12月17日
武蔵小山のソーブン堂に、去年私が出した本『ドキュメント・ザ・尾行』が並んでいた。並んでいたといっても、私の本がずらーっと並んでいたわけではなく、とても目立たない棚に、目立たない感じで一冊だけ突っ込んであったのだ。そしてその棚には何の傾向も対策もなく、文学から実用から尾行からクイズからいろんな本が突っ込んであって、私の本の隣りには、『戦略の条件』という軍事関係の本が突っ込んであった。
手に取って見てみると、これを書いたのは「朝日新聞編集委員・アエラスタッフライター」で「軍事専門家」の、「田岡俊次」という人だ。55歳位の人だ。年齢も性別も職業も書いている本も、全く私と共通するところのない人だ。でも、ソーブン堂で私の本はこの人の本と偶然、隣り合った。この隣りの人・田岡俊次さんにも、寄稿をお願いしようと思う。
家に帰り、麦太を沐浴に連れていく準備をしていると、隣りの、風林堂のおばさんに会った。そして母乳を止めるようまた強く勧められ(このおばさんは何故か母乳が嫌い、布おむつも嫌い)、ベビーカーのおくるみを三角にする方法を教えてもらう。おばさんは偶然隣りの人ではあるけれど、近所には「車掌」のことは内緒だから、残念だけど原稿はお願いしない。赤ん坊のことばかり話し、別れた。
12月21日
隣りの人を差別してはいけないので、『戦略の条件』の人にも手紙を出そうと思い、発売元の悠飛社に電話する。アエラの人なので「アエラ編集室」に連絡するよう言われ、言われるままアエラを図書館に借りに行く。そしたらこんな平日なのに休館だった。
12月23日
今日こそはアエラを借りに図書館に行こうと思って図書館のカレンダーを見たら、天皇誕生日のため休館だった。そして明日も何のためだかわかんないけど休館だった。その次の日は月曜日なので休館だった。そして火・水と開いて木曜日からもうずっと、年末年始で休館だった。だから今日も軍事専門家への手紙を書けない。そして明日も明後日も書けない。
12月26日
やっと図書館が開いた。隣りの本、田岡俊次著『戦略の条件』を借りる。アエラも借りる。そして私は知らなかったけど、どうやらこの人はものすごく偉く、有名な人だとわかる。青木さんへの依頼の手紙の10倍ぐらい時間をかけて手紙を書き、ものすごく疲れる。
1月5日
留守中軍事専門家の田岡先生から、「依頼の内容がさっぱりわからない」と、電話がかかってきたそうだ。そして私からかけ直すことになっているそうだ。私は電話がうんと苦手で、嫌いで、それから車掌を知らない人に私の口で車掌を説明することは不可能で、それから田岡先生の『戦略の条件』は、借りたけどまだ読んでないからボロが出るかもしれなくて、明日は尾行なので今日はサッサと食べて飲んでおっぱいあげて寝ちゃいたくて、と、すごく電話をかけたくなかった。でも、かけなくちゃならなかった。
そして電話すると、奥さんが出て、先生はまだ帰宅してないそうだ。「車掌編集部のトウジマ」であると言う。しばらくしてかけ直す。まだ帰っていない。今日が仕事の初日なので何か(飲み会とか)あって遅くなってるのかも、ということだ。「こちらからかけさせますよ」と優しく奥さんは仰ってくれるけど、その甘い言葉に甘えてはいけない。「こちらからのお願いなので、またこちらからかけます」と言うと、「明日は11時頃までならいると思う」と奥さん。仕方ないけど尾行中電話しよう、今日はもうあきらめて寝よう。
と思っていたら、11時すぎに向こうからかかってきた。そして奥さんは甘いけど、旦那の先生の方は甘くなく、辛く、苦く、怖かった。「東芝の社長」から電話があったと伝わったそうだ。それもこれも私がきちんと名乗らず、電話番号も告げなくて、失礼だからだ。とたくさん怒られる。それから私の原稿依頼の内容が、さっぱり要領を得ず、これも失礼だ。と更に怒られる。そして先生は文学とか情緒とかは大嫌いで、そういうのを一切排除したサイエンスの世界に生きていて、極端な話一万人死んでも二万人助かればよいという非情な世界に生きていて、だから全然畑違いだ、と言われる。だから書けるわきゃないじゃないか、と断られるのだな、と思いながら謝っていると、だから私が書くとしたら偶然がテーマなら歴史における偶然と必然、隣りの人がテーマなら朝鮮半島になりますよ、浮いちゃいますよ、と、先生は仰った。先生は「車掌」に原稿を書いてくれるそうだ。あまりにも嬉しく、あまりにも驚いたので、電話を切ってからとうじ魔とうじに絡んで言い争いになる。
田岡俊次
「隣りの人」――軍事・平和問題的見地からの論考「車掌」編集部の塔島ひろみ様から昨年十二月、お手紙で執筆のお誘いを頂いたとき、私は全く解せない思いだった。面識も紹介者もないというばかりではない。文章は誠にしっかりしているのだが、どうも趣旨がいま一つ飲み込めないのだ。「偶然特集号」を出すので、「隣りの人」という題で、原稿料なしで何か書いて欲しい、というご依頼であるのだが、なぜ私が「隣りの人」なのかと言えば、武蔵小山の駅近くの書店の棚で塔島女史のご本「ザ尾行」の隣に偶然にも拙著「戦略の条件」が並んでいたから、「隣の人」なのだ、というお話だ。その主観的なロジックには首をひねったが、同時に、「詩人というのは我々とは全く異なる発想ができるようだ」と好奇心を刺激されたのもたしかだった……