あなたのために






 その日、亘は初めて美鶴の住む町に降り立った。幻界から戻り、互いの無事を確認してから、二人はこれまでにも何度か会ったりはしていたけれども、全部亘の家近辺だったのだ。美鶴も短い期間ではあるが、亘の家の側に住んでいた事があるから、知らない町へ亘一人で行かせるよりも、美鶴が亘を訪ねた方が良いだろうという、保護者達の判断からである。

 だが亘も六年生になり、漸く美鶴の家を訪ねる許可を邦子からもぎ取った。そしてめでたくも今日という日を迎えたという訳だ。

 ホームで亘は、待ち合わせ場所である中央口という矢印の階段を見つけると、足取りも軽く駆け上がった。美鶴に会えるのはちょっと久しぶりだったから、浮かれてしまうのも仕方ないだろう。階段を登りきると、すぐ正面に大きく中央口と書かれた改札がある。亘はポケットから切符を取り出すと、そこへ向かって歩き出した。駅構内はとても広く、複数の路線が接続されているのだろう、色とりどりの看板が各階段にかかっている。それで漸く亘にも、これまで邦子が亘一人で出かける事を渋っていたのが分かったような気がした。確かに迷子になりそうな広さである。

 帰りの電車に一抹の不安を覚えながら、亘は改札を抜けた。これまた広い改札前コンコースの真ん中辺りまで進んでから足を止め、きょろきょろと周囲を見回す。すると探すまでもなく、とうに亘に気がついていたらしい美鶴が、真っ直ぐこちらへと向かってくるのが見て取れた。亘はもう嬉しくなってしまって、満面に笑みを浮かべると手を振った。

「芦川」

 美鶴もその面に微かな笑みを浮かべて、手を振り返してくれる。

「三谷、すぐ分かったか?」

 亘の目の前で立ち止まった美鶴はそう言った。亘はこっくりと頷く。

「うん、だって一本だよ?迷いようがないよ」
「そうか」

 美鶴もひとつ頷くと、ひどく優しい目をして亘を見た。まるで小さな子供によく出来たね、とでも言っているかのような眼差しで、亘はなんだか居た堪れない気分になってしまった。美鶴は時折そういう目で亘を見る。

 亘が勝手にうろたえていると、美鶴はじゃあ行こうかと言って、すっと手を差し出した。それには流石に亘もびっくりしてしまって、まじまじと彼の手を見つめてしまった。それからゆっくりと顔を上げれば、美鶴はきょとんとした顔で、じっと亘の様子を伺っている。亘はおずおずと口を開いた。

「あのえっと芦川……僕小さな子じゃないから……」
「え」

 美鶴はちょっと驚いたような顔をして、声を上げた。それからすぐに表情を曇らせると、ああそうだったごめんと言って、くるりと踵を返してしまった。亘の事など意に介さず、どんどんと歩いて行ってしまう。亘は慌てて美鶴の後を追った。休日ともあって、コンコースはそれなりに混雑している。二人は人込みを縫うようにして、出口へと向かった。

 先を行く美鶴の背中を見つめながら、亘は失敗したなぁと反省していた。だって美鶴の背中はとても寂しそうだ。手を繋ぐくらい、恥ずかしがらずにしてあげれば良かったのに、どうしてあんな事を言ってしまったんだろう。

 美鶴の胸中を思い、亘はなんだか泣きそうになってしまった。美鶴はきっと、彼よりもまだずっと幼く見える亘に、大切なヒトの姿を重ねているのだ。そうして大切なヒトにしてあげたくて、でもしてあげられなかった事の数々を、亘に与え消化しようとしているに違いない。それは多分、幻界での出来事を共有した、亘だけが知りうる事だろう。

「あしかわっ」

 後少しで駅構内から出られるという所で、亘は半ば叫ぶような格好で美鶴を呼び止めた。美鶴はつと足を止めると、訝しげな表情で亘を振り返る。なんだか切なくて堪らない心中を誤魔化す為に、亘は歯を食いしばると、無言でぐいと右手を突き出した。美鶴は首を傾げる。

「三谷?」
「やっぱり、ヒト多いし、芦川歩くの早いし、僕ここ知らないし、だから、だから」

 亘は一息にそう言うと、突き出した右手を僅かに揺すってみせた。美鶴はさっきと同じようにちょっと驚いたような顔をして、しかし今度はその後に苦笑してくれたのだった。

「うん」

 美鶴は頷くと、亘の手を取った。きゅっと握り締めて、ゆっくりと歩き出す。亘も彼に従って、歩き出した。
 ちらりと横目で美鶴の様子を伺えば、その面には嬉しそうな笑みが浮かんでいて。亘もつられてにっこりと微笑んだ。そしてふとこう思う。
 亘は、美鶴の為だったらなんでも出来るんじゃないだろうか、と。

 尊大な思い込みかもしれない。でもそうありたいといつしか亘は願っていた。
 それが美鶴というヒトを知ってしまった亘の、現世での役目のように思うのだ。

 とりあえず、もう暫くは子供のままでいようと、亘は密かに決意するのだった。









美鶴は根っからのお兄ちゃんなのだと思う今日この頃。
知り合いの中学生兄は、幼稚園児妹と菓子の奪い合いで喧嘩してるからさぁ(笑

060726拍手お礼としてUP

061125



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