。
その事情を知る唯一の存在であるところの亘は、ぐったりと机に突っ伏してしまった。考えるまでもない、理由は明白だ。美鶴の運命は幻界へ行く前と変わっている。どうして願いが叶ったのかまでは流石に亘にも分からないけれども、運命が変わった事によって、現世での出来事も修正されたのだ、きっと。そうでないと、死んでしまった筈の妹が突然生き返ってくるなんて、大騒ぎになってしまう。ニュースとかにも取り上げられてしまうかもしれない。そんなの美鶴は絶対に嫌がるだろうから、逆にそれで良かったのだと亘も思う。
じゃあどうして亘が不貞腐れているのかというと、それは自分でも認めたくない程、くだらない理由からだった。
美鶴が亘を忘れてしまっているであろう事実は、朝の美鶴の様子で亘にも容易に知れた。それも運命の修正に伴う必要事なのだろうし、あんなに辛い過去なんて、美鶴にとっても忘れてしまった方がいいに違いないのは亘にも分かる。分かるけれども、理屈として納得するのと、感情が納得するのとではまた話が違ってくる。
だって幻界で二人は、ようやっと本当の友達になれたのに、それが全部なかった事になっているなんて。しかも美鶴だけが忘れてしまっていて、亘ははっきりと憶えているなんて、酷すぎると思うのだ。
それだけじゃない。美鶴は幻界へ行く前の彼とは、ちょっと様子が違っていた。
美鶴が気になって仕方のない亘は、朝のホームルームが終わると同時に、カッちゃんたちと早速隣のクラスへ向かっていた。そしてそこで目にしたものを、亘は俄かに信じる事が出来なかった。
席に着いた美鶴の周りを、隣のクラスの生徒たちが取り囲んでいた。それは亘だけが以前も目にした事のある、転校生を迎えたクラスではごく当たり前の風景だ。
ただ、美鶴の態度が、以前とは違っていた。矢継ぎ早に繰り出される同級生たちの質問に、美鶴はちょっと困ったような顔に笑みを浮かべて、丁寧に答えていたのだ。時折皆で、笑いあったりしていたのだ。
咄嗟に亘は、ずるいと思ってしまった。美鶴の笑顔をそんなに簡単に得られてしまうなんて、ずるいと。自分はあんなに苦労して、最後の最後で漸く友達と認めてもらったというのに、同じクラスになっただけで友達面するなんて、ずるいと。
くだらない。
間違っている。
言われるまでもなく、亘は重々承知している。そして今の美鶴こそが、本来の彼の姿なのだとも。
幻界へ行く前の美鶴は、辛い過去に押し潰されそうになっていて、懸命に虚勢を張る事で堪えていただけなのだ。好き好んであんな冷たい、すました、嫌なヤツだった訳じゃない、と思う。
それでも亘は、そんな彼だったからこそ惹かれたのではないだろうか。互いに重い現実を抱えていたという事情もあったが、決してそれだけではなかったと、亘は思うのだ。だって亘が美鶴を気にしだしたのは、両親の離婚を知る前だったのだから。
不意に大松ビルで初めて会った時の、美鶴の顔が脳裏を過ぎった。瞳を潤ませて、恐れと期待の入り混じった声で妹の名を呼んでいた。その表情に、その声に、亘はきっと捕らわれてしまったのだ。
けれども、亘だけの知っている美鶴は、いなくなってしまった。勿論その方が美鶴にとっていいのだけれども、紆余曲折の上で得た、大切な大切な友達を失くしてしまった亘が、悲しむのは許して欲しかった。確かに、もう一度友達にはなれるかもしれない。だが幻界が結び付けてくれた二人の関係には、絶対に戻れないだろう。だから美鶴が忘れてしまった事を、残念に思うのは許して欲しかった。
校内に鳴り響くチャイムの音に、亘はのろのろと顔を上げた。机の中から5時限目の授業の教科書と、ノートを取り出す。亘はふうと吐息をもらすと、椅子にきちんと腰掛けなおした。
こうしてこれまでと変わりない日常を送っていれば、いつかきっとこの胸の痛みも消え去り、笑って美鶴の事を、幻界の事を思い出せるようになるのだろう。今の亘に出来る事といえば、その日が早く来るようにと祈るのみだった。
しかしそんな日がまだまだ当分訪れそうにない事は、その後すぐに証明されてしまった。授業中、あまりにもぼんやりしている亘に、先生の雷が落ちたのだ。そして教材の後片付けを命じられてしまった。
亘は一人放課後の教室に残り、教材の後片付けをこなしていた。カッちゃんは、じゃあ頑張れよ三谷ー、なんて言葉を残してさっさと帰ってしまった。薄情なものである。西日の差し込む教室で、亘はなんだか切なくなってしまった。そんなに時間がかかる訳でもないのだから、ちょっとくらい待っていてくれてもいいのに。それでなくとも今の亘は、美鶴に忘れられてしまって、酷く傷ついているのだから。
そんな風に思うなんて、八つ当たりもいいところだ。事情を知らないカッちゃんが、亘の気持ちを気遣ってくれよう筈がない。分かっていて、それでも亘はとても悲しくて、うっかり泣いてしまいそうにさえなった。慌ててごしごしと顔をこすると、急いで残りの片づけ物を済ませた。生徒の殆どが下校してしまった夕方の校舎は、それだけでもなんだかひどく物悲しい。そんな雰囲気が亘の悲しみに拍車をかけているのだ、きっと。早く、帰ろう。帰って、布団に包まって、思い切り泣いてしまえば良い。そうして涙と共に悲しみを身内から流しだしてしまえば、美鶴の無事を、願いの成就を、ただただ喜んであげられるのではないだろうか。
そう考えて学校を飛び出した筈の亘だったが、ふと気がつけば大松ビルの前に佇んでいた。工事が再開し真新しくなったシートの端が、夕暮れの涼しい風にはたはたとはためいている。そんなものをいくら眺めていたところで、どうにかなる訳でもないのに、馬っ鹿だなぁと亘は思った。でもこんな些細な行動に、亘が美鶴をどれ程大切に思っていたかが現れているようで、亘はその面に苦笑を浮かべた。
ここまで来たら、ついでに三橋神社にも寄っていこうと、亘はそちらに向かって歩き出した。三橋神社は、亘が美鶴と初めて口を利いた場所だ。美鶴の危ないところを、運良く亘が助けたものだから、最初は結構いい感じで話をしていたのに、亘の不用意な発言の所為で、台無しになってしまった。でも今になってみればそんな出来事もよい思い出だ。亘は鳥居をくぐって、二人並んで座ったベンチを目指す。そう、あんな風に美鶴は腰掛けていた。美鶴のおごりでジュースを飲んで、それが傷に沁みて痛くって……。
亘ははっとして足を止めた。あんまり物思いに耽っていたものだから、てっきり幻でも見ているのかと思った。でもそうじゃなかった。
美鶴、だった。
美鶴がベンチに腰掛けて、いた。ジュースの缶を片手で弄びながら、色調の薄い髪がさらさらと風に揺られて顔にかかるのも気にせずに、ぼんやりと、遠くを眺めている。
綺麗だと、思った。月並みな言葉だけれども、まるでこの世のものではないようだと、思った。決して亘の手に届かない、別世界の住人だと。
そしてそれはあながち間違いではないのだ。今の美鶴にとって亘は、単なる隣のクラスの一生徒にすぎない。どころか、同じ学校に通う隣のクラスの生徒だという認識さえあるかどうか、怪しいものなのだから。
亘はじりじりと後ずさりした。幸いにも美鶴は、まだ亘の存在に気がついていないようである。このまま気づかれずに、そっとこの場を立ち去ってしまおうと、亘は考えた。今朝の繰り返しはごめんだった。美鶴に無視されるなんて辛い事、一日に一度で十分だ。
だが美鶴に知られないようにと気遣うあまり、亘は変に緊張してしまったようである。静かに立ち去ろうとすればする程、どうしてだか身体がいう事を聞いてくれない。そうこうするうちに、亘はとうとう砂利に足を取られて後ろにひっくり返りそうになり、わっと大きな声を出してしまった。
しまった。そう思って慌てて口を塞いでも、もう遅かった。なんとか体勢を立て直し、顔を上げた亘が見たものは、ベンチから立ち上がり、じっと亘を見つめる美鶴だったのだから。
亘はもうどうしていいものやら、さっぱり分からなくなってしまった。咄嗟に曖昧な笑みを浮かべてみる。学校であんなに愛想のよかった美鶴だから、もしかして笑い返してくれるのではと、心のどこかで期待していたのかもしれない。だが美鶴は、そんな亘に無表情な顔を向けるばかりだった。
亘は顔を強張らせると、美鶴から視線をそらして俯いた。境内の砂利道をじっとにらみつける。ひどく情けない気持ちでいっぱいで、ぎゅっと唇を噛み締めた。そうでもしていないと、泣き出してしまいそうだったからだ。
からん、という乾いた音に、まるで金縛りにあったかのように固まっていた亘は、反射的に顔を上げた。涙の所為で、ちょっとぼやけた視界でもって、美鶴が空き缶を捨てたのだと知る。ゴミ箱は、美鶴を通り越した亘の正面辺りにあったから、美鶴はちょうど亘に背を向けるような格好をしていた。
今のうちだ。亘は心の中でそう呟いた。今のうちに逃げ出してしまおうと。
だって、こうして美鶴と向き合うには、時期尚早なのだ。亘はまだ、気持ちの整理が全然ついていない。悲しかったり残念だったりずるいと思ったり、そんな亘の気持ちを知る由もない美鶴は飄々としていて、実はちょっと憎らしかったり。そういった思いが亘の内をぐるぐると回り続けていて、とてもじゃないけど二人の間にあった筈の過去をなかった事にして美鶴に接するなんて、無理なのだ。勿論亘とて、今の美鶴ともまた仲良くなりたいと思う。思うけれども、今はまだ、到底無理なのだ。
亘は美鶴の方を向いたまま、足を一歩後ろに踏み出した。砂利道がざっと音を立てる。そのまま踵を返して走り出そうとして、けれども風に乗って届いた呟きに、亘はまたしても固まってしまった。
「やっぱり」
美鶴はまだ、亘に背を向けたままである。だが亘がその声を聞き間違える訳がない。
「来たね」
独り言だろう、気にする事はない。そう思うのだが、どうしてだか亘は動き出せずにいた。まるで美鶴の言葉には、未だに魔力が秘められているかのようだ。亘はその呪文に囚われてしまったのか。
亘の視界の中で、美鶴はゆっくりと振り返った。ちょっと首を傾げると、その面にほのかな笑みを浮かべる。目の前の出来事が俄かに信じられなくて、亘はただ呆然と美鶴の所作を眺めていた。
美鶴は亘を見据えると、静かに口を開いた。
「呼んでもないのに来るくらいだから、呼んだら絶対来ると思ってた」
言われている意味がよく分からなくて、亘は首を傾げてしまった。そもそも美鶴は、本当に亘に話しかけているのだろうか。実は亘の後ろに誰かいて―――なんて事だったらどうしよう。
すると美鶴は幾分驚いたような顔をして、こう言った。
「まさか……憶えてないのか」
「おまえこそ」
気がつけば亘は、大きな声で叫んでいた。今や視界は完全にぼやけていて、美鶴の姿もうっすらとしか確認出来ない。頬を暖かいものが伝い落ちていった。それきり言葉にならなくて、亘は腕を顔に押し当てると、肩を震わせてしゃくりあげた。朝からずっと悩んでいた事が馬鹿らしくて、でも嬉しくて、亘の頭の中はもうぐちゃぐちゃになっていた。
不意に、砂利を踏みしめる音が亘の耳に届いた。ざっ、じゃりっ。徐々に亘の方へと近づいてくる。でも亘はとてもじゃないけど顔を上げられるような状態ではなくて、美鶴の近づいてくるであろう足音に、ただじっと聞き入っていた。
足音は亘の前でぴたりと止まった。けれども亘はやっぱり、腕に顔を埋めたままでいた。美鶴がなんとなく逡巡しているように感じられたが、亘からはなんの反応も見せてやらなかった。だって、段々腹が立ってきてしまったのだ。どうして、どうして、どうして。口を開くと、その言葉だけが怒涛のようにあふれ出してしまうような気がした。
「三谷……」
美鶴が困ったような声で言う。と同時に、そっと頭を撫でられた。
「三谷、そんなに泣くなよ」
「……誰っ、の、所為……」
亘はなんとか声を絞り出して、答えた。本当に、誰の所為だと思っているんだ。ヒトの事無視したかと思えば、こんな風に声をかけてくるなんて。
「ごめん……」
亘の髪を優しく梳きながら、美鶴が呟いた。
「ごめん、だっておまえ絶対泣くと思ったから」
当たり前だろ、亘はそう答えたつもりだったが、声になってはいなかった。
「転校初日にあんまり目立つ事、したくなかったんだ」
美鶴がそう言ってから、ちょっと笑ったように亘には感じられた。勿論顔を腕で覆っているから、見た訳ではないけれども。
「守んなきゃならないものが、帰ってきたから、さ」
美鶴の手は、相変わらず亘の髪を優しく撫でている。ああきっと、アヤちゃんにもよくこうしてあげているんだろうなと、亘はぐちゃぐちゃの頭で、ぼんやりと思った。
「前みたいになりふり構わずって訳には、いかないんだよ」
その口調は困ったようでいて、実はとてもとても嬉しいのだと言外に物語っていた。美鶴はずるい。そんな風に言われてしまっては、亘はもう何も言えないではないか。だって亘だけは知っているのだ、美鶴がどんな願いを胸に、どれ程の決意を持って幻界へ行ったのか。
それきり、美鶴も口を噤んでしまった。ただただ、ゆっくりと亘の頭を撫ぜてくれる。そうしているうちに、亘も徐々に落ち着きを取り戻してきた。するとあんなにも大泣きしてしまった事が、突然恥ずかしくなってきて、亘は腕から顔を上げられなくなってしまった。軽く深呼吸をすると、泣いた所為で掠れ気味の声を出す。
「芦川はずるい」
「うん」
美鶴は素直に頷いた。
「そ、んな事言われたら、僕、文句も言えないじゃないか」
「うん」
「おまえに無視されて、幻界の事忘れちゃったんだろうって思って、僕がどんな気持ちだったか」
「そうだな」
美鶴はごめん、と呟くと、そうっと亘を抱きしめてくれた。背中をぽんぽんと叩かれる。なんだかとってもお兄ちゃんらしいと、亘は思った。これもアヤちゃんが帰ってきたからなんだろうか。美鶴はお兄ちゃんとして、いい意味で以前よりももっとずっとしっかりしたのかもしれない。
亘は顔を覆っていた腕を、そっと下ろした。すぐ目の前に、どうしてだかとても懐かしく思える、美鶴の顔がある。幻界で別れてから、まだそれ程の時が流れた訳でもないのに。でもあの時はこれで永遠の別れと思っていたから、その所為だろうか。
亘が美鶴の顔をじっと見つめると、彼は至極真面目な顔をして、言った。
「ありがとう」
亘が首を傾げると、美鶴はふるふると首を横に振った。
「分からなければ、いいんだ」
「なんだよ、それ」
「すぐむくれる、だからお子様だっていうんだ」
眉を顰めて美鶴が言うのに、亘は思わず笑みを浮かべてしまった。確かに美鶴だ、亘のよく知っている美鶴だ。そう思ったら、とにかく滅多矢鱈に嬉しくなってきてしまって、亘は勢いよく美鶴に抱きついた。突然の亘の行動に、美鶴はわっと叫んで、それでもなんとか亘の身体を支えてくれた。
「三谷……」
多分美鶴は亘に文句を言いたかったのだろう。だが亘は彼の言葉を遮ると、こう言った。
「おかえり、芦川」
そうしてちらりと美鶴の様子を伺えば、美鶴は面食らったような表情で、一瞬ぽかんと亘を見ていたが、すぐにその面に笑みを浮かべた。
「ただいま、三谷」
終
映画その後を捏造。
な ん で す が、途中から完全に何を書きたかったのか見失いましたすみません。
近日中にリベンジ予定。
20060713 完結
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