秘め事
「あれ、三谷だ」
遠く、背後からそんな声が聞こえてきて、亘と並んで歩いていた美鶴は足を止めた。当然亘も、立ち止まっている。揃って振り返ると、ぶんぶんと手を振りながら駆けて来る小村の姿が目に入った。彼と気づいた亘も、手を振り返している。
「カッちゃん、どうしたの?」
「オレ?オレはお使いよ。おまえは……芦川といるとこ見ると、また勉強か?受験組は大変だなぁ」
小村は二人の前で、きゅっと急ブレーキをかけたかのように止まると、息を切らせる事もなくそう言った。美鶴にもちらりと視線を寄越してきたので、一応ちょっとだけ頭を下げてみる。すると小村は、途端にうへぇっという表情を作ってみせた。
小村が何を考えているのか、美鶴には分かるような気がする。―――芦川って堅苦しいヤツ、オレの親友は、なんでこんなヤツと仲良く出来る訳?―――きっとそんなところだろう。それを言うならば、美鶴だって不思議に思う。どうして三谷は、こんなにちゃらんぽらんで馬鹿なヤツと親友なんだろう。宮原とか、もっと他にも三谷に相応しい友達はいるだろうに。
だが美鶴は馬鹿じゃないからそんな事は言わないし、表情にも表さない。ただじっと黙って、二人のやり取りを聞くだけだ。
「うんまあね。でもカッちゃんだって折角の土曜日にお店の手伝いなんだろ?偉いじゃん」
亘がニコニコして言うと、小村はえへへと照れ笑いをした。
「オレはもうずっとだから」
家の手伝いをするなんて当たり前だろうと、美鶴は思った。他にする事といったら、遊びくらいしかないくせに、それをわざわざ褒めてやるなんて、だから三谷はお人好しだっていうんだ。
そんな美鶴の胸の内など知る由もない二人は、二言三言楽しげに話をすると、じゃあと言って別れた。小村が、来た時同様ぴゅーっと走り去って行く後姿を、美鶴は見るとはなしに眺めていた。つもりだった。
「……美鶴、目が恐い」
「そんな事ない」
ぽつりと呟かれた亘の言葉に、美鶴は過剰なまでに反応し、言い返してしまった。これではその通りだといっているようなものである。しまった、そう思ったところで今更どうしようもない。美鶴は仕方なくむっつりと黙り込む事でこの話題をやり過ごそうとした。だが以前と違って、これ位では煙に巻かれてくれはしないだろう。その程度には二人の付き合いは長く、深いものになっていた。
亘は大きなため息を吐くと、行こう、と言って美鶴を促した。言われてみれば二人は、小村を見送ったまま道の真ん中に突っ立っている。亘が美鶴にちらりと視線をくれてから、ゆっくりと歩き出したので、美鶴もそれに倣った。なんとなく、美鶴が亘の後を追うような格好となった。
暫くはそうして二人無言のまま、駅までの道を歩いた。ところが、美鶴がもう大丈夫かもしれない、今回は亘も細かい事には突っ込んでこないかもしれない、と思い始めた頃になって、亘は唐突に話を蒸し返した。
「おまえ、さ。時々恐いよな」
「……なにが?」
咄嗟に美鶴は分からないふりをする。そんなの一時の時間稼ぎにもならないのに、どうしてだかそうしてしまった。
亘はまたしても大きなため息を吐いた。先を行くから、その表情までは窺えないけれども、きっと呆れたような顔をしているに違いない。
「カッちゃん、嫌い?」
誤魔化そうとしたら、直球でこられてしまった。美鶴は返事に窮してしまい、黙り込む。亘は三度はぁ、とため息を吐いた。
「まあ分かんないでもないけど。美鶴とカッちゃん、正反対だもんなぁ」
分かってるならくだらない事を聞くなと思ったが、やっぱり美鶴は黙っていた。
「困っちゃうよなぁ」
「なにが?」
流石に聞き捨てならなくて、美鶴は刺々しい声で問い返した。どうして、どうして美鶴が小村に冷たいと、亘が困ってしまうと言うのだ。亘が自分の好きなように友達付き合いしているなら、美鶴にだってそうする権利はある筈だ。そして美鶴は、あんな馬鹿で、無神経で、ちゃらちゃらしているヤツと仲良く出来る神経は、生憎持ち合わせていないのだ。
その時、亘が突然立ち止まって、くるりと振り返ったので、美鶴は彼にぶつかりそうになってしまった。だがそうなる事を想定していたであろう亘が、美鶴の両肩を掴んで止めてくれたので、危うく正面衝突だけは免れた。美鶴は亘の唐突な行動を責めようと口を開きかけたが、亘の彼を見る視線がいつになく真剣なのに気づいて、結局なにも言う事が出来なかった。亘はそんな美鶴をじっと見つめてから、口を開いた。
「おまえは気にならないのかもしれないけど」
その有無を言わせぬ口調に、思わず美鶴は肯いてしまった。実は亘がなにを言いたいのか、全く分かっていなかったのだが。
亘は美鶴をひたと見つめたまま、続ける。
「おまえが感じ悪いとか色々、聞かされちゃう僕の身にもなってみろよ」
最後まで聞いても、結局美鶴は亘がなにを言いたいのか、よく分からなかった。言いたいヤツには言わせておけばいい、美鶴は常々そう思っているからだ。なのにどうして亘が気にするのだと、美鶴は首を傾げてしまう。それで亘にも美鶴が理解していない事が分かったのだろう。ああ、もうと吐き捨てるように言った。
「おまえがよくても、僕が嫌なの。……ちょっとは考えてよ」
そこで一旦言葉を切った亘は、きっと美鶴をにらんでから、不意に美鶴の耳元に口を寄せてきた。美鶴は、まるで内緒話でもするみたいだと、他人事のように思っていた。けれども告げられた内容には、目を丸くしてしまった。確かに大きな声では、とても言えない類の話である。
亘は自分の言いたい事だけ言うと、顔を離すついでに美鶴からも離れた。美鶴はそんな亘の所作を、ただ呆然と眺めていた。亘はちょっと頬を赤らめて、一見怒っているかのように顔を顰めている。でも美鶴には、亘が照れているだけだと知れた。
「分かった?」
その表向きの表情と同様にぶっきらぼうな口調で亘が言うのに、美鶴は反射的に肯いていた。勿論先刻とは違って、きちんと意味を把握した上での事である。
亘は美鶴の了解を見て取ると、くるりと踵を返して歩き出してしまった。弾かれたように美鶴も歩き出す。亘は美鶴の事など全く気にかける気配もなく、どんどん先を行ってしまう。もう通いなれた道だから、亘がいなくとも美鶴は一人で駅まで行く事は出来る。出来るけれども、なんだか今日はそんな気分ではなかった。きっと、さっきの、亘の言葉の所為だ。
美鶴はもう随分と空いてしまった亘との距離を詰めるべく、ぱっと駆け出した。亘の背中が、ぐんぐん近づく。美鶴は右手を伸ばすと、亘の上着の裾を掴んだ。
「ごめん」
そんな言葉が美鶴の口をついて出た。亘はつと足を止めると、美鶴の方へ顔を向けた。ちょっと困ったような顔をして、別に謝んなくても、なんて呟いている。美鶴はふるふると首を横に振った。違う、そうじゃないんだ。でもつまらない自尊心が邪魔をして、それを亘に告げる事は出来なかった。
亘はなんだかよく分からないという顔をしている。美鶴はちょっと笑みを浮かべて、小首を傾げた。
「行こう、もう暗くなり始めてる」
気がつけば、随分と日が傾いていた。ぽつぽつと街灯も灯り始めている。今日は駅までの道のりを、いつもの倍以上時間をかけて歩いている。亘は周囲をきょときょとと見回してから、慌てた声で言った。
「え?あ、ホントだ。急ごう」
だが歩き出そうとして、美鶴がまだ亘の服の裾を握り締めたままでいるのに気がついたようだった。少し考えるような仕草を見せてから、亘は美鶴の手を取った。促されるままに美鶴が服から手を離すと、亘はにっこりと満面に笑みを浮かべてその手を握り締めた。
「さあ、行こう」
亘はそう言うと同時に、美鶴の手をぐいと引いて走り出した。手を繋いでいるから逆らう訳にもいかなくて、美鶴も仕方なく走り出す。
美鶴の目の前には、美鶴の手を引いて一歩先を行く亘の背中がある。その背中が随分と大きく感じられるのは、決して幻界での出来事の所為ばかりではないだろう。
ただの甘ったれのお子様だとばかり思っていたのに、結局美鶴は亘には敵わないのだ。
美鶴は亘に気づかれないよう、密やかにため息を吐いた。
本当は、小村だから気に食わないんじゃない。アイツが馬鹿だからとか、そんなのは取ってつけた言い訳だ。美鶴は宮原だって誰だって、みんなみんな気に食わないんだ。
そう、ただの嫉妬なんだ。
美鶴がそう言ったら、亘はどんな顔をするだろう。驚いて、それでもちょっとは喜んでくれたりするだろうか。それとも嫌がられてしまうだろうか。おまえがそんなに鬱陶しいヤツだとは知らなかったと言って、これまでのようには付き合えなくなるかもしれない。そんなの、美鶴は絶対、嫌だった。
だが美鶴が亘に本心を話せないでいるのは、それだけが理由ではなかった。美鶴ばかりがそんな事を思っているなんて、ずるいからだ、悔しいからだ、悲しいからだ。
くだらない自尊心だと、美鶴も分かっている。でもどうしようもなかった。
けれども美鶴はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ態度を改めようかと思い始めていた。
不意に先刻の事を思い出して、美鶴は今更ながらに頬が熱くなるのを感じる。そう、亘の為だったら、その程度の我慢は出来るだろう。
美鶴は繋いだ手を、ぎゅっと握り締めた。
―――好きなヤツの悪口なんて、聞きたくないだろ?
終
ワタミツを!って意気込んでたんですが、やっぱり微妙になってしまいました。
そいで色々納得いかないですが、もうどこをどう直したらいいのか分からなくなってしまいましたので、一旦アップ。
手直し入ったり、突然消えたりするかもです。
なんかこんだけのものなのに、すっごい苦労しているので(現在進行形)、宜しければ率直な感想をお聞かせ下さい。
20060703
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