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2002/01/13 AKIRA
あう〜足がいてえ。今日はシモキタから始まって、原宿、渋谷、新宿を看板求めてウロウロした。全然くるまなど使わずに歩く。かなりへとへとだ。何か疲れない方法はないものか。ありません。 裏原宿はピンクドラゴンの近くに写真のような会社があった。ネオ東京は壊滅状態になると思います。
2002/01/12 怪談
母と叔父の葬儀について打ち合わせをした。
そのとき叔母の話になった。
母によれば、叔母はストレスがたまって体がハガネのようにガチガチに固まってしまったのだそうだ。「体から砂が出るんだって」と母は言う。
え。砂? なにそれどういうことと問いただしたら「いや。よくわかんないけど、体中に吹き出物ができてつぶすと砂が出るんだと」と言う。砂が。
蛍光灯の下、ちらつくテレビの前で一心不乱に砂を出す老女。奥の間にはドライアイスが詰まった棺桶。
うわわああああああああああああ。
2002/01/11 叔父死亡
見舞いに行った叔父が亡くなってしまった。あ、叔父は伯父だと思ってたら叔父だった。でその叔父、めったにあわない叔父は亡くなった。叔父は長年、大井競馬場の厩務員をしていた人だから、今年はうまどしだからきっと大丈夫。そう思っていたのに。干支なんてほんと、何の意味もありゃしない。
しかし本日は友引、連休をはさんで休み明けがまた友引、そして火葬場は予約でいっぱい。
というわけで、叔父は現在、自宅でドライアイスに埋もれ一週間も火葬場待ちをするそうで18日の大安に通夜と相成った。えっ一週間…? うーむ…それはどうでしょう。
2002/01/08 伯父危篤
伯父が危篤だというので大森へ見舞いに行った。
実は人の見舞いに行ったことはあまりない。
完全に他人だったら、お気の毒ですね早く良くなって、と言えば良いだろうし、完全に他人でありながら見舞いに行くということは親しい間柄だから、まったくビックリしちゃったわよ鬼の霍乱じゃないのなんて軽口を叩いて元気づけるだろう。
家族であれば、何か食べたいモンないのテレビカードここに置いとくよと事務連絡をする。
でも「めったに会わない伯父」を見舞うのは難しい。めったに会わない伯父とはいやどーも御無沙汰してますと言ったあとに、伯父さんもお元気そうでとか、皆さんおかわりないですかとか、定年されてどうしてらっしゃるのとかそういう質問をするものだ。でも相手は病人。しかも危篤。なのに意識不明とかではなくちゃんと話ができる状態で、付き添い人(伯母とか)はいない。
それで凍ってしまいました。
だけど病状について質問しているうちに解凍した。そして病人がもっとも興味を持つのは、その病気についての話だということがわかった。これから見舞いに行くときは、病気についての知識を仕入れていこうと思った。
2002/01/07 デカ看板
看板はお店の名前がドーンとでかく、あと電話番号などのデータや出前迅速などのキャッチフレーズが書いてあることが多い。だけど歌舞伎町の看板はアイキャッチが最重要だ。えっなにコレと道行く人の足をとめさせ、奇跡の薬だって〜ギャハハちょっと入ってみよっかーというアイキャッチ看板が求められる。歌舞伎町だから看板もキャッチセールス体質なのかもしれない。
なので歌舞伎町の看板はキバツだ。ハデだ。でかい。でかいとは、ブツが巨大という意味でもあるけど、態度がでかいというかボリュームがでかいというかそういう意味。ワキをしめて前に出ろはシノヤマキシンの教え(カメラ撮影)だが、歌舞伎町看板はワキががらあきのまま前へ前へと出てる。総身に知恵が回りかねてる。でも総身ではなく下半身にのみ回れば良いからそれで良いのだ。うまくできてるなー歌舞伎町の看板。
2002/01/06 ポスター
新宿や渋谷で看板を探す。デジカメって便利だ。フィルムもいらず、安上がり。今のデジカメはストロボもついているから夜も撮影できる。便利〜、なんでも撮っちゃうもんね〜ルンルン♪ それで関係ない毒詩人辻盛ハヤトという人のポスターまで撮影してしまった。
末永直海さんの日記によれば、くそったれ詩人の絶叫ライブは物静かな原稿読み上げライブなのだそうだ。まあ他人には静かに聞こえても毒詩人にとっては最大音量で絶叫してるのかもしれず、そう思うとこのポスターは全部主観で書いてるような気がする。毒詩人の主観だけど、人称がないので誰かが評価してるような気がする。でもそんな気がするのは私の勝手であって、毒詩人が嘘つきなわけではない。
よく考えればポスターというか、広告はみんなそういう仕組みで書かれているような気がする。あっいけねえ、また気がしちゃった。最近、すぐ気がするので困る。気は自由な生活をしているせいか、すぐにする。気はあまりしないように、そう言い聞かせたところで気は気ままだから、すぐにする。困る。
2002/01/05 マクドテレビ
実家でずーっとテレビを見ていた。
ほかにあまりすることがない上、テレビは刺激的だからだ。ゲームみたいに自分で何かしなくても、自動的に向こうからタダでどんどんおもしろいことがやってきて、手ぶらでだら〜としてても享受できる。
大流行の携帯電話などキーはちまちまして打ちにくいし、しかも高い。テレビに比べるとインターネットもめんどくさい。テレビは本当におもしろい。テレビを見ている人に話しかけると、相手は一生懸命こちらを見ようとするが、どんなに頑張ってもちらりちらりとテレビを見てしまう。テレビの視聴覚刺激に人は耐えられない。
だけどテレビはちかごろあまり流行していないように思う。CSやケーブルテレビはともかく、地上波のテレビは文化的な評価が低い。CSが青山クア・アイナのアボカドバーガーだとすれば、地上波は平日半額の65円ハンバーガーだ。地上波は全然イケてない。つっこみどころもたくさんあって、家族でテレビ(地上)を見ながら好き勝手に文句を言うと家族間の結束が高まって良い。家族団らんには絶対テレビだ。

だいたいどれだけテレビの文句を言ってもテレビには聞こえない。誰も傷つけず誰にも気兼ねせずに悪口が思いっきり言える対象なんてほかにはない。日々テレビの悪口を言って暮らしている私も、テレビの人が目の前にいたら礼儀として悪口など言わないだろう。テレビと私の関係には何の責任もないから、テレビがとっても楽しいのだ。

でもふと、全国レベルで飛び交っているだろう罵詈雑言をテレビが聞いてたら、と想像して恐ろしくなった。聞こえはしないまでも、大規模な悪意はなんとなく伝わるだろう。だいたい今はインターネットもあるし、昔に比べたらよりリアルに悪口が見えるはずだ。
もしもテレビが普通の神経だったらそんな膨大な悪口、気になってどんなテレビを放映すればいいかわかんなくなる。だけどテレビは放映し続けなければならない。そんなの全然気にしないテレビの人もいっぱいいそうだが、きっと全体的には昔に比べて繊細になっているだろう。「どうすればみんなに好かれるの?」と混乱したテレビはますますイケてないテレビになる。
そう考えるとテレビはかわいそうかもしれない。でもつい、自分だけは大丈夫、テレビなんか聞こえてねーよOKOK! なんてまた悪口を言ってしまう。ごめんねテレビ。テレビの悪口言ってないとストレスたまってしょうがねーんだよ! これっていじめなのだろうか。ごめんねテレビ。
だけどテレビの人はテレビの人同士でテレビの中でなごやかに過ごしてお金持ちになる。辛いことを乗り越えた仲間だからこそ信頼が生まれるし、世の中の人は辛いことを乗り越えるのが好きだからテレビの人にお金を払う。それでテレビは65円バーガーと思われながらも幸せに暮らしている。よかったねテレビ。
2002/01/01 適当正月
ダレかが「2002年というきりのよい年に」と発言していたが、どうして2002年はキリがいいのだろう。上からよんでも2002、下からよんでも2002ということか。
今日は1月1日なので何か意味あることを書かなければならない、年頭所感とか。だけどとりたてて意味あることは考えなかった。
「あー正月なので雑煮つくらなきゃな」とか「正月だし酒飲むか」とか、でも餅は一袋しか買っておらず1回でなくなり、酒を買う習慣がないのでいつもの焼酎しかなく。朝起きぬけにはコーヒーをいれてしまった。
なんか「正月はこのように過ごす」というウロ覚えの記憶で適当に行動し、1日が終わった。
それはウチんちだけかというとそうではなく、ヨソんちもなんか適当だと思う。年賀状も元日には少ないし。こやってどんどん正月が適当になっていく。
2001/12/31 猟奇なサチコ
今年の紅白サチコは、衣装がサチコだった。と書いても見てない人には何のことやらわからないかもしれないが、ドレスのすそに陣取った人々が全員サチコの面をつけ、サチコの顔がサチコの衣装となって舞い踊るという、パノラマ島奇譚なドレスだ。
サチコ自身もはずした面をずっと顔の横に置いて歌い続け、最期に「わたしも自分探しの旅に出ます〜」と叫んで消えた。
川原あや子(たぶん)には「夜店のお面みたい」とコメントされていたが、私はかなりドギモを抜かれた。
えなりの早弾きや安田の勝利も、サチコの猟奇ドレスには勝てない。もしか森英恵デザインとかだったらもっと凄い。
2001/12/28 どうなるマーシー
yoichiさんちの忘年会にいった。
写真も何枚か撮ったつもりなのに、ストロボをたかなかったから全然ダメで、唯一見られるyoichi抜けの写真もちょっと心霊入ってる。
ウェディさんの作るお料理はあいかわらずハイセンスでおいしく、小ぶりな火鉢のような風炉で焼いた古代米のお餅は天国のような味がした。今回の忘年会の眼目は、
「どうなるアフガン、どうなるマーシー、どうなるサッチー」
とかだったが、自称・アタマのいい関口宏ことyoichiさんが車座になった客に問うたのは
「でぇ、結局、ビンラディンとマーシーはどっちが偉いのー」
というシンプルな内容だった。でも若者(25)の山ちゃんが
「ミニにタコは許す〜」
と発言したのは衝撃だった。意匠堂さんやタイジさんが物静かに的確なツッコミをいれていた。ていうか、yoichiさん以外の人は全員的確なツッコミ係になっていた。トリックスターyoichi万歳!
ハデ服の斉藤さんは
「これって中年しゃべり場?」
と言ってたのでyoichiさん的には満足いく討論だったと思う。
あとyoichiさんはしゃっくりのようなレイラなど、ギターのウルテクも披露してくれて、とても盛りだくさんな忘年会でした。
2001/12/26 おみつを囲む会
(映像はイメージです)中野でおみつを囲む会を開催した。
囲んだ人は私とbwとアミちゃんとまきちゃんとピロちんとバナナ王子様とこうちゃん。
それについて詳しく書こうと思ったが、私は昨日購入したばかりのデジカメで写真を撮影し、二日酔いのアタマでドライバやソフトをインストールして写真をとりこみ、イメージ映像を作るのにすごく苦労してしまったのでもう気力がない。
今回もアミちゃんにいっぱいおごってもらったあげく始発までつきあわせ、アミちゃんの知人の岩崎さんにも酒をたかったりしたので、アミちゃんには生涯アタマがあがらんと思った。
2001/12/24 クリスマスイブ
仕事がおわるかと思ったらおわんなかった。
カンヅメになって仕事をした。眠い。
うとうとして山下達郎の夢をみた。
山下達郎が駅弁を売ってて、陶器製のお茶とかも売ってるので『欲しいな』と思うが、何せ売り子が達郎だからアタシみたいな一般人が声かけちゃっていいのかしらと躊躇する。
時間にして3分ぐらいの睡眠だったけど、意識の片隅に「クリスマス」があっての達郎登場なのだろうか。たぶんそうだな、生まれて初めて見たし山下達郎の夢。その前に、山下清は意外と若くして死んだ事実を知ったことも関係あるかもしれない。でもやっぱクリスマスだ。ちくしょう、くやしい。
2001/12/22 車掌忘年会
今日は車掌の忘年会だった。きっと別に盛り上がらないだろう。原稿も揃ってないし、疲れ気味で憂鬱だし行きたくないなあ。そんな気持ちで目黒・白木屋。
でも静かではあるが楽しく、つまみはすべて写真より少ないがめちゃ安な飲み会だった。
参加者は塔島ひろみ編集長とかおるちゃんと舟久保さん、遅れてギャラリー アートスペースの篠原さん、鈴木ミワさん。
篠原さんの息子さんである調(しらべ)くんは4歳なのにもうグループ展に参加する俊英だそうだ。塔島さんが「美人だよねー」と言ったら篠原さんは「男です」と言い、塔島さんは「信じられない」と驚いていた。そして塔島さんの長女・麦子ちゃんと許婚者にしたら、という我々の提案は「麦子はブスだから悪い」という理由で却下された。
篠原さんは直立不動で寝るので、ネグセがつかないそうだ。とうじ魔とうじさんも「もし夜中になにかあって逃げ出しても恥ずかしくないよう、オシャレな服装でキメて直立不動で寝る。夢は全然見ない」(塔島談)のだそうだ。

車掌をコミケで売れば儲かるのでは、という話になって塔島さんには即却下されると思ってたのに「じゃーみんなで車掌のカッコして売りましょうか」とわりと乗り気だった。車掌のアイドル鈴木ミワさんがラムちゃんのカッコをすれば良いのでは、舟久保さんやかおるちゃんが同人みたいな絵(髪の毛をギザギザに)を描いておけば良いとか、コミケでしか売らない車掌スペシャルコミケエディションを作れば良いとか、全員が適当なことを言った。
あとハンサムな男の話になり、私が「とうじ魔とうじさんはカッコいいと思う」と言ったら塔島さんは「そうでしょ! 西郷輝彦に似てるよね!」と喜んでいたが、それは妻の欲目だと思った。
ほかには「裸エプロンはなぜセクシーか」「ぽえむ・ぱろうるでドッキリ」など多彩でとりとめのない話題がぽつんぽつんと飛び出し、鈴木ミワさんが「もう12時半にもなるんだけど」と言ったのであわてて解散し、終電で帰宅した。
2001/12/20 フーリガン
ワールドカップ目前でフーリガン対策が大変なんだそうだ、警察は。 先日は「イギリス国内で売ってる日本語会話のテキストで、フーリガンがヤジの勉強をしてる」みたいな報道もあった。
その日本語会話の例文には「寿司を全部食べたのは誰だ」など、フーリガン向けのものが多いそうだ。

スシヲゼンブ タベタノハダレダ!

ってヤジ飛ばすフーリガン。いいんじゃないのそれは。
2001/12/19 炭点前
趣味ゆうゆうを見たら「炭点前」というのをやっていた。
お茶では炭を炉にくべるのにも順番があって、炭にちゃんと火がつくかどうか客がじりじり寄ってって覗き込んだり、それだけで点前と呼ぶほど、亭主の見せ場がある。
茶会は、お金持ちが道具を見せびらかすために開くのかと思うけど、にじり口とか、一畳台席とか、ずいぶん前衛的だと思う。でも趣味ゆうゆうの先生は、冠二郎みたいな顔立ちで恰幅が良く常識的な雰囲気だった。

こないだの趣味悠々のお茶の話のときは、庭で茶事が始まるのを待ってるとき合図の鐘が聞こえたら、急にみんな地面に膝まづいて頭を垂れ、鐘の音に聞き入っていた。
今回のは夜ばなしだったので、手燭をかざして香合を眺めたり、懐石を食べたりしていた。懐石で出る米のごはんはほんの一口、しかもぐっちゃりしてる。それは「早くおもてなししようと思ってとりあえず大急ぎで炊きました」という気持ちをあらわすためだという。なんだそりゃ。
そんなことを、冠二郎が大真面目に解説していた。
こうした発狂的な芸ごとが日本の心や日本の伝統であるのは素晴らしい。
2001/12/15 おっぱい娘 
ともちんとともちんの友だちの恭子さんがそれぞれ子どもを連れて遊びにきた。
ともちんの子どもはいつのちゃんとこずえちゃんという女の子、小さくてとても可愛い。こずえちゃん(推定4歳)はおっぱいが大好きで、自分のおっぱいを見せて「おっぱいちっちゃい。いっちゃんのおっぱいもちっちゃい」と教えてくれた。そして私や長女に「おっぱい見して」と言うから見せたら「あーふとってる」と言われた。長女は、小遣いをはたいて買ったおっぱいのオブジェを見せてやり、自分のおっぱいは披露しなかった。
そして長女の指導のもと、落下傘のような飛行機のようなものを作ったがまったく飛ばず、車庫の車止めにテープで止めてあった。いつのちゃんに「これ何だろう?」と聞いたら「こーやってパンチしたらおっぱいもおおきくなってやせる!」と答えた。それを聞いたこずえちゃんは一生懸命パンチを繰り出していた。それから私にまた「おっぱい見して」と言うので見せたら「あーーーん」と口をあけていた。他人の子どもは可愛いなあと思った。
2001/12/14 たてもの園
江戸東京たてもの園にいった。
最近は「千と千尋の神かくし」の影響で来園者が多く、週末には1200人ものおきゃくさまが訪れたそうだ。
1200人なんて、小金井公園の規模でいったら少ないぐらいだが、たてもの園は普通の家が何軒かならんでいる施設だ。自分ちに1日で1200人の人が来ると思えば、ものすごい数です。
明日はウチにも5人のおきゃくさまがくる、それだけで「あーどうしよう」と思っているのに1200人てどうよ。どうよというか、1200人ならもう何をどうやってもムダだ。勝手にしてくれ。そういう気持ちになるだろう。
2001/12/11 ジブリ旅館
土曜日に珍しくおきゃくさまが来ることになった。中学の同級生だったともちんとともちんの友だちだ。
ともちんのともだちだからともちんとも。
ともちんたちは水戸からジブリ美術館に来るそうだ。水戸だなんて!すんげい遠い。私は歩いてジブリに行けるのに行かない。切符がないので。でも遠くのともちんたちは切符を持っている。私は切符を持ってないけど、建物が近くにあるから切符も入手したような、いや建物そのものを入手した気になってるに違いない。このままじゃ一生切符は手に入らないだろう。まあそれでもいいやという気はする。

子どものおきゃくさまもいれると人数がいっぱいになるので、茶の間には座りきれない。だからアレをアーしてコレをコーしたら広くなるなーとか、そうだお風呂は近所の銭湯にいくというのはどーだろう、ホモのハッテン場だけど。
などと、宿泊のアイディアを考えるのはなかなか楽しい。

そういえばこないだも従姉妹に「としえちゃんちはジブリ美術館が近いんでしょ?行きたいんだよねー」と言われた。私は、お近くへお越しの際はぜひお立ち寄り下さいなどと言ったけど、もしかしてウチんちがジブリへの拠点となるジブリ旅館化する?
うーん、だとすればトトロのぬいぐるみやナウシカの音楽などをかけて前夜から気分を盛り上げるというのもいいな。玄関をジブリグッズで飾るというのはどうだろう、もってないけど。
うちにたくさんあるのは新聞紙やコピー用紙だ。だからそれを切って、キキがほうきに乗ってるような形をつくって部屋にぶらさげるとにぎやかだ。あと、三平ストアのビニール袋を風船みたいにする。夢があって良い。
2001/12/10 ねぎらい
夜、PTA広報紙の校正に学校へいった。校正はすぐ終わったけどおしゃべりなどをしていたら教頭先生がやってきた。教頭先生は若くてハンサムなので人気だ。「ご苦労様です、こんな寒いのに」と我々をねぎらいつつ窓の鍵を閉めたりした。あっすいませんもう終わりますといってみんなすぐ教室を出た。昇降口でまたちょっとおしゃべりをしていると教頭先生が再び鍵をじゃらじゃらさせながらやってきた。そして「お疲れ様でした、お茶もお出ししませんで」とねぎらったので、みんなあわてて帰った。大店の奥様の客あしらいみたいだった。
2001/12/08 3Dはかわいくない
昼間は友だちのくくさんと御飯を食べてお茶を飲んだ。御飯をたべた「伽羅」という喫茶店では、ばーちゃんとその娘とその孫がみんなでヤングランチを食べたりしていた。くくさんもヤングランチを食べた。ヤングランチにはクラブハウスサンド、スパゲティ、魚介のフライ、サラダ、そしてパイナップルがついている。生のパイナップル。意外といいものだヤングランチ。だけど、イタリアンスパゲティも熱い鉄板にのっかっててケチャップ味で、かなり理想に近かった。
それからガストにいってドリンクバーでお茶を飲みながら、3Dソナーの話を聞いた。それは近頃はやりの立体的に見える超音波だが、実は別の箇所から撮影したのを演算して立体にみせてるだけだと知った。くくさんは「あれ、かわいくない」と言った。2Dのほうがかわいいそうだ。そしてくくさんは、位置の違う2箇所から撮ったものを無意識に立体視できるから、そのほうがとてもリアル3Dに見え思わず「わーホラ、かわいーい」と言ってしまうこともあるという。どちらも私の目には砂アラシのようにしか見えない。でもくくさんには見える。すごいことだ。
隣りの席にばーさんとかーちゃんと孫がいた。この組み合わせが大流行だ。彼らはドリンクバーを飲みながら、持っていたペットボトルのお茶もこっそり飲んでいた。
夜になってヒラバルのおばと一緒に山賊鍋を食べた。
本当は家で食事するはずだったのが、山賊鍋にいかなければという話になってきゅうきょ山賊鍋となった。だから家で食べるつもりだった馬刺しと牡蠣をこっそり持ってきた。ドリンクバーのお茶同様、持ち込みするのが筑豊流だ。
なのでヒラバルと我々は連携プレーで店員の見張りをし、すばやく牡蠣を山賊鍋に投入することに成功した。私は牡蠣が大嫌いだ。
鍋は山賊鍋と海賊鍋を1人前ずつとった。
8人で行ったのに全部で2人前である。それでも鍋はあまった。山賊や海賊はものすごく食べるので、ものすごく量が多い。あの〜カキ氷が山になってるとくずせないでしょう。ああいう感じに白菜が峻厳たる山を築き、しかも山賊が食べるからものすごく大きく切ってある。
ほんとうに山賊鍋を食べるのは大変だ。でもすごくおいしかった。特にからあげ。
2001/12/06 サッチー民主主義
サッチーが逮捕されましたよ! というニュースがワイドショーでも昨日の昼からやってるし、毎日新聞は一面にのってるし、また今朝のワイドショーでも放映中。こないだのフリーゲート(旧ライジング)の脱税よりでかいけど、金額はフリーゲートのほうが全然でかい。
なのに有田芳生はサッチーを社会巨悪みたいに言ってるし、十勝花子も「グッバイ、サッチー!」とケニーばりのコメントをしていた。
しかしどうだろう、国民はみんなサッチーのことをそんなに知りたいのか。逮捕直前のサッチーのようすとか、ケニーの談話とか、ミッチーのコメントとか、サッチーがのってる車の映像とか。
もしか明日の赤ちゃんの名づけ式までのつなぎなら、かなり非礼、戦前なら不敬罪で逮捕されるのにと心配になった。
でも現代は民主主義の世の中だから、「新宮様御生誕のお目汚し」なんつって配慮する人はいない。皇室のことを取り上げる瞬間だけ、とりあえずうやうやしくしておけば良い。それがテレビだし民主主義だ。
本当に民主主義とテレビはなかよし。民主主義万歳。
2001/12/02 つるべ
昼間なんでか、つるべの「えらなったなぁ〜スペシャル」というのをみた。漢字で書くと鶴瓶。
つるびんか。なんでつるびんなんだろう。だちびんならわかるけど。あっこれはあれかな、イソップ童話の話かな。狐が鶴を食事に呼んだら、狐のヤローがお皿にスープをよそって出しやがった。テメェばかやろーオレは鶴だぞ。こんなもんよう飲めんわ!と鶴はとても悔しくて、今度は狐を食事に呼んだ。そこで鶴が出したのは、細長い壺に入った豆でした。狐は細長い壺に手を入れることができなくて食べられなかった、オワリ。
壺ひっくり返すということはできなかったのだろうか。それにという字はホントーに壺ですね。
あ、じゃなくてつるべの話だった。つるべとイソップ童話は結局関係ない。

つるべっていくつも番組持っているけど、芸風は何なのだろう。今日は
「高橋尚子がアミノ酸のジュースで走って金メダルで、自分は足がつる、それはアミノ酸が足りないから。でコンビニに行って『ヴァームどこにあるんですか』と言ったら店員が『あー高木ブーが宣伝してるやつですね』と言った。自分としては不本意だったが『…まーそーです』と言ったら店員は『知りません』と言う。『なんで店員やのに知らんねん』言うたら『いや私向かいのケーキ屋の店員ですぅ』言うねん!」
といった内容のことを話していた。
それを聞いてたナンちゃんは「つるべちゃんのまわりはいっつも面白いことがあるネ!」と答えた。
うむ〜…私ならどうツッこむだろう。考えてみたけど何も思い浮かばない。きっとぼやーとしてしまうだろう。
こういうとき、三村はいいな。「ケーキ屋かよ!」とか「勘違いかよ!」とか大きな声で間髪いれずにツッこめば、『なんかつるべがへんなこと言ったらし〜ハハハハハ』と観客も戸惑わない。

しかしつるべってホント何なのかな…
2001/12/01 電通的
上場の前評判も上々だった電通、2ちゃん株式板によれば(それしか情報源がない)50〜60万はつくという予測だったのに、フタあけてみたら40万台。 ってだけでもおもしろいけど、なんとUBSウォーバーグ証券の人が61万円で16株を売ろうとしたのを間違えて61万株を16円で売り出してしまったそうだ。途中で気がついても6万株ぐらい売れたあと。 UBSは大損こいて買い戻し、2ちゃんは祭り、足元見た投資家が売り控え。そんで比例配分でオワリ。
でも、こんな大混乱になったら最初の段階で40万円台だったこととか忘れるだろう。16円なら私も買いたかったな〜。とシロートの私が考えるぐらいだから、これから沈滞気味の市場も活気づくかもしれない。
電通のやることは1から10まで電通だ。とことん電通、死ぬまで電通。
2001/11/29 シップ
「ソリューション」は「問題解決」なんだそうだ。けど、「ビジネスソリューション業務」てじゃあどういう意味なんだろう。ビジネスコンサルティングとは違うのか。

人と話してて、選手宣誓で「スポーツマンシップにのっとり」と言うのはなぜなんだと疑問がわいた。
のっとるといっても「乗っ取る」わけではないだろう。そんなことはさすがにわかりますよ、ええ。当然「則る」にちがいない。
だからスポーツマンはスポーツの規則に従ってフェアプレーをするよと。そういう意味だろう。
でも選手宣誓はときどき「スポーツマン精神にのっとり」とも言うので、シップは精神かもしれない。
フレンドシップ、クラフツマンシップ、そんなシップも「精神」と訳してもヘンではない。
だからやっぱりシップは精神だよ。と思ったら

ならばチャンピオンシップはどーなるのだ。

といわれた。チャンピオンシップはだいたい、王座戦みたいな感じのときに使われる。シップはだから「戦い」だ。
だけどそしたらフレンドシップは友情戦か。それはどういうものだろう。友情出演みたいなものか。
えー、うーん、えーともうわかりませんよく。
2001/11/28 できる
ここんところ徘徊しないでいろいろな会社に取材申し込みの電話をかけていた。
本当は広報に直接かけなければいけない。
でもなんでか大企業になればなるほど、ホームページに本社の電話番号とか載せてない。
しょうがないからお客様相談室みたいなとこに電話して、取材の申し込みなのですが、と言うとものすごく怪しまれる。怪しまれるので、あわてて怪しまれないようにテキパキ喋ろうと思っても、焦ってるから全然喋れない。
失語症になってる私に、電話の人はとてもスマートな声でいろいろ訊ねる。
広報部の人になると、受付の人の5倍ぐらいスマートになる。そして「ソリューション」とか「アウトソーシング」とか「ビジネスモデル」とか言われるのでさっぱり理解できない。でもその人ができる社員だという感じはする。理解はできないけど、できる人だ。その「できる」って何ができるのかは、ちょっとわからない。
ところでソリューションて何。
2001/10/23 谷中で聞いたブッチャー秘話
日曜日、友だちのオカツネ氏が上京したので東京案内をした。 オカツネは取締役だけど、プロレス&サッカー観戦が大好きで、いつもジーンズにTシャツで若社長らしさはない。しかしご飯や東京タワー代などをおごってくれる点は、ちょっと社長だと思った。

最初は飯田橋から大江戸線に乗った。大江戸線は駅がヘンなので、都民として自慢しようと思ったからだ。車内はとてもすいていた。オカツネは旅の途中でゲットした樹木希林が「えっウチもなの?」と驚いているチラシを、勝手に藤原紀香のポスターの上に貼り、我々は逆回りで上野御徒町に到着し下車した。

上野から日暮里まで山手線に乗った。山手線もすいている。今日の電車はとことんすいている。日曜日なのに。
日暮里で降りて、谷中墓地を回った。徳川慶喜の墓は門に閉ざされていたが、土まんじゅうの上に小石をばらまいたような、丸い変わった墓だった。あらかた回ったあと、全員が帽子をかぶってリュックを背負ったお年寄りの団体に出会う。帽子の人々は誰かの墓に並んでいたので、我々も並んだ。我々の番になったら、それは鳩山一郎の墓だった。並んでソンした。

オカツネから倉敷でのプロレス観戦の話を聞いた。なんでも、プロレスの巡業において、日本人と外人のバスは別なのだという。会場の駐車場で、オカツネは外人バスを発見した。すでに開場し、選手はいない時間なのにブッチャーが窓を開けて葉巻をくゆらせている。『あっブッチャーだ』と思った瞬間、黒い呪術師はオカツネを手招きした。呪術に吸い寄せられるようにバスへ近づいていき「今日は何試合目に出られるんですか?」と訊ねたが、ブッチャーはそれを無視して「オレの帽子をミロ」と自慢を始めた。ドーダ、オレの帽子はカッコイイだロー、オマエ欲しいダロー。と言うが速いか、ブッチャーは帽子のタバを出し、どれでも1個1500円だ、ミヤゲにどーだいと薦めた。
ブッチャーはグッズを手売りするために復活したのかなーと思った。
2001/10/11 横浜市営バス捕物帖 
今日、車掌のすいているシリーズのために上大岡というところにいった。帰りも雨がどしゃぶりだった。バス停でバスを待ってたけど、なかなかバスはこない。ものすごく雨はどしゃぶり。ずーと待ったら混んだ横浜市営バスが来て、運転席の横にようやく乗れた。
バスがワイパーをじゃかじゃか動かしながら進んでる途中、前をパトカーが走ってることに気づいた。パトカーの屋根には「港南」とでっかく書いてある。へー。パトカーの屋根って字が書いてあるもんなんだなー。
とか考えていたらパトカーが左に寄って止まり、そこから降りた警官数名が、どしゃぶりなのに、バスに「こっちへ寄れ!」って感じで棒を振り回している。
は??
もしかして運転手はシートベルトをつけてないのでは! とじーと見たが、きっちりシートベルトはつけていた。バスが左に寄ったら警官がわらわらやってきて、バスのドアをごんごん叩いた。 ドアを開けると数人の警官が緊迫した雰囲気でどばっと乗り込んできた。悪役商会の人みたいなにせものっぽい警官だがにせものではない。もしかしてテロ対策の検問。かばんチェックとかされたらイヤだなあ。神奈川県の地図とヒッピーの本と車掌が入っているし、ノートには「たぬきもいるらしい」とか「ヒトゲノムの解析」とか「正門はヘンジン橋」とか書いてある。(以上、国分寺の日立中央研究所の取材結果)
しかしそれは杞憂だった。
にせっぽい警官は「すいません、今このバスにちょっとした事件の犯人が乗っているという通報がありましたので調べさせて下さい!」と丁寧に叫んだ。「えーっ」とざわめく乗客に警官は「ちょっとした事件です、たいした事件じゃありません!」とまた叫んだ。
だけど私は警官のひとりが運転手に「実は放火…現場から逃げて…」と耳うちしているのが聞こえた。
それですぐさま後ろを振り向いたらもう蛍光黄色のパーカを着た、「そこがヘンだよ日本人」のキャプテン・ジョージにそっくりなちび男が捕まえられていた。
あとからよく考えてみれば、ちょっとした事件なら停留所に着いてから探せばいいじゃん警察。あと放火魔はなんだってこんなどしゃぶりの日に放火しなければならなかったのだろう。でもそんな事情は上大岡の人でなければわからないだろうし、私はただの通りすがりなので上大岡を快特であとにした。

2001/08/28 根津・谷中界隈其の三
メジャー誌・谷中霊園には川上音次郎のおっぺけぺーな墓や、徳川慶喜や、あと誰かわからないアンコールワットの遺跡のような巨大墓などがあった。
近藤家の墓付近では、墓地猫のお食事タイムとなっており、それを狙うカラスも多数集い、我々も見学した。ガイコツだらけ(推定)の霊園中で、そこだけ生き物指数が高まっていた。スギさんは「近藤家だって。近藤正臣?」などとおどけていた。
墓をずーと見ていると、なんであんな3段重ねのヨウカンみたいな格好なのか不思議に思える。タテ置きしたヨウカン部分はともかく、台座の2段は何だろう? あと、ヨウカンの横に土まんじゅうのような丸型のモニュメントを設置した墓もあった。その時はただ謎に思っただけだが、よく考えてみるとあれは本当に土まんじゅうだったのかもしれない、つまり土葬。
「あの墓は誰のだろーう」などと話していると、見知らぬ犬の散歩びとが「あれは林家、あっちが一ツ橋家だよ」と教えてくれた。カトウさんが「ああ!林家ですかー」と応対していた。カトウさんによれば林家(はやしけ)は何か偉い人なんだそうだ。林家のことを全然知らないほかの人々は、いっせいにカトウさんを尊敬した。

霊園をいろいろ見たあと、みんとりさんと落ちあってみんなで『川むら』という蕎麦屋にいったらハルミンさんが到着していた。
そのあと多田夫妻&とよりーぬさんも合流して、ビールを飲みながらアナゴの天ぷらなどを食べた。ハルミンさんの髪は赤茶毛、多田さんは「29(肉?)」の帽子を被っていた。なんで肉なのだ。みんとりさんは石鹸に凝っており、かおるちゃんはドゥボーイに凝っていることを知った。あと、きみえさんととよりーぬさんは会社経理にアタマを悩ませているそうだ。
帰ろうというだんになってどしゃぶりになったけど、『川むら』の茶パツのネエさんがあまりに帰って欲しそうというか、イライラした態度だったので外へ出たらどしゃぶりだった。かおるちゃんと2人で駅まで相合傘をして帰った、おわり。
2001/08/28 根津・谷中界隈其の二
幽霊画入口は幽霊画出口でもあったので、出た。
そして全生庵の墓を見たけど、山岡鉄舟ぐらいしか知ってる人はおらず、「弘田龍太郎先生の墓」と案内板があったがそんな人知らない。
意匠堂さんに「鉄舟以外、有名な人がいませんね」と言ったら「いや圓朝コレクションなんだから圓朝が」と言われた。忘れてた。
幽霊噺が得意な圓朝は、幽霊噺をして得たお金で幽霊画を集めていた。仕事でも私生活でも幽霊。どういうことだろう。
まあともかく、有名人の少ない同人誌のような墓ではなく、大手の谷中霊園へ行くことになった。門のところに印刷の読みやすいパネルがあり、弘田龍太郎は春よ来いとか靴が鳴るとか雀の学校とか叱られてとかを作曲した人だと判明した。

谷中霊園へ向かう途中の荒物屋は看板が古く、タイガー魔法瓶の虎の絵や、シシローのようなライオンの絵と並んで、「ニギリ矢」というのがあった。矢を握っています。なぜですか。

しばらく歩くと、ステキに広い通りに出た。ステキ通りはもう霊園の一部で、とりあえず便所に行った。便所から出ると、意匠堂さんがさっそく「この墓は高橋お伝」と教えてくれた。スギさんに「高橋お伝て誰」と聞かれたので「毒婦」と言ったら「それでトイレの横にあるんだ」とスギさんは納得していた。
お伝の墓はけっこうでかくて立派だった。人殺しでもメジャー誌のような谷中霊園にこんなでかい墓、しかも自分のぶんだけのが建てられる。やっぱり地獄の沙汰は金次第だ。
2001/08/28 根津・谷中界隈其の一
昨日、根津から谷中にかけて散歩をした
。 もともとはハルミンさんの掲示板で、意匠堂主人さんが「全生庵で圓朝コレクションの幽霊画を公開してる」と教えてくれて、幽霊画を見に行こうということになったのだった。
意匠堂さんはそのツアーに当たって完全な計画を立てた。 意匠堂さんとかおるちゃんとカトウさんとスギさんが根津のモスに集結した。そしてスギさんから、現代芸術が吉野家のような仕組みで生まれることなどを聞いた。

まず全生庵に行き幽霊画を見る。途中、曙ハウスなど素晴らしい根津の建築物を見学。路地は「路地展」を開催してそうなほど路地らしい路地。朝顔、ほおずきは路地の必須アイテムだが、アロエ、お金のなる木などの多肉植物も路地っぽい。そんな路地ものを多数取り揃えた花屋さんもあったが、そこは元・木工所の建物。鉢はバラバラ。なので店舗とは思えない。
最近「店の条件」が気になってて、通行人が「ここは店だな」と判断する基準は何か考えていたが、「商品がバラバラでもレイアウトに一貫性があると店っぽい」ことがわかった。

全生庵の階段には「幽霊画入口」と書いてある。なんか怖いネ。
受け付けで300円を徴収しているおじいさんが、そもそも幽霊ムードだ。そして館内はぞくりとするほど冷房をきかせている。古い絵を保存するためにはこれほど空調しなければならないのだろうなあ。
各幽霊画の下にある説明パネルは、色紙に筆でさらさらと書かれた情緒あるもの。情緒はあるが達筆すぎて読めないこともしばしばだ。

幽霊画は全部が丸山応挙みたいなのではなく、墨を3筋ぐらいはいただけで「幽霊」と言い張る心霊写真型や、描き込み過ぎのマンガ型などいろいろだ。『髑髏を持つ夫婦の幽霊』を見たスギさんが「夫婦仲は良さそう」と指摘した。これはめおと幽霊タイプ。

などと楽しく鑑賞していたら、受け付けの幽霊が空調を切ってシーンとしたので、もうあまり勝手なことが言えなくなり部屋を出た。なぜ幽霊が空調を切ったかといえば、もう本日の拝観は終了だから。空調は幽霊画のためではなく、ぞくりとさせる演出だと知った。(つづく)