気づかれてはいけない
「小村がにらんでる」
「……は?」
ぽつりと呟かれた美鶴の言葉に、亘は頼まれた教科書を差し出しながら、間の抜けた声を発してしまった。咄嗟に振り返り、カッちゃんの姿を探してみる。しかし亘の視線が捉えた彼は、クラスメイトと楽しそうにおしゃべりしているばかりだ。
「気のせいじゃないの?」
教室の戸口に佇む美鶴に顔を向けながら、亘は言った。どうしてそんな風に思うのか、不思議で仕方がない。何故ならば二人は、ろくに話をしたこともないからだ。
すると美鶴は、ちょっと困ったような表情を浮かべた。教科書を受け取りながら、ゆるゆると首を横に振る。
「気のせいなんかじゃ、ないよ」
そう言って、ひょいと肩を竦めてみせた。その、いやに断定的な物言いに、亘は不審を覚える。
「美鶴……カッちゃんになにしたのさ」
ついそんな風に聞いてしまったのも、仕方のないことだろう。だってカッちゃんが美鶴になにかするなんて、どうしても想像出来ない。でもそれが逆だったら……なんでだか簡単に想像出来てしまうのだ。美鶴は亘たちより、ずっとずっと大人だから、かもしれない。
「……なんでまず俺を疑うんだよ……」
だが当の美鶴は、亘の台詞にむっとした表情で眉を顰めている。そんなところはやっぱり同い年の子供でしかなくて、亘は思わず顔をほころばせていた。
「だって、そりゃあ……」
亘が意味深長な笑みを浮かべつつ答えると、美鶴にじろりとにらまれた。にらんでるのはカッちゃんが美鶴を、じゃなくて、美鶴が僕をでしょ、と思った亘は益々笑みを深めた。
「っと、そろそろ行くわ。すぐ返しに来るから」
ちらりと教室の時計に目をやった美鶴は、はっとした表情でそう言うと、はたはたと教科書を揺すった。
「教科被ってて助かったよ、ありがとう」
「どういたしまして」
亘もひらひらと手を振って、自分のクラスへ戻ろうと踵を返した美鶴に答えた。
ところが美鶴は、束の間歩きかけたものの、すぐに亘の元へと戻ってきてしまった。もう休み時間も残り少ないというのに、どうしたのだろう? と亘は首を傾げ、美鶴の動向を見守った。きっと、ぽかんとした顔をしていたに違いない。
亘の傍らに再び立った美鶴は、何故か歪んだ笑みを口元に浮かべていた。まるで自らを嘲っているかのようなその面に、亘はどきりとする。だがそのことを亘が問う前に、美鶴が口を開いた。
「俺も」
「え……?」
「俺も、小村のこと、あんな目で見てるかな?」
「さあ……って、なんで美鶴はそう思うのさ?」
先刻から、美鶴がなにを言いたいのか全く分からない亘は、ちょっとだけ苛立った声音で応じてしまった。すると美鶴は、先までの深刻さが嘘だったかのような、ヒトを小馬鹿にしたような笑みを零した。
「きっと、同じこと考えてるから」
そう呟く。
と同時にくるりと身を翻した美鶴は、亘に疑問を口にする暇も与えずに、さっさと歩き出した。肩の高さに上げられた手が、話はこれでおしまいだとばかりに、ひらひらと振られている。
あまりにも理解し難い美鶴の言動に、亘は暫し呆然とその後姿を見送っていた。だが時間が経つにつれ、段々と腹が立ってきてしまった。まるで謎かけのような言葉だけ残すなんて、美鶴は亘を苛々させたいとでも言うのだろうか?
「もう……なんなんだよ」
美鶴の背に向かって吐き出された言葉は、しかしチャイムにかき消されて彼に届くことはなかった。
「ま、意味は大分違うと思うけどね」
同じようにして、自嘲混じりに呟かれた美鶴の言葉も、亘の元に届くことはなかった。
終
連載物が行き詰まったので書いてみた小話。
最近微妙系が好きらしい(笑)
061125拍手お礼としてUP 061128ちょっと手直し 061129更に手直し
更に手直ししました。お楽しみ頂けると是幸い。
20070110
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