【車掌17号祖父の立ち読み】

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楽しいつづり方教室 16


 引用は、自分の文の中に他人の文を引き込んで用をしてもらう、一風珍しい表現手段です。そして用が終わったら帰ってもらうわけではなく、そのまま自分の文の一部として居残ってもらうので、引用文は他人の文とはいえ他人の文ではありません。他人の文の子供であり、自分の文の一部です。だからよく、「人の言葉を借りる」と言いますが、借りたら返さなきゃいけないのだから、でも返さないんだから、本当はそれは「人の言葉をもらう」と言わなけりゃいけません。
 引用には1内容・表現そっくりもらう原文通りの引用と、2内容だけもらう原文通りじゃない引用とがあり、1の場合は「 」で囲む、あるいはアタマを一字か二字下げて書く、2の場合は要約したり表現を変えたりして地の文として書く、と決まっています。それから、誰からもらったかは必ず記述しなければならない。と決まっています。
 駅前でタダで配られているポケットティッシュも、もらうには「歩幅をタイミング良くティッシュ配りの人のリズムに合わせる」という苦労をしなければならず、しないで箱に入っているのを無断で持ってったら「盗んだ」ことになっちゃうように、法治国家のもとでは「ものをもらうにはいちいち決まりや手続きが必要」と決まっているからです。だから引用も先の決まりを守んないでもらったら、もらったことにならず「盗んだ」ことになってしまいますので、気をつけましょう。

1 紹介するために引用する

<例1>毎日新聞「新刊」
◇岩田由美句集『春望』
二十代なかばから三十代へかけての9年間の作品を収める第一句集。日常の平凡ともいえることがらに俳意を見いだす。【葱だけを見てとんとんと葱刻む】(花神社・2600円)(Y)

●当たり前の引用
 本を紹介するためにその中身を引用するのは、とても当たり前なことなので「当たり前の引用」と呼ばれています。当たり前なのでそのありがたさをついつい忘れてしまいがちですが、もしないと、とても大変です。
●大変1
 まずないと、引用だけでなくその前の説明の方も、あるけどないことになってしまって大変です。「◇岩田由美句集『春望』 二十代なかばから三十代へかけての9年間の作品を収める第一句集。日常の平凡ともいえることがらに俳意を見いだす。(花神社・2600円)(Y)」と、せっかくこれだけの文字を連ねても、読者の記憶に残らない、読んでも読まなかったことになる、あってもなかった文章になってしまうのです。

引用がないと文全体がなかったことになるから大変(大変1)

 せっかくお弁当のチラシが来ても、「岩田由美弁当 二十代から三十代へ、日常の平凡な材料を収めました。花神社から発売。」としか書いてなかったら、どんな弁当だかさっぱりわかんないから、ちっとも興味がわかず、すぐゴミ箱へ捨てられてしまうでしょう。
 それと同じで、岩田由美なんて知らない人なので、その人の「二十代のなかばから三十代にかけての9年間の作品」と言われても、抽象的過ぎて全くピンと来ない。そしてわからないことは知りたい、と思うのが人間の常ですが、わからなすぎると知りたいと思わないのが人間の常、ちょっとわからないことは頭の隅に引っかかってもどかしいけど、全くわからないとわからなかったこと自体忘れ去ってしまうのが、人間の常であるからです。

●なるほど1
 それが弁当のチラシにもし弁当の写真が載っていたら、葱だけをどんどん詰め込んだ写真が載ってたら、「なるほどこれが岩田由美弁当だな。日常的な材料だな」とわかるので、がっかりはしますが記憶には残ります。
 同様に、終わりに【葱だけを…】と来ると、「なるほど日常の平凡ともいえることがらとは、葱のことだったのか」(なるほど1)とか、少しわかります。具体例を照らし合わせることにより、初めて説明文の意味が生きてきます。引用を読むことで、初めて説明の方も読んだことに、あったことになるのです。


岩田由美って結局誰なのだろう。この先もえんえん岩田由美を引用、目からウロコの文章論が展開されます。この回は、単行本には収録されていないはず。祖父号には小沢剛、嶽本野ばら、謝琳らが登場。

17号の特長●祖母号と祖父号を買って結婚させ、子供を作り、それに嫁(婿)をとって子供を生ませ孫となる「孫特集」でまごまごする。
目次…富士山の子孫繁栄/孫くんのこと/古事記の孫(前半)/孫訪ね歩きなど。