@june

2002/06/12 追悼報道 

ナンシー死亡についてのワイドショーを見た。長いので別ページに保存。

2002/06/11 喪中 

中央線で携帯掲示板を読んでいたら「ナンシー関が死んだ」と書いてあった。はあ? ウソだろ、何言ってんの。と思ったけどウソじゃなかった。
ナンシーが死んだって? じゃあ西田ひかる結婚後のバースディ・パーティは、真珠夫人の最終回は、W杯のバカ騒ぎは、森繁の葬式は、いったい誰が論じれば良いのだ。そしてワイドショーはこの訃報をどう扱うつもりなのだ。
私はマスコミの報道は7割方信じていない。テレビも新聞も雑誌も書籍も、ウソとしがらみだらけだと思っている。でもナンシーの文章は信じていた。もしナンシーがいなければ、私はライターなんかやっていなかっただろう。ライター業に就いてないという意味であり、続けていられなかったという意味でもある。私の心の師、ナンシー。よく「向田邦子が死んでショックだった」とか聞いても、そんな知人でもない人が死んだってタカが知れてるじゃん文化人ぶっちゃってさー、と思っていたが、今その気持ちがようやくわかった。からっぽな気持ちだ。
明日は必ずネタにしよう。今日は喪に服する。ナンシー師、お疲れ様でした。

2002/06/05 国立駅 

徹夜して河童記事を書き、午後から次女の保護者会のため国立へ行った。国立といえば邪宗門とかヘンな喫茶店しかしらないが、ホームにおりたらいきなりヘンな看板におのれの趣味嗜好を訊ねられた。生きているものって何。ものって助詞はなぜ採用。死んでるものは好きじゃないよネということか。中央線の自殺を止める手だてか。ただ「猫は好きですか」じゃダメなのか。このデブな猫に問いかけられているようだ。デブ猫に何があったのだろう。「オレら『お人形みた〜い☆』とか言われるけど、人形じゃなくて生きているものなんで! そこんとこヨロシク!」ということを通勤通学客に訴えようとしたのかもしれない。
とかいろいろ考えたけど、でもどーだっていいよネそんなこと…と思いつつ階段を降りれば通路にまたもやこんな→ポスターが。誰だアンタ。ホッペが紅いのか、早起きの素晴らしさに感動して赤涙してるのか。だとしたら棒みたいな涙だ。嗚呼って字が違うじゃんかよ。しかも「たび割7」の概要はまったくもって不明。国立駅がおかしいのか、それとも寝不足のマイ脳がおかしいのか。
保護者会では学年主任のダラ長い話にうんざりした。教師のスピーチはほとんどが脅迫とほのめかしに満ちている。それが説話というものか。

2002/06/02 ヨコハマ・サイトシーイン 其の四

7時半ころになって安楽園に行ったらやっぱり店内は素晴らしく古ぼけており、昭和初期建築ではないかと思われた。昔の遊郭みたいな真っ黒な木の階段を上がって2階のお座敷へ案内された。北京料理だけに値段は高めで1品2500円とか。そこで4000円のコースを2人前頼んだら、おばちゃんはチッという感じでガチャガチャ取り皿を置いて去った。と思ったら、別なおばちゃんBが現れ「ごめんなさいね、今セットしますから…」と謝った。
ガチャガチャ派のおばちゃんAとオシャベリなおばちゃんBは交互に現れ、配膳をしてくれた。廊下から聞こえる会話によれば、どうもおばちゃんAとおばちゃんBは折り合いが悪いらしい。そしておばちゃんAは、さっさと片付けて帰りたいらしい。こんな中、居心地が悪いような、おもしろいような気持ちでおいしい料理を食べた。途中、おばちゃんBが「手羽先はもう出ましたか?」と聞きにきた。「手羽先って手羽先の形してるんですか?」とくくさんが聞いたら、おばちゃんBはそれに答えず隠元と挽き肉の炒め物の皿を指して「これは何が入っていましたか」と言う。何が入ってるもなにも見りゃわかんだろ。と思うが「隠元と挽き肉の炒め物」と見たままを答えた。するとおばちゃんBは「そう……じゃあ手羽先は来てないのね」と言い、去った。
8時50分ごろになったらおばちゃんAが現れ、まだ料理がのってる皿もどんどん引いていった。だから我々も慌ててビールをぐいぐい飲み、引き上げることにした。すると廊下にいたおばちゃんAは満面の笑みで「ありがとうゴザイマシタ!」と挨拶をしてくれた。もう帰れるからすっかりご機嫌になったようだ。
おばちゃんのご機嫌もよくなったので安心して店を出て、ガイドの人と別れホテルに戻った。部屋の大きな窓からは、コスモクロックやインターコンチの夜景が非常に美しく見え、思わず「どうぁわぐぁ〜」と喜びの声を挙げてしまった。
汗をかいたので顔を洗おうと思い、美白セットを開けてみた。そしたら美白セットにはCORECOというブランド名が書いてあった。コレコ。惟子の休日とは美白をするという意味だったのか! 我々はせっせとコレコで美白をしてから寒北斗を飲み、ルームサービスを頼んだ。
夜景、美白、ルームサービス。きゃー都会的! なんとアーバンな夜だろう! 観光はアクシデントだらけで疲れまくったけど、惟子の休日プランは完璧である。さすがびゅうプラザはプロだと感心し、「井川遥は3回で殺すべきだった」などとおしゃべりに花を咲かせた。そしてルームサービスのサンドイッチを食べていたはずなのに、気づいたらベッドの上で服のまま熟睡していた。
朝起きてから風呂に入り、再び美白をした。それからレストランで洋食ブッフェを食べた。これまたおいしいものばかり。いつもの取材旅行のように「食べすぎたら途中で気持ち悪くなる…」と配慮する必要はない。なのでオムレツやジャガイモを大量に食べ過ぎて気持ち悪くなった。お化粧はやめてさらに美白をした。短時間で美白をし過ぎたせいか、顔がベトベトした。美白のためにはベトベトもやむを得ない。そのあと「刃物で臓器を傷つけるにはメッタ刺しにしないとダメ」といった話をしてくくさんとの別れを惜しんだ。
12時前にチェックアウトをして中華街を抜け、駅に向かう。途中でくくさんが「あ」と言ったから見ると、頭に青いカツラをかぶりイタリアの国旗を羽織った外人がいた。おお、とうとうフーリガンか? フーリガンというよりナマハゲに似た外人たちはビデオで横浜の風景を撮影していました。
帰宅して夫に美白セットをもらったことを自慢したら「この会社練馬区石神井バイ」と言われた。よく見れば製造元も大阪市東成区とか荒川区東日暮里……でも美白できれば製造場所なんかどこでも良いではないか。そう自分を納得させて惟子の休日は終わった。

2002/06/02 ヨコハマ・サイトシーイン 其の三

ノートばかり見ているわけにもいかないので、エリスマン邸をあとにして元町方面へ下っていった。くくさんがおみやげに何か横浜銘菓を購入したいと希望したが、ガイドの人のガイド本に載っている元町名物はキタムラのバッグやミハマの靴とかだった。あきらめて銘菓は中華街で探そうということになった。
そしたら川沿いに左のような看板を発見した。「十字架に祈りを捧げ」みたいな歌詞があるにも関わらず、真言宗の寺が制定している謎の歌だ。作詞は平野威馬雄。娘・平野レミが歌ったのか。でも調べてみたら外人墓地はもともと増徳院の境内だったそうで、こんな歌詞でも別に不思議ではないらしい。
中華街で雑貨屋や関帝廟などを見て回ったが、はっきりいって足は限界に来ていた。夕食はまえまえから気になっていた「安楽園」という店にしよう。と思っていたが、ジョナサンのハンバーグがまだ消化しきれず、とてもメシを食う気にはなれなかった。だけどものすごく足が痛く、どこかで休みたい。そこで空いてそうな喫茶店「ブラジル」に入り、ぐったりしていた。ブラジルという名前ではあったが異国情緒はどこにもなく、地元の人がスポーツ新聞を読んでいるような店だ。でも店員の婆さんが中国語と日本語交じりで、昨日見かけた2人連れは○○さんだといった話をしていたのが異国情緒だ。
ブラジルに飽きて店を出たがまだ腹は減らない。そこで我々はカラオケに行った。私は「おいかけてヨコハマ」、くくさんは「LOVE AFFAIR」、ガイドの人は「秋の気配」などを歌ってヨコハマ気分を盛り上げた。ところでLOVE AFFAIRには「♪シーガーディアンで酔わされて」という一節が出てくるのだが、私はこれを港のクルーズ船だと思い込んでいた。しかし実はニューグランドのバー。クルーズ船だから船酔いをかけてるという解釈は見事に間違えていた。ブルーライトバーもニューグランドの隣りにあるバーだ。くそう、せっかく泊まったのに行ってみればよかった。と思ってももう遅い。閑話休題。ほどよく腹が減った1時間後、カラオケを終えて出ようとしたらラーメンを持った店員とすれ違った。さすがは中華街のカラオケ屋だ。

2002/06/02 ヨコハマ・サイトシーイン 其の二

赤レンガからの道のりですでに疲れ気味だった足を引きずって港の見える丘公園に行った。港の見える丘公園はものすごく高いところにあり、ずーっと階段を登り続けた。全員が自然と無口になり、ひたすら頂上を目指す登山隊のようになっていた。ようやく港の見える丘公園に到着し、椅子に座ってただ呆然とする。ふと、目の前にいる観光客たちがみんな黒い服を着ていることに気づいた。一見、浮かれたアベックや死に損ないの年寄りにしか見えない観光客だが、立派にフーリガン対策をしているのだ、と驚いた。ガイドの人に「なぜ黒がいいのか」と聞いたら「黒は審判が着てるから安全かと思った」そうだ。
それからローズガーデンやイギリス館に行った。ローズガーデンには「オレンジスプラッシュ」とか「丹頂」とかいろいろな名前のバラが咲き乱れている。写欲を刺激されるのか、カメラ小僧になっているオヤジもいた。中には「なんでこんな名前?」と首をかしげたくなるようなネーミングも見受けられた。たぶんバラの新種を開発した人はロマンチックな名前をつけることが義務づけられているのだろう。そのため、時には上の写真のような珍妙な構図も期待できるというものだ。でもそんな効果を期待してつけたわけではない。
外人墓地は外国人墓地という名になっており、入口でおばさん連が募金を集めていたから入るのをやめ、タダで入れるエリスマン邸に行った。エリスマン邸はエリスマンという人の家だけど、今はレトロ洋風建築の展示場となっている。山手付近の洋館はてっきり明治建築だとばかり思っていたが、実は震災でけっこう壊れ、今残っているのは昭和初期建築がほとんどらしい。館内には訪問者ノートがあり、「こんな家に住みたい! エリスマン結婚して〜」「けんか北上!」などと適当な願望や思いつきの落書きが綴られていた。

2002/06/02 ヨコハマ・サイトシーイン 其の一

昨日、生まれて初めて「友だちと一泊旅行」に行った。友だちのくくさんから遊びに行くよーという連絡をもらったとき、いつもいきあたりばったりに東京案内をして失敗に終わるので、綿密に計画を練ることにした。それでふと思いついたのが、「ホテルでゴージャスな休日を過ごす」というプランだ。仕事では毎度「友人同士でのんびりくつろいで」とか書くくせに、いったい何が楽しいのかよくわからない。自分で体験してみるチャンスだ。
というわけでチャンスをモノにすべく、旅行会社のパンフから料金・サービスなどを仔細に検討した結果、びゅうプラザ企画、横浜の老舗・ニューグランドホテルで過ごすレディースプラン惟子の休日を選択した。惟子は「これこ」と読む。なんでそんな名前。恋子の毎日と関係あんのか、ジョージ秋山か。

とにかくハマッ子のガイドの人とニューグランドを中心に横浜観光をする計画を立てた。桜木町から潮風に吹かれて汽車道を辿りつつ赤レンガ倉庫のオシャレなレストランで昼食。臨港線の廃線跡を見ながら税関資料室で密輸の実態などを研究したのちホテルにチェックイン。荷物を置いて身軽になってから港を眺め山手の外人墓地あたりで異国情緒を味わい、元町を流して中華街でショッピング&夕食。我ながら恐ろしいほど完璧な横浜コースだ。
でも毎日テレビでワールドカップの報道をするようになってから「もしかして横浜にもフーリガンが上陸しているのではないか!」という不安が頭をもたげ始めた。ガイドの人に聞いてみたら「フーリガンに狙われないようにするには、敵国ユニフォームに似た色の服を着ないこと」だと言われた。「じゃあ何色を着ればいいの」とさらに訊ねると「……黒かな」と言う。私は黒い服を持っていない。

フーリガン対策を立てきれないまま惟子の休日の日になった。桜木町駅前はものすごい人出だ。どうも赤レンガパークを中心に「横浜開港祭」が開催されているらしい。果たせるかな、赤レンガ付近はどうしようもないほどごった返し、レストランでの昼食はあきらめるしかなかった。では臨港線の廃線跡をと思ったら、廃線跡は消えてコンクリートのボードウォークになっていた。日差しが強くてクソ暑く、潮風はドブの臭いがするが、とにかく税関資料室へ向かう。なのに資料室は土日休館だった。大変空腹だったので、目についたジョナサンに入りハンバーグなどを食べた。

それからホテルにチェックイン。フロントでチケットを見せたら、外人ホテルマンに「コチラにドーゾ!」と何かの受付みたいなところに連れて行かれた。「何これ面接?」「もし『乞食みたいな人は不合格です、お帰り下さい』って言われたらどうしよう…」と噂していたら、慇懃な紳士が現れた。そしてレディースプランのお客様にはクマのぬいぐるみか美白セットがつくがどちらが良いか、と聞かれた。私は恐る恐る「美白…」と美白セットを指さし、くくさんも「アタシも美白…」と言った。
美白セットや「氷川丸10円割引」などの施設割引券を受け取った我々は部屋に荷物を置き、再度外に出かけた。フロントにキーを預けようとしたら先ほどの外人に「オーデカーケレースカー?」と訊ねられた。外人は私からキーをもぎとり「イテラシャーイ!」と大声で送り出してくれた。